災害とは、予期せぬ時におこるもの。

ましてやそれが天災ならなおさらだ。

 

天災とは、自然現象。

しかし、セルフォスは自分の身に降りかかるこの天敵の存在を「天災」と呼ぶ以外、他にいい言葉が思い浮かばなかった。

数十年は平和が続いていたのに・・・。

何でまた・・・・。

 

そう思ったのは、その天敵が、薬屋を訪れたとき。

 

その日、カウンターはヘリオライトが、薬品整理はセルフォスが担当していた。

午後、店を開けた直後にその男は来た。

黒が目立つ洋服をまとい、髪は黒く、かなりふわふわしたくせっ毛。目つきは鋭いが、その男はヘリオライトにとても人懐こい笑顔を見せた。

ヘリオライトもつられて笑顔になる。

長身で、どことなく人間離れした雰囲気を持つ男だ。

「こんにちは」

その男はにこにこしながら、ヘリオライトに話しかける。

ヘリオライトもその笑顔につられながら、

「こんにちは。いらっしゃいませ。本日はどんな薬をお求めですか?」

「ええと、ここに「セルフォス」という人が働いているって聞いたんだけど」

その発言に、ヘリオライトの笑顔は一瞬にして消え去り、驚きの表情がその顔を覆った。

「はあ。いますけど・・・。お知り合いですか?」

「ええ。呼んでもらえます?」

「はあ・・・。少々お待ちを・・・。あ、お客様のお名前を教えて頂けますか?」

「・・・いや。驚かせたいから」

「そうですか」

首をかしげながらも、ヘリオライトはセルフォスを呼ぶために薬品室に入った。

 

「黒髪の人・・・、ですか? 私の知り合いで?」

「そう言ってたぜ?」

「心当たりがないですねえ・・・」

首をかしげながらも、薬品室からカウンターを覗くセルフォス。

生憎その客は後ろを向いていた。

「とりあえずさ、待たせてるし、顔だけでも出せよ」

「・・・・・そうですね」

そう言って、ヘリオライトの後に続いてカウンターに顔を出す。

「お待たせしました」

セルフォスがそう言った途端。

男はぱっとセルフォスの方に向き直り、これ以上ないくらい喜びの気持ちを体中から溢れ出して、両手を思いっきり広げる。

「会いたかった! セルフォス!!」

次の瞬間、その男がセルフォスに抱きつきそうになったのを、セルフォスは自分の代わりにヘリオライトを男に押し付け、その場から逃げ出した。

「・・・・・っ!!!!」

見知らぬ男にいきなり抱きつかれて、ヘリオライトは全身に鳥肌が立った。

しかし、その男はヘリオライトをすぐに離し、セルフォスの方に向き直り、首を傾げる。

「どうして逃げる?」

「いつ、こちらに帰ってきたのです?」

カウンターに隠れながら、セルフォスは恐る恐る尋ねる。

「一月前かな? やはり、わたしにはセルフォスのいない生活は物足りなさ過ぎて」

照れる様子など微塵も見せず、男はさらりとそんなことを言ってのける。

まるで、女房に逃げられた亭主のような台詞に。

「こっちは、貴方のいない生活を心から満喫していたのに」

こちらも離婚後、未練がましく追ってきた亭主を追い払う女房のような台詞を吐く。

「なかなかおもしろい冗談だ」

笑顔でそういう男に。

「いえ、本音ですから」

とさらりと言ってのけるセルフォス。

「セルフォス。私は本気だよ?」

そう言ってカウンターを覗き込む男に、セルフォスは近くにあったポットをその男の顔にぶつけながら、

「私も本当に貴方が嫌いなんです。近寄らないで下さい」

きっぱりと言う。

ヘリオライトはその台詞に正直驚いた。

この男のセルフォスに対する執着度は、見たところ、あのデリ家の竜好き息子、ロバートとそう変わらない。

それでも、セルフォスはロバートに対して、ここまであからさまに嫌ったこともないし、そういう台詞もはいたことも、もちろんない。

一体、ロバートとこの男、セルフォスの中でどう違うんだ?

顔の良さでいくならば、どこか神秘的な雰囲気をたたえているこの男の方が明らかに女性にはもてるだろう。

ただ、それがセルフォスの中の基準と一致するかどうかは分からないが。

この男の方が押しが強いとか。

確かに、それは言える。

だが、ロバートも負けてはいないとヘリオライトは思う。

こうして、ヘリオライトが冷静に分析している間に、男は今度はやかんを顔にぶつけられていた。

やかんをぶつけながら、セルフォスはヘリオライトに必死になって呼びかける。

「ヘリオライト! 店長、店長を至急呼んで下さい!!」

「へ? なんで? なんて言えばいいんだ?」

「ヴェルガが来た、とだけ書いて鳥を飛ばしてくれれば、全て分かってくれます! 早く!」

「お、おお。分かった」

慌てて頷くと、ヘリオライトは休憩室の方へ走っていった。

「店長? 店長って誰の事? セルフォス」

「セルヒ王ですよ! ヴェルガ!」

その名前を聞いた途端。

ヴェルガと呼ばれた男はセルフォスがいるカウンターから、後ずさった。

「お、王!? 近くにいらっしゃるのか!?」

「ええ。もうすぐ来ますよ。さて、どうします? ヴェルガ。また、あそこの場所に戻されてみますか?」

それを聞いて、ヴェルガはさらに数歩後ずさる。

「く・・・。こんなに近くにセルフォスがいるのに、また何にも出来ないなんて・・・!!」

本気で悔しがっているヴェルガを見て、セルフォスは思わず溜息をつく。

「・・・仮に私が貴方を好きでも、私と貴方では何も出来ませんよ」

呆れ顔でそう言うセルフォスに。

「いや!! そんなことはない! じゃなければ、わたしがセルフォスにこんなに魅かれるはずがない!!」

と、力説する。

「そこなんですけど、私に魅かれるっていう時点で、すでに間違っていますよ」

「そんなこともない。セルフォスは気付かないだけだ。自分がどんなに魅惑的な「匂い」を発しているか。それが、どんなにわたしを狂わせているか」

そう言うと、ヴェルガは不意にセルフォスの顔に自分の顔を近づける。

「ほら。・・・ああ。いい「匂い」だ」

突然の事に、セルフォスは上手く対処できなかった。

ヴェルガを慌てて殴ろうとしたとき、その反応が鈍かったためにヴェルガにその手を押さえ込まれて、自分の迂闊さを呪う。

「わたしを・・誘う匂いだ・・・。セルフォス。今宵の一時をどうかわたしと共に」

「過ごすわけない!!」

そういうと、セルフォスはもう片腕でヴェルガを殴る。

不意を突かれたヴェルガがよろめいた、その隙に今度はカウンターを飛び越え、その勢いでヴェルガの下腹に蹴りを入れる。

「ぐ・・・」

思わずうずくまるヴェルガ。

「私もれっきとした「雄」なんです。その誇りを傷つけられて黙っていられるほどお人好しではありません。特に貴方にはね」

きっぱりと言い放つセルフォス。

そして、ヴェルガにもう一発蹴りを入れると、襟元を掴んで薬屋の外へと引きずり出す。

「お引取り、願いましょうか」

そう言うと、外にヴェルガを残し、セルフォスは扉を閉めた。

 

1時間後、到着した店長は顔が青ざめていた。

そして、セルフォスが姿を現した途端、セルフォスを抱きしめたのだ。

「大丈夫か!? セルフォス! 何か変なことはされてなかろうな!?」

「はい。今のところは・・・」

それを聞いた店長は、ほっとして思わず全身の力が抜けた。

「良かった」

その、あまりに大げさな店長のリアクションに、事情の飲み込めていないヘリオライトはとうとう口を開いた。

「店長、ヴェルガって何者なんです?」

「ヴェルガは我ら竜の一族の者。黒の一族の一人じゃ。他の竜に比べて、少々思い込みの激しいところや、一途なところがあるが、根はいい奴らじゃ。また、攻撃力も竜の一族の中ではトップクラスに入るな。力も強いが、攻撃能力もとても高い」

「へえ〜。で、なんであいつ、こんなにセルフォスに嫌われてるんです? 他のヤツをあんなにあからさまに嫌うセルフォスは初めてみましたよ? 俺」

「それは、話せば長いのじゃが・・・。全ては「匂い」のせいじゃ」

「・・・・? 匂い?」

「そう。この世界の竜達は皆「匂い」で全てを決める。好み、強さ、性別などな。雌の竜は特定の時期が来ると、独特の「匂い」を放って、雄を惹きつけ、狂わせる。それが、いわゆる発情期、「熱」の時期じゃ」

「ほうほう」

「今のヴァルガは、その「熱」の時期の雌竜の「匂い」に狂わされた雄、そのものじゃ」

「また、なんで?」

「ふむ・・・。人間には分かりにくかろうがの、ヴェルガの好みの「匂い」をセルフォスが持っていて、それがヴェルガを惹きつけて止まぬようなのじゃ」

その説明にヘリオライトは分かったような、分からないような顔をして、首をかしげた。

「その、「匂い」を変えることが出来れば、事は解決するんじゃないのですか?」

「んー・・・。じゃからな、人間にもあろう? 「この人の近くにいると安心する」とか、「この人は何か怖い」とか、その理由も分からずただ感じ取れるものが。いわゆる「オーラ」というやつか? それが、竜の場合、「匂い」だと思ってもらえれば良い。ま、かなり差異はあるがな。意識してその「匂い」を出しているわけではないからの。それを変えることは難しい」

「ああ〜・・・。なんとなく、分かった気がする」

「理性に基づいて、というより本能に近い状態で惹かれてますからね。自覚して「好き」になる人間より、性質が悪いです」

セルフォスが呆れ顔で付け足す。

「・・・・セルフォスは苦労人だなあ・・・」

ヘリオライトが、思いっきり憐れみを滲ませて言う。

「あいつも流されたものだからのう・・・。前に元の大陸に戻してやったんじゃが・・・。しかも、雌の「熱」の時期に。これで、セルフォスのことも忘れるじゃろう、と思っておったがそんな軽いものでもなかったのじゃな・・・。はあ・・・」

店長が深い溜息をつく。

「・・・・・また、送り返したいのはやまやまなのじゃが、今、別の問題を抱えておっての・・・。白竜の一匹が地上に降りて来てしまったようなのじゃ。そちらを先になんとかせんと・・・」

そう言って、店長は真剣な面持ちでセルフォスを見つめる。

そして、一言。

「すまぬな」

「いえ。私のことはお気になさらず。それよりも、その白竜を早く保護せねば」

「・・・・・・・・・・」

セルフォスがそう言うのを、店長はただ黙って聞いていた。目は変わらずセルフォスを捉えて。

「・・・・・・・・判った。主は相変わらず・・・・、いや、それが緑の一族の性質じゃからな・・・」

自己を犠牲にしてまで、他人を想う。

それが、緑の一族の素晴らしいところだ。

さっきとは打って変わった穏やかな笑みとともに、セルフォスの頭を優しく撫でながら、セルフォスをいとおしく感じる。

「しかし、我は主のそんな心優しいところが好きじゃ」

店長の言っていることが、いまいちよく掴めず首をかしげるセルフォス。

ヘリオライトもまた別の意味で話の内容が上手く掴めなかった。

「白竜って?」

「山の頂に住居を構える竜達です。全身が白い毛で覆われているので、私たちは白の一族、または白竜と呼んでいます。彼らの住む山は雲より高い位置に頂があるので、他の種族や人間に接触することはまずないのです。また、彼らも山から下りることはめったにないのですが・・・。めったに山を降りない彼らが何の準備もせずに山から下りてしまうと、急な外界との接触により、ひどい混乱状態に陥ってしまうと聞いたことがあります」

そこまでいうとセルフォスは心配そうに店長を見る。

「すぐ発つ。先にこちらの状況を確認したかったのじゃ」

店長はまた真顔になり、セルフォスを見つめる。

「セルフォス」

「はっ」

「・・・・・・・・・・・・・殺してはならぬぞ」

「・・・・・・・・・・・」

いきなり出た店長の物騒な言葉に、しかし、セルフォスはほとんど動じてない様子で、むしろ、その顔はひどく残念そうにさえ見えた。

「良いか?」

「・・・・・・・・・」

詰め寄る店長の視線から目をそらす。

そんなセルフォスに言い聞かせるように、店長はもう一度念を押す。

「良、い、か?」

「・・・・・・・・・・・・・・はい」

渋々承諾をするセルフォス。

普段の二人からは想像もつかないような会話に、ヘリオライトは呆気にとられていた。

そして、店長に耳打つ。

「過去にも?」

「ヴェルガを他の大陸に追いやったわけは、セルフォスがあまりにもしつこく迫ってくるヴェルガを殺しそうになったから、というのもあるのじゃ」

そう言って、店長はヘリオライトの肩に手を置く。

「そういうわけじゃから。セルフォスがヴェルガを殺さぬよう、監視を頼むぞ?」

 

一体誰が一番の苦労性なのか。

当分は自分かな、と肩にかかる手の重みを強く感じながら、ヘリオライトはそう思った。