・秘密の出来事
寒さも大分厳しくなってきて、朝布団から出るのが辛くなってくるこの時期は薬屋もにわかに慌しくなる。
寒くなってくればその温度差についていけなかった身体が風邪を引く。
空気が乾燥してくるのでそれに伴い喉を痛めてしまう等々・・・。
特に街外れとはいえ、他にはない薬草を扱っていたり、病院からの薬の処方を任されているこの薬屋ではいつもは広く感じるカウンター前の待合い場所も手狭に感じた。
「お大事に」
薬の入った袋を渡し、口にマスクをつけたヘリオライトは一声かける。
客はお辞儀をして店を後にする。
その客がドアの向こうに消えたところで、ヘリオライトはカウンターに設置されている椅子に身体を投げ出して盛大に溜息をついた。
「あ〜・・・・」
疲れすぎて言葉が出ない。
頭では今の客で午前中は最後だから店の外に出て「休憩中」の看板を立てて、ドアを閉めて、それから昼食を取って午後に備えなきゃいけないと分かってはいるものの、身体の方が動かない。
「つっかれた〜・・・」
相変わらず重たい手足を投げ出して、ぼんやりした表情のままヘリオライトは呟く。
もはや呟くその唇さえもまともに動いてない。
まるで糸が切れた人形だ。
再び溜息をついてからヘリオライトはマスクをうっとおしそうに外した。
これは客から空気感染率の高い風邪などの菌をもらわないための対策だ。万が一にでもかかってしまうと、他の症状で来店した客にうつしてしまうことにもなりかねない。
接客態度としては問題がありそうだが、こればかりは納得してもらうしかない。
「本当ならセルフォスの方が良いんだけどな〜・・・」
そう呟いて今ここにいない同僚の事をぼんやりと考える。
ヘリオライトの同僚でもう一人の薬屋の店員であるセルフォスは自称「竜」だ。
しかし、ヘリオライトはそれが「自称」でないことをもう知っている。
彼はれっきとした竜の一族で、「緑」の部族に属する竜だ。
竜は人間と免疫作用がかなり違うらしく、人間がかかる病はほとんどかからない。
だからこういう状況の場合、本来ならばカウンター当番はセルフォスの方が適任なのである。
しかし彼はここにはいない。
何故なら、ここ連日あまりにも似た症状の客が来店してきたため、店に置いてあった薬草の在庫が尽きかけてきてしまったのだ。
そして不幸にも薬草の知識はセルフォスの方が深い為、同じく薬草の知識を豊富に持つ店長と共に緊急採取へ行ってしまったのである。
その為ヘリオライトは午前中、たった一人で接客と調合をこなしていた。
「・・・・・」
午後には帰ってくると言っていたからそろそろ帰ってくるかもと思い立ち、重い体を奮い起こしながらヘリオライトは「休憩中」の看板を掲げるべく、外に出た。
その時だった。
「もう閉店かね?」
看板を立てかけていたヘリオライトの背後から急に声をかけられ、ヘリオライトが驚いて振り向いてみれば、そこには黒いスーツに黒のサングラスをかけた黒ずくめの男達が4、5人ヘリオライトを取り囲んでいた。
ぎくりとして思わず看板を手から離せないまま固まる。
その中の一人がヘリオライトの方に一歩踏み出し、さっきと同じ質問をもう一度投げかける。
「え、ええ」
ドアノブに手をかけながら、ヘリオライトはおどおどと答える。
何かあったら急いで中に入って鍵をかけよう。
それで、急いでヴェルガを起こしに行こう。
とっさにそう頭の中で計画する。
ヴェルガとはセルフォスと同じ竜の一族なのだが、こちらは竜の一族の中でも1、2を争う戦闘能力の高さを誇る「黒」の部族の、なんと王である。
味方としてこれ以上頼もしい奴はいない。
今は休憩室で夜から始まる自身のソムリエの仕事に備えて休憩室の仮眠室で眠っているが、ヘリオライトが助けを求めれば二つ返事でここにいる人間などあっという間に蹴散らしてくれるだろう。
そんな事を考えていたら、男の方がまた一歩近づいてきた。
「頼みたいことがある」
そう言ってヘリオライトに中に入れるよう、顔で促す。
それに伴い、他の男達も間合いを詰めてきたものだからヘリオライトもすっかり気圧されてしまって、男達を中に入れざるを得なかった。
「これの調合を頼みたい」
やや長身の男達に囲まれてカウンターに座らされたヘリオライトの前に出された一枚の紙。
覗いてみれば、薬草の配合と調合方法が書いてある。
が、生憎何の薬なのかは分からなかった。
この配合はヘリオライトが初めて目にするものだ。薬草も、一応一通りは揃っているものの、使ったことのないものも数種ある。
「これは・・・」
恐る恐る聞いてみれば、男の一人がぎろりとこちらを睨む。
その男を制するような視線を送り、先程外でヘリオライトに声をかけた男が口を開く。
「出来るのか?」
「出来ることには出来ますが、こんな配合は見たことありません。同僚ならば知っていると思うので、そちらに任せても」
「いや。それはまずい。出来るならお前がやれ。今すぐにだ!」
後半はやや低めの声で言ってきた男に気圧され、ヘリオライトはただただ頷くしかなかった。
心臓を高鳴らせながら薬草を慎重に選ぶ。
薬品整理の際にしか触れたことのない薬草達を手に取る。
一応薬屋の店員だ。自分のところで扱っている薬品の効能は一通り知っている。
だから怖い。
選びながら、背中を冷や汗が伝う。
この薬草は劇薬ではないのか? これは毒草だ。
まずいまずいと頭の中で警鐘が鳴る。
確かに劇薬や毒草も配合によっては良薬に転ずる。しかし、書かれていた量はかなりのものだった。
おいおい大丈夫なのか?
選びながら手が震える。配合に使う薬草の半分以上が毒を含むものだ。
こんな配合は知らない。
なるべくゆっくり選んで、同僚の帰宅を願う。
しかし願いも虚しく、薬草が一通り調合室に並べられた時も同僚が帰宅する気配はみられなかった。
―いや、それはまずい。―
「って何がまずいんだよっ!」
男の言葉を頭の中で思い出しながら、震える手を頭で落ち着かせつつ薬草を刻み始める。
この配合を知っているセルフォスに知られちゃまずいってことはこれはかなりヤバいものじゃないのか?
俺はなんらかの悪事の片棒を今担がされているのか?
この薬で誰か死ぬのか?
そしたら俺は・・・・。
恐ろしい考えしか浮かばない頭を振り、調合に集中する。
外では男達がしきりに腕時計と調合室を交互に見ている。
かなり苛立ってきているようだ。注文を受けてから既に30分は経過している。
せめて完成した後でも良い。
一刻も早くセルフォスに帰ってきて欲しい。そしてこの薬の正体を教えて欲しい。
彼ならば例え出来たものが劇薬でも上手く良薬に替えられそうだ。
しかしとうとう同僚は帰ってこなかった。
「遅かったな」
「す、すみません。あの・・・俺」
おずおずと出来た薬を渡せば、それを奪い取るように掴み取り、代わりに普段の調合料では考えられない程の金額の入った袋を渡された。
「受け取れ。それから先程渡した紙をもらおう。まさか写しとかしてないな?」
「は、はい! でもこの金額は・・・」
ポケットに入れていた紙を出して渡しながらこの金額は貰いすぎだと切り出すが、
「釣りはいらない。それ相応の価値ある薬だ。それと・・・」
最後に顔を寄せて男が低い声で唸った。
「この件は誰にも言うな」
そう言って男達は足早に薬屋を去っていった。
男達が完全に去ったあと、ヘリオライトが脱力してその場にへたり込んだときだった。
「只今帰りましたヘリオライト。休憩室にいないので驚きました。何かあったのですか?」
入れ替わるように帰宅した同僚のセルフォスが、薬品室から顔を出してきた。
同僚の無機質な声も、今さっきまで生きた心地のしなかったヘリオライトには天の声に聞こえる。
「おせ〜よっ!」
ほっとした途端、怒りが込み上げてきて思わず帰宅したばかりの同僚に噛み付く。
「すみません。薬草がいつもの採取地1箇所だけだと足りなかったもので、少し足を伸ばしてきたのです」
淡々というセルフォスにがっくりとうなだれつつも、ゆっくりと起き上がったヘリオライトはそのまま力なくセルフォスに抱きつく。
「あ〜。怖かった〜・・・。てか、本当におせ〜よ〜・・・」
生きた心地がした。
「? 本当に何があったのですか? ヘリオライト」
誰にも言うなと言われたが、この同僚ならとても口が硬いから大丈夫だろうというのと、とにかく誰かにこの秘密を共有して楽になりたいという気持ちが先立ち、ヘリオライトはつい今しがた起こった事をセルフォスに話した。
「それで・・・その薬草の種類と配合量、それから調合方法は覚えていますか?」
ヘリオライトが体験してきた事に眉根を寄せつつ、セルフォスが聞いてみればヘリオライトは完璧、と言って頷く。
「だってなるべく時間かけようと思って何度も確認しながら薬草選んだし、調合も手順2、3回は見直しながらやったもんね」
そう言ってヘリオライトはセルフォスを薬品室に招き、使った薬草とその調合を説明した。
「・・・・・・・・・ほう・・・」
聞いていたセルフォスは考えるように口の近くに手を当てる。
「セルフォス?」
同僚が真剣な表情になったのに怯えてヘリオライトがセルフォスの顔を覗きこむ。
もしかして、自分は本当にヤバいものを作ってしまったのではないのだろうか?
その時、不意にセルフォスがヘリオライトの方に向き直ったのでヘリオライトは思わずびくついてしまった。
「大丈夫ですよヘリオライト。これは劇薬などではありません」
「え!? ホント?」
「ええ。しかも、この店の薬草を作ってやったのであればその薬、効果は期待できませんよ」
「へ?」
「タラテナ。この薬を作る場合は、タラテナの薬草は採取後2時間以内のものを使用しなくてはならないのです。しかし、ここにあるのは全て乾燥済みのものだけですから」
「そ、そうなの?」
その台詞にほっとするのもつかの間、あれ? じゃあ効果がなかったと言ってまた怒鳴り込まれるんじゃ・・・・、と顔を不安にさせたヘリオライトを見て、セルフォスがやや呆れ気味に肩を竦める。
「効果のほどは、多分あってもなくっても本人には分かりませんよ。多分、薬を調合してもらうのも初めてでしょうし。しかし、良くこんな古い調合を見つけたものですね」
「そうなのか?」
「ええ・・・。今では見ませんが、古人が呪いまじりに使用していた薬です」
「へえ〜・・・。で、これ結局なんの薬なの?」
「ただの頭痛薬ですよ」
「え?」
自分が今しがた聞いた台詞に信じられないと言った面持ちのヘリオライトは思わず同僚に聞き返してしまう。
「え? だ、だって薬草の中には毒草とかもあったし・・・」
「調合具合によっては他の薬草の効果と相殺して毒が消えるのですよ。そして、毒を除いたものが鎮痛効果をもたらすのです。ただこの場合、タラテナが乾燥状態だったので、毒が相殺されても鎮痛効果は期待できないでしょうね」
「な、なんだあ〜・・・」
ほっとして脱力する。
結局自分が行った事はプラスにもマイナスにもならないんだ。
その結果にほっとした。
「しかし、セルフォスだったら完璧に作れるのに、あいつらなんで俺にやれって言ってたんだろう?」
「・・・・・」
「なんかさ。セルフォスにばれちゃまずいみたいだったぜ?」
「最近古文書に興味があるとは風の噂で聞いていたのですが・・・」
「え? 何? 何の話?」
「私に聞いたら効果の程が分からない薬を作ることは絶対止められると思ったんでしょう。対してヘリオライトはそちらの方に明るくないから訳が分からないまま、とりあえず作ってくれそうだ、と」
溜息混じりに淡々と呟く同僚についていけず、ヘリオライトは混乱した。
「だ、だから何の話なんだよ! 誰だか検討ついてるのか?」
「ええ、大体は・・・」
そう言って同僚は遠い目をした。
後日。
デリ家の当主の息子であるロバートが顔を青ざめさせて店に勢い良く入ってくるなり、カウンターにいたヘリオライトに平謝りを繰り返した。
「すみませんっ! 今回の件でヘリオライトさんにはご迷惑をおかけすることになりましてっ! 私は私の父の所業が恥ずかしい」
そう言ってひたすら謝るロバートに、ヘリオライトは慌てて顔を上げさせる。
「ちょ、顔を上げてください。どういう事ですか?」
「先日、貴方を脅してわけの分からない薬の調合をさせた黒幕は私の父だったのです。自分の持病の頭痛に嫌気が指して、最近本で見たという古代の薬の調合を試してみようと思い至ったのだそうです。私も最近その事実に気がつきまして」
「では、お父様の御様態は・・・・」
「変わらずです。2回目を試そうとしているところを私が発見し、没収しました」
そうきっぱり言われてヘリオライトは予想はしていたものの、少し拍子抜けした。
「そ、そうですか・・・」
「やはり古代の薬が現代の我々に必ずしも合うとは限らないですからね」
「そう・・・ですね」
そしてなんかほっとした。
とにかく大事に至らなくて何よりだ。
「で、ご相談があるのですが・・・」
「? なんでしょう?」
「このこと・・・セルフォスには絶対秘密にしておいてください」
「また、何で?」
「その・・・、そちらの方に明るそうなセルフォスの意見を聞かず、独自に古代の薬を試してしまったわけですから・・・」
つまりセルフォスにこのことがばれたら今後顔を合わせるのが相当気まずい、と。
なるほど。
実はもう知っているのですが・・・。という言葉を飲み込み、ヘリオライトはいつもの営業スマイルでにっこり笑って頷いた。
「良かった、絶対ですよ! 私達だけの秘密の出来事だったという事で」
「そうですね」
公然の、秘密の出来事ってことで。
終