平日の昼下がり。
街外れの薬屋を覗いてみれば、そこの扉には一つの張り紙。
「誠に勝手ながら、本日より二日間、薬草採集の為、休業させていただきます」
とても、天気の良い日だった。
雲も少なく。
吹いてくる風は少々冷たかったが、今まで登山をしていた体に気持ちよさを与える。
薬屋の店員二人は今、山の中腹を散策していた。
目的はもちろん、薬屋の近辺で採れない薬草の収集。肩から下げたショルダーバッグには、お昼ごはんの他に、薬草を摘んだ際に保存する為の容器が数種類。それは、薬草の種類によって、保存方法が違うからだ。
的確な保存方法で持ち帰らなければ、せっかく摘んできても、その効果が失われてしまう。
「晴れて良かったですね」
「ああ。そうだな。雨なら最悪だった」
そんな簡単な会話をぽつりぽつりと漏らしながら、ヘリオライトとセルフォスは山道を歩いていた。
歩きながら、ヘリオライトは隣の同僚をちらりと見やる。
「なんか・・・、嬉しそうだな。セルフォス」
顔の表情はいつもとさほど変わらないのだが、雰囲気が明るい。
これは、いつも一緒にいるから感じられることで。
「森の中を歩くのは好きなのです」
そう言うと、セルフォスはヘリオライトに向かって、少し笑った。
どうやら、本当に機嫌が良いらしい。
普段はあまり見せない、セルフォスの穏やかな笑みを見て、ヘリオライトはそう感じた。
薬草収集は、大体は店長がセルフォスを連れて、薬屋が休みの日に採ってくるケースがほとんどで、ヘリオライトが今回のように付き合うのは本当に一年に一度、あるかないかだった。
ヘリオライトが行くときというのは、大体、店長が多忙の時で。
今回も身動きが上手くとれないらしく、代わりにヘリオライトが行くことになった。
「もうすぐ、目的地に着きますよ」
「ああ。ええと・・・、なんか開けた場所だったよな。確か」
「そうです。見晴らしがなかなか良いのですよ」
行っている間に、視界が急に開けた。
見渡す限り、丈の短い草や花が咲いていた。空を覆う木々は一切なく、その平原の先は、崖になっていて、そこからは山の谷間が見える。
谷間といっても、そんなに急な斜面ではなく、滑らかな山間には草原が広がっていた。
太陽は、ちょうど山の間にかかって、二人がいる平原を照らしている。
セルフォスは近くの樹の幹に荷物を置くと、摘み取った草を入れる容器のみ手に持った。
「さて、さっさと始めちゃいましょう。今日は5種類の薬草を各50ずつです。私が3種類担当しますから、ヘリオライトは残りの二種類をお願いします」
「分かった」
「今回の薬草に関しては全て数時間以内に保存容器にしまえば効果は損なわれないものばかりですから、保存容器を全て持ち歩かなくても大丈夫ですよ」
「ん。分かってる」
「薬草の見分けはつきますよね。もし分からなくなったら私に聞いてください。ヘリオライトの探す薬草は・・・だいたいあそこの辺りにあります」
そう言って、セルフォスは草原のやや左端を指差した。
「オッケー。じゃあ、一気に済ませちゃおうぜ」
そう言うと、ヘリオライトは日差しよけに帽子をかぶりながら、黙々と作業に没頭した。
作業中、時折、ヘリオライトがセルフォスの方に眼を向けると、セルフォスは気分転換か、立ち上がって、山間を見下ろしたりしていた。
数時間も経っただろうか。
日も半分以上山に隠れ始め、空も赤みがかってきた頃、二人の作業が終了した。
保存容器に摘んだ薬草を全て詰め込んだ後、二人は木に寄りかかりながらかなり遅めの昼食をとった。
作業が大変だったのもあり、二人はしばらく会話もせずに黙々と昼食を口に運びながらその視線の先に見える、夕日を眺めていた。
この時期は日が見えなくなっても、4時間ぐらいは明るいので、下山するのに日がなくても全然問題ない。
「なあ、あの山の間から見える平原あるじゃん? あそこずーっと突っ切ってたらそのうち海に出ると思うんだよ。方角的に。その海を越えた先にセルフォスの生まれた大陸があるの?」
「そうですね」
「遠いな」
「遠いですかね」
「遠いよ」
「そうですか」
竜姿になって飛んでみたら、意外と近く感じるかもしれませんよ。
そう言って、セルフォスは少し、笑った。
「なあ・・・」
「何ですか?」
「帰りたい?」
それは、どこに、と問わなくてもセルフォスには分かった。
かける言葉の調子は軽くても、顔の表情は微かに強張っていたから。
セルフォスはそんなヘリオライトの表情に僅かばかり首をかしげる。
ヘリオライトは、何を恐れているのか。
「ええ。いつかは。まあ、今ではないですが」
「数年後?」
「さて、それは王が決める事です」
「なんで? 自分のことなのに?」
「ええ。王が望んでくださっている限り、私は王の側にいることを誓いましたから」
「いつ?」
「ヘリオライトが生まれるずっと前ですよ。きっと。あのとき、私は100歳になったばかりでしたから」
そうさらっと言ってのける同僚に、ヘリオライトは改めて自分と違う種族なのだと実感する。
「じゃあ、さ。俺が死ぬまでずっと側にいてくれって言ったら、セルフォスは側にいてくれる?」
その問いに、セルフォスは驚きの表情でヘリオライトを見つめ、でも次の瞬間苦笑まじりに、
「嫌ですよ。そんなこと、誓えません」
きっぱりと言い放つセルフォスにヘリオライトはかなりのショックを受けた。
冗談まじりに放った言葉。
でも、ヘリオライトの心にはセルフォスに側にいて欲しいという想いがかなりあったから、半分以上は本気だったのに。
「なんで? いいじゃん! 俺の人生なんてセルフォスから見てみれば、あっという間だぞ?」
だからこそ、無理なのだ。
そう言いかけようとした口をぐっとつぐみ、セルフォスは夕日が落ちる方向を見やる。
「何でも、です。それよりヘリオライト。日が沈みました。もうそろそろ下山しないと」
その言葉に。
ヘリオライトはおおいに不満な顔をして、やや乱暴に荷造りをした。
人間の一生なんて、我々から見たらあっという間。
だから、死ぬまで側にいろ、なんて。
なんて残酷なことをいうのか。
確かに人の一生なんて、瞬く間かもしれない。
だけど、その瞬きが非常にゆっくりであったなら。
愛しいものの「気」が衰えていく様を見届けよ、というのか。
「気」が、衰えてなくなる、そのときまで側にいろ、というのか。
そのときの記憶を、その先何百年も引きずりながら生きていけというのか。
でも、自分はとても臆病で卑怯な竜だから。
貴方が死ぬまで、なんて一緒にいない。
貴方が、他に誰か、かけがえのない人を見つけて、幸せのときを迎えたなら。
そのとき私は貴方の側を離れよう。
幸せな貴方の姿を心に刻み付けて、この地を離れよう。
そうすれば、貴方がいつか、この世界から去りゆく日がきても、私の中では、貴方は幸せのときのまま、永遠を行き続けるから。
それだけで、私も幸せになれるから。
その思い出を胸に抱えて、私は眠りにつくことができるから。
先を歩く、ヘリオライトの背中を見つめながら、セルフォスはそう思った。
でも今は。
「ちえーっ。セルフォスのけちー」
すねながら、ぶちぶち文句を言うヘリオライトに、思わず顔がほころんで。
「いいですよ。けちでも」
でも、わざとすました顔でそう言えば、ヘリオライトは余計すねて。
最後には、二人で笑って。
今は、側にいよう。
この幸せなひとときを「永遠」に時に刻み付けられるよう・・・。