筒井康隆

夢の木坂分岐点 虚人たち  

夢の木坂分岐点 2010年5月23日(日)
 やくざと若侍が登場するいつもの悪夢から目が覚め、小畑重則は会社へ向かう。佐伯プラスチックという中規模企業の、四十八歳の営業課長だ。仲の悪い宮嶋課長と喧嘩をし、槙口営業部長と心理劇を演じ、納品の遅れた菊水工業へお詫びに行くタクシーの中で眠りこむ…。
 読んでいてふと気がつくと、小畑が大畑になっていて、宮嶋が宮崎に、槙口が槙田に、菊水が菊光に変わっている。そして、夢から覚めるたびに主人公の名前も、家族の名前も、同僚の名前も変わり、さらに主人公の立場も変わり、作家になっていたりして、通勤途中にある夢の木坂駅という乗換駅から、それぞれ別の方向に住んでいる。次々派生する人物が夢の中の人物なのか、映画の中の人物なのか、映画の中の小説の中の人物なのか、わけがわからなくなる。一つ一つの世界をきちんと整理しようかとも思ったが、だからと言ってどうなるものでもない。それぞれが 《おれ》、《彼》のありえた姿で、出発点の小畑重則でさえその中のひとつかもしれない。分裂と復帰を繰り返しながら、《彼》は自我の深層へ下り、「夢の木」を探して決着をつけようとする。
 読んでいて支離滅裂になってしまうのは、夢の世界をそのまま表現しようとした流れになっているからだ。おもしろかった。谷崎潤一郎賞受賞作。筒井康隆は、昔SFをよく読んでいた頃読んで以来だが、他の作品も読んでみよう。

虚人たち 2011年2月24日(木)
 主人公は、洋服を着て座敷に正座している。時計は6時6分。彼は徐々に、ここが自分の家で、会社から帰ってきたばかり、そして鏡を見て自分の年齢を知り、家の中を見て妻と息子と娘がいることを知る。妻と娘がこんな時間にいないことを不審に思い、やがて二人と交信して、妻が同窓生の大塚に誘拐され、娘が四人の若い男に車に連れこまれたことを知る。表札を見ると、彼は木村だ。木村は、まったくやる気のない息子を連れて車で妻の後を追う。
 主人公は台本を与えられていない役者のようだし、登場する人物は皆ペダンティックな言辞を弄し、ヌーボーロマン風の執拗な描写が続く。誘拐された妻を探すはずが、数日後の得意先や会社に向かったり、どんどん逸れていく。小説の手法に挑んだ実験作ということらしい。泉鏡花賞受賞作。

 2025年2月5日(水)
 渡辺儀助は元大学教授で75歳。妻は20年前に亡くなり、教授職は10年前定年で退官した。専門は西洋演劇史。山の手の古い家で悠々自適の独り暮らし。食にも健康にも独自のこだわりを持ち、近所へ買物に出れば先生と声をかけられる。優雅な生活だが、講演の仕事も減ってきて、年金頼りの生活で、貯金が尽きたら自裁しようと決めている。かつての教え子と、近所のバーのアルバイト女子学生に妄想を抱いたりする。ある時ROMとして参加しているパソコン通信のフォーラムに、「敵が来るとか言って、皆が逃げはじめています」という投稿が出た。
 映画化されたので読んでみた。 映画ではうまくストーリーにまとめているが、原作は「朝食」、「友人」、「講演」、「病気」といった、章だてした老人雑感という感じで、独自の老人哲学(=筒井康隆流の屁理屈)が満載で笑える。漢字をあてた独特のオノマトペもおもしろい。時々願望が夢落ちで終わるのだが、後半から夢か妄想かわからなくなってくる。「敵」とは何だったんだろうか。