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2011/08/07(日) | 今年もまた終戦というか敗戦の夏が来た |
今年もまた終戦というか敗戦の夏が来た。 相変わらず 「国を守るための戦争だった」とか、「時代の流れの中では仕方がなかった」とか 表面的なキレイごとを言う人が公共の場に出てくることがあります。 耳触りだけがとても心地よい言葉 「一部の人々の戦争責任を追及するミクロな視点ではなく、 歴史の流れの中においてあの時代の雰囲気というか国民感情も含めて 総合的にあの戦争を振り返るマクロな視点が必要なのだ」 を言い出す人は、逆にあの戦争のことをよく理解できていない。 時代や歴史が戦争を起こすのではない。 それら時代や歴史を作り出している人間達が戦争を起こすのだ。 戦争責任を「時代」や「歴史」というあいまいな概念に押しつけてはいけない。 時代が来たからといって、国民達が「よっしゃ!戦争を始めよう!」と一斉に団結するわけもなく 戦争を始めるために世論を巧みに誘導したり、戦争反対論者を排除した人々が沢山いたのだ。 自分の利益の為に「戦争を始めよう」という強い意思を持ち、具体的に行動した人々が多く存在したのだ。 でなければ戦争は始まらない。雰囲気だけで始まるものでは決してない。 互いの国力差を考えたら勝てるはずもない戦争だったのに (それは戦前の戦力比較でも十分に指摘がなされていた) 無謀にも時代遅れの武器を持って、足りない分を精神力で補うという愚策まで持ち出し 敵の自動小銃に対して銃剣で万歳突撃を繰り返すという悲劇を生み出したのは 間違いなくこの国の軍の責任だ。 補給という基礎概念を軽視し、まともな食糧補給も無くジャングルで兵隊達を餓死させ、 特攻隊という非道な作戦を編み出し、防空もできず空襲を受け続け、 2発も原爆を落とされてもなお、自分たちの軍組織の心配をするあまり降伏を拒み 挙句の果てに降伏後には原爆被害者の医療情報をアメリカに売り渡してまで 自分達の組織の戦争責任の追及を回避しようとした無責任集団、それが日本帝国軍だった。 「時代の流れの中では〜」という言葉は、それらの戦犯行為、 日本国民に対する侮辱行為から目を逸らさせ、責任の所在をあいまいにする。 むしろそれだからこそこの社会では受け入れられる言葉なのですが 現在を生きる私たちがそんな言葉を使うのは300万を超える戦没者達を冒涜するに等しい。 戦没者の骨が納められている墓苑や記念堂の前で 「時代の流れの中では仕方がなかったのです (あなた達の死も仕方が無かった)」とか 「誰も悪くはなかったのです (あなた達の死は誰の責任でもないのです)」とか 「国を守るためだった (結局、あなた達も国も守れなかったけれども)」とか そんな言葉を堂々と述べることはどのような立場の人間であれ出来るわけがない。 私は納骨堂の前で 「二度とこのような悲劇を起こさぬために日本国民として全力で平和を守ります」 と誓うことしかできない。 私達は死者の魂の声にも、真摯に耳を傾けるべきだ。 あの敗戦での悲惨な事実を正面から直視した時に「戦争はするべきではない」という言葉に 鉄壁の、日本人として揺らぐことのない裏付けがなされるのだ。 |
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