石倉 昇九段の二間開きの
攻め方講座について
 日本囲碁連盟発行の囲碁研究2002/11−2003/2月号までの連載で上記の講座があった。囲碁に於いて、3線での二間開きが囲碁の基本中の基本であることは各種の本に掲載されているが、その石のまわりで発生する各種の攻防を体系的に読んだのは初めてでした。
 自陣の二間開きへ相手の石が一間で迫ってきた時から、緊張が高まり、両側に一間で迫られた時は最高潮に達して、次には攻めが開始されることを覚悟しなければなりません。一般的にはこの時点で、何らかの補強をするのが普通です。
 しかし、補強しても尚且つ責め味が残っていることを頭に入れておく必要があるということが勉強になりました。テーマを絞ってその近傍で発生する可能性のある攻守のパターンを頭に入れておくことは意義あることと考えます。急にその時点で考えても、正直言って私は頭の中で堂々巡りが発生して、考えがまとまらないのです。
 石倉九段の説明文は私のような低段者向けに各種の変化図を入れて分かりやすく説明してくれており助かります。変化図を知らずに形だけ覚えていても、よきしない位置へ変化球を投げられると、一気におかしくなるのが素人たるものです
最終回のテーマ図1は左記でした。応手を間違えると一揆でおかしくなりますが。
白としても全部を助けようとすると無理が発生するようです。ヘボな私は全て助けようとして逆に取られることがあります。自分の石は全部助けて、相手の石は一網打尽にしたいという何とも自分勝手なことをしようとするものです。
双方に最強に応じた形の回答は左記のようでした。
私は攻めながら、模様を築くというか、地を増やすという高級は発想ができず、どうしても無理をしてしまいます

調和のつもりで打った手が甘い手で大損なんてこともあるし、
囲碁が調和のゲームとも言われていますが、この当たりを指しているのでしょうか。
最終回のテーマ図2は左記でした。
私にはたいした攻めはないだろうと思っていた形でした。
低段の私は弱い石の判断や死活の判断が甘く、「手抜きして良いところに手を入れたり、手抜きしてはいけないところに手を抜いたり」とちぐはぐなことをしてしまうことがあります。
双方最強に応じた形の回答は左記のようでした。
2目捨てて、1目を噛みとってまだ、「相手には1眼しか無いでしょ」と攻めを見ているという高級な考え方のようです。
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