吉本ばなな

とかげ アムリタ ハゴロモ 不倫と南米
彼女について      

とかげ 2003年7月31日 (木)
 吉本ばななはお気に入りの作家だが、読むのは何年ぶりだろう。ただ、作品を重ねるごとにだんだん品がなくなってきている。この短編集では、表現や題材がポップな感じになっていて、女性ファッション誌にでも掲載したものかなと思った。
 作者のあとがきによると、この作品集は「時間」と「癒し」、「宿命」と「運命」についての小説なのだそうだ。吉本ばななの作品には、よく宿命的な出会いが描かれる。それは、孤独を抱えた者同士がお互いの中に、あるいは相手を通して自分自身を見つめ、感情をぶつけるというようなこともなしに、そうだよねと言って寄り添うような、砂漠で傷ついた動物の巣ごもりを思わせる。この作品集では、毎日の時間の反復と延長の中で、ある時突然空間が沈黙し、視界が開け、全てが手触りでじかに伝わるような瞬間が描かれている。7年前の作品集だが、「癒し」は今でも時代のキーワードだ。好きな言葉じゃないが。

アムリタ 2006年4月9日(日)
 朔美はOLを辞めた後、お気に入りの古びたバーでアルバイトをしている。家では、母、母の再婚後の弟由男、いとこの幹子、母の友人の純子の5人で暮らしている。父は亡くなっていて、再婚した新しい父も離婚していて、そして妹の真由も事故で亡くなっている。
 ある日朔美は階段から落ちて頭を打って手術し、記憶がぼんやりしてしまう。そこから、真由の恋人だった作家の竜一郎と付き合うようになり、弟がいろいろな声が聞こえて人のことがわかるようになったり、変化が起こっていく。竜一郎に誘われてサイパンへ行き、そこで霊能者のような女性させ子と親しくなり、日本に戻ると弟が友達になった女子大生のきしめんと知り合う。そうした出会いの中で、ふとしたきっかけで記憶を取り戻し、孤独で死に傾斜しながらも同時に希望にあふれて貪欲に生きようとする自分自身を自覚していく。
 死の影を絶対的に認識させられ、その向こうに淡い光を見出して、淡々と生きていくという感じは「キッチン」以来のテーマだろう。登場人物が基本的に皆どこか素敵で悪意のない人たちで、何か言う前にお互いのことが分かり合うという調和に満ちた世界なので、この作品のように超心理学的な世界へ進んでいくことも必然的なことかもしれない。
 吉本ばななの作品は、ごく普通の言葉が使われているのだが、皮膚からしっとりとしみ込んでくるような表現で、読んでいてああ気持ちいいなと思ってしまう。そのどれでもなくてどれでもある、といった感覚は吉本隆明的な直観なのかもしれない。
 以前読んだ「とかげ」ではだいぶ表現がポップになっていたが、この作品でも読点のかわりに句点で文章を区切ったり、文の途中で改行したり、体言止めや接続詞なしの文の連続といった手法がよく使われている。効果的なところも多いが、あまり多いとまたかという感じもするのだが。それはともかくとして、読んでよかった作品だった。「アムリタ」というのは、最後に明かされるが、神様が飲む水という意味だそうだ。「生きていくっていうことは、ごくごく水を飲むようなものだって、そう思ったんだ。」

ハゴロモ 2006年9月25日(月)
 十八の時から八年間愛人として付き合った男から別れを告げられ、ほたるは川の隙間に存在するようなふるさとの町に帰る。母は十才の時事故で亡くなっていて、大学教授の父はアメリカに出張中。ほたるは、祖母がやっている喫茶店を手伝い、店の裏の倉庫で寝泊りするようになる。父が再婚するつもりだった占い師のめぐみさんの娘るみちゃんとも再会する。そんな暮らしの心地よさにじょじょになじんでいった頃、前に会った感じのする人を町で見かける。手の感触も知っているのに、いつどこで会ったのかだけが思い出せなかった。ある夜眠れず散歩しているとラーメンの赤提灯を見かけ、入っていくとその人、みつる君がいた。
 失恋して故郷へ帰り、なじみの人に癒され、新たな出会いを通して自分を取り戻していく、というばなな的な作品。元気に新メニューに挑戦するおばあちゃん、変人の父、霊感のあるるみちゃん、インスタントラーメンに取り組むみつる君、事故で夫を亡くして床に臥すみつる君の母、バスターミナルの神様と呼ばれたみつる君のおばあちゃん、そして一つにまとまっていく予感や夢のお告げ 。ファンタジックなばななワールドだ。言葉もすなおでやさしくて、情感にあふれている。
 「人の、意図しない優しさは、さりげない言葉の数々は、羽衣なのだと私は思った。いつのまにかふわっと包まれ、今まで自分をしばっていた重く苦しい重力からふいに解き放たれ、魂が宙に気持ちよく浮いている。」

不倫と南米 2008年6月26日(木)
 アルゼンチンに滞在する女性とその周辺の不倫模様の中に、孤独や死生観を描いた短編集。出張中のブエノスアイレスのホテルに愛人の奥さんから夫が死んだと電話がかかってくる「電話」、占いの資格のある祖母が死ぬと予言した日をアルゼンチンで迎える「最後の日」、パリの有名な画家の愛人だった祖母が精神を病み、母は小さな箱に閉じ込められたという「小さな箱」、年の離れた夫と結婚する際の夫の姉とのいきさつを描いた「プラタナス」、軍事政権下で子供を失った母親たちを見て、母や彼女のいる夫を思う「ハチハニー」、こわれかけた結婚生活をつなぐ希望の糸である子供を流産したブラジルにいる友人と一緒に行ったパラグアイの遺跡の思い出を描いた「日時計」、不倫同士の恋人が窓の外を眺める姿から祖母が亡くなった日のさびしい感じを思い出す「窓の外」。
 久し振りにばななの感受性を味わった。 「私にとって一日とはいつも、のびちぢみする大きなゴムボールみたいなもので、その中にいるとたまになにかをふと眺めている時、なんの脈絡もなく突然、蜜のように甘く、豊潤な瞬間がやってくることがあった。…私にとって生きるというのはそういう瞬間を繰り返すことであり、続いている物語のようではなかった。だから、どこでとぎれても、私は納得するのではないか、と思えた。」

彼女について 2011年9月15日(木)
 久し振りに東京に戻った私のボロアパートを、母の双子の姉の子、昇一が突然たずねて来た。二か月前に亡くなった昇一の母が、「きっとなにかが起きているに違いない。あの子を助けてあげて」と言っていたという。私の母とおばさまは魔女の学校を出て、母は降霊会を開いて事業を発展させていたが、ある時降霊会の最中悪魔が取り憑いたと言って父を殺し、自分の命も絶っていた。おばあさまも降霊会で集団自殺を起こし、母とおばさまはしばらくクリニックで過ごしていたという。私は昇一と一緒に、母のゆかりの場所であるクリニックや事件のあった屋敷や、事件に巻き込まれた人を訪ねるのだが、あることに気づく。
 いつものよしもとばなならしい、魂の癒しを求める少女の物語かといえば、どちらかといえばいとこに押し付けられている行動しているし、いつもは登場人物が皆善い人ですぐに理解しあえるのだが、この作品ではいとこに対する感情がすぐに変化する、といったあたりがいつもと違う感じ。読み終えて、「シックス・センス」を連想した。魂はどこへ行くのだろうか。