○なぜ「そば」は江戸で好まれたか

 

・そばはお江戸、大阪はうどんと言い習わされています。その理由は、まず第一に考えられることは、江戸近辺に小麦生産が少なく、雑穀であったそばが手に入りやすかったせいでしょう。小麦の生産は、収穫期に雨の多いところにはむきません。灌漑を溜池に頼るような関西や、梅雨のない北海道に向く作物です。米は、例え雨が多くても灌漑が行き届いている土地にしかできません。関東には、大河はありますが、江戸を町にするときに「水道」を作らねばならなかったほど、水利はよくなかったようです。現在でも「田無」という地名があるほどです。

 

・こんな江戸で、そばが食べられたのには、ふだん、白米ばかり食事をしていた事と関係があります。「お天道様と米の飯はどこでもついてくる」などと大きな口を利いていたように、江戸庶民はわずかのおかずで、白米を大量に食べました。その結果、ビタミンB不足になり、脚気を患います。この病気を「江戸わずらい」といいました。江戸の地方病です。関西では、普段の常食には、白米ばかり食べず、麦や豆類を混ぜましたので、この心配はありませんでした。

 

・そばには豊富なビタミンBが含まれています。馬やヤギといった草食動物が、カリウム過多を防ぐために、人の手からも塩を好んでなめるように、「B足らん」の江戸はそばの臭いに惹かれ、これに群がったのです。