第7章 杜の宮の悲劇

 地元一宮で行われるライブイベント「杜の宮市」まで後1ヶ月。ハモネプを目指していた頃のように毎日練習はできないが、週に2回、メンバーが集まれる水曜日の22時から、短時間で濃い練習をすれば、ライブまでに間に合う!と俺達は考えた。そして、そうなるはずであった・・・

 1ヶ月という練習期間、それに1番負担がかかったのは、新メンバーの西川であった。ウッズが春休み中にやった事を、短い時間で自分のものにしなければならないのであるから。そしてもう1人、「クマゲ」であった。彼はハモネプの時できた事が、なぜか出来なくなっていた。ハモネプからの多少の時間の空きが、彼には重くのしかかっていたのである。やはり、時間には逆らえなかったのだろうか?杜の宮ライブ前日に合わせた演奏は、ハモネプまでに築き上げていたものには遠く及ばなかった。

 それでも、ライブを不参加にするわけにはいかない。大きな不安を抱えたまま、俺達は舞台にあがらなくてはならなかったのである。ハモネプで披露した曲と同じ「Say The Word」。しかし、出来上がったものは、同じではなかった。俺達のライブは失敗に終わった。ハモネプの時とは違う、あきらかにメンバー全員が気づく事のできる失敗であった。このライブを終えた俺達中には、「やっぱり出るんじゃなかった・・・。」という、後悔しか残らなかったのである。

 ライブ後、俺達はノリタケの家に行った。ノリタケの母が、ライブの様子をビデオに撮っていたのでそれを見ようという事になったのだ。
「失敗は失敗。しかし、それをいつまでも悔やんでいてはしょうがない。その失敗を受け入れ、次につなげよう・・。」リーダータネヤの提案であった。その場には、歌串の共通の友人「ハヤノ」という男もいた。彼は俺達のライブを見たかったが、訳あって見られなかったので、一緒に見たい。という事であった。

 ビデオを見終えた俺達は、やはりショックを隠せなかった。中でもやはり、クマゲと西川は、出来が良くなかったせいか、ショックだった。俺とタネヤとノリタケは、2人を励ました。しかし、メンバーの中には重い空気が漂っていた。ただビデオを見に来たハヤノは、黙っているしかなかった。そんな中、西川が口を開く、
「俺はアカペラをやっていく自信がない。」
もともと彼は、自らの意志ではなく、タネヤに誘われてアカペラを始めたのであったから、今回与えたショックが、彼のアカペラに対する意欲を失わせるには、十分なものであった。そして、西川と同じように自信を無くしていたクマゲも、アカペラに対する意欲をなくしていた。クマゲはさらに、浪人生であったから、勉強とアカペラの両立の難しさにも、目をそむける事は出来なかったのである。俺とタネヤとノリタケの3人は、彼らの気持ちを理解した。しかしまだ、2人の中にわずかな意欲があるとすれば、まだやっていける。そうも思った。ノリタケは2人に呼びかけた。
「次の水曜日(練習の日)、アカペラやりたいやつだけ集まろう!」そう言って。俺達は別れた。

 そして次の水曜日、俺はバイトの為、遅れて練習に行った。・・・そこには西川とクマゲの姿はなかった。しかしなんと、俺の他に3人いたのだ。ノリタケとタネヤ、そして・・・・。

第8章 歌串を救った男
 練習場所にいた3人とは、ノリタケ、タネヤ、そして・・・なんと「ハヤノ」だった!先日の杜の宮ライブのビデオを、一緒に見に来た「ハヤノ」。彼の姿は、もうすっかりメンバーのように、タネヤとノリタケにとけこんでいるようだった。驚きの様子の俺を見てノリタケが言った。
「新メンバーです!!」
俺の驚きに対してはあまりにもあっさりとした答えだった。しかし、その言葉によって、俺の驚きは、喜びの驚きに変わった。何故ハヤノがいるんだ!と言う驚きが、歌串は3人にならなくてすむのだ!という喜びに変わったのである。ハヤノは、俺のそんな興奮の気持ちが沈まないうちにこう言った。
「歌いたいから来ました!!」
確かにノリタケは杜の宮の悲劇の最後、「アカペラをやりたいやつだけ練習に来い。」と言っていた。
「あの後、ノリタケからも誘われて、、、俺、、、、前々からりたいなぁって思ってたからさ。」
ハヤノはこう付け加えた。俺にとって、いや、歌串にとってはかなりのありがたい、そして嬉しい言葉だった。これで俺達はまたアカペラをやっていける!!そう思ったのであった。

 ハヤノとは、彼もまた俺達と同じ高校の友達で、1年の時、俺、ノリタケと同じクラスで、2年生までは俺と同じバスケ部だった。そのことから、俺もノリタケもよく知っている。しかし、俺はハヤノの歌声は1度も聞いた事なかった。バスケ部でカラオケに言った時も、ハヤノは歌わなかったのであるから。ハヤノって歌が好きだったっけ?俺は少しの心配が沸いてきた。しかしそんな心配を吹き飛ばすことが次に起こった。それは・・・さっきまで3人で練習していたといっていた曲を、聞いた事である。曲は、前々からやろうとおもっていた、サザンの「TUNAMI」。練習していたといっても、俺が遅刻したのは15分ほど、その短時間で「ハヤノ」は、サビの部分をもう覚えており、しかもある程度きれいにハモッていた。15分もあれば簡単にできると思う人もいるだろうが、アカペラを初めてやった、しかもハモるということを初めてやった人は、そんなに簡単にできるものではない。現に、クマゲ、西川が、1フレーズ覚えてしっかりハモれるのに、どれくらいの時間がかかっただろうか。さっきまでの心配は、とうに吹っ飛んでいた。 そしてハヤノは、その日のうちにみるみると成長を見せたのである。

 そう、俺達はこの日、ハヤノのポテンシャルの高さを痛切に感じた。明らかにクマゲ、西川にはないものを、彼は持っていた。さすが、ノリタケが誘っただけの男ではある。そう俺は思った。こうして歌串の危機は、ハヤノという男によって救われたのであった。

 3人から4人になった歌串、週に1度の練習を、俺達は無駄にしないよう懸命に練習をしたが、一つの虚無感が、俺の中にあった。リードたねや、コーラスノリタケ&ハヤノ。そして俺はボイスパーカッション。ボイパをやっている俺としては、ウッズがいた頃のように、ベースと合わせてみたいという願望が、心の中に大きくあった。4人のままではいけない。ベースが欲しい。そういう欲求が、練習をすればするほど沸いてきた。しかし、平日で、しかも地元一宮での練習。募集をしてもきてくれるだろうか・・・。となるとやはり、ベースは諦めるしかないのか・・・。しかし・・・・・・。そんな葛藤の中、ある日俺は、一つの冒険に出ることを決意した。

第9章 MENSOUL
 ハヤノが加わり、4人になった歌串。しかし俺にはベースと一緒にやりたいという願望が強くあった。そこで俺は、『もう1つグループを持とう』と思ったのであった。カケモチしようと思ったのである。そこで俺は、インターネットの検索で、アカペラのメンバー募集をしているサイトを見つけ、その中からVPを募集しているバンドで、条件が合いそうな所に、片っ端からメールをした。しかし、、、返事がこないところが多く、返ってくる所は「すいません。もう締め切りました。」という返事しかこなかった。そんな中、ある1つのグループから、返事の電話が来た。『MENSOUL』というバンドであった。電話の主は、リーダーのJさんからのものであり、その内容は、「一度会いたい。」というものであった。ついに来た!待ちにまった返事で、俺の気分は高まった。歌串とは違うバンドもやって、俺はさらに成長してくるんだ!・・・そういう構想が、俺の中に出来上がっていたのであった。そして俺は近々、MENSOULの練習に参加する事になったのである。

 電話の口調はずいぶんと大人びていて、社会人といった感じの声であった。そう言えば、メールをしたグループの中に、社会人グループが一つだけあったのを思い出した。そう、名古屋でも有名なアカペラバンド、MENSOULを、俺はこの時まだ、全く知らなかったのでる。いや、MENSOULだけでなく、名古屋のバンドを、俺は全く知らない。知っているのは、ハモネプのグループだけであったのだから。

 MENSOULというバンドがどんなものか、俺は期待に胸をふくらませ、MENSOULの練習場所へ向かった。Jさんに案内された場所は名工大のとある部室であった。そこには既に、コーラスのSさん、Nさん。そしてベースのKさんがいた。Jさん曰く、リードのKさんは、今日は用事でこれないそうだ。早速、俺はMENSOULに出された課題曲、「Zonbie Janboree」と、「Thank you」をメンバーと一緒に合わせることになった。しかし・・・・・・演奏が終った後、俺には衝撃しか残らなかった。「うまい!!」いや、「上手すぎる!」。ハモネプしか知らなかった俺にとって、MENSOULの演奏は、あまりにも大きすぎたのであった。 そう、俺はまさに、井の中の蛙であった。ハモネプのグループなんかより、上手いグループは、名古屋にはいくつもあるのだと思った。俺より上手いボイパなんて、その辺にごろごろいるんだと思った。今までずっと、1人でボイパをやってきて、1つのグループと一緒にやってきた俺に、MENNSOULの存在は、凄く大きかった。そして次には、MENSUOLからおもいもよらない課題が出された。それは、「コーラスもやってみて。」という事であった。意外な言葉に俺はさらなる戸惑いを生んだ。コーラスというものを、俺は今まで全くやった事なかったのであるから。結果、俺はコーラスを披露できなかったのであった。

 MENSOULはみんないい人ばかりで、すごく上手いし、いろいろ教えてもらえる。大きな衝撃を受けたのは事実だが、逆にいえばこれは、大きな成長である。こんな人たちと一緒にやっていけるとするならば、俺はすごく成長していける。俺はそうも思った。しかしやはり、こんなに凄い人たちと一緒にやっていける自信もなかった。今の俺にはとりあえず、数日後の結果をまつことしか出来なかったのであった。