目次
CARAVANSERAI:自我という都市
1 動物の「利己/利他」行動
2 <利己的な遺伝子>理論
3 生成子の旅―――<個の起源>の問い
4 共生系としての個体―――個体性の起源
5 <創造主に反逆する者>―――主体性の起源
6 <かけがいのない個>という感覚―――自己意識の起源
7 誘惑の磁場―――エクスタシー論
テレオノミーの開放系―――個の自己裂開的な構造
文献
補論1 <自我の比較社会学>ノート
補論2 性現象と宗教現象―――自我の地平線
あとがき
CARAVANSERAI:自我という都市
人間の歴史の中で最大の事件はこの<都市>の発生とその主体化である。
生命の歴史の中でこの<都市>の形成と比定しうる事件は、<個体>という第2次的な集住系の出現と、その<主体化>である。
1 動物の「利己/利他」行動
このような統一理論を徹底させると、動物たちの行動や資質や関係を究極に支配している動因は遺伝子たちであり、個体は遺伝子が生存し増殖するための<生存機械>にすぎないという見方となる。このように社会生物学の論理を徹底した形態が、ドーキンスの<利己的な遺伝子>理論である。(P20)
→「反論しがたい」理論にもみえるがはたしてそうなのか?
2 <利己的な遺伝子>理論
ドーキンスもドーキンスの賛同者もまた批判者も、<利己的な遺伝子>理論は、個体の「利己主義」を根拠づけるものとしているが、これは正しいだろうか?
<利己的な遺伝子>という視覚の理論的な意味は・・・
@「利己/利他」という「倫理」の基本概念をずらして規定してみせることをとおして、この分類が、(つまり「愛とエゴイズム」という問題が、)これを定義する準拠主体の水準と、切断線の引き方の効果に他ならないということを具体的に明るみにだしてしまうことである。
Aわれわれの「個」の本源性、individualityという自明化された神話を解体し、個体がそれ自体派生的であることを事実的に明確化することをとおして、<個の起源>と個の存立の機制という問題のまえにわれわれを立たせてしまうことにある。
3 生成子の旅―――<個の起源>の問い
「個体」というもうひとつの生命の定在の形、われわれ自身でもある存在の形の起源という問題が、生成子という一層原的なかつ普遍的な生命の形の視座から、改めて自明でない問題として提起される。(P51)
4 共生系としての個体―――個体性の起源
この数千年来、とりわけ最近の数百年の間、われわれの「自我」の絶対性という傲慢な不幸な美しい幻想を自分じしんの上に折り返して増殖させることとなるこの身体的個という位相は、われわれの実体であるこの重層し連関する共生系の一つの中間的な有期の集住相である。(P73)
5 <創造主に反逆する者>―――主体性の起源
<主体>がテレオノミーとして選択することのできる2つの方向、求心化と遠心化とは、テレオノミー的な主体性の獲得の根拠それ自体によって、原的に同時に与えられているからである。
6 <かけがいのない個>という感覚―――自己意識の起源
つまり<自己意識>は一般に、他の個体との社会的な関係において反照的に形成されるが、その文脈となる社会関係が、このように「個体識別的」である時にはじめて、それはわれわれにみるような、かけがいのないものとしての<自我>の感覚を形成するものとなるだろう。
7 誘惑の磁場―――エクスタシー論
 |
図7.2 個体間の感覚チャネルの相対的な重要性[Wilson] |
森や草原やコミューンや都市の空間でわれわれの身体が体験しているあの形状することのできない泡立ちは、同種や異種のフェロモンやアロモンやカイロモンたち、視覚的、聴覚的なその等価物たちの力にさらされてあることの恍惚、他なるものたちの力の磁場に作用され、呼びかけられ、誘惑され、浸透されてあることの戦慄の如きものである。
テレオノミーの開放系―――個の自己裂開的な構造
個体を自己目的として立ててみるかぎり、その生きることの「目的」ははただ歓喜を経験することにある。そしてこの歓喜のすべては、〔あるいはそのほとんどの主要なものは、〕同種や異種の他者たちの生や生殖の道具とし対象としメディアとして自己を放下することにしかないことをみてきた。性がそうであり、ジャンヌ・ダルクがそうであり、マザー・テレサがそうであり、<花の下にて春死なむ>という自己肥料化願望がそうである。どの他者もわれわれの個としての生の目的を決定しないし、どの他者もわれわれの個としての生の目的を決定することができる。この無根拠と非決定とテレオノミーの開放性とが、われわれが個として自由であることの形式と内容を共に決定している。
文献
補論1 <自我の比較社会学>ノート
補論2 性現象と宗教現象―――自我の地平線
あとがき
|