空気が冷たい。
夜明けが近い。
夜明けの城
その年、薬屋が最後の営業で大慌ての時、この世界の全ての竜を統べる王、セルヒも大忙しだった。
最後の営業の昼休み、店員2名は例年通り冬休みの計画を互いに話していた。
「ヘリオライトは今年どうするのですか?」
「ん? 俺? 友達とかとカウントダウンパーティやるつもり」
そう言ってヘリオライトは笑う。
「そういうセルフォスの方は? また店長のとこで新年の挨拶をするのか?」
店長とはセルヒの事である。
セルフォスは毎年、薬屋の営業が終わり次第竜の王でもあり、この薬屋の店長でもあるセルヒのところに行き、そこで冬休みを過ごすのだ。
そして、新年の初めには王の元にこちらの大陸にいる他の一族の竜達の王、又は代表者が各々王に新年の挨拶に来るのでそれに参加する。
竜の一族は皆総立って顔がかなり整っている者が多いのでその集まりとなれば、それはかなり目を見張るものがあるだろうな、とヘリオライトは思う。
だが同時に人間に対して良い印象を持たない者達も少なくないので、一度はその集まりを拝みたいと思いつつも、ためらってしまう。
これが竜の研究家でもあり、竜オタクとも言えるりくであればそんな事物ともしないであろう。
「ええ。そのつもりですが・・・」
そう言いかけたとき、休憩室のドアが勢い良く開いた。
店員二人が驚いてそちらを見ればそこには息を切らせた店長セルヒがドアに手をついて立っていた。
「て、店長?」
店長のその勢いに一度はひるんでしまったものの、恐る恐るセルフォスが声をかけてみれば店長は途切れ途切れに何かを呟いた。
「え?」
聞き取れなくて聞き返してみれば、今度は少し整った息と共にはっきりとした声が返ってきた。
「ヴ、ヴェルガは・・・いるか・・?」
「はい・・・。仮眠室に・・・。しかし、どうされたのです?」
いつも見ない店長の乱れようにびっくりする店員二人。
すると思い出したように店長はセルフォスの方を向いた。
「そうじゃ。セルフォス、来年の挨拶は数日延びるぞ」
「え?」
「その代わり、主は我らと共に日の出を見に行くのじゃ」
「は?」
突拍子なセルヒの発言にさすがのセルフォスも固まる。
普段からこういう予測不可能な発言はしょっちゅうしていたので大分慣れてきたし、それなりに予想もできるようになってきたと思っていたのだが、まだまだセルヒの方が上手だったということか。
しかし、これは王としての命令だ。
セルフォスは頭上にハテナマークをたくさんつけながらもとりあえず頷く。
返事に満足そうに微笑んで、仮眠室に入る。
しばし呆然と見送っていた店員2名だが、やがてヘリオライトが呟く。
「いいな〜。初日の出ってやつだろ?」
「そう、ですね」
「しかし、毎度の事ながら店長って予測不可能な事いきなり言うなあ」
「そうですね」
そう相槌を打って溜息を一つ。
「何かな、ヴェルガも休みが取れるそうでな、主が行くのであれば自分も行くと言い出した」
仮眠室から出てきた店長はソファに腰掛けてセルフォスの淹れたお茶を飲み、一息つきながらさらっと爆弾発言を落とした。
案の定、セルフォスはとても嫌な顔をした。
「まあまあ。これで我もやっと一息つける・・・」
「? どういうことです?」
「ん? 何、この大陸巡って新年初日は我が不在という事を伝えてきたのよ。主らで最後だったのじゃ」
「そういう事でしたか」
「ところで、店長。初日の出はどこまで見に行くのですか?」
目を輝かせながらヘリオライトは体を乗り出してきた。
「ん? そうじゃな・・・。いいところ、じゃ。山の頂での、とても綺麗じゃよ。ちと遠いが、何、我らが元の姿に戻ればあっという間につくじゃろう」
「へえ〜。いいなあ・・・」
竜達が発見したところとなれば、人類未踏の地の可能性が高い。そんなところに行けるなんて。
「主も行くか?」
「え?」
いきなりの誘いにヘリオライトはかなり驚いた。
「誰かの背に乗れば問題ないじゃろ。高山病に気をつければ」
竜の背中に乗れる。それだけでもヘリオライトの気持ちを傾かせるには十分だった。
「行く! 行きます!!」
即答だった。
「カウントダウンパーティは良いのですか?」
「いいの! それはいつでも参加出来る!! でもこっちは店長の気まぐれだろ? 二度はないかもしれないじゃん!!」
かなり興奮したその台詞に店長は苦笑する。
「主は大分我の性分が分かってきたようじゃな」
「笑い事ではない気もするのですが・・・。あとは誰が行くのですか?」
セルフォスは相変わらずのポーカーフェイスで冷静に問う。
「我とメルバ、それに主とヴェルガとヘリオライト。あとはりくと紫蘭じゃ」
「りく!?」
「し、紫蘭殿ですか?」
最後の二名の名前のそれぞれにそれぞれが過剰に反応する。
「うむ。りくは先日本年最後の挨拶だとか言って我の、毎度思うのじゃがどうしてあやつは毎回迷いの森で迷わないのじゃろうな、まあそれはいいか。とにかく我の家に来たのじゃ。まあ我もりくには世話になっておるからな、そのお礼も兼ねて今回の初日の出参りとなったのじゃ。紫蘭は興味本位かの。オフェリアにかなり怒られておったか。そうそう、セルフォスに会いたがっておったぞ」
「光栄です」
そう言うセルフォスの頬が少し赤らんでいた。普段店長以外でそんな表情を見せることがなかったのでそれをみたヘリオライトはびっくりした。
「店長、紫蘭というのは?」
「オフェリアと同じ白の一族じゃ。じゃが、そう警戒することはない。あやつは・・・まあ色々あっての、かなりの親人家じゃ。主もすぐ仲良くなれるじゃろうよ。ただ、セルフォスがああじゃろ? ヴェルガは紫蘭が嫌いなんじゃ」
言いながらくすくす笑う。
白の一族というとどうしてもオフェリアの氷のような冷たさを思い浮かべてしまうので、その紫蘭が人間に対して友好的だと言われてもなかなか想像し難い。
多分セルフォスのような感じなんだろうな、と思った。
メルバというのは店長の家にいる千里眼の竜だ。一度会ったことがあるがかなり人懐こい。
「それで、俺はいつ店長の家に行ったらいいんですか?」
「ん〜。そうじゃな。一人でたどり着くというのは無理じゃから、セルフォスと一緒にくるがよかろう。年内であればこちらはいつでも構わぬぞ? 部屋は余っておるし」
「じゃあ、ヘリオライトの準備が整い次第そちらに伺うことにします」
「うむ。待っておるぞ」
そう言って店長セルヒはにこにこ笑っていた。
結局、人目につくからと徒歩で移動したため、店長の家に二人が到着したのは年内最後の日の夕刻だった。
ドアを開けて迎えてくれたのはメルバだった。
「いらっしゃい! お待ちしてました!! セルフォスさんにヘリオライトさん! お二人ともお元気でした?」
満面の笑みで両手を一杯に広げてそれぞれに抱きついて挨拶をする。
それだけでここまでの長旅の疲れが一気に吹き飛んだ気がしたヘリオライトだった。
しかし、次の台詞で緊張が全身を固めた。
「もう皆さん来てますよ!」
「て、ことはその・・・し、らん・・・だっけ? その人も?」
「はい! あ、そうか。ヘリオライトさんは紫蘭さんに会うの初めてでしたね! でも、大丈夫ですよ。とても気さくなひとですから! りくさんはもうかなり仲良くなってますよ」
いや、それはりくだから・・・。と心の中で秘かに突っ込みを入れる。
尻込みするヘリオライトにセルフォスが一言。
「大丈夫ですよ、ヘリオライト。私も、ヴェルガも、何より店長がいます」
負い目を感じる必要はないのですよ。
いざとなれば私があなたの側にいますから。
それを聞いてヘリオライトは勇気を奮いだした。
拒絶されても仕方ない。
自分は竜でも、竜が別段好きでもないのだから。
それが自分なのだから。
堂々と行けばいい。
そう思い、一歩を踏み出した。
「初めまして。紫蘭と言います。どうぞお見知りおきを」
にこにこしながら握手を求められた時、ヘリオライトは思わず拍子抜けした。
白い髪、凛とした空気をまとい、他者とはどこか一線を引くような美貌や雰囲気を持ってはいるのだが、オフェリアとは明らかに違う。
「ヘリオライトです。その・・・」
相変わらずにこにこしている相手にヘリオライトは戸惑いながらも握手を返す。
「はい?」
「し、白の一族ですよね・・・」
「そうですが、そうは見えませんか?」
少ししゅんとした感じで残念そうに言われ、ヘリオライトは慌てて否定しようとしたが、
「見えぬな」
「見えませんね! オフェリアさんたちとは明らかに雰囲気が違いますし」
セルヒとメルバが笑いながらそう言ってきたのに対して笑ってひどいなあと返す紫蘭。
「と、まあこれでも白の一族の端くれなのです。かなり変わり者と言われ、一族内からは変人扱いされてますが」
肩をすくめて苦笑いをする紫蘭にヘリオライトも思わず笑い返す。
「端くれなんておっしゃらないで下さい。白の一族の、長なのですから」
たしなめるようにセルフォスが言えば紫蘭は優しく笑む。
「そうでした。セルフォス殿もお元気そうで何よりです」
「紫蘭殿も」
そう言って笑う。その表情にヘリオライトは驚く。
その時、袖を引かれてそちらを見ればかなり不機嫌なヴェルガがいた。
「ヴ、ヴェルガも久しぶり」
「ヘリオライトも元気そうで」
むすっとした顔で言われ、ヘリオライトは困惑する。
「どうした?」
小声で聞けば、ヴェルガはヘリオライトを引き寄せ今や二人の世界に入っている紫蘭とセルフォスを指し、小声でぼそぼそと言う。
「あれ、どう思う?」
「どう、って。仲良いのはいいんじゃないか? セルフォスがあんなに笑うのも珍しいと思うけど」
「そこ! そこなんだよ! あんな表情私には絶対見せないのに・・・・」
ハンカチがあれば確実にそれを歯噛みしながらくやしがりそうな勢いである。
「ま、まあまあ・・・」
たしなめていると、後ろから声がかかった。
「まあ! ヘリオライト様にセルフォス様、やっと到着ですわね!! こちらも丁度準備完了しましたわ!! いつでも出発できましてよ!」
そこにはエプロン姿のりくが立っていた。
「よし、じゃあ行くかの!」
そう言ってセルヒが立ち上がればそれが合図のように皆立ち上がった。
「さて、りくとヘリオライトは誰の背中に乗せるべきかのう・・・」
「メルバ殿は無理ですし、ヴェルガは体の表皮部分がかなり固いので滑りやすいから人間には危険ではないかと・・・」
セルフォスがそう言えば紫蘭が便乗する。
「私か王の背が一番適任ではないのでしょうか。長毛ですし、寒さも凌げます。セルフォス殿ですと確かに掴む部分はあるのですが寒さを凌ぐには少し物足りないかと・・・」
「うむ。じゃあ二人ともどちらに乗るか決めるが良い。我らは一人だろうが二人だろうが構わぬ」
「それはもちろん、紫蘭様にしますわ! 白の一族に乗れるのなんてこれが最後かもしれませんしね!!」
「ヘリオライトは?」
「う〜ん・・・」
悩みながらセルヒの顔をちら、と見る。
「なんじゃ? 我か? 構わぬぞ」
僕も近くを飛びますから安心してくださいね、とメルバは笑う。
月が大きく見えた。
それだけでも感動だったが、自分が空を飛んでいることに泣きそうになった。
一度? いや、何度も夢見た。
あの地面から、この空を見上げて。
飛べたら何て気持ちよいだろうと。
想像の翼を広げて。
それが今現実になっている。
それだけでも嬉しいのに、辺りを見渡せば自分の乗っている竜を囲むように両脇に黒、そして白、そして後ろにはこれらのもの達よりも一回り大きい、大きな翼、そして大きな体格の緑。
ヘリオライトは同僚の竜姿を、そして飛ぶ様を初めて見た。
まさかこんなに大きいとは思わなかった。
そして、こんなに圧巻で、こんなに綺麗だとは思わなかった。
思わず息を飲む。一羽ばたきするたびに。
すごい迫力。
「大丈夫ですか? ヘリオライトさん。あまり後ろを見ると酔っちゃうかもしれませんよ」
近くで声をかけてくれたのは小さな竜のメルバだ。
「うん。ありがとう。りくは?」
「りくさんは楽しそうですよ」
言われて隣を見てみればりくは乗っている竜の体毛などを撫でながら真剣な表情になっている。
「ああいうときの表情は楽しいんだと兄様が言ってました!」
メルバのいう兄様とはセルヒのことだ。
ヘリオライトは呆れながらも頷いた。
「空気が冷たい。それに月が沈みかけている。夜明けが近いです」
メルバが気持ちよさそうに飛びながらそう言う。
「もうすぐ着きますよ!」
そう言ってメルバは先頭を飛んでいった。
確かに空気が冷たい。
でも。
この肌に当たる冷たさがまた心地よい。
手や足は幸い竜の体毛に隠されて全く寒さを感じずにいた。
もうすぐ辿りつく、その場所も楽しみだったが、今飛んでいる、その感覚がもうすぐ終わってしまうと思うとそれが惜しいようにも感じられた。
「着いたぞ」
空はもうすでに白みかけていたが、まだ日は見えていなかった。
着いた場所は本当に山の頂で。一寸先は崖だった。
しかし、眼下にはどこまでも広がる森の地平線。
この風景だけでも感動だ。
「大丈夫でしたか? ヘリオライト」
人型に戻ったセルフォスが問いかける。
「ああ。全然平気。それよりここ、綺麗だな」
「そうですね。私も初めて来ました」
「あの、さ」
「はい?」
「今年、あ、いや。もう去年か。その・・・お世話になりました。今年もよろしくな」
照れくささもあり顔も見れず、顔を地平線に向けたまましどろもどろにそう言う。
「こちらこそ、お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします」
深々と頭を下げる。そして再び頭を上げたときにヘリオライトと目が合って思わずお互い笑い合う。
「こうやって改まって挨拶するのってなかなかないですね」
「そうだな」
そう言って珍しいとまた微笑み合う。
その時、後ろで声が聞こえた。
「遅いですが夕飯ですわ、お二人共」
「食べている間に夜も明けよう」
「早くこっちにきて、一緒に食べましょう」
その声に返事を返し、踵を返す。
その時。
「あ、ヘリオライト。見てください」
ん? と振り返れば地平線が燃えていた。
思わず目を細める。
その先には。
眩しい光。
ああ。綺麗だ。
純粋にそう思った。
「新年あけましたね」
微笑む同僚に。
「おめでとう」
笑い返すこの年に、たくさんの幸が君にありますように!!