一次創作小説同盟第一回企画参加作品


 *

ふと、空を見上げてみた。
少しずつ晴れていく空にヒトヒラは春の風を感じた。
さきほどまでの時雨に濡れた桜の花びらが美しい。
この美しさは昔とも変わらない、とヒトヒラは思った。
  人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににおいける
まるで紀貫之になったかのようにヒトヒラはその句を呟いた。
こうして長く生きていると、人の心の変わりようをまじまじと感じさせられると、その青年は思った。

先天性細胞分裂異常障害及び先天性免疫力異常障害合併症。
1870年に発覚した彼の病はそれまで「不老不死」といわれてきた病だった。
1685年から動いている足を再度歩ませた。通い慣れた道を彼は帰っていく。二度と歩むことのない道を噛みしめるかのように強く、強く。


大日本帝国は世界最強の主権国家、である。開国後の動乱と戦争の時代を日本が列強と戦えたのは、ヒトヒラがいたからだ。
彼の身体の研究でこの帝国はバイオテクノロジーを発展させ、B・C兵器つまり生物化学兵器の使用で世界を踏み倒した。
医療の発展もすさまじいもので、これもまた統治に一役買ったわけだ。
国家機密事項「HITOHIRA」とは彼のことで、彼は国家の重大な財産だ。

本来は1年のところを2年に延ばしてもらったが、それももう終わりだ。中学2年生からその土地に住まうヒトヒラは、2002年度の政府の機密決定では例年のように、1年しか在学しないはずだった。それが「HITOHIRA」で決められたことだし、そういう生活を100年以上続けている。が、その地はあまりにも居心地がよかった。それは慣例を破るほどだった。
首尾よく14歳という設定で(もちろん嘘偽りの年齢だが)転校したため、2004年度も引き続きいられることになった。しかし、愛着がわいてしまえば、もはや時代・世代の記憶・比較などできやしない。それが「HITOHIRA」で決められた自身の中等教育の目的であっても、だ。
その地は大本営・廣島市の東に5kmほど行ったところにあった。別に生まれ故郷というわけでもないし、都会に近いとはいえ田舎だから何か特別な要素があるわけでもないのだ。
それでも、その地の潮風は肌触りがよすぎた。


校長の話には殆ど耳を傾けていなかった。もうこの地に帰ってくることは・・・ない。
皆の笑顔とそれぞれの笑い声が浮かんでは遠ざかり、消えていく、この辛さを今の今まで経験したことがなかった。
ヒトヒラはパイプ椅子に腰掛けてじっとうつむき、涙に耐えていた。涙に自らが押しつぶされるのを・・・。少しでもこぼしてしまえば、今までためた記憶が全て流れていってしまう気がして怖かった。何かを失わずに何かを得ることができないとわかっていても、失いたくないと手を膝の上で強くギュッと握りしめた。
どこにでもあるごく一般的な卒業式だったのに、何度も経験したことがあるのに、今までのそれは嘘ではなかったのかと思った。
人と別れるのがこんなに悲しいとは思ってもみなかった。武士の出だったから父母と死別したときも床だった。開国後にとてもよくしてくれた役人が死ぬときはそばで手を握っていた。
だが、ヒトヒラには、この別れが死別よりも悲しく感じられて仕方がないのだ。
生徒代表の言葉だけはしっかりと聞いておきたかった。仲の良かった友がそれぞれの思いを懸命に語るのだ。どうしても後世に残したいと思っていたのに、それを見ようと前を向くと涙があふれてしまいそうで辛かった。あちらこちらですすり泣く声が聞こえた。ヒトヒラは涙を拭って、腫れ上がった目で壇上に立った8人を見つめた。皆、ヒトヒラと同じように目を真っ赤に晴れさせていた。
その光景に、ヒトヒラが涙顔でほほ笑んだ。

 *

転校生の紹介などは非常にありきたりだった。
ヒトヒラ自身、いつもと変わらぬように自己紹介をした。
疎外されないように暗くなく、踏み込まれないように明るすぎぬ雰囲気で挨拶するように。「HITOHIRA」に書いてあることを忠実に守った。
先生ですら知らない自らの正体。時々哀しくはなるが、別に構いはしない。こうして中学生に同化してじっくりとこの世代を観察していけばいいのだ、と席について思った。
ところが、変わっていたのはそれからだった。
確かに転校生というのはスターだ。しかし、いくらなんでも学年の大半が見物に来るというのは考えられたものでもない。
男子・女子問わず何らかの挨拶をしてくるのだ。経験深いヒトヒラもこれにはたじろいだ。まさに手厚い歓迎である。
その中の数人は、ヒトヒラが自らに壁を作り踏み込ませないようにしていると気づいていたらしい者もいた。その一人が、ユウキという、ヒトヒラの転校を思いとどまらせた女子だった。
通路を挟んで隣側という微妙な位置間隔の席の彼女は人垣が無くなった授業中にヒトヒラに話しかけてきたのだった。
「ねぇ、転校生クン、」
「今授業中だよ」
その真面目さに深い意味などなかった。ただ、壁を強調させるためだけの勤勉さを表しただけだった。
「・・・でも、ホントはそんなにまじめじゃないでしょ?」
見透かしたような目と口調にヒトヒラは驚いた。初対面でこのような人は今まで見たことがなかったからだ。そもそも、初対面で人の裏をかくような言動をする一般人がいるであろうか。
「そりゃそうだよ。転校したてだから結構萎縮してる。結構人見知りをするほうなんだ、僕」
あわてふためきながら何とか取り繕おうとする自分をヒトヒラは情けなく思った。
ヒトヒラは人生経験が長い分、人を見る目もよい。すぐにユウキが世話好きな女だとわかった。明るく大ざっぱな女を振る舞っていながらも内面は人が気になってしょうがなく誰かに寄り添っていてもらいたい、そんな女は何度も見てきた。この女もまさにそれだろうと感じた。しかし、少しだけ違う点は、彼女の人を見る目はなかなか洗練されているということだ。これには注意しなければならないと思った。
世話好きな女の対処方法は一つ。多少の世話をさせつつ、こちらはさも迷惑であるかのように振る舞うことである。
そのため、学校の案内など申し出ようなら易々と断れない。学校の作りなどどこもたいてい同じなのだから案内などいらないのだが、ユウキ他数名に取り巻かれてしまえばもはや流れに任せるしかないのであった。
それにしても皆、なかなかのうるささだとヒトヒラは思った。たった5人でこれだけの騒音を作れるとは。
「みんなにぎやかだね」
ふと出た言葉ではない。それはあたかも自分が周囲の騒々しさに参っているように見せかける台詞だった。
皆は口々に質問した。ヒトヒラの前校は静かだったのか、とか、ヒトヒラは物静かな方なのか、とか。一般の答えと一致する結果となった。にぎやかだといえば静かな方が好きなのか、と問い返す能力、つまり一を聞いて十を読み取る能力が日本人には遺伝的に備わっているからだ。しかし、やはりユウキは違った。一を聞いて百を読み取ったのであったか。
「ヒトヒラ君の方が実はうるさいんでしょ?そのうち弁慶になるんじゃない?」
疑ってかかるような娘ではないが、その瞳を見てしまうと何でも見透かされてしまいそうで恐ろしかった。

その校内行脚から10ヶ月が過ぎようとしていた頃のこととなる。
もはやユウキはヒトヒラの「領域」に踏み込んでいた。いや、ヒトヒラが招き入れたというべきだったろうか。全てを教えたということでは無かったが、二人の間柄は男女の仲に発展していた。つつきあう関係。ヒトヒラがユウキを、ユウキがヒトヒラを、立場が逆転することもしばしばだったが、からかい合うという秩序が形成されていた。それが二人の愛の形だった。
キョウヘイという少年もヒトヒラに大きな影響を与えていた。体格もよくてスポーツ万能だが、勉強は点でダメという少年だった。その優しさと明るさが皆の人気だった。
「キョウヘイはどこの高校目指すの?」
中学三年生といえば受験生である。進路のことを考えなければいけない。そのプレッシャーを与えるのがこの進路説明会である。
「俺は廣島体育大附設を狙おうかなと・・・。難しいけどね、体育推薦してもらおうと思ってるんだ。ヒトヒラは・・・やっぱ帝大とか目指すの?」
「僕は・・・わかんないな。まだ時間もあるしゆっくり決めようと思う。でも・・・どうせユウキは廣島帝大附属を目指すんだろうね」
「お?別れるのは悲しいか?おい」
ヒトヒラがあえて含みを持たせたその言葉に、キョウヘイは敏感に反応しヒトヒラを肘うちした。
「そんなんじゃないよ。けど・・・」
「大丈夫だって。ヒトヒラも帝大くらい合格できるよ」
こうした会話もヒトヒラの使命の重要な資料だ。だが、ヒトヒラが在学期間をのばしたのはそれが目的ではない。
何が目的だったのかといわれればヒトヒラには即答することができなかった。それはまるで恋のような物だった。人が好きな理由など言えないし自らには見当もつかない。そんなものだ、なんて言ってヒトヒラはごまかしていた。
ただ、居心地がよかった。なぜ居心地がよかったのかといえば、やはり今までであったこともないような人間がいたからだろう。
その人物はさらなる飛躍を遂げていた。
頭脳明晰になり、しかもさらに懐疑的になったその少女はもう女性の領域に入ろうと階段を上らんとしていた。
そう。こうして皆成長していくんだ、とユウキを見るとヒトヒラはいつも思った。自らは障害の影響で成長しない。ここまで生きてこられたのも確かにその個性の力なのだが、例え何度となく助けられていようとも、今苦しければそれを恨む。いかにも人間らしいな、とヒトヒラは苦笑した。

 *

ユウキがチョコをくれたときは、ああこいつも普通の女の子みたいなことをするんだなと思った。その年はずいぶん暖冬だったが、その日だけは雪が降っていた。
「はい、チョコ。ハッピーバレンタインデー」
「・・・ハッピーバレンタインデーなんて普通言わないよな」
「でも私が男子にチョコをあげるなんて普通の女の子みたいなことすると思ってなかったんでしょ?」
「う・・・」
ヒトヒラはチョコをかじりながらユウキの鋭い言葉に悪態をつこうとしたが、出たのはそんな言葉ではなかった。
「・・・まぁ、チョコありがとな」
口の中でチョコがとろけるのを感じながら言ったその言葉は、我ながらに芯のある言葉だなとヒトヒラに思わせた。
二人は公園のベンチに並んで座り込んだ。ひやりとした冷気がお尻を伝わってくるが、ユウキはその赤く染まった顔を肩まであるストレートヘアーに隠そうとしていた。そういえば、こんな風に恋人らしいことをやったのは久しぶりだなとヒトヒラは思った。
悠久の時間が流れるかのように二人には感じられた。だが、少なくともユウキには残された時間はあまりないのだ。帝大の受験まであと5日しか残されていない。ヒトヒラはといえば、「HITOHIRA」で決められたように、国外へ引っ越すことになっていて向こうのインターナショナルスクールを受験する、とふれまわっていた。
なかなか止まない雪が二人を包み込むかのようだった。人気のない公園で紙でできた小箱が落下する。静かな音がわずかにこだました。ヒトヒラは、ユウキの突然の行動に一体どうすればいいかゆっくりと考えようとした。しかし、彼の目と鼻の先にいる目を閉じた女性が、その思考を妨げる。長いまつげ、きれいな肌、どれをとってももうしぶんない。わずかな時間が長い時間に感じられ、親愛か、はたまた情愛の儀式が終わった。ヒトヒラの唇にはまだ温かいユウキの感触が残っていた。ヒトヒラはその感触を再度確認するように手を口に添えようとした。そのせいで、ユウキに声がかけられなかった。無言で小雪の舞う世界に走り去るユウキ。彼女はその時一体どんな気持ちだったのだろうか。そして、ヒトヒラの耳にユウキの言葉が、今度は大きくこだましていた。
『  ハッピーバレンタインデー 』

不思議な陶酔感から、ヒトヒラは抜けられないでいた。周りのみんなは受験だ、試験だと騒いでいるのにヒトヒラだけはなぜかいつもより落ち着いていた。キスをしたのは何年ぶりだろうと指折り数えてみた。それはまだ「キス」という表現が御法度とされていた時代からではないか。横浜のチヨという子だった。明治初期だったから彼女は結構裕福な家庭だったのだろう。今はもう死んでしまっただろうな、まだまだ無学だった頃だから彼女に対しての感情を自ら計ろうとしなかったよなぁ、と冬の空に黄昏ていた。
そんな恋煩いの日々が4日過ぎた夜だった。日課にしている深夜ランニングで例の公園に立ち寄ると、そこにはユウキの姿があった。翌日は第一志望校の受験だというのに、こんな夜遅くまで起きていてよいのかと声をかけた。さしずめ、補導を取り締まる警官のように。
「寝なくていいの?」
「・・・・・・」
無言で頷いたその顔には何かの迷いがあった。
「そんな調子じゃ、帝大大丈夫なの?第一志望なんだから万全の体制で望まなきゃ」
「・・・・・・」
「悩むのは明日わからない問題があったときと、落ちたときにしなよ。ユウキのことだから勉強の方は万全だと思う−」
「どこにも行かないよね?」
ユウキはヒトヒラの言葉を遮って尋ねた。常に人の話を事細かに最後まで聞くユウキにしては珍しいことだった。
「いや、その、一応スイスに行くんだけど・・・」
ヒトヒラはスイスのインターナショナルスクールに行くことになると便宜上図っている。それを周囲に告げていたから、ユウキが知らないはずはないと不思議に思った。
「そういうことじゃないの。どこか、私達のわからない遠くの方へ行っちゃうような気がしてならないの。それがヒトヒラの宿命でもあるかのような、そんな私には理解できない道を歩いて行っちゃうような気がするの。入試前に、キスしたときにそんな感じがした。あんな事を入試前にしなきゃよかったなってずっと、5日間ずっと思ってた。でも、ヒトヒラはそんな・・・そんなところに行っちゃうなんて事ないよね?」
わずかな沈黙の中で愕然とするヒトヒラ。彼女の能力はそこまで発展したのかと思う気持ちが表れると同時に、彼女をなんとか落ち着かせなければならないという気持ちがヒトヒラを慌てさせた。
「ふぅ、何いってんだ。そんな変なところ行かないよ。さ、帰ろ」
ユウキの言葉はヒトヒラに躊躇させるだけの内容だった。彼女は気づいていたのだ。5日前から、その行為をしたときから、ヒトヒラが消息をくらませることを気づいてしまったのだ。それはむしろヒトヒラにとってショックだった。帰り道の途中、ヒトヒラはユウキの手を握りしめた。それはユウキを励ますためというよりむしろ自らの恐怖を解消するためだったよう。
ユウキの家の前で彼女を見送るとき、その顔はもういつもの明るい顔に戻っていた。手を振って、彼女の合格と健闘を祈った。

今度はヒトヒラが眠れなくなった。ユウキがあのような内面をもっていると見当はついていた。しかし、実際に落ち込んだ顔を見てみると、それは想像を絶していた。自分がそう陥れてしまったのだ、と大きな自責の念にさいなまれる。ヒトヒラは布団の中で苦痛の悲鳴を噛みしめた。それは音となって現れててしまったが、感情的になってしまったというそんなくだらないことはどうでもよかった。
こんなにも自らの運命を恨んだことはなかった。どんなに愛し合っても、ユウキは大人になっていき、自らは子供のままなのだ。そのことは機密事項だから他言できないし、ユウキとは別れなければいけない。それは永遠の別れなのだ。永遠の別れを実現するために海外へ本当に引っ越したこともある。自らが特異な存在だから仕方ないとその時は軽く納得したのだった。けれども今はそんなわけにはいかない。他人に対する慈愛が強く、重くなっていた。くそうと、ヒトヒラは布団の中で何度もつぶやき、ベッドの床板を拳で叩いた。少しでも自分の中にある「愛」が減れば楽になれると思った。そんなはずもなく、叩けば叩くだけ痛みが増し、痛みと惨憺の二重のスパーリングに耐えきれなくなったヒトヒラはそのまま眠りこけた。

 *

皆何らかの進路が決定している。大多数である高校へ進学する者、少数であるが就職する者、さまざまである。ユウキはといえば、無事帝大附属に合格することができてこの卒業式を迎えることができていた。
そんな若者達を神妙な面もちで見ている少年がいた。彼は進路が以前より決定されていたという奇怪な少年である。運命、宿命、使命、どれでも当てはまる彼の進路、それは惰性に満ちあふれているのだろうか。少なくとも、以前彼はそう思っていた。人生とは繰り返し。いかにその中を楽しく生きるかでその人生の価値が決まる、と。ユウキとの恋は彼にとって惰性の一環ではなかっただろう。その少年、ヒトヒラにとって、この2年間は非常に大きなモノであったはずだ。おそらく、彼が今まで生きてきたその長い人生よりも。
あの後、ヒトヒラが眠れなかった夜の次の日、彼は何事もなかったかのようにきょとんとしていた。それは彼の思い出にひっそりとしまい込まれたのだった。


生徒の代表達は立派だった。本年度の学年の皆は明るく活発な者ばかりだった。多少物静かな者もいたけれど、双方がバランスを取り合っていい具合に調節されていた。文化祭、体育祭、修学旅行、全てにおいて誰かがリーダーになり、また、皆がリーダーを支えていて、そうしてまとまっていた。ヒトヒラとしてもここまでまとまった学年を見たのは久々のことだった。荒廃し果てたといわれる中学校に再生の兆しが見えた、とヒトヒラは思った。
そんないい仲間ばかりだったからヒトヒラも在学する気になったのだろう。もはや「HITOHIRA」の目的を越えていた。それは国ではなくヒトヒラ自身に大きな大きな何かを与えた。それが「信条」であったり「友情」であったり・・・。意義という言葉はこのような場合にのみ使えるのではないかとヒトヒラは感じていた。

誰もが泣いていた。なぜ、卒業生達は泣くのか、ずいぶん昔にヒトヒラは考えてみたことがあったが、それも今となっては昔の話。流れが変われば形が変わる川のように、人の心も、その理由も変わってしまった。それ以来、ヒトヒラは考えることをやめた。どうせ人間は変わってしまうのだから無駄な労力は省きたい。多忙に包まれていたわけでもないのに彼は時間を大切にするようになったのだ。それは日本全体が変わってしまったからだろう、と彼を管理する学者は言っていた。ヒトヒラも変わってしまったのだった。だが、流れを変えた川が長い年月を経てまた自然な形に戻るように、ヒトヒラも変貌した。二度と姿形の変わることのないヒトヒラの変わった物は心だった。ヒトヒラはまた考え始めた。なぜ卒業生は、俺達はここまで涙するのだろうかと。
思うに、大きな大きな、15歳という年齢には大きすぎる経験が彼らの目頭を熱くする。既存の環境を離れる事への不安、これから踏み入れる新たな環境への恐れなどといった小さなものはきっと彼らの中にはない。そこには大きな、尊大な感動が居座っている。卒業の舞台に立ち、ようやく、自らのしてきた行事、試練、生活に対しての感動が目覚めたのだ。変わらなければ流れることなどないその涙は、きっと周囲にいた友達に対する、人間が表せる限りの、最高の、尊敬の、感謝の、喜びの、希望の気持ちの表れなのだろう。
非常にわずかな時間で思考を終えたヒトヒラが前を向いた。頭では冷静になっていても他の部分では感情がほとばしっていた。目の前はかすみ、その液体は鼻腔を通ってきた。ヒトヒラは鼻をすすった。肩もかすかに震えていた。先生達全員を泣かそう、と練習では生徒が一丸となって取り組んでいたのに、逆に生徒皆が涙顔になっていたのだった。その光景にもらい泣きした来賓や保護者も大勢いた。先生は多くがうつむいていた。生徒指導の強面の教師はただひとり、天を仰いでいた。その目に大粒の涙をためて。

いつもは透き通った歌声も、その日は涙声が多く混じっていた。この程度のことは予想はしていた。誰もがいろいろな想いをもっていて、それでいて和を保っていた年度生たちだったが、皆同じ思いで歌っていた。いつものようにひねくれて口を開けただけで声を出さない者もいた。彼らの目もまた充血していたのだけれど。そして、そのような中学生達も歌が進むにつれてすこしずつ声を出すようになる。その場の雰囲気に飲まれたからだろうが、その光景がまたほほえましく、頼りがいのある若者達として観客の目に映っていた。

最後となった。そう、最後である。始まったときからここで終わることは決まっていた。
式場を後にする卒業生達の足取りはいつもよりもゆっくりと、何かを噛みしめているようだった。途中で道をそれ、在校生達と使い捨てカメラで記念写真を撮っている者もいた。それを、誰もけしからんなどとは思わなかった。みな全うしたのだから。

体育館の外は歓喜に包まれた。普段は泣かないような、泣くと予想されない生徒まで泣いていたのだから子供らしくはやし立てていたが、その胸の奥には理解と思いやり、さらに大人らしさがあった。だが、子供らしいことに、誰もその場を後にしようとしないのだ。先生の言うことを聞かないのはいつものことらしかった。また、泣き顔の先生は笑いに包まれていた。
しかし、時の流れは絶対である。少なくとも人間の生活においては。最後のHRも終わった。一本締めで終わったクラスもあった。先生が大泣きをしてどうしようもなくなったクラスもあった。だが、どこにでも笑い声と明るさがあって、それらが彼らから「離別」が近いことを忘れさせていたようだった。
在校生達は皆帰ってしまったのだ。それほど時間が経っているにもかかわらず、皆東奔西走していた。携帯のメールアドレスを聞いたり、また記念撮影のフラッシュも至る所でたかれていた。その時はどんな校則違反も黙認されていたようだ。先生までもが携帯をとりだしてアドレスを登録していた。果たして、卒業生の中でその時すでに帰宅していた者がいたのだろうか。いや、いなかっただろう。

 *

例の如く、ユウキは大べそをかいていた。目を真っ赤に腫らせ、頬には涙の跡まで残っていた。ヒトヒラ君と別れるのがつらいんでしょう、と皆にからかわれたに違いない。当然ながら、他のカップルも標的とされていた。高校に進学したことがないからわからないが、このように恋愛関係が冷やかしと干渉の対象になるのは年齢的に微妙な中学生くらいのものなのだろうとヒトヒラは考えていた。そういう彼の目も大きくふくれていたのだけれど。
「終わっちゃったねぇ。あんまり実感ないなぁ」
「さっきまで大泣きしてたくせに?本当は寂しくて寂しくてたまらないんでしょ?」
いつものようにユウキをからかうヒトヒラだが、このような日常もこの日が最後であるというのは、実際のところよくわかっていなかった。
放課後の教室は夕日が当たっていてなかなか美しいはずなのだが、黙りこくっているこの二人がいるだけで少しばかりどんよりとした雰囲気になっていた。
「私は帝大。ヒトヒラは、・・・インターナショナルスクールだったっけ?みんなも別れちゃうし、せっかく出逢ったのになぁ」
「別に死別するわけじゃないんだよ?全く、ユウキはこんな時はいつも暗いよな」
そう、死別するわけではない。だが少なくとも、俺はもう二度と誰とも会うことはできないのだと思った。ユウキといるといつも言葉が先にでてしまう。それも悩みの種だったが、この困惑がなくなったからといって嬉しくは思わないだろう、とヒトヒラは心の中で呟いた。
「二年間か・・・。短かったな。本当にこの学校に来て良かった・・・」
静かに、しかし素早く席を立ったヒトヒラは周囲に誰もいないことを音で判断して、うつむき加減のユウキにキスをした。生命の胎動が感じられる、ユウキの唇。これが最後だ、きっとこれから先の何百年も、ユウキほど人を愛することはないだろうと思って、ヒトヒラは覚悟を決めた。その瞬間、足が震えたのを感じた。
キスを終えたとき、二人とも涙目になっていた。
春雨は止んでいた。ヒトヒラはユウキに背を向けて歩き始めた。夕日が涙に反射してまぶしい。
「ヒトヒラ」
振り向くことなどできない。もう、自分を隠すことなどできなくなっていた。振り向けば全てを話してしまう。それはユウキにとっても不幸なことなのだ。
「さようなら、ヒトヒラ」
卒業生達も少なくなった廊下をヒトヒラは駆け抜け、人のいない玄関で泣いた。壁にもたれかかって。
初めから決まっていたくせに、準備が何一つできていなかった自分を悔やんだ。ただ決断したことは一つ。
絶対に忘れずにいよう。それが使命−。

論証はない。だが、彼女は確信したはずだ。理由がわからなくても、ヒトヒラが自分の知らない世界へ走り去ることを。
不安が自信へ、自信が確信へと変わるように、ユウキは自分なりの結論を出した。
ユウキはひとり教室で涙を流していた。もともと感づいていたのだから真実を知ったとしてもさほど悲しくないだろうと思っていたのに、その心が悲しみに包まれていくのをユウキは感じていた。今から追いかければ引き留められるだろうかと思ったが、最後のヒトヒラの顔が、初めて話しかけて真面目ぶっていたのを見破ったときと同じ顔をしていたのを思い出し、これは初めから決まっていたことなのだ、と悟った。初めから決まっていた別れなのだ、と思ったとき、頭にふとある詩が浮かんだ。昔読んだ小説の著者の言葉だったが、今のユウキにはそれが誰だったか思い出せない。「死は永遠の別れ、では、別れとは何か。それは一時的な休息なのだ」という言葉が脳内でこだまするだけだった。私達はもはや死に匹敵する「出逢い」を経験したのだと思った。
いつまでも忘れずにいられるか、心配だ。私は人間なのだから−。

帰り道は雨に濡れていた。春の到来を示す春雨。しかし、ヒトヒラにとってそれは別れの号令でもあったのだ。
皆、明日は打ち上げ会などをするのだろう。だが、ヒトヒラは行かない。行けばその場を離れることができなくなるだろう。皆いろいろな思いで帰路についたのだろうが、ヒトヒラは人一倍沈んでいた。
他のみんなと途中で別れたらしい人物が走り寄ってきた。廣体大を推薦で受験したが、見事に落選したキョウヘイだった。地元の公立高校の体育科に進学することになっていた。
「ユウキとはもう別れたのか?」
走り寄ってきていきなりの言葉がそれだから、ヒトヒラは呆れたふりをした。少なくとも秘密は隠さなければいけない。しかし、胸中は落ち込んでいる。キョウヘイは一年前は自分より少し背が高いくらいだったのだ。それなのに、今は自分を見下ろしている。このように他人の成長を見ることは、ヒトヒラにとって大きな苦痛だった。
「遠距離恋愛でもさせてもらうよ」
ヒトヒラはふざけてそんなことを言っている自分を殴ろうかと思った。
少しばかり二人で歩いてみると、やはり昔と変わっていないと思った。昔、高度成長以前に、同じようにできた仲の良い友達と二人で並んで帰ったときも、あまり会話がなかったことをヒトヒラは思い出した。会話がなくても十分だったから。
「今度見送りに行くからな」
さらっと口にしたキョウヘイの言葉に、ヒトヒラの足は止まった。その見送りの日には、もうヒトヒラはその地を離れているからだ。
「おう」
こう口にするのが精一杯だったヒトヒラは自らの目頭が熱くなるのを感じた。自分のことを思って見送りに来てくれる友達を出し抜かなければならないのは、今のヒトヒラにとって苦痛以外何物でもなかった。
つまり、嘘の飛行機、嘘の時間をキョウヘイに教えておいたと言うこと。
だが、なぜ、涙が出るほど悲しくなるのだろうか。学年全体がどんなによかったから卒業式では大泣きをしたのであって、キョウヘイのような友達は今までもったことがある。ユウキのような友達はいなかったが、ごく一般的な中学生であるキョウヘイについてはそこまで特別な感情を持つほどの理由がヒトヒラには見つからなかった。こうして冷静になってみると、今まで流した涙はその場しのぎの慰めだったのではないかと思った。本当は、そこまで素晴らしかったわけではないのか−、こう考えたとき、その冷淡な感情が表情に出ていたことにはっとした。なんにせよ自分はキョウヘイと別れるのだから最後くらいはよい思い出を作らなければならないだろうと、最後は笑っていなければ自分の中にも記憶として残らないのではないか、と。
なんと浅はかなことだろう、とヒトヒラは小さく舌打ちをした。愛想と心隠しの笑いこそがその場しのぎの慰めなのだから。
その時にヒトヒラの支えになっていたのはキョウヘイの温かく心強い笑顔だった。どこにでもいるような彼の笑顔で何故自分は慰められているのだろうと思った。だが、悪い気は全くしない。夕日に映える彼の横顔はいうまでもなく美しく、また頼れる雰囲気をかもし出していた。
「いつまでも、離れても友達だからな」
口だけは反応して動いたが、言葉がでない。それを隠そうとヒトヒラはせき込んだ。

 *

大賑わいの宴会はただひとりの少年を待っていた。明るく好青年だが、どこか神秘的な、それでいて多くのことに天才肌な彼の登場を誰もが望んでいた。
しかしユウキだけは彼の登場を全く期待していなかった。昨日の別れで彼との永遠の別れを事実として受け入れるほかなかったからである。
順番となった歌をひとしきり歌い、席についてグラスを取った。オレンジジュースに自らの顔が映り、そして消えた。
今の自分はヒトヒラを必要としていることはわかっている。だからヒトヒラが消えることなど考えられない。
それでも、このままヒトヒラと別れ、自分の道を歩んでいけばヒトヒラが必要ではなくなるのだろうか。
冷静になることすらままならない。何度も恋を経験してきた身としてもこんな事は初めてに等しい。
自分が想像できないのだ。このまま何もしない自分を。
だが、もう一度会ったところでそれは果たして意味を持つのか。いっそう別れが辛くなるだけではないのか。保守思考だなと苦笑してみても、それでも踏み出せない。腰が引けている自分を感じた。
家に帰ると飼い犬が部屋でおとなしく寝ていた。物音にも反応しないくらいの熟睡ぶりにユウキは目を細めた。長く金色のふさふさした毛を軽くなで、隣に腰を下ろした。
一体何がユウキを変えたのだろうか。それは飼い犬の日常的な敬愛だろうか。ユウキは家を飛び出して閉店間際の花屋へ向かった。早春の風はまだ冷たい。小雨も降っているらしい。それでもユウキは走った。まるで韋駄天になったかのように、駆け抜けていった。日没は近い。

朝早くから、ヒトヒラの家の前にはリムジンが止まっていた。政府御用達の車の後部ドアが観音開きに開いていて、奥では役人が腕を組んで座って待っていた。それが別れの日。幾度も経験した別れだった。ヒトヒラの心はもう決まっていたから、家が完全に片づいたことを確認すると、車へ向かった。
車内は無言だ。車の走行音が響く。朝が早いため人通りは全くと言っていいほど見られない。普通ならこんな田舎町をリムジンが走っていることなどないため、皆の視線が注がれるのだが、これもHITOHIRAの作戦のうちだった。外からは中の様子など見えない仕様になっているが、この車に乗るときはヒトヒラは誰かと目が合わないかといつも期待していた。
それは今日も同じだった。左ひじをついて窓の外を眺めている。皆には申し訳ない気持ちだが、その点彼らの記憶を生涯残していこうと誓っていた。街をでる県道にさしかかろうとしたときだった。少し向こうにはいつもは交通量の比較的多いアスファルト道が見えるが、やはり今は車は殆ど見られない。
バックミラーに映った影が目に入った。懐かしい影。この二年間、始めはおびえて、そのうち親しく、最後はまたおびえてともに過ごした人間がそこに立っていた。花束を抱えているようだった。ヒトヒラが運転手に止めろといった。ドアを開けて向かおうとすると、中に乗っていた管理官が制止してきた。そのにらんだ顔をヒトヒラはちらと見たが、次の瞬間には駆けだしていた。
近寄るに連れヒトヒラの足はゆっくりになり、ユウキの手前で停止した。ふたりとも目を合わせることができなかった。どちらも気持ちを整理できていないから。このままこうしていれられば・・・二人の間にさも悠久の時間が流れるようだったが、逆に二人には残された時間はほとんどないのだ。
先に口を開いたのはユウキだった。その手の花束を差し出しつつ。
「卒業おめでとう。言ってなかったよね?」
まさかそんなことが言われるとは思ってもいなくて、ありがとうと言ったはずの声は音にならない。笑顔、むしろ会釈に近いような笑顔でヒトヒラは、ユウキに手渡された花束を受け取った。カーネーションやラベンダーなど多々の花が混じり合い、ものすごくいい香りがする。ヒトヒラはうっとりとその花達を眺めていた。この瞬間、楽しかった二年間が終わろうとしている、と思った。ヒトヒラは自分なりにこの生活に終止符を打っていたからさほど辛くはなかった。別れまで全てが「出逢い」なのだと思った。そして、彼の頭に「いつ始まったのか」という疑問が生まれた。別れの時に、こんなどうでもよいことを考えていた。
「・・・はじめまして、カトウ ヒトヒラです。」
突如ヒトヒラが言った奇妙なことにユウキは疑念を抱いたようだった。
それは大陸のキユナ族の、別れの挨拶だった。遊牧系民と定住系民に分かれる彼らは、お互いに出会いと別れをよく繰り返す。それも短期間に、かつ頻繁に。彼らは出会いを神による行為だと考えていて、そのため別れよりも出会いを尊重しているから、彼らは別れるときに出逢ったときの挨拶をして去ってゆく。思い出を悲しい時にとどめないため。
一度彼らの集落に言ったことがあって、ヒトヒラはそれを覚えていた。
「愛知県から来ました。特技は、記憶力がよいことです・・・これって特技じゃないですね。」
さらに続けるヒトヒラの行動の意味がようやく分かったユウキが言った。
「ねぇ、転校生クン、」
「今授業中だよ」
「・・・でも、ホントはそんなにまじめじゃないでしょ?」
「そりゃそうだよ。転校したてだから結構萎縮してる。結構人見知りをするほうなんだ、僕」
ヒトヒラは目のやり場に困った。涙目で演じてくれているユウキがそこにいたから。
こんな事をしない方がよかっただろうか。もしかしたらユウキが過去を怨み始めるかもしれない。ユウキが悲しみに飲み込まれてしまうかもしれない。そう思うとヒトヒラの目頭までもが熱くなってきた。最後に二人して泣くのだけは避けたかった。本当に別れられなくなってしまいそうだったから。
「・・・さようなら。ユウキ」
ヒトヒラはうつむいて、小さな声で呟いた。ユウキに届いたかどうかもわからぬ。
「あっ、虹・・・」
そう言ってヒトヒラはユウキの後ろの虚空を指さした。虹などありはしない。ただ、別れの時にユウキに自分を見ていて欲しくなかった。その瞳に吸い込まれてしまいそうで。もう二度と離れなくなってしまいそうで。
思わず振り向いてしまったユウキの静止を確認すると、ヒトヒラlは車に向かって走った。肩をふるわせながら、不安定なリズムで呼吸をしながら、役人の待つ旅立ちの車へと向かった。涙を拭いて乗り込むとすぐにドアは閉まり、出発した。
最後にさようならと言えた充足感と騙してしまったという罪悪感が入り交じり、ヒトヒラには虚無感が生まれていた。
「この二年間は楽しかったようだね?」
役人は待たされた憤りを心の奥に隠して言った。
「えぇ、とても。多くの大切な人物に出逢いました。彼らはこれからも成長していくでしょう。心身の両面で。
 彼らのように、一気に成長していく青年達を僕は幾度となく見てき、その都度に自らの運命を恨んできました。
 でも、今は思うのです。僕ですら成長していると。成長と言うより、変化、と言うべきかもしれませんがね。
 時の流れが経つごとに僕も変わっている、それが良悪どちらの方向であっても、一般的に呼ばれている成長と
 何ら変わらないような気が今はします。僕にとっての最高の幸せで最高の真実は、彼らと共に成長の時を過ごせたということでした。」
自分の考えがまとまるうちに虚無感が消え、希望が生まれてきたように思えた。
ヒトヒラはちらと後ろを見た。そこには未だ懐かしい影が経っていた。空を見上げているようだった。
ヒトヒラは窓から身を乗り出し顔を出した。風が頬にあたって痛い。
ふと空を見上げてみた。
若い男女の視線の向こうにはきれいな虹が輝いていた。


〈終〉

−あとがき−−−−−−
中編でしたね(読みゃわかる
この原案「不老不死の少年の生き様」を考えた時点では長編だったのですが、そこに同盟企画。ということで中編の「永遠の幸」が生まれたわけです。題名が有名小説「永遠○仔」と似ているのは気のせいです(汗
320歳という彼の影響で日本が世界秩序の中心にいたりと、世界設定は大きく変わっています。
彼は国家機密によってその秘密の告白を遮断され、また、わずかな間しか友といられないという極限まで隔離された環境におかれています。
その中で安らぎ、「ユウキ」との出逢いで、結局は彼自身周囲の者と変わらず成長しているということを悟るわけです。
始めは心を閉ざしていた彼も周囲の団結の影響で門戸を開くことになりました。彼が今まで(HITOHIRAの束縛になれてから)他人に対して大きく門戸を開く、つまり安心したことがなかったでしょうから、それが彼に卒業式で大号泣させる原因となったのです。劇中でも彼は「変化に伴い気づくことになった『感動』が彼らに涙させる」と言っています。ヒトヒラが心の扉を開くのは過去の自分からは考えられないことで、そのような自らの成長も彼に感動を与えたのだと考えています。
ユウキという少女は物語の途中でHITOHIRAに直感的に感づき、それを自らの中にしまい込み、そんなはずはないと暗示をかけるのですが、受験を控えた彼女にとってそれは大きすぎる悩みで、受験前日にヒトヒラにそれを漏らします。青年期は誰もがこうして、不安や悩みを共有することで身を軽くしていくのですが、ここでヒトヒラは辛苦をなめます。というのも、ユウキが自らのせいで傷ついたのは自らが他人に対して大きく心を開放してしまったからだと思ったからです。彼は強い。悲しみを思い出にしまうことができるのですから。ただ、泣き止んだときに苦しさが減っているということは僕も経験したことがありますし、そうして思い出にしまい込まれたのでしょう。結局はそれが後々彼に号泣させる「経験」になるわけです。
やはり人間には限られた時間がありますから彼らにも別れが訪れる。そのとき、彼らは出逢ったことに敬意をはらいました。これは作者が「今別れを体験することができるのは出逢ったからだ。『もし、出逢っていなかったら・・・』などと、出逢ってしまった後に考えることはできない。いま別れようとするときに考えてみれば出会いは必然なのだから」と思っているからです。
そしてヒトヒラは新たな出会いをどこかで経験することになり、そしてまた成長していくのです。
皆様が「経験から来る『感動の涙』を流す」ことができますよう、また、この小説がその経験の一部に加わることができたら、と思っています。
2004年3月8日
※劇中登場したキユナ族は実在しません。あしからず・・・。