リレー小説 第四回 
 砂塵吹きすさぶ荒野。
 そこに己は立っている。
 いや、立っているというより転がっている。
 今回のターゲットの偵察に向かう途中で列車強盗に襲われ、対処しようとしたところを凄まじい轟音と熱を発する何かに列車ごと吹き飛ばされたのだ。
 空高く放りだされた己がアリス、マリア、ルシエルの姿を探した時、世界がスローになって見えた。
 その世界の中で光だけが凄まじい速度で疾走し、宙を舞う人々が次々と飲み込まれていく。
 やがて己も、迫り来る光になすすべなく飲み込まれていった・・・

 今回のターゲット、マシュリー・アルセディア。「鉄腕鋼姫」。
 第一目標、対象の無力化ないし殺害。第二目標、対象の所有する右腕用の手甲の回収。
 カノン曰く、「頭がおかしくなりそうなくらいキツイ仕事」だそうだ。
 情報収集を頼む前に大量の資料が出てくるほどの有名人で、なんと一国の王女らしい。かなりやんちゃして育ってきて、やんちゃしすぎで国を飛び出したほどだそうだ。
 そんな彼女の仕事は所謂「正義の味方」というか、「弱者の味方」。
 あまねくすべてを救い、この世から力に泣く人々を無くす。
 こんな稼業をしていると、寒気がしてきそうな標語をマジで掲げているらしい。
 ちょっと頭が痛い。
 いや、マジで頭が痛い

「くぁ・・・いっつ・・・」

 耳の中にウォッカを流し込んでバーテンにシェイクされたような衝撃が頭の中をかき回す。
 いやいや、立てないですよ、これは。
 ぼやける視界でも、なんとか周りを見渡すと吹き飛んだ列車から少し離れた場所に乗客が全員集められているようだ。まだ意識のあるものはいないように見える。信じられないことだが、全員無傷だ。これが現実に起こりうることなのだろうか?
 列車強盗にあった列車が30メートルも空を飛び、しかし乗っていた客は全員列車から 脱出して五体満足・・・。
 己は動けない体をなんとかひねって、銃を抜いた。

 ―――――心配しなくていい、少しの間目をつむっていれば、それで終わる。

 薄れゆく意識の中、己は逆さに燃える炎を見た。



 目が覚めた時、己がいたのは病院だった。

「これはいったいどういうことでしょうかね・・・?」

 本来4人部屋であろう病室には8人もの患者が詰め込まれている。
ベッドにいるやつは幸運、床にマットレスが敷いてある奴は次点。己など床に放り出されている。
 申し訳程度に丸めた布を枕代わりに置いてあるだけ、とんでもない病院としか言いようがない。一番窓際に捨て置かれた己は寝ていても休まりそうにないので体を起こしてみた。
「ははぁ・・・状態の悪い者からドアの近くにいるようですね。軽傷の者ほど扱いが悪い、というわけですか」
廊下をパタパタ走り回る若い看護師(ロマンの欠片もない呼び方です)が己に気づいて余裕のない顔で走り寄ってくる。

「目が覚めたのなら場所を開けてください!あなたは脳震盪で倒れただけですので、体の負担になるような運動さえしなければ大丈夫ですから!退院おめでとうございます!またどうぞ!」
「え、えっ、えええっ!?」

 今にもケツを蹴り上げそうな勢いの看護師に医療費もきっちり取られて門から放り出された。

「退院する患者にまたどうぞ、はまずいでしょう・・・」

 負け惜しみのようにこぼれ出たつぶやきは幸い誰の耳にも入らなかったようだ。

 無事に退院したのはいいのだが、とりあえずどうしたものか。

「まあ一杯ひっかけて落ち着いてから考えるとしますか」

 家族の行方は気になるが、一人で焦ってもしょうがない。この街はおそらく乗っていた汽車が到着する予定だった開拓者たちの街だろう。汽車も通るし土地開発の途上でそれなりに人口もいる。
 やはり大きいのはこの街の北にある山で石炭が採掘されることだろう。だからこそこの街に汽車が来た、そして汽車がくれば金の匂いを感じて人も集まってくる。石炭のある北の山では金鉱があるのではとのうわさもあるほどだ。
 人が集まらないはずがない。

「やれやれ、世の中欲深い奴ばかりですねえ」

 どうせならもうちょっとマシなものに欲を向ければ良いのに。治安はそこまで良いとは言えないようだが、今のこの街には絶対的な存在がいる。
 マシュリー・アルセディア。
 彼女を殺すことでどれほどの影響がこの街に及ぶのだろうか。おそらく列車強盗に襲われたときのあの光は彼女によるものだろう。

「どうやったらあんなことができるのか皆目見当もつきませんがね」

 己のマイ・フェア・レディならあるいは…?
 苦笑しながら適当に入ったバーで酒を煽った。

「お兄さん、旅行者かい?」

 この街の人間らしい熟女が馴れ馴れしく声をかけて隣に腰かけた。

「いえ、一応仕事で来ているんですがね、先ほど列車強盗に襲われたので少し休憩してから始めようかと」
「列車強盗?ははーん、お兄さん鉄腕の嬢ちゃんに助けられたね?そりゃ災難だったね、あの嬢ちゃんが暴れると死人は出ないが大抵周りの人間がケガをするもんだ」

 しかしこの女、売春婦ではなさそうだがやたら胸を露出してやがる。

「あのようなことは度々あるものなんですか?だとしたらずいぶん騒がしいことになりそうだ」
「なに、これでも静かになったほうさ。少し前のこの街じゃ銃を持ってないと買い物もできなかったんだからね」

 それは・・・聞いていたのとはずいぶん違う話だ。
 己の驚きは顔に出ていたのか、女が笑う。

「ここは大鉄道企業、ドリームトレインの多額の石炭購入によって成り立っている街だからね。大企業様は自分の街に悪い印象をもたれるのがお嫌いなのさ」
黙ってマスターにラムの追加を頼む、2つ分。
「ここで石炭と水の補充ができればさらに先まで線路を広げられる。そうなれば全く新しい開拓地が自分たちの思うままに作り出せる。途方もないほどの儲け話さ」

 手放すわけがないね。
 そう呟きながら二人でグラスをぶつけ合った。

「鉄腕の嬢ちゃんを探しているなら簡単な話さ。その辺で銃声でも響かせれば飛んでくるよ。命の保証はしないけどね」
「なぜ己が彼女を探していると思うんだ?」
「長いこと生きてると見えてくるもんさ、違いってやつがね」

 女は残ったラムを一気に煽って立ち上がり、己の頭を撫でた。

「あんたはほかの奴らとは違う。人を殺して生きている外道だ」
頭に載った手からほのかに香るブラックパウダー。
「動くんじゃないよ、ここで抜いたら死ぬのはあんただ」

 静かにグラスにラムを注ぐ。

「岩田音子。あんたが今までどんな人生を送ってきたのか、そんなことはどうでもいい。あんたを殺してほしい奴がいて、あんたを殺せる奴がいる。それだけさ」
カチリと撃鉄の起きる音がそこかしこから聞こえて、バーは騒音に埋まった。

「別に、死ぬようなことはないんですけどね」

 ゴキリっと捻り折る。
 足元でうるさいけども仕方ない。

「効いてないように見えるかもですが、痛いんですよ」

 力いっぱい踏み締めて床板ごと踏み込む。
 少し静かになった。

「命狙われるのも不愉快ですしね」

 握って砕いたガラスで力強く殴る。
 両手が動かせないからか、テーブルをなぎ倒すほどに転げまわる。

「そんなに喜んでもらえましたか!嬉しいなあ」

 手足を後ろで縛り、下を脱がしてピアノ線で下に向けた首と睾丸をつないで背中を火で炙ってやるとついに耐え切れなくなったのか、思いっきりのけぞって睾丸がちぎれ飛んだ。

「汚い花火ですねえ」
「もう、もうやめてぇ!お願い!何でもするわ!もうあなたを狙ったりしないし、誰があなたを狙ってるのかも全部話す!持ってるお金も全部あげるわ!だから!」
だから?
「殺したい己がいて、殺せる己がいる。それだけなんですよ、人生ってのはね」

 熟女のきれいな顔に布袋をかぶせて首元で口を縛る。扇情的な服は目に毒なので破り捨ててしまいましょうか。

「楽しいお話でしたよ、お礼にもう一本ラムを奢りましょう」

 袋の中で何か叫んでいるが知らんぷりしてラムを頭から注ぐ。
 顔にぴったり引っ付いて苦しそうですね。
 まあ色々ある人生ですし、がんばってください。

 ぐびりと一口飲んで気持ちを落ち着けていると、表が騒がしい。
 かなり手早く片づけたつもりでしたけど、もう気づかれましたか。
 ドアへ振り向いた瞬間、バーの半分が吹き飛んだ。

「どっかーん!アタシ参上!」

 前にもあった浮遊感。
 燃える炎のような赤い髪、露出の激しい民族ドレスのような服。
 それに似合わない巨大な右腕の手甲、手足の鎧。
 彼女がバーに足を踏み入れた時、足元から火花が散った。

「おや?さっき見た顔だね、ケガはなかったのかい?」
「お陰様でこの通り」

 己は両手を上げてくるりと回って見せた。鉄腕がケラケラと明るく笑う。

「そいつは何よりだ、おめでとさん。ところで・・・」

 重そうな腕をものともせず、ついっと指さして見せた。
 指の先には椅子に縛られて布袋をかぶせられ、呼吸もできず時々ぴくぴくと動く肌も露わな女体があった。

「あれはアンタの仕業か?いい趣味とは言えないな」
「あいにくと人と見せ合う気はなくてね、趣味ってのは自分だけで楽しむからいいんですよ」

 家族のいない今なら、何をしていても問題ないですしね。
 光の加減か、マシュリーの体に光の粒が見える。

「かわいそうに、いったいどんな罪を犯せばこんなひどいことをされるってんだ」

 背後からの声にバッと振り返る。

 熟女の布袋を引き裂いて助け出したマシュリーがそこにいた。

「げはっおぇっうげほっ・・・」
「よかった、死んではいないようだな。大丈夫、必ず助ける」

 やさしい言葉で髪をなでる彼女の右腕は熱く燃えている。
 臨戦態勢のようだ、こちらからも挨拶といきますか。

「助からないさ」

 音もさせずに抜いたオートマチックが火を噴いて、熟れた女の体は穴が増えて入れやすくなる。
 はずだった。

 瞬きひとつすらする間もない刹那にマシュリーはこちらへ振り返り、巨大な右手で溶けた鉛玉を握っていた。

 鉛の融解温度って何度でしたっけ?
 背後からの銃弾でも余裕で止めてみせる相手を倒すのは骨が折れそうですね。
やれやれとため息をひとつこぼしながらカウンターの隅へ向かう。
この相手なら背中を向けていても向かい合っていても状況は変わらない。

「あなたは音楽を聞きますか?こいつはあるピアニストの名曲なんですよ」

 そう言ってレコードをかける。どうしようもない時は自分のリズムを作るしかない。

「アタシは聞かないな。退屈で死にそうになる」
「この曲はピアノを弾く姿がまるで踊っているようだと讃えられた名手なんですがねえ、指揮とピアノを一人で担当したオーケストラもあるんですよ」

 彼女が聞いていた通りの人間ならば、最初の一撃さえ防げればまだ勝機はある。

 今の己が使える武器は、オートマチック拳銃が一つとS&Wのリボルバー、肉厚なコンバットナイフ。
 能力はマイ・フェア・レディと先ほどの襲撃者の中にいたらしい「対象の心の隙間に入り込む能力」くらいだ。
 まずはなんとかしてあの右腕を防がなくては、話にもならない。

「そろそろいいか?その退屈な音楽と一緒に燃やし尽くしてやるよ」
ボッと火がつくような音がして、鉄腕が消えた。


「がっは……」
「さすがに視認できないほどの速度でカウンターはきついみたいですね」

 左手で鉄腕を受け流し、右拳を胸に叩き込んだ姿勢で止まる。
 性格や構えから推測して相手の狙いを顔だけに絞ったのが功を奏したようだ。
 しかし想像はしていたが、やはり速度に耐えるだけの肉体強化もされているようだ。己の身体も強化されているが、鉄でも殴ったかのような衝撃が抜けた。

「アンタ……」

 呼吸を整えるよりも早く攻める。
 左手を振り切るようにして鉄腕を弾き、そのまま半歩進んで左フックを放つ。
 動揺のせいか反応が遅れたマシュリーの顎先にきれいなフックが刺さり、嫌な方向にねじれる。

「くふっ」

 続けざまに右アッパー、左ジャブ、左フック、右ボディ。
 ガードをかいくぐる強烈なラッシュで攻め続ける。

「私たちのような身体強化者にはよくあることなんですけどね。体の硬さが上がっても、守れない場所があることを知らないことが多いんです。硬度が変わっても脳だけは守れないんですよ。揺さぶられて考えることができなければ動くことができない」

 続けざまの強い衝撃に脳を揺さぶられて炎を維持できなくなったのか、右腕の温度が明らかに下がっている。それにつられて体の強化も弱くなっているようだ。

「脳みそ揺さぶられてそんなに気持ちいいですか?腑抜けてる場合じゃないですよ」

 体でぶつかって壁の柱に叩きつけ、淀みない手つきで腰のバックルから抜き放ったナイフが鉄腕鋼姫マシュリー・アルセディアの右肩に突き刺さる。

「―――――――――っ!!!」

 鋼鉄の皮膚を貫いたナイフでぶちぶちと筋肉が裂け、白目をむいて声にならない声で叫ぶ。
 すばやく3歩下がった己は高く飛んで回転し、ヒーロー風キックをナイフへ叩き込んだ。
 骨で止まっていたナイフが蹴られた衝撃によって骨を叩き割り、一気に肩を貫いた。

「あぎゃあぁっ!」
「正義の味方でも腕をちぎられそうになると痛いんですねえ、しかしいい声で鳴く」

 やくざキックの要領で腹に蹴りこむと、壁をぶち抜いてしまった。
 すぐに追いかけようかとも思ったが、忘れ物があったので振り返る。

「助かったと思ってもらっては困りますよ」

 渇いた音が一つして、バーのインテリアに赤が増えた。

 気を取り直して壁の穴を抜け、マシュリーを追う。

「これは驚いた…」

 思わず感嘆がこぼれた。一瞬前まで脳震盪でたっているのがやっとの状態で、肩から先を失いそうだというのに。

「あっあっああっ…おちちゃ…!ひぎぃっ!」

 左手で肩のナイフを抜いていた。
 抜くときに暴れたのだろう、路地は血まみれで足の踏み場もないほどに赤い。

「あっやだぁ…あ、とれちゃう…あっいっぁ…アタシの右手がとれちゃう…!」

 右肩を押さえて悶えながら這いつくばっている。
 必死に己から離れようとしているようで、うまく動かせない足を地面にずりずりとこすりながらゆっくりと進む。
 正直それを追う己の足は弾んでいたと思う。
 横からわき腹を蹴り上げて仰向けにしてやる。

「無様なものですね、正義の味方。弱者救済は強くなければできないんですよ」
「あぅっそれでも…ひぐっ…正義は…まけ…ない…!」

 涙と痛みでぐしゃぐしゃになった顔には、それでもまだ正義の光が宿る。
 わずかに陽炎がのぼり右腕の温度が上がった気がする。

「これでもまだ折れないですか…」

 ほんの少し焦りを感じながら膝を振り上げ、顔を狙って強烈なストンピングを踏み込んだ。
 ガッと鈍い音が路地に響く。

「あっつぁ!」

 足をたき火につっこんだような強烈な熱を感じて飛ぶように下がる。
 燃える、燃えている。
 足元の血だまりがぐつぐつと煮立ち、すがっている外壁が悲鳴のような音を立てて軋む。
 今、彼女を中心に何かが起きている。
 逃げないと…やばい。
 絶望的な死を前に、思わず口元から笑みがこぼれた。

「何を笑っているんだい?生きて帰れるとでも思ってるんじゃないだろうね?」

 蒸発した血液の蒸気でよく見えないが、明らかに彼女は立ち上がっている。
 右腕の部分が強い光を放ち、異常な蒸気の中でも特別な存在感を放っている。
 ぶら下がることしかできないはずの右腕がゆっくりと持ちあがり、周囲の温度が跳ね上がる。
 弓を引き絞るように拳を構えた影に合わせるように構えを取ったが…。

「がぼぁっ!」

 先ほどの一撃とは比べるべくもない速さで彼女は飛んだ。
 バーの壁をぶち抜き、カウンターを貫き、道に飛び出しても勢いは衰えず、圧倒的な熱量が一つの抵抗さえ許さない。
 道の中ほどで全身が引きちぎられるかと思うほどの衝撃を受けて急激に停止する。
 軽々と空に放り投げられる感覚、頂点に届くと同時に体の中心に衝撃が襲った。
 わき腹が焼ける臭いがする。脳が反応しきれないほどの加速感で頭が痛い。
 浮遊感を味わったと思ったらさらに突き上げられる。
 真下から灼熱の光が己の身体を突き上げて宙に浮いたまま降りられない。
 右、左、足、頭、肘、膝、くるくると回るように飛んでくるマシュリーを止められないまま受けることもできず暴力を浴びせられる。
 ふっと攻撃が止まった間に彼女を確認しようと目をやると、
 どんな奇術を使ったのか、すでに地上にいた。

「はあぁぁぁぁぁっ・・・!」

 深く息を吐き、全身の力を引き絞るように右腕を大きく背後へ振りかぶる。
 ああ、これは…まずい…
 己は全身の力を抜いて目を閉じた。

「砕け散れ」

 放たれた拳は大きく螺旋を描いて己を襲う。
 己の身体は大きく回転し、大地に手をついた。

「なっ!?」

 次いで左足、右足が着地し、バネのように大地を蹴る。
 渾身の左ストレートが大技で隙を生んだマシュリーの右肩へ刺さる。
 鋼を超えた超高温超硬度の肉体は己の強化された渾身の一撃を喰らい一歩下がる。
 肩を撃ち抜かれて右腕が大きく弾きあげられ、己の密着を許した。

「なんでだよっこんなに遅いってのに!」
「光の速さで動けても、人の遅さに合わせられるわけではないでしょう!」

 引き戻す勢いで振り切られる右腕を前転で避け、手で跳ね上げるようにその脇へ蹴りを滑り込ませた。
 マシュリーの勢いに逆らわない衝撃に剛腕を備えたその体が宙に舞う。
 その時、完治したかに見える右腕の付け根、ナイフが貫いたであろう部分のほつれを見た。
 指が地面に刺さるほどの力で無理やり体を引きおろし、地に這うように姿勢を整える。

「セット」

 まだ、ツキに見放されてはいない。
 全身全霊の一撃ならばあの右腕落とせるかもしれない。

「チャージ」

 わずかに宙を舞ったマシュリーは浮いた勢いのまま軽々と宙返りする。

「スタート」

 ドンッ
 鈍く重たい響きが、衝撃のように周囲を震わせた。
 己の蹴った地面が深くえぐれた感触があるが、蹴り出しには充分。
 1歩で音速
 マシュリーの足が地面に触れようとしている。
 2歩でその身に雲をまとい
 己の攻撃に気づき、反応する。
 3歩で赤熱し
 着地した足を構えるべく踏みなおそうと持ち上げる。
 4歩で地を蹴る意味を失う。
 全身に気を張り、力を込めるべく構えを…
 最高速最高威力にて、己の全筋力と全能力を叩き込む。

「ライダーキック」

 必殺の一撃はマシュリーの右肩を正確にとらえた。
 メリメリと超硬度が踏みにじられ、貫いていく。
 地獄の釜よりなお熱い正義の灼熱は、誇りとともにへし折られる。
 ブチブチと肉を貫き、つながったばかりの骨さえも砕き、加速度のままに蹂躙する蹴りは彼女とその右腕を永遠に別つ。
 蹴った勢いのままくるくると回転し、大地をえぐるように刻みながら止まる。

「その正義、確かにいただいた」
「あ、あっあ…あぎゃああああああぁぁぁぁぁっ!腕がああああぁぁぁっ!アタシのっ!アタシの血がなくなっちゃう!」

 狂ったように転げ回りながら吹き出す血流を抑えようと必死に肩を抑えるが、痛み、錯乱した状態ではうまく止めることができずにいる。
 欠落した鉄腕を拾い上げ、抱え込むと己も膝をつき、空を見上げて一人ごちた。

「こんなにしんどいのは…もうごめんですね…」

 



 次の朝、しみったれたモーテルで目を覚ました。
 テレビも置いていないぼったくりモーテルだが、泊まるだけなら何の問題もない。
 あの後マシュリーは近隣の住民によって病院に担ぎ込まれ、緊急で手術を行っているらしい。
 こちらとしては依頼内容にあるように右腕を回収したのでもう彼女に用はないのだけれど、とっておきが残っているのにこのまま終わらせるのには少しもったいない。
 もう少し、抉っていきましょうか。
 正義なんてものが信じられなくなるように。
 決めるが早いか布石を打とうとモーテルを出る時に、何かに引き止められるような微かな感触がしたような気がした。

 おやつ時の病院、そこはさながら野戦病院のごとき大騒ぎであった。
 2日前の列車強盗、昨日の虐殺事件及びマシュリー・アルセディアの緊急搬送。確実に病院のキャパを上回る患者が収容されている。
 聞くところによると列車強盗の犯人も入院中らしく、脱走対策だけでなく、マシュリーを守ろうと厳重な警備が敷かれているそうだ。
 最強の右腕を失った彼女にはもう戦う能力は残っていない。市民に絶大な人気を誇る彼 女を守ろうと民兵が躍起になっているようだ。

 宣戦布告とばかりに門兵の二人を軽く撃ち殺して門を押し広げる。
 今残っている装備は銃とナイフとマイ・フェア・レディのみだが、能力持ちのいない警備などたかが知れている。
 マイ・フェア・レディの効力は24時間中連続した2時間だけ。
 脱出の時まで使わずにいられたら話が楽に進むだろう。

 銃声を聞いて詰所から飛び出してきた兵士の頭をぽんぽんと撃ち抜く。
 訓練は受けているはずだが、圧倒的に経験が不足しているのだろう。
 慌てて飛び出してくる鴨を撃っていくだけの簡単な作業。
 あちらは流れ弾を恐れて撃てないのに対してこちらは撃ち放題、なんとも楽しい。

「頭を出すな!撃たれるぞ!」

 思わず苦笑。

「訓練では大事なことを教わらなかったようですね。相手が強い時は抵抗してはいけないんですよ」

 軽口を零しながら軽快に進む。
 マシュリーは4階建ての病院の2階奥の病室だ。
 所狭しと並べられた患者の間を縫うようにして歩いていく。
 階段の踊り場にも簡単なベッドが作られ、おびえた目でこちらをうかがう。

「ほかの人には用がありませんからご心配なっ…!?」

 転がされていた患者が突然飛びかかってくる。
 両手に警棒を構えて回転するように打ち据えてきた。
 とっさに体をひねって避けるが崩れた姿勢を立て直す暇は与えてもらえない。

「う、おっくっ――やりますね!」

 後ろで寝る患者を飛び越えるように宙返りし、その患者の点滴台をつかんだ。
 ガキィッンと金属がぶつかり合う甲高い音が賑やかな院内に響く。

「っ!」

 非道、そう言いたげな眼をした兵士は一歩踏み込んで更に攻撃を加速させようとするが

「ぁっ!あぁっ!いぎゃぁっ!」

 つながったままの点滴を振り回されて上がる悲鳴に視線を奪われた。

「隙だらけですよっ!」

 ふりかぶった点滴台ではなく、左のローで膝を折る。

「くぁっ!?」

 膝をついた兵士の顎をかちあげるように点滴台のゴルフスイングが刺さる。

「びっくりしましたよ、見事な発想です。ご褒美に退職金をプレゼントしましょう」

 ひっくり返って悶絶する兵士の右ひざと右ひじに鉛玉をぶち込んで先へ急ぐ。
 鼻歌交じりにスキップしそうになるほどの順調さ、それはマシュリーの部屋に着くまで続いた。
 こちらに銃撃ができず、接近すれば患者を盾にまとめて銃殺。
 完全に手詰まりとなったまま離れずに銃を構えて威嚇することしかできない民兵たち。
 彼らを捨て置いて病室のドアに手をかけた。
 中に入ると同時に左右から銃声が聞こえた。

「やったか!?」
「やってないです」

 ドアを開けると同時に発動していたマイ・フェア・レディの肉体強化によって己の身体に傷一つ付けられないまま銃弾は床に転がる。
 ぬっと左右に手を伸ばし、頭をつかんで持ち上げる。

「ひぃっや、やめろっ」

 パニック状態で銃を乱射する兵士たちは狙いが外れてお互いに撃ち合ってしまったようだ。
 持ち上げたまま両手に力を込めていく。

「いやだいやだいやだ!死にたくない!死にたくない!痛い痛い痛い!!」
「かあさぁぁぁん!いやだぁぁぁっ!」

 あわれ、爆発四散。
 ちぎれて落ちた体を踏み越えてベッドを囲むカーテンを開けた。

「これはこれは…少し意外でした」

 てっきりまだ眠っていると思っていたマシュリー・アルセディアは、服装を整え、髪を整え、ベッドに腰掛けて己に向き合っていた。

「殺しに来たんだろう?覚悟はできている」

 持って行け、とばかりに彼女は首を差し出した。
 己は期待に応えるように、マシュリーの細い首に手を添えた。

「まだ悪夢は終わっていないんですよ。勝手に幕を下ろさないでください」
「えっ?」

 首をつかんで持ち上げるとカハッと苦しげに息が漏れる。

「そんなに簡単に舞台を降りられると思っているなんて自分の価値がわかっていないですね。これでも己はあなたのために一生懸命脚本と演出を考えてきて助演男優までこなすというのに、虫がよすぎます」
「うっぁ…どういう…い、み…?」

 首を絞められ掠れた声で必死に声を出す。
 首を絞められた人の声ってのはどうしてこうも魅力的なんでしょうね。

「それをこれから教えて差し上げます。今夜のあなたは主演女優なのですから、期待を裏切らないでくださいね」

 細い腰を抱きかかえると病室の窓を突き破って空へ躍り出る、己の能力をもってすれば2階から飛ぶなんてことは朝飯前だ。
 近隣の民家の屋根の上を飛ぶように自警団の前から姿を消した。

「なぜそれほどまでに強いのに正義を行わない…?」

 小脇に抱えたマシュリーが弱々しくもはっきりとした声で話しかけてくる。

「誰しもに正しい正義なんてものは存在しないと知っているから。己は万人を救いたいわけではなく、ただ一人姉さんが救われていればそれでいいんです」
「守りたい人がいるのなら…正義の仲間を集めて悪と戦えばいいだろ…」
「それは愚かな行動です。この世界は安定しているように見えて徐々に衰退している。物資の生産は人の増加に追い付いていない。食料がなければ仲間からも奪い合うしかない」
「そんなことはない、人は…救いあえる…」
「無理です」
「なぜっ…!」
「正義では腹は満たされない」
「っ!」
「正義で生きていけるのならそうでしょう、しかし生きていくには食料がいる。その食料は限られた範囲でしか生産されていない」
「ならその範囲を広げればっ」
「それも無理です。環境汚染は半端ではない。もし環境汚染を改善することができる能力を持った人物が現れれば話は別ですが、環境汚染から生まれた能力者が除染することができるなどというのはありえない話です」
「信じれば奇跡は必ず起こる、世界はそうやって生き残ってきたんだ!お前は知らないが、私の生まれた国だって何度も崩壊の危機があったが、その度人々の祈りに応えるようにして奇跡は起きた!」
「語るに落ちましたね。あなたは本当に現実を見ていない。理想論者、夢想家、仏教徒のように火事が起きてもそれは無いものだと言って無視するつもりですか」
「それはどういう意味だっ!私は奇跡を体験しているし歴史にも残っている!人々が真に祈ればそれは成し得るんだ!」
「もういいです。到着しましたし後で話しましょう」

 



 屋根の上を駆け抜けてたどり着いたのは郊外のスラム。
 マシュリーはよくここに来て食料を配り歩いていたそうだ。
 住民からの信頼も厚い。
 突然空から降ってきた己たちに住民たちがざわざわと騒ぎ出す。

「ここは…ここで何をするつもりだ?」

 戸惑いを隠せないまま、マシュリーは己を見上げる。

「あなたの冗談じみた正義という光にかき消されていない本当の姿を見せて差し上げますよ」

 ずかずかとスラムに入るとぼろぼろの服を着た住人達が手に手に武器を持って取り囲む。
 見たところ銃などは持っておらず、木の棒や鉄パイプ、杖代わりのバット程度の武装のようだ。

「アンタ一体どういうつもりだ?こんなところに鉄腕の嬢ちゃん引きずって現れるなんて、よほど死にたいらしいな?」
「死にたいのはあなたたちの方でしょう?鉄腕鋼姫を倒した己を前にしてそんな武装でなんとかなると本気で思っているんですか?まあ、虐殺コースでも己はまったくかまわないんですがね」

 マシュリーの首をつかんで盾のように掲げ、右手でS&Wをぶらぶらする。

「うっ…みんな頼む、退いてくれ…悔しいがコイツは強い…」
「嬢ちゃん…」
「チクショウ…!嬢ちゃんには世話になってるってのにこんな時に助けてやれないなんて!」
「すまない…アタシが弱かったばかりに…」

 マシュリーの説得もあって人の輪が広がり、その間を揚々と通り抜ける。
 テントが乱立し、ブリキの家々が並び立つ、わずかに流れる川は汚れて妙な匂いがする。
 そんな場所を抜けて、己はある場所に着いた。
 今までの建物とは少し趣が違う、少し大きなコンクリート造りの施設。

「おい…待て…アンタなにをするつもりだ…!」
「あなたがご執心だった孤児院ですよね。来る前には必ず連絡を入れてからとシスターに厳命されていた。それがなぜだか考えてもいなかったでしょう?」
ドア代わりのカーテンを静かに開けて中に入る。
「何を…見せる気だ…」
「本当は薄々感づいていたでしょう?自分がいなくてもなぜこんな狙われやすい場所が襲われていないのか、なぜ楽ではないとはいえ安定して暮らしていられるのか?」

 小脇に抱えたマシュリーが震えだす。

「や、やめて…やめてくれ…」
「あなたの正義って結局、自分以外の誰も見ていない正義なんですよ。だから本当に困っている人や本当に直さなきゃいけないことを正さず、暴力を伴う犯罪しか止めない」

 短い廊下を抜けて、正面の大きな扉の前に立つ。

「そんなことだから、自分に都合の良くない現実には目をそらしているんでしょう?」
「違う…違う、違う!」
「本当は救う気なんてない。だからこの扉から聞こえてくる声も聞こえないふり」
「やめて、許して、開けないで…お願いだから…」

 涙を流して懇願する彼女を己は地面に座らせ、後ろから肩を抱いた。

「おいおい、現実見ろよ正義の味方」

 ノックを3回、音を立てて開かれる大扉。

「あひゃぁぁぁっい、ぃぃぁぁっん!」
「あへぇっあひゃっひぃんっ」
「いいっ、いいよぉ!オチンポ気持ちいいよぉ!」
「あ、ああっお姉さん気持ちいぃ…!好き、これ大好きっ!」

 年端もいかない子ども達の饗宴。
 扉を開けた老齢のシスターが己たちを見て激しく狼狽する。

「マシュリー!あなたなぜここに!?病院で寝込んでいるはずじゃっ」
「シ、シスター!アレは、どういうことなんだ…!?なぜ子どもたちがあんなっ…!?」
 シスターはハッとしたように扉を閉めようとするが、そんなことは己が許さない。

「簡単なことですよ、この人は守るために犠牲にしたんです。誇りとか尊厳とか、子ども達の未来とかをね」
「そんな…!」
「違うのよ!これはやらなきゃいけないことなの!こうしなきゃ私たちは生きていくこともできないのよ!」

 取り乱したシスターは激昂したように叫んだ。

「正義だと名乗るあなたは確かに私たちに食べ物を分け与えてくれた!生活に希望をくれた!でもあなたはそれだけ!それだけだったのよ!お金がなければ生きていけない。なのに私たちは稼ぐ労働力を持っていない!なら!こうするしか、ないじゃないのよ!」

 そう言って子ども達に向き直った。
 ずいぶん長く行われていたのだろう、扉があいても誰一人こちらを向くことなく、自分のお客に夢中でしゃぶりついている。
 相当長い間なにがしかの薬を投与されているのだろう。子ども達は客が誰であろうと虚ろな目で受け入れ、どれだけの苦痛にでも耐える。
 わりと綺麗な顔立ちをした少女など、前に2本、後ろに1本咥え込み、それでもまだ足りないと求めている。
 男女比が2:8なのが幸いしたのだろう、大繁盛で実に良いことだ。

「鉄腕鋼姫マシュリー・アルセディア?正義正義と持ち上げられていい気になっているだけのあなたに何ができるの!?暴力だけよ!私は子ども達が生きていくために必要なことをしているわ!食事を与え、外敵から守り、教育を行い、生きていく力を身につけさせた!あなたの口だけの正義よりもずっと!私の方が正義だわ!」
「その結果がこれなんですね。実に見事な商売だ」

 己の拍手が狂宴の中に空しく響く。

「フラン、ルシエル、エリー…みんな…なんで…」
マシュリーの呼びかけに答える声はなく、さらに嬌声が上がる。
「守ってきたと信じていた子ども達がずっと前からあんな薄汚いオヤジどもに穢されていたと知って気分はどうですか?あなたがここに来るようになってからもこの子たちの生活は何も変わらず、神の家ですら正義なんてどこにもない」
「アタシの正義は…違うんだ…こんなことになってるなんて…知らなかったんだ…」

 力の入らない四肢でズリズリと後じさるマシュリーを捨て置いて、子ども達に向き直る。
「さあ子ども達、お遊戯の時間はおしまいですよ!晩御飯を食べる前にお祈りをしに行きましょう!神の国へ旅立つための準備をしなくては!」

 薄ら笑いが浮かぶのを抑えられないまま、パンっと大きな柏手を打つ。
 嬌声を上げていた子ども達が一斉に黙り、すたすたと部屋を出る。

「お、おい!シスター!どうなってるんだ!今夜はいくらでも楽しませると言っていたではないか!」

 イチモツを丸出しにしたまま汚いオヤジどもが口々に文句をシスターにぶちまける。

「そ、そんなことを言われても…何が何やら…!」
「ふざけるな!俺たちは客だぞ!お前がマシュリーが病院に入っている間いくらでも子ども達を使っていいというから見逃してやっているというのに一体どういうつもりなんだ!薬の使い方を間違えているのではっ…」

 轟音が部屋に響く。

「少しうるさいですよ。ぶくぶく太って心まで醜いその体、あまり己に見せないでいただけますか?」
「うっ撃ちやがった!こいつ撃ちやがったぞ!」
「護衛は何してやがる!撃て、こいつを殺せ!」

 轟音が何度も鳴り響く。
 触れたくもないほど醜い豚どもは全員壁に脳漿ぶちまけて転がった。
 弱々しく己の袖を引く感触。

「準備、できた」

 一番の年長なのだろう少女が己を呼んだようだ。人数を確認して満足げに頷いた。

「よろしい、それでは行きましょうか。本当の楽園へ」

 揃いの白い修道服を身につけて家を出る。

「お、おい…子どもたちをどうするつもりだ?シェリー、こんな奴についてっちゃいけないよ、フランも何とか言ったらどうなんだ?いつもの委員長っぷりはどうしたんだよ…

 だが、それに答える子はおらず一人として列を乱さず歩き出す。

「待って!子ども達を連れて行かないで!その子たちがいなくなったら明日からどうしたら…!?」

 髪をふり乱したシスターが鬼の形相で己に詰め寄る。

「シスター、あなたが守りたいのはこの子たちじゃなくて、ご自分の楽な生活でしょう?事務室と呼んでいるあのお部屋でお金を数える仕事はさぞ楽しいことでしょうね」
ヒィッ!と息をのんだような悲鳴のような音を出してシスターが引く。
「な、ななんでそれを…!?誰にも見られたことはないのに!」
「神の信徒であるあなたがそんなことだから子どもたちが苦しむのです。この子たちは己が責任を持って安寧の地へ送りましょう」

 声にならない何事かを叫びながら頭を抱えたシスターによろよろとマシュリーが歩み寄る。

「シスター…本当は…どうなってるんです…?もうアタシ…頭がぐしゃぐしゃでよくわからなくなって…」
「そのシスターが子ども達に薬を飲ませて性処理道具にして販売していたのですよ。見返りに少しのお金と周囲から襲撃されない安全を保障された。それだけのことです」
「それの何がいけないのよ…生きるためなんだもの…」
「ちょっとやりすぎたんでしょうね。神の国で反省してくださいな」

 えっ?と顔を上げたシスターの額に突き当たったS&Wが火を噴いて、ごろりと転がる。

「あっああぁっあああああぁぁぁぁっ!シスタアァァァァッ!」

 転がった肉にすがりつくマシュリーを放って子ども達と歩き出す。

「これから行く先は誰もが幸せなのです。苦痛も悩みも苦しみもなく、誰もが幸せに笑い、歌い、踊る。餓えも病もない素敵な場所なんです。ちょっとばかり遠いですがね」

 その言葉に先ほど己の袖を引いた年長の娘が反応する。

「遠い…の?」
「ええ、それはなかなか苦しい行程になりますね」

 すると娘は少し困った顔をする。

「小さい子…いる…楽…近い道…ない…?」

 薬に脳を犯され肉体もボロボロに使われたというのにその娘は妹に当たる幼女を心配していた。

「なんと心優しい娘さんでしょう!あなた方のような真の家族と呼ぶにふさわしい敬遠な信者足りえる子たちに神がどうして試練を与えたもうものか!試練にて試すまでもなく、すでにあなたたちは立派な殉教者だ!」

 大げさに手を広げ、その小さな肩を両手でつかむようにしてほめたたえる。

「幸せにおなりなさい。こんなに小さな体でもう辛いことなどないように、己だけが知っている近道を特別にあなた方だけにお教えしましょう」

 娘の顔が少し安堵にほころぶ。

「汽車を使うとしますかね。少し運賃がかかりますが、それは己が持ちましょう」
「ありが…とう…」

 お気になさらず!そう言って頭をポンポンと叩く。
 もうすぐ日が沈む。
 スラムを出る際に己たちの後ろにマシュリーがついてきていることをちらりと確認して、己はほくそ笑んだ。

 



 駅、近代的な駅というのは行き先までの切符を買ってからホームに入るそうだ。
 しかしわざわざそんな必要のないことはしない。
 やってきたのは踏切だ。

「近道にやってきましたよ!これからあなたたちはこの踏切を超えて新天地へと旅立つのです!」

 少しだけ疲れた表情の子ども達の顔に明るい色が差した。
 子ども達に話しかけながらその後ろに幽鬼のように立つマシュリーを見る。
 もはや何も語らず、フラフラと子ども達についているだけの人形のようだ。

「彼女の正義は口ばかり、奪うばかりで与えるのは食べ物だけ。安心させてほしいのに、シスターは相変わらずまずい薬ばかり飲ませる。そんな気持ちとはおさらばです!」
「もう…苦しくない…?もう…痛いことはない…?叩かれたり…噛まれたり…変なの入れられたり…お口に入れられたり…嫌なこと…しなくていい…?」
「もちろんですよ、今までよく頑張りましたね。もう正義に期待しなくていい。全てから解放されて、楽になっていいんです」

 足の裏に微かな振動を感じる。
 カタカタと線路の中の石が揺れる。

「さあ、ではそろそろ向かいましょうか」

 己の合図で子ども達が横並びに歩きはじめる。
 微笑ましいことに皆で手をつないで、新天地でもはぐれないようにしているのだ。
 少しの斜面を登り、降りようかと下に目をやった時。

「ああ、そうだ、とても大事な注意事項を忘れていました」
「注意…事項?」

 子ども達の足が止まり、振り返る。
 カタカタという音は次第に大きくなっている。
 なぜか己の横に座り込んでいるマシュリーはまだシスターのぐちゃぐちゃになった脳みそを抱えて何かをぶつぶつつぶやいている。

「ええ、これを守らなければたどり着けないし、新天地でも守らなければ追い出されてしまうとても大事な注意事項なのです」

 娘の眉が困ったように少し寄る。

「それは…困る…」
「ええ、ですから…よく聞いてくださいね」
「うん、みんなで覚える」

 足元の石が踊り始める。

「1つ、決して人を傷つけるべからず。これは当たり前のことですね。自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」
「うん…人を傷つけない…」

 線路から伝わる振動でギシギシと枕木が鳴る。

「2つ、常に正直であれ。人に嘘をついてはいけません、嘘は泥棒の始まりです」
「うん…嘘をつかない…」

 風の流れが変わる。
 マシュリーの足を踏みつけて顔を上げさせる。

「3つ、生まれ変わったら他人など信じないで自分の力で生きていきなさい」
「うん…えっ?」

 プオォォォォップオォォォォッ!!!けたたましく鳴り響く列車の警笛。
 子ども達はその汽車のライトに包まれて、車体の陰に消えた。

「……………えっ?」

 びちびちびちっと血袋を車輪が踏み続ける音が聞こえる。
 汽車が通り過ぎた後にはすべてぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。

「あ、あはは…なに…それ…」
「きっと向こうでは、うまくやることでしょうね」
「あはっあははははっ!もうやだっもうやだよっ!あはは!なんでこんなっなんでアタシがこんなひどい目に遭わないといけないの!?」
「正義の味方だからじゃないですか?」
「正義の味方だったらこうなの!?親しくしてたと思ってた子ども達を、アタシが救っていると思っていた子ども達をこんな方法で殺されなきゃいけないの!?」

 そんなことになるなら…!
 正義なんていらない…!

 童女のように膝を抱え、マシュリーは顔を伏せた。
 その正面に立って己は話しかける。

「やめちゃうんですか?」
「もう知らない」
「そんなものだったんですね」
「うるさい」
「まあどうせ偽善でしたしね」
「アンタに何がわかる」
「わかりますよ、自分の故郷のことさえ知らないあなたよりはよっぽど」

 己の言葉に彼女の肩が跳ねた。

「…どういう、意味だよ」
「これはもう5年ほど前の新聞なんですけどね。あなた近くで聞こえる悲鳴とか犯罪とかにしか興味なかったから新聞なんか見てなかったでしょう?」
「はっきり言えよ!どういう意味なんだ!」

 顔を上げたマシュリーが勢いよく立ち上がり、左手で己の襟をつかむ。

「あなたの故郷、もうとっくに滅んでるんですよ」
「は?」
「本当に、知らないんですね。少し引きますよそれ」

 襟をつかんだままマシュリーはかぶりを振る。

「いや、だって、ありえないだろ」
「なぜ?」

 目は泳ぎ、体が揺れている。

「だって…だってさ…超大型汚染獣に襲われた時だって、大飢饉や正体不明の疫病が流行った時だって、戦力差20倍の隣国に攻め込まれた時だって…その度に奇跡が起こってあの国は生き残ってきたんだぞ?」
「なぜ今回は起きなかったんでしょうね?」
「は?なぜ?言ってる意味が…」
「ほら、明らかに違うところがあるでしょう?今までと今回とで」
「い、いや意味が…」

 そこでマシュリーを突き飛ばし、右腕を掲げる。
 ガキャァッンと重々しい金属音が響いて己の右腕に巨大な手甲が装着された。

「アタシの…右腕…ハッ!?」
「気づきました?いや、知っていたはずでしょう?この右腕は神々の時代の遺物。これがあの国に安寧をもたらしていたというのは、子どもでも知っているおとぎ話」
「あ、ありえない…!アタシはそんな大層なもの知らない…!ただ置いてあったから持ってきただけなんだ!」
「ずっとそうやって目をそらして生きてきたんですね。何もかも自分の都合のいい部分だけ切り取って、正義を語って気分よく遊んでいた」
「そんな…つもりじゃ…」
「あなたが旅をしていたこの数年で、あの国がどれほどの災厄に悩まされたか知らないんでしょうね。目をそらしていたんですから」
「だって!わかるわけない…!しかたないでしょ…!」
「あなたがこれを持ち出したから、国は滅んだんです」
「あ…ああぁ…ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 月夜に響く絶叫。
 心の中にあったすべてのモノが崩れ去り、正義である自分の大罪を突きつけられたが故の絶叫。
 今の彼女なら…たやすく能力の餌食になる。
 己の指輪が鈍く光り、その悪魔の如き能力を解き放つ。

「国を滅ぼしたのは隣国です」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「侵略者どもは今もあなたの国でのうのうと生きている」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「でもあなたには復讐する力がない」

 鉄腕を掲げて微笑む。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「代わりにしましょうか?」
「っ!?」

 ぴたりと叫びが止まる。
 ギギギと軋むような音を立てそうな動きでこちらに向き直り、己の顔をジッと見る。

「憎いでしょう?」
「………」
「あなたの幸せな国を奪った侵略者どもが憎いでしょう?」
「………」

 苦悩するように目を背ける。

「だってあなたの家族はみんな死んだのに、侵略者たちはそれを肴に楽しく暮らしているんですから」
「…っ!」
「一体どれほどの屍が積み上げられたのか、ご存じないでしょう?死者は王族以外皆、まとめて国外で焼かれたのですよ」

 パッと顔が上がり、己の眼と向き合う。

「弔いもせず、ただ奪い、犯した」

 眉が寄り、歯を食いしばる。

「王族は地下牢に閉じ込められ、食料も与えられないまま4日過ごした後」

 目が濁ってきている。

「ただ一つだけナイフを与えられたそうです。その2日後に看守が覗くと、そこにはあなたの妹君だけが残っていたそうですよ」

 唇の端から血が流れ、握りかためた左拳はビキビキと骨が悲鳴を上げる音が聞こえる。

「そんな人間とも思えぬ所業をした者は今夜も酒に酔い美談のように語らうのです」
「殺して…やる…!」
「正義の味方なのに?」
「そんな奴らが生きているのにみんなが殺されて!どうしようもできないまま終わるなんてできない!」
「やりましょうか?」
「っ!」
「力を奪ったのは己ですし、筋は通るでしょう?」
「でも…!」
「あなたは覚悟だけ示せばいい」
「覚悟?」
「どれだけ穢れても、正義を成すのだという気高い覚悟を己に見せてください」

 己の条件に戸惑いを隠せないまま、それを受け入れた。

「ちょっとチクっとしますよ。なに、心配はいりません。これで手術の後遺症を抑えられる」
「あ、ありがとう…」

 戸惑ったまま言うがままに連れられて監獄までたどり着いた。
 鉄腕の力で塀を垂直に越え、中庭に降り立つ。
 警察が機能していないこの時代、凶悪犯たちが閉じ込められる監獄は無秩序の象徴となっていた。
 放り込むだけ放り込んであとは見ているだけ、中で何が起こっても関与しない。
 そうしないと看守たちの命がいくつあっても足りない世の中なのだ。

「ここであなたの覚悟を見せてください」
「こ、ここで?」

 もじもじと太ももを擦り合わせるようにしながらなんとか己にすがって立っている。
 突然現れた己たちに囚人たちは驚きながらも、距離を詰めてくる。

「ええ、慈善事業だと思ってください」

 そういうが早いか己は鉄腕で彼女の病院服を破り捨てた。

「なっ!?なにをっ!?」
「薄汚いしみったれた間抜けども!この女は鉄腕鋼姫マシュリー・アルセディア!お前たちのほとんどをここに閉じ込めた張本人だ!煮るなり焼くなり犯すなり好きにしろ!」

 ザワッとさざ波のように伝播していく言葉が広がるよりも早く、己は飛び立った。
 塀の上から見ていると、まるで砂糖菓子に群がる蟻のような影が悲鳴を上げて逃げ惑う影を押しつぶした。
 おそらくめちゃくちゃに犯されていることだろう。
 汽車の時のような絶叫が響き渡り、彼女の長い夜が始まった。

 右腕の使い心地に満足しながら、己は彼女の国があるであろう方向へ目をやった。
 今から行けば、明日の夜までには隣国もろとも滅ぼせそうですが…。

「正義の味方じゃあるまいし、約束は必ず守れるものじゃないですよね」

 そう呟いてボロモーテルへ踵を返した。



 明日には家族と合流して、景気づけをしながらゆったりと帰りたいものです。
 今回の依頼は確かに…かなりきつかったですね。
 シャワーを浴びて眠りについた部屋で、微かに物音がする。

「お兄様…とっても素敵だったよ…」

 微睡の中で聞いたような声は、己に目覚めの快楽を予想させるのには充分だった。



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