1998.1.16

 『人間の生命の尊厳と性、中絶』

 今月のテーマ〜「現代の生命倫理を考える」


《緒論》アフリカ原住民に発見された「貧血の神々」のお話し。これは例外的な事例です。 人
類歴上、生命の質による選別は自動的にあるいは意図的に行われてきました。高度な医 療
技術を持つ現代においては、それは中絶や生殖技術に相当すると言えるでしょう。

《考えましょう》生命の質による選別は、様々な損失を予防し、その集団の質を高める善で        
しょうか。それとも人間の生命の尊厳に反する悪でしょうか。


《1》出生前診断の現状
 始めに生命の質による選別の身近な例として日本に於ける出生前診断の現状を紹介します。 
高齢出産の増加に連れて、出生前検査の需要も増加しているそうです。

(1)一般的なもの:トリプルマーカーと羊水、絨毛検査
  トリプルマーカーとは:妊婦の血液を採取し、胎児の先天的異常の可能性を測る検査。             
結果は確率によって表示。妊娠初期に負担なくに受けられる。  羊水、絨毛検査とは:胎
児細胞を採取による染色体の異常検査。ダウン症等はほぼ確実            に
判定可能。妊娠十数週以後の比較的負担を伴う検査

 医療現場では で陽性の場合、 が行われるようです。「プロライフだより」からの例
 マーカー陽性(1300/9000)→羊水検査実施(1000/1300)→陽性(22/1300)→中絶者(22/22)
 この例に限らず、日本では胎児に先天的障害が発見された場合、ほとんど中絶されている
のが現状です。このように生命の質による選別を目的とした中絶は選別的中絶と呼ばれます。
(2)特殊なもの:受精卵診断、遺伝子診断
 人工授精による受精卵の遺伝子を解読し、望ましい受精卵のみを母体に戻す。日本では、 
先天的異常の発見に用いられいる。技術的には性別、肉体的特徴、知能指数、病気の有無 な
どの細かな選別も可能。

(3)出生前診断の問題点
 生命の選別(障害者差別)の手段となっており、結果的に選別的中絶をもたらしている事実。 
胎児の障害を理由とした中絶は非合法(母体保護法に規定なし)。しかし、経済的理由と い
う名目で実質的には選別的中絶は実施


《2》問題の焦点
(1)生殖技術の発想を人間に適用することは妥当か?
 生殖技術は元来、畜産業での生産性向上のため動物の生命の質的管理を目的とするもの。 
それを人間に適用し、人命の質的管理を行うことは人間の生命の尊厳に反するのでは。

(2)生命の質的な管理に対する要望があるという現実
 出産をする者とその家族は、ある程度の質的管理(健康な子供)を願っているのは事実。
 実際に患者側の要望と研究者側の探求心は生殖技術を前進させている。

(3)二つの価値観の対立
 人間の生命の尊厳、人権の尊重←→人間の生命の質的選別、管理の要望
 これは人間による人命に対する価値づけとそれを基準とした選別、管理の是非の問題!


《3》それぞれの思想的背景
(1)人間の生命の尊厳を支える創造論
 聖書:創世記1:27(神のかたち)、2:7(いのちの息)

 人間のみが神と類似の属性を持ち、神に応答し得る者として創造されたという聖書の記述
は他の被造物との決定的かつ本質的な差異、非連続性を示す。
 さらに、新約聖書によれば、すべての人命は神の命という代価の対象(神の価値判断)。

 《ポイント》神との関係に於いてのみ、人間の尊厳は成立。神を除外するなら、他の動物 と
の差異を示す人間の機能的特徴(知的活動)が人間の尊厳の基準となる。すると....
例:知的機能においてチンパンジーやイルカに劣る胎児、重度知的障害者等には人権がない  
神との関係を除外するなら「人間であること」自体が尊厳の根拠となり得ない!

(2)人間の尊厳を揺るがす進化論、要素還元論
 進化論
 進化論とは:現存する生命の多様性を神なしに説明する仮説。
 その人間観:すべての生命は進化の時系列に沿って序列化。人間の生命も他の生命との連       
続性によってとらえられ、両者の決定的差異は失われる。
 その倫理観:より優れた機能的価値を持つ遺伝子を次世代に継承することが善。
       機能的価値に於いて劣った存在は進化にとってのマイナス。
 その実際例:ナチズムはその社会的実験


 要素還元論、および遺伝子還元論
 要素還元論:人間の生命の全体を構成要素である無数の生化学反応によって説明するもの。
遺伝子還元論:生命の本質を遺伝子とし、遺伝子情報によって人間の生命の全体を説明。
 その人間観:人間は極めて高度な生化学工場、しかし、本質的な原理は単細胞生物と共通。       
遺伝子還元論の場合は、人間はDNAの自己表現、容器、あるいは運搬車。 その倫理観:
生命の質的選別や管理は、利益をもたらす限り善。
その実際例:人類への貢献はノーベルベイビー正当化の根拠。

 科学と科学技術の進歩が、不幸にも人間の尊厳を損なう人間観と倫理観を生み出しました。
さらに、それらの理念は医療現場等の実社会において実践に移されているのです。

《考えましょう》著名な学者が血友病の作家が子供を持ったことを非難。彼は「戦後ドイツ 
の経済発展はナチスの優生政策によるもの」との学説を根拠に。何が問題でしょう。


《4》障害者をどう考えるか。
(1)これも二つの生命倫理の戦い
 障害者の存在に由来する苦しみ、負担の回避←→障害者の人権、特に生存権の擁護
 (生命の選別管理の必要性とその肯定)    (人間の生命の尊厳の絶対視)

(2)選別的中絶の根拠
 障害者の存在意義の否定〜日本の社会では以下の3点は、当然の前提とされています。
  本人が不幸  家族に苦しみをもたらす  社会に経済的負担をもたらす
《考えましょう》上の三点は具体的にはどのようなものでしょう? 
 選別的中絶は以上の三者に不利益をもたらすという功利主義的理由によって正当化。
 その実質は、障害者は幸福失格者、家庭の破壊者、社会のお荷物という発想。

 実際に日本社会は従来より生産性、機能的価値にしたがって生命を選別管理。特に貧困、 
飢餓、戦争の中で顕著化 (例)間引き、姥捨山、動物に対しても同様。

(3)日本に於ける問題点
  家庭、学校、社会、教会教育の中での障害者に関する啓蒙活動の不毛
  「守る会」発足以前はクリスチャンでも選別的中絶は一般的?
  それに由来する、無関心と無知のゆえに、障害児出産の可能性を除外。
  (例)筆者の妻の例:障害児出産の可能性は常に自覚。
  同様の理由から、「障害児=不幸(をもたらす者)」という公式化
  (例)あるエリート夫婦:典型的「対象喪失」、障害児出産=失敗、受け取り拒絶。
(4)聖書の障害者観
 出エジプト4:11:健常者も障害者もともに神の意図による被造物
 ヨハネ 9:3:必ずしも罪の結果ではなく、神の遠大な摂理の中で特別な目的を持つ
         その他、パウロやヤコブ(イスラエル)も障害者でした。
《聖書的障害者観》障害者は神の意図によって、特別な目的の故に社会に存在する。
         →障害者の存在意義も神との関係において初めて明瞭になる。

(5)選別的中絶の根拠の間違い
 将来の生産性、社会貢献によって生命を選別する発想が正当なら、中途障害者、高齢者の 
存在価値も同様にして否定される。
 健常者なら、本人、家庭、社会に幸福をもたらすかは疑問
 (例)あるドイツ双子の例、著名スポーツ選手、芸能人の例
 障害者差別社会を前提とし、その改善を放棄したた発想
 (例)ある障害者の発言「差別のない社会を作るため」、
 障害者なき家庭、社会ではなく、障害者の幸福を実現できる家庭、社会が理想
 (例)レーナ・マリヤを取り囲む家庭と社会、障害児を養子に希望する家庭
 障害児を育てる喜び、障害者とともに生きる社会の素晴らしさを否定した発想。
 (例)アメリカ映画の背景、大江健三郎、光親子の例
 その本質はわが子に対する差別的殺人(二重の悪、ホロコースト同様)
 罪の恐ろしさ:その無自覚性「彼らは何をしているのか自分でわからないのです」

(6)神学的側面からの考察
 天国に障害者は存在しない→地上での特別な神からの使命→人々の教化と考えられる。  
つまり「障害者は先生」:神の御こころとその実行を教える使命を受けた存在
《考えましょう》健常者は、障害者からどのようなことを学ぶべきでしょう。

結論〜出生前診断や選別的中絶の問題は、相反する二つの生命倫理の衝突の表れ
  神を根源とした人間の生命の尊厳を絶対視する生命倫理
  神を除外し、人間が人間の基準で人間の生命の価値を判断し、選別管理する生命倫理
  さらに、現代の生命倫理はいじめ、少年犯罪、管理教育との関連が指摘されます。現代 に
生きるクリスチャンのとるべき行動と態度を考えましょう。そして実践しましょう。
  
《参考図書》
村上伸著「現代キリスト教倫理入門〜あなたはどう生きるか」(新教出版社)
多井一雄他著「命を見つめる〜妊娠中絶・安楽死」(いのちのことば社)
ジャン・マリ・モレッティ著「いのちはだれのもの?」(女子パウロ会)
森岡正博著「生命学への招待」(勁草書房)金城清子著「生殖革命と人権」(中公新書)