エサオマントッタベツ岳(1902m)
日高山脈北部、斑レイ・閃緑岩帯
山岳氷河地形の化石(2)
 今年の夏(2002年)は北海道・北東北は梅雨空で天候はよくなかった。北海道では真夏
日は二、三日といったところだった。待望の、土・日に晴れの天気情報が出ても一日中スカッ
パレの山行ではなかった。久方振りの山中泊。
 ッタベツ川に沿った本林道を走らせ、エサオマン案内板手前で左折して支
林道駐車場所から出発したのは朝6時過ぎであった。崖崩れで寸断した林道跡を
進むと右広場入口に登山ポストがある。広場に進まず、さらに、廃道を辿って、
エサオマン川に入渓する。渓床岩相は閃緑岩、ルート殆どがこの深成岩で斑レ
 入渓始め頃の渓相
モレーン(この辺りが谷氷河末端)があるとされる所であるが、確と視認もせず
曖昧のまま通り過ぎてしまった。谷幅も広く傾斜も緩い。未発達U字谷といえば
いえる。(注1)緑陰の渓合を流下していくトラン(torrent、渓流)は続く。



 997m点で左から合流する支沢(ここも谷氷河だった)を過ぎ、標高124
5m辺りから樹林は低く疎ら気味になり、(北)東カール絶壁、エサオマン・
札内岳分岐の稜線懐に囲まれ、カールから発出する緩い滑(なめ)が緑の切
れ切れに点綴として白く光っている大展望が開ける。水量が
減った磊々とした礫河原を遡行してやや険しい滝場を巻く

 

イ岩類と黒雲母花崗岩質マグマとの混成作用で形成され、ト
ッタベツ複合岩体の一部、貫入岩相(貫入時期弟三紀)、カ
ルクアルカリ質系列である。島弧性地殻であることを示す。
 
 エサオマン本流を右岸,左岸、段丘上渓畔林中の氾濫分流
涸れ床、巻き道を歩く。概して渓右岸沿いが進みやすい。標
高900m右岸に氷河後退期に堆積した丘ラテラルターミナル
(注1)谷断面形の半分がy=axの放物線を描ければよい。y=垂直距離、a=谷の中心か
らの水平距離、bは指数係数。
と延々と続く滑滝となる。
圏谷(カール)から舌状に
垂れた圏谷氷が谷氷河とな
って氷河基底融氷水により
ゆっくり流下していった。
ここら辺りで幅はカール径
幅で、氷河基底は接触表面
の岩石を削剥し岩屑を運搬
していく。この滑滝は氷河
の厚みが最も厚いところで
滑最上部から、谷が大きく
屈曲する辺りの低位置まで
谷氷河があった、とされる。

 
 
その氷食作用による痕跡地形化石である。この氷食谷gl
acial troughは既存の河川谷をなぞっているだろう。
元の河川谷はどんな地形景観であったろうか。日高山脈
は年季のはいった古い山脈である。1500万年前千島
弧衝突により隆起したが、その後永い間侵食が進み、最
近200万年の間に1000m隆起したのだそうだ。とする
と、V字形沢谷を刻んでいたのだろう。(注2)
 岩盤の凹凸の僅かな凹みを縫って沢水が滑り去る。雲
が出てきて、これまでの晴朗な山気が陰鬱気味となる。
延々と続く滑滝
(注2)山脈の隆起と地質とはことなる。地質は遥か昔に生成され、大地
の起伏はずっと後のことである。
(北)東カールと周氷河地形
 枚岩の滑滝の氷食谷が終わるとゴーロとなり、二股は右をとると谷頭は
尽き、東カール底に到着する。カール底入口左右は砂礫でありモレーンを構
成するティルではないか。ゴーロの急登を抜け出すと、ガスが揺曳する天鑿
によって刻まれた凱々たる崖壁がそこにあった。カールはサークcirque(仏
・英語)とも言う。サーカスのサークである。もともとは円形劇場という意
味である。上の組写真では円形が全く表現されていないが、まるで石造りの
円形劇場だ、といってもオーバーではない。圏谷壁前にある小丘群は氷河最
晩期にできたモレーンで、右はじの写真ではそれが丸い形をしている。
 今の今地表に湧き出た水がこんなにおいしいものだと初めて知った。ここ
で野営した。夜半冷えた。朝は茜色に染まり晴れていた。
 稜線からの山並み。左は来し方、雲海、右端の谷に沈む雲海はかっての谷氷河を想感させて面白い。
中は札内岳遠望。右は頂上記念写真、背景はポロシリ岳とトッタベツ岳、七ツ沼カールが宙に浮かぶ。
 手前が札内岳JP、主稜線は弓形にカーブして南へと消える。カムエクはガスに隠れている。右は
ナメワッカ支稜線、主稜線脇左からナメワッカAカール、Bカール、Cカールが並ぶ。
稜線上から鳥瞰したエサオマン北カール。
(北)東カール稜線。
 度をしてカール
上稜線に出る。 カ
ールによって稜線が
食いちぎられて、い
くらか高度を低くし
ている。右の写真で
中程の二つの黒い三
角の影は尚も稜線を
氷食せんとした溝ト
レンチだ。このアレ
ート西寄りの周氷河地形上を被う丈の低いハイマツ一斉翡翠色大斜面につ
けられた踏み分けを辿る。このような斜面稜面こそ日高山脈の個性という
べきものだろう。頂上付近にはあたかも準平原を偲ばせるような多少の平
坦地があるものだが、これが影も形もなく、起伏がない急峻で滑らかな稜
面が下方へとはろばろと広がっている。この成因は、一種のクリオプラネ
ーション(周氷河環境下での地形の平坦化)作用が氷河期に盛んに働いた
からなのだろう。やがて頂上の人となる。頂上には先行の四人程がいて、
一人に写真撮影をお願いする。北カールが見える稜線北へ移動。北カール
はポロシリへのルートにあたるが、朝の陽光の下で静まりかえっていた。


 
 
 
 Penkによればカールは発達する程に円が閉じられるような形になるそ
うだ。そこまではエサオマンのカールは発達していない。発達する前に稜
線が侵食され、氷河を涵養する雪を捉えなくしてしまうだろう。現在見る
形が均衡状態だったのだ。(北)東カールの稜線侵食はポロシリ七ツ沼カ
ール崖に似ている。話のついでだが、七ツ沼カ―ルがカール底(500m×5
00m)の平坦さ、底とカール壁とのバランス、沼の存在などから単独で規
模は勿論、景観の美しさは日高一であろう。この七ツ沼でも北アルプスの
それと比べると規模は小振りであるが、これは、緯度が高いにも拘らず積
雪量の差による。
 
 行方知らずに重畳する山並みパノラマのパースぺクティブを堪能してカ
ール底に降りた。



 (北)東カールは、ひっそりと佇む人々の記憶から忘れ去られ、怪しく
朽ちかけた廃墟の、古代円形劇場か城壁遺跡を彷彿とさせる雰囲気が漲っ
ていた。ントを撤収して帰途につく。
 円形劇場廃墟に通じる>空中回廊<、滑滝は慎重に下った。後は、回廊
へ至る>密林<の渓合、沢歩きとしては何も困難なところはない。岩魚の
翳を見る水嵩のない淵脇をへつり、白い筋模様が入った閃緑岩の渓床が揺
れるトランを徒渉し転石をつたい、お茶を飲んだり、間食(ラーメン)を
したりで、せん流の音次第に遠くツ―ンとした静寂、暢気のエッチラオッ
チラ、ヤレヤレと、支林道駐車場所に戻ったのは雨がそぼ降りはじめた夕
方5時も半ば過ぎだった。

 帯広手前の温泉ホテルに宿をとって就寝したのは12時近くであった。

                   (2002年8月16、17日山行) 
※ 稜線に上がるには最も札内岳よりのルートでさらに細く左に分岐する踏み分けを採る
のが安全である。分岐せず一見「本道」に見える礫の涸れ床を一文字に詰めてはならない。
札内JP稜線に出てハイマツを漕ぐとすぐ踏み分けに会う。
この上から滑
滝となる。