リレー小説 第六回 
「っあ、んああっ、ああ!!」

 埃と淫臭が混ざった陶た空気に、艶声が響く。
 酷使に酷使を続けたその喉はもう声にかすれを混じらせて、限界を訴えていた。声の主も己の下でぐったりと倒れ、時折余韻にビクビクと痙攣させるだけで息も絶え絶えだ。

「ふう」

 己は彼女の上から身を起こしベットの縁へ腰掛ける。モノが抜けた刺激でまたビクビクと彼女は体を揺らすけれど、起きる様子はない。……ちょっとやりすぎただろうか。いや、でも彼女も気持ちよさそうにしてたし問題ないか。途中から意識なかったけど。

「……それにしても、また随分と暴れたものですね。自分の部屋ですから己が言うのも筋違いでしょうが」

 床に脚を下ろそうとして、やめた。差し込んだ月光が照らすこの部屋の惨状を見れば下手に動かない方がいいだろう。
 もともと鏡台や棚くらいしか家具が無くて壁だってコンクリ打ちっぱなしの寂しいと言える部屋だったが、今はそれを飛び越えて廃墟のようだ。ベット以外の家具はミキサーにでもかけたんじゃないかってくらいにバラバラに破壊されて木片やらガラス片やらを床に散らし、壁や天井に至っては馬鹿でかい獣が爪で裂いたように壊れて外が見えていた。
 ちなみにベッドに破片は一つもない。ここだけは死守した。

 ちらりと、背中を向けて横たわる彼女を盗み見る。
 肩にかかる乱れた茶髪にほっそりとしたしなやかでスレンダーな肢体。背はそれなりに高いほう。
 このもろもろの破壊の大半は彼女がやったことだ。
 獣の鉤爪のような力の塊を操り、コンクリートだろうが鋼鉄だろうがブチ破る能力者。 けっこうなレベルの、同業者。

 そして。

 カノンから受けた任務の、最後のターゲット。


 なんとなしに上を向いたら、天井の傷跡から満月が半分顔を出していた。蛍光灯も壊されてるのにやけに明るいと思ったら、今日は満月だったのか。

 太陽にするように、手をかざしてみる。月の明かりじゃ血潮は見えない。ただ顔に影を落とすだけ。

 けれど。そこにきらりと光るものがある。

 左手の薬指に収まる指輪。

 姉が己に託した力。

 姉が己に残した力。

『マイ・フェア・レディ』。

 己が姉から奪った力。

「いよいよだよ、姉さん」

 手を握り締める。掴むように。取り零さないように。今度は離さないように。


「……おっと、こんな夜分に訪ねてくるとは随分礼儀がなっていないお客さんですね」

 ふと感じたいやな気配に意識を集中してみれば、団体様がいらっしゃったらしい。まだ確認していないが、感じる殺気からして10人やそこらだろうか。
 全く、いつぞやの開拓者の街からこっち襲撃者が多すぎてうっとおしいったらありゃしない。たしかにこんな仕事だし恨みや心当たりには事欠かないけど、いくらなんでも多すぎやしないだろうか。7つの企業や無数に蠢く地下組織が総出で手を出してるんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。

「まあ、そんなことあるわけないですけどね」

 脱ぎ捨てた服をベットの外から拾い上げながら苦笑する。
業界でもそれなりに腕の立つほうだという自負はあるけれど、それだけだ。己の命にそこまでの価値はない。
 ただ、頭に引っかかるのがあの手甲だが……どうだろう。多分違うと思うのだが。
そいつがもたらす効果はとりあえず置いといて、諸々の情報隠蔽とかく乱はカノンに依頼した。彼女より情報統制の腕がある人間はそうそういないし、仮にそういう人間が出張って情報を抜き去ったとしてもあくまでそれを得るのは一組織。
 毎回全滅させてるのにこんな頻度の襲撃をひと月以上続けるのは効率が悪いどころじゃないし、どこかおかしい。
 その組織がほかの組織に情報を抜かれまた他の組織がそれを、なんてねずみ算みたいなことも一瞬考えたけどこれもない。そんな簡単に行くならもっと早くこの業界から消えている。

「まったく何なんでしょうね」

 当然疑問に思って返り討ちにしたやつらから情報を引き出そうとしてはいるが、大半は仲介人を何人も通して依頼を受けているらしく肝心の情報は得られない。
カノンにも調査を依頼しているけれど、結果は期待しないほうがいいだろう。パソコンから煙出るくらいキーボード乱打して(片手に付き一つずつ)「まじなんなんだよほんともーさいやくうっわ」とかぶつぶつ呟き目に真っ黒な隈を作るほど手こずるカノンは初めて見た。

「なんにせよ、降りかかる火の粉は払わなければいけません」

 仕上げとばかりに礼服のネクタイをくっとしめ、ぱちぱちと二回手を合わせる。すっかり準備は万端だ。

 もう団体さまが建物の一階辺りについたことをちりつくような感覚と音で確認しながら、ゆっくり鼻で息を吸い込み数秒貯めてゆっくり吐き出す。うん、大丈夫。ちゃんと動ける。

 集中で普段より鮮明に感じる世界の中、革靴で床の破片を踏みつけ向かったのは爪痕が貫通した壁。お行儀良く階段で降りてやる義理はない。文句を言う住人だっていやしないのだ、この廃墟には。

「では、機会があればまた会いましょうお嬢さん」

 割れ目に背を向け倒れこみ身を宙に任せる。眠る彼女へきざったらしい言葉を告げて。

 ひゅうと風を切る音を聞きながら己の体は落ちていく。だいたいさっきの部屋が十階くらい、地面は遠く感じるけれど数秒もしないうちにつく。

 左の薬指に意識を這わす。そこに閉じ込めた力を開く。

 その瞬間、己の体は銃弾すら弾く肉体と音を置き去りにできる身体能力、それを制御し切る認識力を手に入れる。

 マイ・フェア・レディ。

 日に2時間だけ引き出せる、姉さんの残滓。

 鉄腕鋼姫すら落とした身体強化。


 ゆっくり流れる世界で、ふとポケットから光が漏れているのに気がついた。電話のようだ。
 取り出して耳に当てると同時、己は体をひねって態勢を変えしっかり足から着地する。できるだけ音を立てないように優しくしたつもりだが、ふむ、ちょっとアスファルトにめり込んだ。衝撃を殺しきれてない、まだまだ修行不足だな。

「誰だ!」

 音に気づいてか建物の窓から団体様の一人が銃を向けながら身を乗り出す。黒いマスクに暗視ゴーグルと特殊部隊然とした装備をしている。ただいきなり撃ってこない辺り練度は低そうだ。

 さて。いつも通りこの程度の相手なら、片手間でも十分だ。
 放たれた弾丸を片手で払いながら、無音のまま点滅する電話の応答ボタンに指をかけた。


「もしもし岩田です。ちょっとうるさくなりますが、気にせずどうぞ」




「あーネコー? もー出るの遅いよ何回電話かけたと思ってんのさ」

 私室の壁一面を埋め尽くす大小様々なディスプレイに忙しなく目を走らせながら、肩では挟み込んだ電話に文句をつける。
 猫の手も借りたいくらいクッソ忙しいこのときに何度もコールさせられたのだし、これくらいの悪態ついてもいいだろう。今更この程度でこじれる仲でもあるまいし。

「調子ー? この私がキーボード四刀流して壊れる勢いで打ち鳴らしているのが聞こえてるのにそんなこと聞くの? なら答えるよ最悪でーす。もーやんなっちゃうやってらんねーって感じだよ」

 ががががが、と話すあいだも私の手は止まらない。ビールでも飲みながら落ちついて事後報告を聞きたい所だが、ここ最近そんな余裕は一切なくなっていた。

「え? ちゃんと寝てるかって? 肌荒れ? ……関係各所に誤情報流してハッキングしてクラックして情報抜いて誤情報つめてこれ以上あんたの情報漏れないように全力でかく乱しながらあんた襲撃してる元締め探してあんたの現在位置の誤情報もバラバラに撒き散らして罠貼っておまけにあんたが無力化した能力者が安全に暮らせるようデータ改竄やら諸々やらせて、それでいてどれも一筋縄じゃ行かないブラック会社も真っ青な過剰労働やらされたらいくらアタシでも寝てる余裕なくなるっつーの」

 最近の私は自覚できるくらいに余裕がなくなっている。最低限気を使っていたりした美容のためのあれこれもぶん投げて、とても人前に出れる様相ではない。
 前ネコが来た時だって濃い隈作って髪はボサボサ、肌だって不健康まっしぐらな白さにケアもしていないから荒れ放題。でも会って五分もしないうちに頭抑えてふらつきながら出てったネコはいくらなんでも失礼だと思う。

「っと、愚痴より言わなきゃならないことがあったんだ」

 そうだ、そのために電話したのだ。とっとと本題に入ってしまおう。

「ちょっと残念なお知らせ。さんざん暴れたツケなのかついに私のとこにハッキングが来てさ、アタシより格下だったんだけど油断してたのかな、軽く情報抜かれたみたいでね――ああ、心配しなくても絶対に知られちゃいけないものは別の場所においてるから致命傷にはならないよ。そこは安心していい」

 そういうものはスタンドアローンのものに保存している。それ以外の情報だって取られれば当然痛手だけれど。

「で、まだ被害確認終わったわけじゃないんだけどねー、どうやら抜かれたもんの一部にネコの今の居場所があったみたいでさ、帰り道襲撃される可能性大だから気をつけて――ああ、うん。そう言ってくれると気が楽だよ。悪いね、手間増やしちゃって」

 気にするなという電話の声に苦笑する。確かに今更一件襲撃が増えたところで大したことじゃない、と思ってしまう辺り中々感覚が麻痺している。

「まあ、私からの報告はそれだけかなー。因みにそっちの調子はどんなもん? あ、もう終わった? ふーん……そっか、じゃあもう任務も残り二つだね。いやー案外やってやれるも――え? 残りも全部片付けた?」

 ぴしりと、打鍵する手が止まった。いや、きっとその一瞬は心臓も止まっていた。

「え、ちょっと何言って――近いから一気に片付けた? ば、何やってんの!? 事前情報もなしに行くとか危険なんてもんじゃ――は? 別口から聞き出した? なんで!? 私に一言言えば――忙しそうだったから!? あんた私をなめてんの!? 情報くらい用意してるんだから渡すだけなのに――な、気にするなって、気にするに決まってんでしょこの馬鹿! ちょ、今あんたどこにいるの!? ――秘密ってふざけるな! 質問に答えて! 違ういつ帰るかなんて聞いてないの! とにかく居場所を――待て切るな!!」

 私の呼びかけに答えず電話からは通話終了を告げる電子音。すぐにかけ直すけど繋がらない。同時にGPSや緊急用の発信機も使ってみるけど反応なし。……あいつ、全部壊しやがったな。

「あのヤロー……」

 ぐったりと、脱力して座っていた椅子に身を預けてなんと何しに天井を見上げる。

「いつの間に動いてたんだよ……私に黙って……」

 サプライズとでも言うつもりかよ。こっちにだって準備があるのに……。

「まあ、いいや……早いとこ、次のターゲットの情報を……」

 片腕で目元を抑えながら、キーボードに手を伸ばす。たたたた、と軽快に走らせたタイピングは、けれどすぐに勢いを落としてとろくさくなり、終いには止まってしまった。

……そりゃそうだ。だって。もうターゲットは残っていないのだから。

「は、っははは」

 乾いた笑いが、一人きりの部屋に響く。

 そっか。もう終わっちゃったのか。……終わらせてしまったのか、あいつは。
 
 くっそー……絶対どっかで諦めると思ったんだけどなー。完全に予想外だ、どんだけおねえちゃんラブなんだよ、ちっくしょう。

「はは、は」

 もう笑いしか出てこねー。あーあ――


「ああぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 もう、だめだ。


「ふざけんな! っふざけんなぁ!! どんだけあの女に執着持ってんだ! もう何年前の話だよ!! ざけてんじゃねえぞ!!」

「あんなクソ女いつまで追いかけるつもりだ! いい加減目ぇさませよバカ野郎が!! これだけ女囲ってまだダメか!? まだ釣り合わねえってのか!? 目玉付いてんのかあいつにそこまでするような価値ねえだろうが!!」

「あああぁぁああああ!!! 何なんだ!? 何すりゃいいんだよ!? どうすりゃよかったんだ!? 全部やった!! なんでもやった!! あの最低女より何から何まで全部が全部私のほうが上のはずだ!! なのになんで――――!!」


 しんと静まる部屋に、はあ、はあ、と荒い呼吸を聞きながら、脱力してうなだれる。溜まりに溜まったフラストレーションを吐き出した反動か、ぼうっとして何も考えられない。

 すとん、と椅子に腰を下ろした。座ってから、いつの間に私は立っていたんだろうと思ったが、どうでもいいことだ。

 全身を背もたれに投げ出した。もう気力がない。すべてを投げ出したい。もう全てがどうでも――

「って、ストップストップ。あー違うこれは『カノン』のキャラじゃないって」

 天井を呆然と眺めながら、口だけ動かして呟く。

「……『カノン』はもっと飄々としてて、裏で色々策を巡らせながらニヤニヤして眺めるような人。癇癪起こしたり無気力になったりなんて縁遠い人。」

 あの女なんかとは……ちがう。そう、違うんだ。

「…………よし、落ち着いた」

 ぱちぱちと瞬き二回。コキコキと首を鳴らして背伸びして――手が動かないのに気がついた。

「……あー、やっちゃった」

 見てみれば、無意識に打ち付けていたのか手が真っ赤に染まり指がいくつも変な方向に向いていた。食い込んでる白いものは何かの破片だろうか。キーーボードが残らず大破して真っ赤に染まっているし、それだろう。あ、骨も見えてる。

「…………」

 無言でそれを眺めながら、思考する。

 あいつは姉につながる情報の対価である多数のターゲットの無力化を完遂した。私が不可能だと判断したメンツに関わらず、全員の無力化を達成した。

 いくらあいつでも絶対途中で失敗すると思っていた。諦めると思っていた。むしろそれを想定して作られた任務だった。
 
 いっそ失敗して欲しかった。諦めて欲しかった。私はそれを願っていた。

 でもあいつはやり遂げた。

「……ほんと、ありえない執念だよ」

 この任務は私にとって賭けだった。あいつが姉のためにどこまで出来るのか。何を出来るのか。それを見届けるものだった。

 諦めてくれれば良かったのに。そうしたらこんなことしなくて済んだのに。

「……馬鹿シスコン」

 椅子から腰を上げて、吐き捨てる。その言葉に決別の思いをのせながら。

 予備の電話を棚から取り出して、カチカチと操作する。手はさっきの壊れようが嘘のように、再生している。
 む、ちょっと手の動きが悪い。再生し損なった――わけじゃない。破片を巻き込んでるんだ。まあ、問題ないか。どうせすぐいじる事になるんだから。

 電話をいじりながら、ドアを開ける。

 もう、私はこの部屋に戻ることはないだろう。思い残すことがない訳がない。でも、あいつに任務のことを話した時からこうすることは決めていた。

 もしあいつが任務を達成したなら。もし私が賭けに負けたなら。

 こうすることは決めていた。

「……じゃあね、ネコ。愛してたよ」

 だから、私は。


 電話を耳に当て、ドアを閉める。

「おい、計画変更だ。今すぐ準備しろ」



「…………?」

 街の雰囲気がおかしい、と気づいたのはバー『フォルテッシモ』に向かう道中でのことだった。
 今の時間は日が傾き始め夕焼けが見え始めた頃。娼館が立ち並ぶこのあたりではこれから本格的に街が動き出す時間だというのに、やけに人通りが少なかった。

 いつもなら声をかけてくる娼婦も、『フォルテッシモ』で顔なじみの酔っぱらいも見当たらない。
 目に付くのは顔を伏せながら剣呑な空気を漂わせる、怪しげなカタギではない男たち。まあこの街にカタギの人間なんて数える程もいないだろうが。

 うーん……己がいないあいだに何かあったのだろうか。

 道行く人に訪ねようにも辺りはこの有様だ。さっき自宅の方に顔を出したとき誰かいれば何か聞けたのかもしれないが、みんなもう仕事に向かっていたようで、『フォルテッシモ』に行ってきます、と今日の日付の入った書置きしかなかった。
 まあもう五分としないうちに『フォルテッシモ』に着くのだし、そこで聞けば済む話ではあるのだけれど。

 多分、己への襲撃だろうな、とあたりを付ける。

 この肌がちりちりと焼け付くような感覚は、もう慣れ親しんだ人殺しの感覚だ。
 殺意のような害意のような、気持ちの悪い感覚がこの街の空気に混じっている。

 ここ最近日に一回は襲撃を受けている己だし、またか、と言えばそれで終わってしまうのだが……それでも、今までこの街で襲撃を受けた事は一度もなかったのだ。
 己の拠点の場所はカノンがかく乱のおかげで、並大抵の腕じゃ分からないようになっているはずなのだけれど……並大抵の腕じゃないやつの仕業なのか。
 それとも、また別のものなのか。

 何はともあれ、早く『フォルテッシモ』に行ったほうがいい。そこならアリスたちもいるだろうし、一息つける。敵もまさかマスターの店に手を出すほど焼きが回ってもいないだろうし――

 そう結論を出して、僅かに足を早めた時だった。

 ――日々の襲撃のせいで過敏になっていた感覚に、鋭い殺意が突き刺さる。

 反射的ににマイ・フェア・レディを展開、殺意の来た方向を振り返って確認すれば額に向かって飛来する口紅のような真っ赤な弾丸。
 普通のライフルなんかとは比べ物にならない、マイ・フェア・レディでも油断できないそのスピードに驚愕しながら、己はもう頭部から十センチもないその弾丸に右手を伸ばす。
 迫ってくる弾丸を優しく優しく、できるだけ勢いを削がないように握り締め片足を軸に一回転。
 先に顔をやって狙撃手を視認。弾の来た方向、1キロは離れたビルにそれらしい影。行ける。
 狙いをつけた場所へ、勢いを保ったまま受け流した銃弾を放つ。
 スピードは多少減ってしまったようだけれど、それでも十分普通のライフル以上に早い。
 放った弾丸は己の想定したコースをぴったり進み、1秒と経たないうちに狙撃手の元に舞い戻った。

「…………ふぅ」

 己はそのままの姿勢で数秒警戒。第二波が来ないのを確認すると、ようやく力を抜いて息を吐いた。

「……仕留められなかった、か」

 狙撃手の脳天を狙って投げ返した弾は、流石に寸分違わずとは行かず軌道をずらして腕に当たった。当然口紅じみたサイズの銃弾が当たった腕は千切飛んだが、即死は望めない。
 もうすでに狙撃手の姿は見えない。銃を捨て置いて、逃げたようだ。

「………」

 ブルブルと震える右手を見つめる。
 あと0.1秒でも気づくのが遅れていたら、いくらマイ・フェア・レディとはいえ無事では済まなかったかもしれない。
 その証拠に、本来ライフル弾程度じゃ痛みはあっても傷一つつかないはずの手のひらが、弾の衝撃に負けて僅かに抉れていた。

「これは、ちょっとシャレにならないことが起きてるかもしれませんね」

 とにかく、早く『フォルテッシモ』へ。
 マイフェアレディを展開し、駆ける。元々距離はほとんどない。数秒もせず、見慣れた外観にたどり着いた。

 能力だけ解いて、そのまま勢いよくドアを開ける。軽快に鳴るドアベルを無視してカウンターに佇むマスターへ一目散に駆け寄った。
 店内に他に人はいなかった。いつもこの時間なら混んではいなくとも数人の客が入っているのだが。やはり街になにか起こっているのか。

「よぉ、ロックか。その様子じゃ、もう街の事は気づいてるみたいだな」

 慌てて入ってきた己にマスターは拭いていたグラスから目を外し、こちらに向けた。マスターにいつもと違う様子はない。

「ダンテさん、己のいない間に何かあったんですか?」

「ああ、まあ色々とな。それよりロック、話ならしてやるから一回座って落ち着け」

 確かに立ち呆けている理由はない。己は素直にカウンター席に腰掛けた。

「ほら、サービスだ。今日はどうせ客も来ないだろうしな」

 そうして差し出されたのは琥珀色の液体に丸い氷を浮かべたいつもの酒だった。
ありがとうございます、と受け取るが、まだ口を付けなかった。

「ダンテさん。話を聞かせてもらって良いですか?」

「ああ、構わない。まず何が聞きたい?」

「ではまず、アリスたちはどこに行ったのか知っていますか?」

 バーの中にはマスターを除いて人がいない。客がいないならまだしも、働いているはずのアリスたちがいないのは何故なのか。

「さあな。昨日はいつも通り店を閉めるまで働いてもらって、そこからはわからん。俺は今日ずっと店にいたが、嬢ちゃんたちは見かけなかったぞ」

「店に来てない……ですか?」

「ああ」

 どういうことだ? と思考を回す。置き手紙には確かに『フォルテッシモ』に行ってきますと書いてあった。筆跡を思い返すにあれは確かにマリアの文字だったし、部屋に荒らされた形跡もなかった。
 となると彼女たちはいつものように店に行こうとして、道中トラブルが起きた、と考えるべきだ。

 ならばそれはいつだ。書置きには日付があったし、あれは今日書かれたものと考えていいだろう。いつも彼女たちが『フォルテッシモ』に向かう時間から考えて、おおよそ三時間は立っているか?
 己の関係者として襲撃された、という可能性が高いだろうか。しかし、このご時世でこんな職業の己の近くに置いてるのだ。しっかり武器も渡してあるしアリスは死霊としての力も使える。さらに三人はこの店で働いているおかげか街の人々に気に入られていて、誰かに襲われ悲鳴でも上げれば聴いた誰かが助けに入ってくれるか、ダンテさんに話すだろう。

 そこらの連中相手ならアリスたちは独力で撃退できるし、勝てないような相手であれば時間稼ぎをするうちに援軍が期待できる。
 今のようにマスターが何も知らないという状態が示すのは、おかしい街の状態が影響して襲撃を受け時間稼ぎをしても助けが来なかったか。又は時間稼ぎをする間もなく沈黙させられる程の実力者の襲撃にあったか。そして、考えたくない可能性が……もう一つ。


「分かりました。では次に、街の様子がおかしいことについて、何か知っていますか?」

「……何でもどデカい騒ぎが起こるみたいでな。古今東西、企業の連中から反企業の地下組織、カルトな武装宗教団体までいたる所の色んな組織が兵を出して一斉襲撃をかけるらしい。当然そんなことになったらこの街は戦場になっちまうし、街の奴らはさっさと逃げちまって今やいるのは兵隊連中とフリーの殺し屋、噂を嗅ぎつけておこぼれを狙うチンピラぐらい。それがこの街の現状だ。全く、営業妨害も甚だしい」

 じろり、と睨むマスターに苦笑い。……思っていた以上にスケールのでかい問題らしい。どうしてこうなった。

「えーと……ダンテさんの読みでは、やっぱりターゲットは己ですか」

「それ以外ないだろう。世界中から狙われそうな奴なんて、この街じゃお前くらいだ」

「やっぱりそうですか……」

 予想してたといえやっぱり凹む。さすがにこの規模の襲撃は経験がない。
 でも、何でまたこんな事になっているんだろう。散々暴れまわって敵も少なくないのは理解しているが、街一つ巻き込む規模で狙われる程ではないだろうに。
 しかし実際問題こんな事が起きているということは――目的は己ではなく。

「こいつのせい、か」

 右手を見やる。そこには装飾も指輪もないけれど、己は確かな存在感を感じていた。
 鉄腕鋼姫が持っていた時とは違い己が望んだ時しか現れないこいつは、使わなければ目立つことはないしカノンのかく乱もあって狙われることはないと思っていたのだけれど……。
 いや、そもそもこんなもの狙ったって何になるのだろう。確かに一時は一国を支えていたトンデモ装備だと思っていたが、実際持ってみればなんて事はない。ただの能力補助具だ。確かに色々と応用できるものもあるけれど、大したものには思えない。

 こいつが無くなって国が滅びたとは聞いたが、きっと真相は国の首脳部がこいつを偶像として崇拝し、精神的な支柱としていただけなのだろう。そして急になくなって、動揺したところを敵国にズドン、と行ったところか。
 俺は鉄腕鋼姫に絶対勝てない、なんてマスターは言っていたが、それも眉唾だ。実際己はギリギリとは言え勝てただし、この人ならば余裕だろうに。

「いや、実際そいつはとんでもないぞネコ。俺は確かにあの時の鉄腕鋼姫には勝てる気がしないし、今所有してるお前にも勝てる気がしない」

 しかし、マスターは真剣な顔でそう告げる。嘘を言っているようには見えないしつく必要もないのだけれど、実際持っている己には正直信じられない。むしろ持てるだけの能力をフルで使ってもマスターに勝てる気がしない。

「まあ、実際持っているお前だからこそ気づかないのだと思うぞ。そいつの本当の力って物はさ」

「本当の力、ですか」

 マスターは真剣に言うけれど、ふむ、全然思い当たらない。

「まあ、そんなわけで外の連中はお前の右手を狙ってるみたいだぞ。聞いた話じゃそいつの性能は大分誇張されていたが、概ね間違ってない。かなり腕の立つ情報能力者が裏にいるかもな」

「……情報能力者、ね」

 恐らく、己の情報はかなり出回っているのだろう。これは中々大変かもしれない。

「では、あと二つだけ質問です」

「ああ。どうせ俺は今日用事はない。好きなだけ聞け」

 とくとくと、グラスを出して自分用の酒を次ぐマスターに感謝の念を感じながら、己は確認にも似た質問を告げる。

「カノンは今いますか」

「いいや。何日か前に出てったきりだ」

「真っ赤な銃弾に心覚えはありますか? あったなら、それを売りましたか?」

「銃弾はお前のイヤリングと同じ、お前の右手からカノンが作った能力妨害効果及び威力増加効果付き対能力者用ライフル弾『ルージュ』。当たったら俺でも骨折くらいするヤバイ物だが、まだ試作段階で作ったのは3発だけ。量産できるわけでもないし俺もカノンもどこに出してない。在庫はカノンが保管してた」

「……なるほど、分かりました」

 それだけ聞ければ十分だ。
 氷が溶け始めたグラスを持って、一息に飲み干す。ゆっくり味わいたいところだけれど、そんな時間もなさそうだ。

「おっと、そういや今朝ドアにこんなモノがぶら下がってたんだ。ほらよ」

 席を立とうとしたところで、マスターがやけに膨らんだ便箋を放ってきた。片手で受け取り確認すれば宛名に己の名前が書いてある。封を破れば、中には携帯電話が一つだけ。

「…………」

 無言で電源をつけると、数秒もしないうちに画面が光り一通のメールを受信した。
 開いてみて、苦笑する。随分といやらしい真似をしてくれるじゃないか。

「脅迫状もメールで送る時代なんですね」

『岩田 音子様へ。あなた様のご家族一同は私が誘拐させていただきました。現状拘束するだけで危害を加える意思はありませんが、こちらの要求を飲まない場合ご家族一同を射殺します。要求は三つ。
 一つ、メール受信から二時間後指定の場所まで来ること。
 二つ、右手を持ってくること。
 三つ、一人で来ること。
以上の条件をお守りしていただけない、又は指定した時間より早く来る、遅れて来る場合。即刻射殺致しますので、ご注意下さい。
 指定箇所についてはメール受信より三分後受信する地図を参照してください。
 では、お会いできるのを楽しみに待っています。

PS.信じていただけない場合を考慮し、地図と共にご家族様の写真を同封します』


 読み終わったと同時、ピロリン、という気の抜けた受信音と一緒にメールを受信する。そこには宣言通り赤い点がマークされたこの街の地図と、一枚の画像。
 廃墟の一室のようなところで手足を縛られ目隠しをされたアリス、マリア、ルシエル、 そしてカノン。
 四人の頭上にはくず鉄のような、丸い金属が不自然に浮いていた。

「………」

 己は無言で携帯電話を閉じ、ポケットにしまうと席を立った。

 ドアに手をかけ、振り向かずに口を開く。

「ごちそうさまでした、ダンテさん。では、行ってきます」

「おう。早く行ってこのバカ騒ぎ終わらせてこい」

 マスターも何でも無いと言うように、いつものように答えてくれた。

 外に出れば相変わらず不自然に人気のない街。それでも隠しきれない害意が街の空気ににじみ出ている。

 ふと、ポケットで振動が。脅迫状の続きかと思いきや、震えたのは己の携帯電話だった。
 非通知表記のそれをそのまま耳に当てれば、聞こえたのはよく知る彼女の必死な声。

「おや、カノンですか。どうしました?」

『良し通じた! お願い、助けて! 急に連れ去られて監禁されたんだけど、なんとか私だけでも逃げ出してきたの! 場所はスターライトスタジアム! 早く来』

「ダウト」

『……は? 何い』

「あなたはカノンじゃない。カノンなら己に弱みを見せる、助けを求める電話なんてしてきません。かけるとしたら、ダンテさんにです。あの人己はともかく身内はしっかり助けますから」

『……いや! こっちは緊急で――』

「くどい。さっさと要件行ってください切りますよ」

『……ちっ』

 そう舌打ちが聞こえた直後、ノイズのような音が走りカノンの声が男の声に変化する。

『おいおい……相手が今一番聞きたい声に聞こえる、っていうこの状況じゃ自慢の能力だったはずなんだけどねえ。お兄さん、本当に気づいてたのかブラフだったのか、それだけ教えてくれないかい?』

「要件を言わないと切る、といったはずですが」

『おいおいつれないねえ。まあいいさ、要件はシンプルに一つ。右手持ってスターライトスタジアムに来な。さもなけりゃ嬢ちゃんたちがどうなるかはわからんぜ?』 

「分かりました。因みに、三人の様子はどうなってますか?」

『んん? 今は無事だが……さぁてねぇ。ただ、三人ともうまそうだなあ。早めに来ないと我慢しきれず襲っちまうかもなあ!』

「ふむ。分かりました、では」

 まだ何か言っているようだったけれど、構わず通話を切った。待ち伏せしてくれるのであればちょうどいい。
 さて。スターライトスタジアム、ですか。能力全開で、ちょっと寄り道して五分もかかりませんね。

 マイフェアレディを展開。今、両手の指にはこの能力しか残ってない。けれど、楽勝だ。

 なんたってあの姉さんが残してくれた力なんだから。

「時間もありませんし、とっとと前座にはご退場願いましょうか」

 3発の飛んできた銃弾を受け流して投げ返し、それをスタート合図に己は駆け出した。




「ただいまー」

「……戻ったか」

 カーテンは締め切られて電灯も付けられてない明かりのない部屋の中、子供みたいな声でドアを開けたのは、アリスよりも背の低い子供のような女の子。
フリフリのいっぱい付いたかわいいドレスを着て、腰まで黒髪を伸ばした、お人形みたいな子。あと、背よりも布に包まれた長い棒みたいなものを担いでる。なんだろうあれ。
 あ、あと片腕がないみたい。二の腕のあたりから洋服ごと吹き飛んだみたいに無くなってる。可愛いのに、もったいない。

「その腕、やられたのか?」

 部屋の中にいた人がたずねる。この人の姿はぼんやりしていてよく見えないし、声も聞こえづらい。この人が私たちを拐ったのかな。なんでだろう、よく覚えていないや。

「うん。もらった弾で撃ってみたんだけどね、やっぱり気づかれて反撃されちゃった。でも銃弾投げ返すなんて、あの人本当に人間なの? びっくりしすぎて避け損なっちゃった。あれも右手の力なの?」

 無い片腕をひらひら振って、なんでも無いように振舞う女の子。あれ? 生きてる人って腕とかあんなふうになったらもっと取り乱すと思うんだけど……どうしてだろう? 私みたいに死んでるのかな?

「いいや、あれにそんな力はないよ。投げ返したのは私もびっくりだけど、それは音子自身の力さ。いや、姉の力かな?」

「ふうん……ならやっぱりかなり上位の身体強化能力なんだね、まともにやったら勝てないかも」

「それでも弱点が無い訳じゃない。オリジナルならまだしも、むしろあれは欠陥だらけさ。どうとでも出来る」

「例えば?」

 会話をしながら、女の子はするすると服を脱いでいく。お洋服が破れちゃったから着替えているんだね。あ、下着も可愛い。

「まず音子自体能力を展開できるのが一日二時間限定ということ。それも一度展開してから二時間だ。それを過ぎれば能力奪取はともかく、奪った能力は使えなくなる。連続戦闘に適してないんだよ、あいつは」

「だから、今みたいに能力を発動させてから有象無象に相手をさせて、二時間後に本命の私たちが決めるってわけ?」

「そういうことだ。まあ、有象無象のやつらにはこの事は話していないし、あくまでガチンコ勝負をするように誘導している。約束の時間までにはここに来れるように調整も、な」

「用意周到だねー、これだから女の嫉妬って怖い」

 そう言いながら、女の子はちぎれた腕の肩口を持ちぐにぐに触ると、カチャリと音が鳴り肩が取れちゃった。へえ、付け替え式の体なんてあるんだ。色んなおしゃれができて便利そう!

「……そんなんじゃない。大体サイレントストーカーのサイボーグに言われたくない」

「私は嫉妬なんてしないもの。愛した人はみんな私一筋だしね」

「そりゃ死んでいるんだから拒みようもないだろうな。私もおかしい方だという自覚はあるが、ネクロフィリアだけはよく分からない」

「分かってもらわなくて結構よ」

 取り外した腕を置いて、近くにあった銀色のアタッシュケースから人間の腕を取り出す女の子。あれを付けるんだね。アリスが見ても人間の腕にしか見えないってことは、見せかけじゃなく本物の肉を使ってるのかな。すごいなあ。

「……それと、これは能力の欠陥というより個人の欠陥なんだがな。音子はちょっとした事をすると能力が使えなくなるんだよ。正確に言えばそれどころじゃない程の精神的苦痛が起こるんだ」

「へえ、弱点があるのね――あんな化物にも」

 化物。女の子が何でも無いように、多分侮蔑の意味もなくそう言った瞬間――女の子は、殴られて床に転がっていた。さっきまで座っていたよくわからない人がそばに立っている。殴ったのはこの人かな? 

「……ッ、いきなり何するの」

「化物だと? ふざけるなよ。音子の侮辱は許さんぞ」

 まだ腕もついていない下着姿で転がる女の子を、よくわからない人は踏みつける。思わず息を吐き出す女の子に構わずに、ガツガツと、何度も。

「許さない、許さない。私が、音子は私が守るの。私が守らないといけないの。おとちゃんは泣き虫だから、私が、私が」

「ちょ、やめて! やめなさい! 分かった、訂正する! 訂正するから! 岩田音子は化物じゃない!」

 女の子が言った瞬間、踏みつける音は止んだみたい。あの女の子の泣きそうな声可愛かったのに。残念。

「……済まない。冷静じゃなかった」

「ほんとよ……うわあ、下着まで汚れちゃったじゃない」

 女の子は何でも無いように立って、片方しかない腕で体についた誇りをほろっている。あ、長い棒を足に挟んでる。そういえば床に転がった時も放さなかったな。よっぽど大事なんだね。

「もう、いい加減その暴走グセ何とかしてよ。今は『シエスタ』でしょ、あなた」

「ああ……本当にな。申し訳ない。気を付けよう」

「今不安定なんだってのは分かるけどさ、もうちょっと控えてくれないと私も持たないよ。予備のパーツだって、もうこれだけしかないんだからさ」

 女の子は落としちゃった腕を拾って、ようやく肩に取り付けた。手を開いたり指を動かしたりして、うん良好、とか言ってる。可愛い。
 よくわからない人の方はさっき座っていたところまで戻って、何かブツブツ呟いている。なんだろう、キャラがどうとか言っていた。

「そういえば、シエスタ。今音子の方はどうなっているの? シエスタ?」

「……ん? ああ、何? 音子? ちょっと待て、今映像を出す」

 よく分からない人が何やら機会を操作したのか、壁がパッと光り言った通り映像が写った。プロジェクターがどこかにあったみたい。

「……すごい」

「……ああ」

 そこに写っていたのは愛しのおにーさまだった。二人が呆然とした声を出すのも納得なくらい、人間とは思えない動きで敵をなぎ払う血みどろで素敵なおにーさま。

「……これ、襲撃者全員集めてるんだよね? 二時間もかからないんじゃない? 大丈夫?」

「……いや、恐らく大丈夫だとは思うが……一応、予備の連中も用意しているし……あ、ダメだ今腕ちぎられたの予備の連中だもう突入してる」

 鬼のようにという言葉をそのまま表したように、何千人じゃ効かない人の海を荒々しく暴れまわるおにーさま。敵を振り回して敵を蹴散らし、使えなくなったら投げつけてまた 次の敵へ。ああ、おにーさま素敵。アリスきゅんきゅん来ちゃう。

「……これも右手の力だったりするの?」

「……いや、関係ない。そもそもあいつ手甲出してすらいないぞ。……あと三十分持つか……? 音子の力を過小評価しすぎていたな。身体強化だけでこれだけやるとは」

「会うのが怖くなってきたわ……」

 女の子が肩を落としながら、近くにあったバックから服を取り出して着替えはじめる。これもフリフリのついたドレスで、広がった袖口や前を閉めるいくつも交差するの紐。スカートに付けられたリボンがキュート。低い身長も合わさって、本当にお人形さんみたい。可愛いなあ。

「ねえ。私あの右手のこと詳しく教えてもらっていないんだけど、どういうものか聞いていい? 戦闘面では力が少し上がる程度とは言われてるけれど、それだけじゃないんでしょう?」

「ん? 確かに言っていなかったな。別に構わんぞ」

 よく分からない人はぽい、と携帯端末みたいなものを女の子に放った。

「それに詳細データが入っているから見ながら聞け。あれはシンプルに言うなら――広範囲洗脳装置だ」

「……洗脳装置?」

「あれは科学技術とは別のモノで出来ているようだから装置というのは語弊があるかもしれんがな。多少抽象的になるが、神の舞台装置という言い方が私的にはしっくりくる」

「よくわからないけど……現実的な効果は?」

「範囲内に存在する生物の指向的意識誘導、及び思考改変。どういう風に誘導されたり改変させられるかは所有者の思想に強く影響されるようだ。まあ、分かりやすく言うと範囲に入ったもの、とりわけ戦闘など所有者が強く意識した者は所有者に都合の良いよう意識を変えられる。無意識のうちに、な。私の知る限り最強の身体強化能力者、ダンテが勝てないと言ったのはこれのせいだな」

「………」

「前所有者マシュリー・アルセディヤを例に出すと分かり易い。あの正義の使者は街の人間に愛され、街の人間は彼女の正義に似た思想を持っていた。ただの人間が病院に突入した音子に逃げずに立ち向かう程にな。こんな時代でしかもあれだけ悪党に襲撃される街だぞ。ただの人間がそんな意思を持っているのは異常だ」

「それは……いつも助けてくれた彼女を助けるため、とか」

「無いな。ただの人間がこの腐った世界で、何の影響も無しに自身を顧みない正義の心を持つなんてありえない」

「………」

「悪党でさえ、撃破された後は大人しく監獄に入っていたんだ。驚くことにあんな杜撰なセキュリティで脱獄者はほぼいない。街の人間の影響は別の理由を付けられても、こっちはどうとも説明できないだろう」

「……あ、でも売春をやらせていた孤児院があったみたいじゃない。そこはどうなの?」

「前提としてマシュリー・アルセディヤはその事実を知らなかったから、売春が悪だという影響は伝わっていなかった。そして孤児院の園長もそれを食い扶持を稼ぐための正当な手段として認識していた。大体売春が悪だとされたのは宗教が性に厳しくそれが広まったからだ。肯定するわけでも無いが、体を売ること自体は悪では無いんだよ。孤児の方も嫌がってはいたがそれを悪いことだとは認識していなかった。それに園長は確かに稼いではいたが、本来のたれ死んでいた孤児をちゃんと食わせていただろう。それは善人の行動と言えないか?」

「………」

「確かに女を、それも子供を道具みたいに扱うクズはぶち殺してやりたくなるが、それを生きる術としているのなら、私は悪い事とは思わない。だってやらなきゃ死ぬんだから」

「……そう。」

「前々所有者……と言っていいのか分からないが、マシュリー・アルセディヤの故郷もやはり右手に影響されていたようだ。その国はこの時代でさえ国を維持できる程治安も良かったし国内のまとまりが強かったようだしな」

「………」

「影響の証明として、マシュリー・アルセディヤが右手を持ち出した時期に治安が悪化、隣国……国というほどの団結はない集団だったが、そいつらにいとも容易く滅ぼされた。私の印象では内部崩壊に横槍を入れたら滅ぼせてしまった、というものだがな」

「……所有者の都合のいいように意識を塗り替える、洗脳装置、ね」

「うまく使えばこの世の楽園も作れるし、富を独占する地獄も作れる。今までは鉄腕鋼姫のせいで欲しくても手に入らなかったけれど、それを奪えた者がいる。なら、今度はあなたが奪えばいい――そう情報を流してやれば、どこも簡単に食いついた。まったく、強欲だなクズどもは」

「今までの話が本当なら、万が一にでも外の連中に奪われちゃったら、大変なことになるんじゃないの?」

「それはない。音子は手甲を出現させてないから影響は薄いだろうけど、洗脳装置の効果もあって敵は心が折れやすくなってるし、第一右手を持つには条件がある。それをクリアしないと例え音子を倒したとしても右手は奪えない」

「条件、ね。その条件って?」

「プラス方向の思想を持っていること。正義だとか、弱者を守りたいだとかの善にカテゴライズされる思考を持っていること。それが条件だ」

「……なによ、それ」

「呆れるくらいに都合がいいだろう? だから神の舞台装置だ。 ふふ、資格が無くて残念か? 元々持ち逃げなんてさせる気ないぞ」

「そんな気はないわよ。あんな得体の知れないもの身につけるなんて吐き気がする」

「……ふ。まあ概ね同意見だ。どっちにしろ逆立ちしたって私たちは条件をクリアできんよ。私たちの目的は、どう考えても悪のカテゴリーだ」

「そんな気無いって言っているでしょ。それよりも、ならどうして岩田音子はあれを持てているの? 私には、あれはどう見ても善人には見えないのだけれど」

「そうか? 確かに善人ではないが、私には資格十分に見えるがな。……本当に腹立たしいことにな」

「落ち着いて。もうあんまり時間ないんだから暴れないでちょうだい」

「……大丈夫さ。それで、音子が右手を持てている理由だがな。笑うなよ?」

「笑わないわよ。早く言って」

 ためを作るように、よくわからない人は息を吸った。

「――あいつの頭が、姉への愛で満ちているからさ」

「……確かに愛はプラスの思想、ね。……ぶふっ」

「あ、ちょ笑うな!笑わないって言っただろう!」

「ぶはっ! だ、だってあなたが真剣な顔して愛って! し、しかも姉への愛って! あはははは!! 自意識過剰にも程があるわよ! あははは!」

「いいだろうが私が愛くらい言ったって! そして自意識過剰じゃない! ちゃんと調べたもん! いいでしょうだっておとちゃん私のこと大好きなんだもん! 大体もう二十のくせしてそんな格好してる人に笑われたくない!!」

「はあ!? 年は関係ないでしょうが良いでしょうこの格好好きなんだし似合ってるんだし!!」

「自分で似合ってるとか言っちゃうところがもうダメなのよこのゴスロリナルシスト!!」

「黙りなさい自意識過剰ブラコンストーカーが!!」

「ストーカーはあなたもでしょ!!」


 さっきまでのシリアスはどこへやら、よくわからない人と女の子はぎゃーぎゃー騒いで取っ組み合ってる。……何と言うか、これでいいのかな。もっと真剣な場面な気がするんだけど。

 ……まあいっか! それよりお兄様の映像を見ていよう。ああ、かっこいいなお兄様。きっともうすぐだよね。早く来てくれないかなぁ、楽しみだなあ。



「……ここ、か」

 バーで受け取った携帯電話を開いて地図を見る。赤くマークされたポイントと、現在位置を示すポイントは重なっていた。

 そこは打ち捨てられたビルだった。コンクリートむき出しの外観に、見える窓のほとんどが割れている。目測で二十階建て。辺りにも同じような打ち捨てられたビルはあるけれど、頭一つ抜けている。

 ここは己の住む街の外れに位置する場所。己の住む家がある歓楽街や今まで死闘を演じていたスターライトスタジアムのある中央エリアとは違い、開発に失敗し建物だけが残された街のふきだまり。栄光を夢見て失敗した成れの果て。
 けれど、こんなふきだまりでもそこを好む人たちがいる。こんなくそったれた世界でもより日陰に集う人たちがいる。集まざるを得ない人たちがいる。
 この時代戸籍なんてごく一部の人間しか持っていないし正確な人口なんて測れないけれど、恐らくこの街の人口の半分はこの区画にいるのではないだろうか。普段はそれほど人間でごった返している。
 けれど、今は場所を間違えたのではないかと思うほど人気というものがない。家替わりのダンボールや暖を取るためのドラム缶、転がっていく缶詰の空。つい先日まで人が生きていた痕跡はありふれているのに、人影だけは忘れてきたように見当たらない。
 こうなった理由は分かっているのに、どうしてか、己には何かの象徴的に見えた。

「……感傷に浸っている場合じゃありません」

 そうだ。指定の時刻まであと五分もない、これで屋上に来いと言われたら身体強化の切れた今の己では間に合わないかもしれない。早く動いたほうがいいだろう。

「メールにも地図にも階数は書いてなかったですし、きっと中に何か……っと、これですか」

 調子のおかしい右足をかばいながら、入口に入る。すると天井から紐で吊るされた一枚の紙があった。

「罠は……なさそうですね」

 ちょうど頭くらいにあるそれをちぎり取ると、印刷された文字を見た。書いてあるのは14階に来いという文章だけ。やれやれ、疲れているのだからもうちょっと低い階にするとか、そういう配慮が足りないですね。

「まあ、ジョークですが」

 コツコツと靴音を響かせて己は階段を上がっていく。罠なんかを注意していたけれどそういうものは見当たらなかった。シンプルに己の命をとる目的では無いのかな。

 階段を上りながら、意識を右手に向ける。
 メールでは手甲を持って来いと言っていた。スタジアムの襲撃でも手甲のことを耳にしたし、本当にコイツが目的なのか。何度も言うが、コイツにそんな価値は無いと思うのだけれど。
 むしろ、己としてはできるならばこいつを破棄してしまいたい気持ちはある。任務をしていた時はとにかく力が必用だったし使っていたが、もうそれも終わった。欲しいと言うならばぱっぱと渡してしまおう、こんなもの。

「………」

 この手甲を手に入れてそれほど時間が経ったわけではないけれど、己はこの手甲を手に入れた時から違和感を感じているのだ。それは言葉にすることは出来ないし、何か確信があるわけでもない。けれど、漠然としながらもそれは日に日に強くなっている。
 
 何かが変わっているのだと、己は思う。

 何かは分からない。けれど、己の明確な何かが変わっていっている気がする。それは成長なのかもしれないし、退化なのかもしれないし、崩壊なのかもしれない。それが何なのか、己には分からない。

「………」

 この右手にある手甲を捨てたとき、それが何か分かるのだろうか。

 それが分かった時、己はどうなるのだろうか。

 己には、分からない。

「……っと、つきましたね」

 階段を上って数分、己は十四と書かれた所々錆の浮く鉄の扉にたどり着いた。
 開けてみれば元がそうだったのか、ビジネスホテルのような構造の廊下に出る。コンクリート打ちっぱなしにゴミが散らばるこの状態は、どこのビルも同じだが。

 一応罠を警戒しながら進んでみれば、すぐそこにまた紙が吊るされていた。中にはこの階の地図がプリントされていて、一室に赤い矢印を引いてある。ここに来い、ということだろう。

 見る限りこのビルもそれ程複雑な構造じゃない。己は指定の部屋を確認すると、足を向けた。

 人が住んでいたのか汚れた毛布や何かのゴミが散らかる廊下を進んでいくと、一箇所だけおかしい部屋が見えた。どうしてかそこは唯一ドアがあり、周りにゴミが落ちていない。

 ちぎってきた紙を確認する。やはり、あそこが指定の部屋だ。

「時間ジャスト、ですね」

 携帯を取り出して確認すると指定の時間一分前だった。どうやら間に合ったらしい。

「愛しの家族の前に出るのですし、格好はしっかりしないといけません、ね」

 血みどろの髪を手櫛で整え、血痕のついた頬を拭う。服に染み付いた返り血はどうしようも無いけれど、埃くらいは払いましょうか。
残った一分を己を身だしなみに使い、満足したところで残り五秒。さあ、感動の対面だ。

 ドアに手をかけ、一気に開けた。


「いらっしゃい、よく来たね岩田音子」

 ドアの向こうは暗闇だった。窓も何も締め切っているのか光源がない部屋の中は目が慣れてなくて何も見えず、ただ中から聞こえてきた声を聞くばかりだった。

「姿も見せずに申し訳ない。私はシエスタ、貴方の家族を攫った者だ。見えないだろうが四人とも無事でいる。安心していい」

 聞こえてくる声は低めだけれど女性のものだろう。喋り方のせいか、凛とした強い印象を持った。

「……貴方の言葉を疑うわけではないですが、家族が本当に無事かどうかは実際見ないとわかりません。電気を付けるか何かしていただけませんか?」

「いいだろう。それは想定していた」

 女性が言った直後、部屋に明かりがついた。その光に一瞬目がくらんだけれど、すぐに中の光景が見えた。

 部屋の内装はほかの部屋と大体変わらない、十畳ほどのスペースにコンクリート打ちっぱなし。違うのはと脇に寄せられた四人座ればいっぱい程度のテーブルと窓に目張りされたカーテン。
 その下の壁際には写真で見たのと同じように、体を縛られアイマスクを付けられた四人の女性。アリス、マリア、ルシエラ、カノン。四人の頭上には写真で見たよりも低い位置にあるくず鉄の玉が浮かんでいる。あれは能力の銃弾だ、と直感が告げた。

 そしてその横で椅子に腰を下ろす、長い黒髪をまっすぐ下ろし目深に野球帽をかぶった女性。

「初めましてだな、岩田音子。私はシエスタ」

 ダークスーツに身を包み、スラックスを履いた長い脚を組んで両手を乗せる彼女はこちらに視線を向けず、けれど力を込めて言い放った。


「くそったれた企業を叩き潰そうとする者だ」


 ――ッ。
 発せられた重い感情に一瞬だけ気圧される。けれど我に返った瞬間にはその威圧感は消えていた。

「詳細を話す気はないが私はとある企業に恨みを持っていてね。なんとか復讐をしたいのだけれど腐っても世界を収める七つの企業、独力じゃ逆立ちしたって勝てやしない。そこで同じ志を持つ人間が集まって、どうにかできないかと頑張っている訳なんだ」

「ようは、反企業の地下組織ですよね。今までたくさん見てきましたよ、そう言っている人たちを」

「そうだな。確かに反企業の組織であるし表立って集まれない組織だけど、地下とまで言って欲しくはないかな。貴方が見てきた、ただ企業に取って代わりたいだけのクズ共とは一緒にしないでくれ」

「……人の家族誘拐しておいて、自分はクズではないと。己には違いはわかりませんね」

「ああいや、勘違いしないでくれ。私たちは綺麗事を吐いて人を殺す自分が見えていない馬鹿共ではない。私たちはクズだしクソったれだ。目的のためならどんな手段も講じるし、卑怯な真似もする。誘拐だって当然やるさ」

「なら、どこが違うんですか」

「目的が違う」

 すっぱりと、ダークスーツの彼女は言う。

「私たちは企業を叩き壊すだけだ。具体的に言うなら幹部連中から上は皆殺し。構成員は基本見逃すとしても私たちの目標になってしまっている部署は皆殺し。あとは変な研究とかに携わってるやつらも皆殺しかな。こういう所は恨みを買っているから大抵目標になってるんだ」

 何でも無いように。当然のように。

「取って代わる気なんてないんだよ。たたきつぶせばあとは知らない。私たちの目標は、純粋に復讐だけだから」

 狂った言葉を、平然と。

「……自分がおかしいと、自覚はありますか?」

「当然だ」

「改める気持ちは?」

「毛頭ない。だって、私は狂っているから」

 身じろぎ一つしない彼女に、己は理解した。この人は、どうしようもなく、壊れている。

「さて。自己紹介もそろそろ終いにして本題に移ろうか」

 彼女は変わらず声だけを発して己に言う。

「私は貴方をスカウトしようと思っている」

「スカウト……ですか」

「ああ。君の経歴は調べている。特にこの街にたどり着いてからは西へ東へ八面六臂の大活躍じゃないか。暴走して手がつけられなかった眠れる森のアリスの殺害。企業から疎まれていた協会の華マリア・ロセウムの無力化。賭博都市の看板ギャンブラーの陥落。不可侵とされっていた鉄腕鋼姫の撃破。企業の人間でさえごく一部にしか知られていない諜報部隊のエースエージェント・クリアーの排除。それに今日のスタジアム大襲撃。まだいくつもあるけれど、まあ、これだけでも貴方の価値はどんなバカにも理解できる」

 彼女の言葉に、ああ、そう言えばそんなこともあったな、と思い出す。当時は必死だったけれど、よく生きているな、己。

「それに――私たちに加わる資格もある」

「資格、ですか」

 そう言われても思い当たる節はないが。企業は嫌いだが復讐を誓うほどでもないし、そもそも己はフリーランスとはいえ企業の下請けで働いているのだし。

 だからこそ、己は彼女が言った言葉を理解できなかった。

「貴方は両親を企業に殺されている」

「――は?」

 何を言っているんだ、この人は。

「行っている意味がわかりません。私の両親は――」

 ――両親は? あれ?

「貴方を調べる内に私たちは一枚のカルテを発見した。まだ貴方が小さい頃、企業の病院で精神外科医が作ったものだ。それによると貴方は精神的ショックにより記憶の一部欠落と先天性の水恐怖症の重大な悪化。及びストレスによる頭髪の色素異常が見られたそうだ」

 体が凍りついたかのように何も言えない。聞きたくないのに、耳も塞げない。

「同時期、ある企業が強力な子供の能力者の情報をつかみ確保に動いた、という情報が残っていた。その報告書も」

 淡々とした口調の言葉だけが、己の中に入ってくる。

「それによれば情報元は両親だったようだ。娘に能力が発現した、企業の保護下でしっかりコントロールできるよう教育してくれ。追記として、娘がその弟に異様な執着を見せ、依存を感じさせる発言を確認。両親はそれをやめさせる目的もあったのではないか、とも書かれている」

 胃液が逆流して喉を焼く。けれど体は動かない。

「最初は穏便に連れて行こうとしたそうだが娘は抵抗、企業の人間に全治数ヶ月の重症を負わせた。その後すぐ能力者対策員が送られたが結果は変わらず重症。その後も次々と重傷者を増やす娘に、企業は興味を惹かれたらしい。対策員を下がらせ、戦闘用の能力者を派遣した。結果は相討ち。娘の無力化には成功したが、その能力者は余計なことをしたせいで娘に隙をつかれ死亡した」

 やめて、くれ。

「報告書では死亡者は派遣された能力者と両親の二人。その能力者は人格に難ありと評価されていたらしくてな、無力化の際対象の両親を殺害したらしい。よりにも寄って娘を抵抗できないようにしてから、弟と二人見ている目の前で処刑するように、な」

 もう、わかったから。

「その後娘と弟は企業に保護されたが、娘の能力は原因不明の発動不良が起こり無能力者判定を受け企業の保護下に。弟は治療室の中で身体強化と思しき能力を発現、壁を破壊し逃亡して以後行方は分かっていない」

 聞きたくない。ききたくない。

「以上が――マイ・フェア・レディ確保作戦報告書だ。気分はどうだ、弟くん」

 ――あ。

 弟くん。そう言われた瞬間、糸が切れたように全身の力が抜けて膝をつく。たまらず喉を登る胃液を吐き出して、足りないとばかりに胃を引き絞る。吐かなきゃいけない。吐き出してしまわないと、己は、おれは。

「どうだい、弟くん。資格があるというのが理解できたかな。おっと、勘違いしないでくれよ。私は貴方のトラウマをほじくり返すのが目的じゃない。貴方の復讐心を蘇らせるのが目的だ。苦しめたいわけじゃない」

 復讐……心?
 その言葉が心に溶けていく。まるでピースがハマるように、しっくりとくるその言葉が。

「憎くないかい? 自分の家族をぶち壊した企業が。惨めじゃないかい? 蹲っている自分自身が。 君はどうしたい? どうだ、やり返さないか、私たちと」

 そう、か。復讐……か。そんな道も、あったのか。
 燃える家。倒れふす姉。五体ばらばらの父と母。バスタブに沈められるおれ。三日月のように歪んだ能力者の笑み。
 次々浮かんで来る忘れてしまっていた記憶たちのフラッシュバック。ぐちゃぐちゃに揺れる頭で思い浮かべたのは、そんな言葉。

「心配せずとも彼女たちも連れて来ていい。私たちは復讐を第一にするけれど、それを守るなら人並みの幸せだって尊重する。実際結婚して子供を産んでいる仲間もいるしな」

 確かに恨めしい。殺してやりたい。こんな目に合わせたやつを残らず引っ張り出して、地獄の苦しみを与えてやりたい。

「貴方と貴方の右腕があれば、もう計画は動き出す。貴方が首を縦に振れば、私たちは今にも奴らの首を取りに動く。もう準備は整っているんだ、あとは、貴方がいればいいんだ」

 この世界は腐っている。壊れている。狂っている。そんな世界の上に立つあいつらは、狂いきった害虫だ。それに媚びへつらうやつらも、害虫以下の蛆虫だ。だったら、ぶち壊してしまってもいいんじゃないか? きっと起こるのは戦争だ。関係ない人も巻き込んだ、最低の殺し合いだ。それがどうした。それでもいいんじゃないか? こんなゴミ捨て場に集ったクズが、どうなろうが構わないじゃないか。そうだろう、なあ。

 ぎちり、と右腕が疼く。見なくてもわかる。呼んでもないのに手甲が現れて、震えている。

「では、問いかけよう。中途半端な答えはいらない。答えは二つにひとつだけ。貴方は、病める時も健やかなる時も――私たちと復讐することを、ここに誓うか?」

 結婚を問う神父のように、一生を縛る言葉を吐く。
 微動だにせず己の返答を待つ彼女。己の復讐を誘う彼女。
 そんな彼女に、己は。


「絶対にお断りだ」


 右手の手甲を振るった。

 燃え盛るような熱を溢れさせる右手は薙ぐだけでも人を焦げ付かせる。焦点を絞ったそれは人質四人の頭上で漂い、脳天目指し急速に落下したたくず鉄の弾丸を蒸発させた。

 ダークスーツの女は余波を受けて椅子ごと壁際まで転がり、頭を打ったのか動かない。

「ッ」

 みんなの拘束を解こうとしたところで、嫌な予感が脳裏に走る。その直感に従い背後を入口ごとなぎ払うと、吹き飛ぶコンクリートに混じり生き物のような動きで破片を避けて飛ぶくず鉄の弾。
 己に向かって高速で飛来するそれをたたきつぶそうと手甲で殴りかかるけれど、弾は予想以上の機敏さで手甲の縁をなぞるように動き回避、脳天に向かって飛んでくる。

 まずいと思う間もなく、反射的に無理やり首をそらす。人体負荷を無視した動きに弾は目標を外し耳を貫通して去っていく。

「った……イヤリングを増やす気はないんですがね」

 軽口を言うあいだに、また弾が戻ってくる。さて、どうするか。マイ・フェア・レディなら対処出来るスピードだけど、今は使えない。心境の変化か手甲の熱はある程度操作でき、僅かながらの身体強化は掛けられるけど、鉄腕鋼姫のような身体強化は使えない。むしろあれは彼女だけの技だと今なら理解できる。

「まあ、弾がどうにもならないなら」

 飛来する弾丸に手甲を向け熱を放射しながら目張りされた窓へ駆ける。弾は熱を避けようと脇にそれるけれど、手甲はそれを追い続け近づかせない。

「本体を叩けばいい!!」

 攻め方を変えるのか弾が一旦離れたところで、己は部屋の壁一体をなぎ払う。直接叩き壊し破片にするのと同時、熱で溶かし即席ナパーム弾にして辺りのビルに撒き散らす。

 これで決まればと思ったがそこまで敵も甘くない。ビルの窓際から離れればそれだけで防げる攻撃だ。仕方ない。

「アリス、聞こえてますか?」

 己は弾に注意しながら縛られたままのアリスに話しかける。しかしアリスは気絶しているのか反応を返さない。いや、忘れそうになるがアリスは死霊。気絶なんてするのだろうか。そうではないなら、原因は? 恐らく能力妨害。体のどこかに己のイヤリングのような赤いものは――あった。見覚えのない腕輪を付けられている。

 己が手甲でそれをちぎり取ると同時――アリスは一瞬跳ねるようにのけぞり、アイマスクを着けたままこちらを向いた。

「やっほーお兄様! 待ってたよ!」

「アリス、早速ですが今襲われていて敵の位置が知りたいんです。わかりますか?」

「うん、アリスずっと見てたからわかるよ。あの可愛い女の子の場所だよね!」

 アリスは縛られたままキョロキョロと周りを見渡す。
アリスは一度死んだが亡霊として能力で呼び出され、強い自我で支配を振り切り現在まで元気に生きる(?)存在だ。彼女の目は、生者とは違うモノを見ている。

 どんなにうまく隠れたって、次の瞬間に見つかっているのはホラー映画のお約束だ。

「あ、見つけた! あのビルの一番高い部屋にいるよ!」

 やはりすぐに見つけてくれたようで、アリスは立ち並ぶビルの一つに指を向ける。

「ありがとうございます、アリス!」

 くしゃりと頭を撫でてからそのビルに向かって飛ぶ。一足じゃ届かないと思っていたけれど、アリスが補助をしてくれたのか想定以上の飛距離を出して直接最上階へ乗り込めそうだ。というかいつの間に念動力……いや、ポルターガイストか。そんなもの習得してたんだ。

 飛び蹴りの格好で窓から侵入し、即戦闘態勢へ。意識を張り巡らせた瞬間、二発の発砲音と弾が部屋のドアをブチ抜いて廊下に飛び出し、直角に曲がって己に向かう。

 右手をかざし熱を放つが二つの弾は止まらない。溶け始める弾に違和感を感じた瞬間、己は右手を後頭部にまわした。直後に来る重い衝撃。さっきの弾が戻って来ていた。

 防いだ弾は溶かしたが衝撃を堪えきれない。体制を崩され、己の体は廊下に突っ伏す。畳み掛けるように飛来する二つの溶けかけの弾。

「舐めるな!」

 その体制のまま背後全面へ全力の加減無しで熱を放射し、天井諸共蒸発させた。

「……これで、お終いですかね」

 体を起こし、警戒するがさっきの部屋に動きはない。待ち伏せと見るか、弾切れと見るか。

「当然突入、です!」

 どちらにせよ迷っている時間なんてない。そんなことでは逃げられる。
 手甲を盾がわりに頭部を庇いながらボロボロのドアをブチ抜いて部屋に押し入る。そこにいたのは二mはある長大なマスケット銃を抱えながら、反対の手で体格に似合わない大きなスナイパーライフルを構える少女。

「くそっ!」

 そう声が聞こえた瞬間引き金が引き絞られ、己の頭部に向けられた銃口から真っ赤な弾が飛び出すのが見えた。
 極限に集中しているというよりも、感じるのは死ぬ間際は世界がゆっくり見えるというもの。実際、ここでマイ・フェア・レディをも傷つけたあの弾が放たれたなら、手甲の盾も貫通し己の頭を弾けさせる未来しか見えない。
 ゆっくりと迫ってくる口紅のような弾丸に、僅かながらの抵抗として全力の熱を一点集中させて放出する。
 けれど弾丸はそんなもの関係ないとばかりに熱を切り裂き迫る速さを緩めない。

 なにか打開策は! そう考えて思考を回すけれどそんなもの何も出てこない。なにか、なにか! そう考え続けるあいだに弾丸はもう手甲すぐ傍まで近づいている。

 能力が使えたならまだ打開策もあっただろう。しかし、もう間に合わない。
 くそ……ッッ! せめてと歯を食いしばりながら頭を傾けるがあれの破壊範囲から逃れられるとは思えない。
 そして弾丸は手甲に衝突し――衝撃もなく、取り込まれた。

「……え?」

「……は?」

 予想外の展開に、戦闘の最中だというのに停止する己と女の子。無理もない、確実に仕留める覚悟で打ち出した切り札が、何でも無いように無効化されたのだから。
 確かにマスター曰く手甲を複製して作られた弾だとしても、まさかこれで受け止めたら回帰するように取り込むとは。己自身完全に予想外だった。

「……えい」

「ぎゃっ」

 まだ呆然としていた女の子の首筋に手刀を一つ。意識がないをのを確認すると、脇に抱えてビルを降りた。


「く、うう……」

 ビルを降り、四人の待つ廃ビルの階段を登る途中脇に抱える女の子が目を覚ました。状況が分からないのかぼうっとして辺りを見渡すと、意識が追いついたのか己を睨みつける。

「岩田音子ぉ……!」

「はい、そうですよ。あまり名前で呼ばないでください、あんまり好きじゃないんです」

 女の子はもう敵わないと分かっているのか暴れたりはしなかった。ただただ、恨みがましく己を睨みつけるだけだ。

「分かっているようですけど、抵抗しないでくださいね。その瞬間溶かしますから」

 己の言葉に女の子は体を硬直させた。自身を抱えている腕に手甲が装着されているのを自覚したのだろう。いや己だって鬼じゃないただの脅し文句だよ。大人しくしてるならそんな事しないって、そんな怯えた目で見ないでください。

「……いくつか、質問しても良いですか?」

「はっ、はいっ!」

 置物のようにガッチガチに固まる彼女に声をかけると、はじけた様な声を上げた。いや、だから溶かさないから。大丈夫だから。

「まず、あなたがたは――」

 しかし、己の言葉は彼女の悲鳴で遮られた。

「な、ない! ザミエルがない! あああ! どこ!? どこへ行ったの!?」

「あ、ちょっと」

 さっきまでが嘘のように彼女が急に暴れだした。形振り構わないその様子にあっけにとられ、つい彼女を落としてしまった。

 受身も取らず骨に響くような音を立てた彼女は、しかしそんなこと気にする余裕もなく迷子の子供のように余裕なくキョロキョロと周りに視線をうろつかせる。

「ど、どこぉ、どこにいるの、ザミエルぅ……」

「えーと……」

 座り込んで泣き出してしまった彼女に、どうしていいか分からず出した手を宙に漂わせるしかない己。逃げるためって雰囲気でもない。いや、そもそもザミエルって誰ですか。まだ敵がいるのか?

 数秒迷っていたけれど、でも、いつまでもこうしていられない。とりあえず無理矢理でも上に連れて行って、それからなんとかしてみよう。

 そう思い近づいた瞬間、彼女が急にこっちを向いた。

「ザミエル!」

 座った状態からの飛び掛りに反射で身構え迎撃しようとして、手甲で小さな体躯を捕まえる。その気になれば殺される状態にいるというのに、彼女は変わらず我忘れたかのように声を上げて暴れている。さてこれどうしようかと考えているうちに、やがて向かってるのが己でないことに気がついた。

「これ……ですか?」

「ああザミエル!」

 己が肩に担いでいた二m級のマスケット銃を差し出すと、彼女は瞬時に掻っ攫い愛しい恋人のように抱きしめた。目には涙まで浮かんでいる。

 これは彼女を倒した場所から持ってきたものだった。気絶したあともこれだけは手放さず、そのまま抱えるにも座りが悪かったので無理やり引き剥がし、これだけ執着を持っているなら何かに使えないかと持ってきていた。

「まあ、落ち着いたのならいいですけど」

「うう……」

 よほど安心したのか涙を流しながら銃にすがりついている。その様子は演技にも見えないし、もう暴れることもないようなので、己は彼女を抱えなおすと階段を上り直した。

 その後は声をかけても泣くだけで答えは返してくれず、進展のないまま己は四人のいる部屋にたどり着いた。

「お兄様お帰り! わぁ、可愛い女の子泣いてるね! どういたの?」

 部屋に入るなり何故かアイマスクをつけたままのアリスが迎えてくれた。
見渡せば縛られていた三人はアリスが解いたのかもう自由の身で、けれど体力を消耗しているのか同じ場所でへたりこんでいる。

 シエスタと名乗った女の方を見ると、最初に倒れていた場所でアリスがしたのか縛られて転がされていた。

「ただいまアリス。みんなの様子は?」

「ん? みんな疲れちゃってるみたいで体に力が入らないみたい。でももうちょっとで動けそうだって言ってたよ!」

 アリスの言葉にふうむ、と唸る。疲れて、ねえ。彼女たちがそんなやわだろうか。

 さめざめと泣いている女の子をアリスに預け、三人に近づく。

「マリア、大丈夫ですか? 意識はありますか?」

 俯いているマリアのほほに手を添えて顔をこちらに向けると、力ない視線で己を見た。

「ネコしゃん……ひゅいましぇん、手間取らしぇちゃって……」

「構いませんよ。助け合いましょう、家族なのですから」

 安心したように目を細めるマリア。どうやら疲労だけではなく筋弛緩剤かなにかを打たれているようだ。しかし、これだけ喋れるのなら抜けるのももう少しだろう。

 マリアの頭を撫でてやって、次はルシエルだ。

「ごひゅじんさまぁ……わたひが油断ひたばっかりに、ひゅいまひぇん……」

「良いんですよ。貴女のような素敵な奴隷のためなら、これくらいなんともないです」

「ごひゅじんさまぁ……」

 熱っぽい目で顔を上げるものだから、触れ合う程度のキスをしてあげた。視線の熱がもっと増したが、今はそれに答えてやることはできない。

「カノン」

 女の子座りで俯いたまま動かないカノンにそっと近づく。膝をついて、目線をあわせる。

「迎えに来ましたよ、カノン」

 動かないであろう顔を二人と同じように起こして上げれば、目を閉じた表情のないカノンの顔。二人よりも薬が抜けていないのか己に反応を示さない。

「カノン?」

 まさかと思い首筋に手をやり脈を図る。とくんとくんと確かな血潮に安堵を覚えたその時だった。

 カチャっという金属音が胸のあたりで鳴り、己の心臓におもちゃみたいな小さい銃が突きつけられているのを見て――

「ばいばい、ネコ」

 耳元で囁くような、カノンの声を聞いた。


「……え?」

 しかし、引き金が引かれることはなかった。

「な、なんで!?」

「無駄ですよ、カノン」

 指先に力を込めて何度も何度も弾を撃とうとするカノンから、優しく銃を取り上げる。

「何で……」

 かたかたと震えるカノンは、それでも己を殺そうと首に手をかけ――力が入らずに、手が落ちた。

「何で、あんた能力が……っ!」

 睨むように見つめる先は、左手の中指で光る一つの指輪。発動しているのはマリアの能力、攻撃意思の封印。対象は、どうやっても己に攻撃をすることができない。

「二時間たってるのに……いや、それ以前にその能力はカジノで使ったはずなのに……な、何で能力が!」

「こいつのせい、ですかね」

 取り上げた銃を溶かす手甲に目をやる。

「まさか……能力の改造? いや、そんな馬鹿げた効果はないはずだ、これはただの洗脳装置……」

「洗脳、というのは少々違うようです。己も理解したのはさっきですが、この手甲は人の『心』に繋がるモノ。思いを力に変え、思いを人に伝える装置。そして、その影響は所有者にさえ及ぶようです」

 呆然としたカノンの瞳が見開かれる。

「まさか……精神改造の結果能力に影響が……!?」

「能力は個人の意思が強く反映されるようですね。アリスは楽しいことを望む気持ちが。マリアは人を傷つけることを否定する気持ちが。ルシエルは勝負に対する絶対性を望む気持ちが。他の能力者の方々もきっと、根本には本人の意思が影響しているはずです」

 もちろん、己にも。

「己の意思は求める気持ち。欲しくて欲しくて奪ってしまう。愛とは奪い合うことだとは、よく言ったものです」

 軽口にカノンは答えない。

「ですが、どうやら手甲は姉にだけ強く執着する己の心が気に入らないようで、他人にもそれが向かうように矯正してしまったようですね。結果マイ・フェア・レディにつぎ込んでいたリソースが他の能力に分配されたようです。その分それぞれの効果時間とか諸々劣化していますが」

 左手を見れば、ここに来るまで薬指にしか無かった指輪が、手甲が震えたあの時から新たに二つ人差し指と中指に出現していた。

 己の解説に、彼女は脱力しながらもゆっくりと首を振る。

「うそだ……一度現れた能力が変化するなんて、聞いたことが……」

「己は近いものに心当たりがありますよ。一度能力を失ってから、また新たに別の能力を手にした人を、ね」

「なに……?」

 カノンは力ない視線を己に向けた。

「その人は己を企業のおもちゃにさせないように、自分が能力を捨ててまで逃がしてくれました。そして、姿かたちを変えながら、己のことを見守ってくれていました」

「なんで……」

「すいません、内緒で維澄さんの能力使って心を読みました」

 カノンは目を見開いて己に掴みかかった。攻撃の意思はないのか防御は発動しない。

「い、いつだ! いつからお前は!!」

「カノンがひきこもり始めた時ですね。ほら、会ってすぐ帰ったことがあったでしょう。あれは想定以上に能力がきつくて耐えられなかったからなんです」

「あっ……」

 胸元を掴んだまま、また座り込む。その目はすべてを台無しにされたような、絶望に浸った色をしていた。

「何があったかはわかりませんが、再度取得した能力は身体変化。伸長体重体格はもちろん性別までどんな変化も可能。挙句自分の複製体すら作りだせる。あそこに転がってる人がそうですね。しかも他人をも変化させることができるとは、とんでもないですね」

「なんでそこまで知って……」

「調べてもらいましたから、本物のカノンに」

 維澄さんの能力で覗いたのはカノンだけではない。マスターの心も読み取っている。
それによれば己がこの街に来る少し前、カノンを企業から解き放ってやると言って来た女がいたらしい。対価は自分がカノンに成り代わること。
 高レベルな情報能力者であるカノンは小さい時から企業に監禁されていて、やっとのことで逃げ出して逃亡した所をたまたま保護したのがダンテさんだった。
 ダンテさんは鉄腕鋼姫と同じく不可侵と言われている自分の店に匿うけれど、これでは結局監禁場所が変わっただけだ。最初は仕方がないと諦めていた彼だったけれど、年月が経つにつれ人並みの暮らしをしてやりたいと情が沸き、どうにかしてやりたい、どうにかしなければ。そう思っていたところに現れたのが彼女だった。

 マスターは悩みながらもそれを承諾、目論見は成功し、本物のカノンは名前も姿も変え自由都市リベルタにて一般人として暮らしている。
 その情報を知った己は依頼を進める傍ら自由都市まで出向き、本物のカノンに直接会って依頼をしたのだ。
 今のカノンの情報を集めて欲しい、と。

「……あの時、か」

 カノンがデータを抜かれたと言っていたあれは己が本物に頼んだものだ。事情を話せば恩を返すチャンスと全身全霊全力で挑んだらしいが、それでも気づくとはこのカノンも恐ろしい。

「そうして情報を揃えた己は真実を知りました。姉を探す旅につきそう貴方の存在を」

 魂の抜けたようにうつむく彼女をそっと抱きしめる。ありったけの感謝を込めて。ありったけの愛をこめて。溢れそうな涙を我慢して。

 長かった。なんて長かったんだろう。でも、ようやくたどり着いた。

「ただいま、姉さん。愛しています」




 抱きしめられたまま、彼女は呟いた。

「そっか……全部、バレちゃってたんだ」

「失敗したなあ……こうやって、おとちゃんにバレるのだけはしないように、注意してきたんだけどなあ」

「ごめんねおとちゃん、お姉ちゃん馬鹿だから、そんなこともできなかったよ」

「一生おねえちゃんとしておとちゃんの前に出ないって決めてたのに。私はおとちゃんに会う資格なんてないから、でもおとちゃんをこんなにしちゃった責任を取って姿を見せずに私の一生をおとちゃんのためだけに使おうって思ってたのに」

「ごめんね、家族を壊しちゃった私なんかを見るのも嫌だよね。おねえちゃんすぐ消えるから、すぐ居なくなるから」

「だから、はなして」

「私みたいな調子に乗って全部ぶち壊しにしちゃう女おとちゃんにふさわしくないから。だめだよ私なんかにそんなこと言っちゃ。嬉しいけれど、それだけはダメだよ」

「私は恨まれて当然なんだから。お父さんもお母さんも私のわがままのせいで死んじゃったし、おとちゃんだってそんな風にしちゃったし。私は、おとちゃんなんかに愛される資格ないんだよ」

「ねえ、だからはなして」

「こんどは失敗しないから。おねえちゃん頑張って見えないところでサポートするから」

「だから、はなしてよ」

「つらいよ、おとちゃん。私は許されちゃいけないのに。なのに、嬉しくなっちゃうから。このままじゃ、つらいよ、おとちゃん」

「はなして」

「私を、ぬか喜びさせないで。意地悪しないで、おとちゃん」

「そんなに私が嫌いなら、殺していいから。おとちゃんがそうしたいなら、していいから」

「だから、はなして」

「ほら、おとちゃんの家族が見てるよ。大丈夫、もうおとちゃんは私なんかに縛られなくていいんだよ。そもそも始まりが間違いみたいなものなんだから、本当はおとちゃんに私なんかいらないの」

「もう、私に縛られるおとちゃんなんて見たくなかったから。おとちゃんを本当に楽にしてあげるにはもう殺すしかないと思ってたけど、おとちゃんはちゃんと私以外を選べたんだから」

「やっと、おとちゃんは私から逃げられたんだから」

「だから、もういいんだよ、おとちゃん」


「私を愛するなんて、そんな間違いもうやめて!!」



 がしゃんと。手甲がならした金属音が姉さんのつぶやきを遮った。

「え……なにしてるの、おとちゃん」

「姉さん」

 抱きしめた体を離して、両肩に手を当てる。
 その姿はカノンのものでは無くなっていた。涙を浮かべるタレ目でぼんやりとした印象の顔に、女性にしてはかなり高い立てば己に並ぶほどの体躯。カノンの服ではそもそもサイズが合っていなくミニスカートと化したそれから、すっとした色白の肢体を大胆に晒している。黒髪はつややかで長く、女の子座りをしている今では床についていた。
 幼い姉さんの面影を残す、その姿。

 その肩を掴む手は両方己自身のもの。はまっていた手甲は、投げ捨てて床に転がっている。

「今己は手甲を捨てました。今ここにいる岩田音子はあんな訳のわからないものの影響を受けてない、本当の己です」

 その証拠に、手甲を外した瞬間左手の指輪が薬指を残して霧散した。

「その己が宣言します。一度しか言わないのでよく聞いてください」

「え、あ、うん」

 目と目を合わせて真剣な顔をすれば、姉さんは空気に当てられて泣き止んだ。昔から変わっていない流されやすさに、心から温かいものが溢れてくる。

 その思いを、言葉だけでは伝えられるとは思えない。ならばどうすればいいのか。
 決まってる。己はいつだってそうしてきた。

「姉さんがなんと言おうと己は姉さんを愛していますし姉さんにそばにいて欲しいんです! 恨んでなんかない! 嫌ってなんかない! 貴方が欲しい! 己と一緒にいてください!!」

 そうして呆然とする姉さんを、押し倒した。



「やっ、だめ! おとちゃんやめてぇ! ああ! 脱がしちゃダメ、やんっ、どこ触ってるの! あっそこだめっ」


 お兄様とカノンおねーさんが抱き合っているのを、アリスはお兄様から任された女の子、アガーテちゃんと一緒に眺めている。
 いつの間にかカノンおねーさんは体を別人みたいに変化させているし、お兄様はカノンおねーさんしか見えてないようだし、どうゆう状況なのかアリスよくわからないや。

「あーあ……何だかんだ言いながら幸せそうな顔しちゃって。なによこれ」

 床に転がって縄で縛られているアガーテちゃんも同じように思ってるみたいで、唇を尖らせてつまらなそうな顔をしている。

「ねえ、結局二人共何がしたかったの?」

「んん? それは私たちの目的について聞いているの? だったらさっき言っていたじゃない。私たちは企業に戦争を仕掛けようとしてるのよ」

 じろりとアリスを睨むアガーテちゃん。可愛い顔が台無しだなあ、もう。

「戦争といっても別にガチンコでぶつかり合うつもりはなかったけどね。基本企業同士の仲違いを刺激して潰し合わせるつもりだったから」

「ふーん、そうなんだ」

「そのためにあの右手があれば計画も進めやすかったんだけど……あの様子じゃ難しいみたいね。でも、貴方からすればその方が良かったかもね。シエスタは、誘いに乗ったら右手だけ奪って殺す気だったらしいし」

 おとちゃんが私なんかのために復讐なんてするなんて絶対ダメ! らしいぞ。とアガーテちゃんは付け足してにやりと笑う。

「まあ結局こんな結果になったんだ。作戦失敗、計画は当分先送りかな。あーあ、さっさとあのクソ科学者どもの頭打ち抜きたかったのだけれど……私には無理なのね」

「そうなの?」

「そりゃそうでしょう。あそこで喘いでるあいつはともかく、私は確実に殺されるわ。当然でしょう?」

「なんで?」

「なんでって……殺そうと襲撃したんだもの。返り討ちにされたら殺されて当然じゃない。ああ、捕まえて拷問しようとしたら私自害するから。どっちみち死ぬのよ、私」

「ふーん。アガーテちゃんは死にたくないの?」

「そりゃ死にたくはないけど……なに、貴方が逃がしてくれるって言うの?」

 何を馬鹿な、なんて言いたげな顔でアリスを見上げるアガーテちゃん。

「別にいいよ? お兄様今カノンおねーさんに夢中だし。アガーテちゃん可愛いから、逃がしてあげてもいいよ」

「はあ? 何言っているのよ。そんなんこと言って騙そうとしても無駄よ。私を懐柔しようとしても、その手には乗らないわ」

「んー、そんなんじゃないんだけど……正直アガーテちゃんならお兄様が元気なら簡単に倒せちゃうし、アリスでも対処できるだろうし、問題ないと思うんだよね。だから、逃げたいなら逃がしてもいいかなーって」

「っ……舐められたものじゃない」

「あー……でも、何回も襲ってこられたら迷惑だし……うーん」

 アリスは考えた。アガーテちゃんを助けてあげて、なおかつお兄様の迷惑にならない方法を。そして、ひらめいた!

「そうだ! 調教しちゃえばいいんだ!」

「……はあ?」

「お兄様がずっと前に言ってたんだ! 鬱陶しい相手はしっかり丁寧に心をへし折ってやれば二度とかかってこないって! そうだよ、そうしてやればアガーテちゃんも助かるよ! やったね!」

「ちょ、何言って……!」

 不安そうな顔をするアガーテちゃんに、アイマスクをゆっくりめくりながら、にっこり笑って安心させてあげる。
 安心してね。間違っても死んじゃわないようにするから!

「お兄様今忙しそうだし私がやってあげる! 大丈夫だよ!」

だって。

「アリス、結構慣れてるから」



「ひああ……」

 あふれる気持ちを少しでも伝えられるように、丹念に念入りに丁寧に、ゆっくりと体中を愛撫する。口で、手で、全身で姉さんに気持ちを伝えていく。
 姉さんも己も今何も着ていない。少しでも気持ちが伝わりやすいように、全て脱ぎ捨てた。

「だめぇ……だってええ」

 敷いたジャケットの上で体を捩る姉さんに構わず、首すじをねっとり舌でなぞって行く。瑞々しく柔らかい肌は触れるだけで気持ちがいい。

「分かってくれましたか姉さん?」

「だからぁ……わたしはそんな資格ないのぉ」

 いやいやと首を振る姉さん。まだ己の伝わなないらしい。

「じゃあ、もっと深いところに教え込まなきゃいけませんね」

「やっ、そこはダメだってえ!」

 もがく姉さんを抱きしめて口をキスで塞ぎながら、お腹をゆっくり焦らすようにフェザータッチで撫でていく。
 秘所に近づくにつれ体をジタバタと暴れさせる姉さんに、キスをしながら舌を丹念に舐め絡ませてやる。逃げるように動く舌も追い回して捕まえて、ゆっくりねっとり味わった。

「んふうう」

 いよいよ秘所に手が触れそうになったところで声が上げる。そこはダメだと言っているのだろう。でも、容赦しない。

 指先に感じるのは薄い陰毛。押せばとびきり柔らかいそこを遊ぶように撫で回す。

「んー!」

 しゃりしゃりと音を立てて感触を味わっていたら、姉さんがうなって涙目で睨んでる。可愛い。
 ちょっと遊びすぎた、ごめんねと気持ちをこめてにっこり笑ってあげてから、ついに手を秘所に――行くと見せかけて、今度は内ももを撫でさする。

「んふう、っあ、おとちゃあん……」

「ふふ、そんな熱っぽく見られてもまだ触ってあげませんよ」

「ね、熱っぽくなんて見てないもん……」

 焦れたように腰をうねらせながら言っても説得力はない。どうやら、己の思いも少し伝わってきているようだ。

「ん? 姉さん、太ももが濡れているんですが……なんですかね、これ?」

 付け根ギリギリを撫でる手に液体が触れた。粘度のあるそれは馴染み深いものだけれど、とぼけて姉さんの目の前に持って行って濡れる指先を見せつけた。

「やぁぁ……うそだよぉ」

「嘘じゃないですよ、ほら」

 指先を閉じたり開けたりして、粘液の橋を作ってやる。
 うなって目を閉じてしまった姉さんの耳元に口を寄せて、囁く。

「もしかして、あれだけダメダメ言ってるのに濡れちゃったんですか?」

「んふうう」

 ぶるぶると羞恥に震える姉さんをギュッと抱きしめる。本当に可愛いなこの人は。

「可愛いね、姉さん」

「あうう!」

 耳元で囁くとぴくりと小さく体が跳ねた。ふむ、姉さんは耳が弱いのか。
 ちゅっと耳にキスを落とし、舌で愛撫する。すると面白いようにピクピクと反応を介してくれた。

「耳弱いんですね、可愛いなあ」

「や、やめてぇ、可愛いとか言わないで」

「どうしてです? 姉さんこんなに可愛いのに」

 己の言葉に姉さんは首を振りながら、

「可愛くない、よお……こんな汚い体ぁ」

「汚い……ですか?」

 目に涙を貯めてそう言った。

「私……汚されちゃってるからあ。企業のクソ共に、う、うう……」

 そう言った瞬間、涙が一筋落ちた。

「ごめんね、せめて綺麗な体だったらおとちゃんの性奴隷にでも何にでもなるけど……汚されちゃったこんな体、見せたくないよお」

 そして、溜まった涙が溢れたように、姉さんは泣いた。ごめんね、ごめんねと謝りながら。

「……汚されたんですか」

「……うん……」

 企業に捕まった後姉さんがどうなったのかまでは調べていない。能力を再取得して脱走するまで、どんな目に遭わされたのか己は知らない。けれど。

「じゃあ、己がきれいにしてあげます」

「……え……?」

 姉さんを愛する己の気持ちは揺るがない。

「汚されたというならば全部己が拭って、同じだけ己を塗りつけます。あいつらにされた事全部己がしてあげます。全部全部己が上書きしてあげます。そうすれば、過去のことなんて関係ない。汚れたもの全部己が追い出して、姉さんを己で満たしてあげます」

「……でも……」

「姉さん。己ってかなり欲張りなんですよ」

 頭を胸に抱くように、包み込むように抱きしめる。

「本当に欲しいものはどんなに離れていてもどんなに手間がかかっても手に入れる。奪ってでも手に入れなければ気がすまない」

 逃さないように。もう己のものだと教え込むように。

「己のものになってくれ、××ちゃん」

 本人にだけ聞こえるように、姉さんの本当の名前を囁いた。

「……いいの?」

「何が?」

「こんな私でも、もらってくれるの? 私は、おとちゃんのそばにいていいの?」

「いなきゃ嫌だ。ダメだと言っても奪っていくし、逃げたって絶対追いかけて捕まえる」

 今日まで姉を追いかけ、手甲にまで矯正がされる己の執念は伊達じゃない。

「そっか……もう、逃げても無駄なんだ」

「ええ。なんだったら首輪でもつけましょうか?」

 頭を撫でながら言った軽口に姉さんはそれもいいかもとくすくす笑う。涙はもう止まったようだ。

「……うん、分かったよ。おねえちゃんの全部をおとちゃんに上げる。命から思いまで私の全てはおとちゃんにあげる。……こんな私だけど、もらってくれる?」

「もちろん。一生大事にします」

「――ありがとう、おとちゃん」

 その時初めて、姉さんは己を抱き返してくれた。


 


「もお、もぉやめてええ」

 愛しあう恋人同士のように抱きしめ合うお兄様たちを横目見ながら、アリスはアガーテちゃんの秘所に差し込んだ指をかき回した。

「やあああ! もう、もうむりいいい!」

「アガーテちゃん、ちょっとうるさい」

 空気の読めないアガーテちゃんに少しむっとしながら、アガーテちゃんの背中に体重をかける。今アガーテちゃんは手足と下着だけ全部取り外して、私のお尻の下にいる。
 両手足があるのもいいけど、この姿のアガーテちゃんもやっぱり可愛い! 抵抗しようがないこの姿にゾクゾクきちゃう!

 二人っきりの世界に入っちゃっているから大丈夫だと思うけど、あまり大きな声を出して二人を邪魔したくない。
 たしかにお兄様とラブラブしてるおねーさんは羨ましいし妬ましいし邪魔したい気持ちが無いわけじゃないけれど、でもそうしてはいけないのはアリスにだってわかっている。
 お兄様は、あの人をずっと求めてきたのだから。

「もおひい! もおイかせなくてひいからあ!」

「うるさいって言ってるのに……お仕置きね」

「んんっ!?」

 意識を集中してアガーテちゃんの口を塞ぐ。物を動かす程度の力だと思っていたけれど、ちょっと工夫すれば面白そうなことができそうかな。

「アガーテちゃん、ここ触られたことってある?」

「んんん!?」

 意識を集中して、指でつつく程度の力で押してみたのは、女の子の一番大事な所。あそこの一番奥にある赤ちゃんのお部屋の入口。

「お兄様がよく付いてくれるけど、アリス指で触られたことはないかなー」

「んふう!? んふうう!!」

 五本の指で優しくつまむイメージで子宮口を触ってあげる。もちろん本当に触っている訳じゃないよ。ポルターガイストって意外と便利だね。

「こっち側からとかどう?」

「んふううう!?!?!?」

 外側をつまみながら、今度は部屋の中から指を出して見る。くにくに動かしてあげれば同じように体を仰け反らせて面白い。

「んー、せっかくだし気持いところ全部触ってみようかな?」

「んう!? んん!! んんー!!」

 むう、一箇所二箇所ならともかく全身となるとちょっと難しそう。もっと集中しなくちゃ。

「んふう! んふー!!」

「ちょっと待ってね、今やってあげるから」

 必死に頭を振りながら背中のアリスを見上げるアガーテちゃん。そんな期待しなくてもしてあげるっていうのに、ああ、そんな目を見せてくれるなんて。
 まったくアガーテちゃんたらおねだり上手なんだから。ちょっとセーブしてあげようと思ったけれど、全力でしてあげちゃう!

「おっまたせ! じゃあ行くよ! 3!」

「んん!」

「2!」

「んふう!!」

「1!」

「んーー!!!」

 えい! っと乳首から脇腹おまめちゃんにGスポットに子宮口、お尻や舌までありとあらゆる性感帯と生殖器を擦ったり突いたりしてあげた。
 アガーテちゃんは声も上げられないで胴体しかない体を魚のように跳ねさせている。

「あは! 気持ちよさそうだね! もっとしてあげる!」

「――ンッ! ――――ッ!!」

 一旦場所を意識してしまえばそれぞれ別々に動かすのもできそうだ。これなら組み合わせ次第でもっと気持ちよくしてあげれるかな?

「うん! 色々試してみよっかアガーテちゃんっ!」

「ン――――ッ!!!」


 なんて意気込んだのは良いものの、結局何分もしないうちにアガーテちゃんは痙攣するだけで反応しなくなっちゃった。なあんだ、もっと楽しませてくれると思ったのに。
 
 やっぱり、私にはお兄様しかいないのかな。
 うん、きっとこの熱を受け止めてくれるのはこの世でお兄様ただ一人なんだね!
 
「お兄様! アリスもかまってー!」

 アリスはお兄様が一戦終えたのを確認すると、愛しのお兄様のもとへ飛びこんだ。



「……ねえ、おとちゃん」

「どうしました?」

 ようやく通じた気持ちに感無量になりながら抱きしめていたら、姉さんがこちらを見上げてきた。その目にはさっき以上の熱がこもっている。

「お、おとちゃんが良いならいいんだけどね、こうやってしてるのも幸せなんだけど……あ、あのね?」

「?」

 何が言いたいんだろうと少し考えて、ああ、そういうことかと理解した。

「欲しくなっちゃったんですか?」

「……うん」

 顔をかあっと赤らめる姉さんに思わず口づけをして、体を離す。
 そういえば全身へ愛撫はしたけれど性器には一切触れず、散々焦らしていたのだった。
 
「あっ」

 乾いてしまっていないか確認してみれば、そこはしっとりどころかどろどろに蕩けていて、思っていた以上に我慢しているのを伝えてきた。

「……すごいですね」

「も、もぉ……おねえちゃんだって、ずっと我慢してきたんだからね?」

「あっ……」

 カノンの正体が姉だと知って以来調べてきた姉さんの経歴は、己の辿ったものと一致する。
 スタンドアローンのパソコンからすらも情報を抜き取る本物のカノンのハッキングで手に入れた情報を見ると、この街に来る以前拠点としていた場所には必ず姿を変えた姉さんが潜入していた。以前なりすましていた人物のデータを見るにその多くが己の助けとなってくれた人たちだった。
 中には肉体関係にまで発展した人達も少なくない。でも、どんな気分だったのだろうか。別人の名前を呼ばれながら抱かれるのは。

 いじらしくも、それでも構わないと思ってくれてくれてのだろう。けれど今は違う。結果的には何度も体を重ねたけれど、姉さん自身とつながるのは、あの幼かった日以来だ。 いや、あの時のあれは能力譲渡のための儀式だった。そこに俺を思う気持ちはあっても、愛は無かった。

 だから、初めてなんだ。ずっと追いかけて、ずっとそばにいてくれたこの姉と愛を持ってつながるのは。

「……いくよ、××」

「……うん、音子」

 この気持ちができる限り伝わってくれるように。力の限り抱きしめて、己は姉と繋がった。

「んっ……ぁあ!」

「うあ……!」

 姉さんの中は今まで感じたことが無いくらいに凄かった。うねうねと生き物のように動く膣壁が、ようやく出来たつながりを離したくないとばかりにきゅっきゅときつく締めあげてくる。そして、火傷してしまうんじゃないかと思うくらいに、その中は熱かった。

「おとちゃん!……おとちゃぁん! すごいよぉ! おとちゃんのすごぃい!」

「姉さんのも……すごいよ、すぐイっちゃいそうだ」

 もはや感じさせようなんて思う余裕なんてない。溢れる思いのままに腰を打ち付けて、ひたすらに姉さんを貪った。

「だ、だめえ! もうイっちゃうよ! 幸せすぎて頭イっちゃう……!」

「ああ、姉さん! 姉さん!」

 乱れる姉さんを押さえつけて首筋から肩まで目につくところ全てにキスをする。過去にどんな奴らが触っていたとしても、もう姉さんは己だけのものだ。その証を付けるように。マーキングをするように、己は舌を擦り付け、口づけの跡を残す。

「イクぅ! おとちゃん私イっちゃうよお! 入れられて直ぐなのに、もうダメぇ!」

「姉さん、もうちょっと、もうちょっと我慢して! 己ももう!」

「我慢するぅ! 我慢するから早くぅ! 一緒に! おとちゃんと一緒にぃ!」

「ああ××! 出すから! 全部受け止めて!」

「うん! 出してぇ! おねえちゃんにいっぱい頂戴ぃ!」

「う、ああ!」

 打ち付けるような腰の動きで降りてきている最奥をノックする。ここに出すと知らせるように。
 そして一滴たりとも零さないよう思い切り腰を押し付けて、姉さんの中に己の証を吐き出した。

「はああ! でてる、出てるよぉ! おとちゃんの精液おねえちゃんの子宮に入ってるうう! ――っああ!!」

 ビュるビュると、叩きつけるような射精はまだ止まらない。姉さんも己に手足をまわしてしがみつき、それをひたすらに受け止めた。

「…………おとちゃぁん」

「……なんです、か?」

 射精を受けながら、姉さんがとろけた瞳で己を見つめた。

「……愛してるよ」

「……己も、です」

 射精が止まった後も、己たちはお互いの存在を確かめ合うように口づけをして抱き締め合った。。



「ネコさんは確かに性欲盛んで色んな趣味がある方だというのは理解してますが、私たちの前でそこまでラブラブなものを見せつけてこちらを構わないのはどうかと思います、私」

「確かにご主人様は変態思考に満ちた人だというのは理解していますけど、そこまでふたりだけの世界を見せつけるだけで放置っていうのはどうかと思うんですよ、私」

「お兄様! 私も構ってー!」

 後ろから聞こえる三人の声に振り向けば、そこにはジェラシーに燃えた熱っぽい視線をよこす三人の女性がいた。

「……えっと、みんなの相手は順番に、また後で……」

 そう言ってみたら、がしっと腕を掴む姉。

「私はみんな一緒でもいいよ? もちろん、四人一緒に愛せるくらいの度量くらいあるよねぇ?」

 にっこり笑顔に何も言えない。というか反論は許されない雰囲気だ。

「……あ、そういえば己今日何時間も戦い詰めで四人はちょっと……」

「「「「問答無用!」」」」

 家族みんなに飛びかかられながら、己が死ぬ時はみんなが原因かもしれないと、真剣に思った。


「ほら、いつまでも寝てないで起きなさい」

「ふわあ!? うわあ! もうやめて! もうダメ! ほんとにダメだから――って、あれ?」

 手足を外され地べたにだるま状態で転がってたアガーテをゆすり、目を覚まさせる。私の知らないあいだによっぽど怖い目にあったのか錯乱してたけれど、何だかんだ言ってその道の人間、すぐに正気を取り戻した。

「ほら、とりあえず腕付けてあげるから、あとは自分でつけてね」

「え? あ、ああうん、ありがとう?」

 かちゃかちゃと集めてきた両腕を付けてあげると、アガーテは不思議なものでも見るような目で私を見ている。

「なに?」

「あ、ああいや、何でもないけれど……えっと、随分雰囲気変わったように見えたから」

 アガーテの言葉に、そうだろうね、と答える。今の私は、これまで生きてきた中で最高に気分がいい。
 なんたって、一生隠れながら生きていかなければならなかった愛しの弟から、自分のものになれと言われ、たっぷりと愛を注がれてしまったのだ。どうしたって手に入らないと思ったものを与えられて、今だってにやけるのを必死に我慢しているのだ。

「えーと……今の貴方は誰なの? 格好はシエスタだけど」

「そうね……まだ決めてないわ。素の私になるのはおとちゃんの前だけでいいし、後で決めるから、とりあえずは『貴女』と呼んで。私とアガーテしかいないのだし、良いでしょう?」

 アガーテが脚を取り付けている間、手持ち無沙汰に周りを見渡す。そうは言っても壊れた壁から見える空はすっかり夜だし、電灯も壊されちゃったから手元のライトがなければ何も見えないけれど。

 四人でおとちゃんに襲いかかった私たちは、無理だと泣き言をいうおとちゃんを犯すという垂涎もののシチュエーションを堪能したところであっさり逆転、まとめて気をやるまで犯されてしまった。
 しかし流石のおとちゃんもあれだけ戦闘を繰り返した疲労はあり、最後の一発を打ち込んで気を失ってしまった。今回の勝負は引き分けといったところだろう。

 そして私が何故こんなにぴんぴんしているかといえば、犯し抜かれてフラフラなところを最後の力を振り絞って『シエスタ』の体に触り、メインの体を乗り越えたからだ。動かせる体は一つといっても、私は用意した複製体にメインの意識を乗り換えることができる。自分でも反則に近いと思うこの技は、身体変化能力の極技だと自負している。
 因みにおとちゃんからたっぷり愛された体はしっかり同化させてもらった。ぬかりはない。

「ほんと、ひどい目にあったわ………」

 服の埃を払いながら、五体全部揃ったアガーテが寄ってくる。その傍らにはしっかりとくまのストラップをつけたマスケット銃を抱えて。

「さて。もう動けるなら、みんなが目を覚まさないうちにさっさと行きましょう。早く本部に戻って計画を練り直さなきゃ」

 眠るおとちゃんの額に口づけして、せめてとカノン服をかけてから、私たちは部屋から出た。

「……ふうん。それでいいの? 貴方はてっきり岩田音子についていって、仲間から抜けるものとばかり思っていたけれど」

「本心としては、そっちを選びたい気持ちもあるんだけどね。というか一旦戻るだけですぐおとちゃんの所に帰ってくるけどね、元々私の本拠地ここだし」

「なら、そのままここにいればいいじゃない。誰も止めないわよ、あなたなら」

 こら。私をいてもいなくても変わらないみたいに言うんじゃない。

「ううん。それでも、私がやってたことの色々な引き継ぎとか周辺整理とか向こうでしなくちゃいけないし、何よりあなた達の方も放って置けないから。私たち、仲間なんだし」

「………貴女に仲間意識なんてあったことが驚きだわ。口を開けば計画の事か弟の事しか言わないじゃない」

「ひどいな、これでもちゃんと大切に思っているんだよ。おとちゃんがぶっちぎりで大切すぎるだけで」

「やっぱり私たち大分ランク下じゃない。……まあ、貴女はそれでいいけれど」

 はあ、とアガーテはため息をつかれた。失礼な。

 口ではそんなこと言うけれど、実際私は彼女たち仲間に感謝している。企業から逃げ出した後、こんな私を受け入れてくれた組織なのだから。
 そこのみんなは、誰も同情をしなかった。同じ傷を持つものとして対等に、能力のあるなしなんて関係なく同じ人間として扱ってくれた。
 それは組織という硬っ苦しいものではなくて、いっそ共同体のような、対等に助け合う関係だった。
 おとちゃんのことは勿論最高に優先して大切だけど、そんな組織に、私は少しでも恩を返したい。
 だからこそ、おとちゃんに何も言わずこうして出てきたのだ。

「おとちゃんに愛してもらえるしもう隠さなくてもいいし、今まで以上に元気にやってけそうだよ。よーし、気合入れて企業のやつら皆殺しにしてやるぞー!」

「やっぱり復讐は忘れてないのね」

 当然だ。これは恩返しとかそれ以前に、私のけじめなのだから。
 どこかの誰かが言っていた。復讐は、自分を始めるためにするのだと。

「だから、もうちょっとだけ待っていてね」

 私はあの時に止まってしまった。家族も何もが壊されたあの日に、とらわれてしまった。
 私が何もかもをおとちゃんに上げるためには、私の全てをおとちゃんで満たすためには、あの日を清算しなければいけないのだ。
 だからこそ、私はまだ進まなければいけない。まだ終わってはいけない。

「いつかきっと、私の愛をあげるから」

 その日を楽しみにしていてね、おとちゃん。


 次の日、何も言わなかったせいで勘違いして組織を襲ってきたおとちゃんに、本当に組織を壊滅させられそうになったのはまた別のお話。

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