寒い日に

 

空から白いものが降ってきた。

先日こちらの大陸に来たばかりの緑竜セルフォスは、人型をしたまま窓からその白いものを眺めていた。

眺めているうちに触ってみたくなって今度は外に出てみた。

空からとめどなく降り続く白。それを吸収していく大地。

ああ。

向こうと同じだ。

そう思い、セルフォスは自分が住んでいた大陸を思う。

向こうでも自分はこうして一人、ただたたずんでいた。

これはなんというのだろう?

どこからくるのだろう?

一族の誰に聞いても答えは出ないまま、虚しい気持ちを抱えてこうしてたたずんでいた。

虚しいのは答えが出ないから?

それとも共感できる「友」がいないから?

今もその答えは分からないままだ。

空を仰ぎ、瞳を閉じる。

その時。

「セルフォス!? そんなところで何をしているの? 風邪引いちゃうわよ?」

びっくりしたその声にセルフォスが振り向けばドアの入り口には人間の娘、サラが立っていた。その後ろには同じく人間の男、ルークも。

「どうしたんですか?」

この二人はセルフォスが瀕死の際、多くの人間がセルフォスを見捨てようとする中、唯この二人だけがセルフォスの側に立ち、彼の一命を救ってくれた。その恩に報いる為、この世界の竜の王、セルヒはこの二人をセルフォスと共に自分の住む小屋に同居をする事を許してくれた。

「サラ。ルーク」

二人の姿を認め、セルフォスはふわりと笑った。

傷が完全に癒えるまでは、表情というものをあまり人間に対して見せてくれなかったセルフォスだが、最近ではちょっとしたことでもこうやって笑ってくれるのが、サラとルークにとってはとても嬉しかった。

「家に入ってお茶にしましょ。クッキーを焼いてみたのよ」

「はい」

頭や肩にかかった白を取り払い、セルフォスは家に入った。

 

「何をしていたの?」

3人でキッチンに立ち、お茶の準備をしながらサラは尋ねた。

「あの白いの、なんて言うのかなあ、と思いまして」

「白いの? ああ、「雪」の事か」

「雪?」

「そう「雪」。貴方達の間では何て呼ばれていたのですか?」

竜の研究家でもあるルークはポットを手に取りながら興味深々に尋ねる。

「・・・何とも呼ばなかったですね。聞いても皆分からなかったし。だから私はいつか聞いてみたくて・・・」

名前が分かって良かったです、と微笑むセルフォスをじっと見ながらサラは何かを決意したように急にセルフォスの腕をぐっと掴む。

「来て」

「え? は?」

「いいから!」

半ば強引にセルフォスを引きずっていったその先は、リビングの暖炉のある場所。今日は殊更冷えるため、暖炉は朝から火を焚いている。そしてその暖炉の前の暖かい敷物の上には、自分の趣味である薬品の研究を一段落させ、クッションに背を預けながらくつろいでいるこの世界の竜の王、セルヒがいた。

この時間は暖炉の前はセルヒの場所、立ち入るべからず、くつろぐべからず、といった暗黙の原則が本人の知らぬ間に何故か周りの人達の間で黙認されていた。だからサラがセルフォスを連れてここにやってきたときもセルフォスの表情はかなり凍り付いていた。

「セルヒ」

「ん? なんじゃ?」

「セルフォスが寂しそうなの。だから構ってあげて」

そう言うとサラはセルフォスをセルヒの隣に押し出す。

慌てたのはセルフォスで。

「わ、私は別に寂しがってなど・・・」

セルヒの顔を見ず、真っ赤になって慌ててサラの方に戻ろうとするセルフォスに。

「セルフォス」

セルヒが手招きをした。

何でしょうか、とおずおずと近寄ってくるセルフォスをセルヒは頭を抱え込むようにして抱きしめる。

「お、王?」

驚いて声を上げて少し身じろいで見るもセルヒはその腕を解かず。サラはその様子を見てふと微笑むとキッチンに戻っていった。

 

暖炉の中で火がパチパチと踊る音が聞こえる中、やがてセルフォスが諦め、そしてセルヒの、自分以外の体温を感じられる余裕が出てきた頃にセルヒはゆっくりとその腕の力を緩めた。セルフォスがおずおずと顔を上げればそこにはセルヒの優しい顔があった。

「女子の直感とやらは時々とても鋭いからの」

「はあ・・・」

セルヒは腕の力は緩めたものの、まだセルフォスをその腕から解放しなかった。

セルフォスはセルヒの顔をまともに見れず、ただ暖炉の火を眺めていた。

暖かいのは暖炉の火?

それとも彼の君の腕?

それとも心?

よく分からないまま、しかし先ほど外であの「雪」を見ていたときまでには決してなかったものを感じる。

心地よい。

そう、ただ感じた。

「サラが何故あのようなことを急に言い出したのかは我にも分からぬ」

頭上で声がする。

「白いものの名前を知りたくて外に出ていたのです」

「白いもの?」

「はい。「雪」というのだそうで」

「ああ。雪か。だから主の体はこんなに冷え切っておったのか」

「・・・昔をふと思い出してまして、つい・・・。そういえば同じ事を思っていたなと・・・。同じように白いものを眺めながら、これはなんだろうと」

答えが出ぬまま、心すらも彷徨っていた。

あのとき、探していたのはなんだったんだろう?

 

「じゃが答えはもう出たのじゃろう?」

「あ、はい。ルークが教えてくれました」

「それに家に入れと言うたやつもおろう?」

「ええ。サラが」

二人の事を考えた途端、馳せてた心が急に、しかも何かを伴って自分の中に収まった気がした。

暖かいのは・・・・、暖炉のせい?

「良かったのう」

嬉しそうな声が上からかかり、セルフォスはそれに応えようと顔を上げたとき、セルヒが優しい、しかしはっきりとした口調で言った。

「覚えておけ。主はもう一人ではないのじゃよ」

その台詞にはっとなる。

外で「雪」を見ていた自分。

答えを探して見つからず、そんな気持ちで外を見ていた頃の自分。

あの時自分は。

ああ、そうか。

答えが見つからないから虚しかったのではなく・・・。

探していたのは・・・。

“中に入ってお茶にしましょう”

“主はもう一人ではない”

ああ、なるほど。

確かめるように王の腕に自分の手を回す。そして、自分ではないものの体温を感じ取る。

「そうですね」

もう、一人じゃない。

思った途端、心が急に温かい何かで満たされる。

それが何かはセルフォスには形容できなかった。でも確実に温かいもの。そして気持ちを優しく満たし、この顔をほころばせてくれるもの。

 

「お茶の準備が出来たわ。ここでお茶を楽しんでも良い? セルヒ」

ルークと共にサラが両手にポットと数個のカップを乗せた盆をかかえてきた。その後ろにはいつの間にかクッキーを持って千里眼を持つ竜、メルバも立っていた。

「ん? ああ。構わぬぞ? じゃあ、我はセルフォスを抱えていても良いか?」

本気で言っているのか冗談で言っているのか。

セルヒの腕に力がこもるのに、セルフォスは顔を赤らめ慌てる。

サラは笑って。

「だめよ。それじゃあ貴方がお茶飲めないもの」

そう言って皆で笑って。

 

ああ、温かい。

ここは何て温かいのだろう。

それは暖炉のせいでもなく。お茶のせいでもなく。

 

皆がいるから。

 

貴方がいるから