小話
その日、ヘリオライトは風邪を引いて寝込んでいた。
彼自身、極端に暑かったり、極端に寒かったりということに対して体を崩すということは今までなかったのだが、それが日替わりで行われる季節の変わり目には弱く、よほど健康管理に気をつけていないと、体を壊しやすい。
そう。
それは、ヘリオライト自身、充分分かっていた。
なんせ、先日も「緑竜」の同僚に体調管理をくれぐれも怠るなよ、と注意したばかりだ。
それなのに。
ヘリオライトは、昨日、自宅で思わず深酒をしてしまい、ベッドまでいく気力すらなく、結局朝方かなり冷え込むこの時期に、リビングのソファの上で、近くにあったタオルケットのみを軽くかけて寝てしまうという行為をしてしまったのだ。
これは、まさに自業自得。
ヘリオライトはベッドの中で熱による頭痛と、自分が体調管理を放棄したことを知った時の、同僚の怒りの説教が確実に来ることを想定しての頭の痛さで思わず呻いた。
薬屋は店員が二名しかいない。
その為、一人が休むと必然的に店全体の管理をもう一人がやることになる。
朝、ヘリオライトから、風邪の為、本日は休むとの手紙を鳥便で受け取った時、セルフォスは思わず眼を疑った。
今までヘリオライトが休むことなどなかったからだ。
手紙を見返す冷静な表情とは裏腹に頭の中は軽い混乱を起こしていたほどだ。
それは、今日一日の薬屋の管理が自分一人に託されたことに対してではなく。
思いがけない理由で休んだ同僚を心配してからのもので。
セルフォス自身は未だ風邪を引いたことはないが、人間が「風邪」を引いて苦しそうにしているところは職業柄何度も見ている。
ヘリオライトも同じように苦しんでいるのかと思うと、セルフォスはいてもたってもいられなかった。
薬屋を今日一日閉めようかどうしようかと本気で悩んでいる時に、運良く店長が来た。
「お早う。おや? 今日はヘリオライトは遅刻か?」
「店長。ヘリオライトが、風邪を引いてしまったのです」
「ああ。それで休みか。まあ、人間はこの時期風邪を引きやすいからの」
「あの・・・・。今日は店を開いた方が良いのでしょうか・・・?」
「? 当然じゃ。ヘリオライトがいなくともセルフォス、主がいるじゃろう?」
「そうではなくて、その・・・ヘリオライトが苦しんではいないでしょうか?」
「まあ、楽、というわけではないじゃろうが・・・」
さっきからどうも言動が変なセルフォスに対して、彼の言っている意味が上手く掴み取れず、店長は首をかしげながらセルフォスを見つめる。
見ると、落ち着きがなく、眼は隙さえあれば裏口のドアを見ている。
それを見て、店長はこの「緑竜」が同僚の事が心配でいてもたってもいられない気持ちなのだということを悟った。
「セルフォス、ヘリオライトは大丈夫じゃ。風邪如きにやられるような軟弱なやつでもなかろう」
「しかし・・・」
なかなか落ち着きを取り戻さないセルフォスに店長は溜息を一つ。
そして、セルフォスの両肩をしっかりとつかみ、自分の方に向かせ、まるで幼子に言い聞かせるように一言一言はっきりと、力強くセルフォスに言う。
「セルフォス。ヘリオライトは大丈夫じゃ。我も手伝うから、まずは仕事をせよ。それから、薬を調合してヘリオライトの家に行けば良かろう」
力強い口調でそう言われ、セルフォスはやっと安心した。
肩の力を抜いて、そうですね、と頷く。
風邪を引いた、と言って仕事は休んだものの、家でやることと言えば薬を飲んで寝ることだけだ。
高熱による体のけだるさと関節の痛みと、喉の痛みと頭痛のせいで、ベッドから起きる気力もなかったが、頭だけは妙に冴えていた。
しばらくは今、仕事場では同僚がせわしなく働いているのに申し訳ないという気持ちもあったが、いくら暇だとはいえこんな体で行ったところで、余計お荷物になるだけだと思ったので、考えないようにした。
ちらっと時計を見ると、もうすぐ12時になろうとしている。
もう昼か・・・。
体調不良の為、食欲も湧かなかったが、今職場で懸命に働いているであろう同僚をふと思い浮かべる。
そしてヘリオライトは、はっとあることに思い至った。
そういえば、今日俺がいつも昼ごはんを頼む食堂の伝書鳥を持っていかなかったから、セルフォスは昼ごはんがないんじゃないのだろうか。
そう思い、ヘリオライトは思わず青ざめた。
ヘリオライトが青ざめている、その頃。
セルフォスは驚いて休憩室のテーブルの上を見つめていた。
そこには、見目も豪華な料理の数々が並んでいたからだ。
「店長、これは一体・・・」
「料理じゃ」
「いえ。それは、分かるのですが・・・」
「本来はな、我はこれを持ってくるだけじゃったのじゃが」
そう言って、店長は苦笑いをした。
「全部、店長がお作りになられたのですか?」
「そうじゃ。なに。魔法の研究と料理を作ることは、「物を作り出す」という点においてはとても似通っているという噂を聞いての」
「そうなんですか」
「まっ。噂じゃからな。う、わ、さ」
「はあ・・・」
店長がいやに「噂」を強調するところから察するに、「噂」は所詮「噂」止まりだったのか、と思いつつ、セルフォスは再度テーブルの上に並ぶ料理の数々を見渡す。
「食べるのが惜しいですね」
「そう言われると、嬉しいがな。セルフォス。料理は食べるものじゃ」
「・・・そうですね。あ。これ、少しヘリオライトに包んでいっても構わないでしょうか?」
「構わないが、ヘリオライトに与えてはならぬぞ?」
「・・・・それでは持っていく意味がないのですが・・・」
「考えても見るが良い。ヘリオライトは今風邪で寝こんでおるのじゃぞ? 当然、体、特に胃腸類は弱っていよう。そんな人間に、消化に悪いものを与えてはならぬ」
店長にそう言われ、セルフォスはそこまで気が回らなかった自分にしゅんとなった。
それを慰めるように、店長が。
「そんなに落ち込まずとも、ヘリオライトには、おかゆでも作ってやれば良いではないか」
「はあ・・・。おかゆ、ですか」
セルフォスが、そんなもので本当にヘリオライトの胃袋は満足するのだろうか、という疑問を顔に描いたまま、店長の方を上目遣いでそっと覗くと、店長はこれからおもしろいことでもあるかのように、顔に大胆不敵な笑みを浮かべていた。
「そうじゃ! 我が考え出したおかゆのレシピを書いてやろう。それを作ってヘリオライトに与えてやるが良い!」
「・・・・店長、何を意気込んでいるのですか?」
「我ながら、ナイスアイディアじゃ、と思ったからじゃ!」
「・・・・はあ・・・」
それとはちょっと違うような・・・とセルフォスはそう思ったが、店長の意味深な行動を気にするよりも、ヘリオライトにとにかく何かしてあげたい、という気持ちが強かった彼は、いつもの勘の鋭さも全然冴えず、店長の言うことをとりあえず鵜呑みにしてしまった。
常であれば、決して鵜呑みにせず、問いただしていたであろう。
何故なら、店長の顔は明らかに何かを企んでいる顔だったのだから。
その頃。
ヘリオライトは自分で自分を褒め称えたい気分になっていた。
何故なら、活字だらけの本など仕事時以外はほとんど読まない彼が、暇つぶしに読み始めた薬学関連本をなんと3冊、一気に読み終えてしまったからだ。
体はベッドから起き上がって何かするには辛いものの、午前中ぐっすり眠っていた為、眼と脳が冴えてしまい、何かすることはないかと近くの本棚から適当に取り出した数冊だった。
時間は6時間もかかった。が、時間の経過すらも、狙ってやったわけではなく、気がついたら6時間経っていたという感じで。
人間暇だと、自分の意外な集中力に気付かされるものだ、と彼はしみじみ思ったという。
時計の針はすでに8時を回っていた。
夕飯どうしようかな・・・、と思いつつ、ベッドから起き上がった時。
玄関のチャイムが鳴った。
「?」
誰だろう? と訝しげに思いながら、パジャマ姿のままドアを開けてみると、そこにはセルフォスとその後ろに店長が立っていた。
セルフォスの手には近所のスーパーで買ったのであろう食材が詰まったビニール袋が片手に2袋。
「こんばんは」
「思ったより、元気そうで何よりじゃ。ヘリオライト」
突然の思いがけない来訪者達に、ヘリオライトは喜ぶどころか、激しく動揺していた。
なんせ、今日休んだ職場の人達が来たのである。
ずる休みをしたわけではないが、今日一日自分が寝ている間の同僚の忙しさを思い浮かべると、申し訳なさが先立ってまともに顔を合わせられない。
しかし、それ以上にヘリオライトの心を揺るがせたのは、セルフォスと店長の意外な行動だ。
普段、他人に対する興味が仕事時以外は皆無な印象を二人から感じ取っていたヘリオライトは、まさかこんな行動をとるとは思っていなかった。
こんな他人を、しかも人間を見舞いにくるなんて。
「は? え? え? ど、どうして・・・?」
ヘリオライトがやっと口に出せた言葉は、そんなわけのわからないもので。
「生きているかどうか心配だったもので」
セルフォスがいつも通りの無表情な顔つきでそう淡々と話す。
そんなセルフォスの言葉に店長が少々呆れ顔で、
「じゃから、人間はそんなに弱くないと言っておろう?」
と返す。
自分達は人間ではないということをあからさまに言葉にする店長の発言にヘリオライトが慌て、二人を中に招き入れた。
ヘリオライトの住んでいるところは、街中のアパートの二階である。
ドアの外で喋っている言葉など、隣人に聞こえてしまうし、些細なことでも、普段とちょっと違うことが起きたことがここに住んでいる住人数名に知られてしまえば、明日の昼までにはアパート内の専業主婦の方々の手によって、アパート全体に知られてしまう。
多分、この二人がこのアパート内に入ってきた時点で、明日の噂話はこの二人の事でもちきりだろう。当人達に自覚があるのかは知らないが、この二人、容姿が人並み外れているからだ。
二人が初めて入ったヘリオライトの部屋は意外と閑散としていた。
少し大きめのクローゼット、それから部屋の中央にはテーブル。その近くには大きめなソファ。部屋の隅には少し小さめのランプ。クローゼットの反対側にはベッド。サイドボードには小さな観葉植物と、時計。その脇にはこれまた大きめの本棚。
壁には数箇所、夏を思わせるタペストリーが飾ってある。
床は今、本が何冊か散らばっている状態だった。
セルフォスは、ヘリオライトの部屋を眺めながら、床に落ちている本を拾い上げ、整理し始めた。
ベッド脇の本を拾い上げ、その本の題名に、セルフォスは思わず意外だ、という顔で玄関の戸締りを終えてこちらに歩いてくるヘリオライトを見やった。
「勉強していたんですか?」
その問いを聞いて、ヘリオライトがセルフォスの手元に眼をやると、その手には、自分が先ほど読み終えたばかりの薬学の本。
「んー。と、いうより暇だったから」
自分の分まで働いてきた同僚にこの台詞はどうかとも思ったが、下手に取り繕うのはあまり好きではないので、正直に答える。
「体の具合はどうじゃ?」
「正直なところ、大分良くはなっていますが、まだ頭痛が少し」
「痛むのか」
「ええまあ。今こうして立っているのも辛いですから」
そう言うヘリオライトは壁に寄りかかっている。
その言葉を聞いたセルフォスは慌てて、ヘリオライトに早く横になるように促す。
普段、あまり見たことのないセルフォスの慌てっぷりに、ヘリオライトは首をかしげつつも促されるままベッドに入り横になる。
それを横で眺めていた店長はくすくす笑いながら、ヘリオライトに、
「こやつ、今日、主が休んだからといって、店を閉めて主の見舞いに行こうとしておったぞ?」
その言葉に。
ヘリオライトは、思わず耳を疑った。
「・・・・・は?」
驚いて、眼を見開いたまま、思わず傍らの同僚の顔を見る。
すると、頬を少々赤らめながらもむくれた顔のセルフォスが、ヘリオライトを軽く睨みつけた。
「何ですか?」
「え・・・。いや。そうなんだ〜・・・と思って・・・」
「意外だ、と思うなら素直にそう言ってください」
ヘリオライトの何かを含んだ言い方に更に機嫌を悪くしながらセルフォスがそう言う。
「いや。意外だ、とも思ったけど・・・。うん。でも・・・」
「なんなんですか。さっきから」
「ありがとう」
素直に感謝の言葉を言われて。
セルフォスは返す言葉に詰まった。
それどころか、さっきのヘリオライトと同じ驚きの表情でヘリオライトを見返す。
その視線を少しくすぐったく思いながら、ヘリオライトは同僚の、普段は他人に無関心ながらも、自分に対してだけはいつも気遣っていてくれたことを思い出す。
セルフォスはヘリオライトの一挙一動を決して無下にはしない。
人間と暮らしていく上での簡単な会話上での受け流し、冗談等はそこそこ出来るようになったセルフォスは、他人の会話はさらりと受け流し、あまり気にも留めない感じだが、ヘリオライトの話す、ちょっとした心配事や、相談などはとても誠実に受け止めてくれようとする。
ただ、ヘリオライトも普段そんな愚痴る方ではないから、セルフォスのこういう態度をついつい忘れてしまうのだ。
ヘリオライトはふと思う。
竜達は皆そうなんだろうか。
だとしたら、なんて素晴らしい生き物なのだろう、と。
「そういえば、ヘリオライト。主は夕食はもうとったのか?」
「・・・いえ。あまり食欲が湧かなくて・・・」
その言葉に店長の目が光った。
「お主、もしかして昼食もとってないのでは?」
「・・・ええ。・・・まあ」
その言葉に店長は何故か満足そうに頷く。
「そうか。なら、我が考案した薬膳粥でも作ってやろうかの!」
「・・・店長? 何をそんなに意気込んで・・・?」
「胃に何も入っていないほうが体に薬が浸透しやすくなるからじゃ!」
「はあ・・・」
それにしては、店長の意気込みようが尋常ではないように感じたヘリオライトだが、いかんせん今でも痛い頭にさらに悩みの為の痛みを加える気力はなかったため、少々訝しげに思いながらも、それ以上尋問するのを放棄した。
「大丈夫じゃ。今回作るのはセルフォスじゃからの。変なものなど混ぜたりはせん」
「店長が作って下さったレシピ通りに作りますから。あ、キッチンお借りします」
そう言って、セルフォスは何故か白衣を着込む。
料理に白衣――??
髪を紐で軽く一つに結わいたあと、セルフォスは料理に取り掛かった。
セルフォスが料理をしている間、ヘリオライトは店長の質問に答えていた。
「症状を詳しく聞かんと、薬が調合出来んからの」
そう言いながら、店長はヘリオライトの症状をメモにとりつつ、それに合いそうな薬、薬草候補をメモの隅に走り書きする。
「調合? どこで?」
まさか、というヘリオライトの表情を店長は笑顔で一蹴する。
「安心せい。ここではやらぬ。当然じゃ」
「では、どこで?」
「一旦店に帰る。材料もそちらにあるからな」
それを料理をしながら聞いていたセルフォスが口を挟む。
「店長。使った材料の種類と分量はそれぞれの薬品棚のシートにチェックして頂くか、休憩室のテーブルの上にまとめて書いておくかして下さい。棚卸しの際、混乱する可能性があるもので」
「分かった。じゃあ、ちょっと行ってくるが、セルフォス、何か足りないものとかあるか?」
そう聞かれて、セルフォスは壁に貼ったレシピを剥がして、ええと・・・と見つめる。
「薬屋にも置いていないと思いますが、スーパーに置いていなかったものが数点あります」
「何じゃ?」
「ええと、「ねね虫の幼虫卵2個。それから、ヤイーゴの干物をすりつぶして粉状にしたもの・・・? ・・・人間も食べれるんですね。これ。ああ。ええと、それから・・・」
「ちょっと待て」
さらっとはいた、セルフォスの爆弾発言をヘリオライトはどうしても聞き流すことが出来なかった。
「セルフォス、今、なんて言った? 人間も食べれるって・・・」
「ここの大陸の竜達は好んで食べると聞きました。私も一度食べましたが、なかなか美味ですよ? ただ、人間の料理の本には確かこの食材は載ってなかったと思いまして」
「・・・・・・・・・店長?」
明らかに不審がった目で、ヘリオライトが店長を睨めば。
「なに。天然の抗生剤じゃ。よく効くぞ」
そう、さらりと言ってのける。
もちろん表情は悪びれない。
ちなみにねね虫の幼虫卵は人間の薬にも使用されている。消炎効果がかなり高く、ノドの痛みや局部の腫れなどによく効く。
ただ、この材料は製薬会社から搬送されてくる薬の成分に含まれているものがほとんどで、ヘリオライト達が働く薬屋には置いていない。
セルフォスが上げるリストに対して、店長は、
「ああ。主の言っている材料なら、我の家に揃っている。急な事じゃったからな。用意しておらんかったわ。セルフォス、あとはないな?」
「はい」
「では、ちょっと行って来る」
「お気をつけて」
セルフォスはそう言って、店長を玄関まで送り出す。
ドアが閉まったあと、セルフォスがリビングに入ってくるのを目で確認しながらヘリオライトは、
「なあ。店長の薬膳粥って、本当に俺が食べても平気?」
と、尋ねると。
「良く分かりませんが、店長の方が人間に関しての知識がありますからね。大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「だけど、過去の数々のいたずらを考えるとなあ・・・。ちょっと不安になるぜ?」
「まさか。店長もヘリオライトがこんな状態のときにまで、いたずら心を起こしたりはしないでしょう? 根はとても真面目な方ですから」
その一言に。
ヘリオライトが目を思いっきり見開いた。
「は? 店長が真面目?」
ヘリオライトの反応に、セルフォスはやや驚きながら、頷く。
「はい・・・。私はそう思いますが・・・」
「・・・・・・・・う〜ん。でも、確かに、考えてみれば俺があの人を半ば騙しながら仕事をやらせたときも、きちんと働いていたからなあ・・・。そういう意味では・・・」
途端、ヘリオライトの独り言に、聞き捨てならないものを発見したセルフォスが、目を光らせる。
「店長を、騙しながら働かせた・・・?」
その台詞に。
部屋の空気が一気に下がった、と感じたヘリオライトは慌てて言い訳する。
「や、だって、あのときは必然だったんだよ。そのお陰で、えーと、ほ、ほら、バスタブとかシャワーとかついたじゃん? それに俺、そのことに関してはもうセルフォスから一回、説教くらっているからな! もうごめんだぜ?」
懸命に取り繕う同僚に、そういえば以前にも説教をしたことを思い出したセルフォスは怒りを静めていく。
「そういえば、あのときもそうやっていろいろ言い訳してましたね」
「う・・・」
バスタブの一件のあと、ヘリオライトは再び店長を働かせたことがあった。
それは、セルフォスが仕事の骨休めに森林浴に行っている隙を見計らってのもので。
あのときは、大義名分がなかった分、言い訳を考えるのも大変だった。
お陰で、その言い訳が正論ではないと知ってしまったときの、セルフォスの怒りと説教は倍になってしまった。
「ま、まあまあ。それは置いておいて。料理の方はいいのか?」
そう言って、ヘリオライトはキッチンの方を指差す。
「そうでした。忘れていました」
思い出したようにそう言うと、セルフォスは再び料理を再開する。
しばらくはヘリオライトはセルフォスの姿を眺めていた。
男、なんだよな〜。
なのに、キッチンに立ってもあまり違和感がないなんて。
てか、キッチンが手狭に見えないなんて、変な話だよな〜。
唯一の違和感が白衣ってのがなあ・・・。
てか、本当になんで白衣なんだろう?
ヘリオライトが、その理由を尋ねようと口を開きかけたところ。
バタン、とドアが開いて店長が戻ってきた。
「遅くなってすまんの。セルフォス、これが材料じゃ」
「ありがとうございます」
店長から白い紙袋を渡されたセルフォスは早速それらの材料をまな板の上に並べた。
ヘリオライトはセルフォスがさっき言っていた、ヘリオライトにとっては未知の材料を一目見ようと、ベッドから身を乗り出す。
が、視線の行く末は店長の笑顔に阻まれた。
「ここからは、企業秘密じゃ」
心の中で舌打ちするヘリオライト。
それを、悟ったかのように店長が、
「まあ。その方が料理もよりおいしく感じるじゃろう」
と、あやす。
しばらくすると、何かが煮込まれるコトコトという音とともに、ヘリオライトの食欲を呼び覚ます、とてもいい匂いがキッチンから漂ってきた。
「すっげー・・・。いい匂い・・・」
「じゃろう? もうすぐ出来上がりじゃ」
店長がにやにやしながら、ヘリオライトにそう言う。
店長の言葉通り、その後数分もしないうちにセルフォスが底の深い皿の中に出来た料理をよそってヘリオライトの前に差し出す。
「どうぞ。熱いから気をつけてください」
「あ、ありがとう」
そう言ったあと、セルフォスは店長の一歩後ろに下がって座った。
そして、テーブルに茶を並べる。
ヘリオライトはというと。
差し出された料理をじっとみつめていた。
匂いはまともだ。
色もまともだ。
しかし、味はどうだ・・・・?
さっきかなり怪しい材料がこの中に入ったのを確認しているヘリオライトは、二の足を踏んでいた。
「どうした? 食わんのか? うまいぞ?」
店長がセルフォスから受け取った茶をすすりながら言う。
店長にそう言われては、食べるしかない。
「い、ただき、ま・・す・・・」
スプーンでひとすくいし、充分冷ましてから恐る恐る口に運ぶ。
「・・・・・・」
「どうですか?」
セルフォスが尋ねる。
「・・・・美味い」
その台詞に。
「そうじゃろう?」
店長は満足そうに頷いた。
結局、ヘリオライトは料理を綺麗に平らげた。
店長は満足そうに笑って。
「うむ。その分じゃったら、明日はすっかり元気になって仕事に出れるじゃろう」
と言った。
まあ、万全とまではいかないけど、出れるかもな、とぼんやり思いながら店長の言葉に苦笑いで返した。
「さて、ではヘリオライトの元気な様も見れて、セルフォスも安心したじゃろうし、我らは帰るとするかの」
「はい」
店長がそう言って立ち上がるのに続いて、セルフォスも立ち上がる。
ヘリオライトはそれに続いてベッドから起き上がり、二人を玄関まで見送る。
「わざわざありがとうございます」
「構わぬ。早う元気になって、セルフォスを安心させよ」
その台詞にヘリオライトは笑って、そうします、と答えた。
店員想いな店長に感謝しながら・・・。
だが、ヘリオライトはこの後、店長に少しでも有難みを覚えた自分を激しく後悔することになった。
次の日。
薬屋に出勤してきたヘリオライトはセルフォスがびっくりするほど元気だった。
昨日の元気のなさもどこへやら、今すぐ体育祭に出て来いと言われても、平気で参加できそうな体調に見えた。
ところが。
開口一番口にした言葉はセルフォスにとっては意外なもので。
「・・・・・・・・・店長は?」
ヘリオライトの周りには黒々と渦巻くオーラが感じ取られた。
怒ってる。
明らかに怒っている。
それは、セルフォスから見ても一目瞭然だったが、何故そんなに怒っているのかは分からなかった。
「店長は今日は出勤される予定はー・・・」
セルフォスがそこまで言いかけたとき。
勝手口のドアが開いて、店長が入ってきた。
「お早う! おおヘリオライト! 体調は万全のようじゃな! 良かったのう! 一晩で治って!」
その台詞を聞いた途端、ヘリオライトは近くにあったマグカップ(プラスチック製)を店長めがけて投げつける。
驚いたのは、セルフォスで。
同僚が、こんな暴挙に出るのは初めてではなかろうか。しかし一体何故? と思わず固まる。
ヘリオライトが投げたマグカップは、惜しくも勝手口のドアによって妨げられたが、ヘリオライトはそんなのお構いなしに、次々と近くに置いてあるもの(割れないもの)を手当たり次第投げつける。
店長はそれを上手くかわしながら、部屋の中に入ってきた。
「店長。その台詞を吐くってコトは、俺が昨日あんなに苦しむのも予想の範囲内に入れた上であの薬膳粥を飲ませたってことだなっ!!」
「そんなに苦しかったか?」
「死ぬかと思ったぞ!!」
それまで、ヘリオライトのいままでみたことのない暴れっぷりにしばし呆然としていたセルフォスだったが、「薬膳粥」という聞き覚えのある言葉に反応して、これはまた店長がなにかやったんだな、と悟る。
しかし、このままでは話もできないと思ったセルフォスはとりあえず、暴れているヘリオライトを止めることにした。
「ヘリオライト。落ち着いてください。一体昨夜私達が帰ったあと何があったんですか?」
落ち着いたセルフォスの声音に、ヘリオライトもようやく店長に物を投げつける手を休める。
「生死の境をさ迷った・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・は?」
「夜中に突然体中がきしみだしたんだ! 頭は割れそうに痛むし、それに伴っての吐き気・・・。思い出すだけでも嫌だ! 途中で、意識がどこかに飛ぶし! 何故か死んだばあちゃんと世間話までしてきちゃったし!!」
「それは、良き体験ではないか」
「よくない」
睨むヘリオライトに何食わぬ顔の店長。
交互を見つめていたセルフォスは大きな溜息を一つ。
「店長・・・?」
また何かやったんですね?といわんばかりの顔。
「副作用はない。ただ、ヘリオライトの免疫効果を一時的に高める粥を飲ませただけじゃ。昨日の苦しみは、ヘリオライトの体内の免疫機能が、身体の中にいる風邪のウイルスを一気に排除しようとしていたからのもので、体内にいる風邪のウイルスが多ければ、それは苦しむじゃろうが、少なければ、排除する量も少ないからさほど苦しまずにすむはずだったのじゃ」
それを聞いていたセルフォスとヘリオライトはしばらく沈黙したあと。
「・・・・・・多かったんですね」
「・・・・・・多かったんだな」
「じゃから、今回は一概に我のせいでも・・・」
「でも、説明もなしに身体の弱っている病人にそんなものを飲ませるなんて・・・」
セルフォスの声が段々と下がっていくのを感じ取った店長は慌てて取り繕う。
「でも、ほら、一晩で苦しみはとれたじゃろう? 風邪も完璧に治ったし」
「人間じゃないな」
「竜でもありませんね」
「ええ〜! セルフォス。そりゃないじゃろう!?」
少々泣きが入っている店長を尻目に、二人は。
「さて、仕事、しましょう」
「そうだな」
そんな店長を無視して、仕事にとりかかった。
良かれと思ってやったことが裏目にでるとは、なんて非道な世の中じゃ・・・。
と店長は嘆いていたが、本人本当にヘリオライトのためを思ってやったのかどうか分からない上、いままでの前科がここぞとばかりにものをいい、その後、店長の差し出すもの全てはしばらく口にされなかったのは言うまでもない。
まさに自業自得。
ちなみに、この一件でセルフォスの、「店長」としての彼に対する信用もしばらくなくなった。
店長としてはその事が一番ショックだったという・・・。