柳美里

家族シネマ フルハウス JR上野駅公園口  

家族シネマ 2003年6月27日(金)
 以前も書いたと思うが、女性作家特有の生理的な感覚、抽象的なものと肉体的なものとがあるが、柳美里の場合は両方あるようだ。両親が分かれ、子供たちもそれぞれに分かれて離散した家族を集めて、映画を撮ろうとする。主人公は会社で企画を担当していて、部下の男の子との社内恋愛は切ろうと思っていて、企画の依頼する相手の家に泊まりこんで写真を撮らせたりとか。女性作家というのは、どうしてくだらない性的なことにこだわるのだろうか。家族の問題は、作者の個人的な実話に基づくものらしい。他に「真夏」、「潮合い」の2篇が入っているが、どの作品も芸能界的に注目される作家の不機嫌で神経質そうな表情が想像される。そんなに主人公(自分?)をぎらつかせて、回りを見下して、それがいったい何なの、というのは女性作家の作品を読んでよく思うこと。こんな書き方をすると酷評しているみたいに思えるかもしれないが、実はそうでもない。気に入らないものはここには書かない。初めて読んだから、もっと読んでみたいのだ。というか、女性作家というものにもう少し近づいてみたい。

フルハウス 2004年10月15日(金)
 「フルハウス」は、「家族シネマ」でおなじみの家族もの。両親は離婚し、二人の姉妹もそれぞれ独りで暮らしている。「家を建てる」が口癖だった父が計画通り家を建て、姉妹で呼ばれたが、二人とも一緒に暮らすつもりはない。ある日呼ばれて家を訪れると、見知らぬホームレスの家族が住みついていた。父が駅で見かけて連れてきたのだという。
 「もやし」:不倫相手の妻から電話がかかってくる。その後も部屋を訪れられたり、損害賠償訴訟を起こされたり、家に呼ばれたりする。異様な妻の行動の象徴が「もやし」。
 やはり、柳美里の作品も生理的に好きにはなれない。

JR上野駅公園口 2021年3月17日(水)
 男は福島県相馬郡の小村の貧しい家に生まれ、出稼ぎで働き、東京オリンピックの前年東京へ出て、競技場の土方仕事をし、家には盆暮れしか帰らなかった。東京へ出てレントゲン技師の資格を取った息子がアパートで寝ている間に突然死し、六十過ぎて家で過ごすようになると、隣で寝ている間に妻が死んでいた。娘の子供が家に来て面倒を見てくれるようになったが、息子も妻も寝ている間に死んでしまったので、そのうち眠れなくなってしまった。そしてある日東京へ出て、上野駅で降りて公園で初めての野宿を経験し、そのままホームレスになった。
 要約すればそれだけのことだが、さまざまなエピソードが積み重なって、印象的な作品だった。全米図書賞受賞作。
 「光は照らすのではない。照らすものを見つけるだけだ。そして、自分が光に見つけられることはない。ずっと、暗闇のままだ−。」