「お久しぶりですわ! 皆様、特にセルフォス様! 元気でいらして!?」

そう言って勢い良く、しかしどこか上品に裏口のドアが開け放たれたのは、12時5分過ぎのことだった。

竜の生態を研究している少女、りくは愛しの緑竜セルフォスの姿を探して、休憩室をぐるっと一望する。

時間にとても几帳面な薬屋の店員でもある緑竜セルフォスは大抵この時間、ヘリオライトと二人、テーブルには昼ごはんの料理と彼自身が淹れたお茶を添えて、料理をつまみつつ談笑しているのが常だった。

だが。

「あら? ヘリオライト様、セルフォス様はどちらに?」

いつもの風景はそこにはなく。

あったのは、休憩室のソファに横に寝そべりながら雑誌を広げているヘリオライトの姿のみで。

「ん? ああ。セルフォスなら昼ごはんの買出しに街に行ったよ? 30分も前に」

ヘリオライトは少々めんどくさそうに目を雑誌からりくの方に向けると、そう言った。

「あら。珍しいですわね」

片手で軽く口元を覆い、意外だというように目を見開く。

「ん〜。今日は伝書鳥もってき忘れちゃってさ〜」

「・・・・・それは、貴方が悪いのではありませんこと?」

「うん。まあな」

「では、本来なら貴方がお昼を買いに行かれるのが普通では?」

ヘリオライトは再び雑誌の方に顔を向けながら、

「うん。でもセルフォスが行きたいっていうからさー」

「まあ・・・・」

その台詞を聞いて、りくはまた片手で口元を覆う。

「・・・こう言ってはなんですけれど、意外ですわ」

「だろ? だから、今日の昼はちょっと楽しみなんだ」

雑誌から顔を再び上げたヘリオライトの表情は嬉しそうだった。

「それにしても・・・」

そう言って、りくは部屋の時計に目をやる。

時計は12時20分をまわっていた。

「そろそろ戻ってらしても不思議ではない時間ですわね・・・」

「んー・・。そうだな・・・」

ヘリオライトも気になって時計に目を向けた。

薬屋から、街の一番近い惣菜や弁当を売っているお店までは歩いて10分もあれば着く。

往復で20分。

セルフォスが、薬屋を出てからすでに50分が経過しようとしていた。

「少し遠くに買出しに行ったのかな・・?」

「にしても、あの几帳面なセルフォス様らしくありませんわ。あの方ならきっと、御自分が買ってこられた昼食を休憩時間内で食べ終える時間まできちっと把握しながら買い物しそうなタイプですもの」

「う〜ん。でも、あいつ抜けてるとこ、あるからな〜」

 

しばしの沈黙。

 

ドアが開く音を期待して、耳を済ませていた二人に聞こえてきたのは、規則的に刻まれる時計の秒針の音だけだった。

時計は12時30分を過ぎていた。

その時。

本人不覚にも、ヘリオライトのお腹がなった。

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

りくがヘリオライトの方をちらりと見やると、ヘリオライトはかなりばつの悪そうな顔をしていた。

りくは、少々呆れながらの溜息を一つついた後、ヘリオライトに向かって一言。

「・・・・おにぎり、お食べになられます?」

「・・・・・・・・・・・・・・・は?」

瞬間、ヘリオライトは耳を疑った。

「ですから、お、に、ぎ、り。お食べになられます? と聞いているんですの」

ヘリオライトのとぼけた仕草にかなり呆れながら、りくは再度尋ねた。

「・・・・どうして?」

持っているのか。

「本当はセルフォス様に食べて頂く予定でしたのよ? あの方、こういうの食べたことあるか分からなかったものですから」

それは、おにぎりは、携帯食としてはよく用いられるが、普通に生活していて、まず食卓に上ることはないからだろう。

おにぎりは、一般には保存食として用いられる食材を少量、ごはんで三角形に包み込み、それに更に、これまた食品を長持ちさせる効果があるといわれているテテの葉で包み込んだものである。

りくは竜の研究者として、世界各地を渡り歩いている者だ。おにぎりなんて、他の料理以上に彼女にとっては身近なのではないだろうか。

「で? お食べになられます?」

その問いに。

ヘリオライトが、首を縦に振らないわけがない。

りくは、手に持っていたバスケットから、数個のおにぎりを取り出した。

「普段は自分しか食べないですから、形はそんなに気にしてなくて・・・、まあ、いびつですけれど、味は保証できると思いますわ」

「おお〜」

ヘリオライトはただただ感嘆の声を漏らすばかり。

いくら竜の研究者で、世界各地を飛び回っているとは聞いていても、普段のりくからはとても想像がつかなかったのだが、こういう料理を目の前でみせつけられると、やはり実感せざるを得ない。

「それでは、いただきます」

「どうぞ。それにしても、セルフォス様遅いですわね。あっ。ヘリオライト様、全部食べないで下さい。セルフォス様にも食べて頂くんですから」

「ん! これすっげー旨いっ! これ何入ってんの? 具」

「・・・メルの干し肉ですわ・・。ヘリオライト様、人の話、聞いてらっしゃるんですの?」

「ごめん。だって、これ旨すぎ!」

ヘリオライトに満面の笑みでそう言われて、りくは思わず頬を赤らめる。

自分の料理がこんなに褒められるのは決して悪い思いはしない。

「お褒めにあずかり、光栄ですわ。そんなにおっしゃっていただけると、私も嬉しいですもの」

りくは、そう言ってにっこり笑う。

時間は12時50分になりかけていた。

そのとき。

 

「遅くなりました。ヘリオライト」

ぐったりとしたセルフォスが重々しく扉を開けて入ってきた。

「セルフォス様!」

途端、りくの表情が今までヘリオライトには欠片も見せていなかったような、憧れの表情に変わる。その瞳にいたってはきらきらと輝いてまでいる。

「あ・・れ・・? りく、どうしてここに?」

「遊びにきたんですの! セルフォス様に是非召し上がって頂きたい料理がありまして」

「そう、ですか。じゃあ、ひとまずお茶でも淹れましょう。りく、どうぞ掛けて。ヘリオライト、遅くなりました。食べる時間、ありますか? 一応、これ買ってきたんですが」

そう言って、ヘリオライトに惣菜の入った袋を渡す。

「おう。俺は大丈夫だけど、一体どうしたんだ? なんでこんなに遅くなったんだ?」

ヘリオライトがそう言った途端、セルフォスは盛大な溜息を一つついた。

「実は、そこの惣菜屋に行った帰りに・・・・・、ええ、まあ、ちょっとしたトラブルがありまして・・・」

言葉を濁す同僚に、ヘリオライトは一体何事かとセルフォスを見つめ続けたが、セルフォスの方から、視線を逸らしてしまった。

「まあ、でも、御無事で何よりでしたわ。セルフォス様」

りくは、心底ほっとしたように、そう言う。

ヘリオライトも同僚のその何か隠し事をしている態度にどうも居心地悪いものを感じながらも、りくの意見に同調する。

「ん。まあ、そうだな。とりあえず無事で良かった」

その台詞に、セルフォスは本当に申し訳なさそうな空気を言葉に滲ませて。

「すみません」

と、ただ一言だけ、ヘリオライトに謝った。

それは、昼御飯を買ってくるのに手間取ったことに対してのものなのか。

それとも、トラブルの内容について一切話さないことに対してのものなのか。

その両方なのか。

しかし、それを聞いたヘリオライトは、もはやそれ以上セルフォスに追求はできなかった。

「分かった、分かった! いいから、セルフォスも早く飯食っちゃえよ! りくが、すんげー旨いおにぎりを作ってきてくれたんだぜ?」

「え? りくが? ・・・・「おにぎり」ってなんですか?」

セルフォスがそういいながら、りくと、時計を交互に見やる。

時計の針はすでに12時57分を指していた。

「あ・・・。あの、無理しないでくださいませ。おにぎりでしたら、ここに置いておきますから、仕事を終えられた後にでも召し上がってくださればいいですわ」

りくがそう言って、バスケットをテーブルに置き、席を立つ。

「では私、これで失礼しますわね。では、午後のお仕事もがんばってくださいませ」

少し、ぎこちない足取りでドアへと向かったりく。

そのとき。

「ちょっと待った」

ヘリオライトがその後姿に声をかけた。

驚いて、ヘリオライトの方に振り返ると、そこには、いつの間にかセルフォスの買ってきた惣菜まで食べ終えたヘリオライトが白衣を着ているところだった。

隣ではセルフォスが、よく噛まないと身体に悪いですよ、と眉をひそめてる。

「と、いうわけで、俺、もう全部平らげたからさ。先に店開けてくる。セルフォスはまだ昼、食ってないんだろ? せっかくりくが珍しいもの作ってきてくれたんだからさ、りくにその料理の説明聞きながら、のんびり昼、食ってろよ。そういう説明とか聞くの好きじゃんセルフォス」

「そうですが・・・。お店は・・・」

「だ、か、ら、俺がしばらくは一人でやってるから気にすんなって言ってんの! どうせ、この時間は客、少ないし」

そう言い終えると、ヘリオライトは店の扉をさっさと開けて出て行ってしまった。

最後に、お茶を淹れたら一人前、カウンターまでよろしく、と言い残して。

 

残された、りくとセルフォスは、ヘリオライトが去っていった扉を眺めながら。

「あの方、早食い選手権があったら、確実に優勝狙えますわね」

「よく咬んで食べなさいっていつも言ってるんですけどね・・・」

言った後、二人して顔を見合わせて笑う。

そして。

「さて、では、せっかくのヘリオライトからの好意です。りく、どうぞ掛けてください。そして、私にその「おにぎり」の説明をお願いできますか?」

その言葉にりくは満面の笑みで。

「喜んで!」

と言って頷いた。