初孫の成長記録
2010年2月誕生




2009年2月に亡くなった母の生まれ代わりのように丁度1年後に長男夫婦に女の初孫が誕生しました。当初のエコー診断の結果では男と聞いてましたが、生まれる2ヶ月ほど前に女と判定が変わりました。男の名前を考えていたのに、急きょ女の名前を再検討することになり、長男は慌てたようです。昔は生まれるで性別は教えてもらえなかったように思いますが、いつごろから変わったのでしょうか。

61歳にして、お爺さんとなった自分の気持ちとしては3世代目が生まれて、親族が増えたことは嬉しいことです。自分の親は亡くなったが孫が生まれる、これが世代交代の営みです。母にひ孫の顔を見せられなかったことが残念です。

冷静に考えると、単純計算では20数年以上経過しなければ、私自身がひ孫に巡り合えるかどうかは分からない訳ですから、ひ孫に会える人は長生きした人だけと言えます。あまり長男夫婦に干渉し過ぎないように見守って行けたらと考えています。



2010年3月帰国
1ヶ月目



長男の嫁さんは韓国人なので、母国の親元で出産しました。距離的には九州へ帰って出産したようなものです。私の家内の出産も2回とも、九州の自分の親元での出産でした。1ヶ月ほど経過して、東京に戻ったのも同じパターンでした。


羽田空港の海外線ターミナルへ迎えに行きましたが、何年ぶりかの羽田空港はだいぶ変わっており、駐車場が予定場所が満杯で、別のところへ行こうとして、道を間違えて、高速道路へ出てしまい、また戻って来るというパプニングも起きました。


荷物もたくさん持って、赤子を連れて帰国するのは大変だったと思います。赤ちゃんの元気そうな顔をみて一安心しました。息子は都合で迎にこれなかったが、新宿駅で合流しアパートにもどりました。



2010年4月お宮参り
2ヶ月目




家内が府中市の大國魂神社のお宮参りがよいとのことで、お祝いの赤飯と借りたおみお参り用の着物を持ってアパートまで車で行って食事が終わってから、大國魂神社へ向った。

大國魂神社は比較的空いており、待ち時間もあまりなくて、直ぐに何組か一緒に祝詞を上げてもらいすんなりと終わった。こう言う行事的なことをすると本当に孫のすこやかな成長を願いたいと言う気持ちが段々と強くなります。



2010年5月100日祝い
3ヶ月目



韓国では100日目を区切りとした、お祝いをするというので、息子夫婦のアパートへ出かけました。まだ首が座ってないので、抱く時は注意が必要です。まだ、人見知りをする時期まできたないようで、抱いても泣いたりあまりしません。お金に困らないようにとの親の配慮からと思うが、1万円札を丸く円の形にして、おいてありました。

韓国では誕生に限らず、出会いや結婚などの100日目を1つの区切りとして、記念日として、お祝いをするしきたりがあるとのことです。そう言えば、日本にも3日、3ヶ月、3年を節目にする考え方がありました。100日は3ヶ月に相当するのでしょう。



2010年6月3ヶ月検診
3.5ヶ月




3ヶ月を過ぎて、4ヶ月まではたってないが、3ヶ月検診があったとのことです。この検診はこちらから何も手伝いはしませんでしたが、順調に成長しているとの連絡を受けたが、1つ気になることがあるとのことでした。足の長さが違うように感じるとのことで、別途病院へ行きレントゲン検査を受けて問題無しであり安心しました。

首の座りも始まり、ね寝返りも出来るようななったこのこと。母乳のみで育ててるようですが、普通より、動作の成長や身長・体重も大きいようで、順調な様子です。



2010年7月赤ちゃん来訪
4ヶ月目



約5ヶ月が経過し、首も座り、寝返りもできるようになったので、電車でお爺ちゃんの家にやって来ました。お爺ちゃんが買い物をして、簡単な料理を作りました。流水麺とうなぎとフルーツを買ってきました。うなぎご飯を3合の米に混ぜて作ってみたのですが、おいしいとのことで、残ったものはお土産に持って帰ってもらいました。

5ヶ月経過して、少し人見知りをするようになって長く抱いていると泣き出すようになりました。もうすぐ、ひとりすわり  はいはい つかまり立ち をするようになると親は目が話せなくなりこれからが大変と思います。




2010年9月赤ちゃん来訪
7ヶ月目

赤ちゃんは7ヶ月辺りから急にひとりすわり、はいはいができるようになるようです。標準月齢より少し早めの発達のようで、お爺ちゃんとしては安心です。名前を呼べば振り向くようにもなっています。体の発達過程は考えてみれば、非常に不思議です。


鳥の巣立ちを例に考えると、飛んだことのない雛鳥が急に飛べるよになるのは飛ぶ練習を初めてから数時間以内だと考えると人間の赤ちゃんでも不思議と思うのが変なのかも知れない。


亡くなった私の母は残念ながら、自転車に乗れなかった。大人になってからも補助車を付けてなんども練習したが、だめでした。運動神経に関わるものは若い時にやった方がよさそうです。




2012年8月
2歳6ヶ月
前回の写真から約2年、孫の成長は早い。特に女の子は言葉が早い、言葉が機関銃のように飛び出す時期になっている。語彙を覚えるスピードも早いし、単語も1つだけではなく、複数個を連続してしゃべれるようになった。

子供の脳のシナプスの発達は2歳から4歳までの期間はほぼ直線的に急激に立ち上がる時期となっているようだ。ちびっこランドと言う保育所へ通っているが、16:00-18:30の時間はジジ・ババが連れ帰って家で面倒をみることになっている。


息子夫婦のローンの支払い負担を軽減するには共稼ぎを応援する必要がある、孫との関わりを持てるのもそんなに長くないかもしれない。甘くして嫁さんから叱られることもある。



2012年11月
2歳9ヶ月

3ヶ月間ほどジシ・ババが2人で迎えに行って、家に連れて戻るまではちびっこランドのあるビック店内や少し離れたところにあるトイダラスで1時間程度遊んでから、家に戻っている。少し涼しくなりかけた10月に入って風邪気味になり3回ほどこども病院へ連れていくことになった。最近は風邪で、病院へ来る幼児が多くなっていることに気が付いた。少し流行し始めた印象を受けた、要注意だ。

家だけで2.5Hを過ごすには単調になってババに任せきりになってきた。そこで、迎えに行くのは交互に行くことに変更した。2歳半程度になると第一反抗期とのことで、自分の主張をするようになって、公園に行くのは嫌だとか、本屋さんも嫌だとか気分によってはわがままを言うようになっている。この辺りに対する対応は難しいので、遂孫の言う通りにするしかない。

年上の友達が欲しいようで、付いて回るのが好きなようだ。一人遊びから友達遊びに移りたい様子である。食べ物は深めの器からスプーンやフォークを使って一人でほとんどこぼさずに食べている。食べ方やおしゃべりはやはり女児のほうが上手なような気がする。特に2歳では2語連続程度だが、3語の連続以上のおしゃべりもできるようになっている。

母親はバイリンガルにしょうと子供にはほとんどハングルで話かけているようだ。韓国に連れて帰った時、やはり、ジジ・ババと話が通じるようにと考えているものと思う。2歳からハングルで会話を繰り返していると日本語とハングルのバイリンガルになれるかも知れない。幼稚園や小学校に行くと日本語になってしまうので、母親が家庭で頑張って教える必要があると思う。この年齢では語彙が急に増加して、語彙の記憶力も急激に増加するのは羨ましいかぎりだ。

60過ぎから始めた私のハングル講座は進歩が停止しているのではないかと思ってしまう。定年直前まではNHKのラジオ講座テキストとCDそしてTVのハングル講座のテキストまで購入してTV番組は録画もしていた、CDはWalkManへ入れて、通勤電車内で聞いていた。定年になってからは小遣いの制限を受けたので10月号から購入は中止とした。


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