2003年3月


2003年3月22日(土)
CCNA受験への動機付け
CCNAを受験することにしました。CCNAに関してはいろいろと因縁があるのですが…それは追い追い述べていきます。しかしあなた、受験料15500円ですよ、15500円。落っこちたらたまったもんじゃないですよ。実は一回落ちてます。この日記に書く意味としては、落ちないように自分自身にゆるやかに圧力をかけていくためでもあります。現在僕は無職であり、まあ、CCNA持っているぐらいですぐに
就職に結びつくほどのものでもないんですが、なにもしないよりはいいだろう、くらいの気持ちで。

※CCNAとは?…米国シスコシステムズ社のネットワーク技術認定資 格。シスアドよりマイナー。シスアド程度に持っている人はたくさん いる。合格レベルに達していれば、明日試験の予約を入れて試験後数 分後に合格書がもらえるのがいいところ。 落ちると経済的にかなり 痛い。


2003年3月23日(日)
CCNA激闘編 2003年3月23日
勉強…できてません。シスアドとかと違って試験日を自分で設定できるので、まずそこからはじめてやらないとなぁ。自分の方向性に不安があるから、ハッパがかからない。今日は哲学者東浩紀氏の書物を読む。「脱構築」の概念に少し触れる。ユング心理学の本も読む。聖書のエピソードがたびたび出てくる。?、ユングって科学じゃないの?
あかんなぁ、こんな調子じゃあ。

2003年3月24日(月)
CCNA激闘編…はお休み
こんなんでいいのか。いや、なにせ前の職場でのいろいろがすっきり片付いていませんで…今詳しいことは書けないんですが…新しい気持ちで机に向かうことができないですよ。自己嫌悪。あと数日ですこしづつ片付いていく予定なので…おやすみなさい…

2003年3月25日(火)
CCNA激闘編
今日はさすがにテキスト開きました…その他、保険料を払ったり、家賃を払ったり。銀行行った以外は一日中机に張り付いてた…ネットやってる時間が多いんだけど…食費は500円いかない程度…よかった…勉強時間は?…んん…あかんなぁ…危機感あるの?…27歳…寝よ…だめでしょ…まずいなぁ。

2003年3月27日(木)
哀戦士編
立ってられるのは もう少しなんだ
間違いはないのか? 間違いはないのなら
いつもの様な いつも在る様な
暗い朝 待焦がれてる

words:Kazumasa Tanaka(GRAPEVINE);from「愁眠」


2003年3月28日(金)
3年遅れのGLAYブーム
家のミニコンポからGLAYの歌が流れ続けている。「普通さ」が心地よい。3年前はいたるところでGLAYが流れていた。その頃のノスタルジーもあってか、ずっと聴いている。まったく音楽聴かないような日が続いていたのに、おとといあたりから、ずっとである。ソレハソレトシテ受験日を設定しないと。一応4月上旬あたりを考えてるんだけど…。インターネットはコミュニケーションを変えるか、ということを考えてみた。マスメディアとしてのテレビの出現は革新的なものであり、活字媒体と相互作用しながら大きく普及し技術的にも発展してきた。しかしながら、テレビはもはや「マス」メディアではない、というのが僕の考えだ。新聞もまた然り。現在「マス」メディアというものは存在しないのではないだろうか。大新聞の社説や読者の意見に心を動かされる人がどれくらいいるだろうか。片やイラク情勢を深刻に語る番組の数分後にバラエティー番組をやるのがテレビである。TVCMに巨大な資本が動いていることは皆知っている。インターネットはどうだろうか。ユーザーは自分の知りたい情報を瞬時に取り込むことができ、同じ趣味を持つ者と双方向的なやりとりができる。そこには従来テレビや雑誌にあったような上から下へ=識者から大衆へ、といった構図は存在しない。コミュニティも流動的だ。地域社会のなかで1つのテレビを囲みながら、力道山や王、長嶋に熱を上げるような構図はもはやあり得ない。現状、ネット上でのコミュニケーションは趣味をおなじくするもの、日ごろ顔を会わせているもの、または稀にしか会えないものどうしでの情報のやりとりであり、それは一般的には閉じた世界である。こう書くと悲観的にみているようだが、インターネットの可能性を論じる上で、独自の多人数による双方向性コミュニケーションという点は重要だ。この点については、まだまとまった考えがないので…機を改めて書きます。


2003年3月29日(土)
ユング心理学入門
河合隼雄氏の本はたいへん読みやすい。直接語って聞かせているような感じさえ受ける。それでいて薄っぺらい感じはなく、細部まで緻密な論理を身近な例でわかりやすく説明する。C.Gユングは、個人の意識が認容しがたいとしている心的内容、無意識下に抑圧されたものを影(シャドウ)と呼び、…と、ここまで書いてたいして読み込めてないことに気がついたので、今日は寝ます。


2003年3月30日(日)
survival
土日は気持ちを緩ませてたけど、明日からひきしまっていきましょう。明日は受験日決定&申し込みをする予定。それからビデオ返却。

2003年3月31日(月)
14年度の終わりに
消える国境、三島由紀夫はもういない

日本が日本であること、その理由はもうなくなってしまった。天皇制よ今一度、と謳った三島はとうの昔に死んでしまった。良いも悪いもない。それが戦後民主主義の歴史なのだ。政治はいつも目の粗い網であり、人間の魂はその間をすりぬけていく。坂口安吾は言った。僕達はかつてない不毛の荒野を生きているのかもしれない。でも、それは大したことじゃない。価値観の移り変わりは速くなった。もう過去の慣習にとらわれる必要はない。獲得する意思のなかった自由が、今ここに、転がっているのだ。

給食のタマネギが食べられなくて泣いていた少年は、今年で28になり、せまいアパートで、こんな文章を、書いている。