■気流の鳴る音
序 「共同体」のかなたへ
T カラスの予言 ― 人間主義の彼岸
U 「世界を止める」 ― <明晰の罠>からの解放
V 「統禦された愚」 ― 意思を意思する
W 「心のある道」 ― <意味への疎外>からの解放
結 根をもつことと翼をもつこと
・旅のノートから
骨とまぼろし(メキシコ)
ファベーラの薔薇(ブラジル)
時間のない大陸(インド)
・交響するコミューン
交響するコミューン
色彩の精神と脱色の精神 ― 近代合理主義の逆説
色即是空と空即是空 ― 透徹の極の展開
生きることと所有すること ― コミューン主義とはなにか
出会うことと支配すること ― 欲求の解放とはなにか
エロスとニルヴァーナ ― 始原への回帰と未踏への充溢
プロメテウスとディオニソス ― われわれの「時」のきらめき
■気流の鳴る音
序 「共同体」のかなたへ
1 ラカンドンの耳
失われた感性。「たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人々の感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。」
美がまえにある
美がうしろにある
美が上を舞う
美が下を舞う
私はそれにかこまれている
私はそれにひたされている
若い日の私はそれを知る
そして老いた日に
しずかに私は歩くだろう
このうつくしい道のゆくまま*
* Walk Quietly The Beautiful Trail
; Lyrics
and Legends of the American Indian,Hallmark
Editions, 1973, p. 49.
2 紫陽花と餅
多様性を認める共同体と話し合いによる共同体
3 マゲイとテキーラ
ドン・ファンの教えの核 kiryu3.jpg
―――わしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証なのだよ。その道を息もつがずに、目を見ひらいてわしは旅する。
このことを説明してドン・ファンはつぎのように言う。
「知者は行動を考えることによって生きるものでもなく、行動そのもの終えた時考えるだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ、ということをお前はもう知らねばならん。知者は心のある道を選び、それにしたがう。そこで彼は無心に眺めたりよろこんだり笑ったりもするし、また見たり知ったりもする。彼は自分の人生がすぐに終わってしまうことを知っているし、自分が他のみんなと同様にどこへも行かないことを知っている。」
「テキーラの作られないときにマゲイの花は咲くように、巨大な遺跡のつくられないところに生の充実はあったかもしれないと思う。」
T カラスの予言 ― 人間主義の彼岸
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「世界」からの超越
(彼岸化) |
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<世界>への内在
(融即化) |
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<世界>からの超越
(主体化) |
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「世界」への内在
(此岸化) |
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第1図 主題の空間 |
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草のことば・魚のことば
おそれる能力
合理性の質の相違
「擬人法」以前
「ドン・ファンが生きているのは、このようなヒトとモノへの存在の排他的区分以前の自然と人間とが透明に交流する世界である。そうであればこそ、彼らに親しい世界のある部分のゆがみや異変を、全体の、つまり自己自身の病としてただちに感受して畏れるのだ。」
バベルの塔の神話
「神話には文明化された人間の、ひそかな自己疎外の感覚のようなものがこめられいるように思われる。」
「原初的、普遍的の交信能力の喪失」
「われわれの耳は言語へと疎外されている」
<トナール>と<ナワール>

第2図 輝く繊維の八つの結節点
U 「世界を止める」 ― <明晰の罠>からの解放
気流の鳴る音
音のない指揮者
ドン・ヘナロが頭で坐る
「近代社会の人間がかれらインディオの生きる世界を見ることをせず、外面性に還元してながめることで彼らを独断的に矮小化しているのとおなじに、ドン・ヘナロは文字の世界を矮小化する。」
「呪術師ドン・ファンは呪術の世界を絶対化はしない。しかしカスタネダは近代理性の世界を絶対化する。」
呪者と知者
世界を止める
自己の生きる世界の自明性を解体する
明晰の罠
「人間が知者となる途上には4つの自然の敵があるという。」
「第一が<恐怖>、第二が<明晰>、第三が<力>、第四が<老い>」
対自化された明晰さ
『「明晰」は世界に内没し、<明晰>は「世界」を超える。
目の独裁
焦点を合わせない見方
『われわれがふだん「見て」いるものは、どんなに世界の一部にすぎないか』
映画のエピソードより
「<焦点のあわせない見方>とは、予期せぬものへの自由な構えだ。」
「しないこと」
ねずみと狩人
窓は視覚を反転する
V 「統禦された愚」 ― 意思を意思する
意思は自分に裂け目をつくる
「世界を止める」ということをふりかえって確認すると
1 生命体としてわれわれのしぐさやことばをとおしての外界とのかかわり方は、ある社会の成員として成長する過程の中で、特定の型どりをもって安定してくる。
2 このような外界との関係性の特定の型どりの両面として、その固体の「世界」と「自己」とが、蝶つがいのように双対して存立している(これをドン・ファンは<トナール>と呼ぶ)。
3 この特定の「世界」⇔「自己」のセットは、いったんセット・アップされると、それ自体の自己完結的な「明晰さ」のうちに凝固し、生命体の可能性を局限してしまう(「耽りindulgenceとしての「明晰」)。
4 「世界を止める」とは、このようにあらかじめプログラミングされた「世界=「自己」のあり方への固着からの自己解放( de-programming)に他ならない。
5 それは、自己のなずんでいるしぐさやことばによる意味づけの絶えまない流れを遮断し( ausschalten)、「世界」の自明性をつきくずすことによってえられる。
6 それはさしあたりは言語性の水準において表象されているが(「自分との対話を止めること」)、身体性の水準にまで一般化されてはじめて、根底からの自己認識と自己解放の原理となりうる(「しないこと」「生活の型をこわすこと」)。
「世界」への<耽り>に拮抗する概念として<意思> willをおく(ドン・ファン)
→「人間と世界をむすぶ真のきずな」
自分の力から身を守る楯
死のコントロール
1 われわれの個人的な<生>とは、われわれの実質 materiaである宇宙そのものが、一定の仕方で凝集して個体化した形態
formaに他ならない。われわれは実質 materiaとしては永遠であり、形態formaとしては有限な存在である。いいかえれば<ナワール>としては永遠、<トナール>としては有限な存在である。「<トナール>は誕生と共にはじまり、死と共に終わる。しかし<ナワール>は終わることがない。<ナワール>には限界がないのさ。」
2 したがってわれわれの個人的な<死>とは、われわれの実質が形態をこえて拡散してゆくことである。ドン・ファンは自分の息子ユラリオの死を、こんなふうに見る。「息子の命が分解して透明な霧のようにその限界を超えて拡がってゆく。」
古い楯が使えなくなる
舞い降りる翼
風の吹く場所
「上昇と下降を自由にコントロールする力なのだ。」
W 「心のある道」 ― <意味への疎外>からの解放
回収されない四十年
幽霊たちの道
生きることの意味をその場で内在化する!
<意味への疎外>からの解放
四つの敵・四つの戦い
結 根をもつことと翼をもつこと
われわれの問い→執着するもののない生活とは、自由だがさびしいものではないのか?
→<根をもつことと翼をもつこと>全世界をふるさととすること
サルトルは『存在と無』第四部の所有論において、所有と所有権を区別し、認識による世界の所有、愛撫による女体の所有、滑走による雪原の所有、登頂による風光の所有、を原型的な範例として分析している。それは所有の本源を問うことをとおして、日常的な所有の観念を解き放ってくれる。
人間を自然からきりはなしこれと対立することでた太初にみずからの根を断ってきた型の文明の運命は、必然的に人間相互をもきりはなし壁をめぐらし合うことだ。それは共同体がたがいに、そしてその最終的に細分化されたかたちとしての近代市民社会においてはひとりひとりの個人がたがいに、<他者>たちのうちにみずからの疎外してきた<自然>の相貌を、すなわちよそよそしさとしての物的な力のすがたをみとめ合うからだ。
そしてこのような関係性の原則によって存立する歴史的「世界」のうちにわれわれが生きつづけるかぎり、飛翔する<翼>の追求が生活の<根>の疎外であり、ささやかな<根>への執着が障壁なき<翼>の断念であるという、二律背反の地平は超えられない。
・旅のノートから
骨とまぼろし(メキシコ)
ファベーラの薔薇(ブラジル)
時間のない大陸(インド)
・交響するコミューン
交響するコミューン
色彩の精神と脱色の精神 ― 近代合理主義の逆説
色即是空と空即是空 ― 透徹の極の展開
生きることと所有すること ― コミューン主義とはなにか
マルクスが現にあるような労働を、人間の生産的な活動の本来の姿ではなく、疎外された労働としてとらえかえそうとしたのは、活動がそれ自体として生きることであることをやめ、所有することのたんなる手段にまでおとしめられる構造をそこにみたからである。そしてまさしくこのような労働の疎外された構造のうちに、「私的な所有」の関係の核心を彼は見出していた。
出会うことと支配すること ― 欲求の解放とはなにか
エロスとニルヴァーナ ― 始原への回帰と未踏への充溢
プロメテウスとディオニソス ― われわれの「時」のきらめき
・プロメテウス的な生…未来によって充たされる生のあり方
プロメテウス要因〔創造・生産・克服・支配・変革・活動・努力・労働…〕
・ディオニソス的な生…他者によって充たされる生のあり方
ディオニソス要因〔交感・融合・共感・愛・連帯・集団的享受・感受性・「開かれた心」…〕
・ブッダ
ブッダ要因〔解脱・透徹、超越・観想、覚識、自己認識・自己統一性…〕
・ニルヴァーナ原理…極致は、個の溶融する融合型コミューン →餅
・エロス的原理…極致は、個の多様化する交響型コミューン →紫陽花
・アポロン原理…市民社会の論理

「私自身の志向するところはもちろん、一つの社会の内部においても、一つの集団の内部においても、一人の生涯のうちにおいても、プロメウス的、ディオニソス的、ブッダ的な生を、相互に増幅し徹底化する交響性として実現することにある。」(「気流の鳴る音」226ページ)
「われわれとしてはただ綽々(しゅくしゅく)と、過程のいっさいの苦悩を豊饒に享受しながら、つかのまの陽光のようにきらめくわれわれの「時」を生きつくすのみである。」(同 227ページ)
自分の感じとしてこの本は、上昇し下降する、旋廻させてくれるようなもの(簡単に言えば、視界をひとまわり大きくしてくれるもの)である(筆者も本書のなかでそのように書いている)。「上昇と下降を自由にコントロールする力なのだ。」と、書いてあるように。幻覚性薬物を使っている点で、今現在のわれわれには理解に苦しむようなことがらが、ドン・ファンシリーズからうかがえるけれども、筆者が書いているように、われわれはこれらの人類学的な考察をすること自体が目的ではなく、ここからいわゆる「われわれの時のきらめき」となるヒントを得るためなのだ、と思うのだけれど。
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