貴方さえ生きていてくれるのなら、この命、何も惜しくない。
ぼんやり窓辺から月を眺めながら、この世界の竜の王でもあるセルヒは一人酌をする。
「思えば若かったのう・・・。我も」
近くにもう一つ、酒の注がれたグラスを置きながら。
その時、扉がノックされた。セルヒが反応すれば扉を開けたのは最近この大陸に来た緑の一族のセルフォスだった。
「すみません。邪魔でしたか」
「良い」
そう言ってセルヒは軽くセルフォスを手招きして自分の近くに座らせる。
セルフォスは少々躊躇いながらも、指示通りの場所に来て腰をかけた。セルフォスが近くに腰をかけたのを確認すると、セルヒはまた月を眺める。
用があって来た訳だが、どうも話し出す雰囲気ではないように思えて、セルフォスも同じように月を眺めた。
綺麗な月だった。
とても大きい月で、その光は太陽に劣らず世界を照らしていた。
「昔」
セルヒがその月を眺めながらぽつりと話し出す。
「死んだ者達はあそこに行くと聞いての、ずっと信じていておったものじゃ」
その目は相変わらず月を眺めていて、やがて、セルフォスの方を見つめる。
穏やかな目だった。
「主は」
セルフォスも王を見た。
「世界を否定したことはあるか?」
言われた意味が上手く掴み取れず、首を傾げる。
その動作を見てセルヒは穏やかに笑う。
そしてまた月を眺めた。
「我は、ある。今考えれば、何て愚かじゃろうと自分でも、思う」
けれど。
「あの時はそれが全てじゃった」
答えはなくても良かったのだと思う。
ただ話したかっただけなのかもしれない。
セルフォスはそう思ってただ黙ってセルヒを眺めていた。
「死んでは欲しくなかった人がおっての」
言いながら、自分の目の前に置かれたグラスを眺める。
耐えるような、でも穏やかな目だった。
「その人が死なずにすむのであれば、自分の命なんて何も惜しくはなかった。時間なんて止まってしまえば良い、と思った」
でも、と言ってセルヒはまたセルフォスを眺め、そして愛おしげにセルフォスの頭をゆっくり撫でる。
「愚かじゃったなあ。本当に、我は・・・・。あのまま時が止まっていたなら新しい命なぞ生まれないというのに」
そしてセルフォスに微笑んで。
「主に会えなかったというのに」
新しい可能性にこの身を委ねる事すらできなかったというのに。
時間が止まって欲しいと思った。
自分の命すら貴方に捧げようと思った。
でも。
貴方はそれを全て突っぱねて、一人逝ってしまった。
それは、貴方と一緒にいたとき以上のかけがえのない素晴らしい時間があるということを気づかせるため?
それとも、新しい可能性に、命に気づかせるため?
今となっては分からないけれど。
セルフォスは気恥ずかしさと居心地の悪さを感じて、また後で来ますと言って部屋を出て行った。
セルヒはまた月を眺める。
明るい、大きな月だった。
眺めながら一人ごちる。それはさっきと違って明るい声で。
「私はもう少し、この世界を堪能してから貴方の元へ行くよ。貴方が示してくれたこの道が素晴らしくかけがいのないものになった事を、そして貴方の愛したこの世界の話をたくさん貴方に話してあげたいから」
そして、セルヒは二つのグラスを軽く合わせ、酒を呑んだ。
月がそんなセルヒを包み込むように、彼を明るく照らしていた。