赤ずきんチャチャを見よう!
第2話「ライバルは黒ずきん」
大人たちとの自然な関係
初めて学校へ行く前の晩、何度も何度も持ち物のチェックをしているしいねちゃんがすなおで真面目で、小さい子みたいでカワイイです。はりきってどろしーの服を魔法で出してあげようとする場面のしいねちゃんも、いかにも「いい子」なんですが、考えてみればこー言うキャラクターって、アニメの世界ではけっこう貴重だと思いませんか? 今までの、特に少年もののアニメでは、子供はあんまり大人に対して素直じゃだめで、むしろいろいろと反抗したりすることが視聴者である子供たちに英雄視というか、親近感を持たれるポイントだったんではないかと。でも、ホントに子供たちってそういう少年像を良いと思っていたのかどうか。そーいうのは製作者の大人の側の思い込みに過ぎなかったんじゃないかとも。「ドラえもん」の登場人物に典型的に示されるように、優等生タイプの「いい子」というのは「子供の世界の裏切り者」みたいにイヤミな存在として描かれることが多かったじゃないですか。でも、しいねちゃんのようなタイプの、ホントにすなおな「いい子」だったら、子供たちだって好感を持つと思うのですが。
初めて学校へ行く朝の3人。リーヤを学校に行かせたくなくていろいろと文句を言うしいねちゃん。効果がないと見ると「お師匠様ぁ・・・」と、どろしーのスカートのを引っ張って訴えるあたり、甘えん坊でいいです*^^*。一方、チャチャとしいねちゃんが保護者と一緒にほうきで飛んで行ってしまい、(保護者と一緒にほうきに乗って行くことに何のわだかまりも持っていないらしい様子なのも、みんな幼くて素直でカワイイです)、で、取り残された場面のリーヤの反応がアセアセで、これまた、なかなかカワイかったです。じいちゃんにわし掴みにされて投げ飛ばされるところも。
そして圧巻はラスカル先生との初対面で、ムチで引きずられて行く時の3人の声がいかにも怯えているようでよかったです。「お師匠様ぁ〜(;_;)/」とベソをかきながら訴えるしいねちゃんの声といったら、もう・・・。
そういうわけで、チャチャの世界に登場する子供たちは、みんな甘えん坊で、かなり簡単に保護者たちに泣き付くし、これでいーのだろうかという気がしないでもないんだけど、こういう「リアル」な子供像が、子供たちには(そして私たちにも)安心感を与えてくれるのではないだろうか。 70〜80年代の典型的なアニメというと、主人公の子供には親がいないみなし子だったり、親から離れて旅の途中だったり、そうでなくても親なんてなるべく埒外に置いておきたい別世界のことというのが多かったのだが、そういうのはもうたくさんだッ! という反動がここに来てチャチャのような「甘えん坊だけどカワイイから許す!」という作品を生んだんかもしれない。
とはいえ、セラヴィー、どろしー、リーヤのじいちゃん、が、いずれも実の親ではなく、「親の代理だけど親のような野暮ったさを持っていない存在」だという点は重要なポイントだろう。子供たちは親の野暮ったさをこそ恥じらうのであって、そういう意味では、実にチャチャもしいねちゃも「実の親は別にいる」のであり、これこそ子供たちの望むところだったのかもしれない・・・。
このあたりの考察の続きはまた別の回ですることになりそうなのでこのへんにしておきます。