小話
「あ~。暇だなあ・・・」
休憩室でセルフォスの淹れてくれたお茶を、手先を温めるために両手で持ちながら、ヘリオライトは窓の外をソファに腰掛けて見ながらのんびり呟いた。
セルフォスの淹れてくれたお茶は今日はミルクティーだった。茶葉もそれに合わせて変えたらしく、いつも使っているハーブティーの味とはちょっと違っていた。
「仕事、なんですがね・・・」
いつもはヘリオライトが仕事中にそんな台詞を吐こうものならすぐに、なんて不謹慎な、というような言葉を返してくる同僚だったが、今日に限っては違っていた。
ヘリオライトの台詞を半分仕方ない、とでも言うようにこちらものんびり返す。
「食料を余分に持ってきて良かったです。サブレとチョコレートクッキー、どちらがよいですか?」
「両方」
両手にそれぞれサブレとチョコレートクッキーの箱を持っていたセルフォスは両方を手ごろな皿に開ける。
時間は午後の3時30分。いつもなら、仕事をしていなければいけない時間だ。
だが二人は相変わらず休憩室から動こうとしない。それにはちゃんとした理由があった。
ヘリオライトがお菓子が盛られた皿からサブレを一つ取りながら何気なく同僚に話しかける。
「いままでこんなこと、あった?」
「・・・・いえ。初めてですね」
そう言って今度は二人して外を見つめる。
外は一面真っ白だった。
今日は朝から空がどんよりした雲で覆われていたのだ。街の掲示板には、今日の天気は雪だろう、と書かれていた。まあ、最近特に冷え込んできたから、こんな天気ならばそうだろうなと半分降られる覚悟で来た二人だが。
「まさか、ここまで降るとは思わなかったな」
「ええ・・・」
二人が薬屋に到着した頃から雪は降り始め、時には吹雪いていた。だが、二人は室内なので、雪が吹雪いていようがなんら気にする必要はなかった。
そう。昼時にxê߁A店の外に「閉店」の看板を出そうとして、雪のせいでドアが開かなくなるという事態に陥るまでは。
朝から降り続けた雪は今や人間の膝ぐらいまでは積もっていた。お陰で、店長の判断を仰ぐことなく薬屋は本日閉店せざるを得なくなった。内側から開かないドアがどうして外側から開けられようか。ドアはこれまた不幸なことに外開きだった。
そして、雪はまだ止む気配を見せていない。
「・・・まあ。いざとなったら、泊まることもできるしな。ここ。ベッドも風呂もあるし」
「ええ」
セルフォスは軽く頷いてミルクティーを軽くすする。
「食料もたくさん持ってきたし。・・・運がいいな。俺たちって」
「全くですね」
実は、今日は次の日が休みだからだということで、ヘリオライトの家でちょっとしたパーティーをやろうと計画していたのだ。食料は帰る時でも購入出来たのだが、なぜか昨日揃えておこうということになった。今思えばこういうことが起こるという虫の知らせがあったのかもしれない。
「材料はありますし、少し早いですが、料理を作り始めましょうか? 今日の料理はちょっと大掛かりなものになりそうですし」
「そうだな。仕事もないし。4時ぐらいになったら始めるか」
そう言って、ヘリオライトはまた一つサブレを取った。
昨日は棚卸しだったので、薬を整理したりする必要もない。
二人が話すのをやめれば、休憩室は耳が痛くなるほど静かだった。
きっと、雪が普段聞こえる雑音を全て吸収してしまっているのだろう。
二人してぼんやりしながら外の雪を眺め、時折ミルクティーを飲んだ。
そのとき、ヘリオライトがふとあることに気がついた。
「そういえば・・・こんな天気でヴェルガは仕事に行けるのか?」
ヴェルガは、今ここを仮宿にしている黒竜だ。いつも夜から仕事なので今は仮眠室でぐっすり眠っている。朝に帰ってきて、そのままずっと仮眠室にこもりっきりの彼は今のこの状況が全く把握出来ていないのではないのだろうか。確かもうすぐ起きだしてくるころだと思ったが。
「・・・無理なんじゃないのですか?」
セルフォスがそう言ってのんびり返す。
その表情にはヴェルガの事などどうでも良いという心境がありありと描かれている。
セルフォスははっきり言ってヴェルガが苦手だ。というか嫌いだ。
自分を自らの求愛相手に選ぶところも気に入らないし、自分の事を女性扱いするところも嫌いだ。
そんな態度にヘリオライトはいつものことだと思いつつ、それでも半ば呆れながら、
「相変わらずヴェルガにはとことん冷たいのな。セルフォス」
「おや。褒めていただいてありがとうございます」
「・・・・・・・・・・・・」
ヘリオライトはもはや何も言えなかった。
「ところでそろそろ食事の支度を始めませんか?」
時計を見れば、もうすぐ4時だった。
休憩室からいつもとは違った匂いが流れてきて、ヴェルガはその匂いが何かと判断するために意識を覚醒させた。
「・・・? いい匂いがする・・・」
ぼんやりそう呟きながら壁にかかっている時計を見てみれば、時計の針はもうすぐ6時になろうとしていた。
ヴェルガの仕事は大抵8時から始まる。ここから街にある自分の職場まで歩いて約30分くらい。今起きればシャワーを浴びて支度をし、夕飯を軽く取るくらいの時間なら充分にある。
どうせ匂いも気になっていたし。
ベッドの上で伸びをし、ゆっくりと起き上がる。匂いにつられるまま仮眠室のドアを開ければ、更に休憩室にこもった匂いが体中を押した。
「肉を焼く匂いだ・・・。それから、ソースと、野菜の匂いも・・・。それから・・・」
自分の大好きな匂いが、部屋中に充満した匂いを識別していくうちにこの部屋にあることに気がついた。
そして視線でその出所を追ってみれば。
「!」
いつもはヴェルガを毛嫌いして、彼の前にはここのところ滅多に姿を現さないセルフォスの後姿がヴェルガの視界に移った。
ヴェルガははっきり言って、セルフォスが好きだ。
セルフォスから発せられる匂いはもちろん、彼のそのきっぱりとした態度、気高さを感じさせる雰囲気、それでいて時折ふと無防備なしぐさを見せてくれる彼が大好きだった。
「セルフォス」
嬉しそうに名前を呼べば、呼ばれた方は思わずぎこちなく体の動きを止める。
だが、その一方でもう一人の同僚が、ヴェルガに気づいて声をかけた。
「おう。ヴェルガ、おはよう」
ちょうど肉とソースを合わせて焼いていたヘリオライトは、片手にフライパン、片手にフライを持ちながらそのフライを軽く振ってヴェルガにあいさつをした。
「おはようヘリオライト。今はまだ営業時間のはずだと思ったけど、仕事は?」
ヴェルガはいとしのセルフォスを横目でちらちら眺めつつ、ヘリオライトに笑顔で応対する。
「外を見てみ。仕事どころの騒ぎじゃないぜ。ヴェルガこそ今日は仕事に行けるのか?」
「ああ。行くよ。仕事はね、雨が降ろうが槍が降ろうが行かな・・・きゃ・・・・」
語尾が弱くなっていくヴェルガを不信に思ったヘリオライトがフライパンに落とした視線を再びヴェルガに向けて見れば、彼は口を開けて窓の外を見ていた。
「・・・・・・わーあ・・・」
ヴェルガには今それ以上言えなかった。ただただ感嘆するばかり。
「すげーだろ。もうかなり積もっていてさ。お陰で店の入り口の方のドアが開かなくて」
「これは・・・・どうかな。今日は仕事あるのかな・・・。うむ・・・。ちょっと見てくるかな」
その台詞に、ヘリオライトが驚く。
「見に行ってくる!? 行けないぜ? きっと。だって歩けないし」
ヘリオライトがそう言っているのを聞きつつヴェルガは厚手のコートを上に羽織った。首周りがふわふわしていてしかも帽子がついているとても暖かいやつだ。ヴェルガは更にマフラーと手袋をつけ、少し長めの防水機能のついているブーツを履いた。
「大丈夫だよ。わたしは体力あるし。それじゃ、行ってきま・・・」
言いながら休憩室のうち開きのドアを開けた瞬間、雪がどさどさと音を立てて室内に雪崩れ込んだ。
ヴェルガは雪崩れ込んだ雪をじっと見て、それからセルフォスの方を見て少し引きつった笑いを浮かべた。対するセルフォスはじと目でヴェルガを睨みつつ、しかし呆れたように溜息を一つつくと、ヴェルガを外に出るように促した。
「どうせ、起こるべくして起こったことです。あとで片付けますから貴方はさっさと行ってきなさい」
いつもなら今頃はヴェルガにすでにスコップを持たせて雪かきをやらせているであろう同僚がそんな親切な言葉を吐くなんて。
ヘリオライトは思わず目を見開いてセルフォスを眺めた。ヴェルガもヘリオライトと同じことを思ったらしく、こちらも驚いた表情でセルフォスを見ていた。
「セルフォス・・・。もしかして、わたしに対して少しは心を開いて」
「いえ。違います。貴方がいつまでもそこに突っ立っていると、雪が片付かないどころか、今現在降っている雪でさえ室内に入ってきてしまうのでさっさとどいて欲しいだけです」
ヴェルガの言葉を遮るように放たれたセルフォスの雪よりも冷たい一言にヴェルガは仕方なくとぼとぼ、いや雪の中をずぼずぼと悪戦苦闘しながら吹雪の中を去っていった。
ヴェルガが去ったあとの扉を見ながらセルフォスがまた一つ溜息をつく。
「ああ。これじゃ扉が閉まらない。ヘリオライト、すみませんが少しの間その煮物を見ていていただけますか? 私はあの雪をかきわけてきます」
「ああ。構わないけど一人で大丈夫か? 雪の掻き分け作業はかなりの重労働だぜ?」
「大丈夫ですよ。幸い休憩室のロッカーには、スコップがありますし」
薬草採取の際、使用する場合があるのでスコップは大小そろって休憩室にいつも置かれている。
「ん。分かった」
ヘリオライトは一つ頷くと料理を作る方に没頭した。
「メインの肉料理は出来上がりましたし、付属の料理もほぼ出来上がりましたね」
セルフォスがテーブルに並べられた料理を見渡しながらそう言ったとき、時計は7時を少し過ぎていた。
「我ながら、上手く出来たもんだ」
ヘリオライトが満足そうに頷く。
「じゃあ、少し早いけど食事にします・・・」
セルフォスがそう言いかけたとき、休憩室のドアが大きく開け放たれた。
ドアの入り口付近は先ほどセルフォスが雪を退けておいたのでヴェルガが出て行ったときほど大きな雪崩は起きなかったのだが、それでもあの後積もった雪が再び室内に入り込んできてセルフォスは思わず顔をしかめた。
開けた人物がセルフォスが好感を持っている人物ならまだセルフォスだって顔をしかめなかっただろう。だが、開けた人物はセルフォスの嫌いなヴェルガだった。
「た、ただいま」
頭や肩におおいに雪を被った彼は何故か肩で大きく喘いでいた。まるで長距離走ってきた人のようだ。片手には行くときにはなかった荷物を持っている。
「外、ひどいよ・・・。本当に。今、ここに帰って来る途中、足が雪から全然抜けなくて・・・」
その台詞に、ヘリオライトとセルフォスは顔を見合わせる。
「行きより帰りの方が大変だった・・・。今はもうわたしの太ももの部分まで雪が。わたしの方の店は今日は開けないって言ってたから・・・。でも、どうするの? 二人は。今日」
「う~ん。外がそんなんじゃ、帰れないな。セルフォス」
「帰れませんね」
のんびり答える二人にヴェルガの方が何故か焦る。
「え・・・? 大丈夫なのかい?」
「ああ。大丈夫。どうせ明日はここ休みだし。外がそんなんだったら泊まってくさ。俺達」
「ですね」
その台詞にヴェルガの表情がぱっと明るくなる。
「え? 本当!? 嬉しいな。いつもはわたし一人だから。あ、そうだ。わたしも夕飯を一緒に食べても良いかな? あ、ただじゃないよ。ちゃんとそれなりのものを持ってきたから」
そう言ってヴェルガが片手に持っていた荷物から取り出したのは、シャンパンと赤のワインだった。
「店から安く売ってもらった。あとクラッカーとチーズもあるよ」
「え? マジで? それは嬉しいなあ。ちょうど料理もトマト系の料理だからワインは良く合うと思う。な、セルフォス」
「・・・・・・・・・・」
セルフォスはまだ少しヴェルガに文句を言いたそうだったが、代わりに溜息を一つついてスープを温めます、と言ってキッチンの方に去ってしまった。それがヴェルガを受け入れた合図だと解釈した二人は思わず互いに片手を合わせて喜んだ。
「ん。このワイン美味い! 料理に良く合うなあ!」
ヘリオライトが上機嫌でそう言いながらワインをもう一口飲む。
「喜んでもらえて良かった」
ヴェルガはにこにこと喜んでいるヘリオライトを見つめつつ、野菜スープを飲む。
「セルフォスは? おいしい?」
同じくワインを口に運んでいるセルフォスを見てヴェルガがにこにこと問いかける。
セルフォスは顔を少し赤くさせながら頷く。
「ええ。おいしいです」
そう言ってチーズを一口食べた後、セルフォスはおもむろにワインを片手に立ち上がり、ヘリオライトと向かいあって座っていた場所から、さりげなくヘリオライトの横に座り、その背中に寄りかかる。
それを見てたヴェルガが思わず席から立ち上がってセルフォスを呼び寄せる。
「セルフォス! こちらにおいでよ!!」
そう言っている本人はかなり真剣だ。さっきまでの笑顔が途端に消えた。
「いやです。だって遠いから」
確かにセルフォスが元いた場所から考えれば、ヘリオライトの方がセルフォスにより近い場所にいた。何故ならセルフォスが少し意識的に座る場所をヴェルガから離していたからだ。
ヘリオライトは自分にもたれかかってくる同僚に心配そうに声をかける。
「お、おい。まさかもう酔ったのか? だってまだ4杯目・・・」
「セルフォスはペースが速かったからね。食べ物より水分を取りがちだったし」
ヴェルガが焦りながらそう答える。ヴェルガにとってはセルフォスがヘリオライトにくっついていることが嫌らしく、さっきから急に落ち着かなくなっている。
そして当の本人はといえば、ワインをゆっくりテーブルに置いたかと思えば、今度はヘリオライトの腰にがしっとしっかりしがみついた。酔ったときにいつも出るこのクセが出たとき、ヘリオライトはまた出たか、と肩をがっくり落とした。
「ヘリオライト。今日は店長がいないんです」
セルフォスが虚ろげな目つきをしながらそう呟く。彼はいつも酔うと店長に甘えたがるクセが出てくる。店長とは、この薬屋の店長でもあり、この世界の全ての竜の王でもあるセルヒの事だ。セルフォスはその人をとても敬愛している。だが、いつもは恐れ多さから自分からは必要以上に甘え等を出さぬように気をつけている。そのせいか、酒を飲むと反動でこんな甘えグセが出てしまう。
ヘリオライトは店長がいないとき、いつも替わりにセルフォスにしがみつかれる。それは、彼が自分に心を許してくれているということなのかもしれないとプラス思考で考えれば悪くはない事ではあるが、毎回ともなるとさすがにうんざりしてくる。これが女性ならヘリオライトは大歓迎だ。なんせ同僚は顔立ちがとても綺麗だし。ただ、生憎セルフォスは男だった。今自分の斜め向かいでやきもきしているヴェルガなら大歓迎な行為かもしれないが、ヘリオライトにとっては願い下げだ。
とりあえず、なだめてみる。
「ああ。そうだな。でもヴェルガはいるぞ?」
セルフォスはじっとヴェルガを見た。
だが、また気の抜けたように目をつぶり、ヘリオライトにもたれかかる。
「あっちまで行くのがとてもめんどくさいです」
「じゃあ、わたしがそっちに行く」
そう言ってヴェルガがヘリオライトの座っているソファの隣のソファに腰掛ける。そしてセルフォスを手招きした。
セルフォスはその行為をしばらく酔った目つきでじっと見ていたがやがてふらふらと立ち上がるとヴェルガの隣にすとんと座った。そして。
「ワイン」
そう言ってヴェルガの顔前にずいっと自分のグラスを差し出す。
「セルフォス。もっと味わって飲んでよ」
少し文句を言いながらも、ヴェルガはセルフォスが素直に自分の近くに来てくれたことがとても嬉しいらしく、嬉々としてグラスにワインを注ぐ。
「ん~・・・。努力は、しましょうかね・・・。ですが、ついついおいしいもので」
言いながらグラスを受け取ったセルフォスはワインをくいっと一気に飲み干しヴェルガに寄りかかる。その光景はいままで一度も見たことがなかったのでヘリオライトは思わず、おお、と驚きの声を上げた。このままではヴェルガの思い通りになってしまうのではないのだろうか。そうしたら一体どんな結末を迎えるのだろうか。と、この先の展開に未知の世界に足を踏み込むような気持ちで事の成り行きを見守ろうと決意したヘリオライトだった。が。
ヴェルガにもおいしい獲物を前にしても譲れないものがどうやらあったようだ。
「あ! 言った側からセルフォスは! おいしいに決まっているじゃないか! このワイン、貴方に合わせて選んだのだから。何と言っても20年も寝かしてね、熟成方法も独特の・・・。セルフォス。聞いてないでしょう」
「聞いてますよ・・・・。失礼な」
自分に寄りかかってチーズをつまんでいるセルフォスはいつものヴェルガならこれ以上ないくらいの幸せだろう。だが、今のヴェルガにとっては少し違ったようで・・・。
嬉しいことには嬉しいらしいが。
「む。じゃあ、こっちのシャンパンは?」
そう言ってまだ開けてない方のシャンパンを手に取る。
「こっちは、ヘリオライトに合わせて選んでみたんだ。だからちょっと飲んでみて」
にこにことそう言うヴェルガにヘリオライトはちょっと感動し、喜んで、と頷いた。
コルクの良い音がしたかと思えば、シャンパンが開き、ヴェルガはグラスにイチゴを入れ、その上からシャンパンを注ぐ。
「はい。口に合うと良いのだけれど」
受け取ったヘリオライトは一口飲んだ後、感嘆の声を上げた。
「ん! これ美味い!」
その味は本当にさっぱりしていて、おいしかった。全然アルコールが入っている感じがしない。これなら何杯でも軽くいけるだろう。ヘリオライトはいままでこんな酒を味わったことがなかった。
さすが街一番と噂されているソムリエなだけある。顔だけでなくしっかり実力も伴っているということがヘリオライトは改めて認識した。前に彼女と彼の勤めている店に行ったのだが、その時はなんせ初デートだったので舞い上がってしまったのと、彼女がヴェルガの方に意識がいかないようにするのとで気が気でなかった為、酒の味などこんなにしっかり味わえなかった。
「美味いなあ。ほんと」
しみじみと味わいながら飲むヘリオライトを見てヴェルガはにっこりする。そして、自分に寄りかかっているセルフォスに体をかがめて話しかける。
「味わいながらっていうのは、ヘリオライトの様に飲むってことだよ? セルフォス」
「・・・・判りました。じゃあ、私にもシャンパンを下さい」
「・・・・・・・・・味わってね?」
「判ってますってば」
本当かなあと首をかしげながらそれでもセルフォスの為にシャンパンを注ぎ、セルフォスに渡す。セルフォスはグラスを受け取った後、まじまじとグラスを眺めた。そして、一口口に含んだ。だが、セルフォスはその後何も言わず無言のままで。
思わず不安になったヴェルガが声をかける。
「・・・おいしい?」
その問いにセルフォスは頷く。
「貴方の仕事は、なかなか・・・たいしたもの、ですね・・・」
いまや完全に、まるで甘えている猫の様にヴェルガに完全にしなだれかかったセルフォスにさすがのヴェルガでさえも少々呆れた溜息をついた。
「まさか、こんな酒癖があるなんて・・・」
その台詞にヘリオライトが意外な面持ちでヴェルガを見つめる。
「ん? 俺はてっきりヴェルガにとっては喜ばしい限りな酒グセだと思ってたけど」
「なんで?」
「だって普段近寄れすらできないセルフォスが今べったりなんだぜ? 嬉しくないの?」
「複雑。わたしはセルフォスならどんな姿をしていても好きだけど、欲を言わせてもらえば普段の、凛としたセルフォスが一番好きなんだ。それに、今この状況はわたしをとても惑わせるし、とても嬉しいけどセルフォスの本心からきた行為ではないと分かっているとどうも本気で口説いても意味のないような気がするんだ」
「ん~・・・」
そう言われてヘリオライトも考え込む。
セルフォスの今の行為は考えようによっては本心からのものだろう。
ただ、それは決してヴェルガに向けられているものではなく、実際にはセルフォスの敬愛する唯一人の人に対してのものなのだが。
ヴェルガがまたも肩を落とし大きく溜息を一つつけば、もたれかかったセルフォスがヴェルガにシャンパンを注ぐようせかす。
「クラッカーも下さい。あ、上にチーズとトマトのスライスとそこのチリソースかけて」
恋に悩んでいる青年のすぐ脇で、悩まれているとは露知らずのセルフォスはヴェルガを容赦なく使う。自分の気持ちも知らずに、と少々恨みがましい目でセルフォスを見れば、セルフォスは酔いの回った虚ろ気な視線でそれを受け止め、
「何、辛気くさい顔をしているのです? 元気がないのですか? なら外を御覧なさい。綺麗な雪景色ですよ」
そう言って、セルフォスは外に視線を向ける。つられてヴェルガも外を見やれば外はいまだ雪が降り注いでいた。
「雪は空気中の塵などを全て身の内に抱きこんで地面に落ちるのだと聞いたことがあります。自然の空気清浄機ですね」
そう言って再びヴェルガを見上げる。
「だから、貴方のその辛気くさい顔も一緒に持って行ってもらいなさい。嫌なことは雪に全部抱いていってもらえば良い」
喋るのをやめれば、外の雪が音さえも抱きこんでいるようで、耳が痛くなるほどの静寂に包まれる。
一面の白。
全てが真っ白で無垢の世界。
「そしたら、きっと貴方の中に幸せだけが残りますよ」
そう言ってほのかに、だが嬉しそうに笑うセルフォス。
セルフォスの台詞を耳の、心の奥底にまで響かせながら窓の外を長い時間見つめていたヘリオライトとヴェルガの二人は、その後セルフォスがヴェルガに寄りかかりつつ眠ってしまったことにだいぶ後にならないと気づかなかった。
朝。
降っていた雪はすでに止み、太陽の反射を受けた雪がいつも以上に眩しく世界を照らしていた。
いつもより明るい朝の光に眩しさを感じたセルフォスが起きようと試みたとき、何故か彼は自分の体が思うように動かない事に気がついた。
誰かが自分を拘束している、と気がつくのにそんなに長い時間はかからず。セルフォスがふと視線を上に上げてみれば、そこにはヴェルガの寝顔があった。
成程、普段は彼の顔をじっくり見る前に自分が身の危険を感じてしまうため、ついつい防衛本能が働いてしまい、あまりはっきりと彼の顔を見たという記憶が少ないのだがじっくりと見てみればいつまでみていても飽きないくらい、彼は美形だ。
だが、セルフォスは彼の顔をもっとよく観察し続けたい、という気持ちよりも、彼の腕から早く抜け出たい。出来れば彼が起きる前に、と思っていた。実際ヴェルガの両腕はセルフォスの体をしっかり抱きこんでちょっとやそっとの刺激では到底離してくれそうになさそうだった。
さて、どうしようか。
そう思って彼が微かに身じろぎしたとき、ヴェルガがそれにつられて目を覚ました。
ヴェルガの寝ぼけた目がセルフォスを捉えた時、彼はにっこり笑っておはよう、と言って顔を近づけてきた。
「おはようございます。ヘリオライト」
「・・・・おはよう。・・・・ああ。俺、ソファで寝ちゃってたのか。どうりで体中が軋むかと・・・」
とわずかにぎこちなく体を起こして同僚に返事を返す。
「セルフォスは大丈夫なのか? 昨日結構飲んでて・・・二日酔いとか」
「ええ。大丈夫ですよ」
そう言って、セルフォスは暖かいお茶をヘリオライトに差し出す。
「ハーブティーです。胃もたれや二日酔いに効きますよ」
「おう。ありがと」
ヘリオライトが同僚の優しさに感謝しつつお茶を口に運ぼうとしたとき、彼の目に体面のソファに座るヴェルガの姿が留まった。それは、ヘリオライトの中のヴェルガ像では考えられない行動をしていた為、目に留まったもので。ヘリオライトは思わず顔をしかめて彼に問いかける。
「・・・ヴェルガ? もしかして、二日酔い?」
それは彼が頭を片手で押さえてしきりに唸っていた為で。ヘリオライトが問いただした後も彼は上手く答えられない様子だった。
以前に二日酔い経験のあるヘリオライトはおおいに同情しながら深く頷く。
「うんうん。分かるよ。話そうとしたり、頭を軽く揺らしたりしただけでも響くもんな~。セルフォス。このお茶をヴェルガにあげてもいい? せっかく作ってもらったのに悪いんだけど」
すると、セルフォスはヘリオライトが差し出したお茶を無言で制止ながらヘリオライトに向かって少し微笑んだ。
「ヘリオライト。ヴェルガのあれは二日酔いではありません」
「は? え? だって、あんなに頭押さえて・・・」
「自業自得というやつです」
そう言ってにっこり笑ったセルフォスの顔はこれ以上ないくらい恐ろしかった。
ヘリオライトももう少しよく見れば分かっただろう。
ヴェルガの片手が実際は頭ではなく、目に程近い額を押さえていたことを。
そしてそこが赤く腫れていることは、セルフォスとヴェルガだけが知っていた。