全てを投げ出しても手に入れたい。
そんな衝動に駆られたことがあるかい?
ヴェルガの話。
「もう一度向こうの大陸に渡ろうと思う」
親友からそう聞いたとき、自分は自分の耳を思わず疑った。
今目の前で、やや熱っぽい目で遠くを見ながらそう語った竜は自分の大の親友だ。
そしてこの黒の一族をまとめる王でもある。
黒の一族は力の一族でもあるが、とても情が厚い一族でもある、と思う。
親友は確かに力でもって前の王を退けて若いながらもこの一族を束ねているが、力だけではなく細かいところにも目が届き、時にはきっぱりとした決断を、時には思慮深き判断を下すため、皆から恐れられるというよりかは頼られていた。
信頼されていた。
自分はそんな彼の親友になれたことをとても誇りに思う。
どんなときでもまっすぐで迷いを見せない。そんなところも皆憧れるのだろう。
そんな彼がある嵐の夜、突然姿を消した。
数週間後に「偉大なる」王、我ら竜の一族をまとめてらっしゃる方だ、その方が彼を連れて来て下さった。
幸い自分が一族の中でも2位の地位についていたため、大きな混乱も地位の交替もなく彼を再び迎えることが出来た。
そして「偉大なる」王が彼を連れてきてくださったのが、ちょうど我らの「熱」の時期で、今はそれが過ぎ去り、彼にも子供が出来たと聞いた。
自分にもできたが、子育て全般は雌が担当するため、雄は一切近寄らせてもらえないので子供が出来ようが出来まいが雄には関係ないことだった。
そして落ち着いたころに彼が言ったのだ。
向こうの大陸に渡る、と。
「だって会ってしまった」
ぽつりと話す彼の横顔を覗いてみれば、それは自分が知らない顔だった。
こんな親友の顔は見たことがない。
まるで心を向こうの大陸においてきてしまったように。
それに思いを馳せる様に。
こんな彼は、知らない。
今まで同じ道を同じ速度で歩いてきたと思っていたのに、この顔を見た瞬間いつのまにか自分の親友は遥か先を歩いていた。
誰に、と動揺をなるべく表に出さないように聞いてみれば、彼はこれ以上ないくらい笑顔で語る。
「とってもおもしろい人」
「人?」
「あ、いや竜か。緑の一族なんだけどね」
緑の一族。
これを聞いた途端、自分はがっくりとうなだれた。
自分も例に漏れないが、黒の一族は緑の一族に対して酷く過保護的だ。緑の一族は竜の一族の中では一番の体格の大きさを持つが、同時に一番の力のなさも持ち合わせる。
彼らは戦闘能力に優れているわけでもなければ何か特別な能力を持っているわけでもない。
だから力あるものが守ってやらなければ、と思うのだ。
幸い緑の一族は我ら黒の一族からそう遠く離れていないところに群を構えている。
守るにはちょうど良い。相手が竜の一族最強の戦闘能力を誇る黒の一族と知った上で攻撃を仕掛けてくるやつはまずいない。
「向こうにも緑の者が?」
「ああ。王の下に住んでたのだけどね、どうやらはぐれ者らしい」
「王の庇護下にあるのであればまず安全は保障されると思うのだが、君がいく必要があるのかい?」
守る必要があるのかい?
「守る必要はないな」
「ふむ」
「だけど、「匂い」が素晴らしい。わたし好みだ」
「!? 異種族間での交配は禁止されているぞ。まず王がお許しになられまい」
「大丈夫だ。それは子供が出来るのを思っての禁止事項だろう?」
「?? どういうことだい?」
「彼は雄だから」
笑顔できっぱり言い放った自分の親友の言葉に、自分の世界は一気に真っ黒になった。
ああ。
同じ道を同じ速度で歩いていたと思っていたのに。
気がついたら遥か先を歩いていたのではなくて、全く別の道を歩いてしまっていたんだね。
遠い目をする自分に親友が心配そうに語りかけてくる。
「? どうした?」
いや、何でも・・・。
自分は彼の親友になれたことをとても誇りに思うし、嬉しくも思う。
だったらその親友が望む事を助けてやるのが友情というものだろう。
分かった。
「あとは全て任せておいてくれ」
事情は全て把握した。
だから、相手の「彼」がどんなに素晴らしい、とか良い匂いを発しているとか、そういう事は一切口にしないでくれ。自分はまだ常識人でありたい。
細かい事など一切聞かず、快く送り出した自分を親友はもしかしたら首を傾げるかもしれない。
でも、忘れないで。
この一族はお前のものだから。
自分は君が帰ってくるまで「王」の座を誰にも渡さないことを誓うよ。
ヴェルガ。
君の名に懸けて。