読 書 感 想
ウェブ進化論
本当の大変化はこれから始まる
著者:梅田望夫 発行:筑摩書房 価格:¥740+税
 著者の梅田さんはシリコンバレーに住んで最新のインターネット関連情報を雑誌などを通じて日本へ紹介している方です。1995年Windows95がリリースされ、ネットスケープとマイクロソフトのIEが激しい競争をしてウェブへの接続がだれにでも簡単に出来る次代がやってきました。ウェブの1つ前の時代はマニアしか使えないテキストだけを利用したパソコン通信の時代でした。パソコン通信とウェブ(HP)の大きな違いは後者は画像が簡単に取り扱えたことが大きいと思います。私自身の経験では通信回線のスピードが9600Bとか19.2KB程度で接続しても画像がなかなか表示されず、インターネットが家庭へ入り込むのはいつになることやらという思いが強かったですね。
 2000年ごろの発売PCから通信速度が56KBが使えるようになって初めてインターネットが立ち上がり始めてたと思います。ADSLが急速普及して常時接続が使えるようになってから爆発的に立ち上がったと思います。私のPCを12MbでADSL接続にしたのが、2003年1月で、常時接続が出来た2003年1月がスタートだったと思います。2005年1月50MbのADSLでIP電話の急速な立ち上りも発生しました。
 今や、日本は世界一の通信環境が整った国となりました。携帯電話の爆発的普及がウェブの進化をまた一段と推進した面も大きいと思います。PCの数より携帯電話の数が圧倒的多数になっています。
 著者はこれから、10年先のウェブの世界がどのようになっていくかを大胆に予想しようとしています。オープンソース、グーグルの検索、アマゾンの買物・決済技術、オークション、ロングテール、ブログ等などから、次期インターネットの世界Web2.0はどのような姿になっているのであろうか。その中で一番重要な技術が「検索機能」であると位置付けて、シリコンバレーの大手ソフト会社が激しい競争を開始していること。ブログに代表される総表現社会が実現し、玉石混交の問題解決と自動秩序形成がどように進むか。いまやウイルスよりスパムメールの方がより大きな問題になろうとしています。IT関心あるかた、ベンチャー企業を目指す人には価値有る本と思います。
団塊世代60年
 どう生きてきたか
著者:北城格太郎、野村清、清家篤、尾木直樹、山田昌弘、上原征彦、秋元真理子、野村正樹
発行:生産性出版 価格:¥2000+税
 この本も書店へぶらっと寄った時に発見したものです。私のHPにも関係するので是非読んで見たい本として即購入を決意したものです。8人の著者の方々は団塊世代前の方、団塊世代ちょうどの方、団塊世代後の方々が2007年問題を直前にしたタイミングで、団塊の世代へエールを送ってくれていると思いました。団塊世代の私個人から見て目新しい発見があったという訳ではありませんが、60年間の歴史を改めて考え直し、残された人生をどのように過ごして行くかここで改めて58歳の誕生日を契機に仕切りなおしするチャンスにめぐり合った気持ちです。
 ほとんどの方々が厳しい競争の時代に育ったが、日本の高度成長期の波にうまく乗った比較的恵まれた世代だったのではという論調です。反面、子育てとしては失敗したのではとの批判もあります。3年間での出生数が多いことから、各種の流行をリードしてきたし、今後も商業分野からみると研究に値する世代として捕らえられています。
 バブル経済崩壊から15年程度が経過して、最近経済の明るさがやっと見えてきたところです。0金利の時代が終わりました。経済界は団塊世代の退職金を期待しているようで、これが国内内需景気を引っ張るのでは予想しているようです。子供に財産を残す考えがあまりないと考えている人が多いのことから、ある程度期待してよいことかもしれません。私自信もその考え方で行こうと思っています。
 尾木直樹さんは団塊世代は自分たちの苦労を子供たちにはさせたくないという気持ちが強かった影響で、子供にあまいというか自己実現できる人生の選択チャンスあたようとした結果として、フリーターやニートを許容しているいる一面があるのではとの警鐘をしています。ある程度豊かになってくると、どうしても子供に甘くなるという結果が出ると思います。子供はバブル崩壊と重なり就職に関しては超氷河期などと言われました。競争社会である以上ハッピーな時代とアンハッピーな時代が繰り返されながら社会が進化して行くものと思います。
 団塊の世代は秋山真理子さんがまとめてくれた60年間の年表へ誕生日からの年齢を記入して今一度過去を振り返り残り4Qをどのように社会に貢献して行くか、北城格太郎さんが言われる財政再建にも協力しつつ、社会変革の担い手として今一度活躍して欲しいと期待をよせている方もいます。
 しかし、私の結論は「何かしなくてはと思いつつ」まだ出ていないのが実情です。
教室の悪魔
著者:山脇由貴子 発行:(株)ポプラ社 価格:\880+税
 昨年はいじめを苦にした小中学生子供の自殺が大きなニュースになりました。お役所はここまで行かないと真剣に問題を取上げないのかと思わされました。私の子供は30才近くになっているので、別の世界のような気持ちになっていたかも知れませんが、学級崩壊や学校が荒れているというニュースは時々聞いていました。
 正直にいうと私の小中学校の時にもあったように思いますが、現在とどのように違うか、本書を読んでみたいと思いました。簡単に論評することは難しいですが、大人の世界の状態が小中学校の世界に入り込んでいるということでしょうか。

 子供が先生の言うことを聞かないので、注意する時体罰を与えると、子供が教育委員会へ言いつけるとか、PTAに体罰のことを言いつけるなど変に、子供の知識が向上しているところがある。ちょっとした体罰を受けただけで、親がわが子かわいさに子供をかばって担任へ抗議をするというようなことも起きているようです。
 私が子供の頃は先生の言うことは正しいことだから、「先生の言う通りにすべきだ。」とあまり疑いを持たずに従っていたような思いが強いです。小学校高学年以降から、先生から罰として立たされたり、ビンタをもらったりということもあったと思いますが親に言いつけたりはしていなかった、または言いつけても親は「お前が悪いからだ。」と言って先生に抗議したりはしなかったと思います。

 テレビドラマの金八先生のような先生は現実には非常に少ないので、ドラマとしての視聴率は高いのだと思います。テレビではどうしても熱血先生を英雄的に扱いがちですが、現実問題の解決では英雄は必要なくて、関係者の真摯な対応が必要です。 担任、校長、いじめられた子供の親、父兄の協力が必要と著者は言っています。担任の先生だけに話したのでは、荷が重くて解決が難しいようです。校長が自分の学校に限っては「いじめを認識していない。」と言うような逃げ腰発言を堂々としているテレビ報道をみると、情けなくなります。

 教師に対していじめ問題解決に強い権限を与える必要があります。また教育委員会もいじめ問題に真剣に取れ組んでいないことがテレビ報道で明らかです。文科省は教育指導要領を見直して、学力以外の面、人間として必要な最低限の躾や挨拶などのに時間を割くようにして欲しいものです。指導要領変更だけでは解決しないので、秩序を乱すものには罰を与えることも必要です。
 未成年だから、法律の適用を受けないという現在の法律体系にも問題があると思います。子供が罰を受けないでよいとしたら、代わりに親に罰を与えるといのも1つの方法ではないでしょうか。それくらい親も責任を持って子供を育てるということが必要だと思います。
コタン 違星北斗 遺稿
著者:違星北斗 発行者:内川千裕 発行所:(株)草風館 発行:1995年3月15日 価格:\2000+税
 2007年5月2日北海道道南一周ドライブの時白老にあるアイヌ民族博物館に寄ったのですが、その入り口にアイヌのみやげ物の店がたくさん並んでいました。何か買うかなと見ていた時に本を置いている店があり、アイヌ民族のことを書いてあるらしいので、物より本の方がアイヌ民族のことがよく分かるだろうと思って購入しました。お店の人もアイヌ人自身がアイヌについて書いた有名な3冊の内1つに数えられているものと教えてくれました。
 教科書ではほとんどアイヌ民族のことが取上げられていませんが、現在の調査では約2.7万人がいるそうですが、自らアイヌとは名乗りにくいのが日本の現状です。それは内地の人間シャモにいろいろと虐げられた歴史があるからです。
 著者違星北斗は1902年明治35年生まれで、尋常小学校を卒業後北海道各地に出稼ぎをしながら、結核を患うが、回復し、一時東京にも出て仕事をしたが、アイヌのとを調査し、アイヌの誇りを取り戻そうと、北海道余市に戻り各地のアイヌ文化の遺跡調査を続けながら、俳句や短歌を創り、アイヌの地位向上に尽くすが、結核が再発し、1929年27歳の短い生涯を閉じたという方です。
 北海道にはアイヌ語の地名が結構残っているような気がします。コタンとはどういう意味かも知らずこの本を購入してしまったのですが、博物館内の人に聞いて、「集落」という意味を知りました。私が勤務している田町に「ウタリー」という居酒屋がありますが、アイヌ語らしいと思っていたのですが、この本で「同胞」という意味が分かりました。漫画の本に「カムイ」という言葉がありますが、神という意味のようです。
 アイヌ語の言葉の発音には何か、もの悲しい響きが含まれているような感じをなんとなく受けます。アイヌ民族は室町時代には東北地方、北海道、樺太、千島列島にも住んでいたとの調査結果もあるようです。悲しいことに文字による文化の伝承や大きな地域を治めるような支配者が出なかった為、文明に取り残されて明治時代に北海道開拓時代が始まり、狩猟民族としての生活をずっと続けていたので、内地の人からさげすまれた地位にあったようです。
 これは南北アメリカやオーストラリアの原住民と同じ立場にあったものと考えます。これらは文明の衝突というか、戦いにおける武器の力が開拓者側が大きいかったことが、歴史の悲劇というと言いすぎかも知れませんが、それが現在の結果を示しているのでしょう。
 明治の法律で内地人と同じ権利を有するようになったとは言え、明治、大正、昭和の戦前までは経済的には厳しい状態が続いていたと思います。では今はどうかというと内地の人もあまり知っているとは言えないと思います。
 江戸時代の身分制度は士農工商の4つ言われているが、もっと下の階層があり、その弊害は今でも部落民という言葉で残っています。文明の平準化は世代を重ねないとなかなか進まないのが現実の姿のようです。インドのカースト制度は法律上は無くなっているが現実には根強く残っているのと似ています。
図解雑学 民俗学
著者:八木透 正岡伸洋 発行:ナツメ社 価格:\1400+税
 民族学なら聞いたことがあるような気がするが、民俗学なるものがあったのかと言うイメージでどんなことを対象にしている学問なのかということで一度読んでみようかということで、通勤電車の中で読んでおります。
 まえがきによると、民俗学は柳田國男によって創設それたとのことですが、学問として確立されてから、90年ほどしか経っていないとのことです。文献史料のみを極端に重視する従来の歴史学を批判し、本当の日本人の歴史を明らかにすることを目的として、スタートしたとのことです。
 そこでは文献史料に代わるものとして、「伝承」すなわち文字に記されることなく、庶民の間で代々伝えられてきた暮らしの中の伝統的な習慣、行事、言葉などをていねいに分析することによって、日本人の生活文化の歴史を解明しょうとしたとのことです。
 単純に考えてみれば、日本史・世界史というと支配者階級の歴史であり、各時代において、庶民という被支配階級はどのような暮らしをしていたのかという切り口から歴史をひも解くと何か新しい発見があるのではと思われます。
 しかし、残念ながら、支配者階級が残した文献史料には庶民の暮らしぶりを文字で記載していないし、もし、本当のことを書くと、支配者は庶民を苦しめてきたことを書かなければならないことになり、正規の史料には書きにくいことであったことが想像されます。従って、従って庶民の文化程度から言うと「伝承」としてしか残らないことになったのはと思います。
 伝承とは言葉で代々伝えていくものですから、徐々に変化して、意味不明のものになっているものもあるようです。文字や言語がどのように発展してきたかを考える時、言葉に関しては語彙、語源の研究がされていますが、時代によって変化しているし、地域性も非常につよいという特徴があます。
 このような状況の中から、日本人の生活文化の歴史を解明することはかなり、困難を伴うことになりますが、現在の庶民から見て昔の庶民はどのような生活をしていたのか気になるところです。商業も流通網も発達していない時代では自給自足が全ての基本であったことは容易に想像できます。支配階級がうまれて、税金を取るようになると、庶民生活の自由度がだんだんと制限されてきたものと思います。
 本書の最終章では民俗学の課題が記されております。従来日本人は単一民族として語られてきたと思いますが、もっとよく考えてみると沖縄民俗研究が進展している中で、民俗学が取上げてこなかった被差別部落、在日コリアン、在日華僑、アイヌの民俗研究が課題となっています。 
 結論的には日本人は単一民族ではなく、多民族の国民性を持っているという視点を頭において、民俗学を考えて行く時期に来ているとことです。増大する海外旅行者の人数、海外から日本へ来る観光客など人数を考える時、改めて国家とは、国民とは、民族とは、社会とは何かと考えさせられます。
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