2008年還暦を迎えるにあたって(2008年4月29日)
 人生において、男性の平均寿命を80歳とした時、残りの20年に突入する年ということになります。人生の3/4を何とかやり過ごして、残り1/4の第三コーナーに到達した訳です。この期間の15年間は年金生活が保障されている訳ですが、経済的には60-65才の人は退職金の取り壊しまたは、勤労により、年金生活までの繋ぎをする必要があります。
 私はの法律によって、制度化された会社の定年延長制度雇用制度に乗っかり58歳の時、延長の申請をして64歳まで雇用が確保されています。規則的な生活の為とある程度の稼ぎで好きな事へ費用の捻出の意味を含んでいます。

 今までは年休の切捨てが結構発生していたのですが、これからは与えられた年休はフルに活用する。残業はどうしてもやらないと他の部署へ迷惑をかけるようなことになる場合を除いてしないことでやっていくつもりです。年休が22日あり、繰越可能分を含めて44日あります。これ以外にフレンドリー休暇(家族の介護などの専用)が7日、繰越を含めると20日あります。1年間に29日の休暇取得が可能であるが、繰越分を含めると64日の休暇取得も可能という計算になります。

 最低24日を消化かるには毎月2回休暇を取ってもよいことになります。従って基本的に第二、第四の木曜日に休暇を取得したいと考えております。木曜日の休暇は3月に入会した地元のシニアクラブのパソコンと囲碁の例会がある日となっていることに関係します。4月10日と24日早速行動開始して近所の児童館のパソコン教室10:00-12:00へ参加してきました。午後からは第二集会所13:-16:00による囲碁教室にも参加して6年ぶりに囲碁を楽しみ、充実した休暇を過ごすことができました。

 64歳定年月の休暇の残りを最小限にすべく、年間30数日の休暇消化をプランニングして、真の定年以降に向けてどの様に有効に活用したかを時々は報告したいと考えます。正直な話、時間はあるが、先立つものが無いということにならないように有効利用、集中利用が大切だと考えています。



還暦のから1年経過して
 昨年8月より定年延長して、2年目を無事に迎えることができました。比例報酬分(老齢厚生年金、働きながらもらえる年金)の月額28万超過分年金がかなり減額された1年でした。1年目は前年度の賞与分が月額に換算されて、28万のベースに加算されて計算される関係で、大きく減額されるとのことでした。2年目からの減額分の減少による実質月収の増額化に期待したいと考えております。

 今年の2月には母が亡くなりました、離れて暮らしており、親孝行はあまり出来てないと思うが、親の心配はこれで完全になくなりました。実家に仏壇を残したままにしてあり、東京に小さい仏壇を用意する必要もあると思っています。来年には一周忌の法要もあります。

 何をするにも費用がかかるので、収入に応じた生活へ切替える必要があります。今年は小遣いの増額を期待したいところですが、支出項目が増加するものがあります。精神障害のある娘がグループホーム(市の援助あり)から一般アパートへ引っ越す期限が来るからです。また、昨年結婚した長男にも子供が出来る予定です。それらの関係で小遣いの増加は期待できそうもありません。

そのようなことはおいておき、2年目の目標を設定する必要があります。昨年目標にしていた休暇の消化は目標以上に達成した。頚椎症の検査や通院による思わぬことで消化してしまいました。健康であることの大切さを改めて思い知らされた1年でした。

今年の2月より血圧の降圧剤を服用することになりました。両親、弟も血圧が高く遺伝があるようです。両親も飲んでいたし、弟は既に降圧剤を服用している関係もありました。脳梗塞やくも膜下出血の発生を少しは軽減しておく必要があると感じているところです。

今年の目標としては少し酒量を減らしたらと家内から注文があります。正直な話、飲んで帰って来た日は必ず胃薬の世話になっているのは確かです。二日酔いを軽減するには胃薬が必須な状態になっているのは事実です。外での飲み会を減らす必要がると自分でも感じているところです。

外での飲み会は2回/月以下(週2回は避ける)、月曜日は休肝日

就寝前、腰痛と頚椎症緩和の体操10分以上

体重64kgの維持と休日における散歩1時間程度

血圧降下剤の結果がいまいちなので、塩分と食べ過ぎに注意
還暦から4年が経過(嘱託定年)2012年8月

730日職場で定年後の抱負などを挨拶して、花束、寄書きを女性軍から受取って、型通りの儀式を終了して、自席に戻った。昼休み中に自社以外の関係者へ定年挨拶のメールを発信済みであったが、既に4,5通の返信が届いていた。以前の付き合いを懐かしく思って返信してくれたものにはやり込み上げてくるものがある。もっと待っていれば、もう少しメールが届くかも知れないが、とりあえず、全てのメールを削除して、自分の部署の一人ひとりに「お世話になりました。」の挨拶をして帰ることにした。ちいバスの13:55の時刻に併せて職場を後にしたが、黒木、中村、木藤さんがバス停まで見送りに着てくれた。花束を抱えて帰るはこれが最後なのだろうと思いつつバスを待つ。暑い中を待つこと予定より10分も遅れてバスが来た。そういえばこんな時間帯に自宅へ帰るのもこの時しか無いのかもしれないと思った。自宅には予定通り16:00少し過ぎに到着。

定年後3日目だが、朝起きてから9時頃の時間帯に時計を見るたび、今自宅を出る時間、電車に乗る時間、今高田馬場に着いた頃、新宿駅、渋谷駅、田町駅の時間と思い出す。当然会社に着いた時間、始業時間体操の時間を思い出す。その内そんなこと追い出すことは無くなるだろうが、それはいつになるのだろう。43年間サラリーマン生活を続けたのだから、通勤のことはそう簡単には忘れないだろうが。


定年後の生活は16年程度しか残ってないが、習慣になるようなものが出来るだろうか。ダラダラした健康によくない習慣は避けたいものだが。そういえば、まだ何も定年後の習慣なっているものは無いが、以下のものを習慣にしたいと考えている。

@就寝時刻と起床時刻を一定にする

  就寝時刻23:30

  起床時刻06:30

Aハングル講座の継続と復習

  CDの購入は20129月までで終了する、以後はラジオのテキストのみとする

支出の削減と講座を聞くことを習慣にするため、本棚のスペースも無くなったのでTVのテキストも中止9月で終わりにする

B日記の継続

20111月より5年間の日記帳を利用しているが、これを継続する。


20120805遂に通勤定期の期限84日が過ぎた。できるだけ後ろへ長く引っ張るように努力した通勤定期だったが何の意味も効果も果たさなかった。単なる気休めだったのだ。

今日は久しぶりにオーナーズの練習にも少し顔を出して、飲み会にも参加した。相変わらず、飲み過ぎの性格は直らず、後で二日酔い気味で胃薬を毎回飲んで耐えることを繰り返す。今回は入院するので飲み収めみたいな気分になっていたかも知れないが。

民俗学者ではない同姓のNHK記者から作家になった柳田邦男の新・がん50人の勇気を読み始めた。余命を宣告されたがん患者はどのような思いで余命を全うするのか興味を持った。自分が手術を受けることになったことに少しは関係していると思う。自分の手術はがんとは違って命の危険に関してはずっと少ないものであるが、成功率70%の手術と言われると術後の結果が少し気になる。


PC周りの整理をしようと少しだけ、片付けたがすんなり捨てるものの決断が付かない。会社の机内の資料は比較的思い切ってすてたのに。自宅プライベートは少し思い切りがまだでない。これから10年以上過ごす訳だからそんなに思い切らなくてもまだいいのではと思う。自宅PC周りの整理は死を覚悟した時思い切り捨てればいいのでは。まだ時間はあると思っているから。焦るなだ。

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