君を呼ぶ声

 

体中が痛い

ここはどこだろう?

みんなはどこだろう?

何かの音が聞こえる。

でも、まぶたが重い。

重いよ・・・・。

 

それは、とてもひどい嵐のあと。

どこから流されてきたのか、砂浜に横たわっていたのは、緑色した大きな大きな竜だった。

海に飲み込まれたのか、体には至る所に無数の打ち傷、切り傷がついていた。

この大陸には伝説やお伽話ではその存在は当たり前とはいえ、現実で竜を見れることはもうほとんどなくなっていた。

それ故に、岸辺のこの竜を見つけたときの人々の反応はほとんど「信じられない」というようなものばかりだった。

当然、人々はこの竜をどうするかで議論した。

内容は、要は殺すか。生かすか。

殺す場合、どのように殺すか。見た感じだけでも、あの竜の大きさは翼を広げれば10mはあるだろう。そのような大きな竜に抵抗でもされたら、人なぞひとたまりもない。

また、仮に生かす場合、あの竜をどこで管理するか。人がコントロールできるのか。など。

この時は、もちろん竜について詳しい専門家もいるにはいたが、彼らも実際の竜を見るのは初めての者がほとんどだし、どのように扱うかなんて本には書いていても、それが実物に効くのかなんて分からなかった。

 

そして、その議論の中心の竜は。

砂浜に傷ついたまま、放って置かれていた。

 

波の音が聞こえる・・・。

鳴いて仲間を呼びたいけれど、のどがからからで声が出せない。

それに、体中がいたい。

いたくて、翼も指先も動かせない・・・。

ここはどこだろう?

みんなはどこにいるの?

鳴きたい。

わたしはここにいるよ、って。

みんなに知らせないと。

ああ。

でも。

あつい。



 

「なあっ! 見ろよ! これが「竜」だって」

「すげー!! 俺、初めてみた!」

「ねえー、危ないよぉ! ここには近づいちゃダメだって言われてるじゃん。戻っておいでよう」

「なんだよ。いくじなし! あ、なあ。肝試しやらないか? ここから、あの「竜」のとこまで行って、体にタッチしてここまで帰ってくんの

「えー! やめなよ! 本当に危ないよっ!」

「何だよ。なにが危ないだよ。大丈夫だって。だってあいつ死んでんだろ?さっきから全然動かないじゃ

「え?生きてるんじゃないの?」

死んでるよ。絶対。俺が約束する。こいつ死んでるって。な、やろーぜ」

死んでるなら安心だな。よし、俺もやる」

「あたしはやらない! だめっていわれてるから

「なんだよ。一人で真面目ぶっちゃって。じゃあ、俺達だけでやろ。お前はそこで見てろよ

砂浜に竜が流れ着いて、それを人間が発見して以来、砂浜は立ち入り禁止区域になっていた。

しかし、立ち入り禁止といわれると、そこに入りたくなる。それが、子供の冒険心。

そんなわけで、今も大人の目を盗んで子供3人が砂浜にやってきている。

「じゃあ、俺からいくぜ」

「ずる、するなよ? ちゃんと触って来るだぞ?」

分かってるって

そういうと、3人の子供のうち一人が、竜の方にのろのろと近づいていく。

その様子を見ていた後ろの肝試し参加者のもう一人の男の子が後ろから声をかけた。

「なんだよ。そのへっぴり腰―!! 死んでんだろー!? さっさといけよー」

わかってるよ!!」

そうは言っても、この竜が「死んでる」と決めたのは、大人達でもなく自分なのだ。

本当は死んでるか分からない。

自分で「死んでる」と決め付けておきながら、心の中では本当は生きてるんじゃないかとどきどきしていた。

竜の影まで入ったとき、一気にダッシュして、竜の鱗を思いっきり叩き、そのあとは行きの何倍もの早さでダッシュして帰ってきた。

「おお〜。すげえ! どうだった「竜」?」

「なんか、固かったぜ」

そう言って、触ってきた手のひらをその子が見たとき。

手のひらが血で染まっていた。

どうやら、無我夢中で竜の体を叩いたとき、鱗で手を切ってしまったらしい。

その傷はかなり深く、傷を作った当人も最初は痛みをあまり感じなかったが、みんなが驚いて自分の傷について騒ぎ立ててるうちに、次第に不安になってきた上に、痛みが徐々に出てきて、とうとう泣き出してしまった。

残った二人はなんとか泣いてる子をなだめながら、砂浜をあとにした。

 

夜がきて、辺りが静まり返ったとき。

眩しさが消えた事に気づいたのか、竜がこの大陸に来て初めて重い瞼を少し開けた。

ただ、風が吹くと傷が痛む為、またすぐ閉じてしまったが。

外傷には強いし、自己再生能力も他の生き物よりかはかなり優れている。

だが、まだ体が半分以上麻痺している。

これは、体のどこかがかなり深い傷を負っているということだ。

「ねえ」

ふと、声が聞こえた。

まだ、子供の。女の子の声だ。

「あなた「竜」? パパやママやおじさんもそう言ってたわ。それに、私が見た本に出てきた絵にそっくり」

そう言って、女の子は少し竜に近づいてきた。

「た、食べたりしないでね。きっとおいしくないから」

更に、近づいてくる。

そして、とうとう鱗に触れた。

「すごい。固いし、鋭いのね。でも、とても綺麗」

女の子は、そっと鱗に耳を寄せた。

竜のゆっくりとした、でも力強い心音が聞こえた。

「良かった。生きてる。でも、なんで動かないの?」

女の子からは、竜の体の一部しか見えない。

見えない他の部分には無数の傷がある。

女の子は竜の周りを少し歩いた。そして、その痛々しい傷を発見した。

「血が、まだ止まってないわ。かわいそう」

自分の体程ある傷を眺め。

「かわいそう」

そう言って、その女の子は泣いた。

 

次の夜もその女の子は砂浜に竜に会いにきた。

「こんばんは。竜さん」

そう言って、女の子は鱗に耳を当て、生きてる事が分かるとほっとした。

「あのね、ママが言ってたの。目をずっとつぶっちゃってる人でも、こうやってお話しし続けてあげればいつか目を覚ますって」

竜は相変わらず目を閉じたままだ。

「・・・・・私が「大人」だったらいいのに」

竜に寄り添いながら、女の子は呟いた。

「そしたら、きっとあなたを助けられるわ。仲間のもとに返すこともきっと出来るのに」

その言葉に。

竜が反応した。

閉じていた瞳を少しだが開けたのだ。

竜の体がわずかだが、振動したのを感じて、女の子はびっくりして竜の体から離れた。

が。振り返ったとき、竜の目がわずかだが開いてることを発見して。

開いてる! 目が開いてる!! 起きたのね!? ママの言ってたことは本当だっただわ!」

急いで駆け寄ってきて、竜の目を覗き込む。

「綺麗な眼。初めまして。竜さん」

そう言って女の子は笑った。

間近で人間を見たせいか、動物の本能とも言うべき警戒心から竜は思わず無意識にその女の子から離れようとした。

そう思って軽く頭を持ち上げようとしたものの、体中からあがる悲鳴によって、軽く身じろぎしただけで終わってしまった。

痛みのせいで、また眼を閉じてしまう。

それを見た女の子は悲しそうに眼を伏せる。

「何か、私にも竜さんになにかしてあげられたらいいのに・・・」

せめて、体中についた、見るも無残な傷を何とかしてあげたい。

まだ、血が流れ続けている、その血を止めてあげたい。

そしたら、またこの竜は飛べるのだろうか。

そしたら、この竜はまた目を開けてくれるのだろうか。

そしたら、この竜とお友達になれるだろうか・・・・・。

 

 

次の日の朝、まだ痛みで首すら持ち上げられない竜の周りに数名の「大人」が来た。

ここに「大人」がくるのは久しぶりだ。この砂浜が封鎖されて以来じゃなかろうか。

「大人」達は皆、深刻な顔をしていた。

「やはり、私としてはこのような貴重な資料を殺すのは惜しいと思うのですが」

一人の大人がそう話す。

すると、他の一人が神経質そうな声で。

「じゃあ、君はこの竜を完全にコントロールできるというのかね!? この竜はすでに小さな子供を傷つけただぞ!?」

「しかし、あれ半分以上子供の証言ですし・・・。その子が言っていた、「この近辺で遊んでいたら、急に竜が大きな口を開けて、自分を襲った」なんて、にわかには信じられません。もし、それが本当なのでしたら、この大きさの口からして牙も相当のようですし、あんな小さい子でしたら、まず命はないはず。それが、手の平に切り傷だけなんて・・・。現にこの竜はいまだここに流れついたときと変わらない。きっとこのひどい傷のせいで身動きすらままならないのかもしれない」

また別の一人が話し出す。

「おっと。迂闊に近づかない方が良い。どちらにしろいるだけで子供を傷つけてしまう。これから体力を回復してきて動き回れるようになったらどうなる? こいつが町なんかに入ってきたらそれこそ、このでかい翼一薙ぎで町は崩壊だ」

その言葉に他の人々も喋りだす。

「残念だが、これは研究の対象にするには大きすぎるよ」

「どちらにしろ、かなり衰弱している。弱っているうちに、我々が死なせてやる方苦しみ長続きしなくて、この竜にとっても幸せじゃないのか?」

「そうだ。幸せだよ」

「ここに、このまま置き続けるわけにもいかないし。じゃあ、やはり「処分」という形で」

「そうだな。賛成だ」

その時、最初に発言をした若者ただ一人を除いて、他の者達の意見が一致した。

自分が加護出来なかった悔しさからか、その若者はただ俯いて拳を震わせているしかなかった。

「日時は、・・・・そうだな。決まったなら早い方がいい。今度の日曜日の早朝に」

日曜日、5日後だ。

 

 

その夜。

例の女の子が、手にカゴを持って浜辺にやってきたとき、竜の側に自分以外の人間がいることを発見した。

その若者は竜の顔の正面辺りで、ただただ俯いて立っていた。

「あの・・・」

女の子が話しかけると、その若者はびっくりしたように顔を上げ、声のあった方向を見つめた。

えと・・・。君は・・・?」

「私? 私の名前はサラよ? あなたは誰?」

「・・・僕はルークだ。ええと、サラはどうしてここへ? ここは危ないから来ちゃダメだよ?」

「竜さんの傷の手当てをしにきたの。それに、ここは危なくなんてないわ。竜さんだけしかいないもの」

「だから、危ないだってば・・・」

若者が呆れたように呟けば、サラはきょと、とした顔でルークを見返す。

「竜さんが危ないの? どうして? 竜さんは何もしないわ。ただ、傷が痛いって苦しんでるだけ


その言葉に。

ルークは何故か涙が出そうになった。

そうだ。

この竜は何もしていない。

ここで、傷に苦しんでいるだけなのだ。

なのに、何故誰もこの竜を助けようとしないのか。

 

殺そうとするのか。

 

「あ、そうだわ。ルークも手伝ってくれる? 私、今日おうちから消毒液とガーゼ、持ってきたの。私が怪我をしたときはみんなこれで治ったわ! だから、竜さんにも効くと思って。これを、竜さんにつけてあげたいの」

そう言って、サラが見せてくれたのは、女の子の手で掴むには若干大きめな消毒液の瓶。

だけど、この竜にとってはとてもとても少ない量の消毒液。

それでも。

「きっと効くと思うの。量が、ちょっと少なかったかしら」

そう言って、自分の持ってる消毒液の瓶と竜を交互に見つめるサラ。

ルークは少し笑った。そして、

「ちょっとだけね」

そう言って、消毒液の瓶を受け取った。

 

消毒液をガーゼに湿らせ、傷口に押し当てていく。

血が止まっていなかった為、たちまちルークとサラは両手どころか、上半身がほとんど血まみれになってしまったが、二人はそんなことおかまいなしだった。

傷口にガーゼを押し当てるたびに、祈りを込める。

ただ、ひたすらに。傷口が早く塞がりますように。早く元気になりますように、と。

 

自分達ができそうな範囲での小さな傷の止血を二箇所やったら、消毒液とガーゼはもうなくなってしまった。

ルークとサラは、しばししょんぼりして、明日はもっとたくさんの消毒液を、今度はルークも持ってくることを約束しあった。

そのあと、二人は海水で手と顔を洗い、竜の顔を覗きにいった。

サラが竜に話しかける。

「こんばんは。竜さん。今日は貴方の傷を二つ消毒したわ。これで、貴方の苦しみも少し減るといいのだけれど・・・」

すると、二人の気配を感じてか、竜がまた眼を開けた。

その瞳の綺麗さに。

ルークは思わず言葉を失った。

そして、思った。

ああ。

生きている。と。

この竜はまだ生きている、と。

ルークは、静かに竜に近づく。

竜の方も、今夜は逃げる気配を見せない。

ルークの手がゆっくりと竜の鼻先に触れる。そして、ゆっくりとその鼻先を撫で始めた。

竜はされるがままに、しかしその綺麗な眼は開けたままで。

そのまま、ルークは頭を竜の体にそっとつける。

そこから、竜の力強い鼓動が聞こえた。

「・・・・・・ごめんな」

ルークが眼をつぶりながら、そう言った。

「俺、何も出来なくてごめんな・・・」

その、台詞にサラがきょと、とする。

「ルークは、私と一緒に傷を治したじゃない」

その台詞に、ルークは苦笑した。

「そうじゃないよ。サラ」

「?」

「そうじゃなくて・・・・」

そこまで言って言葉に詰まる。

「・・・・・・そうだよな。早く傷を治して、この竜を仲間の元に返してあげなきゃ」

「仲間がいるところ、ルークは知っているの!?」

サラが嬉しそうに言う。

「知っているよ。でも、もっとずっと向こうの大陸だ。ここの大陸じゃない。だから、早く元気になって、この竜が自分で飛べるようにならないと」

「そうね。ルークは物知りだわ」

「僕はね、竜についてずっと勉強してきたから」

「そうなの?」

「うん。いわゆる「研究者」というやつ」

「へえ〜。すごーい。でも、「竜」についてなんて、どこで知るの? 私は一冊しか持ってないわ」

そう言って、サラがカゴから出したのは、一冊の絵本だった。

題名は「魔法使いセルヒの悪竜退治」。

「ああ。これか。でも、これは実話を元にして書かれてる本だよね」

「じつわ?」

「本当にあったお話ってこと」

「そうよ。でも、この竜さんは、絵本に出てくる竜さんとは違うわ。だって色が黒くないですもの。だから、いい竜よ」

そう言い切るサラに、ルークは子供の解釈はある意味すごいなと思った。

「そうだわ! 大魔法使いセルヒがいれば、この子だって助かるじゃない?」

お話では、セルヒは魔法を使って、一撃でいとも簡単に山ぐらいの大きさはあるほどの竜を退治している。

絵本になると、かなり脚色されてしまう場合が多いが、この話に関しては、実際史実でも、セルヒは今からおよそ数百年前、最小限の被害でかなり巨大な竜の暴走を食い止めたといわれているから、絵本がさほど大げさなわけでもない。

「でも、サラ。セルヒはもう数百年も前の人だよ?」

ただ。

生きている、という噂はあるけれど。

ここから、数百キロメートルも離れた迷いの森の中で、今も生きている、と。

セルヒがもし、今でもいるなら。

この竜をどうにかしてもらえるかもしれない。

でも、それはとても無謀なことだった。

まず、昼間ここに来た「彼ら」は、まずそんな話を確証がないものとして受け入れないだろう。

セルヒのお話はあまりにも有名なので当然彼らも知っている。

ただし、もう彼らの中では「伝説」になってしまっているだろうが。

それに、それは空に手を伸ばして雲を掴むようなものだった。

ここから歩いていったとして、目的の迷いの森まで約3ヶ月。

そこから、いるかどうかも分からないセルヒを「迷いの森」で探すのだ。

 

「お手紙、出してみたらどうかしら」

「え?」

「伝書鳥で。何もしないより何かやってみなきゃ」

「住所は?」

「ルークが知っているじゃないの?」

「僕も詳しい住所までは・・・」

「じゃ、分かるとこまで」

「それじゃ、届くかわからないよ?」

そんな無鉄砲さに。

ルークは思わず笑い、それにつられてサラも笑った。

竜はただただ、静かにその会話を聞いていた。

 

 

やがて。

 

ルークが呟いた。サラはもう砂浜にいない。もう遅いからと家に帰ったのだ。

人間て、なんて傲慢なんだろう」

竜はじっと聞いている。

「他の動物の命を奪う、そんな権利なんて、どこにもないくせに・・・・」

その、澄んだ眼で。

目の前の人間をじっと見つめる。

「お前の傷が本当に早く治るといい。そして、早く仲間の元へと帰れるといい。

本当に。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんな」

俺の力が足りなくて。

お前は何も悪いこと、してないのに。

そう言って、ルークは泣いた。

竜は、ゆっくりと目をつぶった。

 

仲間の元へ早く帰りたい。

のども相変わらず痛い。

体も痛い。

でも、前ほどじゃない。

早く帰らなきゃ。

ここは、嫌な感じがする。

早く、行かなきゃ。

 

 

日曜日の朝。

大きな大きな杭が数本、それから太い綱が用意された。

早朝で秘密裏にやる、と言ったのに、どこから情報が漏れたのか、一定の距離で張ってあるロープの外には多くの人が集まっていた。

ロープの内側には、前にこの砂浜でルークとともに話し合いを行っていた数名、それから、竜を殺す為に雇われた数十名の男達。

ルークもその中にいた。

どうしたら、竜を苦しまず殺せるかを指導する為だ。

明確にいえば、どうしたら暴れずに殺せるか、だが。

 

竜は相変わらず来た時と同じ格好で、身動き一つしない。

 

ルークは、心の中で思っていた。

あの竜が一度動き出せば、ここにいる連中がいくら束になっても押さえつけるのは不可能なんじゃないだろうか。

だから。

お願いだから、起きてくれ。

そして暴れろ。

そうすれば、お前は死なずにすむ。

自由だ。

 

そんな、ルークの願いが通じたのか、竜が眼を覚ました。

それを見た、他の人々は一斉にざわめきだした。

それは当然だった。竜が昼間眼を開けるところなんか誰も見たことがなかったのだから。

当然、指揮者は慌てた。

「や、やれ!」

その号令とともに、綱を持った男達が一斉に竜に駆け寄っていく。

だが、それより早く竜が頭を上げた。

ルークがあっと思ったその瞬間、軽く地面から浮かせていた竜の頭は瞬く間に数名の男達の手によって、再び地面に縫い付けられた。

首の付け根には太い綱が上から押さえつける形で横断している。

竜が今持てる全ての力を持って頭を振り、自由になろうと足掻く。

だが、押さえつける人数は一人、また一人と増えていき、竜の動きを確実に止めていった。

と、同時に。

太い杭が竜の、一番深い傷の所をついてきた。

それは、一本ではなく。

数名の男達の手によって持ち上げられた杭が、いまだ血が止まらない竜の深い傷をさらにえぐるように、一本、また一本と刺していったのだ。

刺されるたびに、竜は激しく身悶えた。

だが、頭はがっちりと押さえつけられたままで。

慌てて翼を広げようとしたその翼さえも、杭を差し込んだ男達が今度は杭から手を離し、そちらを抑えにかかる。

綱で翼も広げられないように押さえつけられた。尾さえもすでに押さえ込まれている。

それでも、よほど痛いのか、竜は暴れることをやめない。

もはや、少ししか動かせない体で。

でも、必死に足掻いている。

傷口からは、暴れるたびに激しく出血し、砂浜や波打ち際を赤く染めた。

人間達はそんな竜の抵抗をなんとかなくそうと必死にいろんな箇所から剣やら、槍やらを刺す。

刺されるたびに段々と、竜の抵抗も弱くなっていった。

ルークは、もうこれ以上見ていられなかった。

周りが制止するのも構わず、竜に駆け寄る。

「もう、充分じゃないかっ!!」

そう言いながら、首を押さえていた人間達につっかかり、引き剥がそうとする。

「もう充分だ! この竜だって・・・。もう、死ぬ」

そう言って、改めて竜の顔を覗く。

眼はもうほとんど生気を失っていて。

ただ。

泣いていた。

泣いていた。

そして、首の綱が少しゆるんだ時、初めて声を発した。

声はかすれていた。

だけど、仲間を呼ぶ、何かに救いを求めるような、そんな声で。

小さく。

細く。

 

それを聞いた人々に、初めて「憐れみ」の念が生まれた。

竜を押さえていた男達がゆっくりとその体から綱を外し、降りてくる。

申し訳なさそうに。

だけど、竜の鳴き声は止まなかった。涙も止まらなかった。

ルークが竜の顔に近づき、泣きながら「ごめん」と繰り返しても、その眼はもはやルークを見ていなかった。

ただ、鳴き続けていた。

その時。

 

「何をしておる」

 

静寂を破る、一つの声。

皆が、驚いて声がした方向を見る。

その声はかすかに震えていた。

「何をしておる」

その問いに答えられるものは、この竜が鳴く前ならたくさんいただろう。

だが、今は誰もいなかった。皆、ただ黙っていた。

 

その声の主は男だった。

真っ赤な髪を優雅になびかせていた。

傍らには、その男の裾を固く握り締めながら顔を青ざめさせて泣いているサラの姿があった。

 

男はゆっくりとロープをくぐり、竜の元に近づく。

その顔は悲しみが宿っていた。

竜はまだ鳴いている。

泣いている。

その男はゆっくりと竜の鼻先に手をあてる。

そして、竜に語りかける。落ち着かせるように。ゆっくりと。優しい顔で。

「もう、大丈夫じゃ。我が来たからには、主を決して傷つけさせぬ。我が主を守ってやる。じゃから、もう泣くでない。安心せよ」

その言葉に竜の鳴き声が少しずつやんでくる。

眼には、生気が宿ってきて。

「よ〜し、よし。いい子じゃ。主はいい子じゃ。我が分かるか」

竜がじっと、正面の人物を見つめる。

その仕草に、赤髪の男はにっこり笑い、

「よし。分かるな。聡い子じゃ」

そう言って、竜の鼻の頭を撫でた。

 

それから、その男はくるりと後ろを振り返った。

そして。

「何故、このような惨い事を?」

そう尋ねた。

 

しばらくは沈黙が漂っていたが、やがて責任者である男が口を開いた。

「その竜は危険だからだ」

「危険? この竜が主らに何か迷惑をかけたのか?」

「子供を傷つけた」

「動けないのに?」

その言葉に責任者の男が答えに詰まる。

赤髪の男は、しばし呆れたようにその男を見つめていた。だが、一向に答えが返ってこないのをみて、言葉を発する。

「のう。主らは「神」か?」

「は? いいえ? 我々は人間ですよ?」

「なら何故、傷つける?」

「え?」

「何故、殺そうとする? 主らにそんな権利があるのか?」

 

「だ、だが、元気になれば我々の町が襲われるかもしれん! この体で町に来られたら、それこそ大惨事に・・・」

「この竜は、そんなことはせぬ。元気になったら仲間の元に帰ろうとするだけじゃ

「な、何故そのようなことが言い切れる!?」

「そういう種族の竜じゃからじゃ。緑の一族本来争い好まぬ、体は大きいがとても穏やかで心優しい竜じゃ。それを知っていてか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「人間は、本当に傲慢じゃ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「自分達の生活に害をなすものは全て「排除」するのか? こんな無抵抗の竜でさえも」

「・・・・・・・・・・」

「傷つけて、殺すのか?」

「・・・・・・・・・・」

「じゃあ、竜の「生活」はお構いなしか?」

「!?」

「竜だって生きている。当然、生活もする。主らは、今まさに一番最悪なことをしてこの竜の「生活」を脅かしておったのじゃ?」

その台詞に。

皆、俯いた。

赤髪の男は、溜息をついた。

「人間は、愚かじゃ」

そして。

「本当は、この竜が主らを恨むのなら、我は主らを一人残さず殺してやろうと思ったが、生憎、この竜は主らを恨んでも、怒ってもおらぬ」

その言葉に、責任者は密かにほっと溜息をつく。

「ただ」

 

「ただ、この竜は悲しんでいただけじゃった

 

その言葉に、人々はもはや何も言い返せなかった。

赤髪の男は、ゆっくりと竜の鼻の頭を撫でた。

「主は優しいな。優しい、いい子じゃ」

そう言いながら、鼻の頭をゆっくりと撫で続ける。

「我と共に行くか」

竜に向けて発せられたその言葉に、ルークがはっとして赤髪の男を見つめる。

ルークのその態度を、少し苦笑混じりで見つめながら、赤髪の男は

「なんじゃ?」

と、問う。

「貴方はこの竜を助けられるのですか?」

こんなに大きいのに。

この男一人で、どうやって、どこへ持っていくのか。

そんな疑問がルークの頭の中に浮き上がる。

「そうじゃが、なんじゃ? 不満か?」

「いっ、いいえ!? この竜を助けてくださるなら何にも不満など! あの、何か俺に出来ることがあります?」

その、台詞に赤髪の男は微笑み。

「主はいい奴じゃ。じゃが、助けは不要じゃ」

そう言うと、男は竜に向かって再び話しかける。

「少しの間、痛いが、我慢せよ。良いな?」

そう言うと、男はわけの分からない言葉を発し始めた。

やがて、ばらっという音とともに、竜の体に刺さっていたものが全部竜の体から外れて砂浜に転がった。

人々は驚きで、開いた口が塞がらない。

次に、赤髪の男は、責任者の男に向かって話しかけた。

「この竜は我が持っていっても構わぬな? どうせ、主らには必要ないのじゃろう? なに、主らに迷惑はかけぬ」

「あ、貴方は一体・・・?」

「我か? 我が名はセルヒじゃ」

「セルヒ!?」

途端に、人々の間からざわめきが聞こえ出した。

セルヒはそんなことお構いもせず、責任者の男に詰め寄る。

「良いな?」

「あ・・・・。はい」

良し

その台詞にセルヒは満足そうに笑うと、再び竜の元に歩いていき、竜に話しかける。

「きついかもしれぬが、その姿では我は運べぬ。故に人型をとってもらうが良いか?」

竜はただただじっとセルヒを見つめている。

良し。あ、と。主、毛布か何かもっておらぬか?」

いきなり話しかけられて、ルークは慌てて、人ごみの方に毛布を持っている人を聞きに行く。やがて、一枚の大きなタオルケットを抱えて帰ってきた。

「感謝するぞ」

セルヒは満足げに言った。

そして、竜に何かを囁き始めた。

次の瞬間。

あの大きな竜の姿はどこにもなく、波打ち際には一人の男が裸で倒れていた。

体にはいたるところに見るも無残な傷があり、そのせいで男は意識がないようだった。

セルヒはその男を大事そうにタオルケットにくるみ、抱えあげると、今までずっと裾を握っていたサラに話しかける。

「これで、この竜はもう大丈夫じゃ。サラ、我を呼んでくれて本当に感謝する。お陰で、この竜の命を救うことができた。主は命の恩人じゃ。あとは、我に任せるが良い」

だが、サラはセルヒの服の裾を離そうとしなかった。

「私も一緒に連れてって」

その願いをセルヒは悲しそうに首を横に振って拒絶した。

「今はまだ時期ではない。この竜も傷が癒えるまでもう少し時間がかかるじゃろう。じゃが、時がきたら。この竜の傷が完全に癒えたら、そのときは主を呼ぼう」

その台詞に、サラは必死な顔で「絶対よ!?」と言った。

「約束じゃ」

そして、セルヒはルークの方を振り向くと、

「主はどうする? 我とともにいくか?」

「行きます」

そう言って、ルークはセルヒの元に駆け寄った。

 

 

 

数日後。

人型になった竜がセルヒに保護されて、初めて目を覚まし、言葉を発した。

「こ、ここは?」

近くで、竜の世話をしていたルークは飛び跳ねて喜び、大急ぎでセルヒを呼びにいった。

「おお。やっと気がつきおったか! 具合はどうじゃ?」

セルヒの姿を見た途端、竜は慌ててベッドから降りようとした。

ルークはわけがわからないまま、慌てて竜をベッドに押し留めた。

そんな態度にセルヒは笑って。

「良い。許すぞ、緑竜の。そのままで良い」

「・・・・・・恐縮です。我らが竜を統べる王よ」

ベッドの上で深々と頭を下げる。腰まである豊かな黒髪がさらさらと音を立てて、肩を滑り落ちる。人型になった竜はとても端麗な顔立ちだった。

セルヒの素性を初めて知り、ルークは恐縮した。

そんなルークを見て、セルヒはまた笑う。

「良い。主もそんなに恐縮するな。普段どおりで良いのじゃ。我はあまり肩ぐるしいのは好まぬ」

そして、セルヒは改めて竜の方に顔を向ける。

竜は相変わらず頭を垂れたまま、こう言った。

「・・・・・助けていただいて、本当に感謝しております。あのままでしたら、私は確実に命を落としていたでしょう」

「・・・・・・主はそれでも、あの人間らを恨まなかったな」

「・・・私はただ、帰りたかっただけなのです。仲間の元へ。でも、それがあの人達に伝わらなかった。伝える術を持たなかった。それが、どうしようもなく歯痒かったし、悲しかった」

ルークは黙って聞いていた。

「それから、この身が邪魔なんだ、と言われてあのようにされたときも、やはり悲しかったのです。決して人間を傷つけない。私はただ帰りたかっただけなんだ。でも、あそこにいることさえも邪魔だと判った時が・・・・。私はもう、どうしていいか分からなくなって・・・・。じゃあ、私はどうすれば良かったのか。どうすれば、邪魔もの扱いされずにすむのか・・・」

そう言って、竜は俯いた。

そんな竜をセルヒは優しく抱きとめる。

「主は優しい。とても、優しい竜じゃ」

その側で、ルークは自分があの時なにも出来なかった歯痒さで、ここにいる資格すら自分にはないのではないかと、俯き、二人を見ることが出来なかった。

「主は邪魔じゃないぞ。ここでは、必要じゃ。とても、な。我の近くにいておくれ」

「王・・・」

「主のその傷では、当分もとの大陸へは帰ることは出来まいが・・・」

セルヒが済まなそうに言うと、今度は竜がセルヒを抱きしめ返す。

「いえ。王が必要とされるのであれば、私は傷が癒えても王のお側で王に仕えることを誓います」

「そうか」

セルヒが満足そうに微笑む。

そして、ルークの方を振り向くと、またにっこり笑った。

「主は、悪くない。あの時、立場上何もこやつにしてやれなかったかもしれぬ。じゃが、こやつを我が助けようとしたとき、手を貸そうと動いてくれたのは主、一人だけじゃった。本当に感謝しておる。だから、主はそのことを自慢に思えば良い。我は、主のような人間がいるお陰で、人間を好きでいられるのじゃ」

そう言われて、ルークは思わず視線を逸らした。

でも、とても嬉しかった。

「さてと、緑の。主の名前を聞こうかの」

「はっ。セルフォス、といいます」

「セルフォス、か。良い名じゃ」

 

 

 

 

セルフォス、もう少し元気になったら、主にもう一人会わせたい人間がいるのじゃ。

名前はサラと言っての・・・・・

 

 

 

       

 

 

                            End