番外編
呉女、国分寺祭り平安女官に挑戦!
                     東京・国分寺
2003年11月2日
 そもそも事の発端は、9月に元同僚で国分寺市民の友人二人とランチを食べに行ったときの
こと。友人の一人が国分寺市の広報をテーブルにポンと出して「これ、やってみない?」と指さ
した先には「国分寺祭り、歴史行列、参加者募集」とあった。まるで条件反射のように「やるぅ
〜〜!」、全員一致で決まってしまいました。呉女は国分寺市民ではないけれど市民といっしょ
に申し込めばオーケーとのこと。ついでにオオアマさまも申し込んでもらうことにしてしまいまし
た(事後承諾だったけど、オオアマさまはけっして嫌がっていませんでした)。

 「国分寺まつり」は毎年11月初旬に行われる商工祭・農業
祭などを兼ねたいわゆる「市民まつり」。国分寺市は武蔵国分
寺があったことからこの名があるわけですが、市民は意外に
町の歴史を知らないので、町の歴史に少しでも親しんでもらお
う、ということで歴史行列をはじめて数年たつ……と言ったか
しら? 呉女は武蔵国分寺の近くで生まれ育ち、実家も近くに
ある。その上天平時代が大好きで全国の国分寺跡をあちこち
訪ねているくらいだから十分に参加する資格アリ……よね?
(ただし武蔵国分寺跡には「いつでも行ける」と思うあまり、ち
ゃんと行ったことがない) とにかく市の「歴史部会」が企画し
恒例で行うことになっている行列とのことで、事前の打ち合わ
せ会には市長さん自らおでまし……という力の入れよう。

当日の国分寺祭り風景。ステージでは演奏やらダンスやら。周囲には模擬店がいっぱい!

 で、行列には「天平」「平安」「鎌倉」があって、申し込むときにどんな役をやりたいか、一応
希望は聞いてくれた上で打ち合わせの時にキャストを決める……と聞いていたのだけど、実際
には数日前の打ち合わせの時にはすでに細かいキャストまで決まっていて、私は一番やりた
かった「天平女官」ではなく「平安女官」。「天平女官」は若い人ばかりで、だいたい年齢でキャ
ストを決めている感じでした。それで楽しみというよりはフクザツな気持ちで当日を迎えました。
だってオオアマさまには貴族装束を着せたくて応募したのに全然違う! オオアマさまは自分
の衣裳を見るなり「カッコワリィ……」。70人くらいの行列のうち、私たちみたいな一般参加者は
半分いるかいないかで、あとは各団体から何人かずつ出す……みたいなのがあるようです。
だいたい一般参加者は「きれいな衣裳を着たい」から応募するのであって、その点をもうちょっ
と考慮してくれていいんじゃないかしらん、とオオアマさまに申し訳ない気持ちでいっぱい。それ
に女性の更衣室に行き、天平の人たちの着替えを見るにつけ「やっぱり天平がよかったなあ
……。なんで私みたいな天平好きがあれを着られないわけ?」と、呉女はこの時点でかなり盛
り下がっていました。


呉女、念願の巫
女装束……。
 とはいえ、私の着替えの順番もやってくる。衣裳は貸衣装だと思うけど、打ち合わせのとき「京都の時代祭の衣裳より立派」と聞いていたのも、ウソではないと思える豪華さ。それを着付けのプロの方が二人前後について着せてくれるのです。「ハイ。ここに手を入れて」「足入れて」と言われるままにされていると、途中の段階で白い小袖に赤い袴。考えたら平安装束なのだから当然なのだけど「これって巫女さんの装束だわ……」。そこで呉女はカメラを取り出し、ずうずうしくも着付けの人に「私小学生のときから、巫女さんの装束に憧れていたんです。この時点で写真を撮ってもらえませんか?」。やさしい着付けのお姉さんは「あら、小学生のころから神に目覚めていたの?」なんて笑いながら、撮ってくださいました(←の写真)。リーダーの女性に「まだたくさんいるんだから、早くしてね!」なんて怒られてしまいました。ごめんなさい……。

 ……というわけで、ここにきて突然盛り上がった呉女。この上に袿(うち
き)を着て、旅装束なのでそれを腰のところではしょるわけですが、普通の
着物よりは厚くて重いので「ここだけはキツク締めないといけないからガマ
ンしてね」とホントに太めの紐でギューギュー。こんな格好をいつもしていた
ら、さぞかし下腹は出ないだろうと思いました(この日の呉女の下腹はかわ
いそう……)。ただし着物と違って帯はしないから胸はキツクない。最後に
垂衣(たれぎぬ)のついた市目笠を被ってできあがりなのだけど、これを
被るのがけっこう難しい。頭を笠に入れているわけではなくて、笠の裏に小
さな枕みたいなものが付いていて、それを頭にのせるだけなのです。だから
左右を紐でしっかり結ばないとすぐ落ちてきてしまう。一度紐をあごの下に
通してから、再び唇の下で結ぶ。こうしないと安定しないのです。

できあがり。
後ろは天平行列の先頭を行く幡


出発前。聖武天皇、光明皇
后、天平女官……と天平行
列の若々しい面々。
 メイクも着替えも終わり、最後の打ち合わせやら、ちょっとだけ行進の練習やらも終えて、いよいよ出発。まずJR国分寺駅へ行ってコンコースを一周。そこで行列の説明などがあります。
 天平行列には国分寺建立の詔を出した聖武天皇と光明皇后。国分寺の僧侶や尼僧。それに諸国国分寺の幟(のぼり)が続きます。次に平安行列ですが、武蔵国分寺の七重塔は835年に落雷で焼けてしまいます。その10年後に壬生吉志(きし)福正という人が再建を願い出て許可されたのだそうです。その福正さんとそれに従う家来の行列で、呉女もその女官ということのようなのですけれど、自分ではあつかましくも「菅原孝標の女の気分でいくわ」。呉女は
「更級日記」が好きだし、孝標の女はこのあたりを通っていると思うし、この
衣裳は平安初期というより中期以降という感じがするし……。その後ろに蹴
鞠保存会(サッカー協会)の人たちと、武蔵国分寺にも「小町伝説」がある
のだそうで、美しい小町さんが登場します。光明皇后や小町をやった方って
ホントにきれいな方でした。素顔もきれいだけど、それ以上に扮装が似合っ
ていてキレイ。よくああいう人を見つけてくるもんだ……と。最後に鎌倉行
畠山重忠の悲恋の伝説があるのだそうで、重忠さんと恋人のあさ妻
太夫とその一行です。
 聞いた話では、駅でこの説明をしている最中に光明皇后にオジさんだか
オバさんだかが近づいてきて「ギャラいくらもらってるの?」「……もらってい
ませんけど……」「へ〜、タダなんだってぇ〜」。え?これってギャラもらわな
いとやらないように見えるものなの? タダでも皆んな、やりたいもんじゃな
いの? そういうのは呉女とその友人など一部だけなの……???

この日は暑いくらいだったけど、平安時代は紫外線対策もばっちり。

武蔵国分寺公園。のっぺらぼうのオ
バさんは、もうどうでもいいのだけど
……。
 国分寺駅でのお披露目が終わると、駅からお祭り会場まで約一キロほどの道のりを交通規制して歩きます。坂道だし、早歩きだからちょっとたいへん。行列の中には外人さんも何人か参加していましたが、足袋と草鞋がけっこうキツかったみたいです。
 すでに人でごった返す会場の「武蔵国分寺公園」に到着。武蔵国分寺跡の少し北側にある、近年できたばかりの公園です。国鉄時代、鉄道の学校があったそうで、その後しばらくだだっ広い空き地になっていたのは呉女もよく横を通っていましたから知っていましたが、きれいな公園に整備されたことはつい最近知りました。 
 ちゃんと確認できなかったのですが、この公園のあたりから古代の
東山道が発見されたのです。碓氷峠から上野国に入る東山道がなぜ
ここに?と思っていたのですが、当初「東海道」は相模から海を渡って
房総半島へ通じていたから武蔵の国は東海道ではなく東山道に所属
して、東山道は武蔵国のためにわざわざ南下する道路をつけていた
んですねー(つまり武蔵ってすっごい田舎だった)。その道がここにあ
ったわけ。その後、陸路が発達したので771年くらいに東海道に転属
することになったそうです。
 それはともかく、公園内の階段にキャスト勢揃いで(宝塚の大階段に
いる気分でした)自己紹介をしたあと(一人一人マイクの前に立つのだ
けど、代表者他何人かだけでいいと思うけどなー)、芸能人みたいにメ
イクの人がまわってきてお化粧を直してくれて「いよいよ本番でーす」。

多分このあたりが古代の東山道

 公園には円形の通路が巡っていて、そこを一周、雅楽の音楽に合わせてゆっくりゆっくり
歩くのです。「雅楽で歩くのなんて、結婚式以来だワ……」なんて妙になつかしく(?)思いつつ
(ただし結婚式の時は神前だったけど洋装だった)、オオアマさまが隣りを歩いていないことだ
けがちょっと心配。だってオオアマさまは眼鏡をはずしたらほとんど見えないらしいのに、歴史
行列では眼鏡をはずさなきゃいけない。前の人とは少し距離をおいて歩くから、オオアマさまが
一人で違うほうへ歩いちゃったらどうしよう……と。それがあとで本人に聞いたところでは、周

天平女官の
後ろ姿
囲が見えないので、かえって歩くことに集中できて、歩いているあいだは仕事のイヤなことなど全部忘れて、いいウサ晴らしになったんですって。……ヨカッタ、ヨカッタ。ま、呉女も歩いているうちにだんだんナリキッテきて(菅原孝標の女?)、実に気持ちよーい気分に浸っていたのでした。
 途中で蹴鞠の披露などを含めて30分ほどの行進を終え、休憩。最後に全員で記念撮影。呉女は袂にデジカメをしのばせておいたので、休憩時間などに写真を撮りまくっていたんですけど、見たら天平と自分ばっかり、平安と鎌倉は全然写っていません……。それからオオアマさまとキャッキャ、キャッキャやっていたら、そばにいた聖武天皇役の男の子が「シャッター押しましょうか?」と声をかけてくれたのだけど「……オ、オビトくん(聖武天皇のこと)にそれは申し訳ない……」とタジタジしてしまい、結局別の方にお願いしてしまいました。オビトくんの彼、まだ21才だそうですが、ちょっとホワンと頼りなげに見えるところがいかにもオビトくんで、呉女は気に入っています(笑)。

光明皇后の衣裳はかなり凝っている! かなりフクザツな重ね
着のようです。持っている扇は平安風だけど……。
それに比べるとオビトくんの衣裳は普通の貴族風で物足りない。
正倉院に残る様々な装飾品をみれば、もっと派手に装っていいは
ず……と呉女の意見。



天平武官。オオアマさまにはこういう格好をさせたかったんだ→
けどな……。弓などの小道具もかなり凝っています。       
後ろに鎌倉行列の白拍子(これは10代でなきゃできないみた
い)。その向こうに国分尼寺の尼僧さんがいます。これはきれい
で清楚な方がやるととっても似合う役(呉女は無理ね)です。

 この後着替えて解散。お祭り会場で支給されたお弁当(これがギャラかしらん?)を食べてか
ら、歩いて国分寺駅まで戻ったのですが、「フツーに歩くの、何か物足りないな〜」とオオアマさ
ま。呉女も「靴より草鞋のほうがいいわあ〜」なんて言っていました。本来ならちゃんと武蔵国
分寺跡を見学してから帰るべきですが、さすがに疲れてしまったので、また次の機会にゆっくり
見学することにしました。
 友人二人は「また来年も出る〜」とはりきっております。呉女は来年のことはわからないけれ
ど、クセになりそうな楽しい体験であったことは確かであります。スタッフの皆様、お世話になり
ました。ありがとうございました。

(2003年12月記)

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