びさに車で関西の実家に帰ることにしました。 「高速代節約のため、関ヶ原あたりでおりて下の道を行こうか」というオオアマさまの言葉を呉女は聞き逃しませんで した。「関ヶ原」こそ大海人さまが壬申の乱のときに本拠を置いた場所。オオアマさまと呉女は数年前に呉女の両親 と弟を車にのせて一度訪ねたことがあるのですが(呉女の父と弟は関ヶ原の戦いが大好き。かなりの西軍びいきです が)、その時は「関ヶ原の戦い」の故地を中心にまわったので、呉女としてはちょっと足りないものが。その足りなかっ たものを補おうというわけで、ちょっと寄り道。 名神高速を西に向かって走り、岐阜を過ぎ、木曽の三川を越えると急に南北から山が迫って きて、その山の間に道路も鉄道もすべて吸い込まれていくのです。そんな地形から古代からの 交通の要衝であった関ヶ原。 その一つ手前のインターの名を見ると「大垣、桑名」とあります。そこはまさに大垣市だから 大垣はわかるとして、「桑名」を見てはっとしました。672年、天智天皇の後継者をめぐる壬申の 乱のとき、吉野を脱出した大海人軍のうち、非戦闘要員であるさらら様や草壁皇子、大津皇子 たちは桑名に留まりました。岐阜県の関ヶ原と三重県の桑名。さらら様は乱の時にもっと離れ た場所で待っていたというイメージだったのですが、実は意外と近いのだわ、と。 で、呉女とオオアマさまの車も山の間に吸い込まれると、まもなく関ヶ原インター。地図を見る と国道21号を少し東へ行ったところに「野上」という地名があるのを頼りにそちらへ少し走って みました。関ヶ原の戦いのときに最初に家康が本陣をおいた桃配山を過ぎたころ、道の南
に関のおかれたこの付近ではないかとも考えられるそうで、呉女はワクワク! 資料館の中で は不破の関の復元模型(かなり大きな施設だったらしい)や、発掘された瓦などの出土品、壬申
すって。さらら様、聞き届けてくださるかしら? 今まで、新幹線で関ヶ原を通るときには、町のある北側ばかりを気にしていましたが、今回訪 ねてみると、野上行宮も井上神社も新幹線のすぐ南。若宮八幡神社も南にあるということです から、今度新幹線に乗ったら南を注意して見てみたいと思います。 関ヶ原インターをおりてからここまで約1時間ほどの小さな旅でしたが、ずっと主導権を握って いた呉女は大満足で、このあとオオアマさまの実家に向かいました。「呉女に付き合わされた 〜」とプツプツ言っているオオアマさまも、内心楽しんだに違いありません。 |