東京都荒川区尾久町2丁目91番地
     

<310×130×40>
 SFシリーズ  

空想科学原子力ミサイル潜水艦 

 < シービュー号 >    

              ¥150
  
 今見てもこのボックスのレイアウトは時代を感じさせ
ないモノだと思います。

水上も走れ,潜航もできます。 浮力は空気室により、
金属製のおもりでバランスをとります。

 艦首のゴムクランクを使いゴムを巻き、船体上部の
穴から空気を抜き走らせます。

 
このモデルは、ゴム動力でも水中モーター
 (マブチS−1)でも走行可能。  無論、水上ですけど。

水中モーターは吸盤ではなく船底のフックに差し込んで
使用する。 

ただ、他のモデルのようにとってつけた格好ではなく、
船底に収納する形で取り付け、

そのSF的スタイルを損なわないように工夫されている。
 < ジョージ・ワシントン >
 
  プレートを接着して空気室を作り 船底にオモリを差し込む。

 前に沈むときはオモリを後ろにずらし、後ろに沈むときは前にずらす。
< スペース9 >     レインボウ シリーズ4
 
 
*空想科学・原子力エネルギー・宇宙円盤*  MOTORIZED

 走りながら円盤が回転しライトがつく。 (TKKマブチ15)
スイッチを入れると、円盤と車輪が回る。

 ライトがつく・・・・・驚いたことに窓は内側から、アメなどの包み紙のセロハンを自分で
切って貼り付けた。
 
, TR−4 ナポレオン・パトロール >      1/24     

        
コルベット・スティングレー・スポーツクーペ
 小暮模型製作所 

 K M S 
 小暮模型製作所はプラスチックモデルが誕生する前から活躍していた
模型飛行機製造メーカーでした。
当時、模型飛行機というと後のプラスチックモデルのようなスケール性を
競うものではなく、実際に飛ぶ という事を前提にしたもので、紙飛行機
・ゴム動力機のようなものからエンジンを動力にしたものまでさまざまな
方式のモノが存在していました。
 
 小暮模型もこの分野で活躍していました。
そのせいかプラスチックモデル参入は多少他社に遅れをとる結果となった
ようで、60年代前半は右の広告のようにエンジン付きのUコンを業務の
メインにしていたようです。
ちなみに日本初のプラスチック製ボデーを持ったUコン機を発売したのは
小暮模型でした。 先発プラスチックモデルメーカーに対しこの分野で
新素材プラスチックを生かそうと考えていたのでしょう。
 左のKMSのロゴが小暮模型がプラスチックモデル
参入時のものです。

双発ジェットボート マイアミはなかなか凝った構造で
スクリューで推進力を得るのではなく、名前のように
ジェット推進で進というものです。
もちろんジェットエンジンが付くわけではありませんが
船体後部左右にシャフトで連結されたプロペラを配し
モーター動力で水をボデー内に取り込み、船体後尾
から噴水のようにその水を排出させ推進力にすると
いうものである。
正しくジェット推進・・・・・その性能は? であるが、楽し
そうではあり子供心をくすぐった事であろう。
TKK 01 モーターを使用する。

 コグレの代表作といわれている機体が透明のこのシリーズには、ムスタング
零戦・彗星があった。初めてクリアーモデルを作った時の感動はプラスチック
モデルを最初に組み上げた時にも負けない感動があった。ソリッドモデルでは
決して味わえない、新素材プラスチックならではの芸当だ。
コグレだけではなく多くのメーカーがそれぞれ工夫を込め世に送り出していた。

 SFシリーズ 
 
空想科学原子力ミサイル快速艇
                                                      ¥150

< バンガード 3号 >    

                  KIT No.SF 104
      <335×190×47>  KIT NO.222

 コグレといったらまず最初に思い起こされるのが、スロット・カー・レーシングという事になるだろう。
同社の命運を翻弄し日本中で社会現象までにもなったスロットカーブーム。
60年代中頃のことであるが当時を知らない方には、ミニ四駆のブームを思い起こして頂ければ
近いのではないだろうか。全国あらゆるところにサーキット場が出現し年齢に関係なく誰もが夢中に
なった。
実際初めてこのスロットレーシングなるものをサーキット場で目の当たりにした時の衝撃は今でも
忘れられないが、そのコースの長かった事とスロットカーと呼ばれるクルマが驚くべきスピードで
バンクを駆け抜けていく姿に度肝を抜かれそして感動した。
しかし、この加熱振りがブームの終焉を結局は早める結果となってしまう。サーキット場でクルマを
走れせるには無論お金がかかり、子供達にはかなりの負担となっていく。学校がそれを見逃す訳も
なく、校則などで出入りが次々に禁止となっていってしまうのである。
ブームは一気に沈静化し、サーキット場は閉鎖に追い込まれスロットカーブームは僅か一年余りで
終焉を迎えたのである。
 スロット・カー・レーシング 
 このスロットカーなるモデルを日本で最初に発売したのがコグレでした。
コルベット・スティングレイがそれで評判は上々だったようです。

スロットとは溝のことで、そこにクルマの底にあるプラスチック製のガイドを
はしらせモーターにより駆動させるというものです。
走り出したらまったくのフリーというミニ四駆と違い、手元のコントローラー
で常にクルマが制御でき、それぞれ個々のテクニックを駆使し競争
(バトル)出来たことがみんなを夢中にさせた最大の魅力だったと思います。

コグレはスロットカー以前から自動車のスケールモデルを発売していたこと
もあり、クオリティーの高いのが特長でしたが、そのためか他社製品に比べ
少し重量的に不利だった面はあったようです。
一般の人たちが走らせるのには特に問題はないレベルでは有りましたが。

 ライト コントロール カー 
 光センサーにより、夜はライトを当てることにより
昼は光りを遮ることにより前進・右折・左折を外部
から指示できるという優れもの。
当時としては超ハイテクマシーンだったのでしょう。
ただし値段も超がつく ¥3500という途方もない
ものでした。