□□□□□『もう誰も死なないで』高遠菜穂子□□□□□

2004年11月13日 もう誰も死なないで

11日は小樽での報告会があった。前日の北海道新聞(夕刊)の記事が
効いたのか、たくさんのマスコミが来ていた。でも、マスコミの人にも
もちろん見てもらいたいファルージャの映像だからよかった。

最近、報道を見るたびに嫌な気分になる言葉が二つある。「スンニトライアン
グル」と「武装勢力」だ。スンニトライアングルっていうのは空から誰かが見た
三角形なのでしょう。その言葉にファルージャの人たちはとても嫌な顔をする。
イラク戦争で兵士だった知人は「スンニトライアングルと呼ばれるエリアで、
同じ塹壕で生死を共にした戦友はシーア派もいたし、クリスチャンもいたよ」と
言っていた。ファルージャに駐留していた米兵たちはスンニトライアングルは
危険だと思い込まされていたから、余計に人々を脅すようなやり方で押し
入っていったのだ。その言葉の生み出した誤解が今までにどれほどの人の
命を奪っただろうか。

悲劇は日常的に起こる。ある家族が車で移動中に米兵2人に止められた。
2人の米兵は英語で家族に「車から降りろ!」と怒鳴った。英語のわから
ない家族は車から降りない。一人の米兵が後部座席のドアを開け、座って
いた娘の腕を引っ張り引きずり出そうとした。運転していた親父は焦って
米兵を撃ち殺した。それを見たもう一人の米兵が親父を撃ち殺した。それを
見た息子がその米兵を撃ち殺した。この話を聞かせてくれたファルージャの
住民は「死んだ理由はあるけれど、死ぬべき理由はどこにもない」と言った。
恐怖に怯えていたか、イラク人を人間とみなしていなかったか、英語を話さ
ない下等動物と思っていたか、彼ら米兵は銃を向けて威嚇した。そこに
わかり合おうとする試みも誤解を解こうとする余裕もありはしない。こんな
話が毎日いたるところで起きていた。スンニトライアングルという言葉はもう
死語だ。攻撃するのに都合のいい言葉に過ぎない。日々変わっていく情勢に
翻弄されているイラク人に、メディアがこの言葉をいまだに使い続けている
なんて申し訳なくて言えない。

外国人武装勢力も、あくまでも「ファルージャ被害者の会」のようなムジャヒ
ディンのことも、全部まとめて「武装勢力」とするのはひどすぎる。武装勢力を
捕らえたという映像を見るけど、不信に思った私はイラクに電話をかけまくった。
あれは100%民間人だとイラク人は言っている。ファルージャ総合病院に
いた人たちはおそらく、従業員と近所の人だ。病院という病院をすべて占拠、
そして破壊していったら誰が手当をするの?国境も何も封鎖して誰が援助に
入るの?武器を持っていないファルージャの民間人に取っては、米軍が
最大の「外国人武装勢力」だ。

外国人武装グループが人質を処刑するようになって、ジャーナリストやNGOが
激減して、もぬけのカラになった所でタイミングよく米軍の「包囲攻撃」。
どっちのやっていることもイラク人を苦しめるだけ。なんでそんなに連携プレーで
イラク人を苦しめるの?イラク人は助けを受けることも、果ては水や食料を
受けることも、雨期に入って寒さをしのぐ防寒具も受けられないままでいろと
言うのだろうか?「武装勢力」よりはるかに多い人々は「多少の犠牲はしかた
ない」という言葉で片付けると言うのだろうか?「包囲」って恐ろしいっていう
ことをやっとわかってもらえただろうか?それでもまだ、「人道支援を進める
ためにはこの軍事作戦が必要だ」と言うのだろうか?もう誰も死なないで
ほしい。米兵も、イラク人も、誰も彼も。