それはいつもの事。

街の大富豪、デリ家の一人息子ロバートは、他の買い物は召使いに頼むのに、薬を買いに行く事だけに関しては、自分で行くといつも決めて、それを実行していた。

全ては薬屋で働いている愛しのセルフォスの為。

 

今日も、ロバートは父が使っている頭痛薬が切れそうなので、街外れの薬屋まで一人でやってきた。

正しくは一人ではなく。

デリ家の大事な跡取りを一人で買い物に行かせると、ロバートの父、デリ家現当主が、召使いは自分達の仕事を放棄してると因縁をつけるので、うしろからこっそりロバートのお付きの者が5〜6名ほどついてきているのだが、当人は知るよしもない。

 

薬屋の扉の前で、一度ロバートは立ち止まり、大きく深呼吸をする。

心の準備が必要らしい。

そして、思い切って店のドアを開ける。

「いらっしゃいませ」

明るい声、とは言い難いようなそんな声が聞こえてきた。

だが、ロバートはその声を聞いただけでも大満足だった。

なぜなら。

声の主は、セルフォスだったのだから。

「こんにちは! セルフォス! 今日は貴方がカウンターなのですか?」

そう言いながらも心の中では、ガッツポーズを作っているロバート。

「こんにちは、ロバート様。ええ、今日は私がカウンター番なのです」

セルフォスは相変わらずの無表情で、淡々と喋る。

「それは嬉しいです! 私がここに薬を買いに来る時、最近の貴方はいつも店の奥に入ってしまって少ししか顔を出してくれないものですから」

「そうでしたか。薬、といえば、本日は何をお求めにこられたのですか?」

「あ、今日は父の頭痛薬を」

「お父様の、ですね。いつものやつでよろしいでしょうか?」

「ええ。構いません」

「分かりました」

セルフォスはそう答えるとカウンター脇にある棚から、ロバートの父の処方書を取り出す。

これによって、いままでその人あてに処方した薬、処方した日にち等が分かるのだ。

セルフォスはそれに、今日の日付と「頭痛薬、継続」と書き足すと、その処方書をカウンター奥の薬品室で薬の整理をしているヘリオライトに渡す。

「ヘリオライト、お願いします」

「ほいほい・・・・。ん!? もしかしてロバート来てんの?」

処方書を見たヘリオライトがその紙に書かれた名前を見て、顔をしかめる。

「はい。薬を買いに」

ロバートのセルフォス好きは、同じ薬屋で働くヘリオライトも了承済みである。

以前にセルフォスに会いたい一心で、薬屋に通い詰めたロバートのせいで、セルフォスのカウンター番を、ロバートのほとぼりが冷めるまでやめさせようと店長とヘリオライトの、仕事面では普段ほとんど合わない意見が一致したぐらいだ。

しかも、店員が二名しかいないこの薬屋で、一人がカウンター番をやめてしまうと、とばっちりをくらうのは、当然残っている一人、ヘリオライトだったりする。

「よっしゃ。じゃあ、なるべく早く調合終わらせてそっちに行くな?」

そう意気込むヘリオライトに、

「別に。彼一人ぐらい私一人で充分対処できますよ?」

そっけない態度のセルフォス。

「んー。そうか? でも、心配だから」

セルフォス一人じゃどんなに当人が冷たくあしらっても、ロバートが怯まない場合がほとんどで。

それどころか、屈折しまくった誤解を招くのがオチである。

セルフォスはそれを分かっていない。

だけど、それをそのまま伝えると、むきになってしまい、下手をするとヘリオライトの助け舟さえあしらわれる可能性があるので、「心配している」と言う。

同僚にはとことん心優しいセルフォスは、こういう時、決して同僚の気遣いを無視したりはしない。

「・・・・分かりました」

そんなに心配するほどの事でもないのに。

軽く首をかしげながら、ヘリオライトに背を向け、薬品室を出て行くセルフィス。

その後ろ姿を見送り、セルフォスが薬品室のドアを閉めた途端、ヘリオライトは大慌てで調合に必要な薬草の棚を漁った。

 

「お待たせしております。今、調合中です。約10分弱で終わると思いますので、もう少々お待ちいただけますか?」

そんなセルフォスの台詞に、

「はい! 構いません!」

と即答したのは、接客用のソファーに座っているロバートだ。

ちなみに、セルフォスがドアを開けた瞬間からはしっかりソファーから立ち上がっている。

「・・・・では、どうぞお掛けになってお待ち下さい」

ロバートの勢いに少々圧されながらも、セルフォスはそう言って、ハーブティーを淹れる。カウンターの隅には、客用に茶器一式と湯沸かし器が設置されているのだ。

ハーブティーを淹れたカップをどうぞ、とロバートの前に置く。

そのまま、カウンターに戻ろうとするセルフォスの手をロバートが掴んだ。

「あのっ! 少しこちらの方に座ってお話することはできませんか?」

顔を真っ赤にし、でもセルフォスから決して視線と握った手を外さない。

セルフォスはしばし考え、

「良いですよ」

そう言って、ロバートの手から自分の手をするっと抜くと、向かいのソファーに座った。

それを見たロバートは慌てて、

「あのっ。そちらの席なのですか?」

「? 向かい合わせじゃないと話ができないでしょう?」

自分の隣に座ってくれるものだとばかり思っていたロバートは、セルフォスに当たり前の様に言われて、そうですね、というしかなかった。

ロバートに少しでもまともな思考回路が残っていれば、セルフォスのとった行動こそ当然の事だと気付いたはずなのだが、いかんせんセルフォスを前にした彼の思考はどこかのネジが数本飛んでいた。

「それで」

セルフォスがロバートの顔をじっと見る。

「お話とはなんでしょう?」

そう見られて、ロバートがまともに話せるはずもなく。

「え? いや。その、ですね・・・」

「?」

セルフォスは首をかしげる。

「私がここにいて、話しにくい様なら私はカウンターに戻りますが」

その言葉にロバートは慌てて、

「いえ! 大丈夫です!! 実は!!」

「はい」

「私は最初貴方を見たときから、竜の貴方ではなくて、あ、いえ、竜姿の貴方ももちろん素敵なのですが、私は、その、人間の貴方の姿を見たときから、その・・・」

「はい」

そして、ロバートが勢いよく立ち上がりセルフォスの手を握る。

「せ、セルフォス、の事が、好−」

「お待たせしましたー!!」

ドアの軽快な音とともに、ヘリオライトが薬品室から出てきた。

ロバートが、ありったけの勇気を振り絞って言った一世一代の台詞は薬品室から勢いよく開け放たれたドアの音と、ヘリオライトのいつもより勢いある言葉にかき消されてしまった。

手を握られながらも、セルフォスはいつもよりかなり早い同僚の薬の調合の仕上がりに驚く。そして、同時にいつもならしない同僚の騒々しいドアの開け方に顔をしかめる。

「ヘリオライト。貴方のせいで、ロバート様が言ってくださった言葉が聞こえなかったではないですか」

それを狙ってやったんだっつーの。

ヘリオライトは心の中で舌を出す。

「すみません。同僚が。あ、でも、注文していた薬が出来上がったそうなので、私、ちょっと確認をとってきます。手を離してくださいませんか?」

「あ・・。・・・・・・・はい・・・・」

がくーーっとうなだれたロバートをヘリオライトは少々憐れに思ったが、いかんせんここでロバートに希望を持たせたら、お鉢が回ってくるのは自分だ、と己に言い聞かせる。

「はい。確かに注文通りです。では、ロバート様、お会計宜しいですか?」

そんなロバートの想いも露知らずのセルフォスは淡々と仕事をこなしていく。

金額を受け取り、その金額を確認した上で薬をロバートに手渡す。

そのときは普段無愛想なセルフォスもほのかに笑って。

「ありがとうございました」

と言う。これは、店長命令。

終わり良ければ全てよし。

店長曰く、途中、どんなトラブルがあっても、最後に笑顔で見送ってもらえれば客も悪い気はしないものだ。との事。

しかし、今回に限ってはこれは逆効果だ、とヘリオライトは思った。

何故なら、このセルフォスのほのかな笑みに、ロバートがまた希望を見出してしまったからだ。

手渡しで渡される薬の入った袋と共にセルフォスの手まで握ったロバートは、またもやセルフォスに詰め寄る。

「セルフォス! あ、あの、さっきかき消された言葉なんですが!」

まずいまずいまずい。

ヘリオライトの頭の中ではそんな言葉だけが渦巻いていた。

なんとか、ロバートを温和な方法でセルフォスから引き剥がせないものか。

そう思っていた矢先、セルフォスが。

いままで、おそらく誰も見た事ないだろう極上の笑みをロバートに向けて。

ありがとうございました

さっきよりも、強く、しかもはっきりとした口調でそうきっぱりと言った。

これは・・・・・。

どこの誰が見ても、帰れ、と言っているのだろう。

さすがのロバートも今までセルフォスがとった事がない行動に戸惑い、

「あ、あの、セルフォス・・・?」

と恐る恐る尋ねると、セルフォスはまたもやにっこり笑い、

「またの御来店、お待ちしております」

そこまで言われては、ロバートも引き下がらずを得ない。

おずおずと手を離し、薬を受け取る。

しかし、最後のセルフォスの言葉と今まで見せてくれなかった笑顔に何らかの期待を寄せてしまったらしく、

「また、来ます」

そう言った控えめな声音とは裏腹に顔は赤らんで、しかし、新たな決意を見出した表情だった。

 

ロバートが店から出て行ったあとは、必ず外で一騒ぎがある。

それは、ロバートに無断でついてきた、お付きの人がロバートに店で何か無体な事はされなかったか、とかいろいろ質問を浴びせるからだ。

ロバートは大抵、大丈夫だよ、とそれぞれに労いの言葉をかけて、早々に店の前から立ち去ってしまう。

店の前で長居をすると、薬屋に迷惑がかかると思っているからだ。

 

外の騒ぎが聞こえなくなった頃、ヘリオライトはカウンターに腰掛けているセルフォスをちらっと見る。

そして、

「店長に教わった?」

さっきの笑顔の使用法。

「いいえ? 本で読んだから、試してみようかと」

「なんてタイトル?」

「「困った客への対処法50 トラブル起こさずきれいさっぱり帰せる方法」です」

「そりゃまた、すごいタイトルだ・・・」

「貴方がやっていた事も載ってましたよ? ええと、確か「同僚に協力してもらって連携プレーで、客の話を切り上げさせる方法」でしたか」

「あははははは」

自分が自然と行っていた妨害のやり方まで本に載っていると言われては、もはや乾いた笑いしかでない。

「本当になじみの深いものばかり載っていましたよ」

「あ、ああ、そう」

と、いうことは、自分がセルフォスに気付かれないようにやっていた客に対してのさりげない牽制の数々も載ってたってことか。

「ヘリオライト」

「は、はい?」

何故か、妙にかしこまってしまう。

そんなヘリオライトにセルフォスはとびきりの笑顔で。

「いつもありがとうございます」

 

げに、笑顔の力とは恐ろしい。

初めて見るセルフォスのその笑顔が、夜、夢の中まで出てきたヘリオライトは、それをロバートとはまた違った意味で、痛感したという。