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2009/11/09(月) | 優しさのかたち |
私は優しい人では決してなく、また優しい人になれるとも思っていないから 逆に偽善者になるくらいなら優しさは捨ててしまおうと思っていた。 自分自身を「優しくていい人」だと他人から認めてもらいたいがために 他の人に同情したり援助したりする、そういう人の本質は恐ろしいまでに傲慢で 自分本位なのだ。そんな人間には絶対になりたくない。 逆に無私の精神で人を助けられるほど悟りを開いているわけでもないので 結局「優しさ」というものは私には無縁なものだと思っていた。 仏陀のように、飢えた虎に自分の体を差し出すような人には、私はなれない。 30点未満の赤点をとり続けた高校時代の私は、とても優しい人だった。 当時の私はただ単に馬鹿だったし、失うものは何も無かったから。 馬鹿だから無私であることができたし、困っている人がいたら ただ傍にいるだけであっても、その思いを共有することができた。 川で溺れている犬を助け出すほどの力は持っていないけれども とりあえず何も考えずに自分も川に入って、一緒に溺れて 「わっはははー!わっはははー!」って馬鹿みたいに笑っている そんな感じの優しさを過去の自分は持っていた。 人を救うとかそんな大それたことではなく、苦しんでいる人の傍らにいて つらい思いを共有することだけはできた。 今の私は何か勘違いしている。 今日、そう思わせるような出来事があって 家までの帰り道ですごく反省しました。 少しだけ社会的地位が上がって、経験を積んで 昔ほど馬鹿では無くなったのかもしれないけれど その代償として私はとても愚かな人間になったと思う。 昔読んだダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」の主人公のように。 馬鹿のままでいいし人から尊敬されなくてもいいから ただ単純なだけの、優しい人になりたいと思う。 |
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