森のくまさん
動かない身体。
ああ。もうだめだ。私は・・・。
「どうか・・・お許しください・・・」
そういって全身を殺気立たせながら、黒い竜は涙を流した。
迷いの森のセルヒの家。
本日はとても珍しい客がここを訪れていた。
「久方ぶりじゃな。しかし、人と接触するようになって主も随分変わった。まあ、主の一族から考えれば元々主は充分に変わり者じゃったがな」
苦笑しながらも相手を歓迎する気配を溢れさせながら、この世界の全ての竜の王であるセルヒは目の前の相手にそう語りかける。
相手は同じく笑いながら軽く、しかし優雅に会釈を返す。
その髪は白く、その者自身周りの空気を清浄化させるような雰囲気をかもし出していた。
「他の皆は綺麗だけどどこか近寄りがたい雰囲気があるんだもの、貴方の一族」
メルバが軽く語りかければ、
「近寄りがたい雰囲気があるのではなく、わざと近寄らせないような雰囲気を出しているのですよ。我らの一族は。他族間の利益を生まない馴れ合いを良しとはしませんから」
にこにこしながら応える彼に、千里眼を持つ竜メルバはやや引き気味になりながらも、心の中でこの人も確実にあの一族の一員だ、と再認識した。
綺麗なのだがどこか近寄り難い、しかしながら周りを取り囲む空気は凛として、清浄な雰囲気をかもし出す竜の一族の中でも特殊な力に秀でている、白の一族。
特殊な力のお陰で竜の一族の中では黒の一族と「力」の面では一、二を争うものとされているが、性格は対照的で、黒の一族がとても親しみやすい種族なのに比べ、白の一族は仲間意識が高く、他の種族を見下しがちなところがある。セルヒには服従の姿勢を示す彼らだが、他の種族と親しく話すことなどまずない。接触することすら珍しいのだ。
そんな中、用事もないのにセルヒの家に訪れた白の一族の彼は相当な変わり者だと思われても不思議ではない。
「それにしても元気そうで何よりじゃ。紫蘭」
「は。王やメルバ殿もお変わりなく。セルフォス殿もお元気ですか?」
「うむ。先程声をかけたから、もうすぐここに来よう」
穏やかな雰囲気の中、突如大きな音が響く。
「? 何じゃ?」
「・・・外のようですね」
紫蘭が冷静に分析する中、メルバはびっくりしてセルヒにしがみついていた。
「ちょっと見てくる。主らは家に留まっておれ。ああ、セルフォスにもそう伝えておいてくれ」
そう言って、メルバを紫蘭に託して家を出た。
そして出会った。
迷いの森の自分の家より少し離れた場所に倒れている大きな黒竜を。
こちらの大陸ではまず見ない竜の一族の中でも一番の戦闘能力を持つ黒の一族が何故こんなところで倒れているのだろうか。
訝しげに様子を伺いながらも竜の周りを一回りしてみれば、ところどころに深い裂傷を作っていてそのせいで動けない事を知ったとき、セルヒは慌てて彼を救おうと彼の身体に触れようとした。
その時いきなり攻撃された。
慌てて防いだもののセルヒは戸惑った。
相手は竜の一族一の攻撃能力の持ち主。気を抜いていればこちらが危うい。
だがしかしこれではこの竜の身体を動かすことも、治療をすることも出来ない。
セルヒは相手の意識が若干だがあることに気がつき、なだめるように声をかける。
「そう警戒するでない。我は主の敵ではない。我は竜の王、セルヒじゃ。感覚で分からぬか?」
だが声をかけてみても一向に警戒を解かない竜にセルヒもさすがに緊張が全身を駆け巡った。もしこのまま警戒を解いてくれず、治療もさせてくれないのであれば・・・。
最悪の場合を考えねばならぬかもしれない・・・。
頭の中であまり考えたくないことを思い浮かべつつ、それでも彼を救う方法を思案していたところ、竜が低く唸って言葉を発した。
「申し・・・訳、ありま・・・せん・・・」
声が震えていた。
セルヒは一言一言、慎重に尋ねる。
「主は、誰じゃ?」
「私は・・・、黒の一族の・・・・ヴェルガ・・・と、いいます」
その言葉にセルヒは軽い衝撃を受けた。
ヴェルガ。
それは、数年前に黒の一族の王の座についたものの名前ではなかったか。
ならば黒の一族は今、王が不在なのか。
しかし、どうして王のみがここにいるのか。
頭の中を血の気が引くような疑問が一気に駆け巡ったが、相手を刺激しないようにゆっくりと相手の言葉を飲み込んだ後、質問を再び発した。
「ならば、主は黒の一族を統べる、王じゃな」
「はい・・・・」
相手の顔を見ようと少し場所を移動したセルヒに対して、即座に容赦ない殺気が当てられてセルヒは思わず息を飲む。
「もうしわけ・・・ありませ・・・ん・・・」
ヴェルガが再び謝る。
謝っておきながら何故セルヒを攻撃しようとするのか、訳が分からないままヴェルガの顔を覗きこんだセルヒはそこに流れた涙を見てびっくりした。
「もうしわけ・・・ありません。偉大なる我らが竜の王よ・・・。私の行為は反逆の罪、しかし・・・止めることが・・・・出来ぬのです」
そう言って涙を流しながら、ヴェルガはもう一度謝った。
辛い。
本当は助けて欲しい。
だけど体が言う事を聞かない。
「理性が・・・本能を凌駕できない、のです・・・」
辛そうに答えるヴェルガにセルヒは肩の力を少しだけ抜く。
「主が、ここにいるわけを教えてはくれぬか?」
「はい・・・。王よ・・・。私は、数日前まで我らの領土を荒らしに来た赤の一族の若者達と対峙しておりました。そして、彼らとの戦闘中にいきなりの嵐に遭い、私は意識を失い、目が覚めるとここに倒れていました」
その台詞に、セルヒは頭を抱えた。
赤の一族はどちらかといえば血の気が多い一族だ。攻撃力も決して低くない。そして時折その力を誇示したいと思う若者達も少なくはない。しかし大抵は一族内で収まっている問題であったが、無謀な事を考える者はいつでも必ず一人はいる、ということか。
一歩間違えれば死を免れなかった挑戦だ。
黒の一族に喧嘩を売るなど。
同じ一族の出として、セルヒはヴェルガに合わせる顔がなかった。
「すまぬ」
「・・・王よ・・・・。私はもうそんなに永くはありません。この・・・動けないからだを感じれば分かります・・・。ですから、どうぞ私の事は捨て置きください」
涙を絶やさず喋るヴェルガの台詞を否定するように、セルヒは声を荒げた。
「何を言うておる! 主は助かる。我が助ける! こんなところで諦めるでない!!」
「ありがとうございます。そのお言葉、身に余るほどの光栄です・・・・。ですが、もう遅いのです・・・」
「遅くはない! とりあえず主を人型にして我の住処に連れて帰る。動くなよ」
そう言ってセルヒが少し動いたとき、ヴェルガが攻撃をしてきた。
「っ!!」
慌てて避けたものの、周辺にあった木々は見るも無残に倒されていた。
「警戒するな」
「すみません。ですが・・・・、体が言う事を聞かないのです・・・。赤の一族に対しての警戒を緩めようとしないのです・・・。近づく者に対して容赦が出来ない・・・」
そう言って再びヴェルガは泣いた。
助けて欲しい。
死にたくない。
でも、近づく者は容赦出来ない。
本能から来る警戒が、先程まで敵対していた赤の一族を許さない。
相手は敵ではないと言い聞かせても、言う事を聞かない。戦闘能力が高いが故の行動。
それは、体の限界が近いことをまざまざと思い知らされた。
泣いた。
どうしようもない憤りを感じて。
言う事を聞かない体に対して。
もう、長くない自分に対して。
ああ。
もうだめだ・・・。私は・・・・。
「どうか・・・お許しください・・・」
泣きながら最後に許しを請う。
「しかし・・・、これは私だけの問題。決して黒の一族の意思ではないこと、それだけはお察しください」
その台詞に王はしっかりと頷いた。
良かった。
良かった。
これで皆に罪がかかることはない。
少しヴェルガが笑った気がした。
「どうか。私を殺してください」
「!! 何を馬鹿なことを!!」
焦ったようにセルヒが声を荒げる。
「ではどうか捨て置きください。・・・ここには魔物がたくさんいる。私の力もそのうち尽きましょう・・・」
はっとして辺りを見回せば、魔物の残骸が確かに十数体転がっていた。
血の匂いを感じて早速寄ってきたのだろう。
セルヒは口を噤み、俯いた。
手を強く、強く握り締める。
一体何のための王の力だ。
こんな時に自分はとても無力で、同胞一人も救えない。
ただ目の前で息絶えていくものを見つめていることしか出来ないのか。
「諦めるな」
きっと何か解決方法があるはず。
自分にも言い聞かせるようにして顔を上げたセルヒが見たものは、
「ありがとう・・・ございます・・・」
涙を流して自分の死期を悟りつつも微笑んだ、諦め顔のヴェルガだった。
ドアを開けたセルヒの顔に只ならぬ雰囲気を感じて、居間に集っていた竜達は息を呑む。
「どう、されました?」
紫蘭が雰囲気に飲まれつつも問うて見れば、セルヒの大きな嘆きと共に絶望の声が返ってきた。
「我は、何て無力じゃ・・・」
そしてセルヒは今までの経緯を聞かせた。
「・・・・・・他の竜はどうでしょうか」
紫蘭が経緯を一通り聞いたあとぼそりと提案する。セルヒは思わず耳を疑った。しかし、紫蘭は今度は迷いを断ち切った声ではっきりと言った。
「赤の一族にそれほど警戒するのであれば他の一族であればどうでしょうか」
その言葉にセルヒは一瞬希望が湧いた。
しかしすぐにその考えを打ち消す。
「いや・・・。だめじゃ。あれはそういうものではない」
ヴェルガの周りに転がる魔物の死体を思いだし、顔を青ざめる。
あれはもはや本能による警戒から来ている攻撃性。
それが赤の一族であるセルヒであれば尚更高いということだけであり、それ以外のものであれば接触した途端攻撃を仕掛けられるのは免れないということだろう。
「試してみるだけ、ですよ。可能性はあれば片端から試してみたい、でしょう? 私がそのお力になれればこれ以上喜ばしいことはありません」
にこりと微笑む紫蘭にセルヒがごくりと喉を鳴らした。
確かに。
メルバやセルフォスならば黒の一族の、しかも王であるヴェルガの攻撃などには一瞬たりとも耐えられないに違いない。しかし白の一族で、しかも紫蘭ならばそれを防ぐ事は可能だ。
「・・・・・・・すまん。危険を伴うが、頼めるか?」
真剣な面持ちで確認を取るセルヒに紫蘭は再び微笑んだ。
魔物ならば敵意しか感じない。
しかし、同じ竜の一族であればもしやもう少し理解が望めるかもしれない。
そんな希望を胸にセルヒと紫蘭は再びヴェルガの元に行く。
「ああ。これはまた立派な御仁だ」
感心するような声にヴェルガは痛みによって遠のきかけていた意識をそちらに向けた。
本能が警戒しはじめる。
王がまた来られたのか。しかし、もう一人、いる。
一瞬にして殺気が辺り一帯を包む。
あまりに鋭すぎてセルヒと紫蘭は思わず息を呑む。
「・・・・・・・さすが、黒の一族」
いきなりのことで準備が出来ておらず、今流された殺気を思い切り受けてしまった紫蘭は顔を青ざめさせながらも感心する。
「そう、警戒しないでください。私も貴方の敵ではありません」
防御の姿勢を取りながらゆっくり近づく紫蘭にヴェルガは身をよじって距離をとろうと足掻く。
だめだ。
いけない。
このままでは貴方も攻撃してしまう。
「貴方・・・は・・・・?」
「私は白の一族で、名を紫蘭といいます。貴方を助けたいのです。どうか、その警戒を沈めてください」
白の一族。
ああ。でもだめだ。
身体が言うことを聞かない。
近づいてくる。
だめだ。だめだ。
だめだ! 危ない!
「っつ!!」
どこにそんな体力が残っていたのか。
一瞬にして黒竜の鋭い牙が、強靭な顎が紫蘭を噛み砕こうと襲い掛かってきた。
数秒遅れを取った。しかし、セルヒがとっさに間に入って援護した。
けたたましい咆哮が辺りに響く。
目標のものを仕留められなかったからなのか、それとも言うことを聞かない体に嘆いてなのか、その響きは葛藤に満ち満ちていた。
「に・・・げて・・・・」
その声が二人の耳にかすかに聞こえたかと思った次の瞬間、ヴェルガは狂ったように暴れだす。
動かせる箇所を全て付近の破壊に費やして。
足掻く。
心の葛藤を表に吐き出すように。
「やめよ!」
悲鳴にも似た声でセルヒが叫ぶ。
紫蘭も顔を青ざめて見ている。
「馬鹿なことを! 余計に死期を招く!」
そんなことはヴェルガ自身が一番分かっているはず。
そう。分かっていた。
だけど身体が自分の近くにくる者に対して警戒を緩めない。
止められないのだ。
自分でも。
助けて。
でも、どうか近づかないで。
紫蘭とセルヒが避難をしてしばらくしてからヴェルガはやっと暴れるのをやめた。
しかし、息苦しく喘いでいる。
「すみ・・ま・・・・せん」
ヴェルガはそう言うのが精一杯だった。
助けてくれようとしているのに。
跳ね除けてしまう。
辛くて涙が止まらない。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
だからどうか。
「もう・・・・。どうか・・・・・」
殺してください。
「一旦引くぞ」
「え? しかし・・・」
セルヒの台詞に驚いて紫蘭が戸惑う。
「ここにいてもあやつを余計苦しめるだけじゃ」
そう言って背を向ける。紫蘭は双方見比べながらも、後ろ髪を引かれる様にその場を後にした。
「お帰りなさい。兄様、紫蘭さん。どうでした?」
メルバが希望が混じった声で迎えたが、二人の険しい表情を見て顔を強張らせた。
「・・・・とりあえずおくつろぎください。お茶も用意しておりますから」
セルフォスがそう言って皆を居間に連れてくる。
ソファにもたれかかった紫蘭は大きな溜息をつく。
その手は未だ恐怖でかすかに震えていた。
「あれじゃ治療もできない・・・」
こちらが近づけばあの黒竜はますますその身を削ってしまう。
「結界もはれないのですか? もうすぐ日が沈む。日が沈めば魔物が徘徊を始めます」
心配そうにセルフォスが聞いてみれば、紫蘭は残念だが、と沈んだ声で答える。
「近づくことも許してもらえない。だが、今の状態であればまず魔物はひとたまりもないだろう」
現に付近には数十体の死骸が転がっていた。
しかし、それも彼の体力があれば、の話だ。
あのままでは彼の体力ももうすぐ尽きてしまうだろう。
早急に手当てをせねば数日後には死んでしまう。
「明日の朝」
それまでソファに座り、悩むように顔を俯かせていたセルヒが何かを決意したように重々しく口を開く。
「殺すしか、ないのじゃろうな・・・」
その台詞にそこにいた全員が息を呑んだ。
「王!」
「兄様! それって・・・!」
紫蘭とメルバが抗議の声を上げる。
「仕方なかろう。魔物にやられるよりは余程良い。やつの名誉のためにも」
手を貸せない。
それがどんなにもどかしいか。
苦しそうに決意を語るセルヒをセルフォスはただ悲しそうに見つめていた。
月の光がかすかに届く森の中。
黒竜ヴェルガは息を喘がせながら自分が永くない事を痛切に感じた。
絶望の中にいた。
王が差し伸べてくださった手すらも本能が近寄らせず。
それでは死ぬぞ、と理性が訴えてみれば今度はそれを嫌がるように、体の痛さを脳に教えるように体全体が痛み出す。
なんて勝手な体だ。
しかし、もう遅い。
王は去られた。
傷も深く助かる術もない。自然治癒力もここまでの深手には対処しきれない。
心臓の動きを維持するのに精一杯だ。
助からない。
死にたくない。
でも、もう生きられない。
周りを昼間に襲ってきたものたちが再び徘徊し始める。
例え今夜尽きる命だとしても。
お前達には只ではやらぬ。
さて、何匹道連れが出来るか。
最後の力を振り絞ってヴェルガの眼が剣呑に閃いた。
よく晴れた朝だった。
セルヒが一人こっそりヴェルガの元に行こうとしたら、居間にはすでにセルフォスが起きていた。
「私も一緒に連れて行ってください」
「危険じゃ」
「構いません」
一度こう言い出したら聞かない性格をセルヒは知っていた。
そして今の自分には心の糧が欲しいことも。
「我の後ろに隠れているのじゃぞ」
それだけ言ってセルフォスの同伴を許した。
ゆっくりと目を開く。
ああ。まだ目が開けられる。生きている。
ヴェルガは疲れたからだを投げ出す。
だがもう限界が近い。
空気を求めるように喘いだその時、身体がまた警戒を始める。
お前はまだ・・・・。
もう助からないというのにどこまで戦うつもりか。
それともそれが高い戦闘能力を誇るが故のものなのか。
やや自嘲気味に笑って。
気力がほとんどないヴェルガはもはや抗うことをせず、身体の思うがままにさせることにした。
もう何も怖くない。
最後の望みもとうに絶たれている。
ならばあとは死を待つのみ。
心は不思議と穏やかだった。
「ヴェルガ」
言葉は我らが偉大なる王のもので。
固い言の葉の裏に隠れている決意を読み取って、ヴェルガは静かに項垂れた。
ああ。
やっと楽になれるのだ。
きっと自分は最後の一撃を貴方に向けてしまうのだろう。
しかし、それを避けて自分に止めをさして欲しい。
覚悟を決めた。
その時。
「何のつもりじゃ。セルフォス」
声が怯えたように震える。
薄く目を開けてみれば、自分の目の前で自分を庇うように大きく腕を広げて立っている者がいた。
「そこをどけ」
固い表情のままセルヒが重々しく言う。
しかし、セルフォスは首を横に振る。
「そやつは危険なのじゃ。それにもう助けられぬ」
それでもセルフォスは首を振った。
「我侭を今更言うでない! 我だって助けられるものなら助けたいわ!」
悲鳴交じりに声を荒げ、セルヒはセルフォスに憤りをぶつける。
「ならば、助けましょう」
「だからそれが出来ぬと言っておる! そこをどけ! 殺されるぞ!」
しかしセルフォスはどかない。
苛立ったセルヒがセルフォスの腕を掴み、そこから無理矢理どけようとする。
それに必死で抗う。
聞き分けのないセルフォスにセルヒは焦る。
「こやつの理性はとうに身体を支配出来ぬ。頭で分かっていても身体が言うことを聞かぬ! 近づく者全て殺されるぞ!!」
「でも嫌なんです!」
貴方がそんなに心を痛めるのも。
貴方が誰かに手をかけるのも。
この竜が殺されるのも。
「このっ、馬鹿者!! こんな事が好きなものがどこにいるというのじゃ!!」
今更我の決意を揺るがすな。
どんな想いでこの決断を下したか、分かっているくせに!!
すがりつくようにセルヒはセルフォスに崩れ落ちる。
それを受け止めてセルフォスは謝る。
「すみません」
「謝るな!」
「すみません。王」
でも。
この竜は自分と同じだから。
開いた目は縋る様な眼差しで。
分かっているよ。
それは自分も一緒だったから。
「大丈夫ですよ」
優しく、しかし力強くヴェルガに語りかける。
大丈夫。一人になんてしない。
助かりたいんだね。
大丈夫。
助けるから。
誰?
貴方は誰?
今まで反発していた身体が、ささくれ立っていた神経が不思議と落ち着いてくる。
ゆっくりと警戒を解いてくる。まるで肩の力を抜くように。
代わりに懐かしさが心を占める。
切なさが胸を溢れさせる。
まるで故郷に帰った時のように。
貴方は誰?
助けてくれるの?
助けて。
死にたくないの。
本当は生きたいの。
生きたいの。
涙が溢れて止まらない。
生きたい。
生きたいの。
低く唸って力を振り絞って、ヴェルガは自分を庇ってくれた者のところにゆっくりと頭を伸ばす。もう殺気はどこにも感じない。
助けて。
「大丈夫。もう大丈夫だよ。安心して」
ゆっくりと頭を差し出して来たヴェルガの鼻頭をゆっくりと撫でる。
落ち着かせるようにゆっくりと。
その行為に安心したヴェルガは甘えるように鼻を摺り寄せるとゆっくりと瞳を閉じた。
息も絶え絶えの傷だらけの自分。
助けてやろうと差し伸べた手を身体が無意識に跳ね除ける。
もう助からないと覚悟した。
でも今は死にたくない。
たった一つの小さな光。それに全力ですがっている。
助かりたい。
助けてくれると言ってくれた。
怖い。
怯えることはないと言ってくれた。
不安だ。
大丈夫だと笑ってくれた。
だから、死なない。
生きたい。
ただ、生きたい。
次に目が覚めたとき、一番最初に目に入ったのは白い何か、だった。
「あ、目が覚めましたか」
疲れた、しかしどこか嬉しそうな声が聞こえた。
ぼやけた視界が少しずつはっきりしてきたとき、最初に見た白いものは髪だと分かった。
「もう大丈夫ですよ。傷口は全て完治しました。あとは体力をつけるだけです」
「貴方は・・・白の一族・・・」
「紫蘭、といいます」
「紫蘭殿。ありがとうございます」
「いえいえ。私はほんの少し手助けをしただけ。礼を言うのは別の人にしてください」
にこにこ笑いながら答えて席を立った紫蘭を見送るとヴェルガは周りを見回す。
どうやらここは部屋の中、らしい。
そして自分の腕を上げてみる。かなりの倦怠感が伴うが痛みはない。
「人間の・・・姿だ・・・」
人の姿は自分でもなれるが、意識がないとそれは難しい。
ということは他の人が自分をこの姿にしてここまで運んでくれたのか。
その時ドアが開いてセルヒが入ってきた。
ヴェルガは反射的に頭を垂れる。
「おお! 意識が戻ったか!!」
「はっ。その・・・王・・・。この度はご無礼の数々、この命で贖おうとて贖いきれません・・・」
「よせ。命を粗末にするな。それに主は運が良かったのじゃ。セルフォスがいなければ主は確実に死んでおったわ」
「セルフォス」
「そう。緑の一族じゃ」
「緑の一族っ!」
緑の一族、と聞いてヴェルガは胸を逸らせた。
それは黒の一族が憧れてやまない、自分達の心を癒してくれる種族だ。
黒の一族は遥か昔から緑の一族が無意識にかもし出す、他人の神経を落ち着かせ、癒す力に強い憧れと癒しを求めている。
「それは、あの時私を庇ってくれた方ですか?」
「そうじゃ。セルフォスが緑の一族だったからこそ主の身体は無意識に警戒を解き、奴に縋ったのじゃろう」
「そう、ですね」
あの懐かしさ。
あの切なさ。
そしてあの安堵感。
「そして主がセルフォスに縋ってくれたからこそ、我らもようやく手が出せた。本当に良かった」
あの後、セルヒが人型にし、紫蘭が数日間寝る間も惜しんで治癒し続けた。
「あの、セルフォス殿には会えるでしょうか?」
「ああ、今は席を外しておるが間もなく帰ってくるであろう。主が治療を受けている間、落ち着かせる為に奴も主の傍らにずっといたのじゃ。挨拶が済んだら休ませてやるのじゃぞ」
「それはもちろん・・・」
その時、ドアが開いた。
ドアの先にあの時感じた安堵感を覚えて、ヴェルガは切なさと、そして不思議な温かさに胸を溢れさせ、泣きたくなった。
ずっと伝えたいと思っていたんだ。
ありがとうって。
助けてくれてありがとうって。
最後まで見捨てないでいてくれた、君に。