小話

 

その日、仕事が休みだったヴェルガはいまだ確定した住居が決まっていない為、仮住居となっている薬屋の休憩室のソファに寝そべりながら住居探しの情報雑誌を読んでいた。

今日、薬屋は休みである。

いつもは、口うるさい彼の想い人がいないのは寂しいが、いればこんな行儀の悪い事は決して許されないことを考えれば、寂しい気持ちも多少我慢できようというもの。

時刻はもう日が沈もうとしている頃。

夜間勤務のヴェルガにとっては、まだ眼が覚めてから数時間しか経っていない。

雑誌のページをめくりながら、御飯何食べようか。

そんなことを考えていた時。

いきなり休憩室のドアが開いた。

ヴェルガはびっくりして思わず、雑誌をドアを開けた人物に投げつけつつ、自分はソファの後ろに身を翻して、戦闘体勢をとった。

もともとヴェルガの一族はとても戦闘能力が高い一族である。相手に対して隙を作らない体勢を取る事だって、彼にとっては無意識にやってしまう事だ。

だが。

雑誌を投げつけた相手を見た途端、彼は青ざめる。

「ヘリオライト!」

そこにはヴェルガの投げた雑誌がものの見事に顔面に当たったヘリオライトが立っていたのだ。

 

「ヴェルガがいれば、うちの会社の防犯は安全だな」

「ごめんなさい。ヘリオライト。まさかあなたが来るとは思っていなかったから」

「良いよ。気にすんな。いきなり入ってきた俺も悪いし」

ソファと椅子で、それぞれ向かい合うように座った二人。

幸いにもヘリオライトの怪我は鼻を少し痛めただけで済んだようだ。

「でも、珍しいね。勤務以外でヘリオライトがここに顔を出すなんて、わたしが知っている限りでは初めての事だよ? 薬品室への鍵はセルフォスが持っているからあなたは入れないし・・・、何か忘れ物でもしたの?」

「いや。そういうわけじゃないけど。・・・・・なあ、その・・・夕飯奢るからさ、ちょっと相談にのってくんないかな」

「・・・・? わたしが? 別に構わないけど、かなり食べるよ?」

「大丈夫だよ。給料日後だから」

「うーん・・・。・・・分かった。でも、一体なんの相談なんだ?」

「そ、それはあとで」

「・・・・・?」

少し顔を赤らめながら顔を背けるヘリオライトに、首をかしげながらヴェルガは出かける支度を始めた。

 

外に出てみると、日はもう既に落ちていて、その余韻だけが世界を明るくしていた。

街に出ると、夕飯時の繁華街は多くの人で賑わい、どこの料理店も夕食を楽しむ人々で溢れかえっている。

ヘリオライトとヴェルガは、街でも人気の料理店に席が空くまでの順番待ちをする事にした。

待っている間、ヴェルガは人と一緒にこういう風に食事をするなんて久しぶりだから嬉しいな、とにこにこしながら店内を覗いていた。

そんなにこにこ顔のヴェルガを遠巻きに顔を赤らめながら見る女性達をヘリオライトは見逃さなかった。

しばらくして席が空いたので、店員に連れられてテーブルに二人向かい合う形で座ったあと、ヘリオライトはおもむろに口を開いた。

「ヴェルガってさ、本当にもてるよな」

そんなことを唐突に言われて、メニューを見ていたヴェルガはびっくりして思わずヘリオライトを見る。

「? そう? わたしは人間のそういう基準がよく分からないんだけど」

「見られてるなー、って思ったことない?」

「・・・別に、殺気立ったものは街中にいても感じないけど」

「そうじゃなくて・・・」

こういうところはセルフォスに似ているな〜と思いつつ、ヘリオライトは質問を続ける。

「働いてる最中とかに女性に口説かれたりとか」

「ああ。それはある」

「街中で立ち止まったりしてると、女性にお茶に誘われたりとか」

「それもある」

「視線を感じてそちらに視線を向けてみれば、女性がさっと顔を背けたり」

「すごいねヘリオライト。全部正解だよ? なぜ分かるんだい?」

ヘリオライトがおもしろいように自分にまつわる出来事を言い当てた為、ヴェルガは驚嘆の顔でヘリオライトを見る。

自覚のないモテ症状は、相手をこの上なく不機嫌にさせるときがある。

今のヘリオライトがまさにそうだった。

「それが、もてるって事なんだよ! あ〜! いいなあ! もてる男ってのは。恋愛も手馴れたものだろ?」

半ば、やけで言い放つヘリオライトにヴェルガは首をかしげつつもヘリオライトの質問に答えた。

「手馴れてたら、今こんなにセルフォス相手に苦労していないよ」

溜息とともにそう言うヴェルガに、

「セルフォスは、違うんじゃないかな・・・」

と、やや引け気味のツッコミをいれるヘリオライト。

男が男を好きになるなんて、ヘリオライトにとってはいまだ未知の領域だからだ。

まあ、彼の同僚の場合なら、外見はとても綺麗だから1万歩ぐらい譲って、好きになろうと自分自身に暗示をかけるぐらいすれば、もしかしたら同性同士の恋愛をする人達の気持ちが何とか理解できるかもしれない。

「わたしはこの大陸ではセルフォス以外興味がないんだ」

きっぱりと言ったヴェルガに対して、ヘリオライトはその態度に憧れを感じた。

「いいなあ。そうやって言い切れるって」

「ヘリオライトも他の人を好きになればそう思うようになるんじゃないかな」

「うん。・・・そうかもな。いや・・・」

歯切れの悪い返事を返すヘリオライトにヴェルガは訝しげな視線を投げかけた。

「実はさ。相談したい事って・・・そういうことなんだ」

「え?」

「ん〜・・・。あのさ。実は」

ヘリオライトがいざ切り出そうとしたときに。

「お待たせしました! ご注文を伺います」

店員がそう口を挟んできた。

「あ、じゃあ・・・」

気負いしてしまったヘリオライトをよそにヴェルガは注文をしていく。

そうして注文を受けた店員が去っていたあと、ヴェルガはヘリオライトに改めて声をかける。

「あ、で。何?」

「え? 何が?」

「さっき言いかけてた。相談したいこと」

「ああ。うん。・・・あのさ。実は俺、彼女出来たんだ」

照れながら、しかし相手の反応を見たくてちらりとヴェルガを見てみれば、ヴェルガは驚きに眼を見開いていた。

その反応にヘリオライトは急に不安になって。

「あの、さ。ちなみに彼女って、意味分かってる?」

「ああ。知っているよ? その手の相談は良くされるから。ごめん。なんか意外だったから。でも、そうなんだ。おめでとう!」

そう言ってにっこり笑うヴェルガに、ヘリオライトは安堵とともに改めて照れくささを覚えながら

「ありがとう」

と言った。

「で? 相手はどんな人なの? どこで知り合った?」

「ん〜。元は飲み友達だったんだけど、この間の飲み会で告られて、それで」

「へえ。いいな」

「いいなって・・・。ヴェルガはセルフォス以外興味ないんだろ?」

「うん。でも、そういうのって何かいいな、と思って。で、相談したい事って?」

「ああ。で、今度の週末その子と出掛けることになってさ。で、どこに行ったらいいかな、と思って」

その問いに。

ヴェルガは呆気に取られた。

「え? わたしがデートコースを選ぶの? それは何か変じゃないか?」

その時、料理が運ばれてきた。

「いや。違う。その、俺だって初めてだからさ。その、どこに行ったら相手が喜ぶとか、どこが女に人気のあるところとか、全然分かんないんだよ。でも、そういうのヴェルガなら詳しそうに見えたから」

「え? なぜ?」

「だってよくもてるし、雰囲気のいい店にも勤めてるじゃん? そういう話には事欠かないのかと思ってさ」

「・・・つまり上手くエスコートができる奴だと思われているのかな?」

「うん。そう」

ヘリオライトが頷くとヴェルガは大きな溜息をついて項垂れた。

「そんなこと出来るならとっくにセルフォスを落としているよ」

「いや。だから、セルフォスの場合違うだろ。大体あいつが女性扱いされて喜ぶと思うか?」

「う〜・・・。でも、わたしは他にやり方を知らないし・・・。あ〜あ。セルフォスがわたしを好きになってくれたら、あの人をこの上なく満足させるようなデートコースだって、もう考えてあるのに・・・」

その言葉に、ヘリオライトがぴくりと反応する。

「ち、ちなみにそのコースって?」

「ん? ああ。セルフォスはアンティーク物と森林浴が好きだろ? だから、街にあるアンティークを専門に扱っている店あるから、そこに行って、その後この間散歩してたら、街外れに素晴らしく大きな噴水のある、森林公園見つけたからそこに。すごいんだよ、そこ。こう噴水が木々に囲まれていてね・・・、公園に入ってもしばらく歩かないといけないんだけど、その間も森だし、その先にあるあの噴水の大きさといったら圧巻されるよ?」

「・・・・・・・・その計画、もらってもいいか?」

「え? ああ。今度のデートに使うの? いいけど、セルフォスの好みに合わせたものだから、あなたの彼女に合うかな。ヘリオライト」

「あうもあわないも・・・」

ヴェルガの話してくれたデートコースとは、まるで女性と行く為に作られたようなものではないか。あえて合わないといえば、ヘリオライトの同僚くらいだろう。

ヴェルガには悪いが、ヘリオライトの知っている彼は、こういう場所は一人で行きたがるからだ。

「あ、じゃあ帰りにわたしの働いている店においでよ。ホテルに宿泊しない客でも、利用できるし、料理はおいしいし、雰囲気にあったお酒ならわたしが選んであげるから」

「あ。それいいな」

ヴェルガの働いている店といえば、ここ最近よく雑誌等に取り上げられている。

前々から料理がおいしい事と酒の種類が多い事で有名な店だったのだが、ヴェルガがそこに就職してからというもの、街の情報誌やグルメ雑誌には「その日のその人の気分に合わせたお酒を出してくれる名ソムリエがいる」ということで大きく取り上げられ始めているし、女性誌には「イケメンの働く店」というタイトルでヴェルガ自身がでかでかと取り上げられた事もあるという、最近人気急上昇中の店なのだ。

「来る日と時間さえ分かれば、予約入れてもらえるように頼んどくから」

「ああ。悪いな」

「いいよ。奢って貰ったお礼。デートが無事成功すると良いね」

その台詞を聞いたとき、相手のためにここまで言ってくれるなんてなんていいやつなんだろうとヘリオライトは感動した。

 

そして週明け。

この日、セルフォスがカウンター当番をしていると、ヘリオライトが薬品室から顔を出してきた。

「なあ、ヴェルガまだ帰ってこない?」

「ええ。まだですが」

セルフォスは軽く首をかしげながらそう答える。

今日の同僚はどこか落ち着きがない。

変にそわそわして、ヴェルガが帰ってきそうな時間帯になると、こうして5分ごとにカウンターに顔を出すのだ。

「なんでしたら、ヴェルガが帰ってきたとき、呼びましょうか?」

「・・・いいの?」

「構いませんよ」

「ん・・・。じゃ、頼むな」

変にもめなきゃいいけど、と心の中で祈りながら薬品室に帰っていくヘリオライト。

薬品室は何故か防音になっているので、店のドアが開いても分からないのだ。

しばらくして。

店のドアが開いたかと思うと、ヴェルガが顔を項垂れさせながら入ってきた。

「あー・・・疲れた」

「お疲れ様です。ヴェルガ」

その意外な一言に、ヴェルガははっとして顔を上げた。

「セルフォス!!」

その瞬間、いままでの疲れをどこかに吹き飛ばしたように、ヴェルガが早足でカウンターに歩み寄ってくる。

「あなたが、そんな言葉をかけてくれるなんて!」

「はい。そこで止まってください」

カウンターまであと3歩、というところでセルフォスにきっぱりとそう言われ、ヴェルガは思わず歩みを止めた。

いつもならもうとっくに何かしらヴェルガに向けて投げてくるセルフォスが何も投げてこないどころか、声をかけてくるなんて、ヴェルガにとっては信じられないことだった。

これは、何か新たな一歩を期待してもいいのかな? とヴェルガがどきどきしながら次の言葉を待っていると、

「そこのソファに座っていてください。いいですか? 動いてはいけませんよ」

いつもと違う口調で穏やかにそう話しかけられては、今までそんな口調に免疫のないヴェルガは従うしかなかった。

ヴェルガがソファに座ったのを確認すると、セルフォスは薬品室のドアを開け、ヘリオライトを呼ぶ。

その後セルフォスは扉を閉め、何とソファに座っているヴェルガの真向かいに座って、ヴェルガを正面から見つめたのだ。

ヴェルガは、そんなセルフォスの行動を不思議に思いながらも、セルフォスの方からヴェルガをこんなに見つめることなど今まで一度もなかったのでヴェルガの心臓はかなりばくばくいっていた。

見つめ返してみれば、セルフォスの整った顔、それに神秘的な瞳の色、そしてヴェルガを惹きつけて止まない上品な「匂い」。

思わず、手を出しそうになったその時。

「今日、ヘリオライトが妙に落ち着きがないのです」

そう言われて、出しかけた手を止める。

「ヴェルガ、ヘリオライトに何か言ったのですか?」

ヴェルガを惹きつけて止まない眼でじっと見つめられて問い詰められてしまっては、思わず全てを喋ってしまいそうになる。

そのとき。

「ヴェルガ!」

間一発のところでヘリオライトが顔を出す。

ヘリオライトの呼びかけに暗示がとけたようにはっとして、顔をヘリオライトに向ける。そして、安堵の溜息をつく。

「ヘリオライト」

「そう。ヘリオライトが貴方を呼んでいたのですよ」

セルフォスがさらっと言うのを聞きながら、じゃあその前に自分は尋問を受けていたのか・・・と、期待外れの結果にかなり落ち込む。

あからさまにがく〜っとうなだれるヴェルガを見て、そうなるまでの経緯を全く知らないヘリオライトが慌てる。

「ご、ごめん。疲れてた?」

「いや、そうじゃないんだ。ただ期待外れの期待をしてしまって」

ちらっとセルフォスを恨みがましく見れば当の本人は自分の用はもう済んだとばかりにカウンターに戻り始めていた。

「? 期待はずれの期待?」

「いや。こっちの話。で? どうしたの?」

「あ! そうだ! この間の、大成功だったよ! 彼女すっげー喜んでた! ありがとな!」

「ああ。それは良かった。気に入ってもらえて」

そう笑顔で言った後、ふと何かを思いついたようにセルフォスの方をちらりと見ながら、

「セルフォスが喜ぶような場所だったでしょ?」

「ああ。あの森は本当に壮大で圧巻されたな。噴水もものすごく綺麗だったし。よくあんなとこ見つけたな」

その台詞に、セルフォスが明らかにこちらの話に興味を持ち始めた。

セルフォスが自分の仕掛けた餌に明らかに寄ってきているのを見るのはおもしろくて、ヴェルガはつい口元をほころばせる。

笑顔でセルフォスの方を振り向きながら、

「行ってみたい? セルフォスも」

そう問えば、

「どこにあるんです?」

餌に釣られかけてるセルフォス。

にこにこしながらヴェルガは続ける。

「秘密。わたしと一緒に行くなら連れて行ってあげるよ」

 

その後1日中、何も手付かずでただただ悩むセルフォスがカウンターにいたという。