夏の暑い日の薬の天日干しが、いかに暑いか、いかに汗をかくか、その汗のせいでいかに体が気持ち悪くなるか、言っても分からなかったので、セルフォスの留守中にヘリオライトの独断で店長に実際体験してもらったところ、なんと、バスタブとシャワーがついた浴室を設置してくれた。
嬉しかったがシャワーだけで良かったのに、とヘリオライトが言ったら、店長はにっこり笑って、バスタブはセルフォスの為だよ と言った。
その日以来彼は休憩時間、気が向くと必ずバスタブにいる。
何をしているかというと。
洋服を着たまま、バスタブいっぱいに張り詰めた水の中に浸かっていた。
「何をしているんだ?」
「水に浸かっています」
「いや、それは分かるが・・・。また何故?」
セルフォスは気持ちよさそうにバスタブの縁に頭を乗っけて、眼をつぶっていた。服は相変わらず着たままである。
黒い髪は開花した花のように水に散らばっている。
セルフォスは甘いため息をはくように、言葉を綴る。
「水が 」
「水が?」
「とても・・・」
「・・・とても?」
何故だろう?
セルフォスの綴る言葉に変に胸がどきどきするのは。
「気持ちいいのです」
その言葉に、一段と大きく胸が鳴った。
言葉を綴る唇が、妙に艶やかに見える。
色がいつもより鮮やかに見える。
何故だろう?
「何をしてるのです?」
不機嫌な声でそう言われてヘリオライトは我に返る。
気がつくと、自分から顔をセルフォスの間近まで近づけていた。
「うわっ!! っぶねー!!」
慌ててセルフォスから顔を離す。
「それはこっちの台詞です」
セルフォスはまだ不機嫌顔だ。眉間にシワまで寄っている。
「一体なにがしたいのです? 人の楽しいひと時を邪魔しに来たのですか?」
「ああ。いや。そうじゃない。お客だ」
「お客? 昼休みでお店はしまっていると知りながら、ですか?」
「知りながらも、だ。しかもご指名」
嫌な予感がするのか、セルフォスの顔の眉間のシワが一層深くなる。
「一体誰ですか?」
まさか、というような声の雰囲気にヘリオライトはそのまさかだ、という感じで肩をすくめておどけてみせる。
「街一番の大富豪の息子さんがご来店さ」
セルフォスはがっくりとうなだれた。
街一番の大富豪、デリ家の一人息子は大の竜好きだ。
それは何も彼だけではなくその父親、現デリ家の当主もそうだ。
しかも、その二人、特に父親の方を竜好きにしてしまったのは、大元をただせばどうやらセルフォスらしいのである。
「昔、一度だけこの付近で変身してしまったとき、彼が目撃したそうなんですよ」
この薬屋を一度崩壊させたときである。
彼曰く、
「それでもかなり離れて細心の注意を払ったつもりなんですが、翼のはじがたまたまぶつかってしまって・・・」
店長にこっぴどく怒られたそうだ。
「彼はそのとき私が竜の姿になった写真もとったそうなんですよ」
その写真を見せながら、あの時のセルフォスはいかに雄々しかったか、いかに美しかったか、そのときいかに自分は感動したかをそれはそれは毎日、かわいい一人息子に語って聞かせたそうだ。しかも熱心に。
息子は当然なるべくしてなった竜好きといえよう。
その憧れの竜自身が街外れの薬屋で薬を売っているとなれば、見に行かずには、話しかけずにはいられまい。
その事実を知った直後の彼は毎日薬屋に通い詰めた。
とにかく通い詰めた。
そしてとことん通い詰めた結果。
セルフォスがカウンターに出なくなってしまった。
まあ、当然の結果といえばそう言えよう。
父親にも窘められ、今はこうしてまれに会いにくるぐらいなのだが。
が。
はた迷惑にも、意外な時間の方がセルフォスに会える確率が高いかも、と思っているらしく、まれにこうやってこちらの都合を無視した時間に会いにくる。
しかも、一番やっかいなのが、彼自身はまったく気がついていないが、ここで彼を軽くあしらってしまったりしたら、彼の父親がその権力とお金を使ってこの薬屋にどんな報復をするか分からない、ということである。
「今、行きます。もうしばらくお待たせするかもしれませんが」
何かを吹っ切ったように、セルフォスがバスタブから立ち上がる。
洋服が水を吸って重そうだ。かなりの水量が、セルフォスの服や髪から流れ落ちる。
(脱ぎにくそうだな・・。)
そう心の中で思いつつ、
「んー。分かった。じゃあー。もう少し待っててもらうよ」
彼のその水びだしの格好から何故か目が離せず、ヘリオライトは曖昧に返答をした。
ヘリオライトがカウンターに再び姿を現すと、デリ家の息子、ロバートは期待の目でソファーから立ち上がった。しかし、ヘリオライトしかいないと分かるとまた落胆して、ソファーに静かに座った。
ヘリオライトは俺しかいなくて悪かったな、と心の中で悪態をついたが、そんな事はおくびにも出さないような営業スマイルにさも申し訳なさそうな口調を加えて、
「すみません。お待たせしております。セルフォスはあと数分もすれば来ると思いますので」
「いえ。いいのです。こちらこそ、このような時間にお邪魔してしまい、勢いで来てしまったとはいえ、申し訳なく思ってます・・・。すみません」
セルフォスの事になると見境なくなるが、本来はとても礼儀正しい青少年なのだろうな、とヘリオライトは思う。
明るめの茶色い短く切った髪に、きりっとしたいかにも誠実そうな顔立ち。おまけに金もあるとくれば、街の女性達はほっておかないだろう。
こういう奴と自分は合わないだろーなー、とヘリオライトは思う。
近くにいたらいじめてしまいそうだ。
カウンターに頬杖をついて、そんな事をのんびり考えてたら背後から注意された。
「接客態度が悪いですよ。ヘリオライト」
「セルフォス!!」
彼の姿を見た途端、ロバートはソファーから勢いよく立ち上がってそう叫んだ。
セルフォスはロバートの方を向き、
「お久しぶりです。大変お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」
相変わらずの無表情に感情のこもっていない淡々とした口調でそう言った。
(どっちが接客態度が悪いんだか・・・)
ヘリオライトはそう思って、ロバートの方を見たが、彼はもうセルフォスに会えて、しかも話しかけられたというだけで、かなり舞い上がってしまっているようだ。
顔を真っ赤にさせ、目は陶酔しきっている。
なるほど。
これでセルフォスが彼に微笑みかけようものなら。
俺達は彼を病院に運ばなきゃいけなくなるな。
ヘリオライトはしみじみとそう思った。実は、ヘリオライトはこういったことに最初から付き合うのは初めてだったりする。なぜなら、いつも何かしらヘリオライトが他の用事でセルフォスの近くにいない時に、ロバートとセルフォスは接触していたから。
「お久しぶりです。セルフォス。貴方に会えない間、とても寂しかったです。ところで、どうして髪が濡れているのですか?」
「さっきまで、浴槽に浸かってましたから」
「え? ・・・・・・・えええええ!?」
何を想像したのか、ロバートは赤い顔を更に真っ赤にして動揺した。
「それは、申し訳ありませんでした!! で、でもちょっと見てみたかったかも・・」
「見てもおもしろくありませんよ?」
「そんなことありませんよ!!貴方の体はとても綺麗に違いない!!そんな人が入浴するのを見ていてもつまらないだなんて誰が思いましょうか!?」
いきなり、いきり立ってとんでもないことを言ったデリ家の一人息子に言われた当人は顔色一つ変えず、
「服は脱いでませんし、入浴もしてません」
と、訂正した。
「え?」
「だから水に浸かってたんです。服も着たまま」
呆気に取られたまま、ロバートが、
「な、何故? 浸かって何をしてるのです?」
と聞いたとき。
「何もしてません。ただ、目をつぶっています。でも、それがとても気持ちいいのですよ」
そう答えたセルフォスの、浴室でヘリオライトに見せた表情をほんの一瞬だがロバートが見たとき。
それまで、そんなセルフォスの奇怪な行動に対しての疑問は一気に吹っ飛んだ。
「そ、そうですよね!!! 気持ちよければ何でも有りです!! 私はそう思います!」
さっきまで、ハテナマークをたくさん頭の上につけていた男が何を言う。
ヘリオライトは呆れた。
「でも、そういうことでしたら、是非我が家においで下さい。ここより、はるかに広い浴槽がありますから思う存分手足を伸ばして浸かれますよ?」
そんなあからさまな誘いにセルフォスがのるかっつーの。
そう思って、ヘリオライトはセルフォスの顔を見た。
そして思わずぎょっとした。
「広さはどのくらいなのですか?」
「ええと。そうですね。このお店ぐらいはありますよ?」
ロバートには分からないだろうが、長年同僚だったヘリオライトは分かる。
セルフォスはあきらかに興味を引かれている。
「それはかなり広いですね」
「いかがでしょう?」
「いいですね」
やばい。セルフォスは乗り気だ。
「では、我が家にいらしてくださいますか!? 父もきっと喜びます!」
「そうですね・・・・・」
まんざらでもない様子はここまでくるとさすがにロバートにも伝わっているようだ。
このままでは、下手をすると今夜にでもセルフォスはデリ家に行きかねない。
いい解決案を何か・・・・、と頭で思っていた。
だが。
体はいつのまにか「いいですね」と言った直後のセルフォスの頭をはたいていた。
「あ」
当然、ロバートは怒り、セルフォスもまた怒っていた。
「いきなりなんで頭をはたくんですか?」
「そうですよ!! この、麗しいセルフォスの頭をはたくなんて!!」
「あ。いや。その・・・」
ヘリオライトは一生懸命、形勢逆転になる台詞を考えた。
「なんですか?」
そして、思いついた苦肉の台詞。
「せっかく店長がセルフォスの為に作った浴槽なのに・・・と思って」
それがどうした。
ロバートは当然そう思っただろう。
だが、彼は知らないのだ。
セルフォスははっとして、そして。
「・・・・・・そうでしたね。じゃあ、彼の家にお邪魔するのはやめます」
きっぱりとそう言われて。
「え? なんでですか!?」
当然彼がうろたえるのも無理はない。だが。
「別に。気が変わったのです」
そう言われたロバートはあとは口をつぐむしかなかった。
ロバートは知らない。
セルフォスは店長がとても好きなのだ。
家に帰ったロバートは、その事を父に話し、父は怒って薬屋に怒鳴り込んでくるかと思いきや、そんな気まぐれなところもセルフォスらしくていい。と言い、息子もそれに同意した。結局、二人ともセルフォスに甘いのである。
当分、セルフォスがどんなに冷たい対応をこの親子にしようとも、デリ家が薬屋に報復をしてくることはないだろう。
そして、そのセルフォスといえば。
「気持ちいい〜」
相変わらず、気が向いたときには浴槽に浸かりにいって、至福の時を堪能し、たま〜に用があって入ってきたヘリオライトを悩ませている。