日誌

2002年4月30日設置

[メインページ] > [日誌一覧]
2012/08/15(水) 太平洋戦争でソ連の対日参戦を事前に知っていた日本人の気持ちを知りたい

今日、NHKスペシャル「終戦なぜ早く決められなかったのか」を見て
私は深い悲しみの中に沈みました。

番組の概要は太平洋戦争末期のソ連の対日参戦の情報を海外の駐在武官が事前に掴んでいて
その情報はきちんと日本に送られていたとのこと。
その暗号電文はイギリスに解読され送信された証拠が英国の公文書館に残っている。
今まで言われていたようにソ連の完全な不意打ちではなく、事前に情報をつかんでいた日本人がいて
でも結果として何も活かすことができず、和平仲介役としてそのソ連に頼ろうとして
降伏が遅れた挙句、ソ連の対日参戦が始まり、終戦直前の被害を急速に拡大させてしまった。

負けそうだと心の中では思っていても御前会議で口に出すことができず
終戦を決められなかった軍部の高官達の不誠実な態度であったり
参戦直前だったソ連にあろうことか和平交渉を依頼して失敗した事実も番組で放送されていましたが
それらの事実は広く知られていて今さら驚く話ではない。

問題はソ連の対日参戦情報を事前に知っていた日本人がいたことだ。

日本の外交暗号電文が早い時期から筒抜けになっていたのは有名な話で
そこにソ連の対日参戦を事前に伝える記録が残っていた以上
その電文を送った側、受け取った側の日本人はソ連の参戦を事前に知っている。
そしてそれを受信した担当者だけでなく、上長に持って行って判断を仰いでいるはずで
その上長もこの情報を知っているはず。
どこまでの範囲の人々がこの情報を知りえたかは今となってはよく判らないけれども
その「ソ連の対日参戦を事前に知っていた複数の日本人達」は
終戦前後の数々の悲劇をどのような気持ちで受け止めたのだのだろうか。

もしこの事前情報を有効に活かして早めに終戦を決められていれば
原爆投下は避けられたかもしれないし、満州の悲劇も、地獄のようなシベリア抑留も、
中国残留孤児も、そして北方領土問題も、起こらなかったかもしれない。

情報を知っていた人々は、自分が惨劇の間接的加害者になってしまったことに気がつき
誰にも告白することもできず、「事前に知っていた」事実が露見することを心の奥底でおびえながら
ひっそりと黙って戦後を生きていたのかもしれない。
自分の記憶の中から忘れ去ることで平穏に生きる道を選んだのかもしれない。
知っても何もできなかったし、あの時代では仕方がなかったと自分に言い聞かせて
己の無力を正当化していたのかもしれない。
事実のあまりの重さに耐え切れず、終戦直後に自決したのかもしれない。

様々な人間像が想像できるのだけれど、実際にはどうだったのか
その人々はどのような気持ちで戦後を生きていたのか
それを知りたいと思った。

[メインページ] > [日誌一覧]