眉間のシワ
「本当かなあ・・・」
のどかな午後。ヘリオライトはカウンターでお茶を沸かしながらとある薬の取り扱い説明書を読んでいる。
それは、つい先ほど製薬会社の人が店が発注した薬を届けてくれたときに、新薬の紹介をついでにしてくれて、その時サンプルとして一つくれたもので。
こういう場合はまず普段いない店長の意見は後回しにされ、まず薬屋店員2人で説明書を読んでいろいろ論議しあう。そしてその意見をまとめたものを最終的に店長に新薬と共に持って行き、店長はそれを踏まえた上で最終決定を下すのだ。
「う〜ん・・・」
沸いたお湯をポットに注ぎつつ、だが目は片手に握られている取り扱い説明書から離れない。
その時、薬品室のドアが開いてもう一人の店員、セルフォスが顔を出した。
「先程運ばれてきた薬品は全て収納し終わりましたが、今回は新薬ありませんでしたか?」
言ってヘリオライトの方を向いて、そして急に青ざめる。
「ヘリオライト!」
叫ばれて慌てて手元を見てみれば、カウンターに少しだがポットからお湯と茶葉が溢れ出してて。
ヘリオライトは慌ててヤカンを持ち上げる。
「あぶねっ!」
そして、ヤカンを慌てて置くと、お湯に浸らないように新薬のサンプルを慌てて避難させた。
「気をつけてください」
セルフォスはそれだけ言うと近くからタオルを持ってきてカウンターを拭き始めた。
「悪い」
「何に気を取られてたんです?」
言ってヘリオライトの方を振り返ってみれば、手元には取扱説明書らしき紙が握られていて、セルフォスはああ、と納得した。
「しかし、珍しいですね。ヘリオライトがそんなに真剣に新薬のサンプルを品評しているなんて。普段はさらりと流し読みをするだけではないですか」
「ああ。まあな」
「何かおもしろい事でも?」
ひょい、とセルフォスがヘリオライトの手元の取り扱い説明書を覗けば、ヘリオライトは慌ててその紙を上に持ち上げる。
「・・・・・なんですか?」
少し機嫌を損ねた同僚が、眉間に軽くシワを寄せてヘリオライトを見上げてみればヘリオライトは笑顔で応対。
「ま、まあまあまあ。後で見せるから」
まあまあ、と言われ薬品室に再び入るよう背中を押される。
同僚の不自然な行動を不満げな顔で見つめつつ、だがそれに逆らえず不満げな顔のまま薬品室に入る。
「あとで、ちゃんと見せてもらいますからね」という言葉をしっかり残して。
夜、帰宅間際に今日の出来事を帰り支度をしながら話し合う。
その時、ヘリオライトがセルフォスに新薬のサンプルを渡す。
「ほい。お待たせ」
受け取ったセルフォスがパッケージの後ろを早速覗く。大体の薬はパッケージの後ろに薬の概要が記されているからだ。
「・・・・・「皺取り」? これはまた画期的な薬が出ましたね。細胞に作用する薬は副作用が大きいと聞きましたが」
随分と思い切った行動に出たものだ、と言いながらセルフォスは箱の中から取り扱い説明書を取り出しざっと目を通す。
「対象が大方女性を狙ったものだろうな、と思ったんだけど・・・」
言いながらヘリオライトはコートを羽織る。
「いえ、分かりませんよ? 最近男性もこういうものを気にしだしている傾向が見られますからね」
「・・・・ああ。そうかもな」
「額の皺とか」
「眉間のシワとか」
「・・・? あれはこういうものの対象に入るのでしょうか?」
「入ると思うぞ? 眉間だってついたら取れなくなるっていうし。書いてあるし」
「え? どこに?」
「ここに」
そう言ってヘリオライトがセルフォスの手元を覗き込み書いてある部分を指差す。
「あ、本当だ。・・・しかしよく発見しましたね。こんな見落としがちなところを」
しばらく感心したように取り扱い説明書を眺めていた同僚は、しかしふと思い当たってヘリオライトを見つめる。
「それにしてもこういう内容なら昼間見せてくれても良いものを・・・」
言えば、ヘリオライトは急に目を逸らす。
「いや、ちょっと気になることがあったもので・・・」
「気になること、とは?」
聞けばヘリオライトは様子を伺うようにセルフォスを見つめる。
「・・・・・・怒らない?」
「怒るような内容でないのなら」
「・・・・う〜ん・・・」
「・・・ヘリオライト?」
さっきより少し低めの声で先を促してみれば、同僚は諦めたように溜息を一つ。
「いや、本当にこの薬効くのかなあ、って思って」
「それは人によるとは思いますが、それなりの効果が見られるのでは? だから製薬会社もこうやってサンプルを出したのでしょうし・・・」
「竜にも効くと思う?」
言われて、セルフォスは成分表を見る。
「う・・・ん。まあ・・・・、この成分で人間に100%効くのであれば、竜にも多少効果はあるのではないかと思いますが・・・。店長に聞いてみないと分かりかねます」
言いながら、セルフォスの頭に一つの疑問が湧いた。
「しかしまた何故?」
言葉に出してみれば、ヘリオライトが口ごもる。
「いや。何となく、効いたらいいなあと思って」
「誰にですか?」
何となく先が読めたような気がしたセルフォスは眉間に皺を寄せながらヘリオライトに詰め寄れば、詰め寄られた本人はかなり迷った挙句そっと同僚を指差した。
「何故!?」
「いやいや! 俺はこれでも心配してるんだよ!? セルフォスの綺麗だと周りから言われている顔に、後に残るような皺ができたらどうしよう、って。きっと皆嘆くだろうな、悲しむだろうな〜、と思っていた矢先にこんな素晴らしい薬が!」
「皺というものは、特に若いうちに出てくる皺は大抵顔に皺が残るような表情を何回も繰り返した結果できてしまうものでしょう? 私のどこに皺ができるというのです!」
「いや、ほらここ」
詰め寄って距離がかなり近くなった同僚の眉間を、指を指しつつそっと押す。
「・・・・・・・・」
「な?」
「・・・・・・・確かに。確かにここは指摘されるべき部分なのかもしれませんが、でも考えてみてください? ヘリオライト」
「ん? 何を?」
絶対否定されると思っていた事を同僚が案外素直に受け止めてくれたお陰でかなり気持ちが楽になったヘリオライトは少々浮かれとともに言葉を返す。
もうこの先同僚の怒りを買うことはなかろう、と思いながら。
しかしそれは大きな間違いだった。
「一体誰のせいでこの皺ができて、そして誰のせいで貴方に余計な心配をさせるほどに私はこの表情を作ってしまっているのでしょうかね!?」
セルフォスの怒りを含んだ強い口調と気迫に思わず怯むヘリオライト。視線を逸らしつつ、頭の中で懸命にセルフォスの悩みの種を探る。
「え〜と・・・。ヴェルガ?」
「ああ。彼は一番の悩みの種ですね」
「ん〜と・・・。ロバート」
「まあ・・・、ときどきは。しかし、一応お客様ですからね」
「あ、じゃあ店長?」
「貴方です!!」
ついにはセルフォスの堪忍袋の緒が切れた。
「毎日毎日私に皺を作らせるのはヴェルガと貴方の呆れた行動以外何があるというのです!?」
「うわ。俺ヴェルガと同列だ・・・」
「本望でしょう? ヘリオライトいつも陰ながらにヴェルガを応援してるじゃありませんか」
「あれ? ばれてる?」
「話を逸らさない!」
「乗ったのはそっち・・・」
「言い訳しない! とにかく! ヴェルガを応援しようなどと愚かな行為を止めてもらうだけでも私の眉間に皺が寄る確率は著しく減少するのです」
「ふんふん。なるほど、よく分かった。でもそこら辺は一遍ヴェルガときちんと話をしないとな。だからセルフォス、その話し合いに決着がつくまでこれ飲んでしっかり予防を・・・」
「そんなの貴方の自由意志でちゃっちゃと決めなさい! なんでそういう時に限ってわざわざ話し合いの場を設けようとするのです!」
「いや、だって大事なことだろ? それにほら、怒らない怒らない。怒るとまた眉間の皺が深くなるぞ? はい。落ち着いて」
言いながら、セルフォスの両肩を強く押して無理やりソファに腰掛けさせる。
「はい。深呼吸」
ヘリオライトにまだ何か言いたげなセルフォスだったがヘリオライトに両肩を掴まれ、立ち上がって彼に怒鳴りつけることもままならず、仕方なく目だけはじっと彼を睨み続けていることにした。
「はい。そんなに怒らない。笑顔笑顔。はい、水とね、これ皺取りの薬」
そう言ってコップ一杯の水と新薬を手渡され。
さり気なく落としたヘリオライトの冗談交じりのささいな爆弾発言。
だが、それはセルフォスの逆鱗に触れるどころか火をつけてしまって。
セルフォスがその後休憩室内で偶然来た店長に止められるまで大暴れしたのは言うまでもない。