嶽本野ばら

エミリー ロリヰタ    

エミリー 2006年7月3日(月)
 「レディメイド」:会社の風変わりな先輩に惹かれた私は、MoMA展の話をするが、マティスとかデュシャンの話とかかみ合わず、冷たくかわされてしまう。しかし、意気消沈して部屋に戻ると、ジャケットの内ポケットにMoMA展の入場券と誘いのメモが入っていた。
 「コルセット」:骨董屋の希彌子とは、今のこの世界、この時代に違和感を覚えるという点で共通していて、よくカフェーで話をしていた。ある日、「お互い家に帰ったら、自殺しましょうよ」と言 われて別れて、その日希彌子さんは自殺した。希彌子さんと同じ三十歳になった僕の中で、自殺がリアリティを持ち始めた。しかし、その前にしたいことが あった。それは、鬱病の治療に通っている病院のいつも笑みを浮かべている受付嬢をデートに誘うことだった。
 「エミリー」:どこにも居場所のない私にとって、ラフォーレ原宿の路上に面したエントランスの前の箱庭のようなスペースが、唯一居ることが赦された場所だった。そして、運命のように出遭ったEmily Temple cuteの洋服が私の精神のバランスを保ってくれていた。中学校の部活を終えると、家に帰って着替えて、八王子から原宿まで通い、閉店とともに帰るという毎日。いつものようにラフォーレの前でしゃがみこんでいる私に話しかけてくる人がいて、男性恐怖症で逃げ出すはずが なぜか返事をしていた。
 「レディメイド」と「コルセット」は耽美的でシニカルな作品なのだが、どこかドタバタ的な要素があって、作者は意外とポジティブ志向なんじゃないかと思わせる。「エミリー」は、ロリータファッションで有名な作者のファッション感覚と、映画「下妻物語」で発揮されていた独特のユーモア感覚と、やはりポジティブな意志が感じられる作品で、なかなかおもしろかった。

ロリヰタ 2007年3月13日( 火)
 「ロリヰタ」:ロリータをこよなく愛し、乙女のカリスマ、ロリータのカリスマと呼ばれるようになった新進作家の僕は、雑誌の特集でロリータ・ファッションの撮影をしていたモデルの君と知り合い、電話で話すのが苦手だという君とメールアドレスを交換する。そして、君が仕事で宿泊するホテルでトランプして話をし、同じ携帯を買ってメールをやり取りするようになる。年齢の割りに異様に子供っぽい趣味の君に、次第に僕は恋愛感情を抱いていく。しかし、二人が写真週刊誌にスクープされ、君が小学生であることがわかった・・・。
 「ハネ」:好きなロリータを身につけることだけが望みで、友達が作れない私は、一人であることを選んでいる貴方に憧れていた。貴方が読んでいる本のタイトルを知り、その本「花のノートルダム」をパルコブックセンターへ買いに行き、そこにいた貴方と話をするようになる。私の誕生日に、貴方は天使の羽をプレゼントしてくれた。そして、羽を作って表参道の露店で売るというのが二人の夢になった。貴方がいない今、私は日曜日になると表参道へやってきて店を出す・・・。
 どちらの作品にも、ただ単にロリータが好きだから趣味を貫くということの他に、「ロリヰタ」の場合小学生だとわかっても好きだという気持ちを貫くこと、「ハネ」の場合は二人が求めた永遠を守り抜くという、ある種自分に誠実であるという姿勢が共通している。そして、純粋さがマスコミにスポイルされていくというところも。ロリータ・ファッション、乙女の純情、ペダンチックな小道具、そして笑える雰囲気の中に権威への反骨精神が感じられて、興味深い作品だ。特に、「ハネ」は「エミリー」に通じるところがあって、センチメンタルでいい。結局、変なものが好きなんですね。
 「私にはその答が、少しだけ解った気がするよ。永遠はね、ある。でも見付けられない人もいる。見付けても、それは放っておくと、失くなってしまうものなんだよ。時間の中で流されていくものなんだよ。だから永遠を手に入れたならば、それを見失わないように、それを色褪せさせない為に、必死に戦わなければならないんだよ。」