5月11日

ローター・バウムガルテン、 あるいは伝統的民族誌への批判的介入(2)


一九七四年に、Cologne Kunsthalleで行われた展覧会『Kunst Bleibt Kunst』で発表 されたTropenhausは、美術館や博物館といった展示の場と西洋の知識体系との共犯関 係を考えるバウムガルテンの最初の本格的な試みである。この展覧会は、ケルンの植 物園の温室として用いられている巨大なガラス貼の建築物の中で行われた。 通常この植物園では、植物にその名前がラテン名で表記するという簡潔な展示がなさ れているだけである。バウムガルテンは、五〇〇以上の大小さまざまなラベルを作成 し、その展示に補足的な意味体系を与えるというプロジェクトを行った。 バウムガルテンが通 常の展示に付け加えたラベルは、たとえばその植物の原産地であ る地域の現地の人々の名前や、そうした植物の収集に関わった西洋の探険家や文化人 類学者、植物学者、征服者、商売人といった人々の名前である。その中には、フンボ ルトなど歴史的に著名人な名前も見ることができる。また、植物の原産地の南アメリ カの河川の名前や当時のテクストなどの引用もラベルとして作成し、展示した。こう した引用を通 じて、バウムガルテンは、ラテン名によって系統的に分類される以前の 植物の環境を植物園の中に書き込もうとしたのだった。 こうしたプロジェクトは、民族誌的な記述の典型的な試みといえる。民族誌とは、な によりもあるひとつの文化を可能な限り詳細に記述することで、ほかの文化に移しか えていくことなのだ。しかし、いくら詳細にあらゆることを記述しようとしたところ で、ひとつの文化のすべてを別 の文化の中に移しかえることは結局のところ不可能な 試みである。したがって、その移しかえは、必然的に多くの編集、省略、誤解など不 可避にはらむことになる。しかし、このことをもってそれが民族誌的記述の限界とし てのみ理解すべきではない。さまざまな社会的・経済的関係、実際の人々の日常生活 は、言語によって記述される際にその本来の生命力を奪われていく。記述は、生活の いわば「死体」である。しかし、言語の機能はそれだけではない。言語はそれ自体自 立しており、単なる事物の表象ではなく、さまざまな関係を想像力でもって生産して いく。ある文化を言語によって記述し、ほかの文化に投げ入れることは限界であると 同時に可能性でもある。それは、新しい意味の生産でもあるのだ。 バウムガルテンのプロジェクトは、西洋の科学的知識体系に取り込まれてしまった植 物を取り巻くさまざまな生活文化を再び言語によって描きだそうというものである。 とはいえ、それは単にあらかじめあったものを再生しようというのではない、それ は、意味を付与することでまったく新しい別の生命をつくりだそうという試みとして 理解すべきだろう。 展示という行為そのものがもつ歴史的な権力性を問題にしたバウムガルテンのプロ ジェクトは、一九八四年のヴェネチア・ビエンナーレの際のドイツ・パビリオンの展 示においていっそう明確化する。「 アメリカ(America)」と題されたそのインスタレーションは、展覧会場の床を用い た作品である。そこには、アマゾン・オリノコ川系の七つの主要な川の名前が書かれ ており、人々はその上を歩くことができる。真ん中に「アメリカAmerica」と白地に 黒でほかに比べると大きく書かれた文字がある。そして川に沿ってヴェネズエラに生 息しているジャガー、鷲、カイマン(南米産ワニ)、亀を表す図像が描かれている。 ここでバウムガルテンが見せようとしているのは、Amerigo Vespucciが一四九九年に 「リトル・ヴェニス」と名づけたヴェネズエラと展覧会が開かれているヴェネチアと の奇妙な相似性である。そこにはいろいろな共通点を見出すことができる。たとえ ば、水辺に建設された家の構造、アマゾン流域とヴェネチアの水路との地形、水路を 走る船や陸路の道が、本来まったくことなる二つの空間で、同じようにしかし異なっ た文脈で機能していていることを示そうとしたのだった。そして、このことによって 西洋の現代美術の中心のひとつであるヴェネチア・ビエンナーレという空間を相対化 しようと試みたのである。