ヴェルガに運ばれてきた同僚の姿は見るも無残で。
今もこの目に、脳裏に焼きついて離れない。
白の一族(最終章)
「元気が、ありませんわね」
昼休み、気を抜いていたら向かいのソファに座っていたりくにそう言われた。
「あ? ああ。そう、かな。いや、そんなことはないぞ?」
りくに指摘され気を抜いていたヘリオライトは慌てて意識を戻し、りくに元気そうな振る舞いを見せた。
そんなわざとらしい動作を半目で見つめながらりくは溜息をつく。
「セルフォス様が体調がすぐれなくて長期休暇をとられただけで、もう片方の仕事仲間がこうではセルフォス様もおちおち休んでいられませんわ」
呆れた表情を浮かべるりくにヘリオライトは苦笑いを浮かべた。
りくは知らない。
セルフォスが薬屋に出てこられない本当の理由を。
彼女は病欠としか店長から聞いていないのだ。だから今も落ち着いてセルフォスの代わりに薬屋を手伝ってくれている。
だがヘリオライトはここにいる今も気が気でなかった。
同僚のあんな無残な姿を見せられて、それでも店番を続けてろなんて言われても出来るわけがない。
あの時ヘリオライトが最後に見た同僚はまだ意識が戻っていなかった。
「ヘリオライト!!」
薬屋の扉が大きく開け放たれ、一人カウンターで店番をしていたヘリオライトは思わず飛び上がった。
少し前にミズキの様子を見てくると言って出て行った同僚と、その後仕事に出かけていったヴェルガがいなくなってからヘリオライトは一人で薬屋の店番をしていた。
忙しくなったらどうしてくれるんだ、と同僚を恨みつつもその日は幸いにも客足は少なく、今も一人お客を見送ったところで。
「ヴェルガ? どうしたんだ? 仕事に行ったんじゃなかったのか?」
普段彼の取り乱した姿など一度も見たことのないヘリオライトはヴェルガの慌てっぷりにびっくりして。しかし次の瞬間彼が抱えているものに目が行く。
顔は大きな上着のような布で隠れていてよく見えなかったが、布の隙間からだらりとぶら下がった腕と足を見てヴェルガが抱えているのが人だと分かった。そして。
「・・・・!!」
だらりと下げられた手の先から滴るものを発見したとき、ヘリオライトは思わず息を呑んだ。
「ヘリオライト! お願いだ! 急いで傷口に直接塗りこめるような止血剤と、点滴型の抗生剤と増血剤を用意してくれ! それから、ガーゼと消毒液も! 包帯も!」
「ヴェルガ・・・。その人は一体・・・」
「大丈夫だ! まだ生きている! だけど! ああ、お願いだ。早く用意を! このままでは死んでしまう!! 血が、止まらないんだ!! ヘリオライト! セルフォスが死んでしまう!!」
最後の言葉にヘリオライトはぎくりと体を強張らせる。
まさか。
だがその時、抱えられていた人物の顔を覆っていた布が少し緩んだ。そして、その先に見えた青ざめた顔はまぎれもなくさっきミズキの様子を見に出かけていった自分の同僚だった。
「ヘリオライト様!」
何回目かの呼びかけにヘリオライトははっと意識を現実に引き戻す。
顔を上げてみればりくが少々怒ったような顔でこちらを覗き込んでくる。
「もうすぐお店を開ける時間ですわよ! ぼ〜っとするのも大概になさいませ」
「あ、ああ・・・。ごめん」
「・・・・・具合が悪いんですの? お顔の色が少々優れませんわ」
「いや・・・。大丈夫。・・・・昨日夜更かししちゃってさ。今日はどうも眠いんだ」
「まあ! 呆れた! 人が心配して聞いてみればそういうことだったんですの!?」
怒るりくにごめんごめんと笑顔で返す。
早く来てくださいましね、と少々怒りながらも休憩室を後にするりくを見送っていた笑顔も彼女が扉を閉めた途端、瞬時に消えた。
店長は大丈夫だといった。
あのセルフォスを何よりも大事にしている店長がそういうのならそうなんだろう。
だけど。
だけど、自分が見たあの傷は今まで見たこともないようなひどい傷だった。
薬屋には診察台がない。
だからヴェルガはセルフォスを仮眠室のベッドにうつ伏せに寝かせた。
震える手で彼の王が羽織らせた血を多く含んでしまった上着を恐る恐る剥いでいく。
その下は、血の海だった。
血が多すぎて傷口が良く見えない。
それでもオフェリアが治癒を施してくれたので、前に比べればかなりましなのだろう。
腕の傷も相当深いものだった。
彼の痛々しいその姿にヴェルガは思わず辛そうに目を細め、涙を流す。
「セルフォス。ごめん。わたしがもう少し早く来ていれば」
そうすればこんなに傷つかずにすんだのに。
意識を失わずにすんだのに。
その時、仮眠室のドアが開かれ両手に止血剤と消毒液のビンとガーゼと包帯を抱えたヘリオライトが入ってくる。
ヘリオライトはセルフォスのあまりの惨状に思わず入り口で体を強張らせる。
「・・・どういうことだよ」
顔を青ざめさせ、傷口を見た途端、ふつふつと湧き起こった怒りに体を震わせ、ヘリオライトはヴェルガに問うた。
「なんでこんな・・・・、どこの誰にやられたんだよ!!」
そう言って怒りをヴェルガにぶつける。だが、ヴェルガが振り向いたその顔をみた瞬間、ヘリオライトの怒りは一気にうろたえへと変わった。
ヴェルガは泣いていた。
そして涙を流しながらも、呆気に取られているヘリオライトの手から消毒液とガーゼを取ると、セルフォスの上着を脱がしにかかる。
そして、一番血の出ている背中の傷口に消毒液を思い切り流し込む。無意識にセルフォスの体が少し跳ねた。
そして一度消毒液で綺麗にされた傷口が再び血を流そうとするその前にヴェルガは急いで粉末状の止血剤をふりかけた。
「ごめん」
懸命に手を動かしながらヴェルガはヘリオライトにそう言った。
「わたしはセルフォスを守れなかった」
ヘリオライトは尚も愕然をしたまま扉に立ち尽くしていた。
「だけど、死なせないから」
その台詞にはっとなる。
「絶対に死なせないから」
そう言ってガーゼを傷口に押し当てた。
その言葉は誰に言ったものか。
ヘリオライトもセルフォスに恐る恐る近づいた。
昨日はりくに加え、店長も薬屋を手伝いに来ていた。
自分の店じゃからたまには手伝わんとのう、と呑気に笑いながら薬品室に入っていった店長を見て、りくは当たり前ですわ、と憤慨したものだ。
だがいつもと変わらない素振りをする店長もヘリオライトと二人の時はその表情を変えた。
「安心せい。セルフォスは生きておる。オフェリアがあれからずっと治癒を続けていてくれてての、今はだいぶ快方に向かっておる」
そう聞かされてもヘリオライトの心から不安は取り除けなかった。何故なら、
「それで、セルフォスは意識を取り戻したのですか?」
そう問うたヘリオライトに店長は曖昧に返事を返したから。
ヘリオライトは知っていた。店長とはセルフォス程ではないが、りくよりかは長い付き合いだから。
彼がそう笑っている今も疲労困憊だということを。時折足元がおぼつかなくなるのを見てりくはもうお年ではありませんこと? と皮肉を言ったが、ヘリオライトは笑えなかった。
きっとろくに寝ていないのだろうと思った。それは、ヘリオライトをより一層不安にさせた。店長が寝ていないということは、つまり待っているのだ。
セルフォスが快方に向かうことを。
彼の意識が戻ってくることを。
きっと彼の傍らで。ずっと。
生きてはいると聞かされても、とヘリオライトはひとりごちた。
「あの時の傷は本当にひどかったんですよ」
消毒液が血を一瞬傷口から拭い去った時、腕の傷の奥から白いものが見えた。それが、骨だと分かったとき、ヘリオライトは思わず体が震えた。全身から血の気が引いていく。
本当に生きているのだろうか。
心臓の音がやけに大きく聞こえた。
その時、仮眠室のドアが開いた。
ヴェルガはそちらの方を向くと慌てて頭を下げる。
ヘリオライトはセルフォスの傷口からなかなか目を離せないまま、だがしかし体を無理やりそちらに向けることで目を離すことに成功した。
ドアを開けた人物を見てみればそれは竜の王でもあり店長でもあるセルヒだった。
その後ろにはミズキも立っている。
セルフォスの傷はだいぶ包帯によって隠されてはいたが、それでもヘリオライトが先ほど見た腕の傷を二人も見て、思わず息を呑む。
「ヴェルガ。セルフォスは・・・」
震える声で問いかけるセルヒにヴェルガは頭を垂れたまま答える。
「意識はまだ戻っておりません。ですが、まだ生きております。傷口の消毒、それから止血もヘリオライトの助力により大幅終了しました」
「抗生剤と増血剤の投与は」
その問いにはヘリオライトが答えた。
「店長。先に止血と手当てを済ませてからでないと点滴は・・・」
はっとしてセルヒはヘリオライトを見る。そして、ぎこちない笑みを少し見せた。
「そう・・・じゃったな。すまぬ・・・。我としたことが・・・」
「いえ・・・」
いつもどんな状況に置いても常に余裕を見せていたセルヒがここまで余裕をなくすとは。
いままで半分夢の中にいるような気持ちでセルフォスの手当てをしていたヘリオライトは、セルヒのその態度を見て急に全てが重い現実なのだということを悟った。
だっていままではセルヒがなんとかしていてくれてたから。
だから今回もヘリオライトは、傷口の手当をしながらも、店長が来れば全てが解決するものだと思っていた。
そう、店長がくればセルフォスの傷なぞたいしたことはない、この薬を使えばすぐにでも良くなる、そう言ってくれて。店長がセルフォスに一声声をかければ、店長が大好きなセルフォスはうっすらと目を開けて。うつ伏せになりながらもヴェルガが近くにいることに文句を言いだして。
だが、それは現実ではなくて。
店長がセルフォスの顔の傍らにかがんで声をかけたときも、セルフォスの瞼はぴくりとも動かなかった。
「あれ? 今日はセルフォスはいないのですか?」
薬を調合した後、薬品室から出て彼に渡せば、街一番の大富豪デリ家の息子ロバートは少々意外な顔つきでヘリオライトを眺める。
「ええ。今は少々体の具合が優れないそうで・・・」
そう笑って返した自分はいつもどうりの笑顔だっただろうか。
声は震えていなかっただろうか。
ヘリオライトのそんな不安をよそに、ロバートは驚きをその顔にのせる。
「え!? それは大変だ。お見舞いに行かないと!! というか、竜でも風邪を引いたりするんですね!」
その問いにりくは少々むっとした表情で言葉を返す。
「誰だって体調が優れないときはありますわ。それは私だってセルフォス様の事は心配ですけどこういう場合は本人から顔を出すまで、そっとしておいた方が良いと思いますわ。野生の竜達は皆自分で健康管理をしています。自分が他人に構ってほしいとき、欲しくないときをしっかりわきまえて行動してますのよ? ですから貴方もセルフォス様をそっとしておかれたらいかがです?」
ロバートはりくのあまりな正論に何も一瞬何も言い返せなかったが、
「いや。でも、人間の場合はお見舞いに来てもらった方が嬉しく思う場合もあるでしょう?」
「それは人間の場合でしょう? 竜達は違うと言っているのです」
その台詞に今度はロバートがむっとして言葉を返す。
「貴方は先ほどから竜達についてよくご存知な様子で言葉を語られるが、本当にセルフォスの事を分かっていられるのですか? セルフォスは他の竜達とは違う。彼は人間に近い」
「それは貴方の概念からでしょう? 彼は竜に近いですわ!」
「それこそ貴方の思い込みだ! 貴方は一体竜達の、そしてセルフォスの何を分かっているのだ!?」
「ロバート様!!」
ヘリオライトが大声を張り上げた。
興奮していた二人が呆気に取られて、ヘリオライトの方を見つめる。
「セルフォスは、風邪ではありません・・・。ですが、体調が優れないのは事実のようで。先日私が見舞いに行ったときは、誰にも会いたくないようで、ドアすら開けてもらえませんでした。きっと・・・、プライドの高いあいつのことですから、弱った姿を・・・・、そう・・きっと弱った姿を誰にも見せたくないのでしょう。ですが、きっと体調が戻った暁にはまたここで働いていると思います。ですから・・・・ですから、今はどうかそっとしておいてやってくれませんか?」
自分は今、ちゃんと嘘がつけただろうか。
誰にもばれなかっただろうか。
はねる心臓を必死に宥めながら二人の反応を待ってみれば、二人はしばらくうつむいていたが、やがてロバートがやや諦めた笑顔を顔にのせ口を開く。
「相変わらず、セルフォスらしいですね。それではきっと私が見舞いに行っても同じ結果でしょうね。ならば、私は待ちましょう」
そしてりくに向き直る。
「すみませんでした。女性相手に声を張り上げてしまうなど、愚かな行為でした」
「いえ。いいんですのよ。貴方もセルフォス様の事が大好きですのね」
「ええ。この気持ちは誰にも負けない自信があります」
にっこりと笑顔でりくを見つめれば、りくも満面の笑みで返す。
「あら。私もですわ」
再びヘリオライトに止められるまで二人は笑顔のまま、見えない火花を散らしていた。
ロバートが半ば納得のいかない顔をして薬屋を出て行った後、りくは、
「驚きましたわ。あんな中途半端な知識を持たれた方がセルフォス様を好きだなんて!!」
と言って憤慨していた。
そういえば、この二人会うのは初めてだったかな、と心の隅で考えながら話題になっている同僚の事を考える。
「セルフォスはミズキを庇って、白竜6匹の攻撃をその身に受けたのじゃ」
そう聞いたとき、ヘリオライトは青ざめた顔をしてミズキに近づき、拳を高く振り上げた。
殴ってやるつもりだった。
だって、そもそもの原因はミズキのせいだって聞いたから。
最初は同情もした。こいつもセルフォスの事を本当に大事に思っているんだな、と。だが、その結果はどうだ? ミズキのせいでセルフォスは瀕死の状態に追い込まれている。結局はこいつが全ての種を蒔いたのだ。
こいつのせいでセルフォスは!
だが、ヘリオライトが下ろした拳は店長によって止められた。
「許してやれ。それはさっき我がやった」
「だって・・・!!」
「主の気持ちも充分分かる。だが、ミズキは充分に反省した。今はここにいる者たちの中で一番重い罪を抱えてさいなまれておるじゃろう」
ミズキを見れば、どこか気の抜けた者のようになっていて。ただただセルフォスを見つめて涙を流している。
「さて。手当てを続けておくれ。我は点滴の用意をしよう」
セルヒはそう言ってセルフォスの顔をひと撫ですると名残惜しそうにゆっくりその手を離す。
「ミズキ。主は休憩室のソファにでも座っておれ。セルフォスの治療が終わり次第主も連れて行く。だが、今はそんな気の抜けた顔で突っ立っていられては邪魔じゃ」
ミズキはゆっくり頷いて、仮眠室を出て行く。
やがて、セルフォスの傷の手当も一通り済み、今は背中と両腕に真っ白な包帯を何重にも巻かれ、点滴をされているセルフォスの傍らにセルヒが腰掛けていた。
ゆっくりゆっくりと頭を撫で続ける。
しかし、セルフォスの瞼はぴくりとも動かない。セルヒは不安になる自分の気持ちを必死に押さえ込みながらゆっくりとセルフォスの頭を撫で続ける。
セルフォスが元気になるように。
ただそれだけを願って。
不安な事は頭の中でさえ考えたくない。今のセルフォスならば、頭の中で考えた最悪の状態でさえ現実になってしまいそうだったから。そんな危うい状態だったから。
ヘリオライトはセルヒの更に斜め後ろからその光景を見守っていた。生憎ヘリオライトからはセルヒの顔は見えなかった。だからセルヒがそんな気持ちであるとは分からずに、彼はただ信じていた。今、セルヒがやっている行為はきっと意味のあるものであろうと。きっとセルフォスに精気を送り込んでいるのであろうと。そう思っていた。そうであって欲しいと願っていた。
「セルフォスは大丈夫じゃよ」
はっとしてセルフォスから顔を上げて店長を見た。
「すぐに良くなる。主が思っておるよりセルフォスは生命力が強いのじゃ」
その言葉を信じたかった。
だけど信じられなかった。どうしても信じられなかった。
だって店長はヘリオライトに安心させるような言葉をはいている、そんな時でも決してセルフォスの顔から目を離さなかったから。
にこりともせず。
瞬きすらせず、ただセルフォスの瞼が開く、その一瞬を逃すまいとしているかのように、動いて欲しいと願っているかのように。
そんな店長の余裕のない表情を見せ付けられて、どうして自分だけ信じることができようか。何を信じろというのか。
やがて。
点滴が終わった。
ここのところヴェルガは薬屋には帰ってきていない。有休をとっていると店長から聞いた。それを聞いたときのりくはかなり残念がっていた。
「人気のソムリエが間近で見れるチャンスでしたのに・・・」
りくはヴェルガが黒竜だということをまだ知らない。
もし知っていたならとっくにここにはいないだろう。きっとヴェルガを探すに違いない。
「りくも竜以外に興味があるんだ」
意外な顔つきでりくを見たら睨み返された。
「いい男を一目見てみたいというのは私だって例外ではありませんのよ? 中身はともかく外見だけで言わせて頂くなら雑誌で見た限り彼はかなりの美形でしたし」
「なら店に行ったらいいんじゃ・・・」
「照明が暗くてあまり良く顔を拝見できませんでしたわ。それに、生憎私、カウンター席で、彼はその時はテーブル席の方をお相手なさってたから」
「・・・・・・・・・・もう行ってたんだ・・・」
びっくりしてりくを見てみれば、りくは顔を赤くしながらヘリオライトを軽く睨む。
ヘリオライトは慌てて言い繕う。
「いや。ごめん。だって、その、さ。イメージが竜しかないから」
「・・・・・・・・・良いですわ。別に」
「本当にごめん! あ、そ、そうだ! ヴェルガが今度この店に帰ってきたら、りくの事話しておくから!」
そう言えばりくは慌てて。
「け、結構ですわ! 私なんて竜の研究しかしてませんもの! 彼にそんな風に思われるのは嫌ですわ! 変な女だと思われます!!」
顔を真っ赤にして慌てて否定するりくにヘリオライトは笑いかける。
「大丈夫だって! 上手く言っておくから! それにヴェルガは実はかなりの竜好きだから、りくが竜が好きだって言っておいた方が喜ぶと思うんだ」
「え? それは本当ですの!? なんか・・・意外です・・。だってそんな風には見えませんでしたもの・・・。でも・・・、もしそうなら嬉しいですわ! だって、もし万が一奇跡が起きて彼とお話できる機会があれば、私きっと彼を喜ばせることが出来そうですもの!」
本当に嬉しそうに微笑むりくは恋する少女のそれだ。セルフォスの時とはまた違う。
ヘリオライトはこんなところにもヴェルガの崇拝者がいたことにかなり驚いていた。りくは例外だろうと思っていたのに。
少しだけ妬けた。
だが、そんな話題になっている当のヴェルガの恋の行方はきっとこの先奇跡でも起きない限り永遠に報われることはないだろう。
ヘリオライトはそう思って妬けた心を鎮めた。
結局りくは薬屋が閉まってヘリオライトと別れるまで終始御機嫌だった。
「それではお先に失礼しますわ。明日はセルフォス様、元気になられていると良いですね」
「ああ」
そう言ってりくを見送ったあと、ヘリオライトは休憩室のソファに身体を投げ出した。
疲れた。
重い息を吐き出す。
自分が考えたいのは今セルフォスが生きているのかどうか、無事かどうかという事だけだ。
なのに、他の奴らはそんな自分の気持ちなどお構いもせずに余計な事で自分の気を散らす。
惑わす。
いっそのこと、真実を吐けたらどんなに楽か。
だけどそれは出来なかった。それは、店長に止められていたのもあったが、もし他の人に言ってしまったらそれがもっと深刻になってしまいそうで。自分の中にとどめているうちはそれはまだ深刻になることなく終わりそうで。自分に出来ることはただ願うことしか出来なくて。
歯痒い。
何も出来ないことが、ただ。
歯痒くて仕方がなかった。
と、その時。
休憩室の扉が急に開いた。
りくが帰ってきたのか、と思って立ってみればそこにいたのは店長だった。
心臓が一瞬大きく跳ねた。
「店長・・・・」
セルフォスの様子を聞きたかった。でも、心臓の音があまりにも大きすぎて、上手く喋ることが出来なかった。それに聞けなかった。
店長はにこりともしなかったから。ただ真顔で。
「主に見せたいものがある」
そう言って背を向けたから。
その後ろ姿から思わずセルフォスが運ばれていった姿を思い出してしまう。
あの時のセルフォスはただの意志のない人形の様で。抱えられても何も反応せず、重力にも反抗せず引かれるがまま両腕と足をだらりとさせていた。それはヘリオライトを一層不安にさせた。
自分の治療法は合っていただろうか。処置は全力を本当に出し切っただろうか。遅すぎてはいないだろうか。
彼は。
彼は本当に生きているのだろうか。
もし自分のせいでもう生きていなかったらどうしよう。
あのとき店長はゆっくりセルフォスを運び、今と同じように背中を向けて、同じような顔をしてこの薬屋出て行った。ミズキと共に。
そして今も同じだ。
店長が自分に見せたいものとは何だろうか。最悪の結果だけは思いたくない。
ヘリオライトは店長に続いてゆっくりと表に出た。
そこには竜に変身した店長がいた。
「今は何も考えるでない」
竜に変身した店長セルヒの背中にしがみつきながら、セルフォスの事で不安を募らせていたヘリオライトはセルヒにそう言われてはっとする。
「もう着く。話はそれからしよう」
そしてセルヒは着陸の姿勢を取った。
「ヘリオライト」
店長の小屋を開けてみたら、最初に合ったのは少々疲れた表情をしたヴェルガだった。彼もきっとほとんど寝ていないのだろう。それはヘリオライトをより不安にさせた。
「ヴェルガ。店長が、俺に見せたいものがあるって・・・」
「ああ。こっちだ」
そう言って背を向けるヴェルガにヘリオライトは思わず噛み付く。
「なあ、見せたいものって何だ!? まさか、そうじゃないだろうな!? セルフォスは! セルフォスは生きているだろうな!?」
ヴェルガは振り向きもせずただ家の奥の方にヘリオライトを案内する。
「なあ! どうなんだよ! もし、もしセルフォスが生きていないんだったら! 俺はそんな結果は見たくないぞ!?」
今までの不安が焦りとなって一気に爆発する。ヘリオライトはヴェルガの腕を掴んで無理やり振り向かせる。
だがしかし彼は一言こう言っただけだった。
「この部屋だよ」
そう言ってドアを開けてヘリオライトに中に入るように促す。
部屋は夜にもかかわらず明るかった。ベッドの枕元のサイドテーブルにはランプがあってそれがついていたからだ。そしてそのランプに隠れていたのは。
ヘリオライトの心臓が跳ねた。ベッド脇から伸びる服から覗く包帯だらけの細い腕を自分は知っている。ならばきっとランプに隠れて見えない顔も自分は知っている。
そしてそれは今動かない。
全く動く気配を見せない。
ならば。
ああ。
ヘリオライトは思わず扉のところで崩れ落ちる。
「ヘリオライト」
ヴェルガがヘリオライトの肩に手を置いた。
だって。
だって、セルフォスは店長のところへ行ってからもう何日経つのか。常人ならベッドから起き上がっていてもおかしくないぐらいの時を彼も過ごしたはずだ。なのに。
なのに今もぴくりとも動かないなんて。
「ヘリオライト」
「嫌だ。見たくない」
「ヘリオライト。行ってあげて」
ヴェルガがヘリオライトを助け起こして背中を押す。だがヘリオライトは前に進もうとはしなかった。
「嫌だ」
が、後ろから今度は逆らえない声で。
「ヘリオライト。主の顔をセルフォスに見せてやれ」
セルヒの有無も言わせない威圧感ある声にヘリオライトは重い足を無理に動かしながら一歩一歩ベッドに近づきランプの陰の顔を恐る恐る覗く。
そこには自分が最後見たときと同じ眠ったままのセルフォスの顔があった。
ヘリオライトは泣きそうになる自分を必死で抑えながらそっと同僚の顔を撫でる。
彼はもう生きていないのだろうか?
そんなの自分は信じたくない。
もう一度目を開けてほしい。
いつも通りに自分になんて顔をしているんだ、と呆れた声で諌めて欲しい。
じゃないと。
もうどうしていいか分からない。
ゆっくり、ゆっくり祈りを込めて同僚の顔を撫でる。
どうか目を開けてくれますように。
奇跡が起きますように、と。
すると。
ヘリオライトの手のひらに反応してか、ゆっくりとセルフォスの目が開いたではないか。
「!!」
ヘリオライトはびっくりして思わず固まった。
「・・・・・ヘリオライト?」
少し掠れた声でセルフォスがそう喋ればヘリオライトは嬉しくなって。
何度も何度も頷いた。
「そうだ。俺だよ。随分心配させやがって」
嬉しくなってセルフォスの頭を何度も撫でた。
「セルフォスがいない間、薬屋は本当に大変だったんだぞ? まあ、俺が優秀だったから何とかなったけどな」
「何を言ってるんですか。どうせ店長の助けを借りたんでしょう? あの薬屋は一人で経営は難しく・・・・。・・・・ヘリオライト? 何を泣いているのです?」
「・・・・・・・・・・何でも、ないよ・・・」
「ですが、辛そうです。大丈夫ですか? お腹でも痛いのですか? 昼に変なものでも食べました?」
心配そうな表情を作るセルフォスの頭を撫でるヘリオライトの手が止まった。
その手が震えている。
ヘリオライトは泣きたいのを必死に我慢していた。
でも。
セルフォスが目を開けてくれたとき。
いつもと変わらない言葉のやり取りをしてくれたとき。彼らしい、とぼけた、だけど本当に自分を気遣う台詞が聞けたとき。
ヘリオライトは自分の涙を止めることが出来なかった。
止めようと思っても胸が苦しくて出来なかった。涙が後から後から出てきて自分の視界を曇らせる。
セルフォスが大きく滲む。
でも。
でも。
ただ一言貴方に言いたい。
もう一度その優しい言葉が聞けて。
その瞳が開くのが見れて。
生きていてくれて。
「良かった・・・っ」
俺は本当に、本当に何て言ったら良いんだろう。
ただ、嬉しい。
本当に嬉しい。
お前が生きていてくれて良かった。
それだけ。ただそれだけ。
俯くヘリオライトの頭に優しい、聞きなれた声がかかった。
「ヘリオライト。私は生きてますよ? だから、どうか泣くのを止めてください。本当に・・・、本当に・・・ごめんなさい。ヘリオライト。心配をかけてしまって」
でも。
セルフォスも震える声で言葉を紡いだ。
「でも、もう一度貴方に会えて嬉しいです」
「ミズキは今はここにおらぬ。白竜の元にいった」
店長がセルフォスのベッドの脇に椅子を持ってきてそれに座りながらそう言った。
「今度こそ本当に謝りにな。何、大丈夫じゃ。あそこにはオフェリアがおる」
オフェリアにあまりいい印象を持たないヘリオライトは思わず顔を顰めて同じように椅子を持ってきて座っていたヴェルガを見つめれば、彼は軽く肩をすくめた。
「大丈夫だと思うよ? 今回彼女はかなりセルフォスを助けてくれたし。薬屋からセルフォスを連れ帰った次の日から5日5晩つきっきりでセルフォスの治療をしてくれた」
「それに白の戦士隊とやらにも脅しをかけておいたしの」
にやにやしながら店長がそう言えば、セルフォスが呆れた表情で溜息をつく。
誤解をされたと感じた店長は慌てて言い繕う。
「だって、あやつらは主をこんなにも傷つけたのじゃぞ?」
「ですが、王。王は常に平等でなくては・・・・」
「何を言っておる。我はいつだって平等じゃ。なあ。ヴェルガよ」
振られたヴェルガは深くお辞儀をする。その態度にセルフォスは、なら良いのですが、と少々訝しがりながらも納得する。
「セルフォスが目を覚ましたのはほんの一昨日のことじゃ」
「10日間も昏睡状態だった」
そう言いいながら安堵の表情でヴェルガはセルフォスを撫でる。
「本当に心配した」
「・・・すみません。貴方にも随分迷惑をかけてしまいました」
「生きていてくれただけで充分」
その台詞にセルフォスは思わず苦笑する。
その二人の様子を少し意外な顔つきで見ていたヘリオライトを見てセルヒは軽く笑いながら立ち上がる。
「さて、久々の再開じゃ。積もる愚痴もあるじゃろうて、なあヘリオライト」
「愚痴?」
その台詞に訝しげに同僚を見つめるセルフォスと、慌てるヘリオライト。
その二人の行動を満足そうに見つめてからセルヒはヴェルガに声をかけた。
「さて。今日はセルフォスも食欲がありそうじゃ。ヘリオライトも来た事だしな。今日の夕飯は大いに振るわねばな。手伝ってくれるか? ヴェルガ」
「わたしが力になれるなら喜んで」
そう言って二人は部屋を出て行った。
残ったのは薬屋店員二人で。
「・・・実はびっくりした」
「何がですか?」
「セルフォスがヴェルガにあんな風に接するのを許すなんて、って思ってさ」
「ああ・・・。今のヴェルガには下心というものが全くありませんからね。それに私は彼の事を完全に嫌っているわけではないのですよ。むしろ彼と良い友人関係を結べたらどんなに良いだろうとはいつも思っているのですが、今の状態ではそれは難しいもので・・・」
「ああ・・・・」
そこまで聞いてヘリオライトはヴェルガの、セルフォスに対する今までの態度を思い返してみる。
「そうだな」
「そうなんです」
「大変だな」
「大変なんです。変わってくれます?」
「やだ」
「即答しなくても」
そう言ってセルフォスは笑う。そのセルフォスにつられてヘリオライトも笑う。
相変わらずだ、と安心する。
「・・・・生きてて良かった」
笑いついでに本音を軽くこぼしてみる。
「ええ」
セルフォスが穏やかな笑みで返す。
「心配をかけました。ヘリオライトにも」
「・・・・・・・」
「ごめんなさい」
その台詞を上手く流す術をヘリオライトは思いつかなかった。
「・・・・・・・・・その、傷はもう、いいのか? もう動けるのか?」
「残念ながら、まだ。首から上以外はまだほとんど動かないのです」
「そうか」
「もう少しヘリオライトには迷惑をかけそうです」
「良いさ。この際完全に元気になってから出てきてくれたほうが俺も安心する。それに、戻ってきてからなんか奢ってもらうから」
冗談を言えば。
「それだけで良いのであれば」
ちゃんと返ってくる同僚のいつも通りの声音。
長い時間がかかったような気がする。こんなたわいもないやりとりを再びするまで。
でも。
「あ! じゃあ、ちょっと待て。え〜と、あとは・・・」
戻ってきた。
「付け足さないでください」
いつも通りの、君が。
それだけで、嬉しい。
遠くで店長セルヒの、夕飯が出来上がったという声が聞こえた。