5月1日

メーデー、あるいは空間の政治学のためのメモ


さて、通常の評論ならば基本的にあまり脱線することなく議論が続けられるのだが、 毎日日記のように書くとなるとそうはならない。未完成の原稿がすでに掲示されてい るのでそれを書き直すこともできない。今日は昨日の「民族誌家としてのアーティス ト」という議論を発展させるはずだったのだが、ついメーデーのデモに参加をしてし まい、いきなり二日目で脱線してしまうが、勘弁してほしい。しかし、デモという問 題もこの「連載的批評」の後半で取り上げるつもりだったので、あえて未完成のまま 先に挿入してしまおうと思う。そもそもすべての文章は、頭から順番に書かれるわけ ではないのだから。今日の記述は一種の民族誌的日記である。 メーデーのデモに参加したのは理由がある。『No Logo(邦題:『ブランドなんか、 いらない』』 で知られるナオミ・クラインのホームページ(www.nologo.org)で、旧来の組合、社 会主義主催のデモを一部の反グローバリズム・グループやアナキスト、そして都市の 中を自転車で群れをなして走りぬけるクリティカル・マス(クリティカル・マスは、 「臨界質量 」という意味だが、むろん「批判的大衆」という意味が込められている) などが、国内主義的傾向の強いメーデーをのっとりイラク戦争に乗じて利益を得よう としている多国籍企業を「先制攻撃」するという情報があったからである。アメリカ やイギリスが「先生攻撃」する権利があるなら、当然反グローバリズム運動も「先制 攻撃」をする権利があるはずだ、というのだ。  インターネットの情報によれば反グローバリズムの集合地点は次のとおり。二時に 英国の最大の軍事企業であるロックヘッド・マーチン社に集合、自転車に乗ったクリ ティカル・マスは四時に内務省(Home Office)集合である。ロックヘッド・マーチ ンに集まったデモはそのままストランドにあるシェル英国に向かうという。  あいにく大学の関係で、二時から参加するのは断念したが、三時には労働組合を中 心にした通 常のメーデーのイベントが行われているトラファルガー広場にたどり着く ことができた。とはいえ、都市の中心部はすでに厳戒態勢である。トラファルガーに 行くまでにも、バスはテムズ川南側の旧市庁舎の前で降ろされてしまう。 厳戒態勢も無理はない。昨年のメーデーはやはり反グローバリズムのアナキストと呼 ばれた一部の若者が暴走し、マクドナルドをめちゃめちゃに破壊したりしたのだから (しかし、この「アナキスト」というのもマスコミのレッテル張りなので気をつけな ければならない。一般に反グローバリズムの運動は「直接行動=非暴力主義」 Direct Action=Non Violenceを行動規範としている。ガンジー主義にも影響を受けた 非暴力主義は、武力闘争も辞さなかったセクト的党派と一線を画している)。 今年もアナキストが何かを計画しているというのは、すでにマスコミでも大きく報道 されていた。たとえば『イブニング・スタンダード』は、アナキスト・グループが標 的にしている三十社という大きな特集をメーデー前日に一面トップで組んだが、これ などはその好例である。ピカデリー・サーカスやオックスフォード・サーカスの一部 のショップでは、ウインドウのガラスが割られると困るというので、前日から早々に ベニア板などで正面 を覆ってしまっていた。 まずトラファルガー広場の労働組合主導の公的なメーデーの集会に少しだけ参加す る。今年の特徴はムスリム系の団体が多く参加し、反戦運動とセットにされているこ とだ。「アメリカの反戦運動」などと書かれた横断幕もみえる。 シェル前に集合する四時が近づいてきたので会場で、イラク労働者共産党がつくった 旗を5ポンド(約1000円)で、反資本主義(Anti Capitalism)と大きくデザイ ンされたバッジを50ペンス(約100円)で買う。旗は真っ赤な巨大な旗で、そこ にはマルクスの顔と「われわれはまだ世界を変える必要がある。イラク労働者共産 党」We Still Need to Change the World www.iraq.orgというメッセージが黒色で プリントされ、二メートル半ほどある棒につけられている。最近デモに行くたびに旗 を買う妙なコレクション癖がつきつつある。これでは、ただのデモグッズ・マニアで ある。人ごみでも結構目立つその旗を持って、シェルのあるストランドに向かうこと にする。三時半。 ところが、シェルに到着する前に、シェルからこちらに向かって来るデモ隊に飲み込 まれてしまう。予想外。デモの参加者は数百人といったところか。デモの周りはイエ ローの蛍光色の服を着た警官が厳重に取り囲んでいるが、デモを囲むというよりも建 築物を守るといった風で ぎゅうぎゅうに押し合いへし合いというわけではない。し かし、この状態ではシェルを「先制攻撃」するというのはほとんど不可能である。 デモの中に入るとそもそもそこはカーニバル状態である。中心となっているのは、大 小のドラムを抱えた十人あまりのサンバのリズム隊。ノッティング・ヒル・カーニバ ルにいてもおかしくないようなリズム隊は、延々とリズムを繰り広げるが、半端では なくかなりのテクニシャン揃い。そのリズム隊の前で、肌を露出しやはり銀色のカー ニバル・ファッションに身を包んだ女性が、サンバを踊っている。リズム隊とダン サーについては、一糸乱れず統制が取れていて、事前に十分に練習した後が感じられ る。 顔にピエロのようなペインティングをした若者たちが、笛やホイッスルをいたるとこ ろで鳴らしている。手にプラカードや旗を持っているものもいれば、ビールやワイン ボトルを持って踊っているだけのものもいる。こどもの姿も少なくない。デモの一番 後方では、大きなサウンドシステムをリヤカーに乗せて爆音でテクノをかけながら自 転車でひいている人もいる。巨大な旗を持っていたし、デモの中では数少ない東洋人 ということもあってか「一人で来たのか」「中国人か」「その旗どうしたんだ」など やたらに話しかけられる。 デモは、ストランドからレスター広場、ソーホー、そしてピカデリー・サーカスへと 向かい、再びトラファルガー広場へと戻ってくる。五時。警察官はやたらに多い(そ の日の夜のニュースでは四千人と言っていた。多いはずである)が、通行を妨害する ことはない。デモの間は交通 を遮断されるが、はなからメーデーはこういうものと 思っているドライバーも多くさしたる混乱はない。いたって、ピースフルなデモであ る。 結局、昼間労働組合主導のメーデーが行われていたトラファルガー広場に五時すぎに 到着し、そこで解散する―――はずだったのだが、実はこれからがこの日のクライ マックスだった。デモはいったん解散したのだが、五時すぎたらどこからともなく ヒッピー風の格好、ボロボロに破れた服の重ね着、赤や黄色、金色や虹色などさまざ まな色に染め、ドレッド風やモヒカンにした若者たちがデモが終わっても次々と集 まってくる。突然巨大なサウンドシステムが再びテクノを鳴らし始める。トラファル ガー広場の前の道路は、再び若者たちによって占拠される。五時二〇分。  デモが終わって帰ろうとしていた私は、トラファルガー広場の中からその様子を見 ていたが、ウーウーというサイレンとともに二十台近くのパトカーがあっという間に 駆けつけ、路上ダンス・パーティとトラファルガー広場とはさえぎられてしまう。ダ ンス・パーティに残ったのは二〇〇人くらいか。けれども、トラファルガー広場にも 奇妙なダンス・パフォーマーやサウンドシステムは残っていて、みんなニヤニヤしな がら警官を見ている。大声で野次を飛ばすものもいる。  5時半ころに、スピーカーのついたパトカーがアナウンスを始める「地域のコミュ ニティとビジネスの深刻な破壊になるので解散しなさい。一九時五分までをすぎても 解散しない場合は、逮捕します」。まわりから大きなブーイング。ダンス・パーティ は、アナウンスにもかかわらず、ジャグリングをしたり、大きなビニール製のサッ カーボールでバレーボールをしたりと盛り上がりを続けている。  警官が次々と補強される。蛍光イエローの警察官だけではなく、黒装束にヘルメッ ト、そして盾を持った機動隊も入ってくる。ダンス・パーティのまわりを警官が囲 み、その周りを私のような野次馬が囲む。ドーナツ構造である。さらに警官と機動隊 が集まってくる。野次はいっそう激しくなる。サウンドシステムの音量が上がる。晴 れているのに小雨が降ってくる。ダンス・パーティが警官隊に押されてさらにトラ ファルガー広場から遠ざけられる。人々はさらに近づこうと前にでようとするが警官 の盾に止められる。ふと気がつくと警官を取り囲んでいたと思っていた群衆は、警官 に取り囲まれている。翌日の新聞で読んだのだが、これは最近ロンドン市警が導入し ている「囲い込み戦略Penning Strategy」と呼ぶ手法で、デモと直接対峙していたず らに対立を深める代わりに分断していくことによって、最終的にちりぢりにしていく というもので結果的に対立をあおるというので反対も多いらしい。  私のななめ後ろにいた女性が警官と小競り合いを始めたのをきっかけに警官隊がト ラファルガー広場にいた私のまわりの人ごみになだれ込んでくる。警官に肩をつかま れる。一瞬逮捕されるのもフィールドワークとして悪くないかも、などという考えが ふと頭をよぎるが、あわてて打ち消して、振り払って警官の包囲網の外にでた。  包囲網の外にでる人に対しては、警官は追いかけてこない。とにかく群集をばらば らにして追い出すのがどうも目的らしい。ダンス・パーティはもう前方はるかかなた だが、どうやらサウンドシステムは止められたらしい。怒声とブーイングは続いてい るが、石やビール瓶が飛ぶことはない。小競り合いも広がらない。道路の交通は依然 として遮断されている。どうやら歩いて帰るしかなさそうだ。私はなすすべもなくま わりの人たちと一緒にトラファルガー広場をあとにした。八時三五分。 その日の夜のニュースは、今年のメーデーが当初予想されたような混乱がなかったこ と、派手なコスチュームのサンバ隊や子供づれ、自転車にのったクリティカル・マス がめだったこと、最後にアナキスト・グループが道路を占拠して、交通 が混乱した が、四千人もの警官がすべてうまくしきって群集をちりぢりになったことなどを伝え ていた。逮捕者は二八人。明るい日ざしを受けて、色とりどりのコスチュームを着た 若者たちは、楽しそうに見えた。イラク戦争後最初の政治的集会が、温厚な雰囲気の 下ですすんだことを好意的に受け取られたようだった。  さて、今日の記述はここまでである。オチらしいオチはない。申しわけない。昨日 少しだけ触れたACT UP以降の文化政治運動との関連は容易にみいだせるが、それは、 少し時間を置いてこのメモをもう一度読み直したときに論じることにしたい。明日 は、「民族誌家としてのアーティスト」の議論に戻る。たぶん。