「約束」
交わした約束は、いつか破られるかもしれない。
実の父親が、母との約束を無きものとしたように。
「トーマス君は、このお城を出て外の世界を見たいって、思うことはない?」
シーザーの元を訪れている時、そうアップルに問われて、トーマスは目を瞬かせた。
三人でテーブルを囲んでお茶を楽しんでいるのだが、シーザーはアップルが同席しているのが気に食わないらしく、そっぽを向いている。
「え…僕ですか?」
「ええ。私たちがあちらこちらを旅しているから、そう思うのかしらね。こことは全く違う、まだ見たことが無い場所を見てみたい…、そう思って、私はいつもどこかへ行ってみたくなるの」
「いい年してフラフラと…痛てっ!」
シーザーは顔をしかめた。どうやら、円卓の下でアップルに足を踏まれたようだ。
ティーカップをソーサーに戻して、トーマスは暫く考え込んだ。
「僕は、前は無名諸国の一地方しか知らなかったし、今でも知っている場所といえばゼクセンとこの城くらいですけど…そんなことは、考えたことが無かったです」
いつも、その場所が世界の全てだった。
母の側で子供時代を過ごした無名諸国。
父に面会したビネ・デル・ゼクセ。
そして、今の『家』である、このビュッデヒュッケ城。
トーマスは顔を上げ、柔らかく笑んだ。
「僕は、今はここが好きなので、他の世界を見るのはまだ先でもいいです」
その答えを聞いて、アップルも微笑した。
「そう……、そうね」
「アップルさんにも、その秘訣を教えてやってくれ、トーマス」
混ぜっ返すシーザーを軽く睨んで、アップルは席を立った。
「どうもお邪魔なようだから、私は退散するわ。じゃあ、トーマス君、ゆっくりしていってね」
「あ、はい、ありがとうございます」
去ってゆくアップルの背中を見送って、シーザーはお茶を啜った。
「実際のところ、どうなんだよ、トーマス?」
「何がですか?」
「お前が城主の仕事に満足してるのは知ってるさ。だけど、そうも言い切れるもんかね。好奇心って欲求は、多かれ少なかれ誰にでもあるモンだと、俺は思うけどね」
「……」
この城にいろんな種族、出身国の住民が雑居するようになってから、トーマスは様々な価値観や文化に直に触れている。
世界はまだ先に続くのだと知っても、永くここに留まるのかと、シーザーは言いたいのだろうか。
「俺は貪欲なタチだから、この戦が終わったら、また次の場所を捜しに行くだろうな」
「……でも、それはいつか、自分の居場所を捜す旅になる筈です。僕はもう、それを見つけているから、ここに居たい。それだけです」
「ふん……」
鼻を鳴らしたシーザーは、それきりこの話題に飽きたらしく、違う話題を話し始めた。
シーザーの元から自分の部屋へと帰る道すがら、トーマスは先刻の会話を思い返していた。
シーザーに告げた言葉に嘘は無い。
……けれど、彼がいった言葉を全て否定することも、トーマスには出来ないかもしれなかった。
若い心の好奇心は、外の世界を知りたがるものだ。
流れるように旅を重ねることはなくても、いつか城の外へ出てみたいと思う時は、くるのかもしれなかった。
ビュッデヒュッケ城を守る、という約束は、いつか破るときが来るのだろうか?
セシルたちと交わしたその約束を、トーマスは父のように破りたくはなかった。
トーマスは目を閉じて息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
そして、自分の部屋へと向かう。
「城主」として、約束を守る為に。