2015.11.15


仕込みが終わってからの日々〜自分へのご褒美三昧と初イベントなど〜

10月20日
お盆以来の休日。甲州の醗酵終了待ちで醸造所から離れられない夫を残して紅葉まっさかりの蓼科へ。
一人温泉&読書&一人泡を楽しんで翌日はお気に入りの場所にちょこっと寄ったものの午後一には仕事に戻って酸の分析など。
その6日後、甲州の醗酵終了を見届けた夫はなんと同じお宿へ。
仲が悪いんだかいいんだか。。



10月21日
わが家の定番ご褒美いづ屋さんin山梨市。カウンターではワインに合わないものは出てきません。
(若は銀座や西麻布の名店で修業しワインも勉強されました)
リリース前の千野甲州2014、メルロ2013とともに、本ししゃも
金目鯛の昆布締め
〆のミニチュア雲丹イクラ丼
13年版『ワイナリーに行こう』では石井もと子×実力派シェフ対談会場となり
ご近所出身の林真理子さんも絶賛する、山梨なのにびっくりなお寿司屋さんです。







11月7日 初のワインツーリズム参加。

狭いワイナリーに不特定多数の方が来られることを恐れて昨年まで参加を見合わせていましたが、スタッフも増えたことだしと改心、山梨市駅前広場に出店しました。事前の告知も十分にできなかったので来客数はそれなりでしたが、その分、いらして下さった方とはたくさんお話ができました。私達のことを全く知らない方も多いだろうとこんなパネルも製作。



しばらく直売店に飾っておくので見にきて下さいね。








〜2015年の仕込みをふりかえって〜

今年の天候を振り返ると、6月初めの開花期は晴れが続いたものの7月上旬には長雨があり、梅雨明け後は一気に35度以上の猛暑日がほぼ一ヶ月、その後8月中旬からの成熟期からは曇りや雨が続き9月半ばまでの日照量が記録的に少ないというものでした。
旭洋酒では自社畑の欧州種は8月下旬から9月半ばまでの収穫、甲州も最後が10月半ばなのでこの天候の影響をもろ受けました。その後9月下旬からは一ヶ月以上秋晴れが続いていましたので、ここらより一ヶ月ぐらい熟期が遅い長野あたりのブドウはぐんぐん挽回してるんじゃないかとちょっと複雑な心境になったものです。結果としては長野でもよかったところは限られていたり、山形はすごく良かったという話もあるようですが、まあ全体としては難しい年だったようです。

最後まで粘ったシラー。糖度が上がらないので収穫前に下半分を切り落としました。

早熟品種主体のうちの自社畑の場合は昨年も収穫前一ヶ月の日照不足にたたられたので2012、2013と自分史上最高の年が続いたあとは2年続けて厳しい年。今年は花の時期に天気が良かったので実の着きがよく、一房が大きくなって少ない日照では全体が熟さないため、少しでも底上げを図ろうと収穫の直前まで摘房・摘粒を繰り返しました。ワインでよい結果を出すためとはいえ、たわわに実って色づいた房を落とす作業は気が滅入るものです。

さて、ここまでのところグチにしか聞こえないと思いますが、天気のことはきほん、何を言ってもしょうがないわけです。
それは重々承知しております。なので次からは反証。ワインは人がつくるものでもある訳で、自然条件が悪い年ほどやる気がでて良い結果を生むことがあるのもまたパラドクサルな真実なのです。

自分が今年よかったのは、去年ガクンときて痛い思いをしたのが身に染みていて、最低限クリアしたいレベル設定がはっきりしていたことです。去年よりいい結果をださねば、という気持で春からやってきました。
毎年大雨が降ると水がたまる陽畑のせぎには前もってトタンをはめました。

それから今年は遠方から大志(?)を抱いてやってきた若者(??)がおりましたので、自分のモチベーションも引き上げられて、彼の勉強(経験)のために基本にかえってブドウに向き合ったように思います。
畑の中での樹の個体差(熟度の違いや異変など)も一人だったら「見なかったこと」にしてしまったかもしれない現実を、確認し合う相手がいたことは心強かったです。

というようなわけで、天候はいい年ではありませんでしたが、わりとやりきれた感はあります。

収穫に続く仕込みも体力的にわりともちました。
うちの仕込みって一見「もっと楽なやり方があるんじゃないの」ってのが結構あるのですが、場所的縛りなどもあり、年に数回だからと体にムチ打ってやっちゃう感じなのです。
でも私も築(四捨五入すると)半世紀ですから、年々しんどいなーと感じるようになり、今年の冬から体質改善のためにヨガを始めたところ、みるみる代謝がよくなってそれまでより食が細くなり、体が軽くなったことが仕込み期間の疲労軽減につながった、、、ような気がします。
それとも、男ふたり(醸造家と新米)が私の老体を気遣ってくれたお蔭なのか、満を持して飲みだしたセサミンの効果なのか。。。いずれにしても、疲労が最高潮に達してちょっとつつかれれば倒れてそのまま爆睡してしまいそうな日は数日ありましたが、その時以外は常に前向に仕込みに取り組むことができたと思います。

夫の方も、内面はもちろん分かりませんが、いつになく粘り強くやっていました。
今年初めて試せたこともいくつかあり、その結果は今後ワインが安定期に入ったら徐々に出てくるかと思います。

そんなことで、2015年のワインは高いモチベーションを維持しつつ作られたものでありました。いえ、これから瓶詰までも気を抜かずに頑張ります!一番早いクラシックは完売している一升瓶から来月初めごろのリリースです。どうぞお楽しみに。


〜今年の仕込みをふりかえって 番外編〜

疲労が最高潮に達していた9月23日(シラーの仕込みの日)に届いたとっても嬉しい差し入れ。
白馬の山楽荘さんから手作りビーフシチューがタッパーに入って。
普段お肉をそれほど食べない私たちですが、ホロホロに煮込まれていて超美味でした。これが内田せんせいも絶賛していた山楽荘さんのビーフシチュー!と感激・完食しスタミナ倍増で見事に復活しましたとさ。
玉村さんのお皿に盛りつけ、それいゆメルローと。





〜今年の仕込みを振り返って 農家の若返り編〜

今年一番嬉しかったのはぶどう生産者が大幅に若返ったこと。
去年一昨年とうちの自社畑の主力選手だった萩原君も自分の畑に3年前に植えた甲州と甲斐ノワールが初収穫となりました。
皆様お待ちかねの甲斐ノワール。180kgを大切に仕込みましたよ!

今年から甲州を入れてくれることになった若手も他に2名。
萩原君と同じUターン就農の根津君

4年目になる横浜出身の松崎さんの甲州は今年大豊作。

こんな感じにここ数年で確実に若返っています。農業に活路をみいだして山梨に根をはった皆さんの笑顔がずっと続くよう、手を携えてがんばろー!オーッ。










2015.4.24

低温と日照不足で作物への影響が心配されるシーズン幕開けとなりましたが数日前から気持のよい日が続いています。3月の終わりにピノとメルロの補植をしましたが雨も多かったのでおおむね活着したよう。ブドウの芽吹きも遅れていましたが漸く目に見えて進んできました。同時に畑の草もめきめき伸びて一昨日と昨日で二人に草刈りをしてもらいました。
この2人です。

右は先輩となったUターン就農の萩原くん。坊主頭にメガネは一緒ですが左が3月から正社員となったヤマケンこと山本健太郎です。萩原君が自分の畑に専念する来年からは主任として頑張ってもらいます。
以下本人から自己紹介です。どぞ。


学生時代に飲食店でアルバイトを始め、山梨に来る直前までは大阪・道頓堀のお好み焼き屋さんで働いておりました。もちろん、ワインを扱うお店でも働いていたことはありますが、ワイナリーで働きたいと思ったのは地元のワイナリーで少しだけですがお手伝いさせていただいた事がきっかけです。自分が生涯をかけられる仕事はこれだと思い、山梨にやってきました。今年1年は先輩方や地元の生産者の方からしっかり基礎を学び、自らも積極的に学習し、来年以降の活動につなげていきたいと思います。よく畑に出てよく観察し、ストレスなくブドウが育ってくれるよう日々努力したいと思います。

旭洋酒にはピノノワールがあります。栽培が難しく、課題も多いと伺っていますが、やりがいも大きいと思います。みなさんに素晴らしいワインをお届けできるよう、がんばっていきたいと思います。

また、旭洋酒のワインを1人でも多くの方に楽しんでいただけるよう営業活動にも力を入れたいと思っておりますので地域にお邪魔した際にはどうぞよろしくお願いします。

ウインドブレーカーは畑が白でコウバが紺だったのね。












2014.8.31

「こんなんですが頑張ります」

みなさんこんにちは。8月最後の日です。24日のピノ・ノワールから今年の収穫と仕込みが始まりました。ピノでは毎度のことなのですが粒が押されて潰れて腐ったり、脱粒したりといった現象が一部で進んでいたので予定より早くの収穫になったのですが、収穫作業をしながらの予想どおりいつもより低糖・高酸でした。それで第2弾は1週間以上粘ることに決めたのですが、思えば今年は芽吹きの時からの樹によるばらつきが目立っていました。また7月半ばごろにピノでは珍しく副梢にべと病がつき8月に入ってもとまらなかったこと、そして収穫の1週間位前から葉にさび病が激しく付着したことなどこれまでになく葉の状態がよくありません。なので1週間おいてもあまり期待はできないのですが判断するとしたらそうするしか考えられませんでした。

お天気の方も前線が停滞していますから日照が少なく、空と同じに気持ちもどんよりです。その後に控えている自園のメルロ、農家さんのベイリーAもここ2年間続いた無病・着色良好状態とは異なります。開花期前半に晴れ続きだったり、それから大雪の影響もあるのかもしれませんが今年は着花も結実もとてもよかったように思います。その結果、房が大きくなりその後の天気も影響して色のまわりがいまいちなのだと思います。自社メルロも房が大きいのでかなり落としたのですが、去年、一昨年に比べると黒さが足りません。

シャプタリザシオン(補糖)pHが低いので紫みが強いです。

こんなふうに仕込みに入ってから現状報告することは珍しいですが、ピノの収穫が延期になったこともあって中途半端に時間ができ、いわゆる「モヤモヤしたやり場のない気持ち」を整理するために書いてみました。

一昨日は温暖化の農作物への影響について、昨日は地球規模での自然災害についてNHKでやっていましたね。まさにわが身にふりかかっていること、という実感がありました。
だからといって落ち込んでいてもどうにもならないことは確かなので「今後の人生はまさにサバイバルなんだわ」って自分に言い聞かせてます。ピノが植わっている岩手畑の改植を始め、中・長期的な計画と実行が必要です。販売の方も、全国にたくさんワイナリーが出来て競争も激しくなっていますので、残りの人生、どんなふうにワインをつくって表現していくか、考える材料はいっぱいあります。

今まで、多分これからも、もうこれを書き終わったら、目先のことでとりあえず一杯になってしまうでしょう。
ブドウがあまり良くなくても、少しでも美味しいワインになるように、今までずっとやってきたように、粘り強く乗切るのです。
ただ、そうして出来上がったワインのいいところだけしかいつも言わないのでは、あと20数年続けていくのは辛いかも。
生き延びるために正直であろうと思います。


気候変動も1000年単位でみれば何も異常なことではない。
それに抗うことも変えることも出来ない。
でも、生きているうちは生き延びようとすることも、どうにも変えられない。
だから目標をたてる。少しずつ軌道修正しながら、こんどはあそこまでと、ともに手を携えて。




「夏の最後にロゼ(秋にも冬にもどうぞ)」

この夏は本当にソレイユ・ロゼをよく飲みました。
この頃は還元臭も気にならなくなってピノの感じが前面にでてきたと思います。
そういえば、この夏は朝、熱いハイビスカス&ローズヒップティを常飲しました。私は朝は濃いめのコーヒーに豆乳を入れてたっぷり飲むのが日課なのですが近年の猛暑の朝はきつい。そこでたまに飲んでいたローズヒップティーに切り替えたところすっかりハマりました。そしてある夜、このお茶のフレーバーがソレイユ・ロゼの中にもあることに気づき、一人興奮してしまいました。甘酸っぱいローズヒップの香、赤い実のニュアンス、そして夏にぴったり、食欲をそそる爽やかな酸味。ほんと、このふたつの飲み物のおかげで夏を乗り切れました(まだ終わってない?)。

そしてこのソレイユ・ロゼ2013ですが、実は何と2回も、テレビで紹介されました!

その@モグラTV:これは放送自体がアート作品でして。ワインの味わいについては(訳あって)全く触れていません。はっきりいってワインファンの方は眉をひそめられることでしょう。でも自分たちは大笑いしました。モグララベル繋がりといくつかの偶然が生んだ傑作です。

そのA沢樹舞のおいしい時間:こちらはれっきとしたお料理番組です。ワインと食の(美しすぎる)専門家としてお馴染みの沢樹さんが故郷の富山で続けている長寿番組。ワイン王国刊『新家庭料理〜沢樹舞のおいしい時間』に収録されたソレクラ白に続いて今回はソレイユ・ロゼのリクエストを頂戴しました。お料理好きの方必見です。
それにしても、沢樹さん、どんどん美しくなっているような気がします。

という訳で、各方面で話題となっているソレイユ・ロゼについてでした。
まだいっぱいあるので、引き続き宜しくお願いしま〜す!
















2014.7.28

暑中お見舞い申し上げます。山梨はいつもですが今年は猛暑の範囲が本当に広いですね。この季節は畑仕事の区切りをつけて涼しいところで英気を養いたいという願望が強まりますが今年はどの方角も暑そうです。やっぱり少しでも標高の高いところへ行くしかありませんね。昨日の午後から久しぶりに事務所です。この機会を逃すと雑記帳の更新、下手したら仕込みが終わってからになりかねないので出来るだけサクサクっと、まとめてお伝えしたいと思います。




「スタッフ募集について」

トップページに求人情報を出しました。すぐには見つからないだろうという予測で来シーズンからの募集をもう出しています。
現在、新規就農の萩原君に岩手畑のほぼ全ての作業とその他の自社畑の草刈りなどをやってもらっています。自分の畑の収入が見込めるまであと1年はやってもらうことになっていますので、新人の方には来年は萩原君について作業を覚えてもらいたいと思っています。仮に経験者の方がやりたいと申し出て下されば、萩原君との分担を決めて来年はやっていただきます。
給与額を出していないのは不親切と感じる方もいるかもしれませんが、色々なケースが想定されるためです。まずはお問い合わせいただき面談させてください。また普段このHPを見ていただいている方でお心当たりのある方、ぜひその方にご案内下さい。
社会的ステイタスを求める方には不向きな職場です。やりがいや自己実現はご本人次第です。ただ、あなたの仕事と私たちの仕事との間に本質的な違いはありません。どちらも美味しいワインをつくり続けるために必要な仕事です。






「最近の畑事情」

今年は春先に黒とう病の症状が葉と枝にやけに目立ち結構へこみました。数年前から出ているのですが、ほったらかしにしたことはないので症状も教科書にある写真のように派手ではなく、初期はつるわれ病などとも似ているというので随分色んな人に意見を求めたものです。北海道に行った農楽蔵の佐々木君の昔のブログにつるわれ病についての記事があったので問い合わせてもみました。北海道では数年前に新種の「つるわれ細菌病」というのが出たそうですが、もともとある糸状菌の方のつる割れ病はフランスでもポピュラーだそうで、初期症状が黒とう病と似ているというのは後者の方です。ただ、ここら辺でつる割れ病について問題になっているという話を聞きません。房にはっきりと「鳥の目」がでれば黒とうで間違いないのですが、その前に防除をしてしまうのではっきりとは出ない。しかし気候条件や近場の生食ぶどうで話題になってもいるとことから、やはり黒とうと判断するのが妥当でしょう。

最初は針でつついたような白い点々が元葉に

結局どちらであっても、根絶は難しい病気なのでうまくつきあっていくより他ありません。幸い、症状が出始めた2011年以降、これが原因で収穫したブドウの質が落ちたということは全くありません。もし鳥の目症状の粒が入ったとしても灰カビなどのように確実に味を落とすものではないのでしょう。今はそう考えて納得しています。ただこの症状が気になりだしたのは、べと病が蔓延して5月下旬以降べと防除しかしなかった2010年に原因があると思っています。自然派ということで防除をボルドー液だけでやっている人もいますが、そういう場合も危険だと思います。
私はいわゆる「自然派」ではないので今後も対策に力を入れようと思っていますが、これも幸いなことに、黒とう病の防除は4月下旬から5月がポイントです。私はブドウの花が落ちて実になり、粒が大きくなってからはなるべく農薬をかけないという方針でやってきています。今年にしても最後に殺菌剤を撒いたのは6月15日でその後はボルドーに切り替えていて黒とう防除もしていませんが、この病気は初期に何回か防除をしておけば成葉や房には広がらないようです。

また、小川先生には休眠期のイオウが遅すぎるのではないかと言われました。イオウといえば、萌芽の直前がいいとよく言われ、私もぎりぎりまで粘ってやってきたわけですが、確かに黒とう菌は気温が18℃になると動き出すというのですから4月10日過ぎではもう活動を始めており、そういうものに対してイオウは全く効果なさそうです。来年はイオウは3月下旬に前倒しです。



そんなこんなありました。梅雨明けが平年並みだったので防除回数が増えることもなく、今週中に最後のボルドーをやったら終わりです。5月下旬にはちょこっとだけ雹が降って葉っぱが破れましたがそれ以外は大きな災難もなくここまで来ています。収量制限もばっちりやりました。房の中に2種類の虫が入っているのが散見されるので今後は目視で捕獲し収穫まで潰し続けます。
ここ数日山梨でも熱帯夜が続きましたが今朝は22℃まで下がりました。こういう日が続いてくれることを願います。

昨日の岩手ピノの早いところ。ピノはこの後の天気が大きく影響する。






「最近のワイン事情」

リリースのときに何回もテースティングして食べ物との相性も色々試してみるのですけど、季節を経てその都度の発見とかよくあります。いつも「あー、このワイン変わってきた」とか「なにこれー、すごいよく合う」とかいうのを皆さんにお知らせしたいのですが、他の仕事に追われてそのままになってしまうこと多々。反省してます。これは理想ですが、新しいスタッフが育って畑を任せられるようになったらそういうことにもちょっと力入れたいですね。で、色々な気づきはあるのですが最近のをいくつか。


ソレイユ ロゼ2013

これどんどん良くなってきてます。最初還元臭が強くて、今も無くなったわけではないのです。が、リリース当初のが例えば茹で野菜の煮汁だったとしたら、それが畑に生えてる「野蒜」になり、今はそれがエシャレットを刻んだ時のふわっと軽い香、というふうに変わってきています。これは還元臭自体が別のものに変わったというより、他の香りの要素とのバランスが変化しているのかと推測しています。今はエシャレットのようなピリッとした香りとともにフレッシュ・ベリーや橙色の柑橘のニュアンスがかなり感じられます。そして味わい、最初に甘みと厚みを感じます。そしてしっかりとした酸が続くのでフルーティーです。
我が家ではこの夏の暑気払いに頻繁に登場しているのですが、ロゼの時は料理の色合いも自然とカラフルになります。この日はズッキーニをソテーして後はパークス・アマノさんでワインに合わせて調達したお惣菜ですが、エビチリのオレンジとズッキーニの緑が生えて何ともビタミンカラーな食卓に。じゃがいもの細切り炒め、これはレモン汁を垂らしたらロゼに合いそうと買ってドンピシャでした。もう一点、ホタテと大根の酢の物も白とオレンジ、並べてみたら色が似てるってことよくあります。他のワインだと、ソレイユ甲州の時は白と緑、三郎の時は茶色っぽいものが多かったり。




それいゆメルロー2011

春ぐらいから良くなってきたので皆さんにお薦めしています。実際、試飲していただくとご購入に至るケースがほとんどです。まあ「私が作ったブドウで畑の中でもいいとこだけをこのワインに入れてます」とかなりプッシュしてますから。だって一番丁寧につくってることは確かなのですもん。
春に千葉のおゆみ野の嘉さんに行ったとき、嘉さんの甘辛具合が絶妙なフォアグラ大根とすごくよく合って大将と一緒に大喜びしたものですが、先日は静岡の義母が送ってくれた焼津うなぎの蒲焼に合わせました。うなぎと赤ワインというのはわりあいよく聞きますが実は私は初めてで、これがまたそれいゆメルローにごくごく自然に合うじゃありませんか。びっくりしました。うなぎとワインそれぞれが本性を出し合って素材に帰って補完し合うような、まさにマリアージュです。海のものと山のものなのに全然ケンカしないでワインはブドウらしさが前面に出るんですよ。すごいですね。フランスにもマトロット・ダングイユというウナギの赤ワイン煮があるそうですが日本の蒲焼の甘辛ダレとはどうなんだろ、と今まで疑ってました。
我ながら、あの、収穫前に1週間雨が続いた2011年、震災があり、不安な中不安な収穫を迎え、仕込みが終わって間もなく危篤だった父が逝ったあの年に、こういう和食の王道に真正面から挑めるワインが出来て本当によかった。父にも捧げたい。




ルージュ・クサカベンヌ2013

私はそういう飲み方はあまりしない方ですが、うちのワインでスイーツに合わせると言ったらこれです。2006年に麻布の川上庵さんでやった自前ワイン会ではデザートの杏仁豆腐に合わせたのでしたよね。司会をお願いした石井もと子さんとの綿密な打ち合わせの結果そういう事になったのです。
そして今、京都にオープンしたてのパティスリー、プラン・ドゥ・ラ・ペさんでもこのワインをいただけます。え?パティスリーでワイン?そうなんです。フランスで修業したパティシエの原田智恵さんがつくるのは正統派フランス菓子。そして奥のバーコーナーには特にワインのアテがあるわけではなく、甘くないものはキッシュとピスタチオぐらい。カウンター越のオーブンからはケーキが焼き上がる甘ーい香。そんな中、何と来店者の9割がこのバーでアルコールを召し上がるというのですから驚きです。
クサカベンヌは完熟のベリーAを使っているので酸が低くワイン自体に少しの甘みもあります。マセラシオン・カルボニックからくるシナモンやバナナの香、ああ、そういえば京都の「八ッ橋」のニュアンスも私感じたのでした。ニッキやシナモンのあの感じ。そこらへんが甘いものに合う所以でしょうか。チーズケーキなんかバッチリでしょう。
京都の方はこの不思議で楽しいお店でぜひ合わせてみて下さいね。夜遅くまでやっています。それ以外の方も、甘いものとクサカベンヌお試しあれ。






「ビバ小商い」
七夕の頃、一泊で京都に行ってきました。1日目は一昨年からお取引いただいている壬生檜町のglouglouさんとそのgloglouの藤井さんが紹介してくれた南車屋町のプラン・ド・ラ・ペさん、そして日本ワイン党にはお馴染みの「たすく」さんをまわり、二日目は完全プライベート。てゆか私たちのような者にとってはビジネスとプライベートの境界は判然としない。もっと言えばビジネスって感覚、お金の計算してるとき以外あんまりない。

こういうこと言うと鼻で笑われそうだけど、でも完全オフってこともありえないのだし、ブドウとワイン同様に人間も生ものだし。つまりは京都に行ってグルグルさんに行って、ほかにも色々みたり食べたりするのは自分たちがそうしたいからであって、仕事でも遊びでもないんだな。実際行って帰ってきてあらためてそう思いました。

祇園萬屋さんのねぎうどん。お出汁とねぎが最高。麺はやわらかめ。


だから二日目完全プライベートとはいっても結局お酒関係から離れられなかったわけで。憧れの貴船の川床、思ってた以上に野趣満点で涼しくって「一生の思い出」になったけどお酒がひどかった。世界の京都だし、川魚料理を水辺で堪能するのだからそこらへんはどのお店でも最低限カバーされてるだろうと思ってた。けど違ってた。結局ここに来てる人たちはそれでもいいんだ、と思うとちょっと盛り下がる。ちゃんとリサーチしてお酒に力を入れているところにすればよかったんだろう。こういう失敗、旅につきもの。

貴船の川床で鮎と花山椒。あと3尾食べたい。



そしてちょっと時間が余ったので伏見の松本酒造に行ってみた。平仮名で「まつもと」と書くあの美味しい純米酒の蔵元。しかし地元京都の普通の人は「まつもと」を知らない、ということを行ってみて初めて知ることになる。タクシーの運転手さんは松本酒造は「桃の滴」の蔵元だと言い張るのだ。違う蔵に来てしまったのかと不安になりながらタクシーを下り、文化遺産になっていてよく撮影に使われるという建物をひとしきり眺めたものの、アポなしで訪ねられる直売所もなさそうなのでそのまま今きた道を帰る。

商店街の酒屋で聞いてみると、すぐそこの松本酒造は確かに「まつもと」の醸造元だけどそのシリーズは限定品でうちでもとれない、と言う。あー、そういうことか。ふむ。うち(旭洋酒)でも旧旭の組合員さんたちが千野甲州とかグルペットとか知らないのとちょっと似てる。それをすごく意図的に分けて地元と全国の地酒ファンとに別のブランドを提供しているということなんだー。そういうやり方ってあるある、と妙に納得。

結局「まつもと」は新幹線に乗る前に寄った京都駅伊勢丹の酒売り場にもなかった。伊勢丹といえども地元では「桃の滴」オンリー。味わいもまったく別ものだった。地酒通の方なら常識なのでしょうね。勉強になりました。

グルグルの藤井さんが千野ノンバリックと合わせたという旬の鱧寿司は帰りの新幹線で。うう、甲州が欲しい。



さて、京都営業(?)でまわった3店は、図らずも、女性が一人で切り盛りする「ザ・小商い」という感じのお店。けど、京都ってそもそも、そういう土地柄なのでしょうか。土地勘がないためグルグルさんに行くのに結構長い距離(グルグルと)歩いたのですが、壬生檜町にたどり着くまでにいくつかの小さな商店街、いや、そこまでいかないような、ほんとにごく狭い範囲の住人のためだけにあるようなお肉屋さん、八百屋さん、お菓子屋さん、本屋未満のような本屋さんなど、そういう商店が数件集まったところを通り過ぎましたよ。
東京でも山梨でも、もうだいぶ前に消えてしまったような風景が普通に当たり前のように残っていて、活気があるとは間違っても言えないけど、何というか、悲愴感が全然ないのですよね。私にはこれが京都の、千年以上の歴史が途絶えることなく続いているこの地ならではの特殊な文化のように思えました。だから住宅街の京町屋でワインショップをやったりとか、奥にバーカウンターのあるちっちゃなケーキやさんとか、カウンター6席だけの日本ワインオンリーの飲み屋さんとか、そういうお店がすごく堂々と存在してるというか、元気があるのも土地柄なのかな、なんて。

三十三間堂かと思った。赤い照明がどくとく。
何かウチのワイン気に入ってくれた理由がわかるような。これらフィギュアじゃないよワインだよ。

日本ワイン愛好家が集うたすくさん。七夕の短冊で一際目を引いたのは→「論文に疑いがかけられませんように」常連の学者さんの作とのこと。


世はすっかりグローバル資本主義の趨勢で、ついつい規模の大きいもの、たくさんの人とお金を動かしてるものがいいものってことになってますが、やっぱり違いますね。人が機嫌よく元気に暮らしていける生業をもっていることって本当にすばらし。あー私もワイン屋でよかった。









2014.3.14

大雪から本当にあっという間に一か月が経ちました。皆さんにご心配いただきましたが当社の被害はコウバのトタン屋根と、煙突と樋だけで済み、仕事は遅れましたがお陰さまでせっせとやっております。周知のようにワインは生きていますので時宜を得た作業というのが大切です。大雪の影響がワインにまで響かぬよう、それだけに今は努めています。

前回、降雪から4日間の記録を載せましたが、経験を通しての教訓みたいなのを自分なりにまとめましたのでお時間のある方はご覧ください。一方通行の手段しか持たず恐縮ですが、ご自身の編み出した教訓とかもあれば教えていただければ幸いです。

雪害まとめ

【想定外の事態について行政はあてにならない】

東日本大震災とまったく規模は異なるが、今回の大雪についての対応が後手後手だったことの理由に行政はやはり「想定外」という言葉を使っていた。そう言っても間違いではない事態に関しては行政は責任を放棄しているということだ。一度その地域で起こったこと以外または以上については全て「想定外」でまかり通る。つまり、この言葉は震災から3年経った今も、依然として「前例がない」と同義で使われている。このことについてとやかく言っても始まらないので、そういうものだと肝に命じることにしよう。
記録が残る過去に起こったこと以上(以外)の災害に遭遇したとき、どうふるまえばいいか誘導してくれる存在はいない。被災を軽減するには個々人が想像力を働かせるしかない。


【文字情報を追う前に】

災害直後は予想以上に情報が少ないので近所の人との会話は貴重な情報源、ささいな事でも不安の軽減につながる。会った人全てに声を掛けるぐらいでちょうどいい。孤立して救助を求める際にSNSが役立ったという話を聞くが、まずは文字より声だ。


【一人での行動はリスクが高いしメンタル的にもよくない】

一人で雪かきしていてズボズボ沈んでもうちょっとで埋もれそうになったというカフェ経営者。
大雪から2日間、やはりスタッフが一人も出てこれなかったので一人で雪かきをしていた美容室オーナーの娘さん。夜眠れなくて酒を飲み、イヤホンで音楽を聴きながら漫画本に読みふけったところ(そういうマンガじゃないのに)大泣き。翌日、話を聞いたお姉さんがヤバいと思って手伝いに来てくれたそう。
私たちもコウバが心配で雪中行軍したけど、責任者とはいえ一人は危険です。


【距離感は実体験に基づく】

生まれて初めて災害を体験したので過去および未来の災害との心理的な距離は明らかに縮まった。
災害というのは自分の努力ではどうにもならない生死に関わる事態だが、それぞれが元の生活感覚を取り戻すまで続いている。この期間はとても短く感じられる。2月はあっという間だったと皆口々に言っている。震災から3年経っても昨日の事のように感じられる、という被災者の言葉が今はよく響く。
そして来たるべき災害に対して。一週間分の食料備蓄、情報伝達手段確保、ライフライン切断の際のシュミレーションなど、これから順に取り組むことにする。


【感じ方の違いに対する振る舞いについて】

「百数十年前に記録を取り始めて以来最高の積雪」という表現に際して「百数十年ぶり」と取り違えている人が多かった。その後、今回の関東一円の大雪について「30年に一度クラスの異常気象」という気象庁の発表があった。いずれの数字にしても「あと100年はこんなことはないでしょ」とか「30年に一度だっていうからね」と言っている人が何人もいた。こういう言い方に対して、ああこの人って楽観的な性格なんだな、では終えられないのが今の自分。去年の猛暑の長さだって私が山梨に来てまる15年になるが初めてだった。色んなところで「記録的な」気象現象が頻発している。

一方で畑に行くと、隣の畑のおじさんは「異常気象だからこれからもわからんよ」と言っていた。原発事故で方々の農産物で高い放射線が出た頃のことを思い出した。「ここだってどうなるかわからんよ」と(前述とは別の)農家のおじさんが言った。全く同感だった。農家とそうじゃない人の差だろうか。そうかもしれないが同じ災害を体験しても感じ方はこうも違うということは驚きだ。

「無関心でないと生きていけない」新聞で読んだ福島に住む人の言葉。人によって放射線に対する意識が異なる中、それについては話をしないことが常態化しているともいう。もちろん本当に関心がないわけではなく、気持ちが休まることのない張り裂け状態だろう。被災地のこの、声を発することのできない苦悩が薄められて拡散しているかのように、昨今の色んな政治議題についても全てそんなところがある。私とて今更無関心になるわけにいかないので、これからもずっと、やきもきしながら生きていくことになるんだろう。せめていつも不機嫌な人にだけはならないようにしたいし、他の人の機嫌も損ねたくない。


【防災の精神、追悼に代えて】

また大雪の可能性があると伝えられた3月1日は翌日東京でのイベントだった。考えられる最悪の状況(:行ったはいいがあの時のように何日も電車が止まって帰ってこれなくなる)を想定した上で最善と思われる選択(:二人参加を一人にしてもらう)をし、あとは淡々と仕事をしようと努めたがこれが難しい。幸い、主催のカフェ・カーニバルのMさんは「一人でも全然大丈夫ですよ。心配ですよね」と言ってくれたのでだいぶ落ち着いたが、またこの間のような大雪に襲われるのかと考えると心がざわざわしてたまらなかった。

結局翌日、雪は標高の高いところだけだったので当初の予定通り二人で上京した。朝の県内ニュースでちょうど、中央線が他県から3台の除雪車を譲り受けて配備したと伝えられたので大いに安心した。イベント会場には馴染みの方もいたりしてお蔭で雪害後遺症の緊張が解け楽しいひと時を過ごすことができた。
今回の大雪で交通の寸断の恐ろしさについては身に染みた。仕事やプライベートで上京することも多いので、これからはいつも数日分のお泊り必需品を携帯することにする。

「最悪を想像しつつ前に進む」ことはとても難しい。だがこれが「祈る」ということの本質、希望という言葉の意味なのだろう。そしてそれは同時に、来たるべき災害に備えつつ日常を全うする防災の精神でもあるということに今回気づいた。これを心に刻み付け、最後になりましたが、今回の大雪で命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げます。










2014.2.24

「雪害備忘録」

雪国の人には笑われるかもしれませんが、今回の大雪は私たちにとって初めての災害経験でした。

降雪から一週間たち、契約ブドウ農家さんや隣町の状況もだいぶ入ってきました。ワイン用のブドウはほぼ大丈夫のようですが、やはりハウスや観光農園の高い棚などは軒並み潰れており、今、撤去作業の真っ只中という人も多いようです。こうした情報が入ってくるにつれ、自分達は比較的軽傷だということが分かりました。隣の勝沼が1日断水していたことも全然知りませんでした。被害が大きかった方々には、気を強くもって、怪我に気をつけて取り組んでいただきたいです。

日常が戻るにつれ、当初の心境やその時感じたことの記憶がどんどん薄れていくことに危機感を覚えたので、大雪からの数日のことを書き出してみることにしました。自分の中では、今後の災害に備えるために何かしら役立つことがあるのでは、という気がしています。

後から思うことや人と話して感じることなども次々出てきます。それについてはまた追って掲載していければと思っています。もちろん、ここから教訓を得なければ何の意味もないので。




2/12
瓶詰中に小川先生から電話がある。また雪が降るから、岩手畑の、農道工事のために棚を外して仮留めしてある部分の剪定をやってしまわないともたんぞ、とのこと。一文字、垣根とも仮剪定までして大雪に備えてはいたが、仮留め部分はブラブラ状態。気象に関する小川先生の目利きは確かなので「明日やります」と即答する。


2/13
前日の瓶詰品の地下への運搬を済ませて午後から萩原君と畑へ。指摘された部分の本剪定とピノの苗木用穂木の採取。穂木はワイナリー裏の日陰の雪に埋める。接木をお願いする山上さんに「今度雪が降ったときにどこに埋めたか分からなくならないように」と注意された。「それはないでしょ」と私。


2/14
予想より早く7時半ぐらいから雪が降り始めた。今日貼る分のボトルを地下から上げ終わったころには本降りになり午後はどんどん激しくなった。

お昼の県内ニュースではわが山梨市の新市長が初登庁したとの報告。「市長の椅子にふさわしい市政を行いたい」とのこと。雪についてのコメントはなかった。

3回雪掻きして18時過ぎにヒラスコ2本を積んで車で帰宅。すでにかなり積もり視界も悪い。ぎりぎり運転できる感じ。家の駐車場まわりを雪掻きするがすぐにどんどん積もっていく。20時半頃、静岡の義母から電話があり「今60cm位」と話す。この時点で20年に1度と言われた先週の雪をすでに軽く上回っている。朝までにさらに30cm位降るという予報だったが半信半疑。かといって「雨に変わって大雨になるかも」というのも、すでにこれだけ積もっているので想像つかない。
コウバの屋根と明日の瓶詰と明後日の東京行きのこともあって眠れない。プルシェンコ選手と羽生選手の時、2回起きてきて結局観る。外、雪、がんがん降ってる。


2/15
ほとんど眠れなかったが普段どおり5時台に起きて、まず停電してないことを確認。玄関のドアを開けて唖然とする。ジムニーが巨大雪だるまのようになり道路も畑も家もこんもりと白一色。しぃーんとした中、雪はまだどんどこ降ってる。コウバが心配。
7時すぎ朝食済ませカッパ着て出勤しようとするも、雪が腰の深さまであり視界も悪く進めない。わずか5mで挫折、戻って止むまで待つ。
9時台にほぼ止んだので再出発。先頭がスコップで股が出るぐらいに雪を掻き、道をつくりながら進む。2番目はリュック担当。広い道まで100m強、一回交代して必至で辿り着く。途中、近所の人に側溝に気をつけて行くように言われゴクンと唾を飲む。ここらでは蓋のしてない側溝が狭い道の両側にある。雪で全然見えないから危険。
バイパスに出ると足の付け根が地上に出た。嬉しかった。
角のブドウのビニールハウスがぺちゃんこになって、加温用の重油が漏れた匂いが漂っている。

そこからはスコップを引きずりザクザク雪の上を歩いて会社まで。車はほとんど走っていないけど雪を積んだ軽トラに2台あった。多分ハウスが潰れた人だろう。そのうちの一台には若いカップルが乗っていて助手席の女性はスマホをいじっていた。途中、物置が潰れたりコウバの屋根が落っこちてるところがいくつか、ビニールハウスは目に入ったのは全て倒壊していた。

会社のすぐ近くに住んでいる別のワイナリーの醸造家夫妻Aさんの家の前を通るとAさんが雪掻きをしていて立ち止まって短い言葉をかわす。
「まいったね、気をつけて」

バイパス→国道→県道→山梨北中前の道→会社前の道と順に歩行困難になり普段だと徒歩25分位のところ1時間位かかって到着。昨日3回雪掻きしたとは思えないくらいこんもりしていてしばし絶句。一番心配だった奥のトタン屋根はまだ落ちてはいなかったものの、大きくしなっていて鉄骨がもうちょっとで折れそうになっている。渡してある板は数箇所折れていたがとりあえず崩落はしていなかった。
プレス機の上、樽貯蔵庫と他の屋根も目をこらして見るが、もともと継ぎ足し継ぎ足しのような造りなので全く異常がないかどうかはよく分からない。いずれにしても今すぐ倒壊の危険はなさそうだ。

前日3回雪掻きしてこれ。

まず通路確保ということで離れになっているトイレまでの道をつくっていると目の前で凄い音がして、見ると隣の家の瓦屋根の下のトタン屋根が鉄骨ごとひっくり返っていた。次の瞬間、向いの人が「おお〜さん大丈夫け」と言ったのでとっさに私も「〜さん、大丈夫ですか」と叫ぶ。みんな雪掻きをしていて外にいたので集ってきてスコップで掻き分けながらそっちの方へ。おじいさんがそこらにいたらしいがどこにいるか分からない。名前を呼びながらやっと居場所をつきとめる。両足首あたりが鉄骨の下敷きになっているらしい。上半身は出ていて話もできる。自分達が先頭にいたのでおそるおそるスコップで雪を掻いていって足を見つけた。男性5人で鉄骨を持ち上げようとするも最初はびくともしない。救急車は他の人が呼んだけどなかなか来ない。まずいことになってるかも。
裏の奥さんがご主人に言われてジャッキを持ってきたちょうどその時、おじいさんの足が抜けた。

救急車のサイレンは聞こえるけどもちろん雪で入って来れない。足が抜けてから30分位たって救急隊員が到着。100m位離れたところに消防団のジープ、さらにそこから100m位の県道に救急車が待機して家からジープまでは3人の救急隊員が交代で担架で運んだ。役目が終わってセブンに買出しに行った帰り、ジープで運ばれるおじいさんとすれ違った。しょんぼりしてた。

正午ごろセブンのお弁当はすでにほとんどなかったけどおにぎり二人分と明日の朝のパン、魚肉ソーセージ、飲料などを買う。最後のおにぎり、最後のパンかなと思う。手前にあるスーパーはやっておらず無人。天幕が雪で落ちてだらっとしていた。車社会だから普段は歩道を歩いている人も少ないけど今日は歩道は雪に埋まっていて車道の轍を買出しの人がとぼとぼ歩いている。
これは災害だという実感がひしひしと湧いてくる。

瓶詰は(当然)中止。
夫が落ちそうなトタンの元の方に「さっぽう」2本と屋根裏に1本だけあった角材を入れ補強。お隣の事故を見ているのでこれ以上近寄らないようにしようと確認。

バイトの萩原君が電話をくれてさくらんぼの大澤君の所でも一部ハウスに被害があり、他にもハウス倒壊がかなり出ていると教えてくれた。大澤君は前日夜10時ぐらいまで雪下ろしをしていたそうで全棟被害はないそうだ。よくやったなと感心。

人一人が通れる通路をつくり、ホームページに臨時休業のお知らせを載せ、家の雪掻きをしないで来たのでスコップを持って4時ごろ徒歩で退社。

北中のカーヴのあたりで、重機に乗ってまわりに数人徒歩の従業員を連れた解体業者のおじさんと行き会う。
「八幡まで重機を取りに行って今までかかっちゃたよ」
そか。歩いて取りに行って雪掻きして掘り起こして。。。とにかく「お願いします」と頭を下げる。

Aさんの家にさしかかりまた話をする。今度は奥さんも一緒に雪掻きしてた。防災無線について。朝から「市営バスの運休」についてばかり何度も流している。普段から1日3本位しかないバス。お年寄りの通院などには大切な足だけど今日の場合、バス停まで人、行けないし。下手したら家、出られないし。
「情報すくないよね」「全然だめだよね」と一同。
そこから見える交差点に軽トラがさっきから止まって動かないそうだ。運転してる人はずっと下向いて携帯をなんかやってるそう。「困るね」と言いつつ、周りに人も結構いるのでAさんに別れを告げ自分達は家路を急ぐ。

バイパスから家への道は朝、自分達が通った(作った)道だけだった。玄関まわりの雪を掻いていると朝留守だったお隣のご夫婦が歩いて帰ってきて、裏の人とも話して明日みんなで車が出られるように雪掻きしようということになる。

夜はレトルトカレー。部活の合宿のときみたいな疲れ方だったのでお風呂でよく体をほぐす。
明日の東京行きはどうみても無理と姉に連絡。中央道は通行止め、中央線も当然止まっている。そして河口湖の方で昨晩歩いて帰った女性が凍死したというニュース。しかし県内ニュースでも緊急時の呼びかけのようなものはなく、凍死もまだ特殊な「事故」というニュアンスだったように思う。


2/16

夜から風が強まった。起きがけ、筋肉痛で体中が痛い。すごい強風なので今シーズン初めてニット帽を出してきてかぶる。7時頃から約3時間、近所の人たち4軒で市道まで車が出られるように雪掻き。

一休みしてスコップをもって出社。国道では灯油缶をそりみたいのに乗せて引っ張って歩いている人もいる。轍の高さが半端じゃないから、たまにくる車を除けるのが大変。

会社ではまず車一台分のスペースをつくる。普段通勤車を置いている場所と日当たりのいい玄関前、コウバ正面を雪置き場に決めてひたすら運ぶ。

お昼前、スーパーが今日はやっていたので歩いて買出しに。駐車場はまだ除雪しておらず、入り口に続く人一人分の細い道を大勢並んでとぼとぼ行く。車で来てしまった人たちは道沿いや交差点に無理矢理停車している。車中で待つ運転手は気まずい感じで歩行者と目を合わせないようにしている。
野菜数種類、豆腐、パックの塩辛、ソーセージやハム、パンがないのでベルギーワッフル、玉子がないので煮玉子など適等に買う。昼食はちょうど出来たてのカツ丼にありつけてラッキー。トイレットペーパーもいつものじゃないけど買っとく。

午後、雪で折れた火入殺菌器の煙突を屋根に上って直すと夫が言う。最初止めたが、つたって行ける雪がない瓦部分があること、南側なのでその上方の雪はすでに落ちていること、もし屋根から落下したとしても通路には屋根からの落雪が170cmぐらい積もっていてまだ柔らかいこと、そして私が逐一見てることを確認してトライ。煙突は継ぎ目からすぽっと抜け、へこんだ部分に木を当ててとんかちで叩いた。2回上がり降りして調整し、煙突穴の隙間がなくなったことを下から確認。夫はさっそく殺菌器に水をはってバーナーを炊いてみる。問題なさそう。よかった、これで次の瓶詰の予定がたてられる。その後、夫は樽のめつぎと詰めるはずだったワインを小さいタンクへ移動する仕事。

隣のおじいさんが病院に一泊して戻ってきた。打撲で数針縫ったそう。骨折していなくてよかった。

翌日東京の実家の家財撤収という大事な日だったのだが無理そうと業者に連絡。二日がかりでやるはずだったのを姉が出れる18日のみでやってもらい、私は電車が動き次第行くということにする。

14時半ごろ、会社の前の道に重機が入った。地元の土建屋さん。除雪車なんかないからユンボで雪をすくい路肩に集めるのだけど実に神々しい。近所のおばさんが温かい缶コーヒーを差し入れていた。

これで明日から車が使えると喜んだが。。

道も通ったのでバイトの萩原くんに電話して様子を聞く。彼の家でも庇屋根が潰れて大変なようだ。近所に若い人がいないのであちこちで色々頼まれているらしい。明日はまだ出てこなくていいと言う。

18時ぐらいまで雪掻きをやってリュックに食材をつめこんで徒歩で帰宅。家の雪掻きは済んでいるので今日はスコップは置いていける。防災無線では昨日に引き続き、市営バスの運休とゴミ収集お休みを流している。

ご飯、冷凍の牛スジ煮込みに春菊を投入したの、お豆腐、塩辛など。体を動かしているのでビールとご飯が美味しい。やけに目が痛いので鏡を見るとすごい充血していた。雪焼けか。明日、埋もれっぱなしの軽トラからサングラスを掘り起こさねば。

NHKでは通常画面のまわりに青枠ができて山梨大雪情報を流すようになった。中央線は複数の駅に動けなくなった特急が停まっていて数百人が車中で3泊目を迎え、わが山梨市では駅前にある市の施設を乗客のために開放しているそう。がこの時点で電車再開についてのアナウンスは皆無。道路の方も、高速と全ての国道の色んなとこが通行止めで混乱を極めていることは分かったが、相変わらず知事などから県民への呼びかけのようなものはない。土日と家の雪掻きだけしていた人が明日から皆、車で出勤するつもりだ。いいんだろうか。北杜市で車から降りて徒歩で帰宅しようとした40代男性が凍死した事も伝えられた。
凍死二人目。昨日の朝の雪中行軍、あれを一人で夜やったりしたら1時間位が限界だろう。実に「近い話」だ。
災害関連情報を得るためにテレビに見入っている者にとっては「全力応援」の方がノイズと化すのは自然。
生まれてこのかた、被災者の心理に最接近した気がした。


2/17
筋肉の痛みはほとんど感じなくなった。昨日の帰り、道路の状態を確認しておいたので3日ぶりにジムニーで出勤。
出勤早々、あちこちでサイレンが鳴り響いている。朝、民放TVでガソリンが少なくなっていると言っていたこともあり、夫はスタンドに。ガソリンはあったけど雪掻きした大通りでも通れるのは一車線なのですれ違いが大変。譲り合おうとしても後続車がついてきてしまうと双方とも身動きが取れなくなってしまう。何とか帰ってきたが車は通勤だけにしようと確認。

バリヴァカンスに旅立つ前の内田樹先生がメールを下さり状況を返信する。やはり内田先生は「先生」だ。
15日から複数の知人やお酒屋さんなどから応援のメールや電話をいただいた。それがどんなに嬉しいか、今回初めてわかった。今後は自分もまねしようと思う。

午前中一杯、とにかく雪掻きをして、昼また買出しに行くとドラッグストアでまたまたAさん夫妻に会う。普段は近くに住んでいてもあまり会わないのに。旦那さんは横浜勤務で行けないし、勝沼勤めの奥さんも「徒歩で来れる人だけ出社」ということになったそうだ。奥さんの勤めるワイナリーでも簡易的な屋根が落ちて下にあった軽トラがどうにかなったそうだ。

スーパーの棚は昨日よりずっとスカスカになっていて、学校が休みなので一家で来て大量に買っていく人で混雑。米はすでに売り切れでパスタとパスタソース、最後の数個になったパプリカ、エリンギ、黄色いトマトなどを買う。

午後、雪に埋めておいたピノ穂木の救出にとりかかる。日陰を選んだつもりが物置の屋根の下だったことが誤算だった。去年変えたばかりのここのトタンは雪解けがやけに早く、すでに全て下に落ちていてスキーのジャンプ台ようになっている。山上さんに「雪が積もったときにどこにあるかわからなくならないように」と言われ「まさかそんな」と高をくくっていたがそのとおりになってしまった。用心しながらブロック塀に登りジャンプ台の頂上から崩していき、1時間ほどかけて掘り当てる。
保存のため一週間前降った雪に埋めた穂木が雪崩に会いジャンプ台のようになっている。

山上さんに電話してみる。ちょうど徒歩で万力ヤマジの甲州畑に登ってきたところだった。北海道に住んでいたこともあるだろうけど、普段から自転車で畑に行っちゃう人で今も雪山登山を楽しんでいるかのよう。声にメチャメチャハリがある。
「露地のブドウは剪定してない畑でも全然大丈夫だよ」
暗い空から雲がとれて明るくなったような感じがした。

鉄骨がほぼ折れて大きくたわんだ北向きトタン屋根の下はちょうど大昔の木製圧搾機。頭に太いボルトがついたその鉄柱のところまで屋根が落ちて、それがつっかえになって止まっている。まだ50cmぐらい雪が積もっているが折れた鉄骨や木材から解けた雪がぽたぽた落ち続けてツララが徐々に長くなっている。
忘れられた過去のモノが思いもよらず屋根の崩落を食い止めてくれている。
どうしようもないし、そのままにしておく。
その後もっと下がったがアンティークのバスケット・プレスのお陰で崩落は免れている。


孤立していると伝えられている方面に一人で住む知人のことが気になって、彼と親しい東京の友人に電話。すぐに連絡をとって折り返してくれた。やはり孤立しているが、水も出るし食いもんはあるから大丈夫、とのこと。自分で家も立てちゃった人だし、火のないところから火を起こす職人だから大丈夫だろうとは思うけど。自分達はといえば、家と会社の往復以外は出ないようにしているくらいで、心配したところで到底助けになんか行けない。早く救助の手がまわることを祈る他ない。

夕方、やけに聞こえにくい長文の防災無線放送があった。断片的に「山梨市長〜です」「直接〜大臣にあって〜」とか言ってる。どうやら新市長が大臣に直接何かお願いする、と本人自ら言ってるらしい。昨日まで市営バス運休ばっかだったのにすごい違和感を感じる。

夜、姉からのメールの調子が変わっていた。SNSで山梨の状況が話題になっているらしい。確かに全国ニュースはオリンピック関連ががぜん多いし、これだけ被害を受けてる人がいるんだからもっと報道してほしいという気持ちはある。でも被災者側になったのは初めてなので今回が特に変なのかどうかは分からない。てゆうか、問題は必要な情報が少なすぎることだ。高速は今日中に通行止め解除を目指すと言ってるけど、電車の方は四方津〜甲府はまだ止まっていて、どういう状況なのかの説明は全然ない。昼間何度か駅にも電話してみたがずっと話し中になっていた。
県は今日になってようやく、災害対策本部を立ち上げたそう。
うーん。
県の人も車庫が潰れて大変だったのかもしれないけど。。
とりあえず明日早朝から電車が動く見込みはゼロなので姉に全権委任のお願いをする。


2/18
パンがないのでパウンドケーキを食べて出社。
午前中、14日に表ラベルを貼ってあった天屋原甲州2013の裏貼はりとダンボール詰めをYBSラジオを聴きながらやる。大事な日なので東京の姉と連絡を取り合わねばならない。昨日の夜遅く中央道は開通した。そしてラジオを聴いていて初めて、中央線の復旧が遅れていることの説明があった。除雪車が一台しかないらしく、それが日野春駅にあるからそっちから順番に除雪していってるという。甲府まで来ているのでもうじきだろう。
他に孤立集落がたくさんあるということ、街中では普段10分で行くところが2時間位かかるというレポートなど。
食料品などが少なくなっている事を受けて、各スーパーの在庫状況を放送していたがこれはどうかと思った。「〜マート、〜店と〜店には玉子があります」とか。「玉子、ぜひがまんして下さい」「おっきな車で出かけないで下さい」とか言うべき。

萩原君に畑の様子を見に行ってもらう。岩手、八幡ともフルーツライン(広域農道)は除雪ブルドーザーが入っていて畑の近くまで行くことが出来、畑の中の雪は岩手が一番解けていて深いところで膝上ぐらい(彼の脚は長い)。3箇所とも細かい部分は雪深くて分からんが棚は無事、樹も見た目大丈夫、とのこと。よかった。
そして何より喜ばしいことに18〜20日にかけて予報されていた雪マークがとれた。全身の力が抜けるくらいほっとした。

南側の雪がほぼ落ちたので夫と通路の雪掻きを一気に終わらせる。この間夫が取り組んでいた決算関係書類の準備もほぼ終わった。
中央道に続いて敷地内幹線道路開通。これで地下セラーと行き来する台車が通れる。


夜、家にあったカヴァでとりあえず乾杯。エリンギをソテーしてパスタソースに加えて食す。
陸の孤島状態と再度の大雪への不安から開放され、実家の家財撤収と決算準備も終わった。畑の無事も一応確認された。コウバでは台車が通れるまでに雪掻きが進んだ。自分達は色々ラッキーだったし、知人やお客さんからも励ましの言葉をたくさんいただき本当に有難かった。
しかしいまだ雪に閉ざされている人たちのことや、これからまだまだ続くであろう復旧作業のことを考えると気は重い。
震災の時、生き死にに関わる直後よりも現実問題に直面する少し後に色々ストレスが出てくるというような話を聞いた気がする。被害の大きさからいったら比べ物にならないが、今はその感じが少しわかる。
何より、昨夏のあの信じがたく長い猛暑に続いてこの想定外の大雪。大きな気候変動にどう対応していくべきなのか。農業に携わっている身だからそのことが一番気にかかる。









2014.2.8

20年に一度の大雪と言われているのが今降り積もってます。マジでやばい感じになってきました。今日3回目の雪掻きをする前に書いたものをアップします。


「家族」

映画「ある精肉店のはなし」を見た新聞記者である友人の感想:
「纐纈さんの映画を観ながら、家族というものついてとても考えさせられました。北出精肉店は日本では数少ない本当の家族なんだろうなと思いました。あの映画で僕が一番好きだったのは、孫の結婚式に行くためにとっておきの晴れ着を探そうとして骨折したおばあちゃんが、退院してきた後に家族が集まって散髪とシャンプーをしてあげるシーンです。まったく牛や肉と関係ないのに、なぜか後になってじわっときました。旭洋酒のワインもそんなワインのような感じがします。」

正直、戸惑う。北出さんちは確かに本当の家族。それは疑いようがない。でもそれとうちのワインって。私たちは二人だけで親も子供もいない。移住者だから近くに親戚もいない。犬もいない。三食ほぼ同じものを食べてるけど、北出さんちの台所番・澄ちゃんがつくるような豪快手料理も、皆が集るにぎやかな食卓もない。自分達にはいわゆる家族らしいところが全然ない。なのにあの家族、あの映画に通じるワインって、どゆこと?

適当な事を言う人ではない(多分)のでずっと気になっていた。それで昔デニス・ギャスティンさんに言われた事を思い出した。彼は私たちのことを wine-making team って言ったのだ。嬉しかった。夫婦二人三脚とかいうと浪花節っぽいけどチームってのはかっこいい、と当時単純に思った。

そういえば北出精肉店の仕事も家族一人一人がチームを組んでいるようだった。昭さんが牛を引っ張って屠畜場に連れて行き、新司さんが牛の頭をハンマーで叩いて殺す。その瞬間までは何度やってもドキドキすると女衆は言っていた。でもその後、牛が倒れた瞬間からそれはもう商品。一分の狂いも無いかのように男たちは牛を捌き女たちは内臓を洗い小分けにしていく。その仕事ぶりは、単なる分業ではなく、チームワークと呼ぶに相応しい。呼吸が合っているというか。スポーツのチームプレーともちょっと違う、家族ならではの息の合い方。

そして退院したおばあちゃんの髪をみんなでシャンプーしてあげるシーン。おばあちゃんは現役はとっくに引退しているがチームの一員なんだってことがわかる。会社員で言えばオフの時間も、家族経営にとっては仕事と一続きだ。この時間の共有があってこそ、仕事でのチームワークが生きてくる。


新聞記者の友人の真意は分からないけど、チームとしての家族ってのなら私たちも当てはまるのかと腑に落ちる。
何のチームか。そりぁワインづくりだ。でも違う。ワインづくりが唯一の目的なら競技スポーツと一緒だ。
家族の目的は試合に勝つことではない。家族の目的は「生き延びる」ことだ。
ワイナリーとして家族として個人として、この世界で生き延びるための全て。それが私たちの生活。その生活の中で出来たワイン。
旭洋酒のワインをそんな風に感じてくれたのなら当たってるから嬉しい。

つよし君と進ちゃんが雪掻きをしています。どんどん積もって大変なことになりそうなので、昨日詰めたワインを地下セラーに運ぶ仕事、やっちゃってよかった。












2014.1.23

トップページでお知らせした通り、トピネ・ルージュは2012ヴィンテージをもって当分の間お休みになります。主体品種である甲斐ノワールの契約農家さんが一昨年の収穫をもって栽培を取り止めたためです。
甲斐ノワールは晩熟なうえ小粒なので甲州やベイリーAよりずっと手がかかります。20年ほど前、県で交配されて世に出たときは「病気に強く本格的なワインになる」という触れ込みだったのですが、高い酸と青みがあるため普通に醸造したのではクセが強く、けっきょく栽培者と醸造家双方に敬遠されるようになっていきました。

自分達が旭洋酒を始めた頃、近所の農協経営ワイン会社の甲斐ノワールワインが打ち切りになり、栽培者の出荷先として人づてにうちが紹介されました。自社畑も始めたばかりで契約ブドウも赤はベイリーAだけだったし、甲斐ノワールは難しい品種だけど前の会社でも仕込んだことがあったので引き受けることにしたのです。
熟度をそろえるため契約農家は1件だけに絞り、適熟まで収穫を待ってもらうことで青みを抑えようとしました。その後何年かかけてメルロとのブレンドと長めの樽熟成でバランスを作り出してきました。栽培者には収穫日を延ばしてもらう代わりに収穫作業を全面的に引き受けるなど理解を求めてきたつもりでした。しかしいいワインを造ろうとするこうした自分達のやり方は一企業の都合としか映らなかったようです。兼業農家なので退職を機に生食用のブドウに切り替えたいとのことでした。

栽培者との関係は今回に限ったことではなく常にデリケートな問題です。
山梨県の場合、醸造用のブドウは生食用の1/3〜1/5ほどの単価ですから、醸造用だけで生計を立てる農家はいません。栽培者は単価は低いが手の掛からないものとして醸造用ブドウを農業経営に組み入れています。生食用ではジベレリン処理や房作り、粒ぬきなどの諸々の重労働があり出荷時は小分けに箱詰めまでしなければなりませんがワイン用ではそういう類の手間はかかりません。時期さえ合えば農家にとって一定の利益確保につながります。

歴史のあるブドウ産地ならではの行き方で、このこと自体をダメだとは私は思っていません。クズブドウを集めて発酵させたのは昔の話で、今は農家の意識も大分変わりました。「妥協しあう」というと「だからいいものが造れないんだ」としたり顔で言う人がいます(した)が、お互いが落としどころを探りあうことで均衡が保たれ、結果的に質と量のバランスのとれたワインが継続的に生産されるといういい面もあるからです。
ただ、お互いの目的が違うので今回のような破綻もあります。これについては「こういうこともあるんです。ごめんなさい。」と皆さんに謝るほかありません。しかしだからと言って例えばドメーヌ化してブドウを全て自社栽培すれば安定生産が叶うものでしょうか。ブドウ栽培者がいない場所ではもちろんそうするしかないのですが私たちがあえて選んだのは山梨です。

こういうことはかれこれ15年以上考えてきました。15年前と比べると日本のワインも随分認知されましたが、生産の環境がよくなったとは言えません。例えば、フランスではボトリングだけを請け負う業者があって、家族経営が基本のブルゴーニュでも瓶詰となると大型トレーラーがやってきて敷地内で詰めてくれます。ワインの分析はハーフボトルにサンプルをとって午前中にラボに持っていけば夕方には結果がファックスされますし、ワインを絞った後はやはり業者が来てマールにする蒸留所に絞りカスを持っていってくれるそうです。すべて99年にフランスに行かせてもらった時に見聞きしたことですが、日本でこういう日がくることはあるでしょうか。多分ないと思います。峻厳な酒税法下で全ての容器を検定しワインを動かすたびに検尺し逐一帳簿をつけることだってブルゴーニュの生産者には課せられていないタスクです。
日本でワイナリーを経営するには規模の大小に関わらずこういうことをすべてこなさなければなりません。これらのことをこなしつつ美味しいワイン、個性的なワインをつくり続けるためには頭を使わなければいけません。ブドウだけつくっていればいいわけではないんです。



だいぶ脱線してしまいました。
つまり日本のワイナリー経営において「これなら安定」というやり方はなく、与えられた環境を受け入れつつ教訓を生かしていくしかないのかと思います。私たちは古いブドウ産地でやると決めた以上、甲州とベイリーAは地元の人に作ってもらう方針でやってきました。小川氏のような独自のメソッドをもったベテランに学ぶところは多く、また新規就農の若い農業者とはこれまでとは違う話し方ができるので今より状況はよくなると考えています。一方でメルロとピノ・ノワールは私たち自身のライフワークであり、生きる術をさぐる終わりのない道です。

そして問題の甲斐ノワールですが、仕込み期にかかる品種なので自分たちで栽培することは出来ないし、リスクが大きいので他の人にお願いするのも無理との判断で一旦は廃止を決めていました。
ところが、Uターン就農し去年から畑を手伝ってもらっている萩原君から一年前に植え付け品種についての相談を受け、甲斐ノワールについても説明しワインを飲んでもらったところ並々ならぬ関心をよせ、やりたい、と言ってくれたのです。彼の未来の青写真には旭洋酒の甲斐ノワール生産者としての自分がぼんやりとながら浮かび上がっている、ならばそれを実現させよう、という気に私たちもなりました。
昨年の春苗を植えたので、ワインになるのは早くて再来年収穫でリリースは2018年。今位の量になるのはもっと先です。味わいも最初から今と同じようなものにはなりません。そのころにはもう「トピネってなに??」ってことになってるでしょうね。でもいいです。リリース時にはまた今日のようにこの雑記帳で大アナウンスしますから。

ゼロになるはずだった可能性が畑で育っています。この品種の生き残る世界が彼によって選択されました。

遮るもののない万力ヤマジの畑。一日昼寝していても誰も来ないような。獣対策も必要だね。









2014.1.12

5ヶ月ぶり更新の今回はタイトルつき3連発です。
今年もどうぞよろしくお願いします。


「きっかんじょ」

今日は「きっかんじょ」で子供たちが回ってきてお金をあげると「商売繁盛・家内安全」と唱えて道祖神のお札をくれる日でした。数日後にはお正月飾りを燃やすどんど焼きが行われます。集落のあちらこちらにワラで作った、それぞれちょっとずつ違う小屋が建ってるはずなのですが、今年はそういえば全然見ていません。

去年、会社から自宅と畑に行くのに大きな道路が開通したのでそこばかり通っていたからです。だいぶ時間も短縮されたので「道路ってやっぱあれば便利なのね」と思っていたけど、その分見落としてるもの・ことが多くなってるかも。

きっかんじょにしてもどんど焼きにしてもかなり形骸化してるけど、一年に一度の行事で気付かされることってある。
変わるものと変わらないもの。良くも悪くも、まったく変わってしまったものと、形骸化しながらも何となく続いているもの。それが混在しているのが現実世界。

まったく新しいって顔してぶいぶい言わせてたり、何一つ変わっていないと言い切ってるものや人には気をつけたほうがいい。






「更新が右肩下がりな理由」

更新が右肩下がりなのには理由がある。
書く内容を選らばなければいけないから。それもそう。でも一番は、単純に時間が足りない。

優先順位にしたがえば、ブドウ育てて収穫してワインにしてお子守しながら熟成してラベル貼って出荷。そこまではとにかくきっちりやらないと。
それが何故か年を経るほどきっちりやらなければの部分が増えてくる。
今現在出来てるものを「レベル」という表現はいやだけれど、かと言って「これがうちのワイン」というものは一言では言えない。だから毎日できる限りのことをして、飲んでいただいて、その積み重ねがソレイユのワイン。

飲んだ人から返ってくるもの(リピート注文、ワインについてのコメント、叱咤激励のお言葉など)が多ければ多いほど、それを受けて自分達の「ここまで」も上がってくる。
だから仕事に馴れて楽になるってことがないんだな。これからもずっと。






「顔なしにはならないぞ」

書く内容について気を揉むことは確かにある。
震災以前、いわゆる「政治的な」事柄だからあまり自分に関係ないと思っていたことが、震災以降、生活にずっとずっと近くなった。だから巷でも普通の人がデモに行ったりしてる。

でもやっぱり、デモに行く人とも違うとも最近ははっきり思う。
うちのワインのお客さんには色んな人がいる。
電気をつくる会社の人、原子力発電をずっと研究してきた人。デモに行く人。
立場や考えの違う色んな人がすでに自分達のワインを飲んでいる。

もちろん世界中の全ての人に愛されるワインをつくりたい、とは思っていないし出来ない。でも、ヒトに分け隔てなく入っていき、受けいられ、快をうむような液体。そういうものとしてワインのイデアのようなものは確かにあって、ともするとそれに奉仕する役にすっかりなりきっている。ものをつくるってそういうことかとも思う。
だからあえて敵をつくるようなことはしない。デモにも行かない。

ただ、純粋に真摯にものづくりに奉仕する役にどっぷり浸かっていると現実を見誤る。無垢でニュートラルな顔のない存在はいつか命取りになる。
そんなことを食品偽装の問題をみていて感じた。
人間は判断を誤ることがあるし、いつだって目先のことで精一杯だ。100%の安全を人々に提供するという責務をどんな個人が全面的に担えるというのか。食品をつくるのも提供するのも人間。安心安全の生産装置はない。善良無垢なイメージのもとで生身の人間が消え、虚構に擦り寄っていくこと。それが偽装にいたる道なのではないか。

私は日々、全身全霊でワインをつくり見守り送り出そう。でも少しずつ毒も吐いていこうと思う。








2013.8.14

猛暑の中、シンプル店番のため珍しく連続更新です。
子供のころ夏休みってだんだん残り少なくなってると十分遊び足りてないんじゃないかって不安になったものです。大人になってから、特にこの道に入ってからはひたすら仕込み前の精神統一に努める期間で「夏だ!遊ぶぞー」という感じではないのですが、それだけに他の人には自分達の分まで夏を満喫していただきたい。そこで濃ーいご縁を感じてる方々にまつわるこの夏おすすめスポットを紹介します。遊び足りてないんじゃないか、夏よ行かないで、、って気分の方、ただただ暑さを逃れたい方も、まだ間に合います。ぜひ。
(要は全部自分が行きたいとこです)

山系その@
鹿!(小屋のHPより転載)
南アルプス鳳凰三山。山小屋南御室小屋。毎年ヘリでソレクラを空輸してもらってます。小屋のベテランスタッフ長谷川文さんは女性クライマー(私と同年代)。もともと商社勤務でしたが趣味が高じて山梨に移住。2年前まで山梨にいた全国紙記者の紹介で知り合いました。いかにもアスリート的な人を(勝手に)想像していたのですが、とてもたおやかな柔和な女性でした。ブログではプロ級のカメラの腕も披露しています。山ガールなどの登山ブームで利用者の世代が若返りワインを注文する人が増えたそう。食事が美味しくてスタッフがフレンドリーともっぱら評判の小屋です。天気のいい日の眺めには言葉を失くしそうです(遠い目)。


山系そのA
涼しそ〜(宿のHPより転載)
白馬八方。民宿山楽荘さん。ご主人の丸山さんは知る人ぞ知るスキー道家。奥様の由紀子さんはお料理好きで自家菜園や地元の四季折々の食材で色々アレンジされています。素敵な先輩ご夫婦。お風呂は八方温泉。4年ほど前からピノやソレ甲などワインを使っていただいていますが、今年はあの内田樹せんせいのご縁で大接近することになりました。山楽荘さんのご縁で内田せんせいと大接近??うーん、どっちがどっちか考えると頭がこんがらがりますが、とにかく素晴らしい方々とお知り合いになれてワインつくってて良かったです。高山植物にうっとり、避暑にぴったりです。


山系そのB
山中湖ホトリニテ。湖が目の前の素泊まりのお宿です。主高村直喜さんは私たちより一世代下。かっこいい(あえてイケメンとは言わない)そして人物(ジンブツ)。若くしてこの透明感は希少です。映画上映などアート関係色々やってますが宿の地道な仕事をもくもくと一人でこなすのが好きだそうです。元保養所の建物ですが清潔でちょっとレトロで落ち着けます。蔵書多数。湖眺めながら一日読書とかもいいですね。GWにデザイナーH君の結婚パーティーのワイン番で伺いました。いつか私たちもこちらで文化祭的イベントできたらなー。因みに、先日高村さんは福岡県を訪れ友人の紹介で八女の朝日屋酒店さんに行かれ、そこでソレイユに遭って仰天したそうです。朝日屋の高橋さんは私たちが駆け出しの頃、自力でこのHPを見つけ出しうちだけを訪れるために飛行機に乗って来てくれました(申し訳ないので他のワイナリーにもご案内しました)。透明感のある素敵な方です。


特選・海系
瀬戸内海直島 内ヶ浜海水浴場。
瀬戸内国際芸術祭2013
パフォーミングアーツ部門
指輪ホテル公演「あんなに愛しあったのに」
8月30(金)31日(土)9月1日(日)17時30分開場 18時開演
20数年前私も創設に立ちあった羊屋白玉率いるアートカンパニーが直島の海水浴場で公演します。40歳ぐらいになったら有閑マダム的な何かをまた一緒にやろうね、とか言ってたが二人とも有閑マダムとは程遠い。当日私は山梨でピノの収穫してます。誰か行って観て来て〜。
羊屋は私の結婚式でたて笛と歌謡を披露した後ニューヨークに演劇留学。9.11直後に地元の俳優も使ってNY−東京をつないたパフォーマンスをやって話題に。その後もイギリス、ポーランド、ブラジルなどに滞在、公演を行ってきました。今回は周防大島出身の民俗学者宮本常一のフィールドワークにインスパイアされ憑かれたように作品づくりをしてきました。
直島は芸術祭の拠点となる島なので一泊すればかなり色々見られることでしょう。ゆっくり回るには公式ガイドブックがお薦めです。
因みに、この芸術祭や去年私たちも行った越後妻有トリエンナーレのアートディレクターは上記H君の義理の父上となった方。羊屋に聞いていた方とお祝いの席でお会いすることに。世間ってなんて狭い、というか色々繋がりすぎて怖いです。









2013.8.12

昨日下の文を書き終わる頃スコールが降ってきました。熱帯夜を避けてひっさしぶりに映画(『風立ちぬ』)を観に行ったのですが雨で気温が下がって帰りは夜風が気持ちよかったです。美しく、リアリティー、奥行きのあるいい映画でした。
今朝の最低気温は24℃。ベイリーAの農家さんを数件回ってきました。乾燥がひどく潅水が出来ない園では着色の進行が鈍いとのこと。ピノ→メルロときてこちらは来月中ごろから収穫となります。


2013.8.11

残暑お見舞い申し上げます。ご周知のごとく甲府盆地はゆだってます。ちょうど一月前の連続39℃超の時はピノとメルロの一部で房が焼けてミイラ化しましたが、今回はもうヴェレーゾンを過ぎて品種によっては色がほぼ回っている段階なので焼けるということはありません。ただ暑すぎて土もカラカラなので成熟するというよりは生き急いでいる感じです。夜温が下がらないので葉の呼吸量が多く樹勢の強い樹では成葉が縁から枯れてきています。後一週間以上、こんな猛暑が続く予報なので収穫はやはり早まりそうです。

本来「成熟」という言葉のイメージからすれば、ゆっくりと徐々に完成に向けて熟すというイメージですが少なくともこのところの日本の気候ではそういう感じではないですね。そもそも日本では夏の終わりには台風、その後は秋雨前線が控えているので梅雨明けが早くてヴェレーゾンが早く来てもその段階ではまだ分からない。順調に熟して行ってるようでも最後の最後に台風の影響で1週間ずっと雨、なんてこともあるのでイメージとしての「成熟」と現実の判断はかけ離れてくることはよくあります。
まあ、そうか、人間にしたってそううまく思い描いたようには行かなくて、親がしたことが裏目にでたり、裏の裏をかいて予想もつかない道を歩んだりということがありますよね。そんな感じ。

ワインも、収穫して仕込みをしている時には全然良い年だとは思っていなかったのに結果的にははっとするものがボトルの中で醸成されてたってこともあります。近い例では2010年の自社畑メルロ。5月下旬からべとが大発生して6月中旬から7月にかけてかなりの房を落とさなければならなかった。べとは落としても落としてもなかなか止まらなくて仕事量は増えるし精神的にもへとへとに。でも葉っぱが健全だったので房を落としたのが収量制限になって収穫から約2年後にリリースしたワインはバランスがよく、まるで「誰からも一目置かれる存在感のある人物」のようになった。毎年飲んでくださっているお客さんからも「2010は意外とどうしてなかなかなんだよね」とか「よくて驚いたから追加!」などの反応があったし、都内でのワイン会や今年からお取引が始まった国内最大手デパートさんでもかなり好評でした。少し前にワイナリーでは完売してしまいましたがこれは私たちにとっても勉強になりました。酒販店さんにはまだ在庫があると思いますのでまだの方はマスト!です。

つまり、ワイナリーの人とか農家がその時に言ってる「今年は最高だ」とか「こんなひどい年はない」とかそういうのは話半分に聞いておいて、ちゃんとした蔵元の適宜熟成したワインを飲み時に自分の舌で味わってみることをぜひお薦めします。こういうと「いわゆる良い年を始めて経験した」とか言っていた去年のワインはどうなんだ?と思われるでしょう。現況は今すでに販売しているものについては早めのサイクルで出ていってます。ソレイユ甲州は秀逸だと思うので自分用を多めにキープしておきたい。そして現在樽または瓶で熟成中のものですが、これは正直まだ分からないんです。だってメルロなんか全て補糖なしでいけるぐらい糖度が高かったからそれは今までとは違うワインになることは間違いないです。(長期樽熟成の2樽を除いて昨日詰め終わりました)でもそれがどれだけ美味しいか、というのは私たちが判断することではないのです。「良い年」「悪い年」というのは栽培者や醸造家からすると仕事のしやすさやメンタル面で確かにあるのですがそれが必ずしも美味しさに直結する訳ではないです。
そこが面白いところだと思います。思いませんか??

ということで今年はどうなるでしょう。
これだけべとが出なかった年は確か2004年以来です。そして今多くの日本人がこの暑くて長い夏を生きていますね。大雨や土砂災害もまたありました。いつどこで起きてもおかしくありません。そういう中でなんだかんだやってくのが農業で、その結晶がワインです。あなたに飲まれるその時、それはあなたに、自らを語り始めます。


さて、とても紹介が遅れましたが、今年は3月から新しいスタッフに岩手ピノの栽培を中心に手伝ってもらっています。萩原進(はぎはらすすむ)くん。山梨市万力出身で東京の大学卒業後15年間東京で働いていましたが、昨年一大決心をして農家になるため地元に戻ってきました。去年一年は県立農業大学校で農業の基本を学び、今年から自分の畑(一部成園)にブドウを植え育てながら旭洋酒の農作業アルバイトをしています。
新規就農のはぎはら君。正直者です
趣味は海外旅行でこれまで何十カ国を訪れる中で世界中で色々なワインが造られ様々な形で飲まれれていることを知ったようです。ワインマニアではありませんがワインの多様性を知った上で地元のワインに目が行った、というところがいいじゃありませんか。自分の畑が成園になって収入が安定するまでの3年ほど、うちでバイトしてもらう計画です。うちのような小さなワイナリーが若者の就職先として機能する事は(不可能ではないが)容易ではありません。ですが萩原君のような自分で決めた目標のある人に一時就労の場を提供することなら出来るし双方にとって得るものがある、そういう気持ちで今年はやってきておるわけです。特にピノは最初は小川先生の畑で、前任者は小川先生から手ほどきを受けていますが、2年前に自社畑になったため今年からは私の方針で作業を進めてもらっています。私も今年初めてピノの剪定を一緒にしました。難しい品種の上、適地とは言えないことを承知でやってきていますが今年はそういう意味で節目の年でもあります。

収穫まであと2週間をきりました。ドキドキするなぁ。
どうしよう。。









2013.2.9

昨日にうってかわって今日は風もなくいいお天気です。朝は-4℃位で寒かったけど畑で剪定枝を運んでいたら間もなく汗ばんできました。ご近所の蝋梅も咲いているし春は着々とこっちにやってきていますね。
やはり寒かった去年は短梢に剪定したところで萌芽しない部分がいつになく多く、師匠によると乾凍害だろうということでした。毎年、大雪に備えて年内には枝を2/3位まで切り詰める(仮剪定)のですが、最終的に2芽にするのはいつも立春を過ぎてからにしています。去年乾凍害が出たので今年は余計に慎重になっていて、まだ本剪定に入っていません。でも剪定後、3月の水揚げ前までにやりたいこともあるのでそううかうかもしてられません。もうすぐ、ほぼ毎朝、せっせと剪定の日々になると思うと毎年のことながらワクワクしてきます。今年はどんな年になるのか、生き物たちももうすぐ起きてきて畑が動き出すのです。

仮剪定を終えた風畑メルロ(変形垣根)


さて、先日遠方からの酒販店の方をお迎えし、今日メールで訪問のご感想をいただきました。春を思わせる陽射しとともに、ちょっとほっこりした気分になったのでお話します。

自由化以降、地酒に特化したご商売をされている酒販店にお勤めのその方は、今回初めて山梨のワイナリーをまわられたのですが、最初、日本酒に比べて極端に生産量の少ない日本ワインの生産者にとって、自分たち酒販店の意味とは何だろうと悩まれていたそうです。つまり、小さなワイナリーであれば、ある程度認知され「販売のコツ」を得れば、酒屋に卸すより直売で売った方がいいに決まっている。その方が儲かるから。ならば酒屋が出る幕はあるのか、どうなんだろう、と思われたそうです。
そしてうちに来てテースティングをし世間話をして帰られた後、自分たち酒屋にも大きな役目があると確信しほっとした、とおっしゃるのです。

私の方こそ、とてもほっとしました。
実は私たちは(とっくに気付いておられる方もいるかもしれませんが)ワインを「売り込む」ことが得意ではありません。もちろん、自分達で作った「おいしい」ワインをたくさんの人に飲んでもらいたい。でも、そのブドウとワインに対して実際にした事と、飲んだ感想以外のことを言う、書く、ということはある意味耐え難い。たとえばワイン造りの哲学とか、こだわりとか、「〜は何ですか」などと言われると本当に困ってしまうのです。
個々のブドウやワインに対してその時最善と判断したことをやる。判断には時間、労力、継続可能性、その時の体調などさまざまな条件があり、その積み重ねが出来上がったワインの総体。それでなぜいけないんでしょうか。と思わず言いたくなる。

もちろん、消費者に選んでもらうためには自らの優位性をことさらに言わなければいけないのです。それは分かりますが、私(たち)はそれをすることが生理的に苦手です。そういう視点にあえて立ち、求められているような事を言う事は出来ますが、正直とても疲れ、通常の仕事の体勢に戻るにはもう一度切り替えが必要です。

問題はワインに対する立ち位置なのでしょう。もちろん雄弁に語る立派な造り手もいるとは思います。しかし私たちの場合、立ち位置を頻繁に変えていたのでは今あるようなワインを作り続けることはは出来ない、という確信に近いものがあり、それは「伝える」ことへのモチベーションに先立つものなのです。

さて、先ほどの方ですが、ですから私たちはご訪問の際に、ワインを一通り見ていただいて畑と醸造の説明をしただけです。あとは最近のお酒屋さん事情など、つまり双方のぶっちゃけ話でしばし歓談したのです(お酒屋さんや飲食店さんが来られたときはいつもそんな感じです)。その結果、その方がご自身の仕事の意義の一部について何かしら答えを見つけられたというのは大変嬉しいことです。そして同時にそれは、私たちのワインとありのままの私たち自身を肯定していただいたのだと、素直に受け取りました。

以前、また別のお酒屋さんですが、自社のHPをリニューアルして買い物しやすいようにすれば売上が30%(!)は上がりますよ、と忠告して下さった方がおられました。確かに。カゴが必要かとは思っているのですが未だに改善されていません。不便に思われている方も多いかと思います。ごめんなさい。

ただ、全国にこうして、私たちに代わって手渡しでワインを販売してくださる生身の人間がおられる、ということは実にかけがえのない事です。
商売は儲けだけではない、です。

お豆に顔がついてること今気付いた!(先月行った沢渡温泉の部屋にあったちひろさんの絵)


2/2NHKおはよう日本で友人五味ちゃんの「手前味噌の歌」が中継で紹介されました。我が家でも御馴染みのやまご味噌を隠し味でクリームシチューに。こうすると甲州にばっちり合います(市販のシチュールゥだとしょっぱくなるのでホワイトソースで作ってね)。












2013.1.27

月日が過ぎるのが早くもうお正月が遠い昔に感じます。12月でオカップが退職してまた二人になり、それで随分時間の流れ方が変わりました。以前ある人に、夫婦で事業なり活動をしていると、一人でやっている人より孤独、というか、周りに対してクローズな状態を保つことができる、というような話を聞いた事があります。言いかえれば周囲の音があまり入ってこないような状態に知らず知らずと陥っている、ということでしょうか。確かに長年二人で同じところで同じものをつくっていると、何だかとても周りから隔離されたような、大丈夫かな、と思うことがあるのです。3年前常勤スタッフを迎えることにしたのはそういう理由もあってのことでした。

しかし色々あってまた二人(+ラベル貼のアルバイトさん週2回)になり、一言でいうと静かな環境が戻ってきました。オカップがうるさかったという意味では決してありません。トンネル事後がなかったとしてもこの時期お客さんはあまり来ないし、夫はもともとかなり無口な方だし。そういう意味でも実に静かなのです。農閑期の冬場は瓶詰の季節。去年つくったワインを春までにせっせと詰めていきます。去年は豊作だったのでその分回数も増えます。二人になって久しぶりにまた自分でやることになった仕事もあるので適度な緊張感があります。2月一杯はこの体制なので、静かに、しかしあっという間に過ぎていくことでしょう。

みよこさんの和テイスト、特にお酒にまつわる絵は絶品!お猪口のグルグルが蛇になっているのですよ。


さて、震災から間もなく2年になりますね。「震災の記憶を風化させてはいけない」ということで大河ドラマなり、色々被災地を盛り上げようという動きが高まっているようです。それはそれで良いと思うのですが、そのノリだけでは駄目だなとも思う今日このごろ。

原発事故で福島は世界のフクシマになったわけですが、現地に住む人たちにとってはそのところ微妙でしょう。今、福島に住む人たち、特にお母さん同士の間では、放射能のことは口にしないことが暗黙の了解となっているそうです。そして何か学校のことなどで決めなければならないというときは意見が二極化するそうです。例えば外で遊ぶ時間を1時間にしよう、というと、「もっと増やせないか」という親と「そんなに遊ばせていいのか」という親とで真っ二つに割れるというのです。他県への移住という選択肢がほとんど絶たれている中でこの状況は想像に難くない。ヨーロッパの人などは「なぜフクシマにまだ人が住んでいるのか」と訝しがるそうですが、将来にわたっての身体への影響は確かに未知なのだから、子供の、さらにまたその子供のためにも「避難するべきだ」と考えることは正当だと思う。

でも実際には他県への移住には公的支援がなく現実的ではない。「考えたらきりがない」「子供を生涯にわたって一切の苦難から免れさせる事などもともと不可能なのだから」というところでなんとか気持ちを落ち着かせている人が多いのではないでしょうか。

こうした状況の中で、福島を題材にしたり、そこで何か催したり、それを見たり聞いたりする私たちにはある心構えが必要だと思う。「風化させない」というスローガンのもとに、現実の福島を置き去りにし、福島をフクシマ化することで満足してはいけない。
プロモーションによりお金が動き、活気づく町や場面がたくさん見られるだろう。
それは良いこと、でも表面的なものだ。

「忘れない」ということは未来に関わることだ。
私は今、福島の人たちに対して何もできない。
できるのは、原発事故に向かったそれまでの日本を変えていくこと。
その住民だった自分を変えていくこと。
大げさではなく、本当にそう思う。

家で使っている三郎専用酒器。左は日本民藝館で買った沖縄の陶器。右は海野宿ガラス工房橙で買ったくるみグラス。クルミの殻の灰をガラスと混ぜて作ってある。左は円やかな味に、右はきりっとした中に果実味が感じられる。三郎には「うすはり」よりこういう厚手の素材が断然合う。(クラシックにはうすはりオールドがお薦め)












2013.1.5

明けましておめでとうございます。昨日から瓶詰の準備と剪定を始めましたが今日は初売り。気を引き締めていこう、と思って家をでたけれどあまりの寒さにぎょぎょ。8時をすぎても−6℃で、凍結予防していった水道もびくともしない。最低気温は何と−8℃だったらしく水道が使えるようになったのは午後1時近くでした。トホホなスタートですが帰省されていた方やお年賀のお客様などチラホラいらして悪くない感じです。昨年は選挙があったせいか年末ムードがなかなか盛り上がらなかったけれど、休みが長かったので皆さんゆっくりされたのでしょうね。

私たちは正月休み最終日の3日、県立考古博物館でやってる企画展を観にいきました。タイトルは「ワインの町の縄文時代」。このところ縄文にちょっとはまっているので飛びつきました。(万力公園にカピバラを見に行くという案もあったがこちらはお正月休みでした)企画展の内容は単に甲州市で出土した縄文土器、というだけだったのですが、正月特別企画で学芸員さんの丁寧な説明を聞きながら閲覧することが出来た上、「古代米の餅つき会」にも参加することができました。弥生時代の住居跡から出土された脱穀に使われた道具を再現して、黒米や粟、稗をもち米に混ぜて皆でついて食べる楽しいイベント。お子様たちに混じって思いがけずお正月らしい体験ができました。

1月3日 古代米の餅つき大会甲府在住のソレイユ常連さんご家族にも遭遇。


さて、なぜ縄文かというと私については去年から集中的に読んでいる中沢新一さんの影響大。人類学者・宗教学者として有名な中沢さんは山梨の出身ということは聞いていたのですが去年になって、もろ、もろ地元だということを知りました。何冊か読んでみるとこの近辺のことがたくさん書かれているのでびっくり。山梨は天皇の直轄地で殿様がおらず江戸時代にも独自の文化が栄えたりしなかったため古代の流れがゆるやかに続いており、日本の中でも珍しいアニミズミ的要素が色濃く残る土地柄なんだそうです。中沢氏はこのような地域で育ったことはとても幸せだったと言っています。
「えー、ここってあの中沢新一を育んだそんなすごい所なんだぁ」といささか興奮気味。地元の人はみな知っていたんですね。中沢さんのことも、近所に古墳がいっぱいあることも。灯台下暗しでした。

縄文時代というと稲作は伝わっておらず国家もまだなく、人々は豊かな森で狩猟採集の生活をおくっていましたよね。その時代が何と一万年以上も続いたのです。煮焚きに使われた土器や女性を模った土偶には生命の象徴であるヘビやカエルなどの水生生物や躍動するうずまき模様などが描かれていて、ほんとに自然と一体となって宇宙の神秘に触れながらみなさん生きていたんだなあ、と現代人にとってはほんの少し想像することしか出来ないながらも、その末裔であることに希望の光を見ずにはおれない時代なわけで、岡本太郎や坂本龍一にインスピレーションを与えたり静かなブームはずっと続いているようです。

尖石遺跡に復元された縄文住居。周りにはどんぐりやしいの実がいっぱい。2012年11月撮影

夫はもともと歴史が好きで「マンガ日本史」(!)は読破していましたが昨年は山梨の歴史や地理に関する本も読んでいました。彼は工学部出身ですが高校までで一番好きだったのは本当は社会だったそうです。何となく就職にいいかと理数系になったんですって。そんなわけで昨年あたりから、文学をまったく嗜まない夫とも重なる興味が出てきたのです。
仕込みが一息ついた折には長野の茅野の尖石(とがりいし)縄文考古館に行って「縄文のヴィーナス」のレプリカを見て住居跡で椎の実を拾ってきました。握ると不思議と心休まるまあるい実。

尖石で拾ってきたしいの実。ヴォージュの森にも古代人はいたのかな。


山ブドウで造ったお酒の痕跡も日本各地から出土していますね。もちろん甲州市に限ったことじゃありません。それらと今私たちが飲んでいるワインは全く別のものですが、ワインというのはインターナショナルとかグローバルである以前に、普遍的、ユニバーサルなものなんですね。地球上のいたるところでそういうものが最初は宗教的な儀式のためにつくられた。しかしそこから変容を遂げ、ブドウが栽培され、神様の飲み物ではなくなり、欧州の貴族のような人たちに嗜まれ、洗練され、細分化し、長い時間を経て今のような商品になった。

やはりワインについてはその起源というのが最大の魅力であるように改めて思えてきます。地球上のいたるところで、醗酵に遭遇し酔いを知った最初の人たちの驚きを想像することは、現代のどんな素晴らしいワインの香や味を想像するよりもワクワクします。つまりワインというのは技術がどんなに洗練されても、味わいと香のチャートや産地の情報がどんなに細分化されても、その真髄は始まりの魅力を宿し続けているものだと思うのです。現代人が縄文人の賢さに抱く感情も、今は全く失ってしまったかに思えるその特性の一部を我々が心に宿しているからではないでしょうか。ワインがローカルでありながらグローバル足りえるのも、全人類にとっての驚きと魅了の記憶がその根底にあるからではないでしょうか。

驚きから知恵によって進化を遂げたワイン。
ワインづくりに携わる現代の私たちもその感動と知恵をいつも胸に携えていたいものです。













2012.11.19


永田町の先生方たちの諸事情で何かと忙しい師走に選挙ということになりました。震災・原発事故という歴史的事柄を挟んでTPPについての議論は深まらないまま、国民が判断を迫られることになってしまいました。震災前、私も農産業に携わる人間としてTPPに反対意識が強かったのですが、農業者でない人たちをどう説得できるかという点では残念ながらこの期間に発展していない。景気が少しでもよくなるなら、もともと日本の農業は壊滅状態なのだから、TPP協議参加を機に淘汰を進めた方が将来的に見て日本のためになる、というような意見もよく聞かれ、しばらくはあんまり反論する気もおきなかったのです。
ですが選挙というと決めなければならないし、最近あった出来事とからめて、少し自分の意見をまとめてみようと思います。

収穫が終わって冬が来る前のこの時期、用事をすませようと軽トラで畑を巡ると、今年限りで栽培を辞めるブドウ畑で数人の人たちがブドウの樹を伐採している光景に出くわします。今年はこれまでよりも多いような気がして胸が騒ぎました。折りしも、自分達が借りている畑のひとつの地主さんに、親戚に貸していた他の畑が空くのだけどやってもらえないかと相談され、自分達はもう手がまわらないので心当たりの人に聞いてみる、ということでしばし奔走している最中でした。人づてに二組の新規就農希望者に声をかけたのですが、一方の方は一足前に別の地域で借りられる畑を見つけ話を進めてしまったという理由で、もう一方は畑を実際に見てわりと気に入ったのだけど、就農準備者向けの補助金の申請をしてしまっているのであと1年間、畑を借りることは出来ないという理由で、二組とも不成立となりました。地主さん自身が「貸したい畑の情報を市の農協委員会に登録すれば問い合わせ者に紹介される」という仕組み自体をご存知なかったので登録を行うようにお願いしてひとまず手を引いたところです。実は2ヶ月前にも同じパターンで相談されていた話が破談になっていたのです。

関わったことがうまくいかなくて間に入った自分までちょっと責任を感じてしまいましたが、情報集約・公開の問題と補助金がネックになって、畑を貸したい人、借りたい人はいるのに空き畑が増えていくとしたら、これは由々しき事態ではないでしょうか。いわゆるミス・マッチというやつです。

しかしそもそも、こんな時代に農業を始めようとする人がいるということはどういうことか。
異業種参入とか法人化とは別の流れで職業として農業を選ぼうという生身の若者たちがいるのです。
不況、就職難というのも背景にあるとは思いますが、生活の糧として儲からないと言われている農業を選ぼうという若者のモチベーションと、今言われているような強い農業への呼びかけは全く立ち位置の違うものです。

山梨でブドウとワインをつくっているとTPPの必要性を説く人たちがいう農業の合理化というのは机上論のように思えてなりません。狭い区画であまりにも多くの「農家」と呼ばれる人たちがいるのが良くない。プロとしての自覚を持ち、他の業種と同じように、競争する意欲のある人たちだけがスタートラインに立つべきだ、とその人たちは言います。しかし現にブドウ畑は非常に小さな区画で様々な事情のある人々によって維持されており、高齢化のために引退する人もいれば、それこそ倒れるまで栽培し続ける人もいます。効率が悪くヴィジョンを持たず補助金頼みの死に体農業。そう言いたくなるのも分かるし、農協という組織は根本的に見直されるべきだとも思います。でもちょっと待ってください。虫食い状態に放棄畑が増え続けている現在、そこで生活を立てようという個人があり、何とか土地を荒らさずに作物をつくってくれる人を探している農家がいる。この現状を飛び越え、道筋も示さずに、土地を買収して高速道路や空港や大型スーパーをつくるのと同じように農業の合理化を唱えられても私には全然ピンときません。

かく言う私たちも死に体農業から自分を立ててきた者です。借りている4つの畑は全て、所有者の様々な事情により栽培断念された畑です。ヴィンヤードとは似ても似つかない小さな区画のブドウ園です。

TPPが話題になった頃、農家のおじさんにTPPに参加したらワイナリーも輸入の安いブドウを仕入れてここらのブドウはとってくれなくなるのか、と聞かれて驚いたことがあります。
おじさん、それじゃワインとして全然競争力がないですよ。
その土地の風土を表現するのがワインなんだから。そして風土という言葉には栽培する「人」のマインドが含まれているのですよ、と言いたかった。実際、私たちのワインの原料の選択肢にバルクワインやマスト、あるいは生の輸入ブドウというのは99.9%考えられないし、そういうので出来た安いワインとの競争も視野にない。輸入ワインとは価格では競えないと初めから判りきっている。

なのに私たちは生き延びている。生産コストと量から言ったら国際競争力なんて全然ない、そんなワインを好き好んで選んでくれる人や場が、私たちの生産量に見合っただけあるからなのだろう。とてもありがたいことだ。
つまり、もし仮に私たちが国際競争力を得ようと思ったら、私たちは私たちでなくなるのです。

嗜好品であるワインと食料である農産物は違う、と言われるかもしれない。
でも今、日本の農業が生き延びる道は量の単位で語られる「食料」としての道ではない。安心安全という安易な言葉遣いはしたくないが、多くの今大人の日本人が、田舎のばっちゃんが裏の畑で今採ってきた野菜が本当は一番いいと思っているのでは。子供たちにもそんな味わいを知ってもらいたいと。

こう考えてくるとTPPに賛成か反対かというよりもTPPが日本の農業の現状や農産物に対するマインドから考えられた制度ではないことがあらためて明らかになってくる。
参加してもしなくても、もしかしたらそんなに影響はないのかもしれない。
しかし参加しても農家のみなさんに影響がないように手厚く保護する、という旧政府の言い方には本気で農業を立て直す気が感じられないないし、かといって農協さんとの癒着がやたらと強いらしい某党さんにお任せする気にも今のところなれない。

一つ言いたいのは、一個人の都合とか事情は実に様々であるけれど、今の世の中金儲けを簡単に出来ると思っている人もそんなにいないだろうから、お金がなくても自分がいかに上機嫌で生きていけるかとか、できれば環境破壊のスピードを緩める方向の仕事をしたいとか、そういうことが職業選択の理由になるケースも結構あるわけで、一部の意欲的なビジネスマン以外は、みな安定志向で受け身な人ばかりというわけではないということ。農業には自然の恵みを直に感じられる喜びや、答えがすぐには出ない植物との対話感が楽しめるという魅力があり、それは個人的な充足感に繋がるということ。だから就農希望者が今増えているということ。その多くは農業法人の社員になることを目指しているのではなく、自分でつくった作物を自分で売ったり加工したりしたいという希望をもっていること。
そういう芽をつんでしまうようなことだけにはならないでほしい。


剛が静岡の実家にあげた使用済みの樽はプランターになり、そこではターツァイがすくすくと育っていました。









2012.10.17

まるまる2ヶ月以上ぶりの更新です。仕込み、ほぼ終わりました。2ヶ月前、言わなかったけれど、去年は震災があって台風もいっぱいきて大変だったから今年は良い年であってほしいなーという大きな期待と、2012というのは何となく並びがいいし個人的にも歯車がカチッとはまるような出来事がいくつかあったので「今年はもしかして」いう予感のようなものがあったんです。あ、そうじゃなくて今だからあったような気がするのか。どっちにしても、収穫期を迎え自社畑の収穫が進むにつれ「いい年もあれば悪い年もある」という言葉がゆっくり腑に落ちていきました。栽培歴15年にしてようやく。今年が間違いなくその「いい年」でした。

「いい年」というのは全てがいい方に傾いて行くんです。質、量、作業性、そして気持ち。醸造においてもブドウがいいと必要以上に過保護にならなくてもその子を信じられる。必要以上に過敏にならないからストレスも少ない。豊作でおおよそ3割ぐらいの増産になったのでタンクのやり繰りが大変だったし体力的に疲れたわりには、ほら元気です、私たち。ありがたやありがたや。

15年間ずっと、農業というのは自然が相手だから不安定で骨が折れる、という語られ方しか聞いた事がなかったし、そのとおりだと思っていました。苦労してもいいワインが少量でも出来れば報われる、それで満足、と思おうとしてきました。でも今つくづく、農業の基本は植物の自己増殖性を人がただただ手を広げて享受することにあるんだと感じています。ひとつ種を撒けばそれが何倍にもなって返ってくる、1本の細い苗が根を張って徐々に太くなり、多くの実をつけてそれを人が収穫しワインにする。

当たり前のことですが、一度でも「いい年」を経験しないとこの農業の本質には触れられません。自然相手だから大変だと嘆くのも、自然に囲まれて楽しそうと夢見るのも、テロワールのハンディを人の知恵と努力で克服して世界レベルのワインを造るんだと意気込むのも、同じように本質が見えていなかったような気がする。

自然はみんな繋がっているから、自然と人も繋がっているから、いい時はそれが広がっていく。それが自然。悪いときは知恵を使い努力した人はそれなりのものを得られるけど出ていくものも大きい。それが自然。

続ける(生き延びる)ために本当に必要なものは「安定」ではない、という気もいよいよしてきました。これについてはまだまとまりませんが、今年の収穫と仕込みを経験して確かに何か変わりました。
長くやるってこういうことなんですね。

こんな絵ができたのも初めて。かわいい。










2012.8.12


残暑お見舞い申し上げます。お盆頃ゲリラ豪雨の確立が高いと聞いていたので警戒していますが、昨夕の雨もそれほど強くなく、今日は乾燥した気持ちのよいお天気です。7月終わりごろは山梨でも夜温が下がらず数日間熱帯夜が続き、ブドウは着色初期でしたが進行が一時緩慢になったようでした。8月に入ると夜温は22℃位には下がるようになり、徐々に着色が進み、現在ピノとメルロの早い樹は全体に色が回りました。ただ、今年は冬から春先の寒さのせいか、生育ステージの樹によるばらつきが、萌芽、開花、着色期を通して見られます。梅雨以降雨が少なかったので病気は少なく、7月半ばまでは気温もそれほど高くなかったので葉っぱの消耗も少なく、さらに開花期に天気が良かったので着粒もよく、全体の傾向としては、このまま行けばここ数年にない豊作となりそうです。樹ごとの成熟の違いを見極めてグループ分けをし、いかに適期に収穫するかが最初の収穫を2週間後に控えたこれからの課題です。

陽畑メルロ。去年はこの時期、葉っぱの縁が枯れていたが今年はまだシャキッとしている。

同メルロ。開花期天気が良く、粒の多いがっしりした房が多いのでその分房数はかなり減らした。

変形垣根の風畑メルロ。こちらは1週間位遅い。


今年は雨日が少なかったので農作業がはかどり、梅雨明け後の猛暑は堪えましたがそれほど疲れを溜め込むこともなく、先週は二日間の夏休みをいつになく活動的に過ごすことが出来ました。元来温泉が好きなのですが夏は熱いのは苦しいので選択肢が少なく、何とこの10年で3回も夏休みは長野の白骨温泉でした。ここは涼しさではダントツで最高気温20℃位、バスで乗鞍畳平まで上がればまさに別天地なのですが、あんまり同じところにばかり行っていると呆けるし、何より同じ背景の写真ばかりが貯まってしまいます(着てるものまで同じだったりする)。なので今年は一念発起して別のぬるい温泉を探し、新潟の貝掛温泉に決めました。偶然にも少し前に友人から越後妻有大地の芸術祭の事を聞いていて、そんじゃこの機会に行ってみようということになったのです。山梨からは車で4時間かかり私たちにしては長旅でしたが、ぬる温泉でほぐれた体にアートで脳が刺激され、体が少し軽くなったような気がします。

この芸術祭は地域全体がいわば美術館のようになっていて、棚田の風景や空き家や廃校を舞台に360点ものアート作品が展示されています。週末には演劇やワークショップも開かれます。会場の受付には地元のおっさんおばちゃんが立ち夏休み中の小学生も手伝いにきたりしています。作品には地域の伝統文化、地質地理を題材にしたり、地元住民が参加したものも多く、風土に深く切り込むことで現代の問題を浮かび上がらせるような仕掛けにもなっています。アートという非日常性によって日常と現実が美しい風景の中に浮かび上がる。これは不思議な体験でした。通常の美術展と違って写真撮影OKで色々撮ったのですがこれから行く人のためにこれだけにしておきます。9月17日までやっていますので興味のある方はぜひ。

クリスチャン・ボルタンスキー「最後の教室」
看板がなければただの廃校。中はすごいことになっていた。


鑑賞ルートのあぜ道を歩いている人も作品の中に取り込まれているのがミソ。

そんなことで楽しい二日間でした。お盆が明ければいよいよ仕込み本番モードです。直売店も10月の半ばまで仕込み期間の縮小営業になります(通信販売はやっています)。これから夜の気温がもっと下がって雨が少なければビッグ・ヴィンテージです。美味しいワインを飲みたい方は一緒にお祈りしてくださいね。









2012.6.17


大飯原発再稼動について、この1ヶ月農作業に追われていた(いる)自分の立場から少しだけ言わせてください。

原発再稼動について国民に理解を求める首相の演説について、内田樹氏は「著しく誠実さを欠いている」と言いました。私もそう思います。首相は、福島で起きた以上または以外のことについて想定外領域を容認し、責任を放棄しました。そしてより蓋然性の高い夏場の電力需要にともなうリスクを優先することにした。その選択はあり、と内田氏はいいます。問題は、福島以上の災害に対する責任を放棄したことを曖昧にするために「国民生活を守る」という詭弁を弄した事。正直に、二つの選択肢の間で苦境に立たされ、目先のリスクを優先することにしたと言ってくれたら、「福島以上の災害がおこりませんように」との首相の祈りに自分も参加したかもしれないと。

一国の首相だからといって他の人より立派な判断ができるわけではありません。総理大臣だからといって個人の思想を捨ててどちらの意見を持たなければ絶対にいけないということもない。問題はむしろ、個人の判断におけるような理由を語らず、官僚的な作文によってマイナス材料を巧妙に隠しつつ堂々と、読んだ人が狐につままれた気になる文章をあらわしたこと。これによって「国」へのキモチがしゅーっと萎んでしまい、最近、特に一昨日からあからさまに張られているらしい報道規制のことなどを耳にすると無気力とやり場のない怒りを感じてしまうのは私だけではないはずです。ないと多くの人ががっくりすることになる「誠実さ」とは何でしょうか。

ここで自分の話に飛びます(自分の中では繋がっているんです)。

雨の多い日本で健全なブドウを安定的に作るには化学農薬の力を借りなければならないと私は考え使用していますが、農薬はもちろん好きではありません。特に害虫については出来るだけ、虫たちの中でうまくやってくれたらいいと思っています。でも、収穫の時ブドウの房にカビがあったり虫がいれば取り除きます。少しならいいけど多ければワインの香味に影響がでるし、芋虫やカメムシが醸し中に何匹も浮き上がってくるのは正直気持ち悪い。だから人の手でとり切れないほどに増えないよう、なるべくブドウへの残留が少なくて済む早い時期に農薬を使います。でも病気や虫が出る状況でないのに農薬を撒く事は極力避けたい。環境にも私の体にも良くないから。必要な時に最低限の負荷ですむだけ使うというのが理想ですが、そのためにあーだこーだ迷うことがよくあります。それで眠れないまま早朝散布をしたこともある(実はこの間)。

なぜ迷うかと言えば、農薬は地球にとっても私の体にとっても「良くない」というのが大前提だから。でも使わなければ今の体制で今あるようなワインを作ることはできない。お客さんに楽しんでもらうことも、それを売って生きていくことも出来ない。それにもし、農薬を使わないことを第一原則としてその年の収穫の大半をあきらめなければならなくなったり、腐敗果が大量に入って美味しくないワインが出来てしまったりしたら、自然の恵みを糧とする人間の基本的な営みに抗っているようでむしろ自然じゃない、とさえ思う。

相反する二つの思い。
「おいしいワインを造りたい、飲んでもらいたい」というのが目的なのだけれど、そのために私は自分と地球に小さな傷をつけることに加担している。その意識が常にあるから未だによく迷い、そのつど決断している。

私はこういう他人からみればバカバカしい迷いをなるべく示そうと思う。
世の中はどちらが正しいといえないようなことばかりで成り立っていると言ってもいいのに、言葉にしようとすると「〜派」とか「〜ジー」とか「〜イズム」とかでくくる事になる。でも、今回の場合のように、本当に説得力、持続力があるのはそういう一見きれいにまとまった言説ではないのではないか。一人の人間があーでもないこーでもないと迷った末にある判断をしたことを正直に伝えることがどれだけの力も持ちえたか、残念ながら知ることは出来なかったが。

そしてこれから日本が進もうとしている方向について、このような官僚的言説と報道規制が力をもってくると思うとぞっとしてしまう。

「普段から節電して、他の自然エネルギーを徐々に増やして原発への依存度を少しずつ低くしていけばいい」という政府の方針のもとにあるのは「原発は危険である」という、国民が共有する認識だ。各施設によって安全度が異なると言っているが、一度安全性を認めるということは即、新たな想定外領域を容認することに他ならない。もし大飯が安全というならば、日本が地震多発期に入り火山の爆発の危険性も高まっていると専門家が指摘するこの時期に、大飯同様に安全な原発を新設することだって論理的には可能ということになる。

私がブドウ畑に農薬を撒く時、合羽とマスクと防護メガネをし、風のない早朝に、農薬が余らないように計算して適量を撒き、その後は速やかに器具を洗浄し、自身はシャワーで全身をよく洗うような、そのような仕方で地球と自分への負荷を出来るだけ減らそうとする、そういうコントロールが原発においては通用しない。原発は人と地球にとって負荷ではなく「危険」なのであって、そのことを昨年3月から私たち日本人は身をもって知ったはずだ。

一昨日からの首相官邸前での反対デモに集まった人の数は、主催者側の発表によると11,000人に達していたそうです。報道されないので知らない人のために、その数の多さに希望がわく人もいるかもしれないので。













2012.3.31

桜の開花が遅いのでもう少し急いでいればお花見に間に合ったかもしれません<ソレイユ・ロゼ>。今ラベルの印刷待ちなのです。こんなことならもっと早く動いておけば良かった。今回(11年産)は香は甲州が強いけど黒ブドウの果実味がたっぷり。苺を噛んでる時のようなフレッシュでしっかりした味わいは確かにちらし寿しとかに合いそうなのです。桃の花見には間違いなく間に合います。日にちが決まったら真っ先にお知らせしますね。

さて、福島の旅の二日目。ヨーコ先生お気に入りの日本酒の蔵元さんに連れて行っていただきました。
西白河郡矢吹町にある大木大吉本店さん。1860年代創業で全国鑑評会で何度も金賞をとっている老舗です。昭和40年代に開発された料理酒は全国に流通していて絵手紙風の鯛のラベルは私たちもどこかで見たことがありました。お米作りからこだわった<自然郷>で純米、純米吟醸、山廃仕込みなどを展開し、現在は38歳の社長、大木雄太さんがヨーグルト酒、卵酒、柚子酒なども手がけています。

ここに来る時に初めて、地震で倒壊したままの建物を見たのですが、大木さんの売り場に貼られていた震災時の写真には目を奪われました。こちらは福島県内で地震の被害が最大規模だったそうで、私たちも見慣れているホーロータンクが倒れ、蔵の土壁が崩れて全壊している様子には同じ酒造りを生業とするものとして胸が詰まりました。
バラエティーに富んだ様々なお酒と震災直後の写真
蔵の向いにある大正建築の洋館も大きな被害を受けましたが、まだ修復予定がたっていません

この地震の被害に加えての放射能なのですが、独自の検査体制で不検出の酒米のみを使った12年のお酒が着々とリリースされています。震災からの一年、私は前に「長かった」と書いたのですが、ここの人たちにとってはまさに寝る間もない日々だったことでしょう。全壊、半壊の蔵全てを再建するのには数億円かかるそうですが、複数の復興助成金に申請し再建計画が立ったそうです。私たちが訪ねた日の前後にも、大木さんは東京で外務大臣主催レセプションに参加して福島の酒の安全をPRするなど、毎日忙しく働いておられるようです。
この目が覚めるような復興活動はセキュリテ被災地応援ファンドのHPに詳しく載っていますので、ぜひご覧ください。
一足早いサクラが復興を象徴しているようです

大木さんは実はワインも大好きなそうですが、ワイン樽を使ったお酒や、ワインのような酸味を引き出したお酒<シトラス・セント>も造っています。タンクから引いてきて下さった熟成中のシトラス・セントはライチやマスカットの香が華やかで、綺麗な酸で、ほんとにほんとにワインみたいでびっくり仰天。柚子酒の自然な香や甘いだけでないヨーグルト酒にも関心しました。当日朝の急な申し入れにもかかわらず厚くおもてなしいただき恐縮でした。最後に自家製の奈良漬と美味しいお茶をいただいて、山梨での再会を願いつつ、おいとま。
江戸時代創業の立派な店構え


勇気を出して言いますが、行く前は福島の農産物や観光はもうダメだろう、と思っていました。
今はそう思っていた自分が恥ずかしい。会った人たちは皆、地に足をつけしっかり前を向いていました。
誇り高き仕事人たちが根を張っている限り、芽が出て花が咲き実を結ぶ。
その実をついばんで持ち帰り、新たな芽を出させることが私たちに出来る事かもしれません。

おとぎの宿・米屋さんの売店でこんな本を買いました。

福島に住み続けている23人の人の証言を綴ったもの。少しは商売にプラスになるかもしれないという考えで生まれて初めてデモに参加した肥料屋さんの話や、「ウチはいつ逃げるの」と問う子供に対して「ずっとラドン温泉に浸かっているようなものだから、福島の人はガンにならなくなるかもね」と交わした女性の話、等等。不思議と悲壮感がないのです。離れていると原発に対して観念的になりがちだけど、「自分がもしその立場だったら」と想像しながら読んで、改めて考えてみるとまた違うかもしれません。

とても充実した旅でした。加藤さんが5〜6年前に旭洋酒を訪ねて来られた時は新宿の飲食店に勤務されていた頃で、その後ワインは使っていただいていましたがタイミングが合わず再会できないまま、郡山に戻られてしまったのです。今回は素敵な地元をご案内いただき本当にありがとうございました。













2012.3.24

14日に福島県須賀川市のおとぎの宿米屋さんでメーカーズディナーがあり二人で一泊で行って来ました。
福島に行ったことはやはり自分たちにとってはとても意味のあることだっただけにサクサク紀行文にすることは出来ませんでしたが今日まとまった時間が取れて、漸く一日目が書けました。

天災と人災が組み合わさった今回の原発事故は、一個人とか企業の過失だけにとどまらないものであったことを世界中の人たちが意識しています。フクシマは全人類の未来にとって教訓としなければならない決定的出来事として一つの象徴となりました。ヒロシマ・ナガサキとはもちろん、チェルノブイリとも違う、成熟した現行世界の幸を享受する全ての普通人が明日にも晒されておかしくない、それだけ悪意から遠く平和に近い脅威をフクシマが示してしまった。だからこそ西田敏行さんが言うように、フクシマは世界にメセッセージを発信できる唯一の存在となったのでしょう。
米屋さんの部屋のお風呂からみえる大きな空

その一方で、実際の福島は象徴なんかではなく、美しい山がぽわんと大きい空にたゆたっている、新幹線で東京から僅か1時間20分で行ける広い場所。そこで暮らす人々の日常は一瞬も途切れることなく続いている。
これは本当に当たり前のことなのですが、今回の旅で知ったのはそのことでした。
正面の樹はトンビの夫婦の休憩場所。静かです。

今、原発再開が騒がれています。ストレステストの結果報告や電力がどれだけ足りないかを示す人たちは、こんなことを説明しなければならないのはまったく懲り懲りだ、ましてや将来にわたって、全世界に対して、何らかの責任を負うなんて私の器じゃないと言いたげな、マイナスオーラたっぷりの生気を失った表情をしているように私には見えます。判断を下すのは総理大臣なのですが、この人もまたそんな顔をするとしたら国民はどうすればいいのでしょう。

自分としては福島から帰って1週間たって、風景や出会った人の顔を思い出しているうちに、判断材料となるものが自然と体に備わっていたような気がします。自分の意見を持てたのです。なので行って本当に良かったと思います。これが「身近になる」ということの意味なのですね。

旅の一日目は郡山の加藤さんのお店に行き、それから米屋さんがある須賀川に移動しました。
この日は地震で倒壊した建物がそのまま残っているような所は目にしませんでした。
アトリエ・ドュ・ヴァンのある建物。お庭には何故か人魚姫がいます。
行ってみて初めて分かったのですが、こちらはいわゆる「ワインショップ」ではありませんでした。ワインはあんまり置いてありません。店主だと思っていた加藤さんはこちらでワイン教室や風変わりなワイン会(読書ワイン会など)を開催している「ヨーコ先生」だったのでした。文字通り「アトリエ」だったのですね。奥でセンセイがコーヒーを淹れてくれています。

アトリエ・ドュ・ヴァンさんでは地震で柱が数本倒れたのですが「もう一度大きい地震がある」と皆が言っているので直さないでいるそうです。そういう不安の中でも日常を続けることで安定が保たれているようでした。加藤さんが私たちに声を掛けてくださったのもワインのプロとしての直感が働いてのことなのでしょう。私たちはというと、何が出来るのかは分からないまま、ただ自分達のワインについてきた保護者のよう。福島の人を元気づけるとか安心させるなんて到底出来ないけど、ワインたちがきっと、それなりに働いてくれるだろうと信じてました。



おとぎの宿米屋さんは「岩渕」という地名の通りとても固い岩盤の上に建っているそうで地震の被害はほとんどなかったそうです。もともと11年の春にリニューアルオープンの予定だったのが震災で6月に延期、その後はずっと通常営業を続けてこられました。平日のこの日もチェックインのお客さんが数組。建物の内・外ともに高級感や洒落感を売りにしているのでないことはすぐに分かるのですが、とにかくデザインすべてに統一感があって手抜きがない。絵画や設えのセンスが良く、居心地のよさにみるみる気持ちが和んでいきました。「純和風」でも「民芸調」でも「デザイナーズ」でもなく、「おとぎの宿」というのでたいそうメルヘンチックなのかと思いきや、少しも甘すぎず、いい塩梅なのです。

顔描くのには勇気がいったと思いますが見事に馴染んでいます。
このオンドルのような建造物がワインセラー。周りにはやはり馴染んでいるので全然唐突ではありません。

ワイン会の会場は畳にテーブルの大広間で、参加者20人中、社長と女将も入れて福島県在住の方が半分位。東京方面から来られた常連さんや初めての方もいらっしゃる。温泉旅館なので浴衣、ジャージもちろんOK。そうじゃない方もいてちょっと不思議な感じでした。温泉ビューティー研究家のI女史もおいでになりサインをもらいたい気持ちを抑えてお仕事。といってもワインのサーブはヨーコ先生と着物にフリフリエプロンのとっても可愛い仲居さんたちが全部やってくださったので私たちはワインの説明とマリアージュに集中できました。

今回は現行ヴィンテージは2種類のみで後はみなこの日のためにセラーから抜いてきました。
心に残るマリアージュの数々。

筍ロワイヤル×08ピノ
青のりゼリー×ピノ
からすみ×07ソレイユ甲州
血合のスモーク×07クサカベンヌ
トマトのファルシ(海老)の天麩羅×07千野甲州
白身の握り鮨+塩、オリーブオイル×千野甲州
采女牛ヒレステーキ×04メルロー
クサカベンヌ×ミルクソルベなど。

一番古い04メルロはまだまだ生き生きしていました。さすが04です。千野甲州は3本とも違う熟成をしていて興味深かった。初めての方ばかりで大変よろこんでいただけました。お料理、若い板前さんがこの日のためだけに試作を重ねて完成させました。どれも美味しかったです。本当に。
コーヒーカップに盛り付けられていたのが筍ロワイヤル。ピノが茶碗蒸に合うことを再確認。さらに添えられたワサビの葉がこれまたよく合って果実味全開に。

大根のクルクルの上にあるのが青のりゼリー。これもピノに合ってびっくり。

9時ごろ銚子で発生した震度3の地震がありましたが大事には至らず、後半は皆さんのテーブルを回ってゆるゆると盛り上がりました。何しろほとんどの方は泊まりなので寛ぎ度が違います。最期は女将が〆て下さって、その後薪ストーブのある隣のカフェに流れて皆さんとコーヒーやウィスキーをいただきました。この時に良い加減に酔っ払って地元のお客様とお話した時間が印象的でした。
せっかく地元にこんないい所があるので、休みがとれてちょっと自分にご褒美したいときにはいつもここに泊まりに来られるのだとか。原発の事もあれこれ話しました。穏やかな中に決意を感じる口調。
ここでの人々の生活が一寸も途切れることなく続いているのだということ、激しい心の揺れを皆が経験し、今も少なからず揺れながらも、あるときは時間の優しさに心を委ね、当然の権利をもって人生を楽しもうとしているということ。

会の後はご自慢の大浴場を堪能させていただき、翌朝の朝食後も男女入れ替わったお風呂をぎりぎりまで楽しみました。源泉掛け流しのお湯は薄い琥珀色、硫黄香のボリュームは中程度、肌触りはとろとろ。泉温は51℃なので部屋つきの陶器の湯船ではやや熱めですがそれ以外は丁度いい。総合点は自分調べでかなり高くなりました。
朝食は木の香が漂う個室で。野菜たっぷり。納豆もこんなに美しい!
部屋つき掛け流し露天は二人とも初体験。ここから日の出が見えた。海の方角だ。


一言でいうならば懐の深いお宿でした。なのでお仕事なのにこんない寛いでしまいました。観光地ではないのにリピーターが多い訳がわかりました。
「もう時間が経ったから震災の事はいまさら言わない。お陰さまでワイン会が出来るまでこれて本当によかった」という女将の言葉をそのまま受け止める。
郡山の駅には子供の姿が少なく、街ゆく高校生たちの表情には翳りがあったかもしれない。
ただ、放射能が漏れ続けていようと、廃炉に40年かかろうと、人生は前進している。(二日目に続く)











2012.3.11

目が覚めて「3月11日だなぁ」とどれだけたくさんの人が思ったことでしょう。それだけ大きな事だったということですね。私はこの1年は長く感じました。時間が長く感じることはこれまでそんなになかったような気がするけど、1ヶ月の海外滞在で何箇所も拠点を変えたときがそうでした。それだけ濃密な時間だったということでしょうか。大きな変化に対応しなければいけない状況に度々立たされた、単純に、色々あって疲れた、年をとった気がする、ということかもしれません。
私でそうなのだから被災地の方々の心情は如何ばかりかと想像します。

でも今日は、ただ亡くなった方々に静かに手を合わせる日ですね。
なのでおとなしくして過ごします。14日に福島に行くので新幹線の切符をとったり現地でのレンタカーを調べたり。13、14、15日は直売店はお休みします。千野のヤマヂに猪と鹿除けの電柵をとりつける作業が押しているのでオカップも出払います。ご迷惑おかけしますが宜しくお願いします。

震災を受けて、国の仕事に携わる人たちが何故もっと勇敢に立ち上がり、一致団結して動けなかったのか。その理由は色々あって簡単なことではないのだと思います。一人のリーダーとか一つの政党とかが悪いわけじゃ当然ない。でも、あの日を境に多くの人の考え方が変わったのに、会社の経営方針だって、家族の未来計画だって、老若男女のそれぞれの今欲しいものだって変わったのに、政治家個人個人の心情だって変わったはずなのに、その個々の兆しが日本という国の輪郭を浮き上がらせるような一つのウネリとなることはなかった。その機会を逸してしまった。国の先頭に立つ人たちがこの後に及んでいつも通りの子供じみた言い争いしかできなかった、結果全てが後手後手で予算が組み変わったぐらい、という事実。このことが、一年経った今の日本人の、この圧倒的な憂鬱の主たる原因であるように思えてなりません(長くてすみません)。

この憂鬱を払いのけるために個々が「がんばる」しかないのでしょうか。
「がんばらなくていい」と言われても、ぼおっとしてることはもう出来ないし。

福島に行くことになったのは郡山のワインショップ、アトリエ・ドュ・ヴァンの加藤さんと震災後何度かメールでやりとりした中で実現しました。会場のおとぎの宿・米屋さんは地震の被害も大きかった須賀川市にありますが、震災前から春にリニューアル・オープンの予定でした。それが6月に延期になりましたが、その後ずっと通常営業をされています。呼んでいただいたことはとてもありがたい事だと思っています。
いつもの他のワイン会と同様に、ソレイユのワインを囲んで唯一無二のひとときを、お越しいただいた方とともに楽しんで参りたいと思います。












2012.2.26

今年に入って予定されていた3つのワイン会と会社の総会が終わり、昨日はちょっと脱力状態でした。総会の資料作りなどでしばらく剪定作業も中断していたのですが今朝再開。パチンパチンやってたら感覚が戻ってきてもやもやしてた事が頭の中で色々繋がってすっきり。やっぱり体を動かさんといかんですね。

もやもやというのは自分でまとめた去年の事業報告とか今年度のテーマとかの中でひっかかっていた部分とか、もっと個人的な最近のちょっとした悩みとか、逆にすごいおっきな、「これからの日本」のこととか(総会ではいつも支援者の方々におっきな話をふっかけられるので)、つまり私の内と外をひっくるめた事柄のすべて。色々あったし、イベントも続いて休みを取れてないのがダメなんだわ、とか、大好きなそば丸の蕎麦が2週お預けになってるからだわ、とか、さっきまでグズッてたのが嘘のようです。普通に、剪定ちょっとやっただけで。

雨上がりの畑で剪定してたら、内田(樹)せんせいの新刊にあった、まだ消化できないで脳に溜まってた数々のフレーズも自分の器官と反応してザクザク消化が進んじゃって。よかった、これで次の福島のイベントまで温泉を我慢できそうです。体が伴わないってホントにこういうことですね。人間、二つのことを対置させて悩んでるときって体が置いてけぼりになってるもんじゃないでしょか。人から言われたことも、自分の意見と逆のことを言われた、ギャフン、となってしまう。でも体を動かして(日常の仕事をして)ちょっと体勢を変えると「別にあの人、真逆のこと言ってたわけじゃないのかも」と思えるもんです。私が内田先生を信頼してるのは彼が武道家だから。私にとっては日々の畑仕事が「道」ですね。畑でももちろん、イマジネーションは必要なんですけど、頭より先に手が動くようじゃないと基本終わらないし。あと「しょくにんの妻」(職妻!?)も。これはまさに「道」です。
それ以外の部分が先生が「知的パフォーマンス」と言うところのものでしょうか。

ところで。ワインとは全く関係ない話をしていると思われるかもしれませんけど、そうじゃないんです。ワインは飲むものだけど「読むもの」でもあるでしょう。インターネットが進んだので、その側面がすごい勢いでのしてきています。飲む量には体力的・金銭的に限界があるけど、今の情報はちょっとの時間でいくらでも摂取できるから。テイスティング・コメントはもちろん、細かな産地や品種比率、造り手のプロフィール、最も効率よく(安く)ゲットする方法、等々。ですけど皆さん、要注意です。その文字情報の蓄積、ちゃんと消化できてますか?お金と同じで退蔵はよくないです。かといって、生データそのままのアウトプットでは会話も長続きしません。ワインって本来感覚的なものなのにとても記号化されやすいですよね。ブランド品のバッグみたいに。高校生のときバブルだったせいかルイ・ヴィトンのバック担いでる子が結構いて、何か変だなぁ、って思ってたんですけど、ワインもともするとそうなりかねない。ルイ・ヴィトンが悪いというわけでは決してないのです。身につける人がその良さを自分の言葉で伝えられるのか、知らない人がワクワクするくらいに、という点です。

私はワインの造り手ですので、作ったワインが作っただけ売れないととても困ります。旭洋酒って名前は聞いたことあるけど飲んだことはない、という人がいくら増えても、私としてはふにゃふにゃ笑うしかありません。幸い、一度飲んで美味しかったから、とか、お客さんの反応が良かったから、という理由でリピートしてくださる方がたくさんいらっしゃるので、このままの造りで今までどおりにやっていけばそれでいいのかもしれません。でも、飲み手の立場から言えばワインは色々あって楽しいので、ずっと同じものを造り続けていさえすれば安心、とも全然思いません。名前さえ忘れられてしまうのではないかといつも不安なので、雑誌掲載を断ることも出来ないのです。

普通に注文を受けて梱包して出荷するのは「道」の部分に含まれてます。どんなところにも失敗はひそんでいるので気を抜くことは出来ません。でもどう造るか、とか、どう売るか、というのはもっと長期的視野の話です。どうすれば量がはけるか、というのももちろん短期的にはありますけど、そういう目先のことばかり、つまり算盤勘定ばかりしていると、疲れて、何のためにやっているのか分からなくて、楽しくない。楽しくないと続かない。これはそこまで行きそうな事があったから言える事です。伸び伸びと想像力をフル稼働して知的フォーマンスを自分なりに最大レベルにして、そうして産み出されたものが真に「個性的」と言えるのでしょう。それは「どうしたら売れるか」「ウケるか」「他と異なるか」を発想の源に造られたものでは決してないはずです。でもそういう真に個性的なものって、はたして記号化できるものでしょうか。

2丁目Jipさんのイベントで動画と写真でのプレゼン。スタイリッシュな店内と映し出される映像の中身とのギャップが新鮮だった。「本当に手作りなんですね」と言われました。ご来場ありがとうございました。

インターネットやガイド本の情報は有意義ではあっても、そのものの個性を見分けるほどに身体感覚の伴った言語ではないです。まずは飲まなきゃ、というのは当たり前のことですけど、でも流行れば流行るほど、ガイド本が多ければ多いほど、話題にされる頻度が増えれば増えるほど、会社名やワイン名の記憶の方が「飲んだときの印象」より上位にくるような場面が増えるものです。(かく言う私も★付きレストランの料理を、さも味わったかのように饒舌に語ってしまうことがたまにあります)

文章が長いとよく怒られますが、私はワインを売るためだけに今書いているわけではないので怒らないで下さいね。ワインのコメントはワインリストになるべく細かく書くようにしています。でもワインの造り手、売り手もある時は飲み手であり買い手であり人間なので、自分や自分の造ったものが記号となって一人歩きすることにただならぬザワザワを感じるし、自分のワインの売り文句以外は言えないような場に四六時中身をおかなければならないということになったらそれこそ楽しくない、続かない。だからいつも、多少長くても、現実の、身体感覚の伴った言葉で皆さんに語りかけたいと願っているのです。

三つのイベントはそれぞれ違っていてよかったです。アオジさんのはアット・ホームで「日本の」「商店街の先にある」「本格的」「ナポリピザやさん」、というところがとても親近感が持てました。近所にお住まい方で、この情報化社会で、電車の中でお店の評判を聞いて来るようになり、日本ワインを知った、っていう人がいたんです。すごいですよね。そしてその方が私におっしゃった事も意外でした。「たくさん周りにワイナリーがあっていつも比べられて大変ですよね」と言われたんです。こんな事を言っていただいたのは10年やっていて初めてで、なんか感動しました。













2012.2.12

雑記帳では新年のご挨拶もしないまま、立春が過ぎバレンタインデーが目前に迫っております。日が暮れるのが本当に遅くなりました。今年は2006年並の大雪の年ということで各地で大きな被害が出てしまいましたね。雪の多い地方の方、被災地で仮設住宅にお住まいの方には疲労困憊の日々が続いておられることかと思います。ここ山梨では雪は多くなく、先だっての厳寒期には最低気温−9.9℃という経験したことのない寒さではありましたがお陰さまで事故や怪我もなく、瓶詰や剪定作業に勤しんでいます。

ロゼの瓶詰(イベントで使う動画準備のためオカップが撮影)

2週間も前の事になりますが1月28日は名古屋のまごくらさんに呼んでいただきました。大将が一つ一つのワインに合うお料理を考えてくださったオートクチュールワイン会。まるで名古屋の日本ワインファンの1/3位が集まったかのようで2次会まで大盛り上がりでした。お料理は翌日すでに大将がFacebookにアップしてますので(周回遅れですみませんが)ぜひご覧下さい。どのマリアージュもかなり良かったのですが、私的にはフレッシュイチゴと黒酢のソースでいただく鴨のソテーと05ピノ・ノワールに座布団一枚です。バルサミコより瞬間的な刺激のある黒酢を使っていることで熟成したワインの重みのある果実味がジュワジュワッと滲み出てくるんですよ。これは勉強になりました。
二次会でも美味しい手羽先や名古屋コーチン、美濃古鶏などいただいて、翌日はしっかりコメダ珈琲店で朝ごはんを食べて帰ってきたのでした。あ、そう広場でご当地アイドル予備軍のステージもやってたし、結構今様名古屋満喫できたかも。それにしても名古屋の日本ワインファンには一体感がありますねー。

そしてワイン会といえば今週木曜の二丁目(もちろん新宿)Jipさん。こちらは弊社でも全ての瓶を購入させてもらっているイチノセトレーディングさんが一昨年9月にオーンしたワインバーで雑誌にもよく載っているので皆さんご存知ですよね。社長さんはあっつい日本ワイン応援団でもあって旭洋酒が2006年に自前でやったワイン会にも来てくださっていたんです。気軽に誰でも入れるカジュアルな店というコンセプトでやっていて隣のワインショップで買った好きなワインを+1500円で持ち込めるスタイルなんですよね。イベントは中央葡萄酒→メルシャンと来て今回が初の零細ワイナリー!ここでコケたら申し訳ないのでこちらとしても気合が入ります。オカップの指導の元、なんと、動画まで準備中です。当日は前売りチケットが確実ですがお店のオープンの17:00からLOの22:00までフリーでも入れます。19:30〜トークタイムということですが、仕事で間に合わないと言う方もご飯食べに寄って下さいね。詳しくは03-6380-1178Jipさんまで。

直売店にこんなまっさらなカウンターが導入されました。(10年使った前のものは頂き物で潰れた証券会社にあったらしい。すごい進歩です!)












2011.12.30

皆様こんにちは。今日は晦日。仕事納めは28日の予定でしたが細かい用事が多く、パラパラと地元のお客さんもみえるので、毎年のことですがまだ終れていません。しかしこれだけサボってしまったので雑記帳だけは何としても更新しなければ。

今年は歴史的に大転換期となる年でしたが個人的にも節目の年となりました。9月の終わりに転んで入院した父が11月の終わりに亡くなり、現在も一人になってしまった母の生活のために度々上京しています。そんなわけで仕込が終わって、秋の出荷ピークが終わっても私は畑に行く時間がまったくとれず2年目のオカップがいてくれて何とかセーフでした。

大変な年でしたが、収穫の手伝い来てくれた人たちや新規にブドウを出荷してくれることになった若手栽培者などとの新たな出会いがあり、未来に希望をつなげることができることは本当にありがたいことです。絆ブームですが、ワイン造りを続けてきて一番思うのはやはり人と人のつながりの大切さです。お客さんとも、商売ではあるけれど、ワインを通して人間的なつながりを築いてつなげていってる感じが10年やって実感できるようになりました。

そう、来年は10周年なんです。10年前に紹介してもらって道路の看板を描いてもらった地元の看板屋さんに、今年は敷地内の看板を描き直してもらいました。
これは昔のままだったもの。こんなガビガビになってた。
完成「今までここに看板があるって気づかなかった」って人も。
これは10年前に私が自分で描いたののビフォー。
アフター。
これも10年前に昔の桶の蓋に自分で描いた
やっぱプロの仕事は違います

というわけで新年を迎える準備万端です。どうぞ来年も宜しくお願いします。
本年も本当にありがとうございました。











2011.8.14

残暑お見舞い申し上げます。大変ご無沙汰してしまいました。ここ10年で最も早い7月上旬の梅雨明け、いきなり35℃超えの猛暑でスコールのような雷雨も頻繁にありましたが7/19-20の台風6号の通過後はぐんと気温が下がり予報は晴れでもすっきりしない天気が続きました。8月に入りこの1週間はまた猛暑が戻ってきましたね。同時に雷雨もまた起こりやすくなりました。山梨市では7月9日についでの激しい雨が昨日8月13日でした。午後になるとゴロゴロいいだす天気にも段々慣れてきた、という方も全国的に多いのでは。震災以降の不安な日本を象徴するかのような今年の夏です。

そうこう言ってるうちにもう仕込みシーズンがすぐそこまで来ていました。今年ブドウは開花時は昨年より数日から1週間遅かったのですが7月上旬が猛暑だったのと7月下旬から8月初旬のヴェレーソン期に夜温が下がったせいか色が飛び始めたのは昨年と同じ位で着色の進行はわりと早いかと思います。結局昨年並みの収穫スケジュールになるような感じです。ピノ、メルロはお盆開けの果汁分析で大まかな収穫日程を決めます。ピノは今年もまたボランティア収穫隊を募りますので、ソレイユワインご愛飲の皆様、どうぞよろしくお願いします。

今年は震災があり、ブドウを作れるだけでもありがたいのだから、やれ病気が出た、花振るいした、と騒がずに淡々と仕事をしよう、と確かに思っていたはずでした。でも実際に開花前後にちらっとですが実ベトが出たり、陽畑のメルロがゴソッと花振るいしたときには結局、いつものように慌てふためいてしまいました。しかも「10年もやってるのに」と思うと落ち込みも激しく、単に年をとったせいかもしれませんが昔より心配症になったような気もします。「スランプかも」とグチると夫が「スランプじゃなくてそれが今の現実なの」と一言。ふむ。昔の自分と比較するから「スランプ」という呪縛にかかり余計よくないという、これは夫の読んだ何かに書かれていたらしい。

そもそも、私は前の会社を止めてここに来たとき、ワインが農産物だということを日本のみなさんにもっと知ってほしい、そのために自分のような者(4年前まで土に触ったことなし、専門知識なし、おまけにきたりもん)がブドウとワインを造って生計をたてることにイミがある、「これが私の生きる道」みたいに思っていたのでした。2002年から栽培を始めたメルロも2004年からお陰さまで毎年リリース出来ていて、この場を借りて、また訪問してくださった方には出来るだけ、その使命を果たすべくヴィンテージごとの畑の苦労話などを披露してきたのでした。だから毎年あーだこーだと天気やブドウの状態に一喜一憂していることはある意味それでしかるべきなのです。天気は毎年違うし、山梨は温暖化によってブドウ栽培にとって良くはなっていないことは確かなのだし。芸術家でもスポーツ選手でもないので「スランプ」というほどのものではないのですが、昔のモチベーションの方が高かったような、そんな気がしてしまうことが続けていればありますよね。そして頑張って作り売ってきた<それいゆメルロ>に対して徐々によい評価がいただけるようになり、そうなると当然プレッシャーというものもかかってくるわけです。それで余計に焦ってしまうんですねーー。ま、よくある話でした。

ところで。最近、新規で就農したい、それもワインのブドウを作りたい、という若い方がよくみえるようになりました。とても初々しく、希望に満ちているように見えます。正直、ちょっと前の私だったら「そんなに甘くないのよー」と心の底で思っていたのですが、最近は素直に応援したい気持ちになります。単に私が年をとったせいかもしれませんけど、でもリーマン以降の経済の落ち込みと今回の震災、原発事故とあり、また農業の担い手不足によるワイン原料の不足傾向を目の当たりにし、そういった事象のもとをたどるとそれぞれが密に関わりあっているように思えて仕方ありません。これまで当たり前だと思われていたシステムが崩壊してきているのだから、これまでなら前代未聞のライフスタイルが逆に現実味を帯びてくるのでは?「ありえない」はないわけで。というか、むしろそういう若者に希望を託したい!・・・やっぱり年なんでしょうかねぇ。
何しろ、私達は大層な事は今までもこれからも出来ませんが、一つのことを続けていくにも色々な変化に突き当たるのですから、最初は「勢い」でもいいのではないかと思う今日この頃。新しいことを始めるには「ただ何となく」くらいの方が長続きする、という話もありますし(また内田先生のうけうり)。

花振るいした陽畑メルロ。開花期の枝の伸びすぎが原因だと思う

8/13陽畑。暑さで葉の消耗が激しい。土作りで細根を増やすことが解決策だという。











2011.5.29


お久しぶりです。今日は台風2号の影響でここ峡東地域でも大雨雷洪水注意報が出ています。夫は昨年に引き続き、静岡市の長島酒店さん主催の大試飲会に出かけていき、私は雨の中静かな店番。

この台風の影響で2日前に何とも早い入梅。昨年ブドウではべと病が多発したので今年は用心して作業に当たっていますがこの天気ですからもうお目覚めのようです、べと野郎クン。天気まかせにしていては房ごとぶちゃる(捨てる)ことになってしまうので今年の方針としては早め早めの防除で落花までは乗り切り、粒になってからはなるべく農薬を減らすことを目指します。早く雨上がって欲しい。次の消毒までに誘引を一通り終わらせて房をよく露出させたいんだから。でも今年は今までとは違います。栽培出来なくなることも「あり得る」のだから天気に一喜一憂することなく淡々と仕事をしていきたいと思っています。

原発対応での責任追及や政治家のなじり合いをニュースが嬉々として伝えているのを見るとアナーキーに走りだしたくなりますが、新聞に目をやり「声〜被災地から〜」欄を読むとヒューマンな感情が湧き上がり自分自身も生かされる気がします。「着ているものはみな支援物資ですが、このピンクのベストと花柄のエプロンが気に入っています」とか「妻は親類の家に避難していますが迷惑がかかるので私は避難所で暮らしています。先になりそうですが仮設住宅に入って妻と生活する日が来ることが心の支えです」など。

今回の震災では田畑を飲み込んで進む黒い波や崩れた原子炉建屋、「20km以上離れて撮影しています」というテロップ付きの霞んだ第一原発全景、枝野官房長官の額の汗等々、テレビニュースの映像が記憶の引き出しにいっぱいになり何度でも取り出せるアーカイブとなりました。「ああこれね」というほどに。でもこうした新聞記事の、当事者の発言そのままの活字には読むたびにいつもはっとさせられるものがあります。映像には、事実を映したものではあってもカメラやヘリや会見場というセットがある。それに対して避難所を訪れた新聞記者が被災者から聞き取った言葉は、基本的には彼(彼女)に対して発せられた生の言葉。話した当人だって何と言ったか日が経てば忘れてしまうかもしれないけど、その時その場の人間同士の会話の一部だからリアルで心に響くんだろうと思う。

総理大臣はお盆までに全仮設住宅建設をと言ったけど、建設用地をめぐって住人の意志と行政方針が合わず難航しているという。赤十字に集まった義援金も県までは行っているが、役場機能や住民データが失われている市町村も多く、被災者への分配が進んでいないという。困ったことですが未曾有の災害なのだからすんなり行かなくて当然ですよね。ここはひとつ、全国の公務員の方々頑張って下さい!赤十字の義援金の受付は9月30日までということを今日知ったのですが、私たちは民間人として、継続可能な支援活動を経営に組み込み、細く長く続けていくつもりです。

010ソレイユ甲州と09ヒクモ シラー&メルロは好評発売中です。甲州は抜栓から数日たつと花の蜜の感じが強くなります。ヒクモも抜栓から時間が経った方がジャミィな果実味が出てくるタイプ。来月には新しい<ことばのちから>付きで010クサカベンヌをリリースしますのでお楽しみに!








2011.4.15


震災後しばらくして何回かドライブに出かけました。日帰りなので経済効果は微々たるものですが直後は極力動きたくなかったことを思うと我ながら進歩です。行きたいところに行ったり、必需品以外の物を買ったり、美味しいものを食べたり、皆のそういう欲求で経済は回っているわけで、我慢が癖になって経済を停滞させ失業者を増やすことはどう考えてもいいことじゃない。では被災地の人には許されていない「元の生活」を営みながらどうやって彼らと寄り添うのか。「大事なのはこれから」「続けることが大切」と言われる所以でしょう。個人や企業で捻出できるお金には限界がある。現地でのボランティア活動は時間的体力的条件がごく限られる。そして人類史上初の、いつ終わるか分からない放射能漏れという事態がこの国の生産活動全体に重く重くのしかかっている。余震もいまだ続いている。
閑散とした箱根芦ノ湖の漁師小屋の陽だまりにて。

私達は小さいながら会社を経営しています。だから今後の日本(あるいは世界)が進むべき道についての考え方(夫と私の)と会社の経営方針を一致させることが使命だと思っています。以前から「大量生産大量消費が奨励された右肩上がりの時代は終わった」「金や量に還元されない価値観を大切にしたい」というような事を言ってきましたが(一昨年毎日新聞など)、今後の日本を考えたとき、金や物や人の多さ(集中)、動きの速さ、総じてその場しのぎの効率を求めることは過ちを繰り返すことに他ならない、それは火を見るより明らかだと思います。
利益を乗ずる机上の掛け算は、本来想定不可能であるはずの自然の力に抱かれて在ることを、忘れたふりをしてきた時代に象徴的な計算法のように思えます。そのツケは大きく、原発から漏れ出た放射性物質の量は聞いた事のない桁の値を示していました。復興と保証にかかる費用は膨大なもので、今後の展開によってはそれこそ雪だるま式に何倍にも膨れ上がるかもしれない。これでは税金が上がるのも仕方ない。年金だってちゃんともらえるか定かでない。でもだからこそ、こういうことがあった以上、これからは皆がコツコツ足し算でやれるようなシステムはつくれないものか。。。

個人的には、鍵は人と人のネットワークにあると思っています。一つのものを買うにも、スーパーやコンビニに並べられたものをただ買うのと、信頼できる人から薦められたものを一手間かけて手に入れ、実際に感じて価値観を共有するのとでは消費の意味が全然違う。そしてそれをまた人に薦められる嬉しさ、造られた土地や造り手の(ちょっとした)思いを感じる喜び。そこには一般的にいう「効率」とは違う、でも確実で理にかなった調和のようなものがあると思います。

スーパー、コンビニ、ネット販売、セルフ給油や自動販売機の利便性を否定するわけではもちろんありません。それがなかった時代に戻ろうなんてナンセンス。けど、自然からものをつくりだすこと、自然の中に求めているものを見つけ出すこと、この二つの人間の基本的な行為が、生産、消費活動の原型に他なりません。その行為を「よきもの」として捉えなおしてみたい。
ブドウの芽は早いのでこんなふう。萌芽まで1週間ぐらいか。

食について。本来人間が自然の中から食べられるものを見つけ、与えられた環境の中で生きていくために必要な栄養源を仕留め、貯蔵し摂取してきた、その能力をまったく他に預けて退化させてしまったという事実を省みず、猜疑心を埋め能力の退化を心理面で補い、商売を安定的に成り立たせるために「安全・安心」という言葉が使われている嫌いがある。最近話題にもなるように「安全」と「安心」は全く意味が異なる。「ただちに人体に影響があるとは言えない」まで不確定ではないとしても、通常時の食についてだって「100%安全」ということは現実ありえない。だから「ある基準をみたしている」という人間的尺度で測った客観的言い方が「安全」。「安心」は主観的心理的なもの。「安心」は本来、大人なら、自分と他者との関係を醸成することによって獲得するべきものなのだけど出来ないから、「安全だから安心して」という上カラ目線の文句に、何となく、納得した気になってしまう。

旭洋酒のパンフには「安全」という言葉は使っていません。ブドウ農家に農薬法の遵守と記録の提出を義務付けてはいますが、ブドウとワインを分析検査しているわけではないから客観的評価として「安全」を名乗ることはできません。採用した基準は「自分たちが安心して飲むことができ美味しいと思えること」というもの。これは極めて主観的なものです。農家と私たちの間にある信頼関係が私たちの「安心」の根拠なのです。

それでは安全性が保証されない、と思う人がいるかもしれません。でも私達は大人として、築いた信頼関係から得られる「安心」(親の庇護の元にある子供が感じている安心とは別種のもの)以上に、分析結果や数値が重要だとは考えません。実際、友人の生産者からワインなりお菓子なりを購入するとき何の不安も感じないように、私達は私たちを信頼してくれる人にワインを販売したい。そんな商売をする人と消費活動をする人が増えることによって、幸福を分け合う人と人のネットワークが作られると思う。
今年はスモモと桜と桃の花が同時に咲いています。この週末が見頃。













2011.4.11

震災から一ヶ月が過ぎた。2時46分に黙祷を捧げよう。それしか出来ないが大事なことだと思う。

あっという間の一ヶ月だったような気もするが肩にはずっと得体の知れない重石が乗っているようだ。桜も桃の花も眺めればきれいだけど、心は踊らない。何とかしなきゃ、と少しイライラしてしまう。不確定要素が大きすぎて、未来を変えたい気持ちを表現することが出来ない。昨日の選挙の結果をみても、皆そんな感じだろうか。

「山梨もどうなるかわからんよ。やることやるしかないけどね。」
昨日、隣の畑のおじさんの言葉。そうなんですよね。でもこんな大変なことをこんなふうに冷静に言えるのは最前線で戦っている人たちがいるからだ。「原発反対」と叫ぶことも「悪いのは誰だ」とざわつく事も、今はなんか違うような気がする。私ももちろん「反対」と言う事になると思うけど、その時には自分なりの筋が通っていたい。新しい社会に向かうために自分がどう関われるのか、今もぽつらぽつらと浮かんではくるのだけど、それを現実まで引き下げないといけない。まっとうなものづくりをしていればきっと出来るはずだから。

年末にここで触れた内田樹氏の最近のブログでまた目から鱗が落ち、胸につかえていた小骨がとれて一瞬スッとした。お時間のある方は4月7日付の「荒ぶる神の鎮め方」と翌日の「原発供養」をぜひ読んでください。今年1月、内田本を数冊読んだだけだけで「このおじさんに会いたい」と思い神戸女学院大学最終講義を聴講してきました。少しお話もでき、ワインとも関わりがあることも判明。私史上、素晴らしい出会いでした。
ブログの要約は手間なので、目の鱗が落ちた部分を抜粋します:

(最初は作家の橋口いくよさんの言葉)
40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。
それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。
誰かが「40年間働いてくれて、ありがとう」と言わなければ、原発だって浮かばれない、と。

橋口さんがその「原発供養」の祈りを捧げているとブログに書いたら、テキサス在住の日本人女性からも「私も祈っています」というメールが来たそうである。
たぶん同時多発的にいま日本全国で数千人規模の人々が「原発供養」の祈りを捧げているのではないかと思う。

私はこの宗教的態度を日本人としてきわめて「伝統的」なものだと思う。
ばかばかしいと嗤う人は嗤えばいい。
けれども、触れたら穢れる汚物に触れるように原発に向かうのと、「成仏せえよ」と遙拝しながら原発に向かうのでは、現場の人々のマインドセットが違う。
「供養」しつつ廃炉の作業にかかわる方が、みんなが厭がる「汚物処理」を押し付けられて取り組むよりも、どう考えても、作業効率が高く、ミスが少なく、高いモラルが維持できるはずである。
私は骨の髄まで合理的でビジネスライクな人間である。
その私が言っているのだから、どうか信じて欲しい。
今日本人がまずなすべきなのは「原発供養」である。


マスメディアの報道にはこのような視点がほとんどなかった事に気づく。原発で作業にあたる人に対して「気の毒」「ありえない」と思っていなかっただろうか。それじゃ人間としてだめなんだ、もっと正々堂々と祈ろう。生まれて40年間、私もこの原発にお世話になってきたのだから。







2011.3.31

「願いは叶う」を見せてくれたカズのゴールから2日、非常事態の勃発から20日が過ぎそれぞれに現実感覚が戻ってきた。家族を亡くされた方々、不自由で先の見えない避難生活を送られている方々、現地で仕事を続けておられる方々、そして原子力発電所で命をかけて作業にあたっている方々の現実と、不安を抱えながらも離れた場所にいる私たちの現実は明らかに違う。
だからこそ、前向きな気持ちでいることこそが彼らへ敬意を払うことだと、多くの日本人が信じているようだ。
「私たちが元気でなくてどうする」「落ち込んでいても始まらない」

先日、メール注文のお客様を中心に配信しているリリースのご案内メールで震災のお見舞いと今の気持ちを綴ったところ、たくさんの方からご返信をいただきました。共感した、元気が出た、ずっと塞いでいたけどワインで少し気分を変えようか、等々。そのうちの一人、イラストレータのみよこさんはこんな作品を送ってくれました。
わぁ、桜!!
私自身も皆さんのメッセージでまた勇気付けられたのでここにも載せさせていただくことにします。
以下3月25日付けメールより↓



いつもソレイユワインをご愛飲、ご紹介いただき誠にありがとうございます。

この度の大震災でご家族ご親類を亡くされた方々にお悔やみを申し上げますとともに犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
被災された方々には謹んでお見舞いを申し上げますとともに、一刻も早い復旧と復興を強く願っております。
また原発の事故がいまだ進行中であり多くの方が大きな不安と戦いながら生活をされておられます。
地震の被害のほとんどなかった山梨におりましても放射能汚染の問題は農と食を生業とする身として非常に深刻に受け止めています。
多くの人命が奪われ、大地と自然の恵みがこんなふうに形をかえてしまったことを国民みなが真摯にうけとめ、今後の日本のありようを何としても変えていかなければならないと思います。
今は一人一人で出来る事は限られていますが、まずは自分と家族の命を守り、いつくしみ、同様に隣人を、他人を、人間を信じるところからしか次の一歩は踏み出せないのではないでしょうか。

こういう状況ですので新しいワインのリリースを見合わせておりました。
今はまだワインが美味しく飲めない、というのが多くの方の心情かと思います。私たちもです。
でも前に進まないとなりません。
見渡せばブドウ畑には秋にまいた麦が青々と生えてきました。
桜の蕾が膨らみ、桃の樹肌は高揚し、越冬していたオナガも立ち寄るようになりました。
この自然の摂理の中に、地震も、津波も、そして原発の生む利便性を享受してきた私たち自身も含まれています。
たとえ今後またさらに想定外の事が起ころうと、私達は歩みを止めるわけにはいかない。
この悲しく不安な日々を踏みしめて今までより「いい」生き方、歩き方をしていくのみです。

今後もブドウ、ワインをつくり販売していくことができるのか、正直とても心配です。
でも人間が健全に思考し生活していくためには笑顔とユーモアが必要です。

「ワインは人生を豊かにする」とずっと言ってきました。
今は「食事をちょっとだけ楽しくする」ぐらいかもしれません。
でもだからこそ人にワイン(酒)は必要だと私達は考えています。
安全なワインを造る環境がある限り、誇りをもってここでワインを造り、売り続けます。

どうか皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
長くなりましたが以下のワインをリリースします。

ソレイユ ロゼ2010(辛口、720ml、税込1,785円)
生産量が少ないのですが毎年大人気の辛口ロゼです。
色の薄いピノ・ノワールを小仕込し醗酵中にメルロのセニエ液を加えて混醸、瓶詰前に甲州をブレンドしています。アセロラや柑橘の香、黒ブドウの旨みがきっちりあり爽やか且つ飲みごたえがあります。
クリーンながら複雑性もあり2010はこれまでで一番の自信作です。
肉にも魚にも幅広く合いますので世界的にロゼがブームというのも納得。
お花見シーズンから夏にかけて特におすすめです。

それいゆピノ・ノワール2008(フルボディ、720ml、税込3,000円)
樹齢8年目を迎えた岩手地区の単一畑。低肥料草生栽培で年月とともに自然の力によって土の構造が豊かになっています。この年から醸造をかなり変えました。色とタンニンの抽出を抑え、強さより果実味と優しさを追求しました。丁子、サンザシ、ザクロ、金柑など多様な香で、種のある小ぶりのフルーツの甘みと酸が溌剌と感じられます。タンニンが穏やかですのですぐに楽しんでいただけますが、年を経た変化もとても楽しみです。

ソレイユ甲斐ノワール2009(ミディアムボディ、720ml、税込1890円)
12月にリリースしていましたが初のご案内になります。09は9月以降の天候が理想的だったので晩熟の甲斐ノワールが一番恩恵を受けました。プルーンシロップやスミレなど凝縮感のある香で甲斐ノワール特有の青臭さが気になりません。アフターに樽のニュアンスがありデミグラスソースなどのコクとも馴染みます。

その他の在庫ワインと送料についてはHPワインリストをご参照ください。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~soleilwn/

長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
皆様の食卓に希望の光が灯りますように。








2011.3.21

3.11から今日で10日です。土日と計画停電が中止となり、今日もほぼ中止が決まっています。時間的には少し余裕のある連休となりました。この間、災害の大きさと自分との距離をつかむことがなかなか出来ず、私は実はもともと楽観的な性格ではないので「最悪の事態」についてはかなり網羅的に想像したと思います。停電の合間をぬって2回の瓶詰をしましたがそれ以外はいつもの仕事をいつもどおりすることは出来ず、ついついPCで原発のニュースをチェックし事務仕事もあまり捗らず心身ともに重くなるばかりでした。一昨日あたりからワイン関係者のブログを見るようになり、多くの知人がとても前向きに普段の生活を営むことの大切さに言及していました。私も考え直しました。

「危険との距離」や「可能性の高さ」ということはある時点で私たち自身が判断するしかありません。判断材料となるものが何らかの公的な宣言なのか、何らかの数値であるのか、もっと個人的な何かであるかは分かりませんが、ある時点で決断し行動する、という図式は普段私たちがいつも仕事においてしていることと変わりありません。例えば、雨が振り続いているときにブドウのべと病が止まらなくて消毒をやるかやらないか、とか、圧搾機に不具合が生じたときどんな方法で切り抜けるか、とか。その時だって「ベト病が止まらない場合」とか「ブドウが投入されてから機械が止まってしまう」という事態は可能性としては常にあったわけで、(現在起きていることと同様に)バックアップが役に立たないことだってある。でもそれを恐れて自分ではブドウは作らないとか圧搾機は使わない、という判断を私達はしていない。そのことが起こった時点で対処する、というのが普段の営みです。今、離れた距離にいて「自分はどうしたらいいのか」「何も手につかない」という人が自分を含めて日本中にたくさんいるのではないかと思われます。災害への恐怖や被災者を悼む気持ちが無意識的に「何も出来ない自分」への苛立ちとなり体調を崩している人もいるかもしれません。それに加えて放射能の直接的な影響に対する不安が確実に存在している。

それについて私はみずから行動規範をつくろうと思います。まず「前もって危険を回避する」ということは考えない。もし判断するべきときが来たら(もちろんそれがいい方の決断の可能性も大いにある!)後は行動に移すのみ。そして今は何もしなくてもいいから自分が元気でいよう、と。今回のことの受け止め方は実は人によってかなり違うのではないかとも思います。経済を停滞させちゃいけないというのも事実で、そのためにものを造って売っている私達は淡々と仕事を続けるべきです。でも正直、今はワインが美味しく飲めない。それは遠く離れた九州や大阪の多くの人も同じだと思う。その気持ちも大切にするべきではないか。今後何が出来るのかもそこから始まるのではないか。早くまた美味しくワインを飲みたい。

昨日は7年来親しくさせていただいている那須の二期倶楽部の統括ソムリエの金子さんと電話で話しました。地震では旧館の建物にひびが入り屋根の一部が落下。ワインセラーからは数10本のワインが飛び出して破損。現在臨時休業中で自宅待機だそうですが今日は被災者への炊き出しがあり出社するとのこと。元気でよかった。ちゃんと仕事してるんです、皆。私たちもがんばります。皆さん、がんばりましょう。







2010.12.29

大変ご無沙汰しました。今、今年の販売をすべて終了し年賀状も一応投函し事務処理も大方終えてPC前についたところです。仕込み終了後から09千野甲州、次いでクラシック赤・白新酒、09甲斐ノワールの出荷に追われ私はほとんど農作業はしていません。オカップが粗切り(仮剪定)を大体やってくれたので大雪がふっても棚が潰れるようなことはないでしょう。明日畑の見回りをしてそれを仕事収めといたします。年明けから剪定に勤しむぞー。

今年は前述のように天候にたたられ、契約農家のブドウが大半を占めるうち全体としては20%弱位の減産となりました。自社畑では面積もさほどないので発生が続いていた梅雨時に罹病房をまるごと切りブドウ畑の外に持ち出したり、胞子がついた葉っぱも出来るだけバケツに受けるようにしたりしたのですが、そうしている当事は半信半疑でした。ただ、他に術がなく気休めに過ぎないかもしれないと思いながらやっていたのですが、その結果(かどうか)当初予想したよりは少ない減産幅ですみました。農薬の散布回数も前年と同じでした。ですから結果から言うと「あきらめないで良かった」わけです。思えば、毎年ワインをつくっているとそういうことの繰り返しです。その方法が本当に効果的なのかは分からないままま、そのとき考えられ、実行できることをできる限りやる。ずっとそうしてやってきました。だからこれからもどんな環境変化があろうと、そうして頭と体を使いブドウをワインにしてボトルの中にすべてを込める。そうして行くんだろうなぁという自信までいかないけど「予感」のようなものを感じています。これでまる9年。9年やってやっとそういう心境になっています。

今年つくったワインについてはリリースごとにワインリストにできるだけ年の特徴を書いていきたいと思いますのでそちらを参照してください。私は国内外にかかわらず天候の厳しかった年のワインほど「飲んでみたい」という気持ちになります。職業意識もあるのでこの気持ちを皆さんに強要することはもちろん出来ません。ただ、金は天下のまわり物である一方、農産物は天の恵みに他ならず、これを否定したら自分自身を否定することになります。今の日本ではお金さえあれば世界中の美味しいものだけを食べて一生を終えることもできるかもしれませんが、それでは自分と自然の間に隔たりがありすぎます。今年の天候が悪くてワインがいまいちだから言い訳をしているわけではないのですよ。暑くてホトホトいやになった2010年の夏を思い出しながらそこで出来たワインを飲む。ワイン同様、自分が自然の一部であることがよくわかります。

話は変わりますが、今年は内田樹氏の本を数冊読みました。『日本辺境論』は日本でワインをつくる身としてとても面白かったです。司馬遼太郎と村上春樹の対比は麻井(宇介)さんの「文化の酒」「文明の酒」と結びつけて考えてしまいました。文化の酒的背景が色濃い旭洋酒を、そういうものとして背負っていくことをよしとしてから、私は常々「自分は麻井さんのいう高い志をもっているといえるのか」と自問自答してきました。文化の酒というのはフォークロアな音楽と同じで他と比較して良し悪しを競ったりするものではありません。旧旭洋酒を含むここら辺のブロックワイナリーでは「おらのとこの葡萄酒」が全てでそれが一番、それ以外知る必要はない、という世界がずーっと続いていました。外から来た私達はそれはそれで「興味深いこと」と感じたのです。ただそういう葡萄酒を継承するために来たわけではなく、もちろんブドウ作りから自分たちの判断を重ねて自分たちのワインと言えるようなもの、それも世界共通言語である欧州種で作ることが目的だったのです。なのでいわば両刀遣い、二束のわらじを履いているような感覚がずっとありました。

ところが最近そんな区別はもしかしたら無意味かも、少なくともそこで悩むのは生産的じゃない、と思い始めていたのです。で、『日本辺境論』を読んでストンと落ちた気がしました。そもそも司馬遼太郎と村上春樹、「文化の酒」と「文明の酒」は文学やワインのジャンルとしては二つの別のものとして語られるけど、その二つともを読んだり飲んだりすることは今の世の中では普通にある事。そして文化なくしては文明はありえないわけで現代人はみなそういう意味では二足のわらじを重ねて履いているようなものではないかと。国民皆が共有する確固たるアイデンティティーを持たない日本人は「日本人とはなにか」「どうあるべきか」といつもキョロキョロしている、と内田氏は言います。他に規範を求めたがる。私が悩んでいる風なのも、そんなことなのかもしれません。
麻井さんが生きておられたらそんな話もできたでしょうか。いいえきっと、ワインをみてもらうだけで精一杯だったと思います。来年もまた自問自答は続くと思いますがブドウが動き出せばそんなことを考えてる暇はなくなるでしょう。ブドウに、ワインに、着いて行くことが私の仕事でした。

ということでこれからも、この旭洋酒でワインを造っていきます(当たり前だ!)。自分たちのブドウは10%に満たないけど、20数名の農家が色んな条件の畑でそれぞれ造ったブドウを組み合わせて、ソレイユワインのラインアップが成り立っています。今年は新規就農の若手との出会いもありました。オカップが来て体力的に少し余裕も出来たので将来的に自社畑を広げることも考えられるようになりました。

例年同様、〆ということで長くなってしまいましたが今年も一年、ワインを飲んでいただいたり、このHPを見て下さったりした皆様、本当にありがとうございました。来年もよい年にしましょう!










2010.10.8

前回更新から今回までが仕込みのピークでした。一時は朝目覚めると全身が痛かったり瞼がなかなか開かなかったりもしましたが何とか持ちこたえました。あと甲州が1回と甲斐ノワールでブドウはおしまいです。今年はオカップがいるのでいくつか画期的なことが起こりました。まず仕込み最盛期にあたる9月18日の夫の誕生日(カップヌードル発売と同じ年月日)を9年目にして初めて自宅で祝うことが出来ました!そして先日もこれまた初めて、旬のサンマを焼いてアット・ホームで秋を満喫することが出来たのです!これは私たち的にはすごい事なんです。仕込み期間中は収穫や仕込み(除梗破砕および圧搾)作業が終わっても機械の洗浄や破砕場の掃除、搾りカスの廃棄、果汁や醗酵中ワインの分析、赤ワインの櫂入れ、温度管理など仕事が尽きることなく、二人+バイトでやっていたときは午前様になることも多々あったんです。必然的に外食頻度も増しスーパーにさえなかなか行けなかったものですから本当にあり難いです。

次に、前回写真で紹介した赤ワインの掻き出しですが、タンクに入るのは実は今まで8年間男子禁制でした。つまりずっと私が入っていたのですが今年初めて、大きいタンクのベリーAはオカップに入ってもらいました。私は脚立の上でバケツを受け取り、下にいて圧搾機との間を行き来する夫に渡す係。上から見下ろしているとちょっと逆大奥の気分です。中に入ると空気が薄いしアルコールもムンムンなので体がふにゃふにゃになって後から疲れがドーッきます。お疲れオカップ。お陰で私は家に帰ってスーパーのお惣菜を温める体力を温存できました。

さてこれからが本題です。今年初めてのことと言えば松崎さんの甲州の収穫です。松崎さんは今年最初の雑記帳で紹介した新規就農の若者です。5年前に横浜から来て観光農園で働いて栽培技術を習得。冬はブドウ棚や果樹ハウスなどの施設を建てたり修繕したりする棚職人の仕事もして生活の基盤を築き、昨年私たちのメルロ畑と同じ山梨市八幡地区に数haの広大な土地を借りることに成功、ここで桃とブドウの栽培を始めました。そして家を建てるために別に購入した土地のすぐ前に去年まで栽培されていた甲州の空き畑が偶然あったのでここも借りることになり、小川先生の紹介で私たちと知り合い今年から旭洋酒にブドウを納めてくれることになったのです。松崎さんは県外から農業や田舎での生活を目指して山梨にやってくる人たちの情報交換の場となるサークル[畑結:hatayui] の運営もしていて今やそういった若者の中ではアニキ的存在になっています。今回は自分の畑での初の収穫。梅雨時にはやはりベト病が発生しましたが早めの処置が功を奏してブドウの状態は上々。糖酸のバランスが良くバラ房で色づきも均一です。今年は他の農家さんのブドウと一緒にソレイユクラシックになりますが将来的には単一での仕込みも面白そうです。収穫には休みの日ごとに横浜からきて手を入れてくれたお父さんとグループの仲間らがかけつけ天気も良かったので和気藹々サクサクと終えることができました。広大な畑の収穫が始まる来年以降が正念場ですが、同様に県外から来て山梨に根を下ろした私たちとしては心から応援したいです。そして何よりも栽培者の高齢化によるワインブドウ激減の状況下、こういった人と巡りあえて勇気千倍、栽培者とワインメーカーの新しい、いい関係を築けるよう、とにかく頑張りたいです。

先輩として一言。田舎での生活は甘くない。でもいちからモノをつくりだし、自分で売ることの中で得られるものはとても大きいと思います。

真ん中が松崎さん。左はお父さん。

ほぼ予定量に達しご機嫌。白い歯が光る。









2010.9.20

お久しぶりです。今日は秋晴れ、夜は掛け布団が丁度よくなったけど昼はやっぱりまだ暑い。ブドウにはいい感じになってきたので1週間後から始まる甲州が楽しみです。今、自社収穫のピノとメルロの仕込みは終わって農家のベリーAに入ったところ。ピノはプレスまで終わってマロラクティック醗酵に入りました。08年から重厚さよりフルーティーさを生かす方向でやってきて今年もそのスタイルは変わっていません。痛みが激しく収穫は大変でしたがプレス機に入れて最初にしたたるフリーランを口にするとあの苦労が報われた気がしました。かつてない猛暑の中、収穫を手伝ってくださった方々本当にありがとうございました。ワインはあの時皆さんがつまんだあのブドウそのまんまです。ほんとにあれがこうなったんだなぁ、って味なんです。今後もみぃしみて(←最近覚えた甲州弁:本気で身を入れての意)やりますので2年後をお楽しみに。ちなみに、ピノは現行の07に加えて08、09までボトリング済みで地下セラーで熟成中です。順番にリリースしていきますのでどうぞよろしくお願いします。そしてこの雑記帳で紹介してきた自園のメルロ。こちらは地元の若手農家たちを加えたプロ集団にて粛々と収穫しました。事前に色づきの悪いところは房単位でチェックし、2日にわたって3分類して収穫。一文字の陽畑に加えてベト病で一時は全滅かと思った風畑も予想よりかなり多く採れてA級品だけで合わせて1t以上になりました。やれやれ。糖度は22.6度とかなり高かったのでこれを生かして芯のあるワインに導きたい。旭洋酒には相変わらずサーマルタンクなど無いので扇風機、電気毛布などお馴染みの家電で温度管理し明後日プレスの予定です。それいゆメルロは今月初めに08をリリースしました。香のボリューム、安定感は出色の出来栄えでリリース直後から都会のワインバーなどでご好評をいただいています。こちらもぜひお試し下さい。

まだまだ仕込みが続きます。前回からご報告しているとおり甲州はベト病でかなり減産、しかも悪い粒を除く手入れが必要なため各農家で収穫にかかる時間は大幅増になってしまいます。厳しい年ですが現実に向き合い例年通りひとつひとつ仕事をこなしていきたいと思います。

今年からオカップがいるので仕込み風景を写真に収める事ができました。8年間ずっとこんな風にやってきたんです。
ピノ・ノワールのプレス前のタンクからの掻き出し。一人が中に入ってボールとバケツでもろみをすくいます。

もう一人が外でバケツを受け取り

圧搾機に投入。3人いれば早く終わります。バケツはうちの仕込みの基本運搬手段。









2010.8.19

山梨では暑くて眠れない夜というのは年に1日〜2日だったと思うのですが今年は6・7日あったように思います。虫の音はすっかり秋めいているのにまぁ暑いです。8月に入ってブドウのべと病の激発が県内のニュースや新聞でも取り上げられるようになりましたが、旭洋酒の原料農家でも壊滅状態のところが複数軒あります。品種はワイン用品種として正式に世界デビューして話題の、ただでさえ足りなくて引っ張りだこの甲州。どのワイナリーも同じ状況なので今年の減産は決定的です。かなり大幅減になりそうで旭洋酒を始めて以来です。ベリーAも痛手はかなりありますが甲州ほどではありません。ワイン用ブドウは生食用に比べるとブドウ代が極端に安いので手入れに時間をかけるのは農家にとってはナンセンス、これを機に前倒しで栽培をやめてしまうお年寄りもいるかもしれません。私たちにとっても今年の状況は今後の生産計画を見直す契機になりそうです。今後は若手の農家や新規就農者との連携が不可欠とは考えていましたが防除や手入れについても見方をかえて積極的に栽培してくれる人をさがさなければなりませんし、こちらとしてもこれまでの原料代の「相場」という考えを見直す日が近くきそうです。そうなればもちろん、最終的なワインの価格にも関係してきます。これはもう以前から想定内だったので「安くておいしい」と言われるとビミョウだったんですよね。輸入ワインや輸入果汁をいっさい使用していない、スケールメリットもない我々のワイナリー、これからが経営の正念場ということになります。まず仕込みですが、そういったことを噛みしめて臨む年になりそうです。

陽畑メルロは7月23日ごろから色が飛び始め、現在8割方まわったところです。べと粒は梅雨明け後の手入れから大きくは増えておらずこの畑では減少は2割以下で済みそうです。ただ猛暑で夜温が下がっていないので色と糖度の乗り、酸の落ちすぎが少し心配です。収穫まであと3週間位あるのですが、今日のように少し涼しい日が間に入ってくれればブドウにとっても人間にとってもいいんですけど。。。
そして山梨市岩手のピノですがこちらはヴェレーゾンはメルロより少し早いだけだったのですが、密着で皮が薄いので例年通り粒が房の中で潰れ始めました。猛暑で酸の減少スピードも速まっているので急遽収穫を前倒しですることにしました。第一回は8月24日(火)、第2回は29日(日)の予定です。29日の方はまだ人が足りないので収穫を手伝ってくださる方はご連絡ください。残暑が厳しいと思うので体力に自信のある方のご参加をお待ちしております!


きじのお母さんのその後





風畑で巣篭もっていたきじのお母さん。前回更新から間もなくして温めていた5つの卵を残しなぜか一列北側の垣根の下に移動、そのままずっとそこに居座っていました。最後の消毒の朝、まずは私がおそるおそる棒でつつくと物凄く怒って威嚇。私はこれでもうお手上げ。次に夫が「どいてください、消毒がかかってしまいますよ」と敬語&ジェスチャーで大真面目に説得。するとなんなく腰を上げて走り去ってくれた。みると3つの卵が。翌日、脅かしてしまったので心配になって見に行くと、ああよかったお戻りでした。雛がかえるのとブドウの収穫が重なったりして。


















2010.7.24

一昨日、多発したべと病の手入れが一段落しようやく気分もチェンジです。大変だったんです、今年は。原因は梅雨時の多雨高温。品種の耐性と防除のタイミング。欧州系は一般にベト病に弱く生食用だと甲斐路やロザリオなど、ワイン用は甲州、メルロやカベルネ、シャルドネなどみんな欧州種で弱い。ベリーAは交配種だけど早期のベトにはやはり弱い。私たちは自園のメルロががっつんがっつんにやられ、特に若木の風畑では大事な時期の防除に手抜かりがあり大打撃となってしまいました。

6月中旬から多発して以来梅雨明けまでの1ヶ月、私の意識の半分以上が「べと」に占有されていました。同業者や農家さんでも似たような状況のところは多く、打撃が大きかった人は決まって「こんな年はうん十年やってて初めてだ」と言います。そしてこんな年でもたいした痛手を蒙らずにいる賢人農家は決まって「防除のタイミングだ悪いからだ」と言います。二つを総合すると、去年までの何十年かは防除のタイミングが多少ずれていても大丈夫だったのに今年はダメだった、ということになり、さらに来年以降、こんな天気が例外であってくれる可能性も、ドンピシャのタイミングで防除出来る可能性同様に低いと考えられます。当然ながら防除は雨の中や夜はできません。風があると効率も環境にも悪く、高温下では薬害と自分の体へのリスクが高まります。雨が一時的に止んでも次いつ降りだすか分からないような時も薬害のリスクがあるし行為自体がムダになってしまうこともあるので普通はやりません(今年はそんな状況でも散布している人をよく見かけましたが)。

「これが温暖化なんだな」と噴水でビキニきて水浴びしながらウォッカを飲んでるロシア人の映像とか見ると思いますよね。で、日本は世界でも有数の雨の多い国になっていくのかしら。。って。そんな中で今自分の畑で起きている事を正しく判断し、天気の動向と合わせて的確な時期に的確な薬剤を用いて防除するにはその場で知識を総動員して考えていたのでは遅いんだと思います。私はというと、3年連続でメルロに実ベト(葉ではなく実に直接くる早期のべと)を出してしまいましたがやはり今年が最悪でした。前の年に病気が出た原因を考えて昨年も今年も農薬を変えているのが裏目裏目に出てしまったような。この2年間自分なりに考えた根拠がまさに「私的」根拠でしかなかったのかもしれません。今年の失敗の原因については賢人らの意見に耳を傾け、また自分同様に失敗した人の話からも学んで答えを出し、夫や社員ともよく話して体勢を変える必要を感じています。まだあと1回防除が残っているしこれからが仕込み本番なのでこれ以上考えるのはストップしておきます。「ブドウの成長のスピードについていくことが全て」みたいなこと、このあいだテレビで岸平典子さんが言ってましたけどほんとですね。天気にかかわらず、私たちは毎年ワインをつくるのが仕事でそれ以外は何も無いのですから。

そんなんで大変でしたし、メルロは量が減ります。葉っぱが健全なので質はあきらめていません。甲州とベリーAは契約農家さんによっては大幅に減るところもあります。ピノは実も葉も健全でオカップのつきっきりの世話で今のところ今年のエースですが、こうあんまり暑いと逆に心配です。ピノの様子についてはOKAPP DIARYを見ていただきたいと思いますけど、なんかあれブドウより「生き物」メインになってますよね。

ということで私もちょっとすごいのを見つけたんです。ベトが多発した風畑で。
最初は私がロータリーで草刈中卵1こを発見。その後樹の下の刈り払い作業で夫が見たときは卵がふたつに。そして昨日、実ベト除去を任せた生き物係オカップに卵を見せようと思って何処だったけかなと歩いていって、ぎゃっっ!オカップは「それはきっとトカゲかヘビの卵ですよ」と言っていたのでそんなものがいるんじゃないかと心の準備をしていたところ、かの位置にいたのは。
きじのお母さん。オカップが作業中にお母さんが散策に出かけ、その隙に見ると何と卵が4つになっていたそうです。今後報告ができるといいですけど何せこんな場所なのでどうかなぁ。。草刈っちゃったから暑いしね。










2010.5.20

5月17日撮影カラスエンドウは豆豆してきました

先週は朝晩暖房が要るくらい冷え込む日が続きましたが今週しょっぱなから夏日となり漸くオイルヒーターをしまえます。極端ですね、ほんとに。芽欠きを済ませたブドウは展葉5・6枚(新梢の長さが20cm位)になり2日前にベト病予防の最初の消毒をしました。今年は先日までの低温で生育ステージが昨年より一週間は優に遅れてますが好天が続いているのでこれからだんだん追いついてくるかもしれません。一文字短梢の陽畑は窒素肥料を抜いて3年になります。一昨年から樹勢が一部でかなり強くなりホウ素欠乏による結実不良が多発しました。今年は毎年やってきたカルシウムの施肥も止めてホウ素を含む燐酸と物理性(排水性、団粒化)改善向上のためのライムギのみにして様子をみることにしました。今の葉の色の感じだと窒素が足りないようには見えませんが去年ほどバカ伸びしていないので切れてきたのかもしれません。今年は必要に応じて葉面散布肥料をやって後は果実の出来と収穫後の土壌分析で次回の施肥を決める予定。秀才(?)岡くんも来たことだから果汁の分析もレベルアップしてワインの質向上に役立つデータを取れればと思います。

こちらは一昨年植えて伸びが悪く困ったちゃんのシラー。苗がとても弱かったこともあるけど2年間十分に施肥していてもこんなふうに棚上まで伸びて結果枝を複数とれたのは50本中2本だけ。モグラ塚も多くは見られないし土が固くて根がうまく張れてないんだろうと思う。私たちが借りる前は清耕栽培で除草剤も多用されていた。そして借りてからもムギを撒くタイミングを逸して草刈も後手後手になってしまったから今年頑張っても土が良くなるのにまだ数年かかりそう。But!今年は女子でもすいすい刈れるロータリーモア(後日ものソレイユに登場するか)というマシーンを買ってもらったので草刈をばっちりして何としても枝を伸ばします!でないとワインが出来なくてやばいでしょ。

さて、ワイナリーではこのところ、09クサカベンヌなど小ロットものの瓶詰をしています。クサカベンヌは来月早々にリリース予定、合わせてひとつ、新しいシリーズがスタートします。今日はちょこっと一部だけ。
そうです、エティケットはみよこさんの新作です。




番外編:社長の手柄 
破砕場の屋根の組み木に昨年同様スズメバチが巣を作り出した!早期発見して仕留めたそうです。
おしまい。







2010.5.6


畑ではカラスノエンドウが満開を過ぎたところです。マメ科の植物は空気中の窒素を取り込む有用雑草なのでもうしばらく刈らないで残してあります。元気なナナホシテントウもいっぱい。

うぃー暑いです。昨日に引き続き30℃超えでしょうか(室内温度計では超えてます)。GW前半は爽やかでしたね。2日はNHK FMで「清志郎ZANMAI」というのをやっていて良いBGMで良いラベル貼りが出来ました。もう1年ですがあれからファンになったという人も多いようで本当に天から降り注ぐ歌声になったんだなぁと感じます。去年の6月に駒場の日本民藝館で棟方志功展を観る機会があってあの天女が清志郎と結びついてしまったんですよねワタシは。悲しくもすばらしい、音と色と魂が飛び交うあの(この)世界!。。。。あ、ついうっとり脱線してしまいましたが最近不慣れだったこともあり今日はほんとに暑いです。そんな暑い中、岩手のピノ畑で小川氏に乗用草刈機の手ほどきを受けて草を刈って来た新入社員の岡君が近日新コーナーを担当しますよ。私と違って「きちっ」としているのできっと更新の少ない当HPに何年間も懲りずに来て下さっている皆様の期待を裏切らないものと思います。岡君は最近雑誌等で「ワインの勉強ができる学校」として採り上げられることも多くなった山梨大学ワイン科学センターの修士課程をこの春卒業しました(剛の後輩)。とはいっても実務経験ゼロからのスタート。栽培は小川孝郎氏、醸造は鈴木剛に師事し将来は岩手ピノ・ノワールの栽培醸造を担ってもらう計画です。前振りは以上、次回UPからお楽しみに!

あと、「ものソレイユ」も再開するらしいです。







2010.4.29

前回更新以降も波乱つづきのお天気で気づけばGWに突入してしまいました。ソレイユ甲州2009がリリースとなった17日の未明から関東では観測史上もっとも遅く41年ぶりだったという雪。朝目にしたのは銀世界の中に散りかけた桃のピンクが見え隠れするなんとも異様な光景でした。その後も冷たい雨が多く全国的に日照不足、ブドウも生育が足踏み状態でした。それでも遅霜にやられるようなことは無かったので良かったのですが、3月末の低温でスモモやサクランボにはやはりかなりの被害が出たようで大幅な収穫減となるようです。自社畑のメルロは萌芽したまんまのような状態が長く続き葉っぱが開き始めたのはここ数日ですから昨年より10日以上、例年より一週間位遅れている感じです。気になるのはデラウェアなど早生品種のステージが特に遅れているように思えることで、過去にも春の低温の年に似たようなことがあったような。栽培者は作業の順番を考えて遅い品種・早い品種を植えていますがこの気候の影響で生育ステージが重なることが懸念されます。まあ。。。お天気のことだから仕方ありません。ワイン生産者としては品種ごとの生育段階をチェックしていって収穫・仕込みの順番を例年通りでいけるのか、変える必要があるのか、そうなるとタンクはどう回していくか・・などをこれから考えていくのです。今年の生育期始まったばかりなんですが、農産業って大変ですね、あらためて。
一文字短梢の陽畑メルロ4/24 ここまでくるのが長かった

 4/29 漸く展葉が始まりました

今日は9時過ぎから土砂降りの雨、昼前にもザザーッときてその後はよく晴れました。しばらく晴れが続くことになってるし、雰囲気としてはいつもどおりの爽やかなGWとなるのでしょうか。直売店はGW期間中は休まず営業します。リリース間もないソレイユ甲州2009をはじめ試飲も用意しておりますのでぜひ行楽のついでにお立ち寄りになってください。

さて、前回告知しましたニューフェイス君、子供の1日は長いと言いますが、何もかも始めての彼にとってこの1ヶ月はとても長く感じられたのではないでしょうか。とても真面目な性格だし全ての作業を全身全霊でやっているようなので、おそらくものすごく疲れると思います。でも私たちも新卒でワイン会社に入ったときそうだったから新鮮ながら懐かしい、不思議な感覚です。これから長い付き合いになるはずですからジェネレーションギャップを楽しみながら克服し、旭洋酒の真骨頂である丁寧なワインづくりに3人で取り組み、いずれ新たなソレイユの地平線に立ちたい。。。皆様をお連れしたいと思っています。

入社11日目、初めての樽洗浄。以下本人談:はじめまして。この4月から旭洋酒に入り製造を担当することになりました岡二成(おか・つぐなり)です。大学で4年ほど沖縄にるろうしましたが、生まれも育ちも生粋の甲州塩山人(ちゅ)です。ソレイユ愛飲者の皆様、これから度々登場するかと思いますがどうぞよろしくお願いします!

そして今日は千野甲州2009の瓶詰でした。大の男二人がレイメイ(ものソレイユ参照)の前で真剣に詰めてます。これで瓶詰中のご訪問にも対応が可能になりました(画期的!)選果にとくに力を入れた09の千野は例年通り地下セラーで瓶熟成し11月ごろのリリースになります。



番外編:醸造家の密かな愉しみ
毎年ソレイユ甲州の詰めが終わると軽く燃え尽き放心状態で敷地の草取りをする夫が2年前のこの時期見つけたものを今年も発見。ちょっとしょぼいけど、かのモリーユ(編笠茸)ですよね?たぶん。
パレットの下からも・・・








2010.4.4

今年の春は天候の変化が激しすぎる!2月下旬から春陽気→3月10日急に大雪(山梨市では15cm位)一週間後には最高24℃となったかと思いきや3月下旬は冷たい雨が数日周期で降り最低気温−の日も。桜の開花が早かったのでブドウも早まるかと萌芽前の硫黄消毒の日程を組んでいましたが先週の冷え込みで芽の動きも止まってしまい結局去年と同じ位になりそうです。この時期の気温の影響を受けやすいサクランボや早生桃の受粉を危惧する声も聞かれます。漸く安定して来ましたので被害が出ないことを祈ります。
3月9日の夜から大雪。朝畑に行くと見えなかったものが見えていた。誰?

そんなこんなで気温の変化が激しく大変でしたが来週末にかけて桃が満開になり山梨も春爛漫となるでしょう。旭洋酒の近くだと山梨市駅から徒歩で行ける下神内川(しもかのがわ)の桃畑がお薦めです。桃畑の沿道には地域の人たちによって菜の花が植えられていてピンクと黄色のほのぼのコントラスト、夕刻には缶灯篭が灯されなかなかいい感じです。今年のシーズンに合わせて水車もある水路沿いの古道が整備されより充実したハイキングが楽しめます(詳しい場所等は山梨市役所観光課にお問い合わせ下さい)。

私たちのブドウ畑では冬の間、剪定に続いて樹の皮の盛り上がったゴワゴワ(その下にカイガラムシがいる)を取り除く「粗皮はぎ」をし、その後棚の整備や苗の補植などをして春に備えてきました。
粗皮剥ぎをした陽畑メルロ。やりすぎると良くない(らしい)のでほどほどにした。
風畑メルロ。4年にわたって行って来た改植が完了。1番手前が去年、真ん中の土が盛り上がってるのが先日植えた苗、その向こうは06に植え替え去年から収穫を始めている。奥の棚は08にシラーを植えた新畑。

コウバでは温かくなる前にタンクを空にできるよう、せっせと瓶詰を続けてきました。そして4月1日、旭洋酒にとっては大きな節目となるセレモニーがありました。ヒントはこれ、分かりますかぁ?

そう、若葉マーク。当社に初の新入社員が入り入社式が厳かに執り行われました。現在軽トラ運転も研修中。人物紹介は次回更新時のお楽しみに!








2010.1.16

ここ数日朝は−6℃近くまで冷え込んで体もコチコチでしだが今日は久しぶりに風もなくポカポカ暖かです。世界的不況も2年目ということで、新年を迎えて何だか色々なところで色んな人が「楽しくしようよ」と頑張っているニュースがあちこちで聞かれ、ぜひこれをネタづくりだけに終わらせず日々の地道な盛り上げで現実的な明るさを取り戻していきたいものです。私たちはお正月、東京の私の実家と静岡の夫の実家に行き、それぞれでプチ盛り上がりしてきました。東京ではものすごく久しぶりに映画館に映画を観にいき、生まれて初めて(だったと思う)映画を観ながらビールを飲みました。静岡ではJAL撤退で話題になった静岡空港へ物見遊山で。地元の家族連れが結構来ていてフェンスにかじりついて飛行機の発着に見入っていて「なんだみんな十分昭和じゃん」と嬉しくなりました。土産コーナーで初めて見るキュートな亀を発見。大・中・小の中を買ってきて先日会社で食べました。生地がトースティでいいね。
こっち見てるし

仕事始めは今年から甲州を栽培して入れてくれることになったMさんの畑で小川センセイによるX字型長梢剪定(従来の棚)の講習。あ〜〜これは難しいんです。ブドウの生理について理解した上でやればすごく完成された方法。でも何せ複雑でどの枝をどれだけ残すか的確に判断し継続的にいい状態を保っていくのは至難の業で最初はものすごく時間がかかります。「タバコを飲む人が多いのがわかるでしょ」とミスター新短梢の小川氏。この畑は昨年までやっていたお婆さんが高齢で断念し、4年前に県外から来てブドウ栽培を習得したMさんが借りて大変ありがたいことに今年から旭洋酒の原料ブドウとなるのですが、X字型長梢剪定ですでに成園になっているので樹体バランスを考えて当面はそのままやるのがベストなのです。私は見てるだけでしたがブドウの生理や剪定の目的など一文字短梢でも役立つ点が多く非常にためになったのでした。因みにMさんは30代半ば。これから協力して栽培者とワイン会社が共に生きる道を切り開いて行きたいっ!!どうぞよろしくお願いします。

ワイナリーでは週1ペースで瓶詰が続いています。冬はタイヤを気にして遠方から来られる方はめっきり減るのですが、代わりにこのところ近場から「学びの人」が続いて訪れました。日本のワイン産業を研究している甲府在住アメリカ人のKさんや県内のリゾートホテルに勤務し最近ソムリエ試験に合格したFさんとお話し、その情熱と研究心に刺激を受けました。お二方とも「若手」と言われている(た)私たちよりずっとお若く、日本のワインの捉え方も変わってきているようでした。造っている私たちは漸く腰を据えて取り組めるようになってきたという感じなのに、まわりはもう一巡して次の段階に入っているような。消費者の世代が多様かつ更新されていくのはとても喜ばしいこと。自分たちの頭が固くなってきていることにも気づかされます。そして若いといえば親子ほどのが昨日やってきた山梨北中1年生。この近辺でも農家はひとクラスに一人ぐらいしかいないと聞いていましたが4人中ひとりの男の子が農家の子で、本当はこちらも色々聞きたいのを抑えて活舌よく講義。手打ちコルカーやキャップシールヒーターの体験では顔を赤らめながらチャレンジし心から感動してくれた様子。将来職業として関心をもってくれたら。。。もしくは地元のソレイユワインを日常的に飲んでくれるようになったらいいんだけど。
どんな風に映ったんでしょう。。

ところで、今日のニュースでは昨年の定額給付金の経済効果が予想を下回ったということでしたが、私は旧政党のキャッチコピーにストライクだったと思うんです。必ずしも必要ではなかったであろう、とびきり素敵なモノを自分の欲望に素直に買ったのですもん(給付が始まるかなり前に)。これはソレイユワインご指名イラストレター、我らのmiyokoさん描き落ろしの本皮製ブックカバー。革作家のKURMIさんとのコラボで一昨年から発表されている超ドリィミィでプレシャスな逸品。珍しい白の革製で手触りが最高。しかし普段電車に乗らないので文庫本を読む機会に恵まれず昨年はうっとりと眺めるばかりだったのです。先日漸くぴったりサイズの手帳を探して実用化となりました。これで今年こそ作業日誌をちゃんとつけます。モグラと名前も入れてくれたみよこさんと定額給付金ありがとう。
  
欲しくなった方はこちらへ→http://www.kurmi.net/kurmiyo/index.html







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