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2002年4月30日設置

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2011/04/16(土) 相撲と原発とマスコミの八百長騒ぎ

最近、八百長という言葉の意味と、その本質についてよく考える。

少し前に相撲の八百長が大きな話題になっていましたが
私には何が問題なのか正直よく判らなかった。
この国で昔盛んに行われていた草相撲の文化を受けついだ国技としての相撲は
暗黙の八百長も含めたものであって、真剣勝負のみのドライな格闘技ではそもそも無いし
今までマスコミも厳しく追求してこなかったわけです。
金のやり取りをしていたのは当の力士達であって外野ではないから
その八百長そのもので誰かが不当な利益を得たり、不利益を蒙るわけでもない。
相撲は国技だから八百長は許されないというのは論理が飛躍している。

強いて言うなら熱心な相撲ファン達の「偽りの勝負を見せられていてガッカリだ!」という残念感ですが
テレビで見ていた人も、またお金を払って見ていた人も八百長相撲を皆で楽しめていたわけです。
今になって「やっぱり怪しいと思っていた」という人には
それでも相撲を見ていたわけでしょう?という言葉を返す。

なぜ相撲の八百長がこの社会で大きな問題になってしまったのか。

それはマスコミがヒステリックに騒ぎ立てたからに他ならない。
皆で競うように他社に負けじと報道合戦を繰り広げた結果、たいした事でもないのに大きな事件になって
多数の力士が引退し、そして相撲の関連業者が大打撃をうける羽目になった。

そもそも八百長という言葉の本質を少し追求して考えてみると
「本来果たすべき社会的責任から逃れるために事前に金を払って、または受け取って
個人的な利益と引き換えに社会的に納得できない結果に導くこと」
だと思う。
そう考えると、今回の震災で明らかになった東電とマスコミとの癒着は八百長そのものだと私は思う。

原子力を推進したい東京電力がマスコミに広告宣伝費をばら撒いて、また中国旅行に招待し
マスコミは嬉々としてまともな取材調査もせずに、もしくは意図的に「原子力は安全」と喧伝し続け
実状を報道する責任を放棄した結果が大事故につながっている。
先祖が大切に守ってきた国土を汚染し、国民を危険にさらす最悪な事態になってもなお
自分達の保身と利益を優先した考えから抜け出ることができないマスコミと東電の人々。
連日報道されていた相撲の八百長より明確に反社会的な結果を生み出した今回の事件は
もしこれが八百長ならば関係した人々は力士達と同様に公職追放されてしかるべきだ。

八百長とは何を指すのか、また八百長は許されざるべきものなのか。
現実的な問題解決方法としては八百長もアリだと思うし、無規制な八百長は人の精神を腐敗させる。
様々な人の思惑が絡む事象のどこまでが八百長なのかすら私にはよく判らないから
いろいろ考えてしまう。

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