君に届きますように

 

それは、緑竜セルフォスが王―セルヒに助けられ、一命を取り留めてから数十年後の事だった。

迷いの森にある、セルヒの家には、セルフォス以外に、ありとあらゆるものを見通せる千里眼を持つ竜、メルバが住んでいた。

セルフォスの命を助けてくれた人間達もすでにこの場所を去り。

この場で「占い屋」をやっているメルバを見て、自分も働きたい、役に立ちたいと思ったセルフォスは思い切ってその思いを王―セルヒに言ってみたところ、セルヒは自分が今凝っている薬作りの手伝いをしてくれ、と言ってくれた。

 

その日も薬作りの手伝いをするところだった。

「セルフォス。紙に書いてある薬草をそれぞれ5株ずつ採ってきておくれ」

セルフォスは物覚えがとても良く、知識の吸収もずば抜けて良かったから、手伝いを始めて5日もすれば、その薬草がどこに生えているのかとか、薬草ごとの微妙な違いや、薬草ごとの摘み方、保存の仕方などを完璧にマスターしていた。

だから、このような注文もセルヒは安心してセルフォスに任せる事ができた。

「分かりました」

そう言ってセルフォスは、いつもどおり家を出て行った。

それが、全ての始まりだった。

 

 

迷いの森。

一度足を踏み入れれば、たちまち方向感覚を失い、目的地には一生辿り着けない危険性がある他、生きてここから出られない可能性も高い事で有名だった。

それは道に迷って、でもあるが、ここに住む魔物や獣に襲われて、というのもある。

その日、魔物よけのフードを頭からかぶった屈強な男が二人、後ろに小さな男子を連れて迷いの森を歩いていた。

男子は初めて入る地にしきりに興味深げに辺りを見回しながら、前を歩く男の一人に手を引かれて歩いていた。

前を歩く二人の男は男の子に聞こえぬようひそひそ声で、

「目印はちゃんとつけて歩いてきているか?」

「ああ。木々に短剣でつけてる」

「良かった。俺らまで命落としちゃ報酬に合わないからな」

「まったくだ。生きてこその報酬だから、な」

「なあ。そろそろここいらでいいんじゃないのか?」

「そうだな。奥方様の命令では、こいつが生きてここから出てこなけりゃいいんだもんな。ここまで来れば、大丈夫だろ」

そう言って、二人の男は互いに頷きあうと、急に歩みを止める。

あまりに急だったから、後ろの男子は思わず、前を歩いていた男のマントに顔を埋めてしまった。

男達は振り返り、目線を小さな男子と同じ位置まで合わせると、優しげな顔つきでその子に話しかける。

「ミズキ様。ここでしばらくお待ち下さい。今、お母上をここまで御案内してきますから」

そう言われて、男の子は急に不安になる。

「ははうえは、こんなところまできてくれるかなあ? みちにまよったりしない?」

「我々がついてるから大丈夫ですよ」

「ふたりともいっちゃうの?」

「ええ」

「・・・さみしいよ」

「すぐに帰ってきますから、大丈夫ですよ」

「ほんとうに?」

「ええ」

そうにっこり言われて、ミズキと呼ばれた男の子は渋々承諾した。

「はやくかえってきてね」

「はい。それでは」

そう言うと、二人は魔物よけのフードをさっきよりより深くかぶり、その場を一度も振り返らずに去っていってしまった。

男の子は魔物よけフードなどかぶっていなかった。

ただ、年相応の男の子らしく、少し薄めの長袖ブラウスと短パンを履いていただけだった。

ミズキはしばらく辺りを見回していた。

頭上では自分より何倍もある大きな木が外界からの光を大部分遮っていたが、かろうじて入る明かりから今がまだ昼間なのだという事を知る。

周りを見渡してみれば、どこまでも同じような木しか見えなくて、遊び盛りのミズキにとっては少々つまんなく思えた。

しばらくは近くに落ちていた枯れ枝を拾って、木の幹をなぞってみたり、下に生えている草を散らしてみたりしたが、それもしばらくしたら飽きてしまった。

 

どれくらいの時間が経っただろうか。

「へんなの・・・」

その場に寝そべっていたミズキがあることに気付いてぼそりとつぶやく。

「ここ、とり、いないのかな。なきごえぜんぜんきこえないよ」

少し拗ねたように言った、次の瞬間。

がさ。

ミズキのすぐ近くでそんな音がして、ミズキは心臓が飛び出るくらいびっくりして、思わず跳ね起きた。

しかも、音のした方から声をかけられて更に驚いた。

「なんで、こんなところに子供が?」

静かな声が聞こえて、振り向いてみた。

そこには、フードをかぶった大人が一人。

ミズキは相手が人間だと分かると、ほっとした。

「ぼくはここでははうえをまっているんだ。そっちこそここになんのようだ?」

偉そうに腕組みをしながら答える小さな少年に、フードの人物は首をかしげる。

「こんなところで待ち合わせ? それは、おかしいですね」

こんなところで待ち合わせなどしたら、それこそ互いに会う前に命を落としているか、又は一生会えないかのどちらかであろう。入念な準備がなければ。

おかしい、と言われてミズキはむっとする。

「おかしくなんかない! ここでははうえとまちあわせするやくそくなんだ!」

「その人はいつくる予定なのですか?」

「・・・よてい?」

「ああ。・・・ええと、いつごろくるんですか?」

そう言われた途端、ミズキは急に不安になって頭上を見上げた。

気付くと木々の間からわずかに見える空はオレンジ色をしていた。

「・・・・・・・・・わかんない」

不安に駆られてミズキは泣きそうになっていた。

「でも、すぐにくるっていってたもん」

大きな眼には涙がみるみるうちに溜まってきた。

フードの人物は、慌ててミズキの前に屈みこんできた。

「すみません。私が不安にさせてしまったのですね」

そう言ってミズキの顔を覗き込めば、ミズキはすでに大粒の涙を目から溢れさせていた。

「ねえ。なんで、こないの? ははうえ。すぐにくるっていってたのに」

「・・・もしかしたら、来るのに時間がかかっているのかもしれません。貴方もここにくるまでにたくさんたくさん歩いたのでしょう?」

その問いにミズキは黙って頷く。

「それに女の人は、貴方以上に歩きにくい格好をしています。来るのが遅いのは当たり前ですよ」

「そうなの?」

「そうです」

フードをかぶった大人にそう断言され、ミズキはほっとした。

「ですが、もう陽も暮れます」

「・・・ひも、くれる?」

「ああ。・・・ええと、お日様が沈んでしまう、ということです。そうするとここはとても冷えますし、それにとても危険です。私の住んでいる家に来ませんか?」

その誘いに、しかしミズキは泣きながらも顔を横に振る。

「は、はうえ、がくるから、ここに、いなきゃ、こんどは、はは、うえが、わかんなく、なっちゃう」

「・・・・・・・・・・・」

フードの大人はしばし、考えたあと、手に持っていたカゴを側に置き、おもむろにフードを外し始めた。

フードの下から出てきた物珍しくも、とても綺麗なものにミズキは泣くのをやめる。

腰までで、綺麗に切りそろえられている黒髪が、その人が顔を動かす度にさらさら動いてとてもおもしろかった。

自分を除く眼の色がとても珍しくて、思わず触りたくなった。

ミズキが泣き止んだのを見てほっとした大人は、自分のフードをミズキにかける。

かなり大きくて、毛布代わりにもなりそうだった。

「これは、魔物よけのフードです。貴方を危険なものから守ります。これを着ていれば魔物が近寄る事はまずありません」

そう説明しながら首のところにフードの紐を結んでいると、小さなミズキの手がしきりに自分の髪を触ってきた。

「珍しいですか?」

そう問えば、ミズキは自分の手から流れ落ちる黒髪の感触を楽しみながら、

「おもしろい」

と言って、何度も何度も髪を掬い上げては、手から流れ落ちさせる事を繰り返していた。

遊びながら、その小さな子の顔が笑っているのを知ると、大人は思わず安堵する。

しかし、大人は同時に確信していた。大事な幼子に、ここでは必需品な魔物よけフードをかぶらせず、こんな薄着でこんな時間までこんな森の奥深くに一人にさせておく。

これは、いわゆる「捨て子」だろうと。

最近、この迷いの森に子を捨てる親が多い、と聞いた事があるから。

この子を何とか自分の住む家まで連れて帰れれば良いのだけど。

でも、無理をさせるとまた泣き出してしまいそうだったから。

「一人ではつまんないでしょう? 私もここで一緒に待っていましょうか?」

その申し出に。

ミズキは大喜びした。

「うん。いいよ。ゆるす」

その偉そうな物言いに、大人は思わず口元をほころばせてしまう。

「それでは」

そう言って、その大人はミズキのすぐ側に座った。

ミズキはその大人にすぐべったり寄り添って、引き続き髪をいじりだした。

「おまえ、なまえは?」

「セルフォス、と言います」

「せ、せるほす?」

「セ、ル、フォ、ス、です」

「せ、る、ほ、す」

「・・・・・・・・まあ、いいです。それでも」

妥協された、と感じたミズキがむくれて、

「いいにくい」

と言えば、セルフォスは少し笑ってミズキの頭をなでる。

「そうかもしれません。貴方の名前は?」

「ミズキ!」

「いい名ですね」

褒められて、ミズキは満面の笑みをセルフォスに向ける。

「せるほすは、ここでなにしてたの?」

「薬草を摘んでたんですよ」

そう言って、摘み終えた薬草でいっぱいのカゴを見せれば。

「なんだ。ただのくさじゃん」

「や、く、そ、う、です」

「やくそう?」

「ええ。貴方は転んで怪我をしたり、風邪を引いて寝込んだ事はありませんか?」

「ある!」

「その時、何か塗られたり、苦いものを飲まされたりしませんでした?」

「ある」

「それは「薬」と言って、これが原材料なんですよ」

「げ、げんざいりょう? って?」

「これから、「薬」ができるんです」

「へえええええ〜」

ミズキは感心したようにカゴを見つめる。

「さて、ミズキ、お腹がすいたりしてませんか?」

「うん。すいた」

「じゃあ、少しの間、ここで待っていてくれませんか? 私はごはんを持ってきますから」

その台詞を聞いた途端、ミズキはセルフォスにがしっとしがみついてきた。

「ミズキ?」

「せるほすも、いなくなっちゃうの?」

「すぐに戻ってきますよ? 家は近いですから。そうですね。一時間もあれば大抵のものはそろえられますし」

「??」

「一時間あれば、帰ってきます」

「いちじかんてどのくらい? いえってどこ?」

「寂しいなら、一緒に来ますか?」

その問いに、ミズキは首を思いっきり横に何度も振る。

その態度にセルフォスは溜息をつく。

「じゃあ、ミズキは絵を上手にかけます?」

「かけるよ? ぼく、ははうえになんかいもほめられたもん」

「そうですか。じゃあ、私がいない間、私の絵を描いていてください」

「え?」

「そう、絵です。私が帰ってくるまでに完成させておいて下さいね」

「でも、どこにかいたらいいの?」

「そうですね・・・。ああ。そこの、ちょうど草が生えてない土のところに」

「・・・・・うん。わかった!」

そう言うと、ミズキは枯れ枝を持って草の上に寝転び、地面をがりがり削り始めた。

「上手く書いてくださいね」

「わかってるよ! せるほすもはやくかえってきてね」

 

いつもより帰宅が遅いセルフォスを心配して、王―セルヒが家の玄関のドアがある前でうろうろしだした時、セルフォスが帰宅した。

「遅くなりました」

「セルフォス! 心配したぞ?」

帰宅したセルフォスを急いで迎え、抱きしめるセルヒ。

「すみません。ですが、王、私はまた出掛けなくてはいけなくなりました」

「何!?」

慌てて、抱きしめる手を緩めて、セルフォスを見つめる。

「? セルフォス、魔物よけのフードをかぶって出て行ったのではないのか?」

「それは、人にあげました。すみません。王、本当に急いでいるのです。私に数日分の保存食と毛布を与えてはいただけませんでしょうか?」

薬草の入った籠をセルヒに渡し、そう懇願する。

「一体何を見つけたんじゃ? 人か? 人ならここの小屋に来てもらえばよかろう。それに外は危険じゃぞ?」

「ええ。それは充分承知です。ですが、その子はそこから動こうとしないし、かと言って見捨てるわけにもいきませんから。代わりに私がそこに行く事にしたのです」

その台詞にセルヒは深い溜息をつく。

「捨て子か・・・・」

「はい。ですが、いままでこのような森の深い所まで捨て子がくるなどいままでなかったことです」

「まあ、そうじゃが・・・。うむ・・・」

そう言って、セルヒは深く考え込んだ。

やがて、諦めたように深い溜息を一つつくと、セルヒはこう言った。

「これも運命かの。良い。数日分の食料と毛布、持っていくが良い」

「ありがとうございます」

王のその台詞に満面の笑みを浮かべるセルフォス。

「良い。我は主のその顔を見たいのじゃからな」

そう言って、微笑む王にセルフォスは思わず、顔を赤らめる。

「ああ。そうじゃ、準備が済んだら我に声をかけておくれ。主に渡したいものがある」

 

 

深い森の中。

日はとっくに沈み、闇があたりを覆っていた。

ミズキはセルフォスからもらったマントについていたフードをできる限り深くかぶり、背中を木に押し付けてなるべく小さくなっていた。

セルフォスから言われてた絵はもうとっくに描きあがっていた。

その時。

「遅くなりました。ミズキ。どこにいますか?」

聞き覚えのある、声。

ミズキはフードを思い切り外すと、声のする方を振り向いた。

「ここだよ! ぼくはここだよ! せるほす!」

そこには、手にランタンを持ったセルフォスが立っていた。

「ああ、そこでしたか。すみません。遅くなりました」

そう言って謝りかけたセルフォスの体にミズキが飛び込んできた。

セルフォスの着ているケープの裾に顔を埋め、その小さな手はセルフォスの足に回された。

「かえってこないかとおもった」

「帰ってくると言ったじゃないですか」

「うん」

「私は約束を破ったりはしませんよ?」

「うん!」

二度目の返事とともに、ミズキは満面の笑みをセルフォスに向けた。

 

ミズキに持ってきた保存食を与えている間、セルフォスは持ってきた荷物を整理し始めた。

ちょうど自分たちのいる場所の真上に細く伸びている枝があったので、そこにランタンを掛けたら、周りが一気に明るくなった。

「あ。そうだ。ねえねえ。ぼく、せるほす書いたよ」

「ああ。そうでしたね。どれどれ」

そう言って、ランタンで照らされた地面の一角を覗いてみれば。

「これは・・・・、また独創的な絵ですね」

「どくそうてき?」

「すばらしい、ということですよ。その、ミズキは私の髪と目しか見てなかったのですか?」

「だってほかはむずかしいんだもん。でも、ははうえにも、すばらしいってよくいわれたよ」

そう言ってにこにこ笑うミズキ。

それを笑顔で返しながら、セルフォスは、他に言葉が思い浮かばなかったのだろうな、その人も、と思った。

やがてミズキの食事も終わった頃、セルフォスは荷物の中から、光る八角形の宝石を取り出した。

「うわあ。きれい。それなに?」

「魔物を寄せ付けない結界を張るための道具だと聞いてます」

そう。セルヒが出掛け間際にセルフォスに渡したものとはこれだったのだ。

「これがあれば、魔物が近くに来て、ミズキを発見しても決して手を出せなくなるそうですよ?」

「あんぜん、てこと?」

「ええ。そうですね・・・。ここの木から、あそこの木の間までなら。だからここからなるべく出てはいけませんよ?」

「うん。わかった」

素直に頷くミズキに安堵したあと、セルフォスは毛布をひき始めた。

「今日はここで寝ます。下に何枚か引くから寝心地は悪くはないと思うんですが」

ミズキはセルフォスの片腕に自分の小さな手を絡ませる。

「一緒に寝れるの!?」

「・・・・・・・ええ。まあ、そういうことになりますね・・・」

そう言うと、少年はまたもこれ以上ないくらいの笑顔で笑った。

本当は二人分の毛布があったのだが、セルフォスはそれをそっと隠し、一人分の毛布しか引かなかった。

 

だって自分もそうだったから。

一人で寝る事が怖かった日に、王に添い寝をされて、どれだけ心が安らいだか。

どれだけ安心したか。

知っているから。

 

「こうやってねー、だれかといっしょにねるのはじめてなんだ!」

「そうなのですか?」

「うん。ははうえが、りっぱなおとこになるにはいまからあまえていてはいけないといっていたから」

「・・・・・・・・・」

寝そべりながら、セルフォスの髪をまたいじりだしている幼子の頭をゆっくり撫でてやる。

「ぼくのいえのべっどはすごいひろいんだよー! こんどせるほすにもみせてあげるよ!」

自慢げに話すミズキの頭を愛し気に撫でてやる。

それだけで、ミズキは微笑む。

そのとき不意にセルフォスは、守らなくては、と思った。

この幼子を守らなくては、と思った。

 

 

次の日になっても、ミズキの母親が現れる気配はなかった。

それでも、セルフォスに会えた事と、セルフォスとともに遊ぶことに夢中になっていた少年は、最初は母親が迎えに来ることなど、どうでも良くなっていた。

ところが、次の日の夕方になってもミズキの母親が現れないと、ミズキは急に不安になった。

「ねえ、せるほす。ははうえおそいね・・・」

心細そうに弱々しくそんな台詞をはく。

「・・・そうですね」

答えながら、セルフォスの心臓はかなり大きな音を立てていた。

辛い現実を教えなければならない時がきたのだろうか。

そう考えると、心臓を鷲掴みにされる気分になった。

「なんでこないんだろ」

「・・・・・・・・」

「ぼく、ひとりでまってなきゃいけなかったのかなあ。せるほすといっしょにいたからははうえ、こないのかな」

そう言って、セルフォスをじっと見るミズキ。

「せるほすといっしょにいたから、ぼく、ほかのいえのこだっておもわれちゃったのかな」

「そんなことないですよ。自分の子ぐらい、誰といたって分かりますよ」

セルフォスが、気遣いから言った言葉。

だが、それはミズキが一番認めたくなかった言葉で。

「じゃあ、なんでははうえはむかえにこないの!? ぼくずっと、ずーっとまってるのに!」

怒り、というよりかそれは癇癪で。

ただそれは止まる事なくセルフォスに向けられた。

ついさっきまで、しがみついて離れなかった小さな手が、今度はセルフォスの身体を突き飛ばそうとする。

セルフォスを拒絶しようとする。

「せるほすがいるからだ! おまえがいるからははうえがこなくなっちゃったんだ!」

セルフォスはその癇癪を上手く流す術を知らず。

ただ、ミズキが言ったことに対してショックを受けていた。

「おまえのせいでははうえがこないんだ! おまえなんてもういらない! どっかにきえちゃえ!」

繰り返し自分の身体を突き飛ばす小さな手。

決して自分を見ない顔。

セルフォスにとっては、それだけで充分だった。

 

 

「お帰りなさい! セルフォスさん! 3日ぶりだね!」

久しぶりに家に帰ってみれば、そこには今さっきまで拒絶された自分を優しく迎えてくれる声。

「・・・・・お久しぶりです。メルバ殿」

「・・・元気ない? 大丈夫?」

心配そうに顔を覗き込む、千里眼を持つ竜、メルバにセルフォスは弱々しく笑う。

「大丈夫です」

その時、扉が開きセルヒが入ってきた。

セルヒは、セルフォスを一目みるなり急に怪訝な顔をした。

そしてそっとセルフォスを抱きしめる。

「どうした? 何をそんなに傷ついておる?」

優しい、自分を気遣ったその言葉に、セルフォスは思わずセルヒの服をきつく掴む。

「いらない、といわれました」

「・・・・・・・・」

「おまえなんかいらない、といわれました。だから・・・」

そう言ってセルフォスはぎゅっと眼をつぶる。

「だから帰ってきたのか? 幼子一人森に残して」

セルヒのその言葉にはっとして、セルフォスはセルヒから身を離す。

「主は良かろう。傷ついても帰る家がある。味方がおる。じゃが、その子はどうじゃ」

セルヒの言葉にセルフォスの顔が青ざめていく。

そんなセルフォスの肩をしっかり掴むと、セルヒはセルフォスの眼を見つめる。

「主は、ばかじゃ。いらないなんて、そんなの嘘に決まっておろう。早う戻ってやれ。今頃泣いておるぞ」

それだけ言うと、セルヒはセルフォスに背を向ける。

セルフォスはその背に向かって、軽く一礼だけすると慌てて家を飛び出していった。

 

そうだ。

そうだった。

私は自分の事しか考えていなくて。

ミズキがあの言葉でどれだけ自分自身も傷つけたのか、それすら気付いてあげられなくて。

自分だけ逃げて。

逃げれる場所があって。

あの子はないのに!

 

しばらく走ると、遠くから泣き声が聞こえた。

森はすでに闇に覆われていて、セルフォスは自分以外の気配があの泣き声に反応してその声がする方に移動するのを感じ取った。

きっと、魔物が声に誘われて集まり始めているのだ。

セルフォスは、護身用に身につけていた細身の剣を腰から抜くと、ミズキの元に急いだ。

 

ミズキは、ただ怖くて泣いていた。

セルフォスがいなくなったときに、これでいいんだと自分自身に言い聞かせて母親を待っていたのはいいが、その強がりも5分も持たず。

結局、すぐにセルフォスの名を呼んだのにセルフォスは来なくて。

心細くて泣いていたら、近くで草を掻き分ける音がしたからセルフォスだと思って振り向いたら、そこにいたのは大きな口を開けた魔物が立っていたのだ。

光る宝石のせいで、魔物がミズキに手を出す事は出来なかったが、目の前で魔物にうろうろされていては怖い事この上ない。

怖くて泣き出したら、更に魔物が寄ってきたのだから、ミズキはもう混乱して泣きじゃくるしかなかった。

セルフォスがミズキの姿を確認できる位置まで来たとき、幸いそこに来ていた魔物は3頭だけだった。

全ての魔物がミズキに集中してくれているお陰で、最初の一頭は後ろから急所を刺し、無理なく殺せた。

「ミズキ!」

戦いながら、ミズキの名を呼んだ。

少しでも早く謝りたかった。

「ミズキ!」

その声に、ミズキが反応して一瞬泣くのをやめる。

「・・・・せるほす?」

「そうです。私です。ミズキ」

「せるほす!」

二頭目もなんとか殺せた。

「ミズキ。そこから動かないで。出たら魔物に襲われてしまう」

だが、ミズキにとってはセルフォスに会えたこと以外頭に入らなくて。

「せるほす! せるほす!」

小さな手が、腕がこれ以上ないくらい伸ばされて、セルフォスの元に辿り着こうと必死になる。

「ミズキ!」

ミズキがとうとう結界から出てしまった。

「せるほす!」

そう言ってセルフォスに無我夢中でしがみつくミズキ。

隙をつくってはいけない、と思いつつも、この小さな手が再び自分を頼ってくれる事が、胸が苦しくなるくらい嬉しくて。

逃げた自分を再び受け入れてくれるのがたまらなく嬉しくて。

セルフォスも思わず、ミズキを抱きしめ返してしまった。

「っつ!」

その隙に、魔物がセルフォスの背中に鋭い一撃をあてる。

とっさに翻した剣が、魔物の頭部を貫き、とうとう最後の一頭も倒れた。

背中の痛みをこらえながらも、セルフォスはその場にしゃがみこみ、ミズキを見つめる。

ミズキはかなり泣きじゃくっていて、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

セルフォスは、それでも構わなかった。

「ミズキ」

ミズキの身体をぎゅっと抱きしめる。

「ばか! せるほすのばか! なんでよんでもこなかったんだよ!」

「ミズキ」

泣きながらもそれだけ言うと、ミズキはより一層大きな声をあげて泣いた。

「ごめん」

セルフォスはミズキをより強く抱きしめるとそう言った。

「ごめんね。ミズキ」

一人にしてごめん。

気付くのが遅くなってごめん。

寂しい思いをさせて、ごめんね。

 

「あ、あんなの。うそ、だよ」

しばらくして、ミズキが、少しづつ泣き止んできた頃声をしゃくりあげながらそう言った。

「せ、せるほす、がいらない、なん、て、うそだよ」

言いながら、抱きしめる手に力を込めるその仕草が嬉しくて。

ミズキの身体を愛しく、愛しく抱きしめ返す。

「はい」

「だから、どこにも、いっちゃ、やだよ」

「はい」

「そば、に、いてね」

「はい」

「ずっと、ずっと、そばに、いてね」

「はい。います」

いとおしく抱きしめながら、嬉しげに微笑んでそう言う。

「ずっと側にいますよ。ミズキ」

背中の痛さなんて、もう感じなかった。

 

 

その後、この場所で魔物に出くわすという恐怖体験をしたミズキは、再度家に来るかと言ったセルフォスの誘いをいとも簡単に承諾した。

そうして、家に帰った二人を出迎えたのはセルヒの笑顔で。

「おお! やっと帰ってきおったな! セルフォス」

「は。ご心配おかけしました」

「良い。無事な顔を見せてくれるのが何よりじゃ」

そう言って、いつも通りセルフォスを抱きしめたセルヒ。

だが、抱きしめた先の手の感触に違和感を覚え、急いで身体を離し、セルフォスの背中を見る。

「! な、何をしたんじゃ! これは!」

「あ。いえ・・・。その、魔物に・・・」

「魔物!? これは、いかん! すぐに治療せねば!」

そう言って、セルフォスの腕を引き、奥の部屋に連れて行こうとするセルヒを留めたのは、彼の行き先を遮るように両腕を思い切り広げたミズキだった。

「せるほすをつれていっちゃやだ! せるほすはずっとぼくのそばにいるんだ!」

一生懸命にセルヒに向かって睨みを効かせているミズキに、セルヒは衝撃的な事実をいともあっさり口にした。

「ああ。主が親に捨てられた子か」

その台詞を聞いて、ミズキは怒り出す。

「ははうえはむかえにくる! うそをつくな!」

「いいや、嘘はついておらぬ。主は親にいらないといわれた子じゃ」

はっきりとそう言われて、ミズキは愕然とした。

「うそだ」

「嘘ではない」

「うそだ! だって、せるほす・・・」

縋る様な眼で見られて、セルフォスは言葉を失う。

「せるほす、いったもん。むかえにくるかもって」

何も言い返してこないセルフォスを見て、ミズキは焦る。

「せるほす、いったもん!!」

耐え切れなくなって叫びだす。

「それは、主を傷つけない為に言った言葉じゃ。セルフォスは優しいからの。それに、セルフォスが言ったのは、「かも」じゃろ? 絶対とは言っておらぬ。だが、我はセルフォスほど優しくないからの」

そう言うと、セルヒはミズキの目線に合う高さまでしゃがみこむ。

そして、ミズキの大きな目を捉えたまま、はっきりと言った。

「断言してやる。主の親は絶対迎えに来ぬ。主は捨てられたのじゃ」

絶対来ない。捨てられた。

心のどこかではそういう気持ちがあった。

だけど、同時に芽生えた、セルフォスの言葉だけを希望の光にして、そういう気持ちは心の奥の方へ追いやっていた。

そう思ってしまえば、必ずそうなってしまうような気がして。

だけど今、心の内の否定したかった、けれど現実にとても近かった予想を他人によって完全な現実にされてしまって。

しかも、それが真実で。

ミズキはくやしさと捨てられた悲しさから、ただただ大声を上げて泣くしかなかった。

 

立ち尽くしたまま泣くミズキをそっと抱きしめるのはセルフォスで。

痛々しい背中をセルヒに向けたまま、ミズキを抱き上げる。

「我を恨むなら、それでも構わぬ」

何も言わないセルフォスに、セルヒは言った。

「・・・・いいえ」

そう言って、振り向いたセルフォスは泣きそうな顔をしていた。

「貴方は優しすぎます」

どうして、この優しい王はいつも自分をかばってくれるのか。

自分を庇って、己を傷つけるのか。

本当は自分がミズキに言わなきゃいけなかった。

けじめの為に。

きっぱりと。

捨てられたんだ、と。

でも、王は自分が悪者になることで、ミズキの怒りを一心に背負った。

私の代わりに。

私には、王にそこまでしてもらう価値など、どこにもないのに。

「優しくはない。現実を教えたまでじゃ」

「・・・・・・」

「だから、恨まれるならそれも仕方なかろう」

「いいえ。ありがとうございます、王」

「礼を言われるようなことはしておらぬ」

そう言って、顔を背ける王。

照れ隠しからなのか。

しかし、その思いやりがセルフォスには泣きたくなるくらい嬉しかった。

やがて、泣くのが少し収まってきたミズキは、セルフォスの服をぎゅっとつかんだまま、泣きつかれて眠ってしまった。

セルフォスはそんなミズキを愛しそうに撫でる。

 

「私はずっと側にいますよ。ミズキ」

そんな事を呟きながら。

 

そして、眠っていながらもミズキの小さな手がそれに応じるかのようにより強く服を握ってくれたのが、嬉しかった。