矢作俊彦

ららら科學の子 あ・じゃ・ぱん    

ららら科學の子 2006年11月25日(土)
 彼は新幹線で日本に帰った。学生運動のさなか、取り囲まれた屋上から金庫を落として機動隊員をつぶして、殺人未遂で指名手配され、たまたま知り合った中国人と身分を交換して、文化大革命中の中国へ密出国し、三十年が過ぎていた。土地を売り、東京で蛇頭の下で働くという条件で船で密入国してきたのだった。
 学生時代の友人に電話して、今は怪しい仕事をしているらしいその友人の世話になり、かつて生まれ住んだ街を訪ね、銀座や渋谷の街をさまよてかつての面影を探し、妹のことを思い出して探 そうとし、三十年の時の隔たりと、自分の老いを感じたりしていく。
 現代の浦島太郎物語のようで、裏社会や風俗も描かれていておもしろいといえばそれまでだが、 作品の本質を読み取ろうとすると、政治、文明、国家、人種、長嶋茂雄や鉄腕アトムのエピソード、さまざまなテーマが多重的に絡まっていて、漠として難しい。なぜ彼は三十年間帰らなかったのか、そして何のために帰ってきたのか、ここにいる意味はなんなのか。彼は何をしようとしているのか。「科學の子」鉄腕アトムは、一度だけロボットに課せられた禁を破って国境を越えて少女を救いに行き、彼は最終的に、自分の名前と妻を取り戻すために中国へ帰るのだが。 三島由紀夫賞受賞作。

あ・じゃ・ぱん 2011年5月29日( 日)
 第二次大戦末期、沖縄に米軍、北海道にソ連軍が上陸し、戦後日本は共産主義国家の東日本と自由主義国家の西日本に分断され、東日本によってその境界に壁が築かれていた。また、米軍が原爆を富士山に誤爆し、大噴火を起こした富士山は巨大なカルデラと化していた。日本帰りの米兵の息子で、大学でライシャワー教授に日本語を教えられた《私》は、CNNの特派員として西日本に派遣されることになった。昭和天皇の弔問記帳の映像に東日本の反政府ゲリラの党首田中角栄が映っており、天皇の崩御を機に、東西の日本に何か動きがありそうだというのだ。《私》が実際に興味を持ったのは、その隣に映っていた女性。それは、父がいつも話していたハナコさんという女性そのものだった。
 共産党が粛清されて中曽根康弘が労働党書記長として君臨する東日本、吉本興業一族が首相を務め関西弁が公用語になり役所が商売をする西日本。《私》は、接触をはかってきた田中角栄の取材に成功するが、その後何度となく命を狙われることになる。一体この日本では何が起きようとしているのか…。
 確かにあったかもしれないという設定が、どこか現実とたいして変わらないような感じもしておおもしろい。「ゼロの焦点」のようなミステリー的な要素もあっておもしろかった。ドゥマゴ文学賞受賞作。